<マイン>
「店主さん! お風呂ですよお風呂!」
その日、父さんの昼番ついでに香霖堂へ連れられて来た(今日は半分ぐらい歩けた! 格段の進歩である)わたしはそう言った。
店主さんは本から軽く顔をあげて、店の奥を振り返った。
「使うなら……ふむ、自分でと言いたいところだが、その体ではまだ水を風呂釜に入れるのは難しいかい」
「いやはや大変ありがたいことで……ってそうじゃなくて」
お風呂にも入りたいことは入りたいんだけれど。
わたしは店主さんに、この街の少なくとも下層民では全く入浴の習慣が無いことを説明した。そのせいでまあ、現代日本から考えれば相当に汚れていることも。
……わたしはお風呂入れなくてもまだ毎日体を拭いてるからマシだけどね。
前に読んだ本だと、あまりにお風呂に入らない状態だと皮膚の常在菌が上手いこと作用して臭い物質を分解したりすることで臭さは抑えられるとかも聞くけど、鼻が慣れただけで下町とその住民は基本的に汚いし臭い。
少なくともわたしは香霖堂に引っ越すかもしれないけど、家族やルッツは下町で過ごすわけだから何かしら環境を改善したいところでもあった。
「ということで店主さん、お風呂って流行らせられないですかね。ほら、銭湯とか」
「江戸の街にあちこち湯屋があったようにかね?」
「そうそう、そんな感じで下町のあちこちにお風呂屋があれば皆入ると思うんです」
だが店主さんは眉間にシワを寄せて告げる。
「あまり僕も湯屋の多い大きな街には行くことが少なかったが……マインくんが想像しているより、公衆浴場というものは非常に不衛生なところが多かったと思うよ」
「え。そうなんですか?」
「なにせ湯を替えないのに寿司詰めで入浴客は入るからね。湯は灰色に濁って汚れが浮くのを見えないように湯船のあたりは薄暗くしていたし、コレラ病の患者が入って大変なことになった街もある」
「うっ……汚いお風呂はちょっと……」
わたしの軽い想像力では、あちこちにお風呂があって清潔ーなイメージもあったんだけど。江戸。まあ実際はそうなるか……現代の銭湯よりも狭いしお客も汚れてるだろうしね。長生きして実際見ていたっぽい半分妖怪の店主さんの意見は素直に聞いておこう。
しかも感染リスク……体の弱いわたしは真っ先に危険に晒されるに違いない。
入浴の習慣が無いということは体を綺麗に洗うということも滅多にしない。夏場になると水浴びをしたりはするのだけれど、まずボディソープも無いから精々汗や垢を落とす程度のものだ。
割りと身綺麗にしていたわたしですら、お風呂に入ると中華料理屋の寸胴に入ってそうな色のマインスープが取れたんだから、肉体労働者も多い下町の人たちがお風呂に入れば一瞬でドブ川のようになることは想像に難くない。
……性的な話だけどよく女性とか我慢できるね! 色々と!
店主さんは本棚からなにやら本を取り出して開いた。そこにはなんとも言えない、毛むくじゃらで爪が長くて腹の出ている謎の生き物が書かれていた。
「ええとこのあたりに確か妖怪図が……ほら、これが妖怪『虎狼狸』だ。病気が妖怪化したものだね。形態としては鵺みたいなもので、名前通りに虎と狼と狸の要素が混ざっているとされている。だがこれは実際のところ、病魔を操る妖怪に対する対策を示したものだと僕は考えている。そもそも、『コレラ』という名の病気が何故『虎狼狸』の文字が当てられたと思う?」
「当て字なんじゃ……」
突然早口で解説をしだした店主さんにわたしはぼんやりとした相槌を打つ。
彼は頷いて話を続けた。何がスイッチになるのかわからないけれど、道具だったり妖怪だったり魔法だったりで一方的な解説を始めることが結構あるよねこの人。
「確かにそう言われているが、コが虎はまだ良いとして、レが狼、ラが狸は無理があるだろう。これは当時、病除けの祈祷に使った動物を現しているのだよ。病魔除けの虎皮は貴重だったから猫皮に縞模様をつけ、狐憑きに効果がある狼皮は祈祷のために乱獲された。狸はまやかしや変化を行う妖怪に対して狸の皮を見せてやると驚き逃げるという風習があった。コレラの正体は目に見えぬ妖怪による被害だと考えた人たちは虎狼狸の皮を使って病を追い払おうとし、それを示したのだ。その証拠が、幾度かコレラの被害が箱根で止まり江戸に及ばなかったという事があるだろう。箱根の地が虎狼狸にとって重要なのだよ。彼の地周辺には虎ノ湯、犬塚神社、狸福神社といったまさに虎狼狸に関わる地名が近くに存在していることからも間違いがない。つまり妖怪虎狼狸とはコレラを広める妖怪ではなく、むしろ鎮めるために生み出された妖怪なのだよ!」
「な、なんだってー!」
絶対違うと思う!
