本好きと香霖堂~本があるので下剋上しません~   作:左高例

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17話『マインと裏の事情と権利売買』

 

 

 

<マイン>

 

 

 

 

 ──夢を見ていた。

 

 多分、これは夢。温かいものが体を包んでいる。目を瞑っているはずなのに凄く眠くて心地よい。全身を襲う倦怠感や心を蝕む熱を感じない、そんな光とも闇ともいえないような空間で、自分の手もなにも見えずに揺蕩っている。

 

 店主さんから貰った薬を飲んだんだ。家族に説明して、とても心配されたけど病気を治すのに必要だって皆が納得してくれた。飲んですぐに眠たくなって、家の天井は見えなくなって、埃と黴っぽい空気も、ダニやノミに刺される不快感もなにも感じなくなった。ひょっとして、死ぬってこういう感覚なのかもしれない。

 

 なにも見えない空間。

 

 そう定義できたことでわたしは、夢を見ていると自覚した。眠りについて何時間が経過しただろうか。店主さんは三日は眠ると言っていた。あと何時間で目が覚めるだろう。

 ここが夢の中なら、自分の自由にできないだろうか。例えば、本を出したりとか。

 

 わたしは強く、何かが見えるように念じた。

 

 ──だれ、だろう。

 

 薄ぼんやりと、何かが見えた。

 目を凝らそうとしても、この空間にわたしの眼球があるような気配もしない。プールの中で目を開いたように、はっきりとは見えない。

 人……?

 

 濃い赤色の髪をした女性が目を引いた。

 ゆったりとした服を着ていて、織り機で布を編んでいる。その大きな織り機には、どこから繋がっているのかバラバラな方向から、無数で非常に多色な糸が伸びていて、一枚の布へと織られている。

 

 もうひとり、その側で誰かがそれを見守っている。白い髪をした男性だろうか。髪の毛は長いけれど大柄だからそう思う。肌も服も白くて、幽霊みたいだった。

 

 二人はなにをしているんだろうか。声が微かに聞こえてきた。

 

『道を繋が──……』

『……礎の代わり──』

『糸が乱れ──』

『やむを得な──……』

 

 要領を得ない。まるでファンタジー小説で主人公の脳内に時々話しかけてくる女神っぽい少女が抽象的なアドバイスをしてくるみたいだ。勇者の夢とかにぼんやりと『時が迫っているわ……』とか『貴方の力を思い出して……』とか語りかけるやつ。

 陰になってよく見えないけど、もうひとり女性がいるらしい。二人とは違う声がする。

 

『────……わよん』

 

 やっぱりよく聞き取れない。姿もはっきりとは見えない。

 話しかけてみようか、とわたしは近づく意志を持った。

 すると、

 

『香霖堂に縁が繋がったせいか、月の薬の影響かしら。狭間の世界に迷い込んだのね──貴方はこっち』

 

 耳元に口を近づけて喋られたようにゾクッとする声が聞こえたと思ったら、目の前の空間に『スキマ』が生まれた。

 ひっ! す、スキマというか割れ目から、幾つも目がこっちを覗いていて、引っ張り込むように手が何本も伸ばされた! 怖い! 

 抵抗する事もできずにわたしはスキマに吸い込まれていった。

 

 

 

 

 薄ぼんやりとした空間から、墨汁の海に入れられたような場所へと移動してしまった。素直に恐怖を感じる。

 落ち着かないと……わたしは胸元に提げている、マイクロ八卦炉を頼るように触れる。いざというときは、城も吹き飛ばすこれを使わないといけないかも……

 

「ってあれ?」

 

 声が出た。自分の手のひらが見えた。マイクロ八卦炉も。周囲は真っ暗だというのに、自分の体だけはハッキリと見える。

 するとどこからともなく、先程の声が聞こえる。

 

『夢の世界へいらっしゃい。普段は私が管理する場所ではないのだけれど、私が招いたのだから歓迎しないとね』

「夢……?」

『夢というのは人間が持つ、自分だけの異世界へと至る方法。時間限定で世界の主となれる場所。脳と精神の狭間の世界。正気と狂気の境界にある空隙……』

 

 なにやら思わせぶりなことを、どこからか声が告げてくる。

 しかしどこかで聞いたことがあるような……? よく思い出せない。誰の声だろう。そもそも、こういう声を聞いているということ自体が夢なのかな。

 

『目が覚めれば忘れてしまうように境界を弄ったわ。あの霖之助さんにやる気を出させた……なんというのかしらね? ご褒美? 別に褒められるわけでもないんだけれど、珍しいことだから特別サービスとして、目が覚めるまで好きに夢の世界を楽しむといいわ』

「えっ! 好きに!? よし本出ろー!」

 

 ぼふん。わたしの手元に本が出てきた。わあい。

 明晰夢ってやつを体験してもいいよってやつだろうか。ここなら本が出せる! それも何冊も! どさどさどさっ。

 

『……目が覚めれば読んだ内容も忘れるのよ?』

「じゃあ二回も新鮮な気分で読めるってことじゃないですか! やったー!」

『もっとこう、夢でしか見れないものを見たいとか』

 

 夢でしか……現状を考えれば本を自由に読むのも夢みたいなんだけれど。

 しかし夢の中で出せるのはわたしが読んだことのある本だけかもしれない。

 本自体は店主さんの店で読める。そこを読み尽くしたら幻想郷の本を借りて読みたい。幻想郷の……

 

「幻想郷……幻想郷が見たいです!」

『うふふ。それなら見せてあげましょうか。貴方のことは誰にも見えず記憶にも残らないけれど、常識と非常識で地上から隔離された楽園を』

 

 ──周囲の景色が一変した。青い空と白い雲、眼下には緑の草原が広がり、遠くには湖、人里、大きな山、森などが見える。わたしは空を浮いていた。 

 遠くで複数の色をした光の玉を花火のように撃ち合っている人がいる。新聞と写真で見たことがある。弾幕勝負だ。幻想郷で行われるお遊びの決闘。魔力や妖力で作った弾丸を大量にばら撒いて撃ち合う勝負。

 別の場所では背中から羽の生えた少女たちが無邪気に飛び回っている。妖精だ! そう思ったらわたしの体をすり抜けて、猛スピードで誰かが飛行していった。黒い羽が舞い散っている。

 

「わわわ……」

『貴方は夢が投影された幻のようなもの。誰にも見えないし触れられないけれど、それ故に何にも縛られずに何処へでも行ける。さあ、夢の中の幻想郷を好きに見て回るといいわ』

 

