先程の暴力、男、身寄りがない、そして伊之助。聞き覚えのある名前と状況に、
――……間違いない、琴葉だ
面差しの残る美しかった顔は目蓋同様、顔の部位が全て腫れ上がり原形が分からない。大丈夫、声を掛けて身体の状態を確認する。着物の袖から見える琴葉の腕は青く変形している。……折れているのは間違いなかった。それでも腕の中で抱き締める赤子を手放さないのが分からない。痛いだろうに、辛いだろうに。女ならば耐えられないだろうそれが身体中に痕となって刻まれ、あちこちに打撲痕が残っていた。琴葉は童磨に大丈夫だと言うばかりで此処から立ち去ろうとする。
――だが足もどうにかなったらしい
がくがくと足を震わせて壁伝いを使って必死に立ち上がっては歩き出す、その度に転んでいた。それでは立つことは出来ないだろう。流石にそれは見逃せない。どう言い聞かせれば言うことを聞くのか。信者たちとの会話、琴葉との会話で何を好んでいたのか。童磨は経験の上でそれを口にする。琴葉を止めるために肩を優しく叩き、優しく微笑みかける。此処に敵は居ないのだと、伝えるように優しく言葉を紡いだ。
「その足じゃ立てないよ。君も子供を守ると思って自分を大事にしなよ」
まずは怪我を見てあげる、おいで。童磨の言葉に琴葉の目からボロボロと大粒の涙を流した。
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琴葉を家に連れていく。連れていく道中彼女は名を名乗る。童磨も実質初対面に近い琴葉に自己紹介をすれば、初対面にも関わらず俺は彼女の信頼を勝ち取るに至ったようだ。ホッとした様子で琴葉は肩の力を抜いた。足取りがおぼつかない彼女に肩を貸しながら、歩みを進める。歩みは一歩一歩遅いながらも確実に目的地へと進む、辿り着けば唯一置いてある家具であるベッドの上に横たわらせる。童磨は直ちに医者を呼んだ。夜更けにも関わらず医者はあっという間にやってきて琴葉の具合を診た。
――重症、と言い渡される
見た目以上に状態は酷いようだ。腕も折れていたし、肋骨も折れており、顔の骨は砕けていた。そして不安定な歩みをしている足の骨は折れていたモノが固定されないまま、骨が曲がりその状態でくっついていた。結果としては全治するまでは安静にと言い渡され、医者は痛み止めの薬を置いて居なくなった。そして、二人きりなった。
――なんとお礼を言えばいいのでしょうか
琴葉は伏し目がちに顔を下げる。言葉も少しずつ小さくさせている。それが何ともいじらしい。痛みが響かないように童磨は琴葉の頬を撫でた。慈しむように、憐れむように、爪の伸びた童磨の手が琴葉の痛ましく腫れ上がった肌を滑らせる。
「治るまで此処に居てもいいよ」
お金のことも心配しなくてもいいからね、そう笑いかければ身寄りもない彼女はそれに従った。気付けばもう朝だった。童磨はまどろむ思考に身を任せ、座りながら眠った。目覚めればもう既に夕暮れだった。童磨が目蓋を上げる、視界が開けば琴葉が目の前で心配そうな様子で此方を見ていた。良かった、とホッと胸を撫で下ろす。……どうやらベッドから降りたらしい。駄目じゃないか、童磨はすぐに琴葉を抱き上げてベッドの上に寝かせた。それがどうにもおかしかったのか琴葉は笑う。その声で起きたらしい赤子の泣き声が部屋中に響いた。
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それから琴葉たちとの生活が始まった。寝ること以外しなかった童磨の部屋にベッド以外の家具が増えていく。食材も増えれば貴方も食べましょうと琴葉が笑いかけるが重症の怪我人に任せるのは如何なものだろうか。俺がするよと童磨が引き受けるも料理など信者任せでやったことなどはなかった。知識として知っていても経験したことのない童磨は何度も料理を駄目にした。琴葉は笑って食べるが、童磨の舌でも濃すぎる味が美味しい筈もなかった。
――結果的には琴葉の指導の下料理をすることになったがこれがどうにも難しい
背中に乗せる赤子をあやしながら味噌汁を作る。仕事もだが料理にも何事にも経験が必要なのだなぁ、コトコト煮込まれる味噌汁の具をボンヤリと眺める。前までなら味噌汁の具も碌に切れなかった訳だが、こうして煮込まれる具の様子を見れば上達が窺えるというモノだ。以前よりも上達したらしい味噌汁の味を確かめながら童磨は満足しながら笑った。
