大魔王 羽咲綾乃   作:深淵の英知

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終わりの始まり

 ラケットを持ち、構える。たったそれだけの所作だった。

 その時、娘を見て私の中に天啓にも似た衝撃が走った。

 何も教えていないのに、筋がいいとか、そんなレベルの話ではない。理に適った、既に完成されたその構え。

 この娘は天才だと。

 やはり、この娘は私の娘なのだと。

 それは理屈では説明しきれない、天啓にも似た確信だった。

 血が騒ぐのを感じた。この娘を鍛えたら一体どこまで伸びるのだろうか。歴史に名を刻むのだろうかと。

 人生の大半をバドミントンに生きた者としての本能を抑えることができなかった。

 

 だから私は鍛えた。娘を。

 自分のこれまで生きてきたバドミントン人生のその知識を、能力を、技術を、その全てを娘に伝えた。

 

 結果として娘はーー

 

 「――ゲ、ゲーム! ウォンバイ、羽咲! 〇〇ジュニアバドミントンクラブ! 21-0、21-0!」

 

 静まり返った会場。半ば裏返った主審のコールだけが虚しく響き渡る。

 コート上で膝を突き、茫然自失としている対戦相手を尻目に、娘は感情を宿さない冷たい目で対戦相手を一瞥すると静まり返ったコートを後にした。

 

 その佇まいは圧倒的な強者そのもの。

 だがその後ろ姿はどこまでも孤独なものだった。

 

 ***

 

 バドミントンを始めた頃の娘は感情を常に爆発させていた。お遊びでやっていた私とのラリー合戦では楽しそうにラケットを振るい、娘のミスでラリーが中断すると悔しげに地団駄を踏み、もう一回! もう一回! と私に向かって言って来た。ラリーの記録が更新された時はそれこそ太陽のような笑顔と共に嬉しさを爆発させていた。

 娘が笑わなくなったのはいつからだろう。

 初めての大会、緊張のあまり当日に体調を崩し、満足に実力を発揮できなかった時は悔し涙を流していた。

 リベンジを誓った次の大会では万全の体制で試合に臨み、苦戦した試合はあったものの見事優勝をしてみせた。

 その時の娘はこれまでにないくらいに感情を爆発させ、喜びを全身で表していた。大会が終わった後も部屋に飾られたトロフィーをいつまでも飽きることなく見つめ、ニマニマしていたのを覚えている。

 その次の大会もーー次の大会も娘は笑っていた。少なくとも私の記憶の中では笑っていた。

 だが部屋の中の表彰状やトロフィーが増えていくに従って娘の顔からは笑顔が消えていった。

 

 あれ程までに熱心に打ち込んでいた練習をサボるようになった。

 かつて私は問い質したことが有る。なぜ練習をサボるのかと。一日休めばそれを取り戻すのに三日はかかる。才能溢れる娘の有限なその時間を無駄にしてほしくなかったから。

 

 そうしたら娘はこう答えた。練習をしたら、強くなっちゃうでしょ、と。

 

 「練習すればするだけバドミントンがつまらなくなるの」

 

 私は言葉を失った。

 強すぎるが故に、まともに打ち合える相手がいない。続かないラリー。絶対的強者であるが故の孤独。

 それはかつて私が現役時代の時にも抱いたことのある思いそのものだったからだ。

 

 やはりこの娘は私の娘なのだと、そう思った。

 それと同時に胸の内に沸き起こるのは猛烈な葛藤。

 

 この娘はこんなところで止まってしまっていい逸材ではない。

 私の遺した記録を塗り替え、いずれはバドミントン界の歴史を塗り替え、歴代最強の選手になる女だ。

 その才を潰すということは人類の損失。バドミントンに対する冒涜だ。

 

 猛烈な危機感を抱いた私はひたすら考えた。

 どうすればいい。娘をやる気にさせるにはどうすればいい。

 様々な事を試みた。中国や欧州を始めとした海外遠征。現役時代のツテを使って、高校や大学の選手の練習に参加させてみたり、日本の最前線で活躍するプロの選手との試合を組んだことさえあった。

 だが、そのどれもが無駄に終わった。

 新たな環境に身をおかせても、自分よりも身体の出来上がった選手との試合を行っても、娘は負けなかった。

 本来なら負けてもおかしくないはずの選手を相手にしても、娘は勝ち続けた。

 そして勝ち続ければ続けるほど、娘の表情からは感情がなくなっていき、どんな相手を目の前にしても能面のような無表情を崩さないようになっていった。

 

 どうすればいい。娘をやる気にさせるには、バドミントンに対する情熱を取り戻させるには、一体どうしたらいい。

 

 娘を孤独から救うにはいったいどうすればいい――。

 

 考えうる限りの方法を試した私は途方にくれていた。海外遠征もだめ。本来なら格上の相手であるはずのプロ選手を相手にしてもだめ。こんなの、いったいどうすればいいっていうの?

