Re:BEATLESS 作:nameless
町の様子は、あの日、hIEが一斉に異常行動を起こしたという事件を経ても変わらない。
あちらこちらでhIEが鯛焼き屋で笑顔を振りまき、老人の手を引き、スーツを着て電車に乗り、犬のリードを引いて歩いている。
「何を買いに行くのですか」
「ちょっと服をね」
「では、駅前のショッピングモールに行きましょうか。今日は衣類が、明日は食料品が10%オフです」
銀髪碧眼で、被造物的な完璧な美をもつイライザが言うと、どれだけ庶民的なことでも様になる。アラトがそんなことを思いながらイライザの横顔を眺めていると、不意に彼女が立ち止まる。
「どうしたの?」
つられてアラトが立ち止まりると、イライザが首を傾げて言った。
「アラトさん、携帯端末はお持ちですか?」
「え? あっ・・・」
「取りに戻りましょうか」
「うーん・・・いや、もう結構来ちゃったし、いいよ。個人認証タグはあるから、買い物は出来るしね」
「そうですか? では、このまま行きましょうか」
再び歩き出したイライザと時折会話しながら、アラトは歩を進める。
二十分ほど歩けば、目的地のショッピングモールに着いた。そこは既に人やhIEでごった返しており、盛況ぶりがうかがえる。もしかしたら、ファビオンやモールに入っている企業がなにかイベントでもしていたのかもしれない。
「あれ? アラト君・・・と、えっと・・・?」
「あ、明日菜さん。こんにちは」
ファビオンMGでアラトとレイシアを担当している、如月明日菜だった。珍しくいつものアシスタントhIE、カスミを連れていない。
「カスミさんは、どうしたんですか?」
「あ、ちょっとはぐれちゃって・・・って、そんなことより! そっちの子は誰!? レイシアちゃんは!?」
明日菜さんが怒りか興奮か、顔を紅潮させてアラトに詰め寄る。
アラトが一歩下がると、イライザにぶつかりそうになる。彼女はアラトを両手で支えると、少し呆れたように微笑した。
その様子を見て、さらに明日菜さんは鼻息を荒くした。
「あ、えっと、このひとは・・・」
「アラトさんのhIE、イライザです」
アラトは誤魔化そうとして口籠ったが、旧レイシア級hIEとイライザは、正式にアラトのhIEとして所有登録されている。レイシアが手を回した、正式な手順を踏んでいないものだが、登記は登記だ。裁判所も役所も、調べればアラトのものだと分かるだろう。・・・辿り着ければの話だが。
「イライザちゃん、ね・・・ふむ・・・ほう・・・」
「あ、あのー・・・?」
手を顎に当てて何やら悩みだした明日菜さんが、いきなり表情を輝かせる。ぎょっとしてまた一歩下がったアラトに、明日菜さんは二歩詰めた。
「その子───」
明日菜さんが何か言いかけたとき、背後からhIEのカスミさんが肩に手を置いた。
驚いて跳ねる明日菜さんに、カスミさんが呆れたように溜息を吐いた。
「勝手にどこかへ行かないでください。個人タグで追跡できるとは言え、困ります」
「あはは、ごめんごめん」
「そういえば遠藤さん、代理労働契約事項の変更点は、お聞きになられましたか」
「え、なんですかそれ」
アラトと明日菜さんが、それぞれが連れるhIEを見る。
イライザが首を傾げると、明日菜さんが困惑したように言った。
「変更点?」
「はい。本日の朝礼で通達されましたが」
「・・・そうだっけ?」
「・・・えっと、なんですか、変更点って」
アラトが言うと、カスミさんは仕事モードの顔になった。
「事務所に書類がございます。部外秘ですので、お手数ですがお越しいただけますか?」
「え、あ、大丈夫です。・・・いいよね、イライザ?」
「・・・はい」
少しラグのあった応答に引っかかるものを感じつつも、アラトはカスミさんについて行った。その後ろをイライザと、イライザに言い寄っている明日菜さんが話しながら追従している。傍から見れば面白い光景だろう。二人の人間の主導権を、二機のhIEが握っているのだから。
「・・・こちらでお待ちください」
「え? ちょっとカスミ、待合室で・・・ちょっと?」
販売所の中でもなく、店舗の前で待てと言われたアラトはさすがに困惑した。
それは先ほどから自分の知らないことが進んでいる明日菜さんも同じで、彼女はカスミについて事務所へ入っていった。
「アラトさん、こちらへ。ベンチがあります」
「あ、ありがとう、イライザ」
誘導に従って、店舗から少し離れた場所にあるベンチに座る。店舗からは死角だが、店員や明日菜さんが呼びにくれば分かる位置だ。
「そこの自販機で飲み物を買ってきます。ご希望はありますか?」
イライザがアラトの前に立ち、顔を覗き込む。
アラトが距離感にどきどきしていると、イライザの手が動く。アラトの顔を挟むように腕を伸ばし、掌で柔らかく耳を覆った。
どういう素材なのか、或いは密着のさせ方が上手いのか、目の前で口を動かすイライザの声すら聞こえない。一体何がしたいのか。そう問いかけようと口を開くと、イライザはにっこりと笑った。
刹那、強烈な熱風がイライザ越しにアラトを襲う。
かつてレイシア級hIEたちは足裏の摩擦係数を上げて壁を登ったりしていたが、今のイライザはパンプスを履いている。台風もかくやという風圧に押され、アラトに抱き着いた・・・いや、風圧を利用して、イライザはアラトを抱きかかえて跳躍した。
「なんだ、あれ・・・!?」
腕の中で、アラトは慣れつつある熱風と炎の匂いを感じる。
爆発。それも、幼いころに嗅いだ、爆弾の匂いだ。
最近のショッピングモールは店舗の一個一個が強固に作られており、セキュリティもかなり高度だ。少なくとも、夜間に侵入して爆弾を仕掛けたり、昼間に堂々と持ち込むなんてことは無理だ。
「・・・あのカスミというhIEに爆弾が仕掛けられていました。私たちを強固な店舗の前に立たせ、指向性を持たせた爆風で吹き飛ばすつもりだったようです」
「なんで、そんな・・・」
「爆発物マーカーなしでは探知できない爆薬は、今のセンサー技術を考えればかなり高度なものです。ですが、人類に製造不可能という訳でもありません」
少し外れた答えを返すイライザに苦笑することもできず、アラトはただ茫然と爆心地を───ファビオンの店舗だった場所を見つめていた。