本好きと香霖堂~本があるので下剋上しません~   作:左道

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26話『事業の相談は一番偉い人に』

 

 

 <マイン>

 

 

 ドーナツというお菓子は言ってみれば単純な作りで、練った小麦粉の生地に砂糖やバター、卵といったお菓子の基本素材を加えたものを油で揚げたものだ。

 しかしその歴史は意外に近世生まれであって、本で読んだところによると16世紀から17世紀頃から作られるようになった。

 砂糖がヨーロッパに入ってきたのは十字軍以降で、高価とはいえ様々なものに使われていたのにドーナツみたいな調理法が中々生まれなかったのはちょっぴり不思議なことだ。とはいえ、広まらなかっただけで一部地域では作られていた、ということも十分考えられるけれど記録が乏しいから詳しくはわからない。イスラム圏では揚げた生地にシロップを漬けて食べるお菓子が13世紀頃からあったからそういうのも伝わってはいたと思う。だけれど「ドーナツ」というお菓子が登場したのは少なくとも近世に入ってからなのは確かだった。

 それはともかく砂糖が出回りはじめたばっかりのこのエーレンフェストでドーナツがまだ開発されていなくても不思議じゃなく、商品になりえるはず。

 また、ドーナツは『おからドーナツ』もあるように、おから……つまりパルゥの絞り粕も材料に使える。っていうかわたしやルッツの家で食べる雑穀まじりの小麦粉よりパルゥおからの方がずっと上質な材料だ。値段は鳥の餌だけど。ただパルゥおからは夏になると溶けて消えるとも聞いた。本当に食べていいものなのか怪しい物質だ……

 

 そう考えて店主さんの持っていた、アリスさんの作ったドーナツを分けて貰ってフリーダのところへ持っていくことにした。手土産を用意するの完全に忘れてたからね……

 一応試食してみたけど問題なく美味しい。店主さんの話によればお店を掃除したのもアリスさんらしい。お掃除したり料理したり髪の手入れをしたり……情報を羅列すると甘い関係に思えてくるけれど、店主さんの様子からは全然伺えなかった。彼がそういう人だというのはなんとなく理解している。

 ついでにルッツがお風呂を出るまで延々とドーナツの薀蓄を聞かされた。

 

「ドーナツに近しい形の菓子は中国では古くから作られていて日本にも伝わっていた。練った小麦粉や米粉に甘葛の汁で味付けをして油で揚げた唐菓子や唐果物と呼ばれるものだね。これは都が京都に移った頃には珍しいものではなくなったのだが鎌倉の世には廃れていった。京が戦乱に巻き込まれたこともあるが、幾度も大火で市街が焼き払われてしまう事態が起こる中で油で揚げる菓子というものが忌避されるようになったのではないだろうか。ここで興味深いのは唐菓子は仏に備えるための菓子として伝わり、実際にそう行われていた。その中でも有名なのが『歓喜団』と呼ばれる菓子で、これは名前の通り歓喜天に備えられるものだった。マインくんは知っているだろうが歓喜天はその多くが秘仏として扱われているように徳の高い守護神で、信仰するにあたり供物や修行を疎かにすれば大きな災いが訪れるとされていた。ここで注目されたいのは京の都には複数歓喜天を祀る寺が存在しており、唐菓子が作られなくなったことでそれらへの供物が途絶えたことだ。そのことにより風水都市であった都では守護神の中でも両面性の高い歓喜天の怒りを買うことで戦乱被害が拡大していったのではないだろうかと考えられ───(中略)───つまりドーナツの輪は転輪王に与えられるチャクラを表すのだよ!」

「な、なんだってー!?」

 

 まあ、それはともかく。

 綺麗にしたルッツを連れて(お風呂に溜まったルッツスープはそっと流しておいた)フリーダの家へと向かう。ちなみにルッツの服もお風呂に入っている間に洗っておいた。店主さんが調整してくれればマイクロ八卦炉で熱風も出せてすぐに乾燥させられる。

 フリーダの家。それはオトマール商会の建物にあるらしい。ここでは自らの店を持つ商人というものは、一階部分にお店、二階に店主の住居、三階が息子夫婦とかの家族、四階から上は店に住み込みの店員の部屋になるのが一般的だとか。

 基本的に上の方がエレベーターも無いし不便なので家賃が安い。わたしの家なんて七階建ての五階に住んでるから、まあ……一番貧しいわけじゃないぐらいのレベル? そのあたりの住宅事情はローマ帝国の歴史が書かれた本でも似たような感じだった記憶がある。

