大魔王 羽咲綾乃 作:深淵の英知
「おはよう、コニー」
翌朝。
ママは普段となんら変わらない調子で、食卓に姿を現した。
あれから眠りにつくことができなかった私は、重い瞼を懸命に持ち上げながらも、ママに挨拶を返す。
「お、おはよ、ママ」
ママは向かいの席に腰掛けると私と同じように食卓に置かれたシリアルに手を伸ばしながら、口を開いた。
「昨日の夜、タオルケットかけてくれたの、コニーよね? ありがと」
「う、うん……」
器にいれたシリアルに牛乳を注ぎ込むママを尻目に私は少し牛乳を吸って、ふやけ気味のシリアルを口に含む。
「……」
食卓に広がる沈黙。それには奇妙な緊張が含まれているような気がした。
昨日の夜のこと。聞きたい。
だけど、昨日の夜のあの事は、聞いてはならないような、聞いてしまったら今まで過ごしてきた日常が変わってしまうような、そんな言いようのない不安があった。
触れてはいけない、開けてはならないパンドラの箱を開けてしまうような、底知れぬ不安。
だけど、私は知りたい。知りたいのだ。
昨日の映像の女の子が誰なのか。どうして、ママに似ていたのか。
なんで、あんな試合展開をしていたのか。
そして、寝言で言っていた『アヤノ』っていったい誰なのか。
どうしても知りたかった。
だから私は口を開く。
「あの、さ、ママ」
「んー、なに?」
「昨日の夜、ママにタオルケットかけた時に、パソコンの電源がついていたのを見たんだけどさ」
「――!!」
――瞬間、部屋の空気が凍ったのが分かった。
器にスプーンを入れた状態で固まるママ。目がこれ以上無いほど見開かれ、動揺しているのが分かった。
けれどそれも一瞬の事で、すぐに普段通りの表情に戻ると、器に入ったシリアルをスプーンでかき混ぜ始めた。
「あ、あの……ママ?」
「ん? ああ、パソコンの電源も付きっぱなしだったのね。昨日の夜はちょっと疲れが溜まっていてね、ちょっと記憶があやふやなのよ」
それで、それからどうかしたの?
一見、普段通りの穏やかな表情で私に続きを促してくるように見える。だけどその表情はどこか強張っていて、私はそんなママの表情が、今この瞬間、作り上げられた仮初のものであるということを悟っていた。
ママが、この話題を避けたがっているのは明白だ。けれど、ママは自分から明確に拒絶するのではなく、判断を私にゆだねた。
私が聞いてくるのであれば答える。けれど、今、ここで聞かないのであれば、答えない。ママの表情は暗にそのことを伝えていた。決めるのは、私だ。
「……」
私は俯いた。
おそらく、これが最後のチャンス。今、ここで昨日の夜のことを見て見ぬフリをすれば、少なくともしばらくは今まで通りの日常を過ごせるはずだ。
ただバトミントンが楽しくて。
試合に勝つことが嬉しくて。
尊敬するママと一緒に、過ごしていく、穏やかな日常を。
だけど私は見てしまった。知ってしまったのだ。
あのママに似た、絶対的な存在を。
類を見ないほど圧倒的で、これ以上ないくらい冷酷で、それなのに、残酷なまでに美しいあのバドミントンを――
知ってしまったから――
「……昨日の夜、パソコンの電源がついていて、それで、そこにバドミントンの試合が流れていたの」
紡がれた私の言葉を聞いて、ママは目をつむった。意を決っしたような、何かを諦めたかのような、その表情。
けれど私ももう、止まらない。
「そこにさ、ママによく似た女の子が映っていたの」
凄い実力だった。
あんなにまで美しい、綺麗なバドミントンは今まで見たことがなかった。
だけどあの女の子はとても冷たい目をしていた。
美しいのに、どこまでも暴力的だった。
そこにはもはや互いに互いを敬意を払い、高めあうバドミントンはなかった。
それは残酷なまでに圧倒的な、絶対的強者が弱者を弄ぶ、蹂躙だった。
どうしようもなく、悲しくなった。
どうして、と疑問を抱いた。
あなたのバトミントンは狂おしいほどに美しいのに。
あなたの心はどうしてそんなにも、荒んでいるのか。
私は、どうしても、知りたい――。
「――あの女の子は、いったい、誰なの?」
私の問いに、目をつむっていたママはため息を一つ、吐いた。
そして、静寂。
カチカチと、時計の音だけが辺りに響き渡る。
「……あの娘の名前は羽咲綾乃。日本にいる私の実の娘で……そして、あなたと同じように非凡な才能を持った、バドミントンの選手よ」
そう言って、目を開いたママのその瞳の奥にはどこか暗い影が落ちていて、そのさらに向こう側には確かな憂いが込められていた。
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