意識を失った勝己は、すぐさまジュレに運び込まれた。相変わらず最低限の調度しかない自室のベッドに、今は寝かされている。
「目、覚まさないね……爆豪くん」
「……そのうち目
「………」
勝己を気遣わしげに見下ろしつつ、お茶子の視線は机上に並べられた写真へと向けられた。快盗姿の自分たちやギャングラー、ルパンコレクションが写っている。ことごとく。これは誰かが撮ったものではないと、ふたりは既に知らされていた。
(
そうこうしているうちに、勝己がうめきながらも目を開けた。露わになった紅い瞳が、茫洋と天井を見上げている。
「爆豪くん……!」
「……小僧」
呼びかけに、勝己はふたりを見た。脳がはたらきはじめたのだろう。その表情が、次第に怪訝ないろに染まっていく。
そして、
「……誰だ、あんたら?」
黒霧の言った通り──爆豪勝己は、記憶を失っていた。
*
「ほぉ、移植は成功したようだな」
ゴーシュと"実験体"を前に、ドグラニオ・ヤーブンは満足げな声を発した。
「しかし他にやりようはなかったか?ふざけてるように見えるんだが」
「そんなことはありません、ポーダマンに金庫を植えつけるにはこれが一番ですもの。良い手術ができましたわ」自画自賛しつつ、「ただ、ポーダマンではコレクションの能力を完全には発揮できないみたいで……」
まあ、実験には試行錯誤がつきもの──悪びれるそぶりもなく公言するゴーシュに対し、ドグラニオのもうひとりの側近が抗議の意を示した。
「おまえのお遊びのために構成員をひとり使い捨てにしている、忘れるな」
「わかってるわよ。でもボスのお許しはちゃんと得てるもの、ねえボス?」
「ま、ちゃんとギャングラー全体に役立つものならな」
「勿論ですわ」
ドグラニオの碧眼が鋭く光ったのをこともなげに受け流して、ゴーシュは艶かしく笑った。
*
緑谷引子もまた、勝己とともにジュレに戻ってきていた。
「………」
とはいえ一階の店舗スペースに残され、彼女は二階に上がることすら許されなかった。勝己と同年代の女子店員は申し訳なさそうな顔をしていたが、気を失ったままの勝己を見守る輪に入ることを、ふたりは良しとしない。
──何かを、隠している。ぬるくなったコーヒーに口をつけつつ、引子はそんなふうに感じていた。彼らには、秘密があるのだと。
どたどたと乱暴な足取りが上階から聞こえてきたのは、そんな折だった。
「待ってってば、爆豪くん!」
「うるせえ丸顔っ、馴れ馴れしく名前呼ぶな!!」
「結局それ!?」
階段を駆け下りてきたのは……他でもない、爆豪勝己その人だった。
「かっちゃん……」
「!」
追いかけてくる同僚らをすげなくあしらう少年は、しかし引子の顔を見て立ち止まった。
「……おばさんか。どーも、久しぶり」
「久しぶりって……」
きょう久しぶりに会ったというならたしかにそうだが、先ほどまで連れ立って歩きながら話をしていたのだ。それがこんな、ほんとうに今しがた再会したかのような反応。
「勝己くんは今、ここ二年ほどの記憶を失っているようです」
「え……?」
元ヒーローの店長の言葉に、引子は一瞬言葉を失った。
「……そんな……。──かっちゃん、今いくつ?」
「はあ?」明らかに訝しみつつ、「……14だけど」
「……!」
ふざけているのではない、勝己は心底から自分を14歳の中学生だと思い込んでいる。それがギャングラーに襲われた結果であることは、引子にも容易に想像がついた。
「……何、その顔。まさかコイツらの言ってること、本当なのかよ?」
「だから言うてるやん……。爆豪くん、記憶喪失なんだって」
「はっ!てめェらどこの馬の骨かもしらねー連中の言うこと、誰が信じるかよ」
「……馬の骨……」
そんなふうに言われたのは生まれて初めてのことだったのだろう、炎司がえも言われぬような表情を浮かべている。
「……で、ここはどこなんだよ?喫茶店に見えっけど」
「喫茶店だよ。私たちの職場……もちろん、爆豪くんも」
「は?職場ぁ?」
今度こそ勝己は、信じられないとばかりに鼻を鳴らした。
「意味わかんねーよ。なんで俺が16やそこらで働いてんだよ?俺ぁ折寺中学で唯一!雄英高校ヒーロー科に進学し!押しも押されぬNo.1ヒーローになる男なんだよ!!」
