街のはずれに佇む喫茶ジュレ。表向きは特徴的な店員を抱える喫茶店、裏の顔は……というこの店の片隅で、お茶子は憂いを帯びたため息を吐いていた。
「夏も終わっちゃったなぁ……」
その片手には、いつだったかポストに入っていた納涼祭のチラシ。しかし日付は既に過去のものである。
ぼんやりとそれを眺めていたらば、傍らよりぬっと伸びた手がチラシを奪い取ってしまった。
「あ、ちょっ……何するん!?」
「こんな過去の遺物眺めてナニが楽しいんだよ、丸顔。もう9月だぞ」
意地の悪い笑みを浮かべつつ、同い年の同僚である爆豪勝己が言い放つ。相変わらず乙女心の欠片も理解しない男だと、お茶子は唇を尖らせた。
「だって今年の夏、なんもしてないんだよ?旅行どころか、お祭りも花火も!私たちの青春、これで良いのだろうか!?」
「バァカ、快盗に青春もクソもあるかよ」
心底どうでもいい、という口調。実は?ストイックな元々の性情によるものなのか、それとも背負った業ゆえか──正直なところ、お茶子には測りかねていた。前者なら仕方ないが、後者であるとしたらあまりに寂しい。だとしても、お茶子にできることは限られているのだが。
ふと視線を感じて、彼女はそちらに目を向けた。──この店の雇われ店長が、眼鏡の奥で碧眼を鋭く細めている。その奥に一瞬、気遣わしげな光が宿ったように見えたのはお茶子の考えすぎだろうか。ふたりの父親より年長の彼だが、少年たちの心情にまでは深く干渉しようとはしない。それでも最近は彼なりに、とりわけ勝己のことについては気にかけているようにも見える。
そんな彼──炎司に困ったような微笑みを向けてみせると、お茶子はチラシをあきらめ仕事に取りかかることにした。ただ今は開店準備中なのだ。
まもなくそれも終わろうかというとき、からんと音を鳴らしながらドアが開かれた。
「あっ、すみません。まだ準備中なんですけど……」
おずおずと入ってきたのは緑がかった黒髪のふくよかな女性だった。年齢はお茶子の母親くらいだろうか。楕円形の大きな翠眼は愛らしい印象を与えるが、その表情は少しやつれているようにも見える。
そのとき、だった。
「……おばさん……?」
「えっ?」
思わぬつぶやきを零したのは──カウンターの中で膳立てをしていた、勝己だった。
「久しぶりね、かっちゃん」
「……どうして……」
微笑む女性に対し、勝己の声は信じられないほどか細い。様子の変わりようにとまどうお茶子に代わって、炎司が責任者として前に進み出た。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「──緑谷といいます」
(……緑谷?)
聞き覚えのある名前。それもおそらく、勝己の口から。
「デ……出久の、母親だ」
「え……!?」
「……!」
勝己の口から絞り出すように語られた女性の正体は、驚くべきものに違いなかった。
*
──緑谷、引子。
デクこと緑谷出久の母親だという女性は、そう名乗った。
「どうしてここに来たんだろう……。デクくんのお母さん」
「……さあな」
第三者の存在を憚って、ふたりが出ていったあとの店内。お茶子も炎司も借りてきた猫のようだった勝己を茶化すことなどできず、神妙にしているほかなかった。
「彼女にどんな意図があろうと、それは小僧の問題だ。気にかけるのはいいが……干渉は、しすぎるな」
「わかってるけど……」
安直な考えと自覚はしているが、お茶子は心配だったのだ。勝己は、デクが消えたのを自分の責任と感じて快盗に身をやつした。デクの母親である彼女も同じように考えて、やりきれない感情を勝己にぶつけるのではないかと。
たとえそうなったとしても、勝己の自業自得──頭ではわかっていても、どうか彼をこれ以上追い詰めないでほしいとお茶子は思う。だって、勝己は──
「お取り込み中のところ申し訳ありませんが、」
「………」
相変わらず突然背後から聞こえる声だった。もう驚きもなく振り返れば、そこには想像通りの男?の姿。
「ルパンコレクションの情報をお持ちしました」
「……黒霧さん」
