――それだけが、俺の願いなんだ
あの満月の夜以来、童磨の言葉が耳から消えない。鬼に乞われるのは、願われる言葉は、常に執着の混じった、暗い感情だったからあそこまで真っ直ぐとした穏やかな望みは初めてだった。……だからかもしれない、私はあの鬼の言う言葉に従うようになった。食事を言われても摂るようになったし、部屋に居て欲しいと言われたらそれに従った。拒否していた会話も少しずつではあるけれどするようになった。会話をすれば誰かを私に重ねて童磨は話し出す。話せば話す程に、童磨がいかに賢いのかも言葉巧みな話術があることも理解できた。信者達も歪んではいるけれど利用する気持ちはないようで、救済する気持ちはあるようだ、ただ一つ。この鬼には欠けているモノがあった。
――えっ、だって病気の子だろ?死なせてやった方がいいだろう?そうすればもう苦しくもないし辛くもないし、怯えることもない。
悪びれることもなく、童磨は断言した。……まるで他人の痛みを理解していないようだった、否、実際そうなのだ。他人の感情に無頓着で、教祖をやっていながら神を信じてはいなかった。ただただ死んだら無になって心臓も脳も止まって土に還ることの道理を童磨は口にする。……だからこそ無惨に付け込まれ、鬼にされたのだろう。そしてそれを話すことも出来ない環境が童磨を歪ませていた。それを諫める両親は居なかったのかと訊けば両親こそが彼を歪ませた発端であったに違いなかった。何処か他人事のように両親の死を語る童磨が気の毒でならなかった。
歪んでしまったけれど、話は分かってくれる鬼にせめて人の道を説いた。どうしてやってしまったのかを聞いた後、その答えを間違いだったと諭すことから始めた。ああ、なるほどと納得する様子はまるで良し悪しの分からない子供のようで、妹にもこうやって叱りつけたことを思い出した。流石に酷すぎれば怒鳴ったけれど、童磨はそれを怒ることはなかった。よくも悪くも童磨は素直だった。こうなってしまえば今までの私が感じていた思いはなんだったのだろうかと思う程だった。自由にしてもらえる時間も増えた。それは結果的にそうなったことだった。忙しいからごめんね、童磨は謝って、部屋を後にする。今までは教祖としての仕事も押して私に会いにきてくれていた事実に驚いた。……奇妙な生活だった、敵である鬼と、ましてや上弦とこうして話し合って生活している事実は、柱としての私の判断を鈍らせているに違いなかった。
――私と童磨は、不思議な縁で繋がっている気がした。
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ガチャリ、長らく私の足を縛り付けた枷が外れた。従順ならばという童磨の判断が私の足を解放させるに繋がった。枷自体は鎖が壊れいつだって逃げ出すことが出来た。それでも逃げることを選ばなかったのは私の意思だ。童磨の重ねる誰かが気になったのもあるが、童磨自身がどんな鬼かということに、私の中で興味を持ってしまったのが大きかった。邪悪な鬼であると思っていたのに、相手も私を監禁していたのに。今となっては童磨が枷を外し、逃げないことを選ぶ私が居る。……本当に、奇妙な関係と信頼関係が出来てしまった。
「うわぁ……、痛そうだね」
久々に見た私の足首の肌は色が変わっていた。長く拘束した部分は紫色に線を描き、少しでも動かせばビリビリとした痺れを足が訴えた。可哀想に、拘束した当人が私の足に同情し、優しく撫でてくれば、痛みに身を捩らせた。痛みを堪える為に唇を噛み締めていれば、次に童磨は私の頭を撫で始める。握り潰せるであろう手は私を優しく撫で下し、私の短くなって再び伸び始めた髪の先端をさわさわと触りだす。
「女の子の髪を切っちゃって、ごめんね。髪は女の命だろう?」
懺悔をするように童磨は苦笑した。切った本人からこうして謝罪が来ると、どう反応すればいいのか分からない。さて、困惑している私を尻目にして童磨は立ち上がって金扇を取り出した。人の血を何人も吸っているであろう金扇からは氷が形成され、童磨に似た、小さな腰回り程度の大きさの人型が現れた。それは独りでに動き出し、私の傍に歩み寄った。
「枷は外したけれど、君が逃げ出さない保証はないからね。監視は付けさせて貰うよ」
この子、俺と同じくらいの強さの技が出せるんだ、にっこりと童磨は笑う。虹色の文字の刻まれた目に覗き込まれた。急にされた行動だが驚くことはなかった。驚く顔が見たかったのに、残念だなぁ。そう零す童磨は残念そうな顔をすぐに変えて笑いかけてきた。
「じゃあ、そろそろ信者たちの話を聞かなきゃいけないからまたね」
部屋から出ないでね、そう言い残して童磨は部屋を後にする。その後ろ姿を部屋から消えるまで見ていた。
――童磨、貴方はきっと変わることはないのでしょうね
