そのとき"彼"が知覚しえたのは、果てしなく広がる暗闇だった。
──俺……死……、ごめ……うた………ざし………。
濁る思考の中に、浮かぶ陽光のような日々。それらが、次第に遠ざかっていく。
──おれ、は……。
そして、暗闇は永久のものとなる──はず、だったのに。
『すまない、きみを救うにはこうするしかなかった』
次に目覚めたとき、暗闇は己とともにあった。
*
秋も深まったある日。今日も今日とて、快盗たちは己が任を果たしていた。
「ルパンコレクションの回収、ご苦労さまでした」
目的のオブジェクトを見下ろしつつ、彼らの雇い主……の代理人を称する男が、労いの言葉を発する。彼の頭部は黒い靄のようにふわふわと空間を揺蕩っていて、闇の中に左右一対の光が爛々と輝いている。この超常社会においては珍しくとも、異様とまではいえない姿。そのミステリアスな素性と、奇しくもリンクしていることを除けば。
「ふん、金庫ひとつしかねー雑魚ギャングラーだったわ」
気だるげに言い放つ爆豪少年。さらに、彼と同い年の同僚も。
「雑魚は言い過ぎやけど……この前のヤツなんか五つもコレクション持っとったし、効率悪い気はしてきちゃうよね。なんかこう、ギャングラーパァッとおびき寄せてドドドドッと回収する!みたいなことできんかなぁ?」
「木に蜂蜜でも塗っとくか?」
「そりゃカブトムシやないか〜い!」
軽口を叩くティーンエイジャーふたりを、親子ほども歳の離れた大男が叱りつけた。
「調子に乗るな小僧ども。我々が奴らと対等に戦えているのは快盗スーツの性能あってこそだ。慢心は命取りだぞ」
「ははっ、良いコト言うねえ中年。流石、元トップヒーローサマ」
「……称賛に聞こえんぞ、死柄木。だいたい、中年と呼ぶのはやめろと前にも言ったはずだ」
「じゃあエアロビ「 何 だ と ? 」……うわ、顔怖っ」
弔を黙らせ、炎司は黒霧に向き合った。
「通常より格の高いギャングラーとも、これから先はぶつかっていかねばならん。……我々も努力はするが、そちらの支援もより拡充してもらいたいものだ」
「……ええ、考えておきましょう」
ルパンコレクションを分厚い辞典に仕舞い込んで、黒霧は立ち上がった。
「では、私はこれで」
慇懃に一礼して、いつも通り自らの能力でつくり出したブラックホールの中に消えていく……と思いきや、普通に玄関から出ていこうとしているではないか。
「あ、あれ……黒霧さん?」
「?、何か?」
「いや、今日は個性?使わんのかな〜って……」
「ええ、近くに所用がありまして」
当然、その詳細については明かさない。訊く気もないのだが……約一名を除いては。
悠々と去っていく大きな背中を見送ってから、お茶子は「むむむむ……」と唸り声をあげた。
「気、に、な、る、っ!」
「ア゛ァ?うっせぇな丸顔、何がだよ」
「黒霧さんのことに決まっとるやん!私たちが知ってるのはルパン家の執事ってだけで、ここに来てるとき以外何してるか想像もつかないんだもん……──そうだ死柄木さん、なんか知らんの?同じルパン家の人でしょ?」
「俺?」
ティーカップを持ったまま、暫し考え込む様子を見せる弔。
ややあって、
「……世の中には、知らないほうがいいこともあるんだよ。興味本位で知ろうとすれば、深淵に引きずり込まれて二度と戻ってはこられない……」
「えっ……ど、どういうこと?」
血のいろをした眼をかっと見開いた、悍しい表情で言い放つ弔。邪なるものすら感じさせるその姿に、お茶子ならずとも警戒心が芽生えるのは無理からぬことなのだが──
「……なあんてね、そう言われるとより気になっちゃうだろぉ?」
一転、へらりと表情を崩して笑う。張り詰めた緊張の糸が一挙に解け、白けた空気が蔓延する。
「な、何なんもう……」
「ははっ、ごめんごめん。実際、俺もよく知らないんだ。俺がまだガキの頃、ルパン家に来たってことくらいかなァ、間違いないのは」
「……そう、なんや」
古くから知己である弔が知らないとなると、いよいよ手詰まりか。肩を落として座り込んだお茶子だったが、良くも悪くも落胆では終わらないのが彼女である。
