「お茶でもしようか。──黒霧サン?」
死柄木弔のこのひと言で火蓋の切られた静かなる鍔迫り合い。回収したルパンコレクションという手札がある以上、彼には勝算があった。
「……やはりでしたか。貴方の手に渡った時点で、こういう厄介な事態になることは想定していました」
ため息で靄を揺蕩わせながら、つぶやく黒霧。対する弔はどこ吹く風だ。いつもの空ろな笑みもない。
「御託はいいんだよ。で、どうする?」
「……やむを得ませんね」
胴体ほどもある大きなアルバムを紐解く黒霧。その中にはルパンコレクションが絵画の状態で収納されている。アルバムを手にした者であれば自由に出し入れもできるのだ。
そうして取り出したのは、飛行船のような形状をしたコレクションだった。
「"
「………」
コレクションを交換し、用事が済むや否や弔は席を立った。これ以上おまえと話すことはないと言わんばかりに。
「まだこちらの話は終わっていませんよ、死柄木弔」
「……何?」
「何ではありません。……どういうつもりなんです、なんの相談もなく国際警察に潜り込んで。
「知ってるよ。でも、誰かがやるしかないだろ。家長に代わって栗拾いってね」
「………」
「──"アルセーヌの願いの為に"。ルパン家に仕える者の総意だろう」
すべてはそのために行っていること。血色の悪い頬を珍しく紅潮させて言明すると、弔は今度こそ去っていった。
痩せた猫背を見送りながら、ぽつり。
「……それを言うなら、火中の栗を拾う、ですよ」
*
数日後。今日も今日とて喫茶ジュレには、"彼ら"がやって来ていた。
「こんちわっす!」
「あ、いらっしゃいませー!」
いつもながら元気良く挨拶する切島鋭児郎に、もうすっかり慣れた様子で応じるウェイトレスの麗日お茶子。警察と快盗というどう足掻いても友好的ではいられないはずの関係ながら──前者は正体を知らないとはいえ──、すっかりお得意様の関係が出来上がってしまっている。
「今日は四人で。……あ、そういや紹介がまだだったね。こっちは──」
「──死柄木弔です、ハジメマシテ」
耳郎響香の紹介を遮り、親しげな笑みを浮かべて会釈をする弔。振る舞いもさることながら、その言葉にお茶子は怪訝な表情を浮かべた。
「え、はじめまし……え?」
いや、もう何度も会っているではないか。思わず質そうとしたらば、勝己がわざわざ彼女を押しのけるようにしてキッチンから飛び出してきた。
「痛だっ!?」
「チッ!……おいクソ髪、ンでその不審者と一緒にいんだよ?」
「──お客様に対して失礼だぞ勝己」追随して諌めるふりをする炎司。「それとも、この方と面識でもあるのか?」
「おー。コイツこの前……」
実際にはとうの昔に炎司たちも知っている公園での遭遇を、さも初めて話すかのように吹聴する。無論そんなこととはつゆ知らず、鋭児郎は「やっぱ覚えてるよなぁ」と苦笑している。
彼が仕方なくその後の経緯について説明すると、勝己は「へぇ」と珍しく関心のこもった声をあげた。
「快盗が国際警察のメンバーだったなんてな」
「いやまあ……この人は特別」
「申し訳ないが、ここだけの話にしてもらえるとありがたい」
「ふぅん……」
適当に鼻を鳴らしつつ、ぎろりとお茶子をひと睨み。ぶるっと身を震わせたお茶子は、炎司の背中に隠れるようにして縮こまった。
「そ、そっか……ジュレの私たちは初対面じゃなきゃいけないんだ……。ややこしいわぁ」
「やむを得まい。あの男、それを楽しんでいるように見えるのが腹立たしいが」
一同のやりとりを眺めながら、弔はにやにやと笑っている。あとで覚えていろと、炎司は内心罵声を浴びせた。
──とまあ、そんなひと波乱もありつつ。
「ここ喫茶店なワケだけどさ、メシもなかなか侮れねえんだぜ!バクゴー、ちょっと前まで中学生だったとは思えねえくらい料理上手なんだもんよ」
「……フン、こんくれぇヨユーだわ」
鋭児郎の率直な称賛に、当然だとばかりに鼻を鳴らしつつも満更でもない様子の勝己。弔という"異分子"も、このときばかりは静かに彼らの様子を観察していた。
「おら丸顔、持ってけ」
「はいは~い。──おまたせしましたっ、夏季限定☆ローストビーフサンドでーす」
運ばれてきた料理にぱあっと顔を輝かせ、「なっ、美味そうだろ?」と鋭児郎。適当に相槌を打ちつつ、弔は小声で彼の仲間たちに訊いた。
「……いつもこんな感じなわけ?」
「まあ、そうだね」