なんてタイミングだと思ったが、それはお互い様かもしれない。いずれにせよコレクションの奪還は、何より優先すべき使命だ。どんな状況であろうと──それが勝己のためにもなる。
「聞かせてもらおうか」
ふたりが予想していたのは、ルパンコレクションを所持するギャングラーの情報。たしかに的外れではなかったが、普段のそれとは明らかに異なる……"異様な"事態だった。
*
異様な事態。
それを捉えたのは、警察戦隊のほうが早かった。
「一体、何があったんだ?こんな……」
切島鋭児郎のつぶやきに、応えられる者はいない。皆、もたらされた報告にただただ困惑していた。
『しかし司法解剖の結果は間違いなく、発見された遺体がギャングラーのものであると示しています』
とはいえ、ジム・カーターの言葉を否定できる者はいない。
──異形の怪人の変死体が、某山中で発見された。
それがすべての始まりだった。死後数日が経過していると目された屍は背中が大きくえぐり取られたような状態で、死因究明のため司法解剖に付されたのだ。その結果、体組織が人間とは大きく異なっていることが判明した。そしてそれは、これまで倒されてきたギャングラーから採取したものと一致しているとも──
「ギャングラーだとすると、金庫が見当たらないが……まさか」
「えぐり取られたのは金庫、か」
まさしく猟奇殺人というほかない。だが加害者ならともかく、被害者がギャングラーというのは極めて不可解かつ不気味であった。人間にそんな芸当ができるのか、あるいはギャングラー同士の抗争か。仮に後者だったとして、理由は何か?
思考を巡らしても、真相は闇の中だ。しかし死柄木弔だけは、ある推測に至っていた。
(ゴーシュの仕業か)
ギャングラーのドクター、ゴーシュ・ル・メドゥ。マッドサイエンティストとしての顔を持つ彼女ならやりかねないと、弔はそう考えていた。
*
ジュレを出た勝己と緑谷引子は、あてもなく往来を進んでいた。そもそも目的地があるわけもなく、ただお茶子らに会話を聞かれたくないと思って連れ出したのだ。
「光己さんがね、心配してるのよ」
なぜ、引子がここに現れたのか。勝己の抱く疑念を察してか、彼女はそう告げた。
「……だからって、なんでおばさんが」
「だって光己さんもかっちゃんも、お互い素直になれないじゃない?」
「素直も何も……鬱陶しいだけだわ、あんなババア」
「自分のお母さんのこと、そんなふうに言うものじゃないわ」
叱る声すら、どこか優しい。彼女はほんとうに、自分の母親とは対照的な女性だと勝己は思う。その振る舞いはどこか息子と似ていて、でも、彼女は芯から平凡で──
「良い雰囲気のお店ね、かっちゃんの働いてるところ」
「……っス」
「いっしょに働いてる女の子、可愛い娘じゃない。ガールフレンドだったり、しないの?」
「いや……」
これが実母相手なら、ンなわけねーだろ殺すぞクソババアくらいは言っていただろう。だのに、引子にだけはどうしても強く出ることができない。これは昔からそうだった。
彼女の息子のことは、さんざん虐げてきたというのに。
「………」
そっと目を伏せる勝己に気づいていないのか、引子はどこか浮ついた調子で喋り続ける。
「でも、店長さんはちょっと怖そうだったかも。……ねえ、店長さんって有名な人だったりするかしら?どこかで見たことある気がして」
「……ヒーローです。元っすけど」
「ヒーロー?──もしかして……エンデヴァー?」
元トップヒーローとはいえ、引退して既に一年以上が経過している。それでもすっと名前が出てくるあたり、デクの母親だと勝己は思う。むろん、彼女自身はヒーローオタクでもなんでもないのだが。
「そうっす。今はただの店長だけど」
「ふふ……有名なヒーローが店長だなんて、贅沢なお店ね。でもたしか、エンデヴァーって……」
一年前の集団失踪事件に、末の息子も巻き込まれたのではなかったか。そして、それをきっかけにしてヒーローを引退したと。
──そう、勝己には共通点があるのだ。かの元ヒーローとの、このうえない共通点が。
