爆豪勝己には、持たざる者の気持ちが理解できなかった。
なぜなら彼は、あらゆる資質において他人よりすぐれていたから。容貌も知能も、運動能力も……個性も。唯一欠点があるとすれば増長して烈しく独善的に育った性格くらいなものだが、当人はそれを欠点だなどとは認識していなかった。
対して彼が"デク"と呼んだ幼なじみは、まるで名が体を表すかのごとく人より劣るこどもだった。挙げ句の果てには、個性さえもつことができなかった。"いっちゃんすごくない"奴。
彼が己と同じ未来を夢想し、手を差し伸べ、ましてや対峙した瞬間。
齢四歳にして、勝己は彼の友であることを放棄した。
──それから、十年。
「僕のノート……!返してよ、かっちゃんっ!!」
多感な時期を迎えていたふたりの溝は、既に修復不可能なほどに広がっていた。
「ハッ……毎日毎日こんなくだらねぇもん作っちゃって。気持ち悪りィんだよ、ナードくん」
"将来の為のヒーロー分析ノート"──そう書かれた大学ノートを汚物を持つように摘まみながら、嘲笑う。幼少期からつけているようで、そのナンバリングは既に二桁にも及んでいる。それは無個性でありながら、彼が未だにヒーローへの未練を断ちきれないまま進路を選ぶ時期にまで来てしまった証左にほかならない。
現実的な目標としてヒーローを目指していた勝己にとって、デクの存在は目障りで仕方がなかった。ヒーロー養成の最高峰である雄英高校を、己と同じく志望していることがわかって、彼の憤懣は最高潮に達していた。いままでは内申を意識して実力行使は避けてきたけれど、今日は、ただでは帰さない──
「無個性の貧弱ナードがよォ、いつまで叶いもしねぇ夢見てんだ?雑魚は雑魚らしく日陰で縮こまって生きてろや」
「ッ、きみに関係ないだろ!?返せよ……ッ!」
「──ッ」
無個性の、何もできない木偶の坊の分際で。
「なに命令してんだ……デクの分際で!!」
激情のままに、勝己は己が個性を発動させていた。掌からニトロのような液体を分泌して放つ──"爆破"。威力は抑えたために消し炭になることはなかったが、表紙は焼け焦げ、見るも無残な有り様と化す。
「ああ……!」
絶望に染まる表情。それを目の当たりにした途端、勝己の内心に渦巻く鬱屈は収まるどころか最高潮にまで達した。
激情のままにノートを傍らのゴミ捨て場に投げ捨て、
「……そんなにヒーローになりたきゃいい方法があるぜ」
「来世は"個性"が宿ると信じて、屋上からの……ワンチャンダイブ!!」
「!!」
──いままで、"死ね""殺す"と罵ったことは数えきれないほどある。それに比べても随分と教唆的で取り返しのつかないことばであると、頭の片隅では理解していた。
けれど、それがどうしたと思っていた。どうせコイツには、俺のことばなんてなにひとつ届かない。十年間ヒーロー目指すなと言い続けて、それでも視界をちらつき続けるこの路傍の石ころには。
そう、信じて疑わなかったのに。
「……そうだね」
「は……?」
デクの口からこぼれたことばは、聞き間違いでなければ肯定を意味するものだった。
「僕はきっと、ヒーローにはなれないだろうね」
「デク……?」
「でもね、かっちゃん」
「それは、お互い様だろ?」
「──!」
ようやく気づいた。──対峙する少年のエメラルドグリーンが、昏く濁っていることに。
「かっちゃん、──きみは僕のヒーローじゃない」
「きみなんか、ヒーローじゃない……!」
──すごいなあ、かっちゃんは!ぼくも、かっちゃんみたいに……。
幼い頃、あんなにも純粋に尊敬と親愛を表していた大きな瞳。
それが、覆しようのない軽蔑に染まっている。ぞわりと背が震え、頭が真っ白になった。
そして勝己は、デクの頬を力いっぱい殴りつけていた。幾分も小柄で頼りない身体は容易くバランスを崩す。
「消えろ……、」
「俺の前から消えろッ、二度とそのツラ見せんな!!」
認めたくなかった。憤懣の裏側にある感情を。己の行為のために、デクにそれを打ち砕かれたことを。ゆえにこの瞬間だけは、本当にこの世からデクがいなくなればいいと思っていた。
その願いは、かなえられた。
なんの前触れもなく発生した突風は、春の陽気を吹き飛ばすほどに冷たくて。
「……ッ、」
たまらず顔を背けた勝己。その一瞬……たった一瞬の間に、勝己は奈落に突き落とされていた。
「……は、……?」
目の前にそびえ立つ、勝己の背丈ほどもある巨大な氷塊。何が起きたのか理解できなかった。
──デクは、その中に閉じ込められていた。
「デ……ク……?」
(なんだよ……これ……?)