――その晩、琴葉からは絶賛の評価をもらった
……それがなんだと言うのだろうか、だが童磨にとって何故かそれが大切な宝物を貰ったような不思議な気持ちになったのだ。そうすればもっとやってみたいとか自発的なモノが芽生え始め、トクトクとしのぶちゃんに感じた感情に似たモノが胸を優しく叩いた。なんだろう、これは。胸を押さえても心臓の高鳴った音が聞こえるばかりだった。
――結局答えは見つからなかった
琴葉はもう傷が癒えつつあるようで、翡翠の眼が穏やかに此方を見る。眠る体質を理解したのかいつかのように生活を逆転させている。いつもの間違えた子守歌を歌い、童磨の耳を楽しませた。童磨の料理が上達するにつれて、琴葉の傷の経過もよくなり歩けるようになってからのことだった
――琴葉が居なくなった、それも赤子と一緒に
夜に出歩いてはいけないと言ったのに、童磨は街を走り回るが捜しても見当たらない。彼女がよく行く場所に行っても何処にも姿はなかった。まだ癒えて間もない身体では何処にも行けはしないだろう、童磨は考える。
――彼女なら一体何がしたい
単純なことだ、彼女なら何をするのか、したいのか。彼女の普段の行動を考えた。歌、赤子の面倒、それからそれから、……ああそうだ。花だ。あの子はよく何処からか花を持ってきては教団内でまき散らしていた。今でも何でそうするのか分からないけれど、きっと花を取りに行ったのだ。だが花屋が閉まっている今、向かう先は。童磨は山に向かって走った。
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山に入れば童磨の鼻孔を突いたのは甘い匂いだった。嗅ぎ慣れた甘い匂い。鉄の食欲をそそる匂いだった。……誰かが、何処かで怪我している。まさか、童磨が匂いのする方へ草木を掻き分ければ琴葉が鬼に喰われていた。必死に逃げたようで崖の縁にしがみつき足から喰われている最中だった。そんな光景が虹色の眼に反射して映る。
――頭が自然と冷えた気がした
匂いも美味しそうなことは童磨にも同じことなのに、食欲よりも何かが童磨を優先させていた。久方ぶりに取り出した金扇を振りかざす。鬼の頸は何処かに飛んでいきその下の胴体が凍り付く。再生は許さないと言わんばかりに、凍り付いた胴体が砕けた。
「琴葉、大丈夫?」
呼びかけて見おろせば琴葉の膝下から先はなくなっていた。両足が無くなりもう立つことも歩くことも出来ない。せっかく戻った足も台無しになっていた、それでも生きているのならと童磨は止血にと琴葉の足を凍らせる。血はようやく止まり、抱きかかえて童磨はようやく気付く。
――伊之助が何処にもいないのだ
見渡してもあの轟かせるような泣き声が聞こえない。腕にいつも宝物のように抱き上げる命が見当たらなかった。……まさか、琴葉を見れば青ざめた顔をさせて崖下の川に落としたのだと話し出す。崖下を見るも底の下は暗闇でどうなっているのかも分からない。飛び降りて捜したが激しい川の流れで見つけることが出来なかった。崖を登り琴葉の下へ戻れば夜明けが差し迫っていて捜すのはこれ以上無理だった。
――大丈夫だよ
琴葉を抱き上げる童磨が優しく笑う。パン、と乾いた音が響いた。目を見開き衝撃を与えた娘を見る。どうして、と琴葉は静かに泣いていた。
「どうして伊之助が生きている保証もないのに、大丈夫なんて、言えるの……ッ!!」
ただただ愕然とした。ああ、そうだ。伊之助も生きている保証など誰にも分からないのだ。……俺だって、それは知っていた筈なのに。思い出すのはいつかの愛しいあの子の姿。信者にさせて、連れ出された琴葉に突き落とされた時、俺は何を思っていたのか、あの時の俺と今の琴葉に差なんてないじゃないか。今なお琴葉は童磨の胸を叩き泣いている。どうしてだろう、眼が熱くて仕方がない。頬に伝うこれと焦がす胸はなんだろう。訳の分からない感情だった。
――ねぇ、琴葉
童磨は泣いている彼女の肩を撫でる。彼女は暴れるがそれも徐々に力が無くなっていく、しゃくりあげる声が大きくなって揺れる肩をポンポンと叩く。童磨は優しく微笑んで口を開いた。
「きっと伊之助は大丈夫だよ。君の子だ、強くなって大きくなる。俺が保証するしその子を絶対に捜すから。だから琴葉、待っておくれよ」
俺は優しいからな、どちらかも分からない涙が地面に落ちた。
タイトルを付けるなら童磨さん、琴葉から学ぶ(二回目)かなぁ?