「ってコレラの話じゃなくてお風呂の話でしたよね。確かに不衛生な銭湯で病気が蔓延したら困りますけど」
排泄物すら窓から捨てている、建物の近くは危険なのが下町の常識だ。そもそも排泄後に紙で拭う習慣も無いお尻を洗わないでお湯に入る人がいればあっという間にバイキン培養の湯になってしまう。
まずは湯に入る前に体を念入りに洗いましょう。そういうルールさえここには存在しないのだから。
「どちらにせよ浴場を作るとなると一介の商人が行えることではないよ。それこそ本格的に定着するまで浴場の面倒を見るとなると、マインくんが一生を掛けてエーレンフェストに風呂文化を根付かせた偉人だと語り継がれたいというのならば止めはしないが」
「うっ……生活圏の衛生問題をどうにかしたいだけで、そんな不自由な人生はちょっと嫌ですね……」
心底面倒くさそうで関わり合いたくなさそうな店主さんの説得というか、風呂屋を始めた際の面倒事を考えてみたらわたしの気力は大いに萎えてきた。
大雑把に考えても土地の確保から建物の図面も引かなくてはならない。長時間の火入れを行うので火事の対策もしなければならない。水も業務用で大量に使うとなれば個人が井戸で引くのとはまた別の水利権が関わってくると思う。客にマナーを守らせる。疫病を防ぐ。風俗の乱れを取り締まる。それらに関する苦情や役人への対応も必要だろう。
個人的な優先度は、
命≧本>>>>>>>家族の平穏≧お金>衣食住の充実
って感じだから、お風呂に入れたらいいなー家族も清潔にして欲しいなーぐらいの願望で、大変な労力を割くのは本末転倒だった。
ギルド長に話を持っていくにしても、これは下町でわたしみたいな下層の暮らしを改善するための案だからお金儲けには中々ならないから難しいんじゃないかな。お風呂やら学校やらモスクやらを建てまくる(と、税制で優遇された)慈善事業が流行していたイスラム圏でもない限りは。
「なんなら大きめの桶で入浴や行水をするようにしたらどうだい? 幻想郷だって内湯が無くて湯屋に行かない家は桶を使っている」
店主さんがちらりと店内に置かれている桶を見やった。うちで洗濯に使っているのより大きくて、わたしがゆっくり座れそうだ。この前まではなかったよねそれ。
「なんでちょうど良さそうな桶がここに……」
「幻想郷で買い物をしていった客が物々交換で置いていってね。釣瓶落としの妖怪だったから桶に入っていたのだが、店で見つけた千両箱が気に入ったようで入って帰っていったよ」
「釣瓶落とし……」
なんとなく聞き覚えのある妖怪だった。秋はつるべ落とし、って慣用句があったかな。えーと、確か木の枝から人に向かって落ちてくる妖怪……だったと思う。桶に入ってるの? コントみたいな光景にならないだろうか。
とにかく、大きな桶をお風呂代わりに。いいかもしれない。だけど、
「……でも幻想郷とか昔の日本と違って、うちって六階に家があるんですよね……水を運ぶの大変すぎる……」
そう。庭とかそういうのないのだ。この桶を自宅に設置したとして、桶を満たす水を井戸まで汲んでくるのが死ぬほど大変だと思う。うっかりすると疲れすぎてわたしは死ぬかも。
一家の生活に必要な、料理・飲料水と顔や髪を洗う分を汲んでくるのでさえわたし一人だと一日の体力を使い果たすのに!(トゥーリは普通にこなすけど)
ざっと計算して、普通のお風呂に必要な水の量を200リットルと考え、桶はそれより凄く小さいので四分の一と見積もって50リットルの水で入れるとしよう。約50kgの水を担いで建物の五階分の階段を上がる。うわあキツイキツイ。父さんならできるかもだけど、毎日やってもらうのは心苦しい重さだよ。三日に一度ぐらいならまあ……とにかく、わたし一人だと5リットルの水を10回は分けて運ぶことになって、今の体力だと無理っぽい。
だからといって井戸近くで裸になって水浴びをするのも無理! わたし個人でも恥ずかしいけど、この街の倫理的にセーフってことになって母さんとかトゥーリとかが野外入浴をし始めたら見てられない。
