「ほらほら、カナエちゃん、しのぶちゃん。俺だぜ、童磨だよ。忘れちゃったの?」
「私たちに鬼の知り合いはいませんよ」
童磨は自身の人差し指を自分に向けて主張するも、顔色を変えることもなく答えるカナエは刀を横へ縦へと薙ぎ払い、後ろからやって来るしのぶは細い刀を突いてくる。攻撃を避けることは造作もない、童磨は横へ来る斬撃は顎を上げて避けて、次にくる縦の斬撃を金扇で受け流した。しのぶの突きは敢えて受けた。毒は回ってもすぐに分解しきる童磨にしのぶは睨んでいた。
「こいつ、私の毒を……ッ!」
「俺は殺し合うつもりはないんだって、15年も経ってしまったから忘れてしまったのかな?ほら、覚えていないかい、一緒にお勉強しただろ?琴に生け花、化粧に着物の着付け、懐かしく思わないかい?」
黙れ、と言わんばかりに二人から刀を振り落とされる。おっと、跳んでよければ忌まわしげにカナエとしのぶは睨んでいた。
「カナエちゃん、君はいつもニコニコ笑っていたじゃないか、そんな怖い顔やめなよ。……しのぶちゃんは、うん。変わらないね、負けん気が強いのはいつものことか」
「うるさい、私に鬼の知り合いはいない!」
しのぶの速い突きが繰り出される、不意に、童磨が消えた。何処へ、カナエたちは見渡せば、しのぶは自身の頭に触れられる感触を感じた。後ろから息遣いを感じる、後ろに立っていたのは童磨だった。ふむふむ、と納得した様子で童磨は笑った。童磨はしのぶの頭部に古傷となった傷口を認めたのだ。
「ああ、なるほど。頭打ったんだね、記憶がなくなっちゃったのか!しかしなぁ、ううむ。それはそれで寂しいなぁ」
俺だけ覚えているなんてさ、苦笑するように童磨は眉下を下げて微笑んだ。しのぶは自身に触れる童磨を突いた。目に刀傷が残るも、毒が回ることはない。うん、相変わらず頑張り屋で可愛いね。童磨は呑気に笑っている。カナエとしのぶは顔をひきつらせるもすぐに顔を引き締めた。二人の息の合った斬撃を再び繰り出すも童磨は容易く避けていく。本当に童磨は攻撃をする気はないようで、姉妹の覚えていない思い出を話し始める、そうして時間ばかりが過ぎていった。
「ああ、仕方ない。悪いけど拘束させてもらうよ」
童磨はようやく自身の武器である金扇を扇いだ。童磨と同じ形をした氷の人型が一体現れる。人型は独りでに動き出し、手とつながる氷の扇を扇げば氷の蓮を形成させた。俺もやるか、童磨は笑いながら人型と同じ動きをすれば、同じ氷の蓮を作り出した。二つの蓮からは蔦が伸び始めた。カナエもしのぶはそれに遅れをとることはない。避けた。すぐに壊そうと斬撃を繰り出すも氷は童磨と同じ速さで避けた。ああ、残念。童磨はしょんぼりした表情を見せた。
「じゃあ、もうちょっと増やすね」
恐ろしい言葉を、童磨は口にした。
――――――――――――――――――
姉妹は拘束された、氷の冷たい蔦が腕に足に身体に絡みつく。動こうにも動けない。刀は既に童磨の手に収まってしまっている。約束を果たそう、童磨は笑う。そんな時だった。師範、拘束した二人とは違う声がする。重い斬撃が童磨の身体を切り裂いた。紫の瞳が真っ直ぐと童磨を睨む。ああ、意地悪な子だ、刀を構えているのは栗花落カナヲだった。傷がみるみる再生する中、童磨は困ったように笑った。
「あんまり邪魔して欲しくないんだけどなぁ」
童磨はカナヲに氷の煙幕を発生させる、霧がかった白い氷は、パキパキとカナヲの視界を奪っていく。氷の蔓がカナヲを拘束しようと動き出す、その氷の蔓は何者かに砕かれた。
――ああ、あの猪か。やけに早いね
童磨は慣れた様子で猪の頭皮を被った少年を見ようと斬撃を与えた相手を見ようとした。え、思わず童磨が固まってしまったのは仕方のないことだった。なんと、あの猪を被っていないではないか。上半身も裸じゃない。琴葉と同じ顔を晒し俺を睨んでいた。
「姉ちゃんたちに何をすんだよッ!!」
「えぇッ……、君って猪に育てられてなかった?」
俺を育ててくれたのは姉ちゃんたちだ、そう猪が断言していた。伊之助、カナエたちが変貌を遂げた少年の名前を呼んでいた。同じ崖に落ちたからか、同じ場所で仲良く三人で育ったのね。ああ、なるほど。他人事のように童磨は納得した。それにしては予想外なことが多すぎて童磨は頭を抱えた。
――もう訳が分からない