「よっしゃ!」再び立ち上がり、「爆豪くんっ、バイク貸して!」
「はあ?なんで」
「黒霧さんのあと追うの!今逃したら、次いつチャンスが巡ってくるか……」
まさか、ワープゲートの向こうまで追っていくわけにもいくまい。
「だからお願い!お願いお願いお願い〜!」
「だあァうっせぇな!!好きにしろや!」
ポケットから鍵を取り出し、力いっぱい投げつける勝己。とはいえお茶子も快盗の端くれであるので、難なくそれをキャッチしてみせた。
「さんきゅ、爆豪くん!じゃあいってきまーす!」
バイクキー片手に揚々と飛び出していくお茶子。「いってらー」と声をかけたのは、弔ひとりだった。
「……ハァ。前々から思ってたけど、彼女、首突っ込むのが好きだよな」
「あれはそういう気立てだ。放っておけ」
「別にいいけどさァ……イギリスの諺にこんなのがあるぜ。"Curiosity killed the cat"って」
「"好奇心は猫をも殺す"だろ」
「ありゃ、知ってた?」
「舐めンなこちとら常に学年トップだったわ」
「へーすごいすごい。お山の大将に拍手〜」
「喧嘩なら買うぞクソキモフランスかぶれ不審者野郎」
火花を散らす若造ふたりを一瞥し、炎司はため息をついた。──弔の言うことにも一理あるが、彼女の好奇心が活路を開くこともないわけではない。それに……そういう良くも悪くも人間らしい性質の彼女がいるから、自分たち快盗のもとにもかろうじて日が当たるのだ。
*
勝己のオートバイを借りて飛び出したお茶子だったが、黒霧の姿は既に店の周囲にはなかった。
「むぅ、もうどっか行っちゃったんかなぁ……」
そういえば、黒霧は車で来たのだろうか。だとすればいつもの黒塗りリムジンか。そのあたりも推測でしかないあたり、発見は困難に等しかった。
「いや……困難でも、不可能ちゃう!」
そう、あきらめるにはまだ早い。黒霧は近くに用事があると言って、ワープせずに出ていったのだ。そう遠くへは行っていないはずだ。
「絶対、見つける!」
意を決してスロットルを捻り、スピードを上げていく。──しかし災厄というのは、往々にして唐突に降りかかるものである。たとえば、こんな形で。
「ミャアァ」
「!?」
甲高い鳴き声とともに、茂みの中から猫が飛び出してきたのだ。慌ててブレーキレバーを握るお茶子だが、ただ今加速したばかりで減速が間に合わない。このままでは、轢いてしまう──!
──そのときだった。長身の体躯が伸びやかに躍動し、猫をかいなに捉えたのは。
「え……きゃあ!?」
刹那、車体が大きく傾き……重力に従って、お茶子は地面に投げ出された。
「いっ、痛ぁあ……」
快盗ならではの身のこなしのおかげで、骨折だとか、大きな怪我には至っていないか。とはいえざらついたコンクリートとの間に皮膚が摩擦を起こしたのだ、痛いものは痛い。
よろよろと半身を起こそうとしていると、日だまりのような青年の声が聞こえてきた。
「ダメだダメだけしからん!危ないぞ、急に飛び出しちゃあ」
「ミャー」
いまいち緊張感のないひと鳴きのあと、猫は青年の手を離れていずこかへ去っていく。己のいのちに危機が迫っていたことなど、そもそも気づいてはいないのだろう。
と、猫を見送っていた青年と目が合った。薄水色の逆立った頭髪が、まるで雲のようにふわふわと揺蕩っている。ふと雲をつかむような既視感を覚えたお茶子だったが、それは相手も同じらしかった。
「!、きみ……」
「……?」
「あ、いや……大丈夫?立てるか?」
差し伸べられた手。それを取ろうと指同士が触れた瞬間、お茶子は予想だにしない冷たさに思わず「ひゃっ」と声を漏らした。
「どうした?」
「あ……いえ。ありがとう、ございます」
たかが冷たいくらいで手を引っ込めるのも失礼だろう──そう思い直し、好意を受け入れる。お茶子より頭ひとつぶん以上背の高い青年だが、顔立ちはまだ若い。少なくとも成人は迎えていないだろう。屈託ない笑みを向けられ、お茶子の胸はとくんと高鳴った。
