大魔王 羽咲綾乃 作:深淵の英知
孤児院の広場で一人、壁に向かってシャトルを打つ。
物心がついた頃から、あまり人付き合いが得意ではなかった私は、いつしか孤児院の片隅で埃を被っていたバドミントンセットを持ち出し、一人で遊ぶようになっていた。
別に寂しいとは思わなかった。壁に向かってシャトルを打つときに聞こえる風切り音。シャトルがまっすぐ壁に突き刺さるその瞬間。
地面に落ちたシャトルを拾い、また所定の位置に戻り、一連の動作を繰り返しているその間は何も考えずに済んだから。
晴れやかな心地いい日だった。その日も私は一人、壁にシャトルを打ち込み続けていた。
何回打ったのか、数えてしまうのもやめてしまった中、何百回と繰り返した時と同じように落ちたシャトルを拾い、所定の位置に戻ろうと顔を上げたその時、いつの間にか一人の女性が立っている事に気がついた。
艷やかな黒髪を白い布で一括りにしている。
健康的な色白の肌。
身長は女性の割には高い部類に入るだろうか。
綺麗な人だった。
思わず息を呑んだ私はぎこちなくシャトルを拾うと所定の位置に戻ろうとする。こんな綺麗な人が、こんな孤児院の広場の片隅でなんの用があるんだろうと心の片隅で思いながら。
「ねぇ」
声をかけられたのはその時だった。
ビクゥ!とわかりやすく身体をのけぞせた私はギギギとぎこちなく首を女の人の方へと回す。
「な……なんですか?」
緊張を隠せない私の姿がツボに入ったのか、女の人は軽く吹き出すと、改めて穏やかな顔を私に向けて言った。
「バドミントン、好きなの?」
そう聞かれて、私は即座に頷く事ができなかった。好きか嫌いか。そんなこと、考えたことがなかった。
ただ部屋の片隅で埃を被っていたバドミントンのセット一式がたまたま目に入って。
他にやりたいこともなく、一緒に遊ぶ友達もいなかったから、時間つぶしに遊んでいただけだ。
黙り込む私を見て、女の人はクスリと笑みを浮かべると、近くに立てかけてあったもう片方のラケットを手に取った。
「……あまり手入れはされてないわね。でもま、いっか」
張り巡らされたネットをしげしげと眺めて小さく呟くと、少し距離を開けてから私に向き直った。
「ラリー、やってみる?」
「えっ……」
私が答える前に、女の人は「それっ!」と声を上げるとラケットでシャトルを私に向かって打ち上げた。
「わわっ……」
咄嗟にラケットを構えた私は、反射的にシャトルを女の人に向かってぎこちなく打ち返す。女の人は余裕を持って打ち上げられたシャトルを追いかけると、再び私に向かって打ち返してくる。
「それっ」
「っ!」
それからしばらく、唐突に始まった私と女の人のラリーは続いた。
始めはぎこちなかった私の動きも、時間が立つに連れ、緊張が解れたのか、軽やかになっていくのを感じた。
今までは壁に向かって打ち込んだら、そのシャトルが返ってくることはなかった。
けれど今は。この瞬間は違う。
打ち込んだら返ってくる。一人ではない。孤独ではない。そんなちっぽけな事実が、今の私にはなぜか無性にうれしかった。
「へへ……」
けれどそんな幸せな時間もやがて終わりがやってくる。
「あっ!」
慣れないラリーの応酬に足がもつれたのか、バランスを崩した私のラケットが空を切る。
どたん、と地面にお尻をぶつける私を見て、焦ったのか女の人が慌てて私の元へ駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫?」
「は……はい、大丈夫です」
「そう、よかった。立てる?」
差し伸べられた手を、おそるおそる握ると、女の人は優しく笑みを浮かべた。
「結構、ラリー続いたわね。バドミントン、やってるの?」
「い、いえ」
私の返事に、女の人は驚いたように目を見開く。
「やってなかったの? それでこんなにラリー続くなんて、凄いわね」
どう答えたものか、言葉に迷う私を見て、我に返った女の人が口を開く。
「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね」
そして穏やかでありながらもどこか底の知れない微笑みを浮かべてその名前を告げる。
「私は羽咲有千夏。——あなたのお名前は?」
「コ、コニーです。コニー・クリステンセン」
「コニー、ね。いい名前ね」
これが私と有千夏との出会いであり――
「ねぇ、コニー。あなた、バドミントンは好き?」
先の見えなかった私の未来が切り開かれた瞬間だった。
勇者コニー(生贄)