その後二人は蔓で拘束したカナエたちを解放して四人がかりで向かってきた。しのぶは天井まで童磨を突き刺して、カナエは左腕を、カナヲは右腕を切り落とした。伊之助は首を両刀の刀で切り落とす、琴葉の顔と目を合わせながら童磨の首が、綺麗に吹き飛んだ。
――――――――――――――――――
可愛い姉妹を育てるのはこれで何度目だろうか。片割れを守れば琴葉はもう片方を連れ出されてしまうこともあった。片方だけ鬼では寂しいではないか、肉親なのだから妓夫太郎たちと同じように二人一緒でなければ可哀想だ。それでも何故か連れ出されてしまう。何度も琴葉が姉妹を連れ出すものだから、いっそのこと琴葉をかなり前に建てた別の屋敷に引っ越しさせようとすれば姉妹が止めるのだ。特にしのぶちゃんは自分より幼い赤ん坊を弟のように思っているらしい。凄まじい猛抗議を受けるのだ、こうなっては惚れた弱みを握られている俺としては受け入れざるを得なくて、結局連れていかれる悪循環に陥っている。もう猪が彼女たちの弟になった光景を何度も見てしまった。酷い時は猪に姉妹の片割れが育てられる事態にもなった。……黙って首を差し出して切られることが増えた。バレる前に琴葉を始末すれば済む話だが、殺すことは躊躇した。非力な人間、ましてや力のない小娘一人なのに、いつか見た彼女たちの光景を思い出せばそれを実行することが出来なくなった。しのぶちゃんと、カナエちゃんのあんな幸せそうな顔が見たからかもしれない、琴葉を殺すことはいつも寸前でやめてしまうのだ。
――だったら、どうする?
簡単な話だ。……俺が、我慢すればいいんだ。カナエちゃんたちが成長するまでの、ほんの少しの辛抱だ。断食を決意して、彼女たちと同じ食事を共にする。肉で代替しているが肉体の維持にはやはり人間の肉が必要だった。鬼で、ましてや上弦、飢えるのは早かった。どうしようもない空腹に襲われた。飢餓にも近い、抗い難い衝動を彼女たちに向けまいと自室で押さえつけることが増えた。引きこもることが多くなって、その度に飢餓を抑え込む。ある晩、感の鋭い琴葉が俺を心配して部屋に訪れた。大丈夫ですか、彼女の問いかけに応えられない。何かが囁いた。
肉が、来た
本能のまま彼女を喰らった。女の子の肉は本当に久しぶりで美味しかった。食べたのはしのぶちゃんに恋をしてから一切食べていなかったからなおさらだ。勿体無いと舌なめずりをして、指先に付いた血も舐めた。ばさりと何か軽いものが落ちる音がする。血に濡れて、顎を汚す俺を、姉妹たちは見てしまった。顔色を青白くさせて、目を見開かせて、俺を見ていた。その視線を、言葉を俺は、忘れることが出来ない。彼女たちは逃げ出そうとしたが子供二人では捕らえるのは容易かった。
――離せ、化け物ッ!!やめて殺さないで!!
何度も命乞いで聞いた言葉。ズキズキと胸に突き刺さるのは初めてだった。今まで慕ってくれたのに、寂しいじゃないか。嫌だ、嫌だ。聞きたくない、一緒に鬼になろう。少し早いけれど、彼女たちを揃って鬼にさせた。彼女たちは鬼になって、本能のまま自身の両親を喰らった。意識の混濁が目立つがそれもいずれ、元通りになる。人喰いを重ねた彼女たちは見事意識を取り戻した。仲のいい姉妹だから妓夫太郎と堕姫のように二人仲良くしていた。
――ああ、何だ。上手くいったじゃないか
俺は胸を撫で下ろしていたが、鬼としての彼女たちを見ていくうちに考えは変わっていく。……鬼として生まれ変わった彼女たちは、人間の輝きを失わせていた。
――出来れば仲良くなって食べて一つになりたいと話すカナエちゃん
(やって良いことと悪いことがあるでしょ!)
――姉さんは甘すぎると叱りつけて真面目に食べろと怒るしのぶちゃん
(仲間の誰かが必ずやり遂げてくれる、私はそう確信している)
無駄だというのにやり抜く愚かさが、人間の素晴らしさで、儚さだと思っていた。それなのに、彼女たちと話せば話すほど、人間の頃と比較してしまう。記憶を覚えていないのかと訊けば覚えていないと二人は仲良く口を揃えて答えた。……俺のようにハッキリと覚えてはいなかった。気付けば彼女たちを凍らせてバラバラにさせていた。太陽の日差しに当たれば、二人は消えていく。俺も間もなく消えるだろう。痛かった、熱かった。それでもこれで良かったんだ。……目の前が真っ暗になった。