 底の見えない娘に恐怖を抱いたことさえあった。それでも私は震える心を奮い立たせ、考えて考えて考え抜いた。

 

 そして思い至る。

 やるしかない。無いのなら、作るしかない。

 娘を倒せる最強を、この手で作り出すしかない。

 

 「相手のいないバドミントンはつまらない?」

 「……」

 

 大会で全戦全勝で優勝を飾り、閉会式の後。

 つまらなそうにベンチに腰掛ける娘に聴いた質問に対して、娘は終始無言であったが、どこか不貞腐れたその表情は私の質問が正しいことを暗に示していた。

 そんな娘の反応を見て、決心を固めた私は心の内で考えていた事を告げた。

 

 「だったら私が用意してあげる」

 「えっ」

 

 娘が怪訝な顔を私に向けてくる。

 

 「今から私が綾乃に並び立つ……いや、綾乃を超えるような逸材を探し出し、育てあげる」

 

 その言葉をぽかん、といった表情で聞いていた娘であったが、やがてその言葉の意味を理解したのかその表情を変える。

 

 「わたしを超える?……そんな人、見つけられるの?」

 

 見下すような下種でありながらも、どこか諦めたかのような笑み。いるはずがない。それを確信しているかのような笑みだった。

 事実、娘を超える逸材など、世界中どこを探してもいないだろう。

 天賦の才を持つ親がその選手時代に培った技術を、経験を、余すことなく伝えたのはそれを凌駕する天賦の才を持つ我が子であり、その子は周りが自分について来られなくなるその時まで、気づけば敵と呼べるような好敵手がいなくなっていたその時まで、努力に努力を重ねた天才なのだから。

 

 あなたを超える逸材はいない? ああ、そんな事はあなたを鍛えた私が一番わかっている。

 

 それでもこれ以上は娘を失望させる訳にはいかない。その一心で、焦燥を抱きつつ――それでもここまで娘を鍛え上げたコーチとしてそれを悟らせないように口を開く。

 

 「世界は広い。あなたを超える逸材だって、世界中くまなく探せばどこかにいるはずだわ」

 

 だから止まるな。こんなところで、止まらないでほしい。

 

 「ぷっ……」

 

 そんな私の心の内を見透かしたのか。娘はそんな私の言葉に吹き出すと、目を瞑った。

 しばらく黙り込んでいた娘であったが、やがて気だるげに口を開いた。

 

 「……いいよ」

 「えっ」

 

 娘は私に顔を向ける。

 

 「だからいいよって言ったの。私を超える人なんているはずもないってことはわかってるけど、今はママの口車に乗せられてあげる」

 

 そう言うと、娘は私に背を向けると歩き出す。

 

 「どこへ行くの?」

 「練習。だってママが用意してくれるんでしょ?私を楽しませてくれる相手を。だったら練習しないと」

 

 ――楽しみに待ってるよー。

 ひらひらと手を振った娘はそのまま振り返ることもなく、この場を立ち去っていった。

 取り残された私はただ立ち尽くす。

 

 「……」

 

 これでいい。ひとまず。

 その場しのぎの応急処置にしかならなかったかもしれないが、ひとまず、娘はまたバドミントンに対する情熱を取り戻してくれた。

 

 なら、こうしてはいられない。

 娘は努力すれば努力するだけ力を伸ばす、底の見えない怪物だ。

 娘が立ち止まる理由が無くなった以上、ただでさえかけ離れた力の差はさらに隔絶したものとなっていく。

 

 娘が信じてくれた想いには親として報いなければならない。

 

 私は歩き出す。娘とは反対の方向に。

 

 その先に待つ未来が、破滅であることを心の片隅で予感しながら。

 

 +++

 

 そして私は出会う。異国の地デンマークで。

 たまたま立ち寄った孤児院。たまたま広場で、一人、バドミントンで壁打ち練習をしているある子供を見て。

 

 ああ、この子なら、娘を倒すことができるかもしれないと。

 

 それはパンドラの箱に残された破滅の未来を覆せる最後の希望なのかもしれない。

 

 その希望の名は――

 

 

 

 

 




 幼少期綾乃「……」スッ←ラケット構える
 有千夏「……ッ(この子やばくね?マジ天才じゃね?せや、鍛えたろ!!)」

 数年後

 綾乃「オレに勝てるのはオレだけだ」
 有千夏「oh……」



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