「あ、それ」
「え?」
「手、擦りむいてる」
指摘されて、お茶子は初めて自身の負傷に気がついた。まあ負傷といっても、戦っている身では気にするほどのものではないのだが。
「そこの公園で待ってて。絆創膏、買ってくるから!」
「え、いやそんな……」
彼のせいで怪我をしたわけでもないのに。そう思って遠慮しようとしたのだが、一瞬目を離した隙に、青年の姿は忽然と消えていた。
*
仕方がないので水道で傷を洗い、言われた通りに公園のベンチに座って待つことにしたお茶子。結局、黒霧を探せそうにないこと。勝己のオートバイにおそらく傷をつけてしまったであろうこと。特に後者については、今から想像するだに恐ろしい。
「はあぁ……きょう私、命日かも……」
だが、悪いことばかりではない。
「──お待たせー!」
「!」
はっと顔を上げる。と、左手に薬局の袋を提げたあの青年が、右手を振りながらこちらに駆けてくる。まだ五分ほどしか経過していないのだが。
だがもう、そんな引っ掛かりは些細なものだった。
「手、出して」
「あ……はい」
言われたままに手を出す。と、絆創膏を持った青年の手が触れる。先ほどと同じひんやりした感触に、思わず眉根を寄せる。
「冷たかった?」
「え、あ……」
「ごめんな、体質なんだ」
「……冷え症?」
「はははは。まあ、それのちょっと酷いヤツ、だな」
屈託なく笑う青年。そういえば、その表情に反して、どことなく頬が青ざめているようにも見える。血の気が引いている、と言うのだろうか。
先ごろとは別種の違和感を覚えたお茶子だったが、やはりその正体は掴めそうもなかった。
「これでよし、っと」
絆創膏を貼り終わり、青年は立ち上がった。
「じゃ、すまないが俺はこれで」
「!、あ、あのっ」
「?」
立ち去ろうとする青年を呼び止めたのは、殆ど咄嗟の行動だった。
「え、っと……わ、私、麗日お茶子って言います!すぐそこの"ジュレ"って喫茶店で働いてて……よかったら、その、お待ちしてますっ」
「……そうか。覚えておくよ」
「あのっ、……あなたのお名前は?」
問われた青年は一瞬、考え込むようなそぶりを見せた。偶々かかわりをもったというだけの他人に、身分を明かしたくない──快活そうな青年だが、そう考えても不思議ではないだろう。
肩を落とすお茶子だったが、その落胆に反して、青年は意を決したように歯を見せて笑った。
「俺は、しらく──」
──穏やかに流れる時間を切り裂くような悲鳴が響いたのは、そのときだった。
「!」
「ッ、ここにいて!見てくる!」
青年にそう言いつけて悲鳴の方角へ走るのは、もはや快盗として身体に染みついた行動であった。大量のプロヒーローを抱え込むことで維持されているこの超常社会、無辜の民に害悪をなすのはギャングラーだけではない。同じ人間であるヴィランを相手に戦うのは少なくとも快盗の領分ではないのだが、そんなことは頭から抜けていた。
ただ──今回に関しては、彼女の行動は正しいものだった。
「寝ろ、起きるな人間どもォ。俺の夢の世界は楽しいぞォ?」
鮮やかなピンク色の身体をもつ異形が、カカカと愉しそうに嗤っている。その胴体には、鈍色の金庫──ギャングラーだ、間違いない。
足下に倒れている人々のことを気にかけつつ、お茶子はVSチェンジャー片手に飛び出した。
「快盗チェンジっ!」
ルパンイエローへと変身を遂げると同時に、敵の目の前に着地。驚きから相手が硬直しているところに、至近距離から発砲する。
「うごっ!?」
「はぁッ!」
相手がのけぞったところで、片手を地面について勢いをつけ、顎に向かってキックを放つ。快盗の身軽さを活かしたその一撃は、見事バクに似たギャングラーを後方に吹っ飛ばすことに成功した。
「痛、ってぇなァ……!──おまえ、快盗かァ!?」
「ご名答!あなたのお宝、いただくよっ!」
「フン、誰が渡すか!おまえもこの俺、ネロー・キルナーの夢の世界に招待してやる……!」
「夢……?」
ではまさか、倒れているこの人たちは?
