本好きと香霖堂~本があるので下剋上しません~   作:左道

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28話『紙作り開始超順調』

 

 

 <マイン>

 

 

 すったもんだの交渉をわたしがあれこれ提案したのだけど、結局やるべきことが渋滞を起こしたので店主さんに頼んだ。

 そうすると店主さんが順番立てて、まずは紙作りをすることになった。紙ができれば指示書だの仮契約書だのレシピ書きだのがスムーズに進むので、それ以降の事業に役立つということらしい。

 普段から紙のマニュアルとかがある生活をしていたわたしからすれば、なるほどって感じだ。契約書だって羊皮紙一枚でとんでもない値段になるので、紙の書類で予め確認をしてから本契約とかした方が便利だろうと思う。

 というわけで、紙作り。

 具体的にはわたしと店主さんが試作品を作ってギルド長に提出。品質の確認をしてから契約、ギルド長と紙協会の偉い人、それぞれの作業を分担した職人にやり方を実際見せて教える。

 紙作りの作業は全部を同じ人がやる工程でもできるんだけど、大量に作るとなると工程を二つか三つに分けた方がやることが単純でわかりやすいだろう。

 

「というわけで店主さん、よろしくお願いします!」

「君もやるんだよ」

「も、勿論ですよ!」

 

 わたしは片手に持っていた本をさっと背中に回してそうやる気をアピールした。

 この日は朝から香霖堂に来て作業をすることになっている。家族みんなも納得しているんだけど結構儲かるお仕事になる、というのは説明したけどピンと来てない様子だった。

 精々が「世話になった店主さんのお手伝い偉いね」とかそういう感じだ。

 ちなみにルッツはギルド長お抱え料理人の見習い、という仕事先に合格したようで(イルゼもまあ大丈夫だろうと認めたみたい)、今朝送ってもらうときに聞いたら家族みんなが目を丸くしていたって言っていた。

 いやまあ……下町の中でも貧しい方の大工の四男が、突然料理人とはいえ街で一番裕福な商人の下で働くことになったら疑わしいものもあると思うけど。でも実際ルッツは真面目だし器用だからやらせてみれば料理も得意になると思う。

 あとルッツは地味ーに料理人にあっている才能として、状態の変化に対して気づきやすい……と、思う。トゥーリとかが体調悪そうだったらわたしでも気づかないのにすぐ気づくし。ケーキを焼かせたら適度な焼き加減を見てわかるみたいで、焦げさせることがない。ルッツのお兄ちゃんたちはすぐ焦がすのに。正確なタイマーもないこの世界だと料理では役立つ技能だ。

 

 それはそうと、今日はとにかく紙作り。一日で全部できるわけじゃないんだけど、やってみよう。

 

「とりあえず紙の原料として材木屋から幾つか木を購入してみた。まあ、極端な話をすればどんな樹木でも作れるのだが、和紙に使われるものと似た性質の木を選んだ」

「似た性質の木?」

「冬に葉が落ちて、それほど大きくならない木だね。繊維が柔らかいものが多いから」

 

 ほ、ほほう。いや、コウゾとか使うのは知っていたけど、実際わたしは木の種類なんてあんまり詳しくないのでなるほどとしか言えない。 

 薪みたいに並べられた中にどこかで見たような木もあった。

 

「えーと……あ、これにょきにょっ木!」

「トロンベ、という魔木の一種だ。これは相当に硬いのだけれど、若い部分はしなやかで材料として使える……そして割と余らせている」

「そんなに取れましたっけ?」

「幻想郷に実を持ち込んだのだが、妖怪によって大量に発芽させられてしまってね。どうにかアリスも協力して伐採したのだが、必要以上に集まってしまった」

 

 一部は材木やマジックアイテムの材料として売れたけど、量が非常に多いため残ったのだそうだ。

 非常に燃えにくい性質もあるので薪にもしづらく、固くて加工が大変だから人里の職人もそれほど数を買わなかったのだとか。

 

「原料となる木材を蒸し器に入れて蒸す。材料が多いから風呂釜を使おう」

「うわ。お風呂が大きな蒸し器に……」

「この前みたいにマインくんが蒸されないようにしてくれたまえ」

 

 わたしがすっぽり入っても余裕な大きさをしている蒸し器は、お風呂の桶を改造したものだった。とはいっても木の簀子を幾らか取り付けた簡易的なものだけど。

 

「蒸す時間は1時間半から2時間程度……が、コウゾが材料な場合。よくわからないけどそれを基準にしてみよう」

「こっちの世界の人に説明しやすいように、鐘が一つ鳴る間ってことでどうでしょうか」

「ああ、それがいいかも知れないね」

 

 エーレンフェストでは1の鐘から7の鐘まで一日七回鳴って時間を教える。

 一番最初の1の鐘から2の鐘、最後の6の鐘から7の鐘が少し間隔が長い気がするけど、それ以外だと大体2時間ごとに鳴る。

 イメージ的には、2の鐘が仕事始まりを告げるから7時~8時頃。3の鐘が9時~10時頃。4の鐘は正午を告げるので12時。5の鐘が市場の終わりで14時~15時。6の鐘が閉門の合図で17時~18時ぐらい?

 微妙に一時間程度のズレがあるのは、きっと時計によってきっちり決められた時間じゃなくて季節ごとの太陽の傾きなんかで時間の合図をするから変わってくるんだろうと思う。昔はそうだったって本で読んだ。だからこの街の時間に慣れているルッツなんか、太陽の傾きをちらっと見ただけでだいたい次の鐘までどれぐらいかがわかる。わたしはさっぱりわからない。

 

 蒸し器に材料をセットして釜にわたしの八卦炉を入れる。火力を薪程度に調整。大火力で蒸し上げると時短になるかもしれないけど、実際に作るのは魔法の無い職人さんだから薪を想定しておかないと。

 

「それじゃあ僕は店の方にいるから、マインくんはそこで待機していてくれ」

「はい!」

 

 元気よく返事をするわたしの手には……貸本屋鈴奈庵の目録と、電子書籍リーダーと、スポーツドリンク。

 スポドリはこの前みたいに蒸されて倒れないように作った。材料は水と幻想郷の砂糖大さじと塩小さじにコルデの果汁。スポドリって水分補給に便利で、下痢とか発汗で脱水症状になる人への特効薬になるから商品にならないかな。問題はエーレンフェストの砂糖が高すぎることだけど。同じ重さの金と同じ値段……とまでは言わないけど、銀と同じ値段ぐらいするみたい。スポドリぐらいでも銀粒を飲むようなものなので作れるのはギルド長ぐらいの大店で、高級品になると思う。でも今度レシピを売ってみよう。