 そう考えると一階平屋建てで(屋根裏はあるみたいだけど)お店と住居が同じ階層にある香霖堂は、かなり常識はずれだ。むしろお店じゃなくて倉庫かなにかだと思われてるんじゃないだろうか。お客さんが少ない理由は。

 

 それにしても、

 

「オトマール商会……遠いね」

「こっちに近づくのは俺も初めてだな……多分、洗礼式以外じゃうちの近所の人だれも近づかないぞ」

 

 オトマール商会は街の北側、城壁で貴族街と隔てられているところの近くにある。アポ取ってきてくれた父さんから聞いた。

 基本的に街では北側に位置するほど立派なお店やお金持ちが集まるらしい。衣服もちゃんとしている人ばっかりになってきて、多少身ぎれいにしてきたとはいえ下町の子供が歩いていると悪目立ちしそう。

 というか普通にわたしの家から南門までより遠い。香霖堂より遠いから、ふぬーって感じで体力回復魔法を発動させながらじゃないと疲れ切ってしまいそうだった。

 

「……あっ、見てルッツ。飲食店みたいなお店があるよ」

「本当だ。パンを売ってるのか?」

 

 中央広場の近くで入り口が開け放たれて、いい匂いが流れてくるお店があった。中は人で賑わっているようで、焼き立てみたいなパンを手に店を出てくる女性もいる。

 うーん、興味はあるけど子供が入るような場所じゃないと思うし、今はフリーダのところに行かないと。

 広場を通って北側へ行き、神殿の近くにあるというオトマール商会へと進んだ。

 

「ここかな」

「大きいな……」

 

 尻込みするほど大きな店舗だ。まあ……ギルド長っていう立場の大店なんだからかなり大きい。

 不安だからかルッツが握る手に力が篭もる。わ、わたしの方が精神年齢が上だから、ここは率先しないと……

 お店に入ると「いらっしゃいませ」と柔らかな声が届いた。お店の中は綺麗に整理されていて、多くの棚が並んでいる。瓶や壺の前にお酒や香辛料の種類が書かれていて、多分見本として置かれていて品自体は倉庫にあるのかそこまでお店に商品が溢れているわけではない。

 おや? といった風にこちらにやってきた男の店員さんの表情が一瞬代わり、それからすぐに営業スマイルへ戻った。

 

「フリーダお嬢様のお客様のマイン様とルッツ様ですね?」

「あ、はい」

「伺っております。二階の応接間にどうぞ」

 

 話は既に通っているらしい。アポイントメントを取っててよかった。それにさすが大店。子供が相手でも物腰柔らかだ。

 多少ぎこちない動きでわたしとルッツは二階に上がり、応接間に通された。

 

「お茶をどうぞ。お嬢様が来られるまで暫くお待ち下さい」

 

 お茶まで出てきた。ミルク壺もあって、ルッツは前に香霖堂で飲んだことがあったのでミルクを足して飲む。わたしはそのままだ。それにしても、お茶とは言うけど紅茶でも緑茶でもないっていうか、まあ異世界だからチャノキそのままな植物じゃないんだろうけどちょっと不思議だ。

 わたしの居た世界ではお茶はだいたい中国の「茶」そのものだった。チャ、という言葉が伝わって、他の国でもチャイって呼ばれたりティーって呼ばれたりした。となるとこの世界のお茶とはいったい……

 まあいいか。お茶っぽいものということで。粉末にしてお菓子の味付けに使えるかな?

 そうしていると応接間の扉が開いて、フリーダが姿を現した。

 

「マイン! よく来てくれましたわ! ずっと待ち遠しかったのよ! ……それとルッツ」

「いやまあいいけど」

 

 おまけ扱いを華麗にスルーできるルッツは実年齢以上に大人だ!

 

「こんにちはフリーダ。面会してくれてありがとう」

「いやだわ面会なんて堅苦しくて、お友達が会いに来てくれたってことにしない? そっちの方が嬉しいわ」

 

 フリーダはわたしと同じく身食いであり、殆ど外出することもなかったので友達も居なかったのだろう。喜色満面に笑みを浮かべる、花飾りをつけた女の子にわたしは微笑み返した。

 

「せっかくだから『カステラ』と『パルゥクッキー』も焼いておいたのよ。ユッテ!」

「はい、お嬢様」

 

 フリーダに続いて入ってきたメイドさんがお皿にカステラとクッキーを持ってやってきた。彼女に続いて、女料理人のイルゼも入ってくる。

 

「ハーブティも持ってきましたよ」

「ありがとう、イルゼ。この甘いお菓子にはハーブティが合う気がするのよね」

「へえーハーブティもあるんだ」

「よくわからねえけどいい匂いだな、マイン」

 