「では入浴というのは諦めて体を湯で洗うだけにすればどうだい? 少なくて済むなら湯にするための手間も減る」
「そうですね……確か前に読んだ本だと、ケニアとかの水が貴重な地域に住んでいる人は日に3リットルぐらいの水だけで体を洗っていたとか……」
なおもっと水が貴重な地域に住んでいる上に定住もしない遊牧民のような人たちは、下手をすれば何年どころか一生お風呂に入らないこともあるとか。み、水が貴重じゃない街でまだ良かったかな。川も流れているし。
イメージする。少ない量の水で体を洗うには、チョロチョロとした水流を頭から浴びて上から下へと洗っていくようにすればいい。桶の中に入って浴びれば、洗った後のマインスープは桶に貯まり、最終的に窓からこぼせば大丈夫。排泄物を窓から捨てて文句を言われないのだから、マイン汁を捨てたところで平気なはず。
必要な量をケニアの人から上乗せして5リットルと考えてみよう。さすがに500ミリリットルのペットボトル10本分も頭から浴びればなんとなく洗えそうだし、5リットル分ならわたしでもトゥーリでも一回ぐらい余計に水を運ぶだけで用意できて、お風呂の為になら努力できそうな範疇だ。
しかし少ない量を適切に浴びるには手加減とかが必要で、誰かが少しずつ掛けてくれればいいんだけれど、一人だけの入浴で大丈夫にしておきたい。
それなら……
「シャワーヘッドがあればなんとか出来そう!」
「それはどういったものだね?」
「ええと、小さい穴が沢山空いた……如雨露みたいなやつを小さな水入れと組み合わせて、上の方に置いて傾ければ溢れる水の量を調整できると思うんです。材料は革袋とか……いや、確か竹っぽいのを水筒代わりにしていたけど、あれに穴を開けたら作れるかも」
穴を開けた竹筒の中に程よい温度にしたお湯を入れて、手頃な棚とか天井から吊るすとかして桶の近くに置き、穴から出てくる水を頭から浴びる。おお、いけそう。しかも工作難易度が小学生の図工レベル。
店主さんがなにか微笑ましいものを見るような顔をしている気がするけど!
「……とりあえず、試しに作ってみるかい? 材木問屋で竹を買いにいけばすぐに作れそうだけれど」
はっ。そうだった。提案はしてみたものの、わたしに竹を門の外から採ってくる知識があるわけでも、加工の道具を持っているわけでもなかった。
小学生並の工作……ただしわたしは幼稚園児並の体力で道具なしとか論外すぎる。店主さんが出かけようとしているから、手伝ってくれるらしい。
物臭そうに見えるけど優しい人だ。もしわたしが自分のお店(自由に読書ができる)を持ったとして、読書中に知り合いの子供が図工の手伝いを頼んできても嫌な顔をするかもしれない。
ははーっと平伏して感謝の意を示すと、店主さんから完全にスルーされた。寂しい。
******
材木屋で竹を幾らか仕入れる。年中取れて成長も早く、加工もしやすくて頑丈な竹はかなりポピュラーな植物だ。意外と竹のある異世界って多いのかもしれない。古いファンタジー小説でも竹竿が出てきたりする。
とりあえず試作だけなのでそれほどの数は必要ないため、店主さんの背負ってきた籠に放り込める程度の量を購入。工具とかは店にあるらしい。
そこで気づいた。
「あ。シャワーのことだけ考えてましたけど、よく考えたらボディソープとか忘れてました……」
「僕が見たところ、米はこの国にないから糠袋を用意するのは難しいだろうね」
「うーん、石鹸は『おかんアート』で作ったことがあるんですけど……」
「おかんアートとは?」
「うちのお母さん、前世の方ですけど、色々と趣味が目移りする方で、それに付き合って手芸とかお手製の道具とかを作ってたんです。それで石鹸かあ……」
現代日本の環境で石鹸を作るのは簡単だった。
1.油を用意する。
2.苛性ソーダを薬局から買って水に溶かす。
3.二つを適量混ぜる。
4.四角い型に入れて固まるまで寝かせる。
5.固まったら切り分けて一ヶ月ぐらい更に寝かせる。
これにお好きなフレーバーを足して自分だけの石鹸を作ろう。みたいな。お母さんの好きそうなことだなーって思いながら手伝ったけど。
「問題その一。苛性ソーダが無いです」