 蒸されている釜の番をしながら本を読みつつスポドリを満喫! 素晴らしい仕事だ……

 浴室の窓も開けているので今度は大丈夫なはず。電子書籍を見る前に、幻想郷の貸本屋の目録に目を遠そう。うわあ沢山あるなあ……公立高校の図書室ぐらい蔵書量がありそうだ。うふふ。ワクワクが止まらない。幻想郷の子になりたい。

 

 説明の際には鐘一つ分というけど、香霖堂には時計もあるので約二時間ぐらいで店主さんが戻ってきた。

 

「見てみるか」

 

 と、蒸し器の蓋を開けて材料を確認。まあ大丈夫だろうということで皮を剥くことにした。

 

「あちちちち」

「マインくんは水に漬けて剥きなさい」

 

 お風呂場に座って並び、木の皮を剥いていく。乾く前に剥ききらないと皮がまた張り付いてしまう。

 店主さんはスルスルと熱いままの木から皮を剥いでいく。初めての作業なんだろうけど手慣れているし躊躇いがない。手も結構ゴツゴツと、なんか職人の手みたいな硬そうな皮膚をしていて頼もしかった。

 わたしは桶に入れた水で一旦軽く冷やしてから皮を剥きとる。黙々と二人で皮を剥くだけ剥く。

 

「次に剥いたこの黒皮を乾燥させるんですけど……」

「ふむ……」

「どうしました?」

「時間が掛かるから簡略化しよう」

「えええ……大丈夫ですか?」

 

 いきなり手順をスキップしようとする店主さんに半眼で聞いた。この人、性根が面倒くさがりなところあるよね。

 

「いや、干してもいいんだがね。というか一部は干しておく。だが、干す作業というのは大量に作った黒皮を一度には使い切れないため、保存性を高めるのが目的だからね。すぐさま皮引きをするのならやらなくても大丈夫ではないだろうか」

「うーん……確かに、干して乾燥させた黒皮を水に浸してまたぶよぶよに戻す作業を考えると何やってるんだろう感がしないでもないですけど」

「多少は干して保存する目安として残しておくとして、皮引きの作業に移ろう」

 

 というわけで皮干しを省略。わたし達は黒皮の表面をナイフで削って白い内側の皮だけにさせる皮引き作業を行う。

 ちまちまとした作業だけど体力をそれほど使うわけでもないし、紙へ向かって進んでいる感があって楽しい。まあこれも、店主さんの方がわたしより明らかに器用にやってるんだけど……

 白くなるまで削った皮を水で晒して洗う。削り残しとか汚れとかも取る。結構な種類の材料があるから手分けしてやった。剥いた後でわからなくならないように、タグをつけたザルに並べておく。

 そして今度はアルカリ水溶液で煮る。

 

「街で普通に売られている木灰を使おう。ベンノから聞いた店で買ったから、染め物や洗濯に使われている材料なので性質は問題ないはずだ」

「なるべくこの街で手に入る材料で、ですね」

「そういうことだ」

 

 そしてまたアルカリ水溶液で煮ること……これもキリよく鐘一つにしておこうかな。

 なにせ素材も違うしアルカリの濃度もどうかわからないような手探り感だと、本に書かれている通りの時間は目安程度のものだ。

 色んな種類の材料が混ざらないようにこの作業は素材ごとに鍋を分ける。お風呂場で一つ、台所で二つの鍋で一気に三種類の材料を煮ることにした。

 煮込む間に、黒皮のまま干す分をお店の奥の方へぶら下げておく。お風呂場だと湿気が強くてカビる可能性があった。

 待つ間再びの読書タイム……の前にお昼ごはんを食べさせられた。

 

「肉じゃが! ご飯! お味噌汁! やったー!!」

 

 美味しい! 和食サイコー! 家の食事を改善しようと頑張ってるけど、なんかこう、普通に美味しい香霖堂のご飯食べてると味の諦めがつかなくなって中途半端に改善してもそこまで美味しく感じないのは困ってるけれど。ただ家族のみんなは、わたしが料理に関わるようになってえらく美味しくなったと褒めてはくれる。

 店主さんは男性にしては控えめな量のご飯を食べながらつぶやく。

 

「実は調味料以外、エーレンフェスト産の肉じゃがなんだ」

「え? あっホントだ。カルフェ芋にメーレン(人参っぽい)とラニーエ(玉ねぎっぽい)かな……でも美味しい……うっ……故郷の味……これ店主さんが作ったんですか?」

「いや、アリスが」

「お嫁さんか」

「違うが」

 

 思わず素でツッコんだけど真顔で否定された。絶対違うぞ!って感じじゃなくて「なんで?」みたいな全然気のない顔で。まあこの人……長生きしてるらしいから恋愛観とか普通の人と違うんだろう。アリスさんがどう思っているかは不明だけど。でも嫌いな相手の家で肉じゃがを作る人はそう居ないと思う。最低でもすごい親しみは持たれているんだろうな。

 香霖堂が、適当に集まるのに丁度いいから色んな人がやってきては料理とか食べたりしてる集会所である可能性もあるけど。

 

 食事を終えてお皿を片付け、丁寧に洗った。そこまで脂っこい料理じゃないのでお皿も汚れておらず簡単だ。

 皮煮込みの作業に戻って、三箇所の鍋を行き来しながら店主さんから借りた竹べらで鍋の中を混ぜる。ブヨブヨとした塊になってきた。そろそろいいかな?

 わたしが持つには鍋が大きくて危ないので、店主さんがザルで濾して桶の水に晒す。

 ここから手分けの作業だ。わたしは桶の水に入れたブヨブヨの原料を洗って染み込んだ灰とアルカリ成分を抜きつつ、チリなんかの不純物を指で取り除く。水は三回ぐらいは換える必要があるだろう。とにかく水が沢山いるなあ。工房は川の側に作ったほうがいいってアドバイスが必要かもしれない。

 その間に店主さんはまた次の素材を灰汁で煮る。一度使った灰汁は、前に煮た木の成分や色が抜け出て再利用すると色が悪くなる可能性もあるので捨てる。排水溝に流れていくけど……まあ、工業用アルカリ水溶液と違って木灰の汁はそこまで害が無いから大丈夫だろうと思う。畑に撒くところもあるぐらいだし。

 

 そして二回目の灰汁抜き、チリよりも終えて今日の作業はここまでになった。

 

「こうして出来た白皮を、太陽光に晒すと漂白されるって書いてるんですけど……今日はもう夕方だから、丸一日干すとして明後日に作業の続きになります?」

「いや、明日でいいよ。幻想郷での昼間に干しておくから」

「特殊な時短だなあ」

 

 このお店で干し肉とか作ったら通常の半分の日数で作れるってことになるんだろうか……食料なんかも一日早く傷むと考えると注意が必要かも。

 

「ところでマインくんは何故、灰汁で煮たものを日干しすると漂白されると思う?」

「え? ……か、化学変化……とかですかね?」

 

 店主さんの質問に首を傾げた。

 むしろわたしからすれば、日に焼けた本は茶色が濃くなるので保管の天敵であるという意識が強いため、原理とかはあまり考えなかったのだけれど。

 だけど彼はキラリと眼鏡を光らせて雄弁に語りだす。長くなるぞ……!

