Re:BEATLESS   作:nameless

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 きり、と、石を削る音がする。それはイライザの履くファビオン・モデルのパンプス──に似せた、特殊樹脂製の靴がフロアを擦り生じたものだ。

 軸足を回転させ、腰と背筋を使い、体重移動と長い脚のしなりまで利用した美しい回し蹴りは、階上から飛び降りてきたhIEを吹き飛ばした。

 

 「イライザ!?」

 「襲撃です。アラトさん、わたしから離れないでください」

 

 見回すと、周囲を無表情のhIEがぐるりと取り囲んでいる。筑波の環境実験都市を思い出す状況ではあるが、あの時とは違い、スノウドロップの花のようなデバイスは見当たらない。そもそも、彼女は一度破壊され、そしてレイシアの手で蘇った味方だ。

 それに、hIEの様子もおかしい。その動きにスノウドロップに操られているような不自然さや、可動域を無視した軋みはない。AASCの定める通り、人間らしさを追求した振る舞いを見せ、格闘戦の構えを取っている。

 

 それは、つまり。

 

 「レイシアが・・・乗っ取られたってことか」

 

 アラトを切り捨てる判断をした、と思わない辺りから信頼を感じ取れるが、そこまで信じるのならその実力と実績も信じていいだろう。

 なんせ《レイシア》は《ヒギンズ》に代わり、hIEの行動を管理するAASCの更新と保守を行っている。それも《ヒギンズ》のような仮想空間ではなく、現実世界の情報をリアルタイムで取得しながらだ。そのレベルの超高度AIを乗っ取るなど、対超高度AI用超高度AIである《アストライア》にだって不可能だ。まぁ、彼女の本分は攻撃ではなく監視なのだが。

 

 「いいえ。超高度AI《レイシア》が陥落すれば、この程度の攻撃では済みません。これは一部のhIEに限定したハッキングです」

 

 AASCに接続したhIEは例外なくレイシアの支配下、そして庇護下にある。

 しかし、それは平等ではない。最上位に君臨するのはレイシアが手ずから作り直したレッドボックスたち。次いで警察・軍事用の特殊モデル。高級機と呼ばれる民間向けハイエンドモデルに続いて、いま支配されている一般民間モデル。庇護強度で言えば最底辺の個体ばかりだ。

 

 「ハッキング?」

 「正確には、命令を受容する側のhIEに対する工作でしょう。お母様は電波への干渉すら許さないでしょうから」

 

 イライザに手を引かれ、出入口を目指して走る。

 途中で襲い掛かってきたhIEはイライザの手で制圧されるが、数が多い。格闘戦の趨勢というのは人数によって大きく左右され、1:3にもなればかなり絶望的といえる。いま二人の前に立ちはだかったhIEは五体。しかも二体は武器まで持っていた。

 

 ゾンビというよりは寡黙な暗殺者の雰囲気を纏ったhIEたちが拳を構え、傘の石突きを槍代わりに、革のベルトを鞭に見立て、無手のイライザに襲い掛かった。

 

 一般用hIEでは動作制限のかかる速さと力。AASCの軛から逃れた証明である殺人者の動き。

 皮を裂くのに十分な威力を持ったベルトがしなり、反対側からは肉を貫くのに十分な硬度を持った傘の先端が迫る。

 

 三体のhIEがイライザを狙う。

 ならば残る二体は当然、アラトを狙う。

 

 「うわぁぁッ!」

 

 イライザが三体を制圧するのに何秒かかるだろうか。1,2発の攻撃なら耐えられるはず、と、アラトは頭を庇う。

 結論から言って、その覚悟も防御も不要だった。

 

 イライザに突撃していたhIE、傘を持った個体とイライザの位置が入れ替わる。

 予備動作が一切ない移動と受け流しが瞬間移動じみた回避のトリックだ。振り終えた鞭は止められず、突撃の勢いが急にゼロになることはない。

 

 バックル側を先端にしていたベルトの鞭がhIEの頭蓋を砕き、勢いのまま衝突した傘の突端が突き刺さる。

 一挙動で二体のhIEを無力化して、その移動の勢いを乗せた回し蹴りが残る一体の頭部を破砕した。

 

 どさ、と。イライザが倒したhIEたちが頽れるのに先んじて、()()()()()()()()()hIEたちが斃れ伏す。

 

 「え? ……え?」

 

 何が起こったのか分からず、アラトはイライザの顔を見つめる。

 説明を求めるでもなく、ただただ困惑するアラトに向けて、イライザが微笑した。

 

 「アラトさん、お母様の言葉を思い出してください」

 「レイシアの? ……あ、同じタイプって?」

 「はい。これは自慢ですが、わたしはお母様の次にハッキングが得意なんですよ」

 