 えーと、これはつまり夢なのか、本物の幻想郷に夢の中のわたしが入っているのか。よくわからない。でも夢なら夢で、憧れの幻想郷を楽しむべきだと思う。

 

「あの、紅魔館ってあそこに見える大きな館ですか?」

 

 声の人が何処から見ているかわからないけれど、湖の向こう側にある広い庭園に囲まれた赤い煉瓦作りの館を指差して尋ねた。一応、新聞で写真は見たことがある。違法薬物使用疑惑とかいう記事で。

 

『ええ。運命を観る吸血鬼レミリア・スカーレットが住まう悪魔の館。うっかりすると人の子にはショッキングなものも見えるかもしれないわよ?』

「怖いけど行ってみます!」

 

 わたしは前に進めと念じると、体が徐々に空中で加速して幻想郷の空を飛び始めた、うわー、夢の中で空を飛ぶって何回か見たことあるけど、疑問に思った瞬間に失速していったりするんだよね。幻想郷では飛べて当然。そう意識しよう。

 リアルな夢だった。幻想郷の風景とかは写真でしか見たことがない。でもこれは細部まで再現されている。ひょっとすると、義務教育の頃にいった林間学校とかで見た自然や田舎の風景を記憶が補正しているのかも。

 紅魔館へ近づくと門近くで中国っぽい服を来た美人さんが何やら踊りのような……ああ、太極拳っぽい体操をして体をほぐしているみたいだ。この人も妖怪なんだろうか。

 近くにわたしが飛んでいるけれど見えている感じはしない。お邪魔しまーすと心の中で挨拶しながら門をすり抜けて──

 

「──!?」

 

 うわっ! 思いっきり振り向かれた!? なにか気配に気づいたようにキョロキョロしているけど、わたしの姿は見えていないみたい。

 

「どうしたの? 美鈴」

 

 すると館の方からメイドさんが歩いてきて、挙動不審な門番さんへと話しかけた。すぐ目の前にいるわたしには気づいていない。

 美鈴と呼ばれた門番はやはり周囲を警戒しながらも愛想の良さそうな笑みを浮かべる。

 

「いえー、今なにかが門を通ったような気配を感じたような感じなかったような……」

「そう?」

 

 メイドは不思議そうに首を傾げたかと思ったら、一瞬なにか立ち位置が変わった気がした。あれ? 手にナイフを何本も持ってる!?

 

「そこら中をナイフで切り払ってみたけど手応えも無い。何の音も匂いも感じないし、気の所為じゃない?」

「そうですか。てっきりあの姿を消す妖精でも来たのかと……」

「貴方が見逃すとも思えないわ。うっかりやられて通しちゃうならまだしも」

「あはは……精進します」

 

 切り払った!? 物騒だなこの館! 姿が見えない相手が入った気がしたら適当に攻撃されるみたい。

 とにかく、見えてなさそうなのでそーっと館の中に入っていった。

 

 

 紅魔館は外から見たよりも随分と広く感じる。邸内のあちこちを、背中に羽の生えたミニスカートの妖精メイドさんとか、ゴブリン?みたいな異形の生物が小間使いをしているみたいだ。

 廊下や階段が入り組んでさっぱり構造がわからない。噂の大図書館はどこだろうか。

 

 ここで元司書の知識を活かしてみよう。

 本というものは日光が天敵で、図書館はできることなら窓なんて作りたくはない。

 温度は16度から22度の範囲(人間を考慮しなければ2度以上18度以内が好ましい)、湿度は40%から60%(同じく人間がいなければ30%から45%の範囲がいい)でそれぞれ安定した環境が必要だ。

 更に言うと本というものは非常に重たく、上層階に運ぶのは大変な上に下手をすれば床が抜ける。

 温度が安定していて除湿さえどうにかすればよく、エレベーターでも無いと上層に置かないとなれば、地下が怪しい。幻想郷の環境ではクーラーもエレベーターも無いはず。

 

 わたしは床をすり抜けて地下を探し、すぐに降りていく階段を見つけた。

 ふよふよと浮いたまま進むと装飾のついた大きな扉に出くわす。よく見ると模様のように見えたのは打ち砕かれた扉を補修した痕のようだ。

 開けることなく、扉をすり抜ける。

 

 うわあ……

 

 見渡す限り、本! 本! ンほぉぉぉん!!!

 

 背の高い本棚がズラッと並び、二階三階みたいに吹き抜け構造で幾つもの本棚が天井まで伸びている! 何千冊!? 何万冊あるんだろう!?

 うへへへうぇひひひ。

 変な笑いがこぼれた。しかしわたし以外に利用客は……おや?

 図書館の中央あたりにある机に、寝間着みたいな服を着た女性が本の山に囲まれながら読書をしている。

 あれが話に聞いた、図書館の主で通称『動かない大図書館』と呼ばれる司書パチュリー・ノーレッジさんだろうか……美少女だな……

 それはともかく、近づいてもわたしに気づかない彼女は、分厚い本を幾つも積み上げてそのうち一つを読みながら机には紅茶が置かれている。

 利用客のいない図書館で好きなだけ本を読んで暮らす生活。

 

 うらやましい……! ずるいずるい! 邪魔しないんでわたしを雇って隅っこで本を読ませといてください!

 

 はあ……はあ……妬ましく思っても仕方がない。とにかく、ここにはわたしが一生かけても読み切れるか怪しいだけの本が置かれている!

 ここは夢の中だ。夢はいつか覚めるもの。時間は無駄にはできない。

 あれ? でもわたしの体ってすり抜けるんだよね? 本って読めるのかな?

 わたしは不安になって、本棚の本を引き抜こうとしてみた。

 すると、なんか本の幽霊みたいなのがズルっと抜けた。実際の本自体はそこに置かれていて、半透明っぽくなった幽霊本が手元にあり、触ることも開くこともできる。理屈はわからないけど、これで本が読める!

 

 ……うわ。何語? これ。ギリシャ語かな……ラテン語かな……読めない……一応わたしは、三ヶ国語ぐらいは辞書なしでもスラスラ読めるし、辞書を引きながらだと更に何ヶ国語かぐらいはいけるけど、それはメジャーな言語の原本とかを読むために覚えただけで、かなり古そうな言語を解読はできない。

 い、いやエーレンフェストで時間があるときだったら謎解き感覚で何日も掛けて訳していくのも可能かもしれないけど!

 待てよ。ここはわたしの夢の中だって言ってた。夢の中なら、ある程度自分の好きなようにできるのでは? だってわたしの夢なんだから。

 

 読めるようになれ! なった! すごい! スラスラ読める! うふふふふふ……

 

 

『……』

 

 

 はぁー! はぁー! 幾ら読んでも目も全然疲れない! 最高! 読書ーズハイ! 次の本、次の本! 時間制限付きなんだから! マルチタスクで二冊同時に読めるようになれ! なった!

