大魔王 羽咲綾乃 作:深淵の英知
『マッチウォンバイ・羽咲。……22-20、22-20』
それは一見すると接戦の激闘を制したスコアに見えたかもしれない。
しかし、それはあくまでもスコア上の話。実際の試合内容は違った。
私の幼馴染である羽咲綾乃は試合開始当初、所定の位置についてから、全くその場を動かなかった。
無防備な綾乃のコートに突き刺さる相手のスマッシュを尻目にラケットを担ぎ、トントンと軽く肩を叩く綾乃はスポーツ選手とは思えないくらい退屈そうに、ふてぶてしい態度を取っていた。そんな綾乃の様子を見て、ざわめく会場。相手の選手も戸惑いながらも、綾乃に遠慮せずに得点を重ねていき、そんな異様な雰囲気のまま試合は進められた。
いったい、綾乃は何をしているのか、訳がわからず眉をひそめる。今まで何回も、都合が合えば綾乃の試合の応援をしにきていたが、圧倒的な点差――単純な実力差で圧勝する試合は何回も見てきたけど、こんな展開は初めてだったから。
試合が動いたのは相手の得点が20点目を刻んだ時だった。これであと1点でゲームポイントになるその瞬間だった。
綾乃が動いた。今まで退屈そうに立っているだけだった綾乃が、唐突に。
『あっ……!?』
不意を突かれ、反応に遅れた相手を余所に、綾乃は相手のスマッシュを難なく相手とは逆サイドの方へとレシーブした。
『サ、サービスオーバー、
静かに刻まれた一点。試合が始まって以来、今更な、綾乃の初得点だった。
それからはこれまでの試合展開が嘘であったかのように一方的な試合が展開された。
無慈悲なまでに正確なスマッシュ。相手の意識の逆を突くドロップ。コートの後ろから前まで一瞬で詰め寄る圧倒的なフットワークから生み出される鉄壁のレシーブ。
あれほどまでに開いていた得点差は瞬く間に縮まっていき、20分もかからない内に綾乃の得点は相手の得点と並んだ。
そして――
『ファーストゲーム、ウォンバイ・羽咲。22-20』
最初の試合を制したのは綾乃だった。それは圧倒的な点差からの劇的な逆転勝利だった。
異様な静けさから一転、沸き起こる歓声。『す……すげぇ』とか『マジかよ』といった声が聞こえてくる。
そんな中、綾乃はゾッとするくらい冷たい目をしていた。
観客席のこちらからは聞こえなかったが、ネット越しに呆然と立ち尽くしている対戦相手に何かを呟く。
綾乃の言葉を耳にした対戦相手の顔がこれ以上ないくらい歪められ、歯を食い縛る様子からすると、何か気分のよくなるような事を口にしたのではないということは明らかだった。
二試合目。相手は最初から凄まじい集中を見せていた。今度は同じ轍は踏まないと言わんばかりに。
そんな相手を余所に綾乃はまた所定の位置からラケットも構えず動こうとはしなかったが、その態度の悪さを見かねたのか、主審から綾乃は注意を受けた。
『……ちっ』
ぎろり、とそんな主審を睨み返した綾乃であったが、言われた通りにラケットを構える。しかしやる気がないのは明白だった。事実、綾乃は軽くラリーを返すようにはなったが、自ら攻めるような真似をせず、相手に得点をわざと取らせていた。
そして相手が20得点。あと1点取れば勝ちというところで、動き出す。
先ほど、馬鹿にされたのであろう相手も歯を食い縛って、綾乃の反撃に抗おうとするが、無情にも点は取られていく。
それは見ているだけで辛くなるような、虐殺劇。
今までの綾乃はこんなことはしなかった。どんな相手でも全力で。圧倒的な実力差で歴然とした得点差になることはあっても、こんな相手を弄ぶような事はしなかった。
――私がいない間、綾乃のことをお願いできるかしら。
傍にいてくれるだけでいいの。
それは今は日本にはいない綾乃のお母さん――有千夏さんが日本を発つ前、私に言ってきた言葉だった。