 

「古来より水や灰汁、或いは塩水で晒したものを日干しして漂白する行為は行われていたのだが、恐らくこれは太陽を利用した穢れ払いによって物体を白くしているのではないか、と考えられる。言わずと知れた太陽神である天照大神だが、大祓の儀式に次のようなものが見られる。読書家であるマインくんならご存知かもしれないが『古事記』に『我が御魂を船の上に坐せて、真木の灰を瓠に納れ、また箸と葉盤を多に作りて、皆皆大海に散らし浮けて度りますべし』とあるだろう?」

「え、えーと……ちゅ、仲哀天皇の記述でしたっけ?」

 

 うろ覚え! いや合ってるかな? 古事記は読んだことあるけど、そんなピンポイントに言われても……

 

「そう、さすがだね。ここではつまり住吉三神の加護を得て海を渡るための儀式だが、『マキの灰をヒサゴに入れて』海に撒くという手順が記されている。そしてこれは天照大神の意志であるという前置きもある。住吉三神は言わずと知れたイザナギが穢れを落として生まれた神であり、海神でもある。海は穢れを流せば清められる水であったというのだね。その水に漂う穢れを清め白くするのが太陽光、すなわち大神だ。漂白する、とは海に漂流して白くなった状態を指す。これは流れ着いた白骨が穢れの落ちた状態だと昔の人が思ったのだろう。日本では昔から白骨というのはどちらかと言うとコミカルな存在として怪談というより笑い話によく登場するように、恨みも魂魄も清められた物体だとされていたのだね。そういった儀式は海水、真水、灰汁で物質を煮て穢れを落とし白く清めるという神事でありながら生活に役立つ手法として伝わっていたのではないだろうか。そもそも盛り塩や振り塩で穢れを落とすという風習も、大陸の皇帝の牛車を止める際の盛り塩から来たのではなく塩自体が儀式に使われることと白色をしているから穢れを移すことができる性質を持つと考えられ、実際海沿いでは塩の代わりに灰を撒く習慣がある地域もある。ここで注目したいのが印度の地では悪霊の呪い即ち穢れの概念を古着に移すというまじないが行われているということだが、つまり古着を漂白して浄化するという行為の一致が──」

「な、なるほどー!」

 

 な、長い……

 とりあえず頼んでいるルッツが迎えに来てくれるまでこの日は店主さんの話に付き合ったり、本を読んで過ごした。お客さん? 来なかったよ?

 

 

 

 *****

 

 

 

 翌日。ルッツに連れられて香霖堂へ向かった。ルッツは朝に子供たちを連れて森へ行き、荷物を門に預けてわたしを送りに走って戻ってくる。元気だ……

 

「一応チビたちは誘拐犯が出たってことで年長が見ててやらないといけないからな」

「ルッツは一人で行動してるけど大丈夫なの?」

「俺を攫うヤツはそうそう居ないだろ」

 

 まあ……見るからに貧しそうな身なりをしている。ついでに活発で行動的だから、うっかり攫うのに失敗したら逃げたり大声で助けを呼んだりもできる。笛だって持ってる。誘拐犯がなに目的でも、ルッツは狙わないかなーってのはわかる。顔は結構かわいいけどね! ルッツ。

 勿論送り迎えにもお駄賃が出てる。わたしのお財布からね。ただルッツも現金で銅貨を持っていると兄弟から奪われかねないので、香霖堂貯金をしていた。 

 

「ところでマイン何やってるんだ? あの店で」

「えーと紙作りで……ごめんね、新商品開発だから製法が秘密で、ルッツも手伝わせられないんだ」

「いや、別にいいんだけどそれは。そういうのの製法が人に教えちゃいけないってのはイルゼさんにまず教えられたからな」

 

 ルッツが就職活動失敗したなら紙作りも手伝わせて、こっちの仕事をやってもらうこともあったかもしれないけど。

 上手いことギルド長の料理人の弟子って立場になれたんだからそっちを頑張ってほしいよね。

 

「そういえば家族はまだ信じてないの? ルッツの仕事先」

「いや、なんか親父の方にギルド長から連絡がいったみたいで……大分決まるの早いらしいけどな、まだ来年にならないと見習いになれないのに」

 

 ……あれだな。多分途中で気が変わったとか、他所に引き抜かれないように根回しをしているんだろうな。

 無条件でわたしがルッツに色んなレシピを教えているわけではないんだけど、少なくともわたしと仲がいいルッツを手元に置いておくことでギルド長との繋がりができるみたいな。

 まあ勿論、ルッツがそこらの子供よりも真面目で手先も器用で根気もあるから、仕事上きっと役立つようになるんだけど。

 

「それで兄弟も認めてくれた?」

「いんや、いいところでメシ作りするならなんか奢れ、持って帰ってこいって騒いで面倒くさい」

「ああ……食べざかりの男兄弟だもんね」

 

 下町の大工の子供で、いつもみんな腹を空かせているような(出されるご飯が少ないんじゃなくて消費が大きいんだろうと思う)環境なのに、一人だけリッチな家の下働きに出れるとなればきっとそこで食べられる賄いだって、皆は食べられるグレードじゃないんだろうな。

 そもそもギルド長の家で出される白パンなんかこっちで食べてる人居ないと思う。

 

「まあ親父に殴られてたけど。『お前らが見習い先から余ってたからって材料ちょろまかしたらどうなるか想像してみろ!』って感じで」

「あはは」

「家も窮屈だからいっそ住み込みで雇って貰えねえかなあ……」

「おお……独立心が」

 