いつまでも、幼い子供のまま。善悪の区別もつかないまま、善意でやることが全て人にとってはよくないことだと分からず、いつまで経っても変わることが無い。私が諭したことも別の意味にとらえてしまう。鬼としての歪み、人として壊れてしまった部分。寄り添っても変えることが出来なかった。……だったら私が出来ることは、一つだ。
――柱として、鬼狩りとして、……いつか、必ず貴方の首を狩りましょう
この屋敷で貴方に同情した私も、責任を取って。腹を切って貴方と共に逝きましょう。
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べべん、何処かで琵琶の鳴る音がする。気付けば隣に居た童磨と共に水辺のある空間に立っていた。童磨は慣れた様子で何か物思いにふけっていた。……いつもの、笑みはない。誰かを待っている様子で、聞ける雰囲気ではなかった。向こうで、扉の開く音がする。開いた扉から顔を出したのは、懐かしい顔。妹だった。
「姉さん……ッ!!」
……妹の声がする。気付けば走り出していた。懐かしさと伝えたい言葉からしのぶの下へと走り出す。綺麗な着物が走りにくい、何年も引きこもった代償も大きい。だけど、この鬼は、私が切らなければいけない。しのぶ、まだ殺さないで。その言葉は続かなかった。童磨から鋭い一閃を貰った。金扇は私を切り裂いて、耳元に肉の引き裂ける音がする。痛みから、口から血が溢れ出す。振り返れば傷付いた顔で頭を抱える童磨が視界に映る。
――ああ、傷つけてしまった
意識が遠のく中で妹の叫ぶ声がする。しのぶ、復讐なんて考えないで。これは私の自業自得だから。声は出せない、妹は童磨に憎悪を向けて走り出した。意識はブツリと無くなった。きっと、もう目覚めることはない。
あの世で童磨を待っていれば、首だけのあの人は私に気付くことなく、妹だけに声を掛けていた。声を掛ければ良かった。……だけど、声を掛けることは出来なかった。妹を見る目が、いつも私越しで見ていた視線に似ていたからだ。……この時、初めて私越しで見ていたその誰かを、知った。
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(これ以降童磨さんの首を切った周回のカナエ視点です)
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童磨という鬼は私を監禁した。監禁した鬼は私に何か特別なことを求めることはなかった。ただ生活することを求め、私と話しては何かに気付いた様子ですぐにいなくなった。まるで迷った子供のように、困った表情で笑う。こんな鬼は初めてだった。虹色の瞳には上弦弐と刻まれているのに、柱の私をどうこうするつもりは無いようだった。私の中に誰かを見ようとしているけれど、打ち消すように頭を振って私に笑いかけてくる。鬼であることを晒しているのに、私を拘束することもなかった。
――待って、行かないで
少しでも動こうとすれば手首を掴んでくる。握り潰して骨を粉砕することも出来るのに、弱弱しくそれでも力強く掴む手を振り払えなくなったのはいつからだろうか。信者を食べている姿を見ているのに、呆然とした表情で食べる童磨を責めることは出来なくなってしまった。きっと分かり合える筈なのに、話してくれるのは表面上で、決して近づかなくなった。そして、童磨は耐え切れなくなった様子で、私の刀を差しだした。自由の身だと言われるのかと思えばこれで首を切って欲しいと願われた。……嫌だった、きっと分かり合えて仲間になってくれるかもしれない彼を、切り落とすことは出来なかった。何日も話し合った、何か悩みがあればと何度も聞いた。それでも童磨の決意が揺らぐことはなかった。首を、切り落とすことにした。
――抵抗もない鬼の首を切ることは容易かった
童磨の首が飛んでいく、消えていく首と目が合えば、泣きそうな思いに陥った。ああ、どうして。後悔ばかりが募っていく。童磨は服を残して消え去った。上弦弐を倒したことで鬼殺隊からは喜ぶ声が上がる。どうやって倒した、怪我は無くて良かったと喜ぶ仲間の顔が嫌になってしまった。
――少なくとも、私はやりたくなかった
それから間もなく、柱を辞めることを決めた。あの鬼を思い出して、どうしても鬼に向き合うことが出来なくなってしまったのだ。お館様は私を呼び止めるけれど、私の決意を察して辞職を認めて下さった。大切な妹は眉を吊り上げてどうして辞めたのかと聞いてくるが答えるつもりはなかった。鬼に味方するのかと怒るのは目に見えていたからだ。辞職してからは妹との約束を守るため、少しでも手伝えることがあればと考えて医術の手伝いをし始める。ある季節が過ぎればあの鬼を思い出す。私を誰と重ねていたと言うのだろうか、誰に似ていたのだろうか、見当も付かなかった。
――姉さん、ただいま
妹が帰ってくる、年々私とよく似てきた。もう既に立派な女性だ、出来れば結婚して幸せを掴んで欲しいけれど、途中で辞めてしまった私では呼び止めることが出来なくなってしまったことを寂しく思いながら、妹を出迎えた。