見た目には完全に化け物になってしまった轟炎司は、ブルーシートを被せられて街中を疾走していた。当然前は見えないので、爆豪勝己と麗日お茶子に両脇を固められて、である。
人目はあったがこの超常現代社会、どうにか勘繰られることなくジュレにまでたどり着いた。そこでいったんブルーシートを外し、中へ入ろうとする……のだが、
「い゛ッ!?」
扉を通ろうとした途端、炎司は思わず情けないうめき声をあげていた。背中のヒレが横に広がっているせいで、扉に引っかかるのだ。それでも少年たちはぎゅうぎゅうと押し込もうとしてくるものだから、地味に痛くてたまらないのだ。
「むっ、無茶をするな貴様ら!」
「チッ、情けねェなクソオヤジ!……横にすりゃ通れるか?」
「……うむ」
……異形の怪人がカニ歩きで喫茶店に入るさまは、実にシュールであった。
そのまま椅子に腰掛けようとした炎司であったが、これも背ビレが邪魔なことに気づいて断念した。渋々、床に座り込む。
「すまない……苦労をかけた」
「……チッ」
「いやぁ、苦労というか……」
なんとも言えない空気に覆われるジュレの店内。しかしそれも長くは続かなかった。外からこちらに接近してくる声と足音が聞こえたかと思うと、窓越しに人影が浮かび上がったのだ。
「!」
はっとした勝己とお茶子は、咄嗟に炎司をその場に寝そべらせ、上からブルーシートをかけた。それ以上の細かな偽装工作を行う猶予はなく、ドアは無情にも開かれる──
「こんちは!」
「ッ、ンだコラ今日は臨時休業だ勝手に入ってきてんじゃねえぞクソ髪ィ!!」
「へっ!?だ、だって開いてたし!」
「ちょっと待ってきみ、年長者に対しその口のきき方はないだろう!!敬語を使えとは今さら言わないが、せめてクソ髪はやめたまえ!!」
「飯田……どうどう」
久しぶりに天哉を宥めつつ、響香が皆を代表するようにして前に進み出た。
「今日は客として来たわけじゃないんだ。エンデヴァー……店長さんはいる?」
「え、えっと……炎司さんになんのご用ですか?」
「実はさっきギャングラーが現れたんだけど、彼が襲われてて──」
「……あのクソオヤジなら、夏風邪で寝込んでっけど」
「そ、そうそう!店長がそんなだし、臨時休業なんですよー」
鋭児郎たちは思わず顔を見合わせた。あの場にいたのは見間違えようのない轟炎司張本人だった。一体、どういうことなのか?
そのとき、響香が唐突に「全員動くな!」と声をあげた。鋭児郎たちばかりでなく、勝己とお茶子も思わずその言葉に従ってしまう。なんの脈絡もない命令口調ほど、人は否が応なく聞いてしまうようだった。
そして彼女は、徐に歩き出した。──ブルーシートに覆われた、謎の盛り上がり。視線はそこに注がれている。勝己たちは内心これ以上はないくらいに焦ったが、もはや固唾を呑んで見守る以外に途はない。
そしてついに、響香がブルーシートと数十センチの距離にまで迫った。これを剥ぎ取られてしまえば一貫の終わり──まあギャングラーに脅されて占拠されたとでも言い張れば、最悪自分たちだけは助かるかもしれないが。
「………」
響香が、ゆっくりと両手を振り上げ──
──パシッと、乾いた音が響いた。
「よし、確保」
「……?」
首を傾げる一同に対し、振り返った響香は照れ臭そうな表情を浮かべる。
「蚊が飛んでたんだ、羽音が聴こえてさ」
「お、おー……なるほど」
聴力にすぐれた彼女らしいアクション。それでいて恥ずかしそうにしているのもまた彼女らしい。
拍子抜けする勝己とお茶子であったが、ここで響香が「そういえばこれ……」とブルーシートに目を向けたので、ふたりして慌てて間に割って入る羽目になった。どう考えても「これ何?」と続く流れだったからだ。
「触んな、山が崩れるだろーが!!」
「や、山?」
「えっと……そう、ゴミ!ゴミを固めて置いてあるから!ね、ナンならちょっと臭いでしょ?」
「……あ、ああ、そう」
苦しい言い訳だったが、一応はパトレンジャーの面々も納得したらしい。以前のような嫌疑があるわけでもないので、炎司の在室を確認することもなく去っていく。それを見送ったうえで、今度こそきっちり鍵を閉める。
「せ、セフセフ……ハァ」
どうにか誤魔化しきれた……多少は不審がられたかもしれないが。
いずれにせよもう人目もないということで、炎司はブルーシートを剥いで立ち上がった。そして、
「……モドルンジェーイ」
──…。
──……。
──………。
何も、起こらなかった。
「やはり駄目か……」
「ええ……そうすると、能力は炎司さんの身体に移ってるってこと?」