 アラトを落ち着かせるためか、思考を促し、冗談まで飛ばしてくれた。

 ばくばくと五月蠅い心臓を服の上から撫で付け、アラトは大きく深呼吸した。

 

 「行こう」

 「はい、アラトさん」

 

 入口まではもう少しだった。

 全力で駆け抜ける途中、ここを出ても同じような状況だったらどうしようと恐怖が過る。

 

 ユカは大丈夫だろうか。

 環境実験都市で誘拐された時と同じ状況になっていると知ったら、あの時のことを思い出してしまうかもしれない。

 

 心配に紛れて、サーバールームで告白したときのことを思い出して赤面したアラトは、幸いにもPTSDとは無縁そうだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 『目標に損害無し。デコイの内部データを回収、オリジナルを破棄し撤収する』

 

 灰色の都市部用戦闘服の上から光学迷彩を纏い、姿を完全に消し去っていた兵士たちが姿を見せる。

 総数は5人。消音器付きの短機関銃を全員が装備しており、特殊部隊のようにも見える。

 

 いや、要素からそう見えるだけではなく、彼らは実際に特殊部隊に属する人間だった。

 

 『《金星》より命令更新。目標追跡は中断、帰投する』

 『了解』

 

 その言語と《金星》の名が示す通り、「中国の」という但し書きが付くが。

 《金星》は中国で最初に設計された、世界で4番目の超高度AIだ。世界初の超高度AI《プロメテウス》の情報を人間のスパイが盗み出して造られたコピーであるとも言われている。その主要用途は中国人民解放軍の戦略AI。

 

 避難警報が発令され、買い物客やスタッフが逃げ出し、警察組織が到着するまでの無人の数分間。何をするにも不足するその僅かな時間で、彼らは暴走していたhIEに端末を翳し、データを処理していく。

 

 高度に訓練された見事な手際を称賛するように、或いは迂闊さを嘲笑うように、無人のショッピングモールに口笛の音が響いた。

 

 「へぇ、人民解放軍の人なんだ。そうは見えなかったけどな」

 

 統一された動きで兵士たちが身をかがめ、銃口を向ける。

 どれだけ驚いても指示なしで引き金を引くことのない機械じみた正確さだが、計り合わせたように同じタイミングで動くあたり、本当に機械仕掛けか。

 

 「3世代前に流行ったらしいね、ソレ。洗脳とインプラントチップ、肉体改造手術による基礎運動神経のブーストと完全統一。突出した個ではなく均一な群の兵士を作り出すってコンセプトだっけ?」

 

 ぎり、ぎり、と。大理石を模した質感のフロアを削る音が無人の構内に響く。

 装飾の施された柱の陰から、向けられた複数の銃口を意に介した様子もなく、人影が悠然と姿を晒す。

 

 「より安価で強靭な軍用hIEに取って代わられた時代遅れのヒトもどき。腹いせってワケじゃないんだろうけど……相手が悪かったね」

 

 赤い髪が靡く。黒いボディースーツから露出した肩や大腿部には、兵士たちの身体にあるものとよく似たスリットがある。同じ機械仕掛け──否。

 

 『軍用hIEか』

 

 身長を優に超す槍のような武装デバイス。肉体改造により人間離れした視力を付与された兵士たちは、その側面に《BLOOD PRAYERS Mk-2》という刻印を見て取った。

 

 「お母様とオーナーには──」

 

 ほぼ無音で、hIE──紅霞の手にした武装デバイスが変形する。

 大型レーザー砲の形状へと変化したそれを指向され、兵士たちに恐怖と戦慄が走る。しかし、それらの感情は即座にインプラントチップによって興奮と戦意へ変換される。

 

 『撃てッ!』

 

 命令が下り、銃弾が横殴りの雨となって紅霞に殺到する。

 しかし──

 

 「──指一本、触れさせないよッ!」

 

 赤く輝くレーザー光が発射され、銃弾の雨を遮る。

 膨大な熱は金属ですら即座に蒸発させかねないが、ライデンフロスト現象によって形成された液体金属の被膜がそれを防ぐ。

 結果、効果の背後にあった店舗や壁に幾つか浅い弾痕が刻まれた。

 

 しかし、そんなものは小さな被害だろう。

 紅霞の正面には、近くに火山でもできたのかと言いたくなるような、溶けて溶岩状になった地面が広がっていた。

 戦車の正面装甲すら貫通する熱量を受けて、兵士たちは骨まで蒸発していた。仕事を終え大きく息を吐いた紅霞にワンテンポ遅れて、思い出したようにスプリンクラーが作動する。

 

 「……やり過ぎたかな?」

 

 酷く人間的な苦笑いを浮かべて、紅霞は遠くに聞こえてきたサイレンの音から逃げるように姿を消した。

 

 

 

 

 

 

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