 焼きたてのお菓子は嬉しい。この世界だと全然食べられないからね。自作しようにも砂糖とか売ってない。

 何気に香霖堂の駄菓子が貴重な糖分だったりする。ただ、そこまで数がない上に幻想郷でも知人や妖精が食べていくから置いてるかどうかは運次第みたいだった。

 

「それならわたしもお土産に、『ドーナツ』を持ってきたから試食してみよう?」

 

 ちっちゃな紙箱(わたしがおかんアート技術でさっと作った)に入れてきたドーナツをテーブルに出すと、フリーダの笑みがまるで獲物を前にした肉食獣の笑みのように変わり、イルゼが身を乗り出して、バーンと応接間の扉からギルド長が姿を現した──ってええ!?

 

「ギ、ギルド長さん!?」

「やあいらっしゃいマイン。オトマール商会の先代として挨拶をせねばな」

「おじい様ったら、マインはわたくしのお客様だから任せて欲しいって言っていたのに」

「いやいや、契約とか商談とかそういうものはまだ洗礼式前のフリーダに任せてはいけないだろう」

「そうですけれど。ねえマイン」

 

 すごい。二人の表情が「で、これ幾ら?」って言葉に出さないけど訴えかけてくる。肉食獣の檻に肉を投げ込んだみたい。この場合、肉はドーナツじゃなくてわたしかも。

 わたしは咳払いをして告げる。

 

「とにかく、味わってみてください。後で製法を売ることは構いませんけど、ドーナツは話のついでみたいなものですから」

 

 そう勧めると、椅子に座ったギルド長とフリーダにドーナツを一つずつ、イルゼも一つ手に取った。

 

「ルッツはカステラでごめんね」

「いや、全然いいぞ。うまいものが食えればなんでも」

 

 商売人と料理人が試食してみたら、むむっと目を見開き、イルゼは考え込むように味わって、ギルド長とフリーダは頭の中でソロバンが弾かれているみたいな雰囲気だ。

 ドーナツは単純なお菓子だ。小麦粉を練って味付けしたものを油で揚げたら出来上がる。現代人から考えれば、油もパンもあるような文化だったら誰かがすぐに発明してしまうようにも感じる。だけど手元にある材料の単純な組み合わせで作れるものだって、誰かが気づかなければ数百年単位で生み出されないことだって珍しくない。況や、この街では砂糖が最近手に入るようになったのでお菓子の類は手探り状態なのだろう。

 

「あ、ハーブティ美味しい」

 

 まあ香草を煮出したものだからこれは異世界でも、種類こそあれ美味しいものかも。

 わたしは手元のお茶を一口飲んでから、固まっている二人に向けて話しかけた。

 

「今日フリーダを訪ねてきたのは、ルッツの見習い先を探していたんです」

「その子のか? マイン共々うちで雇ってもいいが」

「いやわたしは遠慮します決まってるので」

 

 ギルド長が間髪入れずにセットで引き込んでこようとするのを断った。

 

「ルッツは料理人になろうと思っているんですが、どうも下町にある飲食店って料理らしい料理を出すようなお店じゃないんです」

 

 本当は旅に出てみたいというのがルッツの目標だけれど、そこから説明しても面倒くさいのでルッツにも予めどう伝えるか教えていた。

 とりあえず料理人として食材や調理に詳しくなり、お金も稼いで、あとは大きくなってから他の街を見て回るなりすればいい。

 できれば色々と料理を教えたルッツが近所でお店を出してくれれば通いやすくて助かるけど。

 

「ここに来る途中に、中央広場あたりにあった飲食店ってどういうものを出しているんですか?」

「ふむ。北側の住民向けの飲食店か。パンにチーズ、腸詰め、肉のペースト、酢漬け野菜、べレアや蜂蜜酒、ブーフレット……」

「ブーフレット?」

「蕎麦粉を練った生地にハムや卵、野菜などをいれた料理だよ」

 

 イルゼがそう答えた。ガレットみたいなものかと納得する。フリーダが「イルゼは料理屋の出ですの」と付け加える。

 ギルド長の挙げたものを考えてみるけれど、多少種類が豊富になったものの料理というか、出来合いのものを出している感じで飲み屋か軽食店みたいだ。

 うーんとわたしが唸っていると、ギルド長が尋ねてきた。

 

「マインの言う『料理らしい料理を出す店』とはどういうものだ? どこで見た?」

「あ、えーと、香霖堂の店主さんが持っている、外国の本に出てきたんです」

 

 困ったときの外国の本。店主さんという存在がなかったら、突拍子もないことを言って怪しまれるところだよ。その場合は「夢に出てきた」ってぐらいしか言い訳が思いつかない。