「……ねえかっちゃん、光己さんが言ってたわ。あなたがヒーローになる、雄英に行くと言わなくなったのは、ちょうど出久のことがあってからだったって」
「………」
「もしかして、そのことを気にして……それで雄英に行かなかったの?」
実際には、気にしてなどというどころの話ではない。出久を取り戻す手段を目の前にぶら下げられてこそ今の状況があるのだが、引子は想像だにしないだろう。巷で噂の快盗たち、しかしその目的は、決して知られることはないのだから。
「出久のことは、あなたのせいじゃないわ」
「おばさん……それは、」
言葉に窮しながらも、勝己が反論しようとしたときだった。
「うぎゃあああああああ──」
「!!」
突然の悲鳴。思わず身を硬くするふたりだったが、そのあとの行動は異なっていた。
声の方向めがけ、勝己は走り出したのだ。それは身体に染みついた、ほとんど反射的な行動だった。
「かっちゃん!?」
「来んなっ!!」
「……!」
怒声に、息を呑む音が背後から聞こえる。そのときの表情を見なくてよかったと、勝己は心から思った。息子と瓜二つの母親の顔──見てしまえばきっと、足下が澱みで浸される。走れなく、なる。
そうしてたどり着いた公園の奥、そこには地面に倒れ伏す男の姿があった。そして、
「てめェは……!」
「──子供?」
女性的なラインの青いボディに、眼らしき意匠のどこにもない顔。明らかに怪物然としたその容姿は、既に何度も邂逅してきたものだった。
(ゴーシュ・ル・メドゥ……!)
その名は勝己の脳裏に刻み込まれていた。幾度となく現れ、倒したギャングラーを巨大化させる女。黄金の金庫をもつ"ステイタス・ゴールド"。──そして、拐った人間を使って人体実験を行おうとしていたマッドサイエンティスト。
「てめェ、その人どうするつもりだ?」
「あら……私を見ても怯えないなんて、ずいぶん勇敢な坊やだこと。あなたにも是非、実験に協力してもらいたいわ」
嘲り混じりに言い放つ。──この態度からして、こちらが快盗とは気づいていないらしい。
それは僥倖だったが、ならば自分が快盗であると気づかれないほうがいい。ゴーシュの前で、迂闊に変身はできない。
ならばどのように抵抗するか。武器はある、"個性"というその身に宿った武器が。だが、それはヒーローの目標を捨てたときから封じているもので──
今回ばかりは考えなしに飛び出してきてしまった勝己は、そのために今逡巡に支配されていた。
それが、命取りとなった。
「!!?」
茂みの中からポーダマンが次々と飛び出してきて、勝己の四肢を拘束したのだ。
「てめェら……!放せや!!」
「ふふ、活きがいいのね。──おいで、私の可愛い実験体」
「!」
ゴーシュの背後からぬっと現れた姿を目の当たりにして、勝己はぎょっとした。それはポーダマンであって、ポーダマンではなかった。
身体は、明らかにポーダマンのそれなのだ。しかし、首から上は──
(金庫……?)
頭部は、ギャングラーの身体の一部である金庫そのものだった。まるで被りものをしているかのような姿。ふざけているようにも見える異形は、羽交い締めにされて身動きのとれない勝己に迫ってくる。
そして──頭を、掴まれた。
「ぐ──ッ!?」
途端に、金庫が妖しい光を放つ。脳に手を突っ込まれてかき回されているかのような強烈な不快感に襲われ、うめく勝己。
程なくして……身体から、複数枚の写真が飛び出す。同時に彼は意識を失い、がくんと項垂れた。
「……やっぱりこの程度。調整が必要なようね」
ため息をこぼすゴーシュは、勝己を放り出させると配下ともども姿を消した。
それと入れ替わるように、「かっちゃん!」と名を呼ぶ声が響く。業を煮やした引子が駆けつけてきたのだ。
「かっちゃん、何があったの!?かっちゃんっ!」
必死になって勝己の身体を揺り動かす引子は、幸か不幸か彼のそばに散らばる写真の群れに気づくことはなく。
──かっちゃんっ!
「!、今のって……」
「……行くぞ」
黒霧からルパンコレクションの情報を得て、勝己を呼び戻しに来たお茶子と炎司。悲鳴のような声を聞いたふたりは数秒後、駆けつけるのがひと足遅かったことを思い知ることになる。