大魔王 羽咲綾乃   作:深淵の英知

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それは、最強を育て上げた母親の、自分でさえ気づかないうちに貯めていた心の吐露だった――





決意

 「はじめはね、私も綾乃にバドミントンの道を勧めようとは思っていなかったの」

 

 全日本選手権10連覇という偉業を成し遂げ、世界大会でも数々の栄光を手にした日本バドミントン界の至宝――羽咲有千夏。

 自分で言うのも何だとも思うけど、客観的に見て、そんな輝かしい経歴を持つ母親と同じ道に進ませるという事がどういう意味を持つのか。

 それがわからない訳では無かったし、娘の綾乃には自分の好きな道に進んでほしいという、母親としての思いもあった。 

 しかし、そんな思いと裏腹に綾乃はバドミントンに興味を抱いた。無理もなかった。親のしている事に興味を覚えない子供がいないはずが無かったし、バドミントンをしているかっこいい親の後ろ姿を見ていれば当然、憧れというものを抱くものだったからだ。

 

 そして――

 

 「ラケットを手に取った綾乃のその立ち姿を見て、私はわかってしまったの」

 

 この娘は天才だと。

 鍛えればどれだけ強くなるのだろうかと。偉大な記録を生み出して行くのだろうか、と。

 

 「ただラケットを持つ娘の姿を一目見ただけなのに、おかしな話よね」

 

 私は額に手を当て、自虐的に笑みを浮かべる。

 

 「そして、それが全ての始まりだった」

 

 娘の進む道は娘自身が決めればいい。そう思っていたはずの親心はとうにどこかへと消え去っていた。

 この娘を鍛えたい。

 そしてその先に待つ完成した姿を見てみたい。

 その欲求が心の内で抑えきれなくなった。

 

 「だから私は娘を鍛えたの。己の欲求のままに。未来の事なんて、考えもせずに」

 

 私の思ったとおり、娘は教えたことをまるでスポンジのように吸収していった。その成長速度は同世代の子の比ではなく、半年が過ぎる頃には大会で決勝に進むまでに成長し、一年が経つ頃には大会で優勝する事が当たり前になった。

 

 ――お母さん、見て!また優勝したよ!

 

 賞状とトロフィーを片手に満面の笑みで駆け寄ってくる娘が、誇らしかった。

 この天才の娘を育てているのは、自分なのだという事実が嬉しかった。

 

 「でも、そんな生活は長くは続かなかった……」

 

 人は適応していく生き物だ。

 同じ状態がずっと続いていくと刺激がなくなる。慣れていってしまう。

 

 娘もまた例外では無かった。

 周囲との実力が開いていき、勝ち続けるうちに、娘は勝ち続けるという行為そのものに慣れてしまっていた。勝つことに対する喜びや情熱を抱けなくなってしまっていた。

 それでも、それだけならまだ良かった。いつしか試合に勝った後、どこか乾いた笑みしか浮かべなくなっていた娘であったが、それでもまだその時は、娘はバドミントンに対する情熱自体は失っていなかったのだから。

 

 忘れもしない。あの時の事を。

 

 試合中であるのにもか関わらず、棒のように立ち尽くす相手を尻目に虚しく突き刺さる綾乃のスマッシュを。

 

 『えっ……』

 

 綾乃は棒立ちの対戦相手を戸惑った表情で見ていた。今は試合中だというのに何を構えもせずに突っ立っているのか、意味がわからなかったのだろう。

 そして訳もわからず、そのままその対戦相手は試合を棄権した。俯いたまま微動だにしなくなった対戦相手は、コーチに肩を抱えられ、会場を後にした。

 コートに残されたのはただ呆然と、人形のように立ち尽くす綾乃の姿。

 

 そう。綾乃は強すぎた。

 そしてその強さは対戦相手の心をへし折ってしまったのだ。完膚なきまでに。

 

 試合の帰り道。コンビニに立ち寄った私は肉まんを片手に娘の元へ向かっていた。いつも試合の後のご褒美に買っていた綾乃の大好物だ。

 

 綾乃は試合会場側の公園でこちらに背を向けた状態で一人立ち尽くしていた。その後ろ姿に私は声をかける。

 

 『試合お疲れ、綾乃。肉まん、買ってきたよ』

 

 普段ならその言葉に即座に飛びついてくるはずの綾乃であったが、その日は違った。

 

 『ねぇ、お母さん……』

 

 綾乃はこちらを振り向く事なく口を開いた。その声はどこまでも固く、そして平坦なものだった。

 

 『バドミントンってさ、対戦相手がいないと成り立たないスポーツだよね』

 

 唐突の問いかけに戸惑いながらも私は答える。

 

 『え、ええ。そうね。でもそれは他のスポーツでも言えることなんじゃない?』

 

 その言葉に娘もだよねー、と肯定する。

 

 『だったらさ、その対戦相手の心まで折っちゃったら、この先わたしはどうしたらいいの?』

 

 そう言って、こちらに振り向いた綾乃は笑みを浮かべていた。光を失ったその黒い瞳に、大粒の涙を溜めて。

 

 

 

 

 この時になって、ようやく私は自分の犯した過ちに気がついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから私は綾乃の孤独を埋めようと必死になった。

 バドミントンに対して無気力になった娘にどうにかもう一度活力をあげたいと。

 高校や大学の練習に混ぜてもらったり、現役時代の伝手を使って、全日本のプロ選手と試合を組んだりもした。

 だが、そのどれもが応急処置に過ぎなかった。

 綾乃は負けなかった。

 綾乃は勝ち続けた。

 

 圧倒的な力で、勝ち続けた。

 