 ギルド長は驚いて聞き返す。

 

「外国の本!? 読めるのか!?」

「店主さんから字を習って……他の人は読めないと思いますけど」

 

 こんな子供が大人も読めない外国の字を読めるとは不審な気がするけど、実質外国語なこの街の公用文字だって一冬で覚えたんだからルッツだって「そういうものか」と納得している。

 日本語なんだけどね! でも一から日本語を学ぶのってかなりこの世界の人にはハードル高いはず。

 

「ともかく、そういう料理自体がもしかしたら無いのかな? うーん……」

「外国の料理店ってどういうものを出しているんですの?」

「えーと、例えば『イタリアンレストラン』だと……お店に入ってテーブルに座って注文を聞いてから料理人が料理をするんだけど、前菜に『トマトとチーズのカプレーゼ』、次に『スパゲッティ・プッタネスカ』メインで『子羊肉の果物ソースかけ』、デザートで『プティング』を食べて最後に『コーヒー』を飲むとか……」

「待て待て待て」

 

 絶対聞き慣れないだろうなーと思いながらつらつらと料理を挙げていったら、案の定ギルド長とイルゼが顔を見合わせたりしながら制止してきた。

 

「ともあれ、そういう料理を出すお店があって、そこでルッツが働けたらなーと考えてたんですけど……無いですよね?」

「無い。というか僅かに聞き覚えがあるのが子羊肉に果物のソースを掛ける料理だが、貴族しかそんなものは食べないぞ。そもそもそういった、複数の料理を順番に出すのも貴族の饗応だと聞く」

「貴族街に料理屋ってあるんですか?」

「それも無い。ほぼ全て、自分で雇った料理人に作らせているからな。うちの商会が食料品や酒類、パンなどを貴族街に売ってはいるが、レシピといったものは貴族に雇われた料理人の秘伝みたいなもので、貴族ごとにまったく違う料理を出すから詳しくはわからん」

 

 なるほど……そりゃあ大金を出してレシピを買おうとするはずだよ。

 となるとレシピ本とか出したら多少高くても大ヒットしそう。むしろ安い平民でも作れるレシピ本を普及させて全体の底上げもしたいところだけど。

 

「貴族の街にも料理屋が無いとなると、ルッツの料理修行計画は難しいかもなあ」

 

 そもそも貴族街に料理店があっても、下町の大工の子であるルッツを雇ってくれるかは怪しいけれど。

 ギルド長が大きく頷いて告げる。

 

「それならばこうしないか? ルッツの見習い先はうちの料理人イルゼの弟子に」

「といいますと?」

「元々フリーダは貴族に預けなければ命が危うい身食いであった。そのため、貴族の家に入っても習慣で戸惑わないように幼少時から貴族と同等の生活を送らせようと、料理も貴族のレシピを仕入れて、貴族に雇われていた料理人であるイルゼを連れてきた。彼女の弟子という形で料理の手伝いをさせるのが一番腕が上達するだろう。望めば貴族の召し抱えになれるかもしれない」

 

 ふむ。なるほど。料理屋の見習いはお店がないから、個人の料理人の見習いってことか。

 ルッツの初期目標である商人とはちょっと離れるかわりに堅実さは増している。

 

「どうかな? ルッツ」

「……マインはどう思う? 悪くない話だと思うか?」

 

 いきなりすぎてルッツは想像がつかないようで難しそうな顔をしていた。

 

「わたしはいいと思うよ。料理の腕は磨けるし大きな屋敷だと礼儀作法も学べるだろうから。街の外に行く機会があるかはわからないけど」

「……ルッツは街の外に行きたいのか? オトマール商会はライゼガング伯領と大きな繋がりがあるから、作物の出来を確認したりで商会の者を行かせることもあるぞ」

「本当か!? じゃなくて……ですか!?」

 

 食料品を扱う商会だから小麦だとか香辛料だとか街じゃ生産できない商品を仕入れるから、専門の業者に任せるばかりではなく直接値段や豊作不作を調べに行かせることもあるらしい。

 案外ルッツの目標に一番近いのがこの商会だったかもしれない。

 イルゼは若干眉を顰めて、

 

「弟子、ですか……あんた、ルッツって言ったかい」

「はい」

「料理の経験は?」

「家の手伝いと……あと、マインに教えられたのを幾つか」

「マインのレシピをルッツに教えてるんですの!?」

「幾らでだ!? ……いやまさかタダでか!?」

「えええ……マ、マイン。お前に教わったやつ、なんなんだ?」

 

 凄い剣幕で二人に問い詰められるルッツは冷や汗を掻きながらわたしに聞いてきた。

 