 いったいこの街だと、幾つから男性は一人暮らしを始めるのかわたしはよく知らないのだけれど。

 ただ15歳で成人らしいので大雑把にそれ以降出ていくとしても、それぐらいの時期になったらルッツの家は男子中学生が三人に大きめな両親の五人で住むとなると、うちとそう間取りの変わらない家だと狭いことこの上ない。

 

 ちなみにどうやら父さんや母さんの話によると、見習いで住み込みというのは最悪な生活環境というのが常識で、余程の事情が無いと出さないらしい。

 何故かって言うとまず十歳未満の子供が、自分の生活に関わる家事全てこなさないといけないのが大変だそうだ。住む場所も5~6階建ての店の屋根裏とかで、屋根裏に鶏を飼っているところも多く、臭くてやかましくて不潔。煮炊きの竈は無く、そうなれば外食をなけなしのお給料で買ってこないと食べられない。或いは食費を払ってお店の人に分けて貰うか。家族じゃないんだから面倒は見てくれないのだ。それでいて仕事はこなさないといけない。

 うわあ……これは本でも無いと無理だ……本があればできる……香霖堂なら可。ただ『下町でも割と下の方の人が住み込むお店』の例であって、ギルド長のところだとまた違うのかもしれないけどね。いやだって鳥とか飼ってないでしょ多分。

 まあ香霖堂だと見たところ屋根裏も綺麗に掃除されているし全然泊まれるんだけどね。

 

「ルッツは何でも卒なくこなすからねえ……一人暮らしを始めてもササッと慣れそう」

 

 なにせ料理の練習、と称して我が家の竈でやってみたんだけど。ルッツ、ハンバーグ捏ねて空気抜いてうまい具合に焼いて!って指示したら三つ目ぐらいでほぼ成功するし。料理人なら調理場の掃除も大事だよ!ってやらせてみたら丁寧に綺麗にするし。エプロン(とついでにわたしの家の洗濯物)洗うのも下っ端のしごとだよ!って言ったら手際よくするし。

 一人暮らしをやったら多少苦労するだろうけど、一週間ぐらいで普通に仕事と家事両立してそう。それぐらい真面目な少年なのだ。近所基準でも珍しいぐらい。

 ルッツは軽い笑みを作って肩をすくめながら言う。

 

「まだ全然先の話だけどな。マインは? あの店に住むとかなんとか言ってなかったか?」

「住みたいけど……父さんが許さないだろうなあ。せめて成人まではって」

 

 日本だと今どき古いなんて言われる、一家の主である父親が家族のことを決めるなんてのは多分この世界ぐらいの文化だと常識だろう。それはたとえ、わたしが父さんの百倍ぐらい稼いだとしても変わらないのだ。

 家族の絆を全部ブッチして逃げるという方法も無いではないけど、それをしてやることは同じ街にある店に住み込む程度なら、体を鍛えて毎朝一人で店まで通えるようになる方が穏やかな解決法というものだ。

 ……この妥協するのに随分悩みまくったけどね。

 

「それじゃマイン、頑張れよ」

「あ、ルッツ待って。通帳作ったから確認していって」

 

 香霖堂の前までついて別れようとするルッツを呼び止める。忘れたらいけないし、お金の勘定で誤魔化しがあったかもとお互いに信頼を損ねることになったらいけない。ということで、ルッツに支払う賃金も含めて店主さんに預けているお金を通帳として残すことにした。木の板に傷で書く簡易的なものだけど。

 ……ちなみにわたしは既に商業ギルドに仮登録したカードを持っていて、預金の大部分はそっちに入っている。

 ドアベルの音を立ててお店に入ると、店主さんは座りながら万年筆を手に眺めていた。 

 

「おはようございます! ……どうしたんですか?」

「ああ、いらっしゃい。ちょっと検品をね」

 

 近づいてよく見るとその万年筆は精緻な模様が刻まれたシックな色合いの、高そうな代物だった。

 本好きで本に文字を書くための道具にも興味があったからなんとなく見覚えがある。確か国産の、十万円ぐらいする高級万年筆だったと思う。とても大学生が買うようなものではなかったので手に持ったことはないけど。

 

「これは?」

「昨日、向こうの方では天気が悪くて日干しができなかったのだが……通りすがりで太陽の力を持つ妖怪がいて、仕事を頼んだのだよ。彼女から、主と友人にプレゼントの品が欲しいと言われたので用意していたところだ。主の方は執筆が趣味らしいので筆を。友人の方は荷車をよく使うというので、この『空力向上アルミテープ』でいいだろう。用途は貼ると走りがよくなるらしい。体感的に」

「に、荷車にアルミテープですか……」

 

 それって自動車に貼るオカルトグッズとか言われてたやつじゃ……いや、幻想郷だからオカルトでもいいのかな?

 ま、まあ店主さんの商売はさておき。

 

「今日もルッツにお金振り込みますから通帳お願いします」

「ああ、どうぞ」

 

 店主さんが木札を渡してくる。別にメモ帳とか使って紙の通帳作ってもよかったんだけど、今から紙を作って売り出そうとしてるのにそんな物をポンと渡すわけにもいかない。

 もっと言えばルッツもわたしや店主さんが持っているような商業ギルドのカードがあれば金銭のやり取り便利そう。あのクレジットカードをもっと便利にしたような道具、もっと普及しても良さそうなものだけれど、一応は魔法の道具なので量産は効かないのだそうだ。わたしのような子供に渡すことがかなりの異例だとか。

 ともあれ札にナイフでガリガリと日付と金額を刻んでルッツに確認してもらう。

 ルッツが難しげにそれを見て言葉に出した。

 

「えーとこれが今日の日付だよな。土の週、実の日、大銅貨21枚・中銅貨5枚・小銅貨7枚……」

「うんうん。ちゃんと読めてるね。ルッツは覚えが早い」

「商人でも料理人でも読み書きは必要だっていうからな」

 

 わたしが合間に、使うことが多い単語から教えているんだけどルッツの学習力は意外と凄い才能というか、真剣に覚えようとしている結果である。

 同じようにトゥーリに教えても次に聞いたときは忘れてるけど、ルッツは覚えている。トゥーリが言うには仕事が忙しくて忘れてしまう、ルッツが言うには手が空いたときに思い返して文字をなぞったりしている、とのこと。意欲高い……

 一回の送り迎えでわたしが支払う金額は大銅貨1枚。端数が出ているのは、引き下ろしてルッツがそこらで買い食いしたためだ。

 

「……うちの兄貴より稼いでるな、俺。バレたらマインの送り迎えの仕事取られそうだ」

 

