大魔王 羽咲綾乃   作:深淵の英知

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渇望

 お母さんが家を出ていった。

 

 

 とは言っても別に捨てられた訳ではない。国際電話だから頻度は少ないけど、普通に電話もするし、週に一度はわたしに合わせたトレーニングメニューの書かれたメールだって届いてくる。

 

 お母さんが出ていった理由。それはわたしに匹敵する才能の持ち主を発掘するため。そして、わたしと対等に戦りあえる選手を育成するためである。

 

 

 

 

 

 

 

 …………わたしと対等に戦りあえる? そんな人、いるわけ無いじゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 お母さんの言葉を聞いた時、まずわたしの頭の中に最初に思い浮かんだのはそんな言葉だった。

 お母さんが周りに敵無しで、力を持て余しているわたしのことを想って言ってくれているのはなんとなくわかっている。

 だけどこの前、お母さんのツテで大人のプロ選手とも試合したのにさ、まるで相手にならなかったじゃん。日本の最前線で活躍してるプロだっていうから期待していたのにさ。

 

 プロの選手というのはわたしにとって最後の防衛戦みたいな所があった。

 だってプロっていったらその道の最上位にいる人の事をプロって言うでしょう?

 

 プロの選手なら私を満たしてくれると思っていた。いや、満たしてくれないと困るって思っていた。

 だって、その道の最上位であるプロの選手が相手にならなかったらさ、満たされないこの渇きは誰が満たしてくれるっていうの?

 

 だからそのプロの選手が相手にならなかった時。拍子抜けするくらいあっけなく勝ってしまった時。

 

 

 

 ああ、バドミントンって、つまらないなって。

 

 

 

 そう思った。

 

 だからお母さんがわたしを超える選手を見つけて育てるって言われた時もお母さんには悪いけど、喜びと期待感というよりは、どうせ無理なんだろうなっていう諦めの思いの方が強かった。

 だけどその時のお母さんの表情があまりに真剣でさ。わたしをここまで育ててくれたのはお母さんだったし、お母さんと一緒にやる練習は楽しかったし。

 

 お母さんの言葉なら、最後にもう一度信じてもいいのかもしれないって、思った。

 

 だからわたしはお母さんの口車に乗ってあげる事にした。

 たとえ心の奥底では無理だって思っていても口には出さず、無理やり自分を奮い立たせるように歪な笑顔を浮かべながら。

 

 

 わたしより、強い人が来るならその日のために練習しなくっちゃね、と。

 

 

 なんの根拠もないそんな言葉だったけど、その言葉は久しぶりに渇ききったわたしの心を奮わせたような気がした。

 

 +++

 

 それでもまぁ、そんな言葉一つでうまく行くなら人生何も苦労しないわけで。

 お母さんが家を出て行ったその後もわたしは一人、努力を怠ることなく練習を続けた訳だけど。

 

 「……ねぇ、今の球、そんなに難しい球だった?」

 「えっ……」

 

 わたしからしてみたら簡単に打ち返せるような球だった。それなのに見ているこちらが苛つくような素振りで空振ったチームメイトの不甲斐なさに思わずラリーの手を止めて告げる。

 ネット越しに告げられたチームメイトの女は、汗だくになった顔を拭いながら、しどろもどろに言った。

 

 「む、無理だよ。羽咲さんの球、速くってさ……」

 

 その言葉にムカついたわたしはラケットを持っていない手で髪をかきむしる。

 

 「ッチ……無理でもさぁ、もう少し必死に追い縋ろうとか、そういう努力しないの? 今の球だって、返そうと思えば返せたはずじゃん」

 

 そうだよ。この女の実力くらい、とっくの昔に把握してる。だから、この女がギリギリ捕れるくらいの球をわざわざ力を加減して打ち込んでやってるのだ。

 返せるはずなのに返さない。だからわたしはいらつくのだ。

 チームメイトの女はそんなわたしに対して、情けない、媚びするような笑みを浮かべていった。

 

 「そ……そんなの無理だよ。だ、だって羽咲さん、あの羽咲有千夏選手の娘でしょ? さ、最初から格が違うんだよ。羽咲さんに勝てる人なんて、いっ、いるはずがないんだよ」

 「〜〜〜〜〜〜〜ッ」

 

 ここまで貶されてこの女は自分が情けないとは思わないのだろうか。少しはわたしに歯向かってやろうとか、思わないのだろうか。

 やるせない思いに言葉を無くしたわたしは、行き場のない思いに思わず床にラケットを叩きつけようとして――寸前の所で踏みとどまる。

 どんな理由があるにせよ、バドミントン選手にとって、ラケットとは命そのものだ。ガットの張り方ひとつ、グリップの巻き方ひとつでシャトルの飛び方も変わってくる。だからそれをぞんざいに扱うのは許されないということは、お母さんに口酸っぱく言われてきた。

 

 だけどさ、そしたらこの思いはどうすればいいの?

 この鬱屈とした思いは、貯めこむしかないの? 我慢するしかないの?

 

 これ以上この場にいたら、頭がおかしくなりそうだった。

 だから私は最後に舌打ち一つすると、練習場をあとにしようとする。

 

 その時、頭の中にフラッシュバックするのはお母さんの言葉。

 わたしを満足させる相手を育てあげると、約束してくれた真剣なお母さんのまなざしだった。

 

 「……くそが

 

 小さく毒ついた私は、冷たい目をチームメイトに向ける。びくっと、怯えたようにチームメイトの女は体を震わせる。そんな情けない姿がわたしの苛立ちを加速させる。

 

 「ひっ……」

 

 「……もう、いいよ。君じゃ、練習にならないから。だから別の人、連れてきてくれる?」

 

 「は、はひっ! ご、ごめんなさいっ!」

 

 逃げるようにその場を立ち去っていくチームメイトの背中を見送る。

 

 「……」

 

 ねぇ、お母さん。

 

 お母さんは、私を満足させてくれる相手を見つけてくれるんだよね。

 

 だから今は、我慢するよ。我慢して、練習するよ。

 

 

 だけどさ、人には我慢の限界ってものが存在するんだよ。

 

 だからあんまりにも見つけるのが遅いと、わたしもどうなっちゃうかわかんないよ。

 

 お願いだから、ねぇ、お母さん。

 

 早くわたしを満足させてよ――。

 




 綾乃「テメーの準備が整うまでおとなしく待ってやるほどオレの気は長くねーぞ」
 有千夏「(´・ω・`)」

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