「残念ながら幻想郷でも見たことはない」
「つまり水酸化ナトリウムが必要なんだから、塩水を電気分解すれば得られるんだけど……」
理科の実験みたいな金属の棒と試験管と安定した電気を用意するのは、もはやおかんアートで解決ってレベルじゃない。わたしはちょっと知識があるだけの一般人で科学者じゃないんだから。火星に一人置き去りにされてサバイバル生活を強いられた宇宙飛行士とかなら簡単に準備するだろうけれど。
もっと大雑把に考えよう。水酸化ナトリウムは危険な薬品だし自作するのはリスク大だ。
「……すごーく単純にボディソープを作ろうとすれば、油にアルカリ水溶液を混ぜただけでも割りと効果はあると思うんですよね」
言ってみれば石鹸水だ。アルカリ成分が油脂を鹸化して界面活性作用を生み出させるのを、とても原始的に組み合わせた場合の。
「つまり灰汁か。だが油に灰汁を混ぜたもの、というと」
「……リンシャンと殆ど変わらないものに。さすがに製法を売った商品を、下町の入浴で流行らせるのは酷い気が……」
なにせ母さんとかトゥーリとか、或いは近所の人も使ってくれれば徐々に皆の清潔意識が改革されるかなーって思ってる代物なので、安い値段じゃないといけない。
ベンノは明らかに高級品として売ろうとしているだろうからね。原材料費が安くて、消耗品で、女性受けしそうって儲けるには最適だろうから。
店主さんは指を立てて提案をした。
「もっと単純に、洗剤に似た効果がある植物などがないか探してみたらどうだい?」
「え? そんなのあるんですか?」
「少なくとも日本ではサイカチの茎を水で揉むと泡立ったので古くから洗剤として使っていた。室町の頃に輸入されたサボテンも泡立ったのではなかったかな?」
「そういえば読んだことあります。石鹸の『シャボン』って言葉は、『サボテン』みたいに泡立つ薬品だってことで言われたとか」
なんか希望が持ててきた。店主さんが、植物に詳しそうな材木屋の店主に話を聞く。
妙な質問を受けたと言わんばかりに材木屋は首を傾げた。
「ぬめりだか泡立ちだかする植物? そりゃあ……エディルの実とかか?」
エディルの実は知っている。冬ごもりをするときに使った、接着剤みたいなネバネバする実だ。家の隙間風が吹くところをそれと布切れで塞いだ。
でもあれが洗剤になるかなあ……? 薄めれば……どうだろう?
材木屋さんは思いついたように
「ああそうだ、デグルヴァの葉も潰すとぬめるから切り倒すときに潰さねえように枝を払うぞ」
「ということは葉だけで売っていないのか?」
「確か払った枝がまだ捨ててなかったから、一本ぐらいは持っていっていいぞ。数欲しいなら用意するがその場合は料金も取る」
「ならとりあえず一本貰おう。必要なものかはまだわからないからね」
店主さんが話を纏めて、デグルヴァという葉っぱを貰ってきた。潰したり水に漬けるとネバネバ成分が溶け出すらしい。
エディルとデグルヴァを持って店に戻る。
「僕が竹筒を加工しておくから、君は洗剤を作ってみたまえ」
「はい」
店主さんが古新聞を広げて(捨てないように頼もう)竹を手鋸で切る準備をしだしたので、わたしは二つのネバネバ素材を台所へ持っていった。
エディルの実を潰して出たネバネバを水に入れた鍋で溶く。同じくデグルヴァもそうした。デグルヴァの方は割りと手を掛けずに、薄い糊のようになってくれたのだけれど、エディルは水の中で接着剤が固まろうとする。少しお湯とかいれたらどうかな……
香霖堂の竈は簡単だ。くすぶっている炭が灰の中に残っているので、かき分けて薪を加えて扇げばすぐに火がつく。そうでなければマッチが置いてある。ああ、八卦炉の機能が万全に使えれば風も起こせそうなんだけどな。
まあそれはそうと、お湯は沸かせた。そこでふと決めた。ヤカン欲しい。ヤカン無いようち。これあるとお湯沸かすのに凄く便利。店主さんにお金を払って古道具として買い取りたい。他に予備があればだけど。
それはともかく、エディルの実を溶く鍋にお湯を足してみたら、今度はゆるゆるとなって液がとろっとしてきた。洗剤っぽくなった感じ?