「えーとね、外国の料理(便利な言葉だ……)を香霖堂で知って、作るのが大変だからルッツやその兄弟に作ってもらってたんだけど……あ、そうだ」

 

 先日、オットーから聞いた言葉を思い出した。ベンノなら店を買い取って料理屋を出してあげる、とまで彼は言っていたのだ。

 

「フリーダが新しく、わたしが本で覚えた料理を出すお店『イタリアンレストラン』や『スイーツ店』を経営してくれるなら、優先して料理のレシピも提供するよ? 有料だけど」

 

 レストランが無いなら作ってもらえばいい。わたしが食べたい料理を出してくれるお店ができるというのはありがたいことだった。

 多少は料理だって作れるけれど正直言って別に料理が好きなわけじゃない。いや、香霖堂に住み込んだらご飯とお味噌汁と焼き魚ぐらいはちゃんと毎日店主さんの分まで用意するけど。

 凝った料理を食べられるお店ができて通えるならそれでいい。持ち帰りでスイーツとかあればなお嬉しい。店主さんも招待できる。なんならルッツもそこで料理人の修行を積んでもいい。

 ギルド長とフリーダが顔を見合わせて、

 

「裕福な層に向けた高級レストラン……この街で初めての、唯一の店か」

「ほぼ貴族同様の料理が食べられるお店……そこで食事をすることでお金持ちの箔がつくという風にプレゼンをすることもできますわ」

「マインの解読した料理のレシピ次第だが、これは大きな事業になるぞ。オトマール商会の歴史に残る」

 

 とか話し合っている。わあ。大事になりそう。

 だけどここで話を進めて貰って、時々でも食べに来られるレストランと、レシピの代金が手に入ればありがたい。

 特にお金。なんでかというと、このままだとわたしは森に薪や食料拾いで毎日忙しくなってしまう。正直サボって本とか読みたい。でも、わたしがやらないと家族が迷惑をする。

 そこでお金で解決。薪や木の実、果物を毎日買っても大丈夫なぐらいの貯金があれば行かなくても済む。別に一家四人の食費全部を出すわけじゃなく、子供が出せる程度の負担になるはずだからそこまでの額ではない。

 

 大雑把に知っている代金で計算すると、軽くそこらの飲み屋でお酒二杯に腸詰め一皿の定番セットを頼むと大銅貨1枚の代金らしい。日本円だと1000円から1500円ぐらいかな? それぐらいを毎日生活費に出すとしよう。一ヶ月3万円ぐらいと考えると、10歳未満の幼女が家に入れる額じゃないけど、それぐらい実家に入れれば問題ないと思う。

 そして幾つレシピを売るかはわからないけど、最低でも大金貨1枚ぐらいは稼げるとする。カステラ代で既に稼いでる額だけど、他のも売ればまた入るだろう。

 すると、えーと1万日分の生活費に……あっ既にオーバーしまくってる!

 店主さんからサラッと渡された(貯金してるけど)額が大きすぎて確認する度になんか稼ぎすぎたような気分がしてならない。大金過ぎてまだ家族に話せてないし。そりゃあね、「ちょっと店主さんのお手伝いしたら父さんの給料100ヶ月分のお駄賃貰ってきたよ」って娘が言い出したら絶対まずい。

 とにかく、トゥーリに流されて森に行かされるところだったけど、わたしが行くべきところは市場な気がする。香霖堂とも近い。

 

 そんなことを考えているとフリーダとギルド長は何やら具体的な話まで進めているみたいだった。店の立地とか、色んな協会との折衝とか。洗礼式前なのにフリーダはかなり信頼されているみたいだ。

 するとイルゼがわたしに話しかけてくる。

 

「ちょっと」

「はい? どうしましたイルゼさん」

「ルッツを調理場に連れて行ってみていいかい? 試しに、その前に作ったってやつを作る技術を見てみようと思ってね。なにせ料理人でもない男ってのは、腸詰めの茹で方すら知らないってやつも珍しくないから確認のためさ」

「茹で方までって……どう失敗するんです?」

「水が少なすぎて空焚きになったり、多すぎて湯が湧く前に茹で終えたと思って取り出したり、面倒だから生で齧った挙げ句に腹を壊して死んだりする」

「うわあ……」

 

 常識的に考えて……と思うところだけど、自炊しない人ってのは信じられないぐらいわからないのが現代人にもいるからなあ。

 それにここで売っている腸詰めは非加熱の豚肉だったりするので、生では危なすぎる。

 ルッツが戸惑ったようにしているからわたしがアドバイスをする。

 

「簡単にパルゥケーキだったらルッツ一人でも焼けるんじゃない?」

「お、あれか。わかった」

 