「………」
「……うわあ」
快盗となってからの勝己しか直接的には知らないふたりは、露骨に呆れた表情を浮かべた。じぶんが優れていると公言して憚らないその態度、己のテリトリーである学校ではさらに酷かったのだろうことは想像に難くない。
しかし彼は同時に、雰囲気を鋭く察知する能力に長けてもいた。記憶喪失に続いて、彼女らが嘘や冗談を言っているふうでないことはすぐにわかってしまう。
「……本当なのか、おばさん?」
「………」
いくらかの逡巡のあと、引子はおずおずと頷いた。
「かっちゃん、ここに住み込みで働いてるのよ。それで、おうちに全然帰ってこないから……ご両親の代わりに、わたしが様子を見に来たの」
「……ンだよ、それ……意味わかんねーよ……」
やはり、引子の言葉は素直に受け入れるようだった。言葉を失い、立ち尽くしている。
そんな彼の背後から、炎司が声をかけた。
「……理由は話せない、今はな。だが、まぎれもなくおまえ自身の意志で選んだことだ」
「ッ、ざけんな!!」炎司に掴みかかり、「俺ぁヒーローになるんだよ!!ッッンでこんな場末の喫茶店でくすぶってなきゃいけねえんだッ、ア゛ァ!!?どこぞのムコセーのクソナードじゃねえん──」
そこまで言って我に返ったのだろう、勝己ははっとした表情を浮かべて黙り込んだ。自身の背後でその"ムコセーのクソナード"の母親がどんな表情を浮かべているのか──振り返ることすらできない。
「……ッ、」
唇を噛みしめる勝己に、彼の記憶にない仲間たちはかける言葉もなかった。──その沈黙を破るように、炎司の懐で携帯電話が鳴動した。
「……失敬」
いったん奥へ引っ込んでいく炎司。そのときの表情からお茶子は発信の相手を察したが、引子がいる手前、あえて何も言わなかった。
それから三十秒ほどして、炎司は戻ってきた。
「申し訳ない、これから彼女とふたりで出かけなくてはならなくなりました。……緑谷さん、その間、勝己くんをお願いできますか」
「え……は、はい」
引子が頷くや否や、「行くぞお茶子」と言って店を出て行った。後ろ髪引かれる思いのあったお茶子だが、電話相手の用件を思えばついていかざるをえない。勝己を、一刻も早くもとに戻すためにも。
「電話、死柄木さんから?」
「ああ、ギャングラーが出現したそうだ」
「!、よーし……じゃあお宝回収してぶっ倒して、絶対爆豪くんの記憶取り戻したるっ」
「ふ……気負いすぎるなよ」
まあ人のことは言えないがと、炎司は密かに自嘲した。
*
一方、店内に取り残された勝己と引子は。
「………」
暫し続く、沈黙。居慣れぬ場所にとどまっていなければならないこともそうだが、何より引子と……デクの母親と、ふたりきりでいなければならないことが。
ややあって、引子がおずおずと切り出した。
「災難だったわね、かっちゃん。ギャングラーに襲われて……最近のこと、忘れちゃうなんて」
「……別に」
最近のことと言われても、覚えていないのだから忘れてしまったことが"災難"とも感じようがない。そんなことよりよほど、雄英どころか高校にすら進学していないという事実のほうが災難だった。
いったい、己の身に何が起きたのだろう。あの店長だとかいう、どこかで見たことのある筋骨隆々の男は、勝己自身の意志だと言っていた。いったい何があれば、ヒーローにならない道を選ぶというのだろうか。
引子はその理由を知っているのだろうか。多くを語らない彼女の横顔を盗み見る。息子とそっくりな大きな瞳は、どこか言いしれぬ哀しみをたたえているように見える。胸をじわりと浸すような、漠然とした不安を抱えながら、勝己は口を開いた。
「……それより、律儀に俺の面倒みてていいんすか。デ……出久は?」
「!、………」
一瞬、引子の眼差しが翳る。自分でさえこんなことになっていて、もしかしたらデクも高校に進学できなかったということはありうるかもしれない。そのくらいの想像は、容易くついたけれど。
「あのね……かっちゃん。出久は……」