「良い意味で少年らしさを忘れていないのが、切島くんの魅力だな!」
「ン、なんか言った?」
首を傾げつつも食欲が勝ったのだろう、「いただきますっ!」と元気良く両手を合わせる。そしてそのまま、サンドに手を──
──というところで、響香の携帯電話が鳴った。
「!」
「はい、耳郎です。……了解、すぐ戻ります」最低限のやりとりで通話を終え、「切島、飯田。例の件が動いた、本部に戻るよ」
「うむ、わかった!」
「お、おう……食えなかった……。死柄木、これいる?」
「じゃあもらう。ああ、ついでにきみらの分もお会計しとくよ」
「普段なら遠慮するところだが……すまない恩に着るっ!」
一分一秒も惜しいとばかりに駆け出していくパトレンジャーの面々。それをにこやかに見送ると、弔は仏頂面に戻ってローストビーフサンドをナイフで切り分けはじめた。優雅に。
「ね、ねえギャングラー出たんとちゃうんっ?」
「ぶっぶー。いやまったく的外れでもないけどね」
「どういうことだ?」
ひと口サイズにしたパンと肉にフォークを突き刺し、口に運ぶ。もぐもぐと咀嚼してから、
「今、警視庁と合同捜査をやってるんだって。まぁ警察戦隊が出張るんだからギャングラー絡みなのは間違いないだろーけど」
「他人事かよ」
「所属が違うからね。詳しいことは聞いてないし訊くつもりもない」
「けっ、ハブられてやんの」
「オトナの世界では住み分けって言うんだよ、爆豪くん。あ、これマジで美味い」
勝己が苦虫を何十匹も噛み潰したような顔をしていると、弔は「まあそれは置いといて」と続けた。
「邪魔者もいなくなったことだし、きみらに相談があるんだけど」
「三文芝居の次はなんだよ」
「爆豪くんさァ……俺のこと舐めてんだろ。もっぺんしばき倒してやろうか?」
血の気の多い瞳を見開いて威圧する。なかなかの迫力ではあるが、彼は話を進めることを優先した。
「──オークション、参加してみたくない?」
*
数時間後、お茶子は弔ともどもハイヤーに揺られていた。人生で一度も着たことのないような仕立ての良いドレスを着せられて。
「……なんか、落ち着かない……」
「別になんでもいいよ、現地でコケたりしなきゃ」
「むぅ……」
バカにして!お茶子は内心憤ったが、ジュレからハイヤーに乗り込むまでの時点で前科があるので抗議もできない。
ちなみにそう言う弔はというと、普段は無造作に伸びた白髪をきちんと撫でつけ、白銀を基調とした燕尾服を纏っている。このような恰好で時折物憂げに窓の外を見つめる姿からは、独特の色気すら漂ってくるようだった。
(……いやいや!基本、ブキミやし)
失礼なことを考えることで弔に対する感情を潰しながら、彼女はここに至るまでのジュレでのやりとりを思い起こしていた。
「──オークション、だァ?」
「そ、会員制の秘密オークション……非合法のね。訳ありの逸品やら盗まれた美術品やらが、ゴロゴロ出品される」
「こんなのもね」と、一枚の写真を提示する弔。数百年ものの古ぼけたモノクロフィルムに、人魚の姿をした彫像が写し出されている。
「"
「ええっ!?」
「それがオークションに出品される、というわけか。現場ですり替えるつもりか?」
快盗としての発想から訊く炎司だったが、弔はやれやれとばかりに首を振った。
「中年さァ、話聞いてた?」
「ちゅう……っ、……どういう意味だ」
「言ったろ、参加してみたくないかって。──競り落とせば良いんだよ、オークションなんだからさ」
「……今度は三文じゃ済まねえんじゃねーの」
そんな怪しいオークションともなれば、安い買い物ではないだろう。しかし弔はどこ吹く風だった。
「大丈夫、金ならある」
小切手をちらつかせる──勝己たちも、必要に応じてルパン家の資産から振り出すことが許されてはいるが。
「そういうワケで、お茶子チャン?一緒に来てもらおうか」
「へっ、私?なんで!?」
「ああいう場は
「とにかく、よろしく」──有無を言わさぬ要請に、お茶子は乗らざるをえなかった。すべては大願のために。
*
オークション会場とされた洋館では、既に数組の男女が開始を待ちわびていた。皆、仮面で目許を隠してはいるが、覗く瞳は野心的な光を放っている。人種も実業家風から和装の老紳士まで様々だ。ただ間違いなく、弔とお茶子のペアがいちばん若い。
しかし弔の付けている手を模した仮面は、実に悪目立ちする──居心地の悪さを感じながらお茶子が縮こまっていると、その原因のひとつであるかの男が耳打ちしてきた。
