童磨にとっての初恋というモノは死んでから始まった。今までは何も感じなかったし、無関心で他人事でしかなかった。虚ろな感情に色を与えたのは最後に喰らった女性だった。あの世で待っていたという女性と話す。話を聞いて言い知れぬ感情が沸き上がったのはこの時だった。初めての感覚だった、今はない心臓が脈打つようなそんな感覚、これが恋なのか、そう思えば目の前で首だけになった自分を持ち上げる女性が可愛くて仕方なくなった。こんな感覚があるのなら子供の頃に極楽なんて存在しないと泣いた自分が急に恥ずかしくなった。もしかしたら天国や地獄もあるのかも、想像するだけでない筈の心臓がドクドクと脈打って止められない。そうだ、童磨は感情をくれた女性に問いかけた。
――ねぇ、しのぶちゃん。ねぇ、俺と一緒に地獄へ行かない?
――とっととくたばれ、糞野郎
とてもいい笑顔で、胡蝶しのぶは童磨の誘いを断った。
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目が覚めればそこは見慣れた部屋だった。光を遮るように御簾がおろされ、足元には何枚も畳が敷かれている、更に奥には底が少しだけ上げられた祭壇のような場所。そこにはいつも自分が座る座席が置かれ、悩める信者の話を聞くわけだが……、間違いない、此処は自室だ。何故自室にいるのかと童磨は内心驚くも違和感があったのはこの時だった。
「……んんッ?」
なんと、首から下があるのだ。あの世で何処かで置き去った首から下の胴体が自分を動かしている事実に驚いた。自室に置いてある鏡を見てみると、髪はいつも通りで、瞳の虹の虹彩が揺らめいている。しかし、瞳の中の数字と文字だけが無かった。脳内をほじくって弄くり回せば、思い出すのは無惨様に鬼にして頂いて間もない頃の記憶しか思い出さない。それ以前の記憶は人間時の記憶ばかりでないようだ。流石に自分の身に起こっていることが分からない童磨は戸惑いを覚えていた。信者がやってくれば相手をしていったがやはり年号は合っておらず、過去に遡っていることしか分からなかった。それとも上弦の月だった自身は都合の良い夢に過ぎなかったか、それにしてはやけに現実感がありすぎた。身体だけが若返って、魂だけが老け込んだような、異様な感覚だった。
ああ、それにしても……。ほぅ、と熱いため息が零れてしまう。いつだって童磨自身の身を焦がして離さないのは一人の女性だった。……鬼殺隊最強、柱の一角。蟲柱、胡蝶しのぶ。華奢な身体の全身をもって藤の毒に冒されて、死してなお自分に殺意と憎悪を向けてくれた存在だった。そして、初めてを吹き込んでくれた相手。考えるだけで心臓が張り裂けてしまいそうだった。これを恋と呼ばず何と言えようか。あそこまで自分自身を見てくれた相手は、友人の猗窩座殿以外では初めてだった。信者たちは童磨を信奉して止まないが、それは助けを乞うているか自分以外見えていない可哀想な人間でしかなかったし、無惨様や他の鬼はツレないばかりで自分を見てくれない。だからこそ殴って睨む猗窩座殿は貴重で、友人なのだ。だが、それ以上の存在が現れた。
――ああ、どうしよう。
童磨にとって他人を信じる胡蝶しのぶは眩しくて届かない太陽にも等しい存在になっていた。後百年よりも長い先、童磨は恋焦がれる相手に会えないのだ。……気が狂いそうだ、好きだった女も喉を通らない。食べることが出来ないまま、月日ばかりが過ぎていく。鬼が月日を気にするなんて、馬鹿げていると思うが、童磨にとっては大事なことだった。まるで焦らされているようだ。これが後いつまで続くと言うのか、明日待てば君は俺を睨んでくれるのか、その刃を喉元にさしてくれるのか、突き刺して毒を与えてくれるというのか。考える度に彼女の与えてくれる衝撃を思い浮かべる。このままではいけない、童磨は強くなることを考えて男を喰らうことに決めた。猗窩座殿も偏食をしていたのだ、俺だっていいじゃないか。栄養価の高い女を喰らうことも考えたが愛する彼女を考えれば食べることを躊躇させた。そして、食べなかった。
――清い身体で、彼女と一つになりたい。その一心だった
ああ、そうか。新婚が初夜で操を立てる意味の深さを童磨は初めて知ったのだった。信者は幸運なことに沢山居て、食事に困ることはなかった。稀血の男女が居れば交配することを説いてきたし、殺してしまった命は自身の中で一つになって永遠を共に生きている。女性は食べることは出来ないのだ、それでも優しい俺は最期まで責任をもって看取ってきた。教祖としての務めも果たしていったし。男をこうして沢山食べてきた、食べて、食べて。食べてきた。食べれば食べるほどに童磨は強くなった。毎日藤の抽出した毒を呷れば、倒れてしまって信者を心配させたが毒は少しずつだが確実に身体に馴染む。全ては彼女のためだった。彼女と一つになっても倒れないように、恥ずかしくない男になるために童磨はいつか来る日に備えた。年月が積み重なる度に死体も重なり、毒の量も増えていく。彼女を迎えるために童磨は努力を重ねた。
そして、下弦になった。無惨様は褒めて下さった。血肉も分けて頂き、ますます身体は強くなる。下弦をあっという間に上り詰め、気付けば上弦になっていた。懐かしい顔も見える、そして猗窩座殿にも会えた。嬉しくて堪らず、猗窩座殿に抱き着けば、頭蓋骨を吹き飛ばされた。そういえば初対面だったな、童磨は思い出して謝罪すれば、猗窩座殿は妙なモノでも見るような表情で此方を見ていた。
――上弦は、容易くない。
なおいっそう強くなることに勤しめば猗窩座殿は努力する奴は嫌いじゃないと嬉しい言葉を残してくれた。以前よりも仲良くなれた気がする。楽しくて胸が弾んだのは初めてのことだった。ますます、感情をくれた女性が好きになって励んだ。上弦の月を昇る途中、兄妹を拾った。間違いない、妓夫太郎と堕姫だった。女性を食べなくなったから遊郭に行く理由など無かった、それでも自分の未来の記憶が夢か本物か確かめる意味で赴いた訳だが、出会った二人に感激を隠せなかった。だったらあれは夢ではなかったのだ。ならば彼女は俺の幻や妄想ではない。だから俺のこの感情は本物で、何も感じない訳じゃなかったんだ。それが、無性に居心地がよくて堪らなかった。童磨は自身の起こした行動をなぞるように兄妹を無惨様に紹介して、順調に上弦の弐となった。猗窩座殿を追い越したが以前のように過剰ではなく、いずれ越してみせると上弦壱を見るような目で此方を見るのは初めての経験であった。虫か何かを見るような目で猗窩座殿は俺を見てきていたからこれは本当に驚いた。
――そして運命の夜になった
この夜初めて愛しの彼女の姉に会えるのだ。胸の高鳴りを感じる。仲良くなろうと話す優しい娘だったから妹との関係も祝福してくれるに違いない。そして、彼女の姉と出会った。蝶の髪飾り、蝶を思わせる羽織を身に着けている。間違いなかった。浮かれてしまうのは当然のことだった。
「やあやあ、初めまして。俺の名前は童磨。いい夜だねぇ」
教祖としての帽子を下げて、挨拶をすれば愛しの彼女に似た面差しの少女は戸惑うように俺を見ていた。まるで彼女に見られているようで、思わず照れた。