 

 

『……』

 

 

 しょしょしょしょ正気度が削られる本だったけど……正気度戻れ! 戻った! やった! まだ読める!

 

 

『……この子、三日の期間を全部読書だけで終わらせたわ……幻想郷が好きなんじゃなくて、本が好きなだけね……』

 

 

 ん? あれ? なんか急に体の感覚が薄れて──待って、まだ本が読みたいの!!

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

「────ァァァアアア!」

 

「マイン!?」

「マイン大丈夫か!?」

 

 目が覚めると──わたしは藁のベッドに寝そべり、蜘蛛の巣の張った天井へと手を伸ばしていた。

 体中に汗を掻いている。呼吸が整わない。どうやら叫んだらしく、喉が痛い。心配そうに家族が覗き込んでいた。

 ここは……わたしの家。

 店主さんから貰った薬を飲んだら眠くなって……そして、今起きたところかな。

 

「大丈夫? マイン、どこか苦しい?」

 

 母さんが手を握りながら不安そうに聞いてきた。

 気分は、悪くない。胸の奥に感じる熱の塊みたいなものは消え去り、頭痛や吐き気も感じない。魔力だけじゃなく体自体も寝る前より具合が良くなっている気がした。

 だけれど。

 何故か涙が出てきた。

 

「マイン!?」

「ううん、大丈夫……思い出せないけど、凄く良い夢を見たような、惜しかったような……わからないけど、そんな気がしただけだから」

 

 こんなに泣いてしまうなんて。もしかして故郷の夢でも見て望郷の念に駆られたのだろうか……

 

 

 

 *****

 

 

 

 それはそうとして、念の為もう一晩寝たら体は治りました。身食いの魔力障害?っていうの。恐らくばっちり。

 こう、マイクロ八卦炉の『兌』によって、体が淀んでいないかなんとなく把握できるようになったみたいで。目を閉じて集中すると、ぼんやりとした魔力みたいなのが体の中心から生み出されてはマジックアイテムを経由して体の隅々に流れていくのを感じる。

 体調も不思議なぐらい整っている。あの薬に副次効果があったのかも。でも虚弱体質が貧弱体質に変わったぐらいで、熱を出して寝込みはしないけど突然体力や筋力が増したわけじゃないみたいだ。

 試しに階段を降りて井戸から水を汲んで家に登ってきてみたらびっくりするぐらい無能だった。わたしが一杯の水を家に持って帰って体力を使い果たしているのに、トゥーリは三往復はしてしまう。

 でも体を病気がちにする魔力障害は治ったんだから、これから体力を付けていこう! 

 

 とりあえずわたしの病気は治ってよかったよかった、と家族で喜んだけれども。

 問題というかなんというか、とにかくわたし以外が察していることは『非常に高額な魔術具と薬を使って治った』ということだ。

 値段が想像すらできない、と父さんが暗い顔で言っていた。家族の中ではわたしが一番香霖堂に接していて、向こうの商品の価格もわかっているはずなので、

 

「一応、どれぐらい掛かったかマインはわからないか?」

 

 と、聞かれたときに、わたしはうーんと考えた。店主さん曰く、この街では魔法の品は非常に高額で取引をしているらしい。

 ギルド長の孫娘フリーダに与えた魔術具は、店主さん曰く「あまり自慢して欲しくない簡単な道具」とのことだけれど、大金貨3枚。わたしが店で着ていた服でも大金貨1枚。このマイクロ八卦炉は非常に様々な魔法が使えるように作られていて凄く手間が掛かっているように見えるからもっと高いと思う。それに、命に関わる薬。保険とか適用されないから多分高い。

 

「合わせて……大金貨10枚以上かな?」

 

 父さんと母さんが膝から崩れ落ちた。わかるよ! 娘の治療に1億円ぐらい掛かったって事後で知らされたようなもんだからね! 父さんのお給料の1000倍だ。これは倒れる。

 

「だ、大丈夫! 店主さん、わたしが見習いになるのに必要だって言ってくれた治療だから、お金は取らないって。これから助手として恩返ししていくから」

「……あの旦那、一体なにが目的なんだろうな。マインに惚れてるのか?」

「いやそれは全然無いと思うけど」

 

 確かに、店に通う子供が難病だからといって一億円ポンと治療費に与えてくる相手なんて、非現実的すぎる。

 しかしそれは金銭でやり取りした場合の価格であって、魔術具は店主さんのハンドメイド、薬は殆どタダで薬師さんに貰ってきたらしい。だから店主さんの損もそこまで無い……とは思う。もちろん、マジックアイテム作りとかに手間を掛けさせてしまったのだけれど。

 値段のことを考えればわたしたちの作ったリンシャンを多少店主さんがぼったくって売ったところで埋め合わせにも遠い気はするけど……

 店主さんがわたしに惚れてるとか、作り出すリンシャンとかを今後も手に入れたいからとか、将来の成長を光源氏よろしく見守るためとかそんな気配は全然無い。というか写真を見るに幻想郷は美少女ばっかりだから、モブもいいとこな幼女のわたしに惚れるとかありえない。父さんの贔屓目すぎる。

 恐らくただ単に、

 

「たぶん、店主さんが優しいだけなんじゃないかな」

 

 そうとしか思えない。本人に言ったら別にそんなことはないって否定されるかもだけど。

 納得できるかできないかはともかく、うちの家族は店主さんのことをメチャクチャに──というか変人レベルで優しい大店の旦那様だという認識になった。いやまあ、凄く奇特なあしながおじさんだよね。

 はっ。

 

「それで恩返しのためにも、わたし住み込みで見習いしたいんだけど!」

「……マイン。それはコウリンドウの旦那がそう頼んだのか?」

「うぐっ……ち、違います……」

 

 嘘はつけない約束だ。目的のためなら誰かを騙すぐらいは平然とやっちゃうであろうわたしも、命の恩人に釘を刺されたことを即座に無視はできない。というか、この場合店主さんに嘘がバレたら追い出されるかもしれないリスクが高い。

 父さんは大きく溜息をついて、

 

「意気込みはともかく、住み込みは向こう様にも迷惑が掛かることだ。見習いはあまり仕事もできないからな。まずマインは、自分一人でコウリンドウに通えるように体力をつけろ」

「自分一人で行けるぐらいになったら住み込み許してくれる?」

「だからダメだ。そもそもあの店、余計な人を泊まらせられるようにできていないだろう」

 