心臓がどくりと跳ね、喉が渇いていく。
ことばにしえない感情のままに、勝己は氷塊へと手を伸ばそうとする。
遅かった。
何もかも、遅かったのだ。
ぱき、と軽々とした音をたてて、氷に亀裂が走る。──そして、
「あ……」
粉々に、砕け散った。
散らばる無数の氷。だがそこに、デクの姿はなかった。あのあらぬ方向にねじれた緑髪も、卵型をした翠眼も、いかにもナードらしい大きな黄色いリュックも。彼がこの場に存在したのだという痕跡すら、何ひとつ。
「あ……あぁ………ッ」
デクが……死んだ?
目の前の光景をそのように理解した途端。もう風は吹いていないにもかかわらず、冷たい何かが足下から這い上がってくる。力が抜け、その場に膝をつく。
そして、
「ああ、あ……あああああああ──ッ!!」
生まれてはじめて、勝己は慟哭した。
*
「………」
ああ、またあの日の夢を見ていたのか。
朝を迎えた瞬間、勝己の脳裏には再び"デク"のことばが過ぎっていた。「きみなんか、ヒーローじゃない」──
虐めというよりほかにない行為を繰り返し、挙げ句には自殺教唆までした自分に対して、反撃としてはあまりに些細なもの。
けれど、あの瞳……昔きらきら輝いていた翠眼を軽蔑と絶望に染めて、罵倒でなく、それを覆しようのない現実として告げていた。
──恐ろしかったのだ、俺は。デクに己を否定されるのが。
なのに、
(……何やってんだろうな、俺)
ヒーローであることを否定され、デクなんかいなくなればいいとあのときは本気で思っていたにもかかわらず。失ったその瞬間から、ヒーローを捨てて快盗に身を堕とした──取り戻すために。
「……デク、」
真白い机にぽつんと置かれた、大学ノートを手にとる。表紙が焼け焦げ、刻まれたタイトルはおよそ判読しがたい状態。その文字を、そっと指でなぞる。
謝罪したいわけではない。ましてや、そこからやり直すなんてことあるわけない。
ただもう一度。もう一度だけ、会って話がしたかった。
それ以外、何もない。
何もない部屋に、勝己はひとり佇んでいた。
*
案外と遅い時間まで眠っていたらしい。
身支度を整えた勝己が店に降りると、既に炎司とお茶子の姿がそこにはあった。
「おー、おはよう爆豪くん!」
「……はよ」
「今日は珍しくお寝坊さんやったねぇ。いつもは早起きして外でサボり寝してるのにぃ」
「けっ」
にやにやしているお茶子を無視して、勝己はどかりと椅子に座り込んだ。隣の炎司は、珍しく何も言ってこない。
「それはそれとして……揃ったことだし、始めますか!」
「うむ」
黒霧から与えられた情報を、お茶子は得意げに語りはじめた。
──同じ頃、異世界に存在するドグラニオ・ヤーブンの屋敷においても、動き出したギャングラーについて話題に上っていた。
「ナメーロ・バッチョ……俺の彫像作りとは、面白いことを考えたもんだ」
ゆったりと椅子に腰かけ、つぶやくドグラニオ。その傍らに控えるふたりの配下の反応は、対照的なもので。
「まったく、いままで美術品の贋作を売り捌いていたやつがどう動くかと思えば」吐き捨てるデストラ。
「ふふっ……わかりやすい媚び、私はキライじゃないわ」ゴーシュは愉快そうだ。
ドグラニオの反応は、どちらかといえば後者に近かった。
「俺も構わんぞ。方法はなんでもいい、結果がすべてだ」
無論、彼が後継者と認めることと、構成員たちに認められることは別の話。その点においてまで、責任をもつつもりは毛頭なかった。
*
「──以上、今回の
汗を拭きつつ、お茶子はどうにか独演会を終えた。途中容赦のない質問が飛んでくるものだから、必要以上の緊張を強いられる羽目になったのだ。それらを乗り越え頑張ったのに、「お疲れ様」のひと言もない薄情な男ども。やっぱりパトレンジャーの男たちのほうがいい……敵でさえなければ。
「アトリエが潜伏先か……」顎に手をやる炎司。「突入するのは簡単だが、そんな狭い場所で乱戦になると面倒だな」
「絶対来るもんね、警察のお三方……うち一名ヒーロー」
「……その前にコレクションぶんどりゃいいだけだろ」
事もなげに言う勝己。それが世話ないのはそのとおりだが。
「ギャングラーの能力が情報どおりなら、それも容易いことではない」