「正確にはあのギャングラーの精神に、ということだろう。原理は知らんが」
つまりマンタを見つけ出して、解除を迫らなければならないということになる。尤も、捜すのはそう困難なことではないだろうが。
「しょーがねえな、捜してきてやるよ。あんたの身体」
スマートフォン片手に、そう告げる勝己。「手のかかるおっさんだな」と悪態をつかれるのは不本意だったが、同時に彼の"悪徳でない部分"をまざまざと見た心持ちになった。
「……すまない、恩に着る。こぞ……勝己」
素直に感謝の意を述べると、勝己はフンと鼻を鳴らして笑った。珍しいことに、それは嘲笑の類いではないように見えた。
*
マンタ・バヤーシはこの世の春を謳歌していた。
エンデヴァー女子ファンクラブの会員だという十代から二十代前半の女性たちに囲まれ、ちやほやされる。こんな経験は未だかつてないことであった。
「ふへへ……」
意識せずだらしない笑みを浮かべてしまう。──と、傍らから「エンデヴァーさぁん」と非難めいた声がかかり、彼は慌てて表情を引き締めた。
「ちょっとぉ、ちゃんと話聞いてますぅ?」
「き、聞いてた聞いてた!つまりオレ様は、押しも押されぬトップヒーローだったってハナシだろィエーイ?」
「ちょっと違いますけどぉ……だいたいそんな感じです」
彼女らの話や動画サイトに残っていた活動映像などから、マンタは"この身体"についての知見を深めていた。当初は人間、それも中年男の身体なんてと忌々しく思ったが、案外と悪くないとも思いつつある。こうして少女たちに囲まれるという益もあることだし。
(ヘルふ……ふれ……何とかで悪さしまくるのもいいが、とりあえずは──)
「よーし、教えてくれたお礼に今日はこのままデートだイエェェイ!!」
「なんかこのエンデヴァー……解釈違い?」
「でも……」
「これはこれで楽しいかもー!」
「イエーーーイ!」と盛り上がる女たちとマンタ。そんなありさまで街を闊歩しているものだから、当然人目につく。まあエンデヴァーの特徴である炎の髭も一般人となった今は燃やしておらず、伊達眼鏡もかけているので彼女たちのようなフォロワーでもなければ気づく者はない。何より、エンデヴァーの引退からは一年以上もの歳月が経過している。
──ただそれでも、直接の面識がある者が彼の存在に気づかないはずがなかった。
「な、なぁ……あれってもしかしなくても……」
「……エンデヴァー、だね」
そう、ギャングラー捜索を続けていたパトレンジャーの面々である。中身がマンタと入れ替わっているなどとは知るよしもない彼らからすれば、あのエンデヴァーが女の子に囲まれて遊び歩いているようにしか見えない。しかも、仮病でいたいけな少年少女たちを欺いて。
響香は冷たい眼差しを向けるばかりだったが、天哉はそれにとどまらない。憤怒の表情を浮かべ元トップヒーローを睨みつけている。
「なんということを……!彼には妻子がいるはずだッ、離れて暮らしているとはいえあのような不貞は言語道断!!ここで待っていてくれ注意してくる!!」
「ちょっ、待て待て待て!」慌てて押し留める鋭児郎。「き、きっと疲れてんだって、エンデヴァーも……なんか明らかにいつもとテンション違うし」
鋭児郎も一応社会人ではあるが、相手は親子ほども歳の離れた大人の中の大人である。しかもかつてはプロヒーローとして名を馳せていながら、息子が行方不明となり、引退して今ではまったくかすりもしない喫茶店の雇われ店長──気難しい従業員もいることだし、ストレスも少なからず蓄積しているのだろう。そこまで考えて、鋭児郎はたまらず目頭を押さえた。
「……ま、そっとしとくか」
響香が率先して踵を返したので、男どもも一も二もなくそれに続いた。しかし彼らの耳にはしっかり届いていた──彼女の「サイテー」というつぶやきが。
意図せずパトレンジャーにお目こぼししてもらえたマンタだったが、"彼"との遭遇は避けられなかった。
「おい」
「!」
突如前に立ち塞がった見るからに柄の悪い少年。その紅い瞳は敵意を剥き出しにしている。心当たりのないマンタは首を傾げたが、少年の次のひと言がすべてを理解させた。
「ツラ貸せや、エイ野郎」
快盗──ルパンレッドも、自分をそう呼んでいた。その共通点だけで十分だった。
*
「こんなところに連れ込んで、いったいなんの用なんだィエェイ?」
人気のない路地裏にやってきたところで、マンタは焦れたように目の前の少年に問いをぶつけた。無論、十中八九の見当はついているが。