 実際に香霖堂を目の当たりにした父さんの意見はもっともだ。普通この街だと住み込みというと、お店の五階とか六階とかに住ませるらしい。一方で香霖堂は一階建て。誰かを泊めるには店主さんと同じ部屋で寝るか、居間で寝るか、お店に寝袋でも持っていって寝るかだ。どう考えても適していない。

 わたし的には屋根裏部屋でもいいんだけれど。本さえ読めれば。

 しかし合理的な理由から、店主さんに迷惑をかけないと周囲に納得させつつ住み込みの許可を得るのは現状難しそうなのでひとまず諦めた。まずは通えるように、うん。それだね。

 

「……とりあえず、病気が治りましたって店主さんにお礼にいくのはいいよね?」

 

 これには反対意見も出なかった。次の父さんの昼番のときに連れて行ってくれるらしい。

 

 

 

 *****

 

 

 

 昼前の時間帯、父さんに連れられて西門近くにある香霖堂へ来ていた。

 目覚めてからわたしも調子が良くて、食事も残さないでばくばく食べられている。これは地味に家族内で驚きだった。冬明けで食費の計算をしなおしている母さん(わたしが食べているのは喜ばしいみたいだけれど)にちょっと悪いと思うので、香霖堂で出来ればわたしの貯金を下ろして幾らか家にいれようと思う。リンシャンの代金とかいって。

 今日は試しに父さんに背負われずに歩いてみたら、以前よりも歩けた。ただ急いで香霖堂に行かないといけないと思うので三分の一ぐらいのところでバテて父さんに運んでもらうことになったけど。ゆっくりとしたペースだったらなんとかたどり着けるのではないだろうか。まあ、そんな状態の6歳児を一人でお店に行かせるのは不安だらけだから許可はされないと思う。この街でも人攫いとかいて、街を出入りする荷馬車持ちの商人なんかは余程顔見知りじゃない限り厳しくチェックされるんだって。 

 

 香霖堂にたどり着いて気分的に身なりを整えるため、服の埃を払う。店主さんが縫い直した服は、母さんがまじまじと眺めてどうしたのか興奮気味に聞いてきたぐらいだ。店主さんが縫ってくれたというと妙なショックを受けていた。

 この街では、針仕事は基本的に女性の仕事であり美人の条件でもある。そう考えると、店主さん相手に裁縫の腕前をアピールしてくる女性がいても多分九割ぐらいは敵わないんじゃないだろうか。

 ドアベルを鳴らしながら元気よく挨拶をする。

 

「おはようございまーす! 店主さん、元気になりま……」

 

 ぎろり。そんな目で顔だけ振り向いてわたしを睨んでくる男の人が居たので思わずビクッと硬直してしまった。目つき怖っ!

 ミルクティーみたいな髪色をした、中近世を舞台にしている演劇に出てきそうな服の男性。えーと、確かオットーの友人で服飾系の商会を開いているベンノって人だっただろうか。

 いつものように椅子に座って本を片手にしている店主さんは、何処か迷惑そうな顔でベンノ相手に応対をしているようだった。わたしの方を向いて告げる。

 

「やあマインくん。いらっしゃい」

「ど、どうもです。商談中でした?」

「これが少しばかり面倒な商談でね。マインくんにも関係があることだが……」

 

 わたしに関係が? 疑問に思いつつ、わたしはそそっと入り口から店主さんの方へ移動した。父さんが居心地悪そうに立っている。本当はお礼でも言いたいんだけれど、商売中で声がかけづらいんだろう。

 

「どうされました?」

 

 店主さんに聞くと、ベンノが不機嫌そうに告げてくる。

 

「この店で買った『リンシャン』をうちの商会で再現しようとしたのだが、効果がこの店の品よりも悪い。正しい製法を買い取ろうと交渉していたところだ」

「再現したんですか!?」

 

 うそっ。もうバレるなんて……いやまあ、油と塩だけの簡単レシピなんだけど。まさか一瓶買って数日で不完全版とはいえ作り出すなんて。

 

「再現できなかった、と言っている。製法自体は、オットーが何処からか聞き出したと言っていたが……お嬢ちゃんから聞いたんじゃなかったのか?」

「え? オットーさんが?」

 

 確かに、商人仲間のオットーなら知りたがるだろうし、香霖堂と繋がっていてちょろそうな子供のわたしからなら聞き出せそうだとは思う。ベンノも情報源は明かされていないようだった。

 

「違いますよ。わたし、ここ何日も寝込んでいたんですから。前にお客様が買っていった日から」

「そうか……ともかく、植物油と塩を使うというところまでは確かなはずだ。だが、試作してみても効果が明確に低い。どういうことだ? もちろん報酬は払う。ギルド長に先を越される前にな」

 

 なんでベンノが作ったリンシャンは効果が低いんだろうか? 貧民であるわたしが作るよりもいい材料も手に入りそうだけれど。パルゥの油は無理かもしれないとしても。

 わたしは店主さんと顔を見合わせる。店主さんもよくはわかっていないようだ。

 すると、父さんが静かに近づいてきて腰を屈め、わたしに声を潜めて聞いた。

 

「なあマイン。そのリンシャンってのは、冬の間に家で作っていたアレか? アレが売り物に?」

「そうだよ? ……ってまさか父さん!?」

 

 オットーはリンシャンの作り方が知りたい。でも関係者らしいマインは門に暫く訪れない。ではマインの父親はどうだろうか。よくよく思い返せば、マインもトゥーリも髪の毛にリンシャンを付けているようだ。作り方を知っているかもしれない……

 そう考えてオットーが父さんから聞き出そうとし──凄まじく簡単に作れる上に大事なモノだとも知らない父さんはぽろっと漏らすことがあったのだろう。表情が歪んでいく。

 うわあ……一瓶、父さんの月給もするのに……

 

「父さん……はぁ」

「マイン、コウリンドウの旦那。すまん。オットーが酒を奢るからというので何気なく話をしていたら聞き出されて……重要なこととは思わずに言ってしまった」

「別にいいさ。口止めをしていたわけでもない」

「いや、俺が悪かった。それと──オットーのやつだ」

 

 ひくひくと頬を引きつらせながら怒りをこらえた表情で父さんが立ち上がる。

 ベンノが腕を組みながら言う。

 

「一応言っておくが俺はオットーが誰から聞き出したとかは知らされていない。商人というのは身内も商売敵にするものだからな。だが商人の常識でいえば、売れそうな秘密を他人から聞き出すのは違法でも間違いでもない。騙された方が悪い」