 ちなみに大銅貨はざっと1000円ぐらいって感じなんだけど、見習いの子供が月に稼げるのは大銅貨8枚から10枚ぐらいだ。見習いの仕事は月の半分(17日ぐらい)しか無いとはいえお小遣い程度の賃金なので、10日もわたしを送り迎えすれば稼げる仕事は破格のようだった。

 ……1日1時間ぐらいのこれを月35日毎日やるとしたら稼げる額は大銅貨35枚。門番で毎日平均10時間ぐらい働いている父さんの給与の35%にもなるとか冷静に考えたらいけない気がするけど。でもこれでルッツにお金を渡す程度じゃ全然わたしの貯金減っていかないんだよね。

 

「わたしもルッツがやってくれた方が慣れてるから助かるなあ……だから秘密にしておこうか」

「おう。それじゃ、森での仕事終わったら寄る」

 

 そう言ってルッツは軽快な足取りでまた南門へと向かって走っていった。元気だ……そして仕事熱心だ。わたしなんて森での仕事嫌だから、薪とか果物とか買って帰ろうと思っているぐらいなのに。

 

「さて、マインくん。紙作りを再開しようか」

「はい!」

 

 森で仕事をしないためにも、香霖堂で仕事をしてお金を稼がないと。ふんす、とわたしは腕まくりをした。

 

 

 *****

 

 

 作業は台所で行っている。

 干されて白くなった皮を改めて不純物が入っていないか塵取りをする。流れ作業のようにわたしが塵を取った白皮を、店主さんが叩いて潰す。ここの木材で作った角棒だ。

 店主さんも服に飛び散ったら困るようで着物を脱いで黒い肌着姿になっている。背は高いけど細そうな印象の店主さんだけど、脱ぐと結構筋肉質で角棒を持つ腕とかたくましい。少女向け小説ジャンルで人気の細マッチョというやつだろうか。ううむ、眼鏡のインドア系と思いきや、そういう姿も似合っている。

 しかし店主さんは疲れる様子もなく、リズムよくガンガン叩いて白皮の繊維をほぐしていくけど、これわたしが一人でやるとなるとくじける力仕事だろうな。

 叩きほぐされた繊維をそれぞれ種類ごとに分けた桶に入れていく。桶妖怪さんが置いていった桶が余っていたそうだ。それに特製のトロロと水を入れて混ぜる。店主さんは小さめの漉き舟を用意して水を張った。

 

「うわ。よくそんな丁度いいサイズがありましたね。ちょっと紙を試作するのにいいぐらいの。馬鍬まで」

「木材が余っていたから作ったんだ。大量生産するには分量なども変わってくるが、それぐらいは向こうに研究させてもいいだろう」

 

 わたしの仕事を手伝ってくれるために、自分でいい感じの用意してくれた。平伏しそう。

 馬鍬というのは漉き舟に入れた紙料(ほぐした繊維とトロロを混ぜたもの)と水を混ぜ合わせる専用の道具で、見たことはあるんだけど作れとか説明して誰かに作ってもらえとかいうとちょっと難しいやつ。箸か何かで混ぜようかと思ってたけど、便利な道具が登場した。

 漉き舟はさすがに一つしかないので、二人で様子を見ながら混ぜ合わせた。

 

「薄い紙ほどトロロの量を増やし、厚い紙は減らすとあるがどうする?」

「うーん……試作品なのでとりあえず厚めで作りましょうか。失敗しにくいですから」

 

 紙を薄くする作業なんかは業務を委託してからアドバイスとして教えればいい。自分で何でもかんでも作っていたら大変だ。

 しかしこれで、ようやく牛乳パックで再生紙を作ったときと同じぐらい作業は進んだ。

 

 ──カラン、カラン。

 

「おや? お客かな」

「珍しいですね」

「……」

「じょ、冗談ですよ店主さん。ええと、紙漉きの作業はやったことがありますからわたしがやりますので!」

 

 どんよりとした目で見られたので慌てて取り繕う。店主さんは上着を羽織ってお店へと出ていった。

 さあて、舟水を簀桁に入れて、均等に均すように動かす。うんうん。紙ちゃんが出来上がっていってるみたいでちょっと楽しい。簀桁のサイズはあまり大きいと大変だし、香霖堂の店内で作るには狭いからわたしでも持てるサイズだ。数種類の材料からA4ぐらいの紙を作れる。

 丁寧に……丁寧に……チラッ(電子書籍を見る)……片手で均せばもう片方の手で本が読める……

 

「なに!? もう出来たのか!?」

 

 ビクゥ! あっしまっ大きな声に驚いて電子書籍リーダーが──

 

「あああああ!!!」

 

 ぼしゃんと漉き舟の中に入ってしまった。

 

「いやああああああ!!!」

「マインくん!?」

「本がああああああ電子データがあああああ!!」

 

 ……慌てて作業場に戻ってきた店主さんは、落ちた電子書籍を拾おうとして簀桁をうっかりひっくり返しずぶ濡れになっているわたしを目撃した。

 

 

 *****

 

 

 電子書籍はよく拭いて乾かしたら大丈夫でした。よかったぁー。

 

 簀桁をひっくり返した後はとりあえず肌がかぶれるからというので店主さんにお風呂に入るように命じられた。うわあ……店主さんの目線が、呆れているとか怒っているとか冷たいとかそういうのじゃなくて、転んで泥だらけになった幼児を見る保護者の顔だった……心は二十代なのにわたし情けなさすぎない?

 大きな声を出したのは店に来ていたベンノ。二日前に頼んだアリスさんの衣服がもう完成したらしい。別の街にいる職人に発注をかけた(と、ベンノは認識している)服がもう届いているというのは確かに驚きだろう。

 とりあえずお風呂にゆっくり浸かるわけにもいかないので、八卦炉で桶数個分のお湯を沸かしてザバーっと体を流して上がることにした。だって仕事中だから。自分のミスで中断したのに、のんびりはしていられない。

 着替えはかなり小さいメイド服が置かれていた。ヘッドドレスもある。髪の毛が濡れてるから纏めるのに使わせてもらおう。

 

「お騒がせしました……」

 

 お店に顔を出すとベンノがギラついた目で女性服を眺め回している。怖っ。いや服屋の旦那だから真剣なんだろうけど。

 そして飢えたハゲタカみたいな鋭い視線をこちらに向ける。

 

「メイド服……」

「こ、これはなんの変哲もないメイド服ですよ? メイドさん居ますし」

「いや、問題ない。見たところこれまでの服の応用で作れそうだ」

「作るんですか」

「大枚はたいて新しい服を買ってるんだ。バリエーションで儲けを出すのは当然だろう」

 