さて問題は、見た目だけはそれっぽくなったのだけれど、これに洗浄効果があるかどうか……ではない。正直、ある程度ヌルヌルしていれば保湿効果があるから何も付けないよりマシだろう。
大事なことは一つ。これで肌がかぶれないかどうか。
例えば植物系接着剤として日本でも有名なのだと、漆は凄いかぶれる。松脂は軟膏として火傷に塗ったりもしたらしい。つまり種類によって肌に触れても大丈夫かどうか変わってくる。接着剤だからってなんでも体に悪いわけじゃない。ロシア人は接着剤を水で溶いたものを飲んだりしているらしい。(アルコールが含まれているから)
こればっかりは試してみないとわからないので、テストをしてみないといけない。色が変わったりすればすぐわかるような白くて弱い肌があればパッチテストをするのに!
あったよ! わたしの腕!
他人で試すより人道的だよね。とりあえず二種類の洗剤っぽいものを手首のあたりに塗ってみた。暫くこれで待ってみよう。
テストの結果が出るよりも先に、お店の方を覗くと店主さんがサクッと工作を終えていた。道具作りに手慣れている。
しかし店主さんがしげしげと竹材を眺めて思案している。こういうときに話を聞くものだろうか。長くなりそうだけれど。
ええい、話ぐらい幾らでも聞こうって態度が大事!
「店主さん、どうしたんですか?」
「いや、全く世界の異なるここに竹がある理由を考えていてね。気づいたかい? 名前の発音も『タケ』のようだ。性質も日本にある竹とそう変わらない。まるで誰かが持ち込んだようだ」
なんかあまり深くツッコミを入れたら負けのようなことが気になりだしたみたいだ。異世界の収斂進化とかそういうのだよ、多分……
一応話を聞いてみる。
「誰かって……わたし達以外に人が来てたんでしょうか? 竹の種を持って?」
「そうではない。そもそも竹という木が持つ霊的な性質について説明を始めよう。まず竹が何故タケと呼ばれるようになったのかわかるかね? 中国から輸入された言葉にしても──まああそこは広いから土地や時代によって発音が変わるとはいえ、『ツォー』という呼び方をされていたとしてもタケではなかった。日本に来た際の音読みでは『チク』だしね。ではタケはどこから来たのか」
「え、ええと……木が高く成長するから、『高い』とか背丈の『丈』とかじゃないでしょうか」
「いや、古代は高い木に関しては様々な種類が存在し信仰も兼ねていたので、竹だけとは限らない。それに丈の字がタケと呼ばれだしたのはかなり後の事だ。ここで注目したいのは竹は榊と同様、神道では清浄なる儀式に使われる植物として扱われていること。そして『竹の都』と呼ばれる斎宮には天照大御神が祀られたこと。竹はかなり重要な意味合いを持っていた──そこで振り返るのは高い木であるという語源の説だ。神道では地味ながら重要な役割と叡智を齎す神、
「な、なんだってー!」
とりあえずこういうリアクションを取ると店主さんは得意げになるのが、面白いやらちょっと悲しいやら。
でもまあ、この世界で日本神話について熱く語る人もいないから故郷を思わせる論客だと思えばうん。わたしも嫌じゃない。店主さんの話は延々続いた。
途中途中で脱線したり属性とか五行とか混じるけれど、つまりは過去に最低一度でもこの世界と日本は今の香霖堂のように接点が生まれ、そこから高木神の産霊がこちらに入ってくることで分身である竹が生まれたのではないかとかなんとか。