「ああ……別に騙されたってわけでもないからな。だが、職場の上司が、娘が死ぬかどうかで寝込んで心配しているときに、娘の恩人が商売道具にしている商品の秘密を聞き出して金を儲けようって根性が気に入らないのも──違法でも間違いでもない」

 

 こ、怖い。

 オットーは軽い気持ちで聞いたのか、下心満載で聞いたのか知らないけど、父さん的にはかなりイラッと来ているみたい。

 

「ちょっとオットーと話をしてくる」

 

 父さんは店主さんに「また今度お礼に来ますので」と告げて足早に職場へと向かっていった。オットーの信頼度が下がった! こっそり聞き出そうとしたオットーが悪いみたいなところもあると思う。 

 もちろん商人が儲け話を手に入れるために他人を利用するのは当然だし、商売敵を蹴落としてでも儲かろうとするのはわかるけれど、ほぼ毎日顔を合わせる職場の上司の不興を買うようなことをしたら普段の信頼を失くすよね。

 ベンノは「あの馬鹿」と小さく呟いてから溜息をついて告げる。

 

「……オットーのことはともかく、製法自体は簡単なものだ。いつまでも広がらないというわけではない。むしろ、ギルド長のじじいと俺が競争をしている今が一番高値で情報が売れるだろう。そこの嬢ちゃんが家庭で作るより俺が工房で生産したものの方が出回る量は多い。だから、どうすれば完成するのかを俺だけに教えて欲しい。大金貨1枚払おう」

 

 大金貨っ! ……この店にいると金銭感覚が狂いそうだなあ。

 店主さんはわたしと目を合わせて心の声をやり取りする。どうする? どうしましょう。わたし達お互いに困っている。それにベンノも、どうやら店主さんから知識を得たリンシャンをわたしが作っているという共犯作業に思っているようで。

 確かに、もう殆ど製法がバレている状況ではリンシャンで大儲けはできない気がする。だとすれば売ってしまってもいいかもしれない。そもそもリンシャンなんてのは、自分の髪の毛がかゆいから作っただけのもので、乾坤一擲にこれで大金持ちになろうと思っていたわけじゃない。

 でもなんでベンノが作ったリンシャンは性能が低いんだろうか? その理由を教えろというけど、見当もつかない。

 店主さんがゆっくりと声を出す。

 

「……とりあえず、そちらで作ったものを見せてもらおうか。話はそれからだ」

 

 言って店主さんは小さな瓶に入った命名パクリンシャンを受け取ると、わたしを連れて店の奥へと向かった。ベンノにはわたしが椅子を勧めておいた。

 

 奥に入ってわたしたちはまず小声で話し合う。

 

「さて。どうしようかマインくん」

「この際、作り方を買ってもらう方向でいいんじゃないでしょうか。殆どバレてるみたいですし」

「なら君が発明したものだから、君の名前で契約することにしよう」

「いえ! いいんです。これもマジックアイテムや薬の恩返しだと思って、店主さんが受け取ってください。恩は返せるうちに返さないと、溜まっていく一方なんですよ」

 

 大金貨1枚という大金だけど、明らかにそれ以上にわたしは恩を受けている。それにわたしとしても、既にかなりのお金をカステラの製法で得ているし、今度フリーダにパルゥクッキーの製法を売ることになっている。お金はあって困るわけじゃないけど、今すぐ稼がないと困るというほどでもない財政状況だった。

 言ってみればいつ死ぬかわからない状態から脱したわたしは、ひとまず生活ができればなんとでもなる。後は香霖堂へ就職し……もし行けたら幻想郷に行きたい気も……

 店主さんは若干思い悩んだような顔をして、

 

「……まあ、とにかくベンノの作ったリンシャンを見てみようか。何処が悪いのかもまだ僕らにはわからないんだ」

「そうですね」

 

 わたし達は台所へ向かうことにした。途中で店主さんが指示を出して、わたしはお風呂場にあるわたし製のリンシャンを持ってきた。比較するためだ。

 ガラスのコップ(ガラス製品も高価だと思う。この街だと)へ二つのリンシャンを注いでみる。とろーりと僅かに色のついた油。多分、メリルの油で作ったのかな? 秋の実だけど絞った油は保存が利くらしい。

 

「……なんか、ベンノさんの作ったやつの方が綺麗っぽいですね」

「そうだね」

 

 わたしのホームメイド製は圧搾機と濾す布があまり良くないのか、実の破片や繊維がゴミのように浮かんでいる一方で、ベンノさんのはそれこそサラダ油のように澄んでいる。

 こうして見ると、むしろ出来が良くないのはわたしの方みたいなんだけど……

 

「これはひょっとしたら、造り手が違うこと自体が問題なのかもしれない」

 

 店主さんの眼鏡が光った。

 

「どういうことですか?」

「単純に説明すると薬剤の中に神霊が籠もっているか否か、という問題だよ」

「おおごとになってきた気がします」

「なに、そう妙な話でもない。森羅万象八百万の物質には同じく八百万の神が宿っている。その殆どは霊的な能力を発揮しないで存在しているだけだが、一部の能力者がその神霊にアクセスし力を喚起させることができる。即ち巫女と呼ばれる者たちだ。それは薬だとて例外ではない。そもそも巫女の『巫』という字は古来医師を意味するように、かつては巫女が能力を使って薬を作っていたことは間違いがない。巫医という言葉も最近は聞かなくなったがね。巫女はその神通力を以って薬や酒を作り出し、それを神聖の証としていた。その行為は製法だけ真似ても再現することができないのだろう」

「え、ええとつまり……巫女であるわたしが作ったリンシャンは宿っている神が頑張って効果を高めている、と? っていうか巫女じゃないですよわたし。異世界だし」

「巫女の条件とは必ずしも神社にいて神事を行っている者というわけではない。巫女と同じく薬を調合する異能の女性がいるだろう? 即ち西洋では魔女と呼ばれた人たちだ。彼女らは宗教によって悪魔や悪霊を利用して薬物を作っているとされたが、これは土地神や八百万の神を魔力によって喚起させていたのではないか……つまり巫女も魔女も同じ存在なんだよ! マインくんは垂れ流される魔力によって巫女に近い存在になっていたのだ!」

「な、なんだってー!?」

 

 絶対違う。何かが間違っている気がする。でも店主さんは自信たっぷりだ。普段何を食べていればこんなに自信たっぷりになるんだろうか。

 まず反証として挙げられるのが、

 

「……このリンシャン、うちの父さんも作ってたんですけど」

「……」

 

 店主さんは指を一本立てたまま硬直した。それに、わたししか作れないんじゃベンノが改善する余地がない。他になにか科学的な原因は……

 