「眠らされてる……──だったら、あなたを倒せばっ!」
再び発砲するイエロー。しかし先ほどとは異なる、予想しえた攻撃をむざむざ喰らうほど鈍いネロー・キルナーではなかった。
「フンっ!」
戦端に五円玉そっくりの円盤がついた特異な形状の槍が、にわかにその手に現れる。それを鎌鼬のごとく振るうことで、ネローは光弾を弾いてみせた。
「二度も同じ手を喰らうか……」
「……ッ、」
ノーマル金庫単体のギャングラーとはいえ、自分が単独で渡りあえるほど生温いはずがない。彼らのために、プロヒーローを大勢抱えているはずのこの社会は蹂躙され、存立すら危ぶまれつつあったのだから。
だが、見たところ敵の武装はあの槍だけだ。撹乱しつつ、距離をとって戦えば──
そんなお茶子の目論見は、ネローにもお見通しだった。
「フン。──次は、俺の番だァ!!」
言うが早いか、前面に右肩を突き出すネロー。それと同時に胴の金庫が光り、
──バクの顔の意匠……その鼻が、勢いよく伸張した。
「え……きゃあぁっ!?」
意表を突かれたイエローは、その一撃をかわしきれなかった。脇腹のあたりに命中をとられ、その衝撃で横になぎ倒される。
「く、うぅ……っ」
快盗スーツが大部分を受け止めてくれているおかげで、致命的なダメージは免れている。とはいえ、互角といえない戦況に陥りつつあることは明らかだった。援軍があれば、と思うが、仲間は死柄木弔も含めジュレにいる。勝己がインストールしているギャングラー通知アプリが報せてくれるかどうか。──いずれにせよ、即座の助けは期待できない。
「本番はここからだァ!!」
バクの鼻を模した突起が再び仕掛けてくる。伸びて、縮んで、また伸びて──その間、一秒とかからない。
それでも懸命にかわし続けるイエローだったが、反撃の隙もないのでは次第に追い込まれていくのは必定だった。いつ来るとも知れない仲間を待つための時間稼ぎとしては、とても間に合わない。
「く……っ!」
意を決して銃を構えるイエロー。引き金を引くと同時に、また鼻が突き出されて。
──刹那……VSチェンジャーが、宙を舞っていた。
「あ……!」
「ッ、貴様ァ!!」
二発目の光弾を浴びたことで、かえってネローは怒りを露にした。狼狽するイエローに何度も鼻を突き立て、ついにその身体を大きく吹き飛ばした。
「きゃああああ──ッ!!」
そのまま地面に叩きつけられ……変身が、解ける。
「う、うう……っ」
「ハハッ……終わりだなァ、小娘?」
「……!」
地に落ちたVSチェンジャーとイエローダイヤルファイターを拾い上げ、嗤うネロー。切り札たる武具を文字通り敵の手中に収められ、お茶子は色を失った。だが、痛みのほかに感覚の鈍った身体で打開策など思い浮かばない。
「安心しろ、それ以上苦しむことはない。おまえも俺の夢の世界で、永遠の眠りにつくがいい……!」
万事、休すか。
「さあ──眠れぇ!!」
槍の先端、円盤が妖しく光る──その瞬間、
「──ッ!」
お茶子の前面に、突然大柄な影が割り込んできた。円盤から放たれた光は、すべて彼の身に吸収されていく。
「!?、あなたは……」
驚愕のあまり、お茶子は言葉を失っていた。──それは先ほど一緒にいた、あの青空のような青年だったからだ。
「退くぞ」
「え、でも……!」
「いいから!」
有無を言わさぬ青年の周囲に、刹那、白い靄が広がっていく。それはお茶子をも包み込み、ふたりの姿を完全に覆い隠してしまった。
「何……!?」
慌てて靄の中に攻撃を仕掛けるネローだが、既に手応えはない。間もなく靄は晴れたものの、案の定、ふたりの姿はどこにもなかった。
「逃げたか……。まあいい、貴重な土産を手に入れることはできた」
ただ、気がかりがひとつ。
「あの男……なぜ俺の催眠術が効かなかったんだ?」