 まだ茶菓子にパルゥクッキーが出たってことは、この家ではパルゥのおからをまだ保管しているってことだ。ルッツの家にあるのはこの前使い切ってしまったけれど。

 パルゥケーキはパルゥおからに卵と牛乳で簡単に作れるホットケーキみたいなものだ。ルッツに焼いてもらったこともあるし一人でも大丈夫だろう。

 これのレシピをイルゼの前に見せるわけだけど、まあ……ルッツの兄弟が既に覚えていることだし、ルッツが料理人見習いになる先行投資みたいなものだと思えば。お店で食べるってより家庭のお菓子って感じだしね。

 

「それでマイン、レストランの話を進めたいのだが……」

「あ、えーと……軽く提案しておいてなんですけど、これって結構大きな話になりますよね?」

「当然ですわ」

 

 店舗まで新しく作ろうってことになってるみたいだ。ちゃんとしたわたしの知識通りのレストランにするには、雇った料理人や内装、接客の方法、衛生の確保とか色々口出しもしないといけない。

 思いつきだったので今すぐにやるのは難しい。

 

「じゃあ一旦香霖堂に持ち帰って、店主さんとも相談して話し合いをしたいんですけど……香霖堂にある本が元の知識になるわけですから」

 

 困ったことがあったら話を持ち帰っていい、と店主さんに言われているのでそうすることにした。

 そもそもうっかりわたしだけで話を進めようとしたらどうなるだろうか。

 親の目がない子供……親というか店主さんだけど、保護者が居ないのをいいことに不利な契約をいつの間にかしてしまいかねない。或いは、完全にわたしをギルド長側に取り込んで、香霖堂の知識を引き出すスパイとしての活動を望まれるかもしれない。

 兎にも角にも、やり手の商人で謎の伝手と後ろ盾を持っていると思われている店主さんが同席することでそういったことはある程度防げるのではないだろうか。

 ……そもそもレシピ一つで大金貨が飛び交うのに、複数レシピやレストランの情報なんかを全部渡したらどれだけの額になるか想像もできない。少なくとも店主さんの庇護下にあるわたしが、話を通さずに儲けていいことではない。

 わたしの提案に、店主さんとの関係を考慮してそれもやむを得ないか、みたいな目配せを二人はした。見た目は美少女と白髪のおじさんなのに、性根がそっくりに思える。

 ただレストランとは別に、紙に関してはわたしが主体で話を進めていいことになっているけど。

 ルッツの見習い就職は上手くいきそうだし、折角ギルド長もいることだから紙作りについて話をしてみよう。店主さんが言うにはもう道具も幻想郷で揃ったらしいし、作りやすさの差はあるけどそもそも大体の植物で紙は作れるのだから、試作はまだだけど出来たようなものだ。

 

「レストランとは別に、これは既に店主さんと話をしているものなんですが……ギルド長、『紙』について興味はありませんか?」

 

 わたしはドーナツを入れてきた紙箱を改めて二人の目の前に出しながらそう告げた。

 

 

 

 ******

 

 

 

 紙という物質の存在にはギルド長は既に着目していた。色んなギルドの伝手を使って調べさせたけれど、布でもなければ皮でもない、樹皮のようななにかとしかわからなかったらしい。 

 わたしは店主さんに渡されているメモ帳を取り出して二人に捲って見せた。

 

「これが外国で作られている、紙を束ね合わせて細々としたことを書いて記録しておく『メモ帳』です」

「薄い! それに紙が真っ白だ!」

「何百枚ページがありますの? こ、これは幾らで売っているの?」

「ここでは店主さんの値付け次第ですけれど、外国では子供のお小遣いでも買えるんです……らしいです。本で読んだところ」

「ええええ!?」

 

 二人が驚愕して同じうめき声を上げた。

 まあ……子供のお小遣いとは基準が現代日本だから言い過ぎだけど。大学の司書課程を取る授業で学んだところ、メモに使えるノートみたいなのが日本で売り出されたのは明治頃。ビジネスマン向けのルーズリーフ式で、値段が現代で言うところ1万円以上はしたらしい。機械で紙を量産するようになっても結構高級品だった。

 

「この紙、生産してみませんか」

「作れるのか!?」

「幾らですの!?」

「て、店主さんが! 店主さんが作り方や道具を知ってるそうですから!」

 

 二人の勢いが凄い。ヒソヒソと相談してわたしが逃げないようにメイドさんを部屋の入り口に配置するのは怖いから止めて欲しい。

 とりあえず、わたしみたいな子供が作り方を知っているとなると無理やりにでも聞き出しそうなので店主さんを間に置く。店主さんも了解済みだ。嘘は言っていないしね。

 