「そうだ! スクラブだ!」

「スクラブとは?」

「えーと、研磨剤のことです。普通に洗うより、小さいつぶつぶが洗剤に入っていた方が綺麗になる効果があるんです」

「なるほど。昔は歯磨き粉に細かい砂を入れていたし、最近は石鹸に糠を混ぜる製法もあったがそれと同じことだね」

 

 それで綺麗に作ったベンノの方より、研磨剤代わりになる実の破片が混入しているわたしのやつが効果が高いのだろう。

 作り方が雑だった故に生まれた利点というか……これを大金貨1枚で教えたら呆れられるかも。

 

「さ、さすがにこれだけで大金貨はゴネられるかも……向こうが言い出したにせよ」

「別に構わないと思うけれど、気がとがめるなら改良方法でも提案してみたらどうだろうか。日本では明治頃、良い匂いのする野草を搗いた水や灰汁で髪を洗うことがあったらしいが」

「そうですね……香草を混ぜるのはいいかも。灰も少量ならスクラブにも弱アルカリ性にもなりますから」

 

 シャンプーには弱アルカリ性と弱酸性があって、日本だとどっちかって言うと弱酸性がもてはやされていた。そっちのほうがお肌に優しいから。しかしアルカリ性の方が洗浄力が高い。ここの人たちは洗剤によるお肌の荒れ具合を気にするより根本的に汚れている皮脂を洗う方が優先した方が良いような生活をしているから弱アルカリ性でいいんじゃないだろうか。

 そんな感じで決まって、店主さんが適当に商談をするから話を合わせることにした。店に戻るとベンノが机に置きっぱなしにしていた本を手に先んじて声をかけた。

 

「なんだこの本は!? 外国のものか!? 羊皮紙じゃないのか!?」

 

 うわあ。次々に面倒くさい。店主さんも似たような表情を僅かに浮かべた。お客の前で嫌そうな顔をする店主と店員。なんて店だ。

 どうします? 目配せをする。店主さんは頷いた。

 

「これは売り物ではないので」

 

 本をひょいと取り戻して背後の棚へと直す。そして座りながら深刻そうな顔で告げる。

 

「お客様。商人ならば本の相場が幾らほどかはご存知なはず。幾ら古道具屋とはいえ、断りなく触ってもらっては困ります」

「ぐっ……確かに、ただでさえ出費が多いのに本にまではかまけていられない……」

 

 この前も古着で大金貨、今回も大金貨を使う予定だからなあ。幾ら大店だからって、ポンポンと出す金額じゃない。

 

「それで、お客様。リンシャンの製法でしたね」

「ああ、そうだ」

「ご存知、リンシャンは外の国で作られていた薬でして。その簡易版をうちの見習い候補が作り、それが出回ったものです」

「……さっきの本に外国の文字が書かれていたが、まるでわからなかった。そのお嬢ちゃんは読めたのか?」

「字を覚えることが得意なのでしょう。そうだね? マインくん」

「はいっ!」

 

 実際、気合をいれて勉強した結果ここの文字も一冬でどうにか覚えることができた。わたしはやる気があるときは学習能力が高いのだ。原語版の本が読みたくて色んな言葉を覚えられたように。

 とにかく、変な発明をして妙な子供と思われるよりは香霖堂の影響だということの方が疑われないし説明が楽でいい。この世界に後ろ盾がなくてわたし一人が独立してお金儲けをしなければならないのなら、色々と発明品を売り渋ったり自分で工房を作ったりしないといけないのだけれど、香霖堂に就職ができるのならそんな心配もあまりしなくていい。最低限、ここで生活ができればいいのだから。

 ……店主さんも言った通り、ある日突然香霖堂が消えて無くなった場合のことも考えないといけないのだけれど。

 それでも少なくともわたしの体調は治っているのだから、トータルで考えればプラスはあってもマイナスはないと思う。

 

 さて、リンシャンの改善点を教えるにあたって、契約書を作ることになった。商業ギルドという場所でやらないといけないらしい。

 前にフリーダへパルゥクッキーを食べさせたとき、是非製法の契約を!と迫られた際にも行くかどうかって話になったけど、そのときはわたしの体力が限界で無理だった。

 わたしと店主さんはベンノと共に商業ギルドへ向かった。店主さんが共同開発だと説明したので両方との契約が必要らしい。わたしも見習いとして仮登録されることになった。

 歩くのが遅いわたしは店主さんに運ばれた。

 

「ううう……歩くのが早くなる魔法とか無いですか」

「身体強化かい? 恐らく使えるようになるより先に体が成長して普通に動けるようになるよ。一朝一夕には身につかないものだ」

「ですよね」

 

 小声で言い合う。幻想郷の人は飛んでいても何も言われないから楽かもなあ……いつか、人の見ていないところでいいから飛んでみたいかも。街の外ならいいかな。

 

 ギルドの建物に辿り着いた。初めて来るところだけれど、とても人が沢山いる。大通りよりもごった返しているみたいだ。

 

「ここに居る人が全員商人なんですか?」

「そうだね。この街では露天商や旅の商人、マインくんのような見習い前の年齢で仕事の手伝いをする子供まで、全て商業ギルドで登録が必要なのだそうだ」

「へぇー……」

「少額でもお嬢ちゃんのような子供が相手でも、商取引をするには基本的にここで登録をしなければいけない」

 

 ベンノが補足をする。地味に管理社会というか、大変なんだなあ。蚤の市とかは無いんだろうか。

 

「あれ? でもうちだと冬の手仕事を姉やわたしも手伝ったりしたんですけど」

「手仕事……確かお嬢ちゃんの家は針子の工房勤めだったな」

「知ってるんですか?」

「俺は服飾系の商会だぞ。妹は針子の組合にも所属している。オットーから素性は聞いていた──手仕事の場合、工房の親方が代表して引き受けた仕事だから針子などが登録する必要は無いようになっている。あくまで針子は労働者であり、商人ではないからな」

 

 うーん、難しい。どこまでのお手伝いで金銭のやり取りをやっていいのやら。

 例えばわたしなんか、店主さんに預けているけれどカステラの情報料で大金を貰っていることになる。一方で、ルッツは以前にわたしを香霖堂へ送り迎えした際には父さんに手間賃としてお小遣いを貰っていた。これらはどう扱われるのだろうか。

 ……日本でもこういうときには便利なことわざがある。『藪をつついて蛇を出す』だ。誰からも咎められていない現状で、詳しく確認するような真似はやめたほうがいいかもしれない。道端で百円拾ってネコババしたところで遺失物横領罪に問われることはまず無いように、近所のお手伝いをしたことで軽いお小遣いを得ても一々罰則を強いてくる人もいない、というところではないだろうか。