引子は相当、言葉を選んでいるようだった。詰め寄りたくなる気持ちを懸命に堪えて、勝己は彼女の発する言葉を待った。──彼女にはそうすることができるのに、どうして彼女の息子には。その顔を思い浮かべるだけで、心が激しく波立つ。
ややあって、引子は深々と息をついた。
「……忘れてしまったほうが、良いこともあるわ」
「……は?」
呆気にとられる勝己を、引子はじっと見つめた。感情のない翠眼。目の当たりにした瞬間、覚えのないいつかの光景がフラッシュバックする。
「かっちゃん、私ね、知ってるの。あなたが出久に、何をしてきたか」
「────」
一瞬、頭の中が真っ白になった。直後、足下からじわりと冷たい水に沈んでいくような錯覚。それはあっという間に身体を、髪の毛の一本たりとも逃さず浸していく。
「母親として、あなたのことは許せない。……でも、私にあなたを責める資格もないわ。私にはあの子を守ってあげることも、励ましてあげることもできなかった。出久はきっとそんなこと望まないって、自分に言い訳をして……それで……」
「………」
「だからね、かっちゃん」
「もう、出久に縛られなくていい。あなたはあなたの夢をかなえて。それをきっと……あの子も、望んでいるから……」
引子の言葉は、勝己の耳には入っていなかった。──正確には、その言葉に込められた想いを受け取ることができなかった。
だって、その物言いはまるで……まるで、デクがもうこの世界にいないようではないか。
この世界にいない、
──死んだ?
刹那、勝己の脳裏に強烈な情景が甦った。
ごみための路地裏、対峙する双眸。かつて自分に憧憬を向けていたはずのそれが、侮蔑と嫌悪に染まっている。
ああ、
そうだ。
このあと、彼は──消えたのだ。
「……っちゃ……、かっちゃん!?」
「……!」
気づけば一瞬、意識が飛んでしまっていたらしい。慌てた様子の引子の顔が、目の前にあった。
「大丈夫……?立てる?」
「………」
思わず、笑みがこぼれる。
「──違ぇよ、おばさん」
「え……?」
彼女の手を借りることなく、勝己は自らの力だけで立ち上がった。
「忘れちまったって、なかったことにはならねえんだよ」
「──!」
言葉を失う引子に背を向けて、ジュレを飛び出す。ようやく我に返ったのだろう、「待ってかっちゃんっ!」と呼び止める声。しかし進むべき途は決まっている。勝己はただ、取るものも取らずに走った。
「よう少年、そんなに急いでどこへ行く?」
「!」
途上に立ちふさがったのは──死柄木弔だった。
「"
「ア゛ァ?誰だてめェ」
「……あれ?」
勝己の顔つきから判断した弔だったが、あてが外れたかと肩をすくめた。だが、わけのわからない状況に嫌気が差して飛び出してきたという様子でないことには確信がある。ならばと、質問を変えた。
「まあ俺のことはいいよ、同志みたいなモンだと思ってくれれば。──それより、かなえたい願い、わかったんだろ?」
大切なものを取り戻す、と。
その想いを言い当てたことで、胡乱な目で弔を見ていた勝己の信用を少しは得ることができたようだった。どうせ記憶はギャングラー……というか改造ポーダマンを倒せば戻る、だから今はそれだけでも構わない。
「じゃあ行こうぜ。そのための戦いに、きみを招待しに来た」
「……戦い、」
デクを失って、なんのために未来を捨てたのか。その果てがあんな喫茶店で燻っているとは、自分のこととはいえ理解しがたかったのだ。しかし願いをかなえる方法があって、それが"戦うこと"であるなら。
「じゃあとっとと案内しろや、不審者」
「……ハァ、もはや懐かしいな。ソレ」
不審者呼ばわりした相手に誘われて日の当たらない場所へ。その言行不一致──と言うのは少々大袈裟すぎるが──はまるで喜劇だと弔は密かに思った。だが自分自身のためにも、勝己が戦線に復帰してくれなければ困るのだ。
「──おっと忘れるとこだった。これ、今のうちに渡しとくよ」
「!」
振り向きざま、片手ほどのオブジェクトを投げ渡される。──それは、飛行船のような形をしていた。
「ンだこれ」
「俺の
うそぶく弔。しかしその言葉は決して嘘偽りでないことは、他ならぬ戦場で証明されることになるのだった。