綾乃は幼馴染で親友だ。そんな事は頼まれるまでもないことだったし、だから私は躊躇することなく有千夏さんの言葉に頷いた。
幼いころからずっと一緒で。有千夏さんと楽しそうにバドミントンの練習をしていた綾乃の姿をずっと見てきたから。だから、有千夏さんがいない間は私が綾乃の力になれればと、そう思っていた。
だから所属しているバスケ部の合間を縫って、綾乃の練習に付き合ったり、対戦相手のビデオを撮ったり、家でのストレッチはいつも私がやっていた。
だけど。
歪な笑みを浮かべて、相手を蹂躙する綾乃の姿を見て、私は綾乃の事がわからなくなった。
どうしてわざわざそんな相手に得点をあげるようなことをして、相手を煽るようなことをするのか。
今の綾乃は誰よりも強いのに、どうしてそんなにつまらなそうなのか。
どうして、そんなに冷たい目をするのか。
わからない。
私には。
綾乃みたいに才能のない凡人の私には。
綾乃の考えていることが、わからない。
ただ一つ言えること。それはこのままではダメだということ。
相手を煽り、弄ぶような真似をして。
そんな事をしたら、周りには敵しかいなくなる。
対戦相手に恨まれ、避けられ、畏怖されて……。
(このままだと綾乃……独りぼっちになっちゃうよ……)
だからそんな幼馴染を止めないといけないと思っていた。
それが綾乃のためになると、そう信じていたから。
だけど、ああ、どうして――。
「なに、エレナもわたしが悪いっていうの?」
「ち、違う! でもあんな事したら、綾乃は――」
「相手が弱いのが悪いんじゃん。全力を出したら簡単に倒せちゃうから。つまんないバドミントンを少しでも楽しむ為にわたしなりに工夫してるだけじゃん」
どうして私の想いは伝わらないのか。
「……変わったね、綾乃。小さい頃の綾乃はそんな風じゃなかったよ」
ああ、違う。そんな事いいたいんじゃない。
「皆が皆、綾乃みたいに才能があるわけじゃないんだよ。皆、才能が無くってもバドミントンが好きで、必死に練習して、試合に勝とうと頑張ってるんだよ」
こんな、綾乃を責めるようなことを言いたいんじゃない。
綾乃はそんな私の言葉にショックを受けたのか、顔を歪める。
「わたしだってこんな才能が欲しいなんて、思ったことなんて一度もない!わたしが毎回どんな気持ちで試合してるか、エレナは考えたことあるの?歯ごたえない相手ばっかで、ちょっと本気出したらすぐにみんなやる気なくしちゃってさ、それであっけなく勝っちゃうのがどれだけ虚しいのか、エレナは考えたことがあるの!?」
興奮してるのか、綾乃は引き攣った笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
「わからないよねぇ、エレナにはさ。どうせバスケ部でもベンチ要員の、凡人のエレナにはさ!」
その言葉に思わずカチンときて。
「エレナに、エレナにわたしの気持ちなんてわからないよ!」
「っ!」
ぱんっ。
気が付いた時にはもう遅かった。目の前には目を見開いて、赤く腫れた右頬を抑える綾乃の姿。
それでも綾乃の言葉に感情的になってしまっていた私は止まれなかった。
「バカっ!」
「あ……」
私は振り返る事もせず駆け出した。
有千夏さんとの約束も忘れて。
独りにしないと、誓ったはずの幼馴染を置き去りにして。
「は、は……」
腫れた頬を抑えて、一人、光を失った瞳から静かに涙を流している親友の姿に気づかずに。
一般人「あんな強かったらもうバドミントン楽しくて楽しくて仕方がないはずッスよ!」
天才「オレはただ、自分の全てをぶつけさせてくれる相手が欲しかった」
エレナに悪気があるわけではないのです。ただ天才と凡人の間の考え方の違いが亀裂を生んでしまっただけなのです。