「ここにいる連中の顔、よーく覚えとけ」
「えっ?う、うん……」
思いもかけぬ指示に戸惑っていると、いよいよオークショニアが会場に入ってきた。
「皆さま、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。それでは、開始とさせていただきます──」
「それではッ、今回ご紹介する商品はこ~ちらっ!」
昼下がりの通販コマーシャルで聞いたことのあるような高音ボイスとともにクロスが取り払われ、防護ガラスに包まれた"それ"が露になる──
「ロットナンバー27、百年前にルーブル美術館から盗まれ、所在不明になっていた幻の逸品。──たそがれの人魚像、"小さな泡"。当オークションに登場です!」
おお、とあちこちから感嘆の声が響く。お茶子も正直その例には漏れない。それほどまでに実物は美しく、今にも歌い出すのではないかという写実性があった。
「ではまいりましょう、まず40万から!」
"$400,000"──モニターに金額が表示され、オークショニアの呼びかけに応じて皆が手を挙げ、金額を上方へ更新していく。その様子を物珍しそうに見回しつつも、お茶子は「あれ?」と首を傾げた。
「40万円って……意外と庶民的?」
いやそれだって十分すぎるほど高い買い物だとは思うが。しかし彼女、根本的に勘違いしている。
「まぁ、そうだね。単位は円じゃなくてドルだけど」
「ドル……え、ドル!?つまり……」
「日本円にして4,000……あ、5,000万になった」
「!?、ごっごごっごせっごせんまん……!?」
口をぱくぱくさせるお茶子を尻目に、弔はす、と挙手した。その口が「ヒャクマン」という単語を紡ごうとするのに気がついて、我に返った彼女は慌てて頬を引っ張った。
「いひゃい」
「ダメダメダメダメぇっ!取り返しのつかない金額言おうとしてるからぁ!」
「ハァ……うるさいなァ。これくらい大したことないっての」
「た……!?」
お茶子の手を払いのけると、弔は今度こそ「100万」と声をあげた。突然のジャンプに、会場からどよめきが洩れる。
「100万ドル!お取りしました正面のお客様!」
「──102万!」
壮年の男を皮切りに、参加者たちが次々と金額を吊り上げていく。お茶子にはこの光景が現実……少なくとも同じ世界の出来事とは思えなかった。両親が毎日汗水垂らして働いて、それで何十年かかって稼げるかもわからないような金額を平気で提示する人々。不平等がすべて悪いわけではないが、これはあまりにも──
「160万、160万ドルのお客様、いらっしゃいませんか?」
いよいよ一同の余裕が消える。流石に頭打ちか、と思われた刹那。
「──200万」
「……!」
他ならぬ弔が、堂々とラストコールを決めた。オークショニアが202万ドルを提示し、その上を行く者がいないことを確認──ハンマーを落とす。
「おめでとうございます。正面のお客様、202万ドルで落札です!」
「に、にひゃくにまん……ニホンエンデ、ニオクエン……」
いよいよお茶子の頭脳はオーバーヒートを起こした。思わずくらっときてしまい、弔に寄りかかる。「おっと」と受け止める手は意外と紳士だったが、気絶した彼女がそれを知ることはない。
まあ、そんなお茶子にとって波瀾万丈の裏オークションもこれで終幕──かと思われたとき、突然ことごとく照明が落ちたのだ。窓も一切ない部屋なので、辺りはすっかり暗闇に包まれる。
視界を塞がれた一同が訝しげにざわめく中で、次に響いたのは耳をつんざくような……ガラスの、砕け散る音。
「!、おい起きろ。卒倒してる場合じゃない」
「え、あっ……これって?」
「やっぱギャングラー絡みか……あ、」
照明が戻る。──先ほどまでオークショニアの男性が立っていた場所にいたのは……小動物に似た、しかし人間のかたちをした怪物。
「リッスッス~!お宝はァ、このグリスト・ロイド様がいただいた~!」
「!」
皆がパニック状態に陥る中で、グリスト・ロイドと名乗った怪物は"小さな泡"を奪い取った。異形の怪人を相手に制止しようとする者はなく、彼は悠々と逃走を開始する。
「ハァ……結局終いには実力行使か」
「呆れてる場合ちゃうっ、追っかけよう!2億円~!!」
「わかってるって」
ただふたり──快盗たちだけが、あとを追うのだった。