「決まってンだろ」案の定、「元に戻せや。てめェもンなオヤジより自分の身体のほうがマシだろ」
「マシィ?失礼なヤツだぜィエィ」
ギャングラー相手に不遜にも程がある物言いだと思いつつ、マンタはむしろ勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。この場の主導権を握っているのは、間違いなく自分なのだ。
「ヤダって言ったら?」
「ア゛?」
「最初はこんな身体と思ったがよォ、コイツ、ヒーローの"エンデヴァー"なんだってなァ?まさかの人生最高のモテ期到来だぜイエェェイ!!」
「……!」
勝己は戦慄した。このギャングラー、炎司……つまりルパンブルーがエンデヴァーであったことを認識している。口ぶりからして元々プロヒーローの知識があったわけではなく、おおかたあの少女たちから聞いたのだろう。
「つーわけで、お断りだィエーーーイ!!」
「てめェ……!」
詰め寄ろうとする勝己だったが、その歩は途中で阻まれた。彼が全身に劫火を纏ったのだ。
「"ヘルフレイム"ゥ!!」
そのまま腹を空かせた肉食獣のように襲いかかってくる。咄嗟に横に転がって炎を避ける。直接触れることはなかったが、それでも伝わる灼熱が勝己の皮膚を粟立たせた。
そして、その隙にマンタはルパンブルーへの変身を遂げていた。炎の中から飛び出してきた彼は勝己を素通りし、ワイヤーを付近のビルに伸ばして跳躍する。もとより正面から戦うつもりなど毛頭なかったのだ。
「ッ!」
咄嗟に銃口を向ける勝己。引き金を引こうと指に力を込めかけて……躊躇が生まれた。その一瞬のうちに、"ルパンブルー"の姿は視界から消え失せていた。
「……ッ、」
言葉も、いつもの舌打ちさえなく。勝己は力なく銃を握る手を下ろした。──撃ったからと言って、止められたかはわからない。しかしそれでも撃つべきだったのだ。快盗で、あり続けるならば。
*
ダイヤルファイターが、軽快に数字を読み上げていく。
その直後開いた金庫から、お茶子は徐にルパンコレクションを取り出した。
「ルパンコレクション、ゲット~……」
「……うむ」
また目的の達成に一歩近づいたのだが、ふたりの声音に喜びは浮かばない。状況を鑑みれば当然のことなのだが。
ともあれ球状のコレクションをしげしげと眺めていると、不意にがちゃりと鍵が回った。今、外から入ってこられるのはひとりしかいない。
「………」
「あ、爆豪くん……!」
帰ってきた勝己。彼は「どうだった?」と訊いてくるお茶子をいったん無視すると、そのまま炎司のもとに歩み寄った。
「話がある、来いや」
「……いいだろう」
勝己の声は明らかに沈んでいる。喜怒哀楽のうち"怒"の比重が明らかに大きい子供だと思っていたが、感情を抑えるのが不得手なのだ、そもそも。
どうしてかそれを憎からず思う己に戸惑いながら、炎司は彼に従った。
*
「ハッキリ言う。ヤツぁ元に戻る気はねーんだと」
沈んではいても、こういう一切の誤魔化しをしない姿勢は美徳だと思う。その程度には、炎司も覚悟ができていた。
「そうか。……毒虫にでもなった気分だな」
「ンだ、そりゃ」
「カフカの"変身"、知らんのか?」
「知らねえ」
「そうか」と、炎司は応じるにとどめた。グレゴール・ザムザという青年が、ある朝目覚めてみたら巨大な毒虫に"変身"してしまっていた──理由もわからず。不条理の極みのような、古い時代……それこそ個性が顕現する遥か昔の作品だ。若い勝己が知らないのも無理はなかった。
自分もその毒虫のようなものだと、炎司は思う。人語を話せるのが唯一の救いか。
「撃つのを、躊躇ったか?」
「!」
一瞬目を丸くしたあと、忌々しげに俯く勝己。それは彼にとっても不本意なことだったのだろう。いずれにしても気持ちは理解できる。
「仕方がない。……次は、撃て」
「いいンかよ……死ぬも同然だぞ」
「俺の身体なぞ、欲しければくれてやる。その代わり、ともに地獄へ落ちてもらうことにはなるが」
「………」
毒虫と化したザムザはやがて家族からも見放され、汚れた部屋の片隅で独り朽ち果てていった。自分が同じ末路を辿るとしても、それは不条理などではない。誰を恃むこともなく、慈しむこともなく、力を追い求め続けた男には、十分ふさわしい終焉ではないか。
長らく押し黙っていた勝己は、やがて「……わぁった」と絞り出すような声を発した。
「俺が……あんたの身体を撃つ」
「それでいい。……ただ、息子のことは」
「わぁっとるわ。デクの、ついでだけどな」
かまわない。願いがかなうかかなわないか、ふたつにひとつしか道はないのだから。