竹の神秘性についての解説も、かぐや姫から山幸彦の話まで交えて独自の理論を展開していた。とりあえずお茶を飲みながら聞いていたけど。
*****
店主さんがひとまず語り終えたぐらいで、とりあえず竹シャワーの完成品を検めた。まあ単純な作りで、上部が開いた竹筒の下の方に錐で穴を複数あけたものだ。思ったより竹の容積が狭そうだったけれど、
「壺の口に取り付けて逆さまにして使えばいい」
とのことだった。安定性を出すために、竹シャワーの下部分には安定性を出すための足がはめ込まれている。イメージとしては、地面に置いて上に吹き出す花火を大きくしたみたいな形になっている。接着剤や釘を使わず切れ込みを入れて組み合わせたみたい。また、水が出る部分は蓋で塞げるようにしてあった。店主さん器用。
洗剤の方は腕に塗った部分をじっくり観察してみる。
「自分で実験したのか。……毒キノコを食べてみる魔法使いもいるが、気をつけなさい」
「だ、大丈夫ですよ多分……」
痒くなったりしたらすぐ洗うつもりだったし。店主さんは子供が仕方ないことをしたみたいに腰に手を当てて頭を振っている。
「僕の場合は半妖であまり毒類の効果が無いからそういった方法で確かめられないので力にはなれないが」
「そうなんですか?」
「考えてもみたまえ。野山にいる妖怪が草でかぶれたとか、小豆洗いが手荒れしたとか聞いたことがあるかい? 明確に弱点として酒だの鯖だのに弱い妖怪はともかくとして」
「そんな妖怪は嫌ですね……」
店主さんは病気にもならないし毒もあんまり効かない。更にいえば食事も睡眠もある程度取らなくても平気らしい。ついでに寿命も長い。チート体質!
でもまあ、色んな本を読んでいるわたしはパターンというか。こういうハーフな種族にはその人にしかわからない苦悩とかそういうのがあるのが定番だから、あんまり羨ましがったりすると失礼な可能性があるので黙っておくけど。
でもわたしがそういう体質なら延々本を読んでられるなあ……少なくとも、生まれてから虚弱で成長するにしたがって魔力中毒で死ぬマインの体質よりはマシだと思う。
それはともかくお肌チェック。これはもう、体感で判断するしかない。直ちには問題ないようだ、みたいな曖昧な政治的判断もやむを得ない。
……デグルヴァの葉。肌荒れはないけど、ちょっと糊が乾いたみたいな感じになっている。正直全身にこれが纏わりついていたら不快だなーと思う。
……エディルの実お湯割り。拭き取ったら綺麗に取れて肌もそこはかとなくしっとり艷やか。そういえば冬ごもりを終える際に、母さんが隙間に詰めていた接着剤のエディルを剥がすためお湯を掛けていた気がする。熱湯で成分が変性して粘着力がなくなるのかも。窓枠とかに、去年使った接着剤の剥がし残しとかもなかったから綺麗に落ちたのだろう。
エディルの方が大丈夫な気がする。それにうちでも普通に使えるぐらいだから安くで買えそう。
ただ実ってなると季節限定でしか採れない気がするけど……いやいや、よく考えれば接着剤の原料なわけで、接着剤の需要は一年中あるわけだから絞った液は保存が利くのかもしれない。
「エディルの実を使った洗剤を試そうと思います。トゥーリがいれば使ってどれぐらい洗えるか試せるんだけど……そういえば今日は夕方寄ってくるって言ってた。あの店主さん、よければお風呂場をわたしと姉に貸して貰えないでしょうか」
「別に構わないよ」
「やった!」
トゥーリもお風呂に入れられる!