 まあ確かに、最初に買っていった魔理沙さんの古着はエプロンドレスのメイドっぽい格好だけど。 

 

「ところで嬢ちゃん。ジジイに儲け話を売り込んでいるようだが、服飾系に関しては俺が買い取るぞ」

「え? 服飾系の……儲け話ですか?」

「なにせここの旦那は口が堅い。儲けたいんだか儲けたくないんだか……」

 

 店主さんは座ったまま溜息をついて、わたしに好きにしなさいとでも言わんばかりに視線を送った。儲けたくないわけじゃないんだけど、知識を売る商売はそこまでやる気が出ないという状態の商売人をなんと表現すればいいだろうか。偏屈とかでいいかもしれない。

 でも服飾品かー……正直、多少は縫い物ができるだけでそこまで得意じゃないし、明らかに服作りに関しては店主さんやアリスさんが上位にいる。となるとアイデア商品みたいなの……

 

「……そういえばベンノさん、ここって『ハンガー』とかあります?」

「服を吊るす道具か? あるぞ」

「それってどういう形ですか?」

「十字に棒を組み合わせたものだが……」

 

 なるほどなるほど。わたしは店の奥に戻って、さっきメイド服が掛けられていた、現代日本でもよく見る形の木製ハンガーを持ってきた。

 

「こういうハンガーって売り物になりませんか?」

「むっ! これは……肩の形を木組みで再現しているのか。確かにこれに吊るせば生地も傷みにくくなるし、見栄えも良い……それに簡単に量産が出来る。よし! 買った!」

 

 用意していたのか契約書を取り出して作成・販売権の譲渡で話を詰めて書き記す。

 それにしてもここの商人は本当に契約書が多い。

 

「あのー……疑問なんですけど、このハンガーってまあ言ってみればこういう形にしただけ、みたいなもので見てコピーできますよね」

「そうだな」

「例えばわたしと契約しないで、ベンノさんが店に戻ってから自分で作って売り出し、あたかも自分が発明したように広める……という方法は取らないんですか?」

 

 イカサマっていうかパクリっていうか、まああまり良くない方法だけれど。

 

「大雑把に言うと『非常に面倒くさいことになる可能性があるからやらない』だ。むしろこうしてハンガーの販売権を誰それから正式に譲渡された、という書類が残る方が後追いの業者も居なくなって利益が望める。この街の商人は商売を始める前に、自分の売る商品が誰かの専売を侵していないかギルドに保管されている契約書一覧を目に通す必要があるぐらいだ。俺もこの街でその形のハンガーは一切売られていないと知っているからこそ契約をしている」

「な、なんか商人って大変ですね……」

「そんな中で、古道具屋というのは特殊な商売形態でもあるがな。専売されている道具だろうと、持ち込まれたら古道具として取り扱っていいことになるから」

 

 うーん……一度真剣に商法の本読んだ方がいいかもしれない。ギルドに置いてあったよね。フリーダあたりなら読破してそうだから、暇なときに気になるところは聞いてみよう。

 服とハンガーを手に入れてホクホクしながらベンノは帰っていった。いやホクホクなんて可愛い表現じゃなくて、金、金が全てって感じだったけど。

 

 とりあえず客を返したので作業再開。紙を漉いて出来上がったものは紙床に重ねる。丸一日ぐらい水抜きしないといけない。

 

 店主さんに相談したら、店の中に置いておけば明日わたしが店に来る頃には、水切りしてその後重石を乗せて絞る分も終わっているだろうとのこと。幻想郷分の時間がお店では流れるからね。

 そんなこんなで昼過ぎぐらいには全部作業が終わった。試作品だから量も少ないしね。紙床にはそれぞれ付箋を張って間違えないようにする。

 ここまで出来上がればあとは完成を待つだけ。多分、失敗もしていないだろうと思う。紙の質は材料によって異なるだろうけれど、とにかくエーレンフェストは木材が豊富だから、作り方を教えて具体的な研究は他の人にやってもらえばいいと思う。

 自分で工房を作って製作販売まで手掛けると儲けも大きくなるんだろうけど、そういった改良や事業拡大なんかの度に忙しくなって本が読めなくなるのは困る。本がほぼ存在しないような──まあつまり香霖堂が無いような状況だったら、わたしがやらないと本が完成しないからやってたかもしれないけれど。

 

 一区切りついて食べたお昼ごはんは天丼卵とじだった。口に含んだ瞬間「神!」と叫んでしまった。それぐらい美味しい。

 なんでも店主さんは異世界で大儲けしていると幻想郷の噂になっているらしく、常連のお客じゃない少女たちがせめてご飯でも奢れということになって、色々と食材を買わされ昨日は天ぷらにしたらしい。その残りの天ぷらを甘辛く煮て卵で綴じたものだった。

 小魚、小エビ、それに珍しく納豆も天ぷらになっている。納豆の天ぷらがまたサクっとしていて、ねばっと柔らかくて、濃厚な豆の味で美味しい。

 

「予め君に食べさせる分を確保していなければ、大皿に山盛りで作った天ぷらが全て常連の胃に収まるところだった」

「山盛りですか」

「まあ……少しは食材を出しなさいと言ったところ、野草やキノコを大量に持ってきて量が増えたのだが」

「山菜の天ぷら美味しいですよね」

「野草だ」

「……野草ですか。ま、まあ食べられなくもないですよね」

 

 野草を食べることで有名な俳優さんが書いた名著があったけど、大抵の無毒な野草は天ぷらで食べられる的なことが書かれていたから、まあ大丈夫なんだろう。衣の味しかしなくてやや苦い的な味わいで。

 そして昼から、店主さんは買い物に行ってくると出かけ、わたしは留守番だ。店員としての風格が出てきたかもしれない。

 客が来たら名前と要件を聞いておいてひとまず帰って貰うように、とのことだ。勝手に売り買いするには古物に関する知識や、この店の値段付けは知らない。値札が張っていない品が殆どだ。

 なので本を読んで待つ。幸せ……暇なお店でもいいじゃない。食べていけるだけ稼げれば。

 

 

 

 暫くして5の鐘が鳴る頃に店主さんは戻ってきた。背中には大きな籠を背負っていて、もうなんか雑多な種類の商品が詰め込まれていた。

 糸束に布、花、香草、果実、お茶……

 店内にテーブルを用意して並べている店主さんは言う。

 