「じゃあ警察もブッ殺しゃいいだろうが!」
「ちょっ……いきなりキレんといてよもう!」
炎司は呆れたようにため息を吐き出すだけだった。それでますます頭に血が上りかけたのだが、
「小僧、よく考えろ。警察は必ず来る、ギャングラーと……我々快盗を追ってな」
「ッ、だから──」
「──だから、逆に使ってやればいい」
「!」
先ほどのお茶子よろしく、ニヤリと笑う炎司。それは初めて見せる表情だった。
*
同じ頃、国際警察日本支部──その一角に設置された警察戦隊の中から、まだ少年のいろを残した歓声が響いていた。
「うおぉぉ~……!」
声の主は──新米ヒーロー・烈怒頼雄斗こと切島鋭児郎。数日ぶりに髪をセットして逆立てた彼は、学生時代から苦楽をともにしているコスチュームではなく、濃紺と赤を基調とした制服を纏っていた。
彼と並んで立つ飯田天哉、そして耳郎響香もまた同じく。デザインはほぼ同じだが、赤の部分はそれぞれ緑、桃に彩られている。──つまり、変身後のパーソナルカラーに擬せられていた。
「軽くて動きやすい……!それでいて頑丈にできているようだ!」
「それはいいけど……ピンクかぁ。いやわかっちゃいたけどさ」
反応は三者三様。そこに「皆さんお似合いですよ!」と少女のような声を投げかけたのは、人間ではなく。制帽を被ったようなデザインの白いロボットだった。
「しっかし……国際警察がこんな最新型のサポートロボットまで持ってたなんてなぁ」
「ジム・カーターです、よろしく烈怒頼雄斗さん!」
「おう、よろしくな!」
握手……しようにも相手には腕がない。どうしたものか迷っていたら、脇からいきなり飛び出してきた。普段は収納されているだけらしい。
「うんうん、なかなかチームらしくなってきたな。二日目でこれなら安心だ」
満足げにうなずきつつ、茶を啜る塚内管理官。部屋の中央を陣取るデスクには、彼から供された茶菓子が置かれている。どこか牧歌的なムードは、鋭児郎にとっても望むところではあるが。
「……俺は全然いいんスけど、事務所から文句とか……ないっスよね?」
「ああ、いまのところね」
新人ヒーローがギャングラーを倒すのに貢献したというのは、世論の厳しい目に晒されているヒーロー業界全体にとってはかすかながら光明となりうる事実だ。もっとも、一日一日手塩にかけて育成したいルーキーを手放すのは、短期間であれ痛手には変わりなく。
上層部や塚内自身も裏で色々と根回しをしているの最中なのだが、わざわざ鋭児郎に伝えるようなことではなかった。
「立て続けに事件が起こってしまったからな。いままでにないことだ」
「これからもこんなことが続くなら……今回の事件、尚更早く解決しないと」
パトレンジャーは三人しかいない。ギャングラーが同時多発的に行動を起こせば、対処が間に合わないことは必至なのだ。
「耳郎くんの言うとおりだ、ただ現状は手がかりがない。飯田くんの推察どおり、現状はオフィス街を中心に警備を──」
塚内が指令を告げかけたときだった。──にわかに、ジム・カーターの頭部から突き出したパトランプが光り出したのは。
「うおッ、何!?」
「一般市民からの目撃情報ですっ!」
「ジム、聞かせてくれ」
──老人の声が、ジムから流れ出す。
『火ノ国町に"アトリエ・バッチョ"というギャラリーがあるんじゃが、そこに化け物が入っていくのを見たんじゃ。お巡りさん、なんとかしてくれんかのう……』
「!、アトリエ……。そこにギャングラーが?」
「今回の手口とも符合する……!──管理官」
「ああ」
「パトレンジャー、出動だ!」
「「「了解!!」」」
鬨の声は、今度こそ完璧に揃えられた。
一方、通報した張本人はというと。
「ふむ……こんなものだろう」
スマートフォンを置き、ひと息つく──轟炎司。老人の声は、専用アプリとしてインストールされたボイスチェンジャーによって作られたものにすぎない。必要な道具はすべて、ルパン家から与えられているのである。
「炎司さん、演技なんてできたんや……意外」
「何を感心している。この程度は当然だ──それより、」
「これで警察がナメーロを炙り出してくれる。我々は快盗らしく、漁夫の利をいただくとしよう」
快盗たちもまた、動き出した。