まあ……姉で洗剤を試してみるというちょっとアレな目的にもなってるけれど。多分大丈夫だから。最初の実験台はわたしだったから。
それから夕方になるまで特にやることがない(お客は来なかった)のでわたし達はおやつを作って食べた。カルフェ芋を薄切りにして油で揚げて塩を振るだけの簡単ポテトチップスなんだけれど、油は危ないというので店主さんがやってくれた。信用が無いけれど四歳ぐらいの子がやろうとしてたら大人なら止めるのも仕方ない。
香霖堂の台所にはピーラーがあったので包丁で切るよりもうすーく出来て、調子に乗って大量に作ってしまった。大きな笊に山盛りだ。
「うちに来る常連がつまむだろうから構わないよ」
というので一安心。ちなみに大きめの芋一つで、ポテチ二袋分ぐらいは軽く作れる。
ポリポリとポテトをつまみながら読書を開始。心なしか本が増えている気がする。嬉しい。香霖堂の本は読みやすい現代から昭和ぐらいの本も多いけど、明治時代とか江戸時代の古い本も置かれている。かなり読みにくいんだけれどそれ故に解読しながら長い時間を掛けて読めて楽しい。解読するからお買い得ってことだ。
「あの本は読みやすくて良かった」という感想を時々聞いたことがあったけれど、読みやすい本はあっという間に読んでしまうので一長一短だと思う。読みにくくて面白い本は長く楽しめるスルメのようなものだ。海外SFの翻訳作品で全く違うように思える物語同士が設定クロスオーバーしてたりすると最高に混乱して楽しい。
外国語の本も香霖堂には置かれているけれどこれも少し時間が掛かるからいい。数ヶ国語はマスターしているけれどそれでも日本語の文より読むのに時間が掛かってくれる。
……わたしが読書をしていると店主さんが何故かじっと見ていた。
「どうしました?」
「いや、君……その揚げ芋、箸で食べるのかい?」
「そうですが?」
どうやらわたしが本を読みながらポテチを箸で掴んで食べていたのが気になったようだ。
「だって本に油染みが付きますから。本が可哀想なのでするべきです! 店主さんも是非そうしてください!!!!」
「まあ落ち着きなさい」
「はっすいませんつい興奮して」
現代ではお菓子を素手で食べながら本を読んだりスマホを弄ったりしている人を見かける度に気になっていた。特に本。ページに汚れが付くだけでなく、ページの隙間にお菓子のクズとかが入ったりする。自分で買った本ならまだしも、あろうことか図書館の本にその痕跡を見つけたときの怒りと悲しみを思い出す!!
「……マインくん落ち着きなさい。なんか体から威圧みたいな魔力漏れてるから」
「えっわたしなんかやっちゃいました?」
「魔力をマイクロ八卦炉に通して気を鎮めるように」
ヒッヒッフー。深呼吸をして魔力を落ち着ける。制御をしないと魔法を使いこなすどころじゃない。
店主さんもちょっとまずいと思ったのか、今度来たときに門の外にある森の人気がないところで八卦炉の使い方を教えてくれるって言ってくれた。嬉しいんだけれど、子供が癇癪を起こしたから遊びに連れて行く約束をした、みたいな雰囲気じゃないかな。大丈夫かな。わたし、成人女性扱いされてる?
古い料理本で天ぷら料理に詳しくなった頃合いで、店のベルが鳴った。漆葉の天ぷら(有毒)とか載せなくていいと思う。
「マイン、迎えにきたよ」
「トゥーリ!」
森での採取から帰ってきたトゥーリだ。いやまあ、本当はね、わたしも採取に出かけて薪とか木の実とか採ってきて家計の足しにしないといけないんだけど。体がまだ弱くてそうもできない。迷惑を掛けずに、店でおとなしく待っているだけでもありがたいという状況だった。時々お駄賃を貰って帰るのが家族は不思議らしい。むしろ預かり賃を店主さんにやるべきじゃないのかと悩んでいた。
それはともかくトゥーリ。夏場になれば水浴びもして美少女レベルが上がるんだけれど、寒い冬を越えたばかりなトゥーリは汚れている。
わたしはトゥーリの手を取って言う。
「トゥーリ、ちょっと協力してくれる? えーと『シャワーセット』を試してみたいから」
「え? それってなに?」
「水浴びみたいなの」
「み、水!? まだ水は冷たいよマイン!?」
「お湯にしてるから大丈夫だから! ちょっとだけだから!」
「マインの力が強くなってる……!」
とりあえずトゥーリの採取物が入っている籠を置いて、お風呂場へと向かった。
お風呂場に準備は出来ている。竹シャワーのテストもして、水を入れればちゃんと水圧でシャワーみたいに出てくることも確認している。ぬるま湯をいれた壺もセットした。
「というわけでトゥーリ、脱いで」
「意味がわからないよマイン!? い、いきなりなんでなの!? 店主さんに変なこと要求でもされたの!?」
「うわトゥーリませてる」
思わず素でそう言ってしまった。まあ、変なことの具体的な内容はわからないんだろうけど。
しかしトゥーリの感覚から言えば、妹が通っている怪しげな店(若い店主がいる)でいきなりの入浴要求だ。以前にわたしがお風呂に入っていたことも知っている。こう、官能小説みたいな展開と客観的に思えなくもない。店主さんもカメラ写りを悪くして見れば鬼畜眼鏡になるかも。
「えーと……トゥーリ、前にわたしだけ身綺麗になってずるいって言ってたでしょ。それで、うちでも使える綺麗になるセットを作ってみたから試してみて、良さそうだったら家でも使おうって思ったの。ほら、いつも綺麗になってるとモテるよー? 皆から羨ましがられるよー?」
「マインが悪い商人みたいな誘い方をしているよう……」
しかしながら、よくわからないけれど綺麗になれるという言葉に女性は弱い。『綺麗になる理由がよくわかる』より『よくわからないけれど綺麗になる』という感覚の方が売れるって前に本で書いてあった。
渋るトゥーリの服を脱がせて、ついでにわたしも脱ぐ。トゥーリを洗うにしても服を来たままだとびっしょりになる。姉妹だから恥ずかしくない!