「アリスの服を売ったお金でとりあえず魔法の素材になりそうな商品を買ってきてくれと言われていたのだがね。改めて調べると、魔力を持つ植物素材が非常に多かったから目移りした。この高かった糸など土蜘蛛の糸に匹敵する素材かもしれない。普通の街で、平民は魔法など関わらないというのに別世界の魔法使いからすれば冗談のように魔力が生活に関わっている」

「そうなんですか?」

「例えば向こうの世界では普通の植物が魔力を持つことは稀だ。処刑場に生えているだとか、仏の足元に生えた蓮の花だとか条件が限定されている。だがこの世界ではそこらの畑で育てた麦にすら微弱な魔力がこもっている。そうなれば変異して魔法の素材となる植物が増えるのも当然か」

 

 汚染、という単語が頭をよぎる。魔力入り食材……み、みんな食べてるから体に影響はない……んだよね? 少なくとも、ただちには。 

 

 そろそろルッツが迎えに来るかな、という時間になって店主さんが「あ」と思い出したような声を出した。

 

「そうだ。幻想郷の医者に、病気の経過観察の為に採血をしてこいと言われていたのだった」

「採血……ううっ……でも診療とかできないから仕方ないですよね……」

 

 血は正直苦手だ。契約書を作るにも軽く指を切らないといけないんだけど、怖いから店主さんにやってもらうぐらいだった。まだ指には絆創膏がつけられている。

 店主さんはこっちの世界だと無さそう……っていうか幻想郷でも普及して無さそうな現代日本で見られるような注射器を取り出した。アルコールのラベルが貼られた瓶で脱脂綿を湿らせてわたしの腕を消毒し、血を取る。そっちは見ないぞ。見ない見ない。

 中国の小説でとある豪傑が腕を切開して手術する際に、酒を飲んで碁を打つことに集中して腕を切られてもビクともしなかったという話を読んだことがある。わたしも本を読みながらなら無視できる……かな? いやまあ、献血と違って採血にはそこまで時間はかからないけれど。

 

「よし、おしまいだ」

「ううう……血が足りなくなった気がします」

「君はまだ体が小さいからね。といっても採血程度ではそう量を抜かないが」

「店主さんは大きいから沢山抜いても大丈夫でしょう」

「永遠亭で勧められるままに健康診断を受けたら一升近く抜かれて流石に具合が悪くなったことがある。半妖は珍しいからって」

「デスゲームか何かですか。健康診断って」

 

 一升て。……1.8リットル? 怖っ……人間の取る量じゃない……半妖だけど。

 注射痕をまた消毒して小さな絆創膏を貼り、店主さんは血液を冷蔵庫の中に保管した。そしてまた暫く本を読んでいるとルッツがやってきて、この日の仕事はおしまいだ。

 さあて明日はとうとう完成品の紙とご対面……! 本を普及させるには、ペンはあるけど下書きに使える鉛筆も欲しいなあ。消しゴムは……パンでこすれば代用できるかな。

 

 それにしても凄い。わたし、お金を稼ぎつつ、本作りという目標へ進みながら、のんびり本を読んで暮らしてる。

 

 理想の本生活だよ……! 司書とまではいかないけれど、本に関わっている暮らしと言えるだろう。

 

 

 

 

 *****

 

  

 

 

 おまけ

 

 

 

<森近霖之助>

 

 

 

「来たわよ」

 

 来たわよと言われても、呼んだわけでもない客がそう言いながら入ってくるものだろうか。僕は胡乱げに、入り口に現れた紅魔館の主レミリア・スカーレットへと視線をやった。

 彼女の背後には傘を傘立てに置いているメイドがいる。今日は珍しく主従でやってきたようだ。

 レミリアが店に来ることは、まあ稀にある。霊夢が店で駄弁っているときが多い。意外と暇しているという噂だが。

 彼女はつかつかと、自信満々ないつもの表情のまま僕の方へ近づいてきた。

 

「それで? 咲夜から聞いたんだけど、家ぐらい大きな猫ってのはどこ?」

「ここには居ないよ」

「そうよね。店には入らないもの。小屋とか作っているの?」

「うちの店で取り扱っていない、という意味だが」

 

 すると彼女は不満げに目を細めた。

 

「なんでよ」

「古道具屋はペットショップではありません、お嬢様」

 

 慇懃に断る。以前に咲夜へ話した魔物のことを聞きつけて欲しがり、ここにやってきたようだが、異世界の動物は少なくとも生きている状態では持ち込めない。植物はそうでもないようだが。

 

「別にいいじゃない。それに猫よ、猫。しかも馬車を引けそうな大きな。悪魔に相応しいわ」

「そうなのかい?」

「足音もなく闇を進み、鋭い爪と牙を持ち、他人に媚びず気まぐれで残酷。パチェの持っている悪魔の本だと、地獄の悪魔は大きな猫に馬車を牽かせていたから」

「その本には多分こうも記述されていたはずだよ。『なるほど猫は悪魔の馬車を牽くのに相応しい──ただし真面目に働いてくれるのならば』」

 

 猫に馬車を取り付けたところで絶対まともに走ってくれないだろうという冗談だったと思う。

 レミリアは頬を不満げに膨らませた。頬袋にはカリスマが入っているらしい。

 

「それは別にいいわよ。とりあえずでっかい猫。可愛いじゃない」

「別に否定はしないが、香霖堂以外で探してくれ──というか咲夜。うちじゃあその大きな猫は取り扱えないと伝えたはずだが」

 

 レミリアの背後に直立不動で控えている侍女へと確認すると、彼女は目を瞬かせて存外そうに言う。

 

「一度は断ってがっかりさせつつ、実際は仕入れて好感度を上げる作戦かと」

「捕まえるのは物理的に不可能だ。次に遭遇してもうちの見習いのマスタースパークで粉砕してもらうよ」

「それにしても店主」

 

 レミリアはスンスンと鼻を鳴らして聞いてきた。

 

「……血だ。血の匂いがする。甘くていい匂い……」

「危ない人みたいだ」

「今日はノッてる方なんです」

 

 危ない吸血鬼なんだけれど。咲夜が冷静に補足した。

 

「──咲夜、そこ!」

「あっ」

 

 レミリアが冷蔵庫を指差した──次の瞬間には、彼女の前にカフェテーブル(うちの商品だ)とカップとソーサーが置かれており、カップの中には本の少しの量──赤黒い血液が入っているようだった。

 一瞬で咲夜が冷蔵庫にしまっていたマインくんの採血を強奪し、レミリアに飲ませるセッティングまでしたらしい。手品というが、それを商品強奪に使われると僕はお手上げ──っていうか商品ではない。

 