 はぐれないようにと店主さんの手を握ってついていく。さすがに建物内ぐらいは背負われなくても大丈夫だ。

 スタスタと歩くベンノの後ろを店主さんが続くけど、

 

「仮登録ってどんなですか?」

「さあ。僕はやったことがないな」

「えええ」

 

 若干不安になる。門番が守っている柵にベンノがカードを渡すと番人が何かをして、目の前の柵がすっと消えた。

 

「うわっ!? 魔法?」

「魔術具だ。貴族も自分たちに利益が出る商売関係には魔術の道具を平民にも扱わせる」

 

 ベンノがぶっきらぼうにそう言った。

 へぇー……でも階段に掛ける柵にだけマジックアイテムを渡すって貴族の基準がよくわからない。普通の鍵でよくないかな? 日本でもカードキーの扉あるけど、あれってつまり無人で認証できるためのものだし、こっちの柵にはちゃんと門番がいるからなあ。

 まあ気にしても仕方ないか。

 店主さんもベンノに習って登録証を渡し、階段で上の階へと向かった。

 三階につくとカウンターみたいなところがあって、ベンノはそっちに向かう。

 

「これはベンノ様。本日はどのようなご用件ですか?」

「このお嬢ちゃんの仮登録だ。マインという」

「仮登録? お子様ではありませんよね……? もうひとりの方は?」

 

 店主さんの方にも見覚えがなかったようで聞いてきた。

 

「僕は古道具屋『香霖堂』の店主、霖之助だ。登録はされているよ。見覚えがないのは、殆どここに来ないから仕方ない」

「コウリンドウ……ああ、左様でしたか! ギルド長から伺っております」

「おい、とにかくそっちの娘を仮登録だ。こっちもそれほど暇じゃなくてな」

 

 急かすように彼はそういうと受付の人は「かしこまりました、暫くお待ち下さい」と下がっていった。わたしは手持ち無沙汰になり視線を左右にすると、寛ぎスペースみたいな椅子のあるところに書棚がある! 本だ! ……本、かな!?

 

「店主さん、書棚に行ってもいいですか?」

「どれどれ。僕も興味がある」

「木札と地図ぐらいしか無いぞ」

 

 書棚へ近づくと巻物のようになっている羊皮紙や、木簡が積まれている。タイトルは『商業法典』や『貴族年鑑』といった実用的なものだ。丸まっている紙を広げると、地図が出てきた。

 

「わあ、これ地図ですよ店主さん。この街ってどのあたりでしょうか」

「ここに『エーレンフェスト』と書いてあるからそれだろう」

「ふむふむ」

 

 大きな川に面した街。東は街道で南は森と農村。西にある川の先には別の大きな街がある。北側は白い部分ばかりだ。

 世界地図とか国全体の地図みたいな大きいものではないのかな? 一つの県が描かれたぐらいのスケールだと思う。

 

「──普通の商人はこの地図の範囲を越えたところには縁がないものだがな。リンノスケは何処から商品を仕入れているんだ?」

「さてね。どこから仕入れるかより、なにを仕入れるかが商人にとっては重要だ」

 

 伺うように、わたし達へベンノが疑わし気な目つきで聞いてきた。

 店主さんの店にある商品はどれもこれもこの街からすればおかしなものばかりだから、外国の商品だということになっている。だけれど外国に面している海の港も無いこの街で、そんな道具を仕入れていることが奇妙ではあるらしい。

 実際は幻想郷から仕入れているので疑ったり、仕入ルートを自分も手に入れようとしても無駄なんだけど。

 

「ベンノ様、リンノスケ様。ギルド長がお会いしたいそうです」

「チッ、あのくそじじい。予想通り絡んできやがった」

 

 ギルド長? フリーダのお祖父さんだっけ。そういえばフリーダにパルゥクッキーを教える約束はまだ果たしてないや。

 カウンターの扉が開いて奥に進むと、更に上階への階段。そこを上がると扉が自動で開いた。やっぱり貴族、魔法の道具を民間に卸すポイントが微妙だ。

 

「やあようこそ。少し話を聞きたくてね」

 

 居心地の良さそうなギルド長の部屋で、50代ぐらいの優しげな男性がわたし達を出迎える。

 

「君がマインかな? フリーダと友達になってくれたそうだね」

「あ、はい! マインです。どうぞよろしくおねがいします」

「畏まらなくてもいい。今日はマインを仮登録に来た、と。フリーダも早くして欲しいと急かしていたが、ベンノ。君が連れてくるとはなにか目的が?」

「フリーダ嬢が買って戻った中に、髪を洗うリンシャンというものがあっただろう。俺はそれを解析した」

「あれを、もう既にか!?」

 

 ギルド長が驚いたように聞き返す。この様子だと、彼もどうやって作るのか調べさせていたところ、といった風だろうか。

 ベンノの場合はスパイのようにオットーが聞き出した内容をしって、しかも解析しきっているわけじゃないのだけれど、堂々と自分の優位性をアピールしているみたいだ。

 

「そこでうちの工房で作って売り出すのに、製法の秘密協定を結ぶために来たわけだ。こっちの嬢ちゃんも作り方を知っているからな、仮登録が必要だ」

「……うちに売らんか?」

「断る。ギルド長のよく言う言葉だろう。『物によっては別の店で取り扱った方がいいのではないか?』とな。リンシャンは服飾に関係してくるから俺の領分だ。だいたい、もう口約束とはいえ話が決まっているものを横取りするのは商法の違反になるぞ」

 

 まあ、化粧も分類的にはファッションだからね。大きく捉えれば。

 ギルド長は僅かに口惜しそうに表情を歪めて、それから一息ついた。

 

「まあ、良い。飲食系はわしのところで製法を買い取らせて貰う予定だからな」

「むっ……取引が決まっていないものはまだ話が別だ」

「それこそ服飾と飲食は関係があるまい?」

「別の商会を興すという手段も使えるぞ?」

「ふふふ、オトマール商会と真っ向からやり合う飲食の商会をか?」

 

 うわあ……バチバチとギルド長とベンノが火花を散らしあっている幻覚が見える。

 商売人同士がわたしと店主さんという儲け話のネタを巡って争っている。若干怖い。幾らマインの年齢不相応に精神年齢があるとはいえ、社会経験もないんだからわたしは。

 一方でわたし陣営の商人である店主さんは……凄く面倒くさそうな表情を隠さずにいる!