小さい子供二人なので桶には二人でも入れた。不審そうにしているトゥーリを座らせて、桶の上方に設置した竹シャワー──点滴の台みたいなのがあれば便利だと思う──からお湯をちょろちょろと吹き出させる。
「ひうっ!?」
背中にお湯が直撃したトゥーリがびっくりしたように身を跳ねさせた。
「さあトゥーリ、体を洗ってあげるからねー」
更にお湯で溶いたエディルソープをぬるぬると手ぬぐいで掬って、トゥーリの体を洗い始める!
お風呂場でぬるぬるした液体を体にこすりつけながら洗い合う幼女二人の時間はまあ、微笑ましいものだから飛ばしても差し支えないよね?
*****
結論からいうとトゥーリはかなり綺麗になった。桶には洗い流した汚れのトゥーリスープが溜まったけれど。エーレンフェスト発! 箸が立つような濃厚トゥーリスープ……って某ラーメンチェーン店みたいな見出しが思い浮かぶ感じだった。そのラーメン屋入ったことないんだけどね。本で読んだだけで。
磨けば光る美少女だったけれどこうなると輝かんばかりに綺麗な美少女だった。学園モノの物語だとヒロインレベル。香霖堂にはピカピカの姿見があって(これもトゥーリは見るの初めてだった。わたし達みたいな下層の平民子供は、水鏡に映った姿が自分の姿だと思っている)自分の容姿端麗さに驚いていた。
興奮して店主さんに同意を求めても本からチラッと顔をあげて「そうかい」とだけ返事をする。美少女への興味の無さが凄い。
これだけ綺麗になるんだったら母さんも使うだろうってことでわたしとトゥーリの独断によってシャワーセットの導入が決定。店主さんにわたしからお金を払って、竹シャワー・洗剤・桶・手鏡を購入することに。試作品とはいえ、材料費は店主さんが出したんだから買い取らないと。
重たい桶は今度父さんに運んでもらうとして(うちの洗濯桶で代用もできそうだから)、すっかり体も洗ってすっきりしたわたしは、トゥーリに続いて家に帰ることにした。
シャワーセットは簡単に作れるしエディルソープもそう高くはない。商売としては儲けそうにないしお金に困っているわけでもないから、下町の環境改善の一環として誰でもできる自宅シャワーとして流行らせてみよう。
街を歩くトゥーリに、道行く人々が振り向く姿を何度も見かけた。ふふん。うちの姉は美少女なんだぞ。
そして帰宅途中でわたしとトゥーリは人攫いに捕まった。あ、あれえ!?
祝日だったのか(曜日感覚ズレた)
・公衆浴場を作るとかそれ一本でなろう小説書けそうなぐらい大変だと思う
・エディルやデグルヴァが洗剤になるかは本作の独自解釈
・なろう作家的に異世界に地球上の動植物がいる警察は滅んで欲しい
・幼女ソープとかアレな気がするが、霖之助的に「昔魔理沙と霊夢も時々一緒に入ってたなあ」ぐらいの微笑ましさ
・原作の描写から、割りと普通に街中でも人攫いが出る環境のようだ。だから子供も集団で移動させてるのだろう