「待て二人とも、それはうちの見習いの診察用で──」

 

 だがそう止めようとしても。

 吸血鬼が血を目の前に飲む体勢に入っているのに止められるだろうか。霊夢の前におはぎとお茶を置くようなものだ。レミリアは下々の言葉なんて全然気にしないとばかりに、カップを傾けて血を飲んでしまった。

 ごくん、と喉を鳴らす少女吸血鬼。だがすぐに彼女は目を見開き、その瞳は潤って輝くようであった。

 

「──美味しいじゃない!! 店主、やるわね! 好感度プラス1億」

「上がりすぎて怖い」

「これ誰の血? どこ住み? 何歳? 多分B型ね」

「文通相手に押しかけてくる危険な男みたいな聞き方をしないでくれ。それは異世界にいる見習いのマインくんの血液だから会わすことはできないよ」

 

 好物を前にした肉食獣が浮かべるような笑みでグイグイと近寄りながら聞いてくるレミリアを押し留めながら言う。 

 それにしても、マインくんの血液が吸血鬼にとって美味に感じるか。確かにどうも、見たところ血液に含まれる魔力量が多い。体に魔力の結石ができるほど飽和していたからという理由もありそうだが、それを差し引いても殆ど魔法の素材並の魔力量だ。

 魔法使いにとって血液には魔力が含まれ、それを使って儀式やら契約やらを行うか、直接媒体にしたり供物にしたりすることもあるというが、それでもマインくんの血は魔力が豊富すぎる。ある程度の血と道具があれば血液から小さい魔石が作れそうなぐらいだ。

 一応は前に八意女史に見てもらっているので、その吸血鬼も酔わせそうなぐらいの魔力が含まれる血が循環していても体には悪影響が無いのだろうが……

 レミリアはまだ諦めないように腕を組んで僕を見上げながら要求する。

 

「それでも採った血自体は幻想郷に持ち込めるんでしょう。生き血を飲むほうが美味しいんだけど我慢してあげるわ。ちょっと2~3リットルぐらい採血してきなさい」

「死ぬ」

「お嬢様、成人女性でも1リットル以上は命の危険がありました」

 

 ありました、という経験談みたいに言う咲夜が恐ろしい。

 

「マインくんはレミリアよりも小さい子供なんだから少しの量でも危ないのでお断りだよ。それに何度も言うが、うちは古道具屋だから血液なんて売ってない」

「古い血液を仕入れて売る的な」

「道具じゃないようだが」

「うー。ああ言えばこう言う」

 

 レミリアは手のひらを咲夜に向けると、一礼した彼女がなにか取り出して僕に差し出してきた。

 

「ちゃんと対価は払うわ。その子に渡しなさい」

「これは? ドリンク剤のようだが」

「増血剤よ」

「対価じゃないよねそれは。もっと血を出せという要求だよね」

「効果は実証済みですわ」

 

 咲夜がしれっと言う。誰に何のために血を増やさせたのか。あまり想像したくない。

 

「アレも駄目。コレも売らない。店主、貴方商売人失格よ。折角私が足を運んだというのに」

「商売人とはなんでも屋のことを指すのではないのだが」

「折角異世界に行ったんだから珍しいものを渡しなさい。じゃないと運命を操ってこう……店に客が来ないように……あっもう手遅れだったわ」

「無惨なことを言わないでくれ。それにリンシャンとか買っていっただろう。咲夜が」

「あれはもう流行って手垢が付きすぎたわ」

 

 そう言いながら今日もリンシャンで髪を洗ったように艷やかであるが。

 しかしながら売るものがない、と言われては少々癪だ。だが異世界の物品でこの吸血鬼が欲しがるようなものがあっただろうか。

 

「……あ、そういえば異世界の珍しいかどうか知らないが、豆があってね」

「豆ぇ?」

「納豆を作ってみたのだが」

 

 異世界納豆の作り方。異世界の豆を茹でる。幻想郷から持ち込んだ納豆を少量混ぜる。放置する。出来上がりである。天ぷらにしてもうまかった。

 僕がそう言うや否や、咲夜の体が一瞬ブレたかと思うとその手に納豆の入った小さな壺を持っていた。台所に置いていたはずなのだが。

 レミリアがスンスンと壺の蓋を開けて匂いを嗅いだ。

 

「……なかなか美味しそうじゃない。仕方ないわ。今日のところはこれで我慢してあげよう」

「毎度」

 

 ……霊夢から聞いたのだが、この紅い悪魔と呼ばれる恐るべき吸血鬼は、炒り豆に触れると火傷するのだが納豆は好物らしい。

 血がサラサラになるからだろうか。本当になるのか? 納豆でサラサラになった血を僕は見たことがない。 

 ともあれ気に入ったようで、咲夜が壺ごと買い上げる代金を机に置く。僕の値付けではないのだが、請求しようとした額よりも多めだから気にしないことにした。

 

「それじゃあね店主。定期的に来るわ」

「定期的に来るのか」

 

 そう言って帰ろうとするレミリアに呻いて聞き返してしまった。何が気に入ったのだろうか。

 紅い目をした彼女は優雅に顔だけこちらに向けて告げる。

 

「そうしないと貴方の運命が向こうに引っ張られてしまうから。どうも、厄介な神霊に目を付けられてるらしいわよ。運命の糸がおかしなことになっているわ」

「……」

 

 運命を操る程度の能力、というものをレミリアは持っているらしいが、何が見えたのだろうか。

 らしい、というのは殆ど全ての者はその能力について詳しく把握していないのだ。霊夢だってよく知らないだろうし、或いは幻想郷の管理者に聞いたら余計に難しい言葉で煙に巻かれるだろう。

 幻想郷とエーレンフェスト、二つの世界に一つの存在が同時に存在し、行き来している不安定な状況。それを彼女はどう見たのだろうか。

 少なくとも気には掛けてくれているようだ。霊夢も札を渡してくれたが、こういった僕の意志や能力では如何ともし難いことは他人に任せるしかない。考えても仕方がないことは考えない主義だ。

 二人が帰っていった店内で、僕はそう結論して──マインくんの採血を失ったことを思い出し、陰鬱に溜息をついた。また注射を嫌がる少女に打たねばならないとは。

 

 

 




徐々に長くなる(文量と更新間隔的な意味で)

紙作りの工程を見てるとルッツお前マジ6歳なの…って頑張り方。でもまあ霖之助だとサクッと工作して数倍の量を作る。
原作だとこのあたりでルッツに疑われて体調悪くなって死にそうなのに凄い充実してるこの子

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