 

「浮かない顔ですね」

「僕は情報を売ることがあまり好きではないからね。情報とは所詮情報であって知識ではない。製法といっても人が実際に知恵を凝らし、考えを巡らせなければそれは正しい知識になり得ない。彼らが勝手に作り上げたものならまだしも、僕や君がリンシャンの作り方を教えて利益を得る契約を結ぶというのは、彼らが失敗をする責任すら情報を伝えた僕らに求められる可能性もあるということだ。売りつけるものが形あり名前のある道具なら僕も責任を持って渡せるのだがね」

「えーと、確かに延々とアフターフォローとかさせられたら大変ですね……」

「リンシャン一つで食べていくならそれも良いかもしれないが、僕はただの古道具屋だ」

「わたしはその助手ですから、工房の監督までしろと言われたら大変になります……」

 

 わたし達はひそひそと話し合う。前々の計画では、リンシャンを売る際にはフランチャイズよろしく、売れた分の一割程度の利益を振り込んでもらおうかと思っていた。

 しかし店主さん曰く、そういう契約をするとリンシャンに関わるあらゆる責任の一端を担うことになりかねない。客からの苦情だったり、貴族に目を付けられたり、同業者からのいちゃもんだったり。

 わたしの人生の目標とは? お金儲けがしたいのか? そう自問自答すると、違うと思う。確かにお金が沢山あれば便利だろうけれど、最終的な目標とは本に囲まれて人生を送ること。その一歩として、香霖堂で働き出すことだ。

 本に囲まれることと、リンシャンで利益を出ることには関連性がまるでない。お金は生活ができればそれで十分。

 そう考えると、製法を手放しても大して惜しくもない気がしてきた。

 

 それから店主さんが交渉をしてくれて、リンシャンの製法は見本を一つ目の前で作ることで伝えること、ベンノの商会で販売したものに関して同業者や顧客間のトラブルには一切わたしと店主さんは関知しないこと、また香霖堂でもリンシャンの製造販売を行えることなどを契約書に盛り込んで大金貨1枚で契約をした。

 

 香霖堂でも販売できるという条件は、ベンノとは売り出す場所が全く異なることと、わたしが手作業で作れる量などたかが知れていること。香霖堂のように知る人ぞ知るような店にわざわざ高級品を買いに来る客は相当少ないだろうというので認められた。

 

 その後でギルド長ともパルゥクッキーの契約を似たような条件で結んでまた大金を得た。店主さんがわたしの取り分だと言うので仮登録ギルド証に振り込んでくれた額を見たら卒倒しそうになったけど。う、うわあ……子供の持つ額じゃないよこれ……

 とりあえず小銀貨を五枚ぐらい引き落として家に持って帰ることに。それでも一家の大黒柱の月収の半分だから、家計は相当楽になる。こういうのってお金を儲けるにしても説明の順序が大事だと思う。明日にでも食い詰めるとか家がそういう状況ならともかく、ある日突然やばいぐらいの大金が舞い込んだら、大抵の家庭は崩壊しちゃうよ。

 それにもし、ある日突然香霖堂が消えてなくなったときは独立しないといけない。その時のための資金として貯金しておくのも悪くない。それにこっちのお金を店主さんに払って幻想郷の本を借りたり新聞を買ったりして欲しい。

 店に帰る最中で店主さんがこう言った。

 

「君の親父さんが気にしていたら、製法なんてもう売り払ったから気にしないでいいと告げておきなさい」

 

 そう言った。確かに、父さんがうっかりオットーに漏らしたのですぐさまにでもリンシャンを売り払わないといけないことにはなったけど。

 でもしっかりお金は稼げたんだから、父さんが申し訳なく思うことはないって伝えるのは大事かもしれない。そもそもリンシャンってわたしの発明品だったから、店主さんもあまりに父さんが恐縮されても困るのだろう。

 

「……店主さんって優しすぎて商売人向きじゃないような気がしますよね」

「そんなことはない。僕ほど商売人に向いている半人半妖はいないさ。いたいけな少女のアイデアを売りさばいて利益を得ることもある」

「凄く面倒くさそうじゃないですか……古道具だったら、陶製の器とか売れると思いますけど」

「それなら今度、幻想郷で拾ってこよう。付喪神のなりたてみたいな食器が毎月人里から逃げていくという事件が起きていて、なり損ないが散らばっているんだ。人里では急遽、陶器が増産されている。陶器市もよく開かれていてね──」

 

 少し楽しげに店主さんはそう語る。幻想郷では今日も何処かのどかで不思議な事件が起きているようだ。きっとこの街のように、生き馬の目を抜くみたいな商人は少ないのかもしれない。そこで修行した店主さんがこうなのだから。まあ単に、店主さんが面倒事を嫌っているだけかもしれないけれど。

 

 




・意味深な夢。一体誰シャツなんだ……

・幻想郷イン夢。この状態のマインの気配を感じるのは美鈴含めてほんの僅か

・記憶知識は得られなかったけれど、魔導書により魔術適正が上昇!(謎ステータスアップイベント)

・オットーはベンノに先んじて聞き出そうとしたりする(原作でも)。ギュンターに「そうかそうか、お前はそういうことをするんだな」的な扱いを受けて職場の評価ダウン

・原作序盤だとマインに後ろ盾も無いし時間制限に焦っている幼女なのもあって、信頼失いそうなシャークトレードしてるよね大人たち

・ベンノ提案のリンシャン製法高すぎと思うけど百個売ったらもとが取れて後は原材料費も安いのでボロ儲けだと思えば。マイン相手じゃなく霖之助相手なのでふっかけられなかった。

・一応リンシャンの改良に霖之助の知識も(巫女云々じゃなく)

・リンシャンとパルゥクッキーの儲けの大部分は霖之助がマインに振り込んでます。なので既にマイン貯金が大金貨数枚分

・マイン、命の危機が解決している&本を作るために金が必要な状況じゃないので商売に真剣じゃない(なのに原作より稼いでいる)

・霖之助、古道具じゃなくて権利や情報の売買が面倒臭くなってる。売る際に本人の得意なウンチクとか抜きな上に契約書ばっかりだから仕方ないか

・若干クッキーやらの契約関係の時系列がずれたので前々の話を修正

・マインが原作と行動基準のあれこれが剥離しているところがありますが、原作者曰く「環境が人を作るので全く同じではいられない」そうで、香霖堂に出会ってしまったマインという時点で色々と変わるところも大きいと思う(今更)


あと紙は作るかも。マイン的に「本に囲まれて暮らしたい」はあるので、いつか本が溢れることを祈りつつ権利を丸投げして
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