 私が見出したその圧倒的な才は私自身でも手が負えないほどの成長を遂げていた――。

 

 それは私が望んだはずのことだった。圧倒的な才能を持つ自分の娘を思う存分に育て上げて、その先にある完成された天才の姿を見るのが私の願望のはずだった。

 

 だがその先に待っていたのは何だ。

 その圧倒的強さ故に孤独になった娘だけだった。

 

 対戦相手がいなければバドミントンは成り立たない。そんな当たり前の事を私は忘れていたのだ。

 

 ああ、私はいったい何ということをしてしまったのだろう。

 私は後悔した。最強を見てみたい。そんな自分勝手な欲望が娘を孤独にしてしまったのだから。

 謝って済む話ではない。

 娘を救うにはどうすればいい。

 

 作るしかない。

 いないのなら、この手で。

 娘を超える最強をこの手で作り出すしかない。

 

 だから、私は娘に約束した。

 あなたと対等に戦いあえる相手を、用意すると。

 

+++

 

 「それじゃあ、ママがあの時、孤児院を訪れたのは……」

 「ええ、そうよ。あの時、私が孤児院を訪れたのは綾乃に負けない才能を持った逸材を見つけ出すため。そしてその子を育て上げて、娘の相手をしてもらうためよ」

 

 軽蔑した?と自虐的な笑みをママは浮かべる。

 

 「あんな顔して近づいて、本当は心の内側ではあなたのことを娘を満足させるための道具としてしか見てなかったのよ、私は」

 

 だけど私はそんなママの言葉を否定する。

 

 「そんなことない」

 

 だってあの時、ママが私を見つけてくれたから今の私がここにいる。

 ママが私を見つけてくれなかったら私は今も孤児院の広場の片隅で、一人で壁打ちをしていただろうから。

 バドミントンは好きか。

 そう問うてくれたママがいてくれたから私は、独りぼっちだった私は自分の未来に希望が持てた。

 

 「私の人生はあの日、ママに出会った、あの時から始まったの!」 

 「――!!」

 

 私の言葉にママの目がこれ以上ないくらいに見開かれた。

 揺れる瞳は戸惑いを隠しきれないようだった。

 やがて、溢れ出したのは大粒の涙。

 

 「あ、あれ……?」

 

 手のひらで涙を拭うけど、溢れる涙は止まらなかった。

 私はそんなママの隣の席に移動すると、その華奢な手を握りしめる。

 

 「たとえママが、私をアヤノを満足させる道具でしかないと思っていたとしても、私にとってママはママなの」

 

 私を見つけてくれてありがとう。

 バドミントンが好きだっていうことを気づかせてくれて、ありがとう。

 

 私の心にはママへの軽蔑の思いなんてなかった。

 ママには感謝の思いしかなかった。

 

 「うっ、ううぅっ……うぐぅ……」

 

 嗚咽を漏らすママは私をそっと抱き寄せた。

 

 「ごめん……なさい……コニー、ほんとうにごめんなさい……」

 

 そんなママをあやすように背中をさすりながら私は優しく耳もとで呟く。

 

 いいんだよ、ママ。――と。

 

 それからしばらくしてようやく落ち着きを取り戻したママは恥ずかしかったのか、少し頬を赤らめたけどしっかりと私の目を見据えていった。

 

 「あなたは道具なんかじゃない。娘の綾乃と同じくらい大切な、私の娘よ」

 

 はじめは打算もあったのかもしれない。それでも、あなたと一緒に過ごして、一緒に成長していく内に変わっていったのだと、そうママは告白してくれた。

 

 嬉しかった。やっぱりママは私を大切に想っていてくれていたんだと、はっきりとわかったから。

 だったらもう迷いはない。ママが私を愛してくれるのなら、私はママの思いに応えたい。

 

 「決めたよ、ママ……」

 

 私は決意する。

 

 「私がアヤノを倒す。そして私がアヤノにまたバドミントンの楽しさを思い出させてあげる。アヤノは独りじゃないって、これ以上、バドミントンに絶望しなくてもいいんだってことをわからせてあげたい」

 

 そして、ママが私の家族になってくれたように私もアヤノと家族になりたい。

 家族になって、いろんな事をお話したい。バドミントンの事、ママの事、私の事。

 何よりお姉ちゃん自身の事をたくさん、たくさん、お話ししたい。

 

 そしてゆくゆくは三人で――

 

 「三人で、暮らしたい。私と、お姉ちゃんと、ママの三人で」

 

 そう言って、ママに微笑みかけると、ママはまた涙ぐんでいた。

 

 「ええ、そうね。そうよね……」

 

 涙を拭ったママは、赤く充血しながらも力強い眼差しを私に向けた。

 

 「言っておくけど、綾乃は強いわよ。それはもうめちゃくちゃ。何せ対戦相手が試合中に絶望して棄権してしまうくらいにね」

 

 どこか発破をかけるようなママの言葉に私は獰猛な笑みを浮かべる。

 

 「それをこそ望むところ。だから、これからはもっとビシバシ、しごいてよね!」

 「ええ!」

 

 今日、この日、私は自分にお姉ちゃんがいることを知り。

 そのお姉ちゃんはあまりに強すぎるが故に孤独で、今のバドミントンに絶望している事を知った。

 

 そんなお姉ちゃんを倒す事が、私自身の目標になった。

 

 今はまだ遠いかもしれない。だけどいつか絶対、あなたの隣に並び立つから――あなたに勝ってみせるから――

 

 「待っててね、お姉ちゃん」

 

 それはまだ直接出会ったことのない、異国の地にいるお姉ちゃんに対する私の決意だった。

 

 




 もう、何もこわくない――!(フラグ)
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