「こほん。お二人もご存知かもしれないですけど、香霖堂には本が沢山置かれていますよね。あの本もすべてこの紙……便宜上、『植物紙』とでもいいますけど、これで出来ています」

「確かに本棚なんて見たのは初めてだったが……とすると、外国では本が安いのか」

「はい。この植物紙は羊皮紙に比べて低いコストで、量産が可能なんです」

 

 司書になるために羊皮紙の作り方も教わったことがあるけれど、道具さえあれば子供の工作で作れそうな植物紙に比べて恐ろしく手間が掛かる。

 羊の皮を破れないように剥いで、石灰水に数日漬け込んで毛を抜きナイフで両面を削って整え、また石灰水に数日漬け込んで、専用の器具で皮をパツンパツンに伸ばして、ナイフで破らないように削って薄くするとか、やれと言われても無理!って応える。

 この街でも店主さんが購入した羊皮紙の本は高い!って思ったけど、実際に中世ヨーロッパの頃でも本数冊で家が買えるぐらいの値段だった。

 

「でも実際にこの街で、紙を作ったり売り出したりするとなると色々問題が起こりますよね」

「うむ……製法は違えど用途は同じものだから、羊皮紙協会が間違いなく横槍を入れてくるだろう」

「契約書の作成に関して一手に握っている協会ですから、それによって利益を得ている貴族も使って事業自体を潰してくる可能性もありますわ」

「店主さんはそういうのが面倒だから売り出さなくても別に構わないとも思っているんです」

 

 本当に。そもそも、この中世ぐらいの文明レベルな街に、色んな便利な異世界の道具を持ち込んで商売をしているのだから、儲けようと思えばあっという間に一財産作れるはずだけれど、今日も香霖堂は閑古鳥が鳴いている。

 恐らく店主さんは半妖という長寿で食事もそこまで必要ない上に、やる気になれば本当に便利な魔法の道具まで作れるのだから、のんびりと道具に関して考察をしながら売らずに日々過ごしていても危機感もなにもないのだろう。

 

「いや、それはいかん」

 

 ギルド長が真剣な顔で言う。

 

「この植物紙はまさに、生産できるとなればエーレンフェスト全体の利益になる。是非とも話を進めたい。事業を行うにあたって起こる問題は、わしが全力で対応しよう」

 

 お、おう。思ったより乗り気というか、「金! 金がすべて! マイン? いい食い物」みたいな金の権化じゃなくて、凄い真剣味を帯びている。

 わたしの強張った表情を見たのか、ギルド長は柔らかな笑みを作った。

 

「なに、別に強権を使ってどうのこうのというわけではない。紙の生産に関しては羊皮紙協会を紙協会とでも名を変えさせ、そちらで行うようにすればよいのだ。ああ勿論、リンノスケにはどちらにせよ利益が行くから心配はいらない」

「おじい様、うちで作りませんの?」

「オトマール商会は食料品関係の協会に所属している。植物紙を作り、利益を独占するとなったらそれこそギルド長の強権を使って自分たちだけが儲かるようにしていると見られるだろう。それではいかん。レストランなどはともかく、だが」

 

 あれ!? 意外に物分りがいいっていうか、典型的な金の権化的イメージと違う! まともなこと言ってる!

 オットーが金の権化っていうから自分たちで独占販売しそうな感じだったのに。

 

「羊皮紙も契約書用に産業を残して、用途ごとに使い分ければいいかもしれないですね」

「用途……なるほどな。これまでは『紙を書類以外に使う』という発想すらなかったが、量産されればそういうことも可能になるわけか」

「例えば本は植物紙で作るとか、ですの?」

「ええと、他にも紙の使い方というと……あ、本で読んだんですけど」

 

 例えば提灯や行灯。雨には弱いが、風は遮ることができて蝋燭の明かりを持ち歩ける。

 例えばちり紙。品質が悪い紙を使って汚れを拭き取ったりする。実際わたしも欲しい。

 例えば型紙。服飾や木工などで材料ではなく紙で予め形を作ることで失敗を減らす。

 

 具体的な作り方は言わずにそういう用途で使われるというのを、本の知識という建前で話すと、ギルド長はわたしの両手を握った。

 

「マイン。フリーダの兄ダミアンの嫁にならないか?」

「お義姉様と呼ばなくてはならないかしら」

「ならないよ!?」

 

 知らない人だし! っていうか躊躇いなくフリーダも年下のわたしをお兄さんだかなんだかとの婚約認めようとしないでよ!

 そういった製品も重要だけど、本の大切さを問いて作ってもらわねばならない。

 

「何より素晴らしいことは、紙が作られて本が作られるようになると、そういった知識を記録して伝えることもできるんです」

「む、むう……わしらの感覚だと企業秘密とか秘伝とかそういうのが混じってそうだが、外国は知識をそうして広めているのか……」

「そういえばお聞きしたかったのですけれど、マイン。リンノスケさんは外国の方ですの?」

「どうしてそう思うの?」

「名前の響きも妙ですし、外国の商品を店に置いているのも普通なら不可能ですわ。貴族の、それも外国と関わりのある上級貴族がリンノスケさんを庇護しているとなると……」

「勝手にわしらが広めたら大変なことになるかもしれんな」

 

 外国といえば外国なんだけど、どうしてこの街にいるのかは店主さんでもまるで説明が付かない。

 後ろ盾の貴族なんてのも居ないと思う。聞いたことがないし、幻想郷の商品を扱うお店なんて普通じゃないものの後ろ盾になって放置している理由がない。

 

「あの……ところで、わたしも本で読んだだけで店主さんから話は聞いていないんですけど……外国ってどういう国が近くにあるんですか?」

 

 そもそも外国外国とわたしは便利に使ってるけど、具体的にどの国だよと突っ込まれたら困る。ただ文明が中世ぐらいなので、東方の遥か彼方に見知らぬ国があるとか……そういう嘘が通用しないとも限らない。

 ギルド長は顎に手をやりながら難しそうに言う。

 

「この国が貿易をしている唯一の国はアーレンスバッハ領の国境門より繋がる、ランツェナーヴェだ。ここから砂糖や香辛料を輸入している。だがどうもリンノスケはランツェナーヴェの人間とも違うようだ。この国は他国との国境を閉ざしているから貿易もかなり限定的なのだが……他の国からランツェナーヴェに入り、ランツェナーヴェからこの国にやってきたのではないか?」

 

 国境門?とか……なんかイメージがいまいちできないけど、どうやらこの国は鎖国?みたいなことをしてかなり他国との関わりが限定的らしい。

 そしてギルド長でも「名前もよくわからない外国がある」という情報しか持っていないようなので、下手な事は言わないように気をつけて誤魔化そう。

 

「よくわからないですけど、店主さんが黙っている以上はあまり深く追求しない方がいいかもしれません」

「そうだのう……」

「でも植物紙に関しては店主さんも別に広めていいって言ってたから大丈夫だと思います」

 

 紙は絶対に普及させたい。なにせ本の素だから。多少の困難だって乗り越えてでもやりたいことだ。儲けだって実のところ、香霖堂で暮らせるか、毎日お風呂に入ってご飯がそこそこ美味しくてレストランにたまに行けて本が読めればそれでいい。

 権利関係で偉い立場とかになったら忙しくて本が読めないだろう。今でさえ香霖堂に読むべき本や新聞がまだまだあるのに。アイデアなんて売るだけ売って必要なものは作ってもらうぐらいでいいのかもしれない。

 故にわたしはギルド長に言う。

 

「植物紙の更に先──印刷事業まで協力いただけるなら、植物紙の製法について契約しましょう」

 

 あ、勿論子供相手の契約とか怖いから、実際には店主さん同伴がいいだろう。利益だって店主さんが受け取って、わたしにお給料として振り込んでくれる形でも構わない。

 そう言ってたらルッツが焼いたパルゥケーキを持ってきたので、一息つくことにした。

 案件が多くて店主さんと相談が必要だと思う。相談できる味方の大人がいるってありがたいね!

 

 

 

 




霖之助という後ろ盾がいるとはいえ
ベンノに頼むよりギルド長に頼んだ方が圧倒的スムーズに話が上手くいきそうだと思った

・レストランも最初からギルド長にやらせようぜ!
・紙づくりは羊皮紙協会に製法教えて丸投げすればいいじゃん、は原作3巻書き下ろしのギルド長案。街全体の利益になるのを優先する。
・多分マインのアイデアを聞いたらいい感じにそれぞれの協会にぶん投げてくれると思う。インクとかも。流通も貴族への伝手がベンノ以上なので新しい物好きな貴族へと話を通してくれるはず。問題が減る。
・ギルド長もマインも超囲い込みたいけど、霖之助の後ろ盾が謎すぎて尻込み。
・恐らくアーレンスバッハの貴族の誰かだと考えているが、色々と政変でヤバい領地なので怖い
・大金稼がなくても死なない+香霖堂に住みたい+もう読むべき本があるのであんなに銭ゲバだったマインちゃんも、そこそこの儲けで妥協しようとしている
・この世界、外国は謎が多い……

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