……あれから結局、俺は一睡も出来ずに朝を迎えてしまった。
体の痛みや極度の疲労感以上にあの得体が知れない博士への嫌悪感が中々消える事が無く、発言の節々を考え過ぎて眠る気にならなかったのが原因だろう。
時計を確認すると朝の四時過ぎ、隣の部屋の寝息が聞こえそうなくらい静まり返ってる事が無駄に感覚を研ぎ澄ませて行く様な錯覚を覚えた俺は、痛む体を起こして洗面所で冷たい水を頭から被った。
「……酷い顔してるな、俺」
鏡に映る自分の顔は、点滴を途中で投げ捨てたからか若干青ざめてる上に寝不足から隈まで出来ている、更識さんに会ったら多分驚かれるだろう。
……せめて篠ノ之さんと会った時には何時もの自分に戻っとかないとね。
ナノマシン治療によって多少身動きが取れる様になった俺は、杖を使いながら外の風を浴びに行ったんだけど、そこで会いたかったけども今会いたく無かった人と出会ってしまう。
「……佐久間? 酷い顔をしているが、もう出歩いて大丈夫なのか?」
「篠ノ之さん……なんでこんな時間に?」
「昨日の今日だろう? 思いの外早く目が覚めてしまってな、二度寝する気にもならなかったからこうして歩いていた」
その言葉を証明する様に、髪を下ろした状態で浴衣を着ている彼女は、そう言いながら俺の方へと向かって来て少しだけ目を泳がせながら、おもむろに頭を下げた。
「……すまなかった」
「な、何の事?」
「……怪我の事だ。そんな状態になるまで戦わせた原因は私の弱さだろう?」
「……この怪我は俺の自業自得だよ。篠ノ之さんが気に病む事じゃない」
そう、何もかも俺の未熟さが招いた結果。福音が軍用機だったからだとか、二次移行後は異様な強さをしていたからだとか、そんな部分に言い訳を求めてはいけない。全て、己の内側に原因はあるのだから。
もっと俺が強ければ、もっと俺が速ければ、もっと自分を鍛えていれば、こんな怪我など負わずに福音に勝利できていただろう。
こんな考え方をしているから、開発チームの人達に迷惑を掛ける事になったんだろうけど……今後も改善できるとは言えそうにない。
––––それに、一夏君の事だってある。
俺が篠ノ之さんに惚れている限り、そして篠ノ之さんが一夏君に惚れている限り、戦いの中で自分の事を考える事は無いだろう。そうしなければ、自分の全てを強さへと捧げなければ、きっと一夏君に追い付かれてしまうから。
そんな風に自分の情けなさを噛み締めていると、頭を下げていた篠ノ之さんはこれ見よがしにため息を吐いて、少し非難がましい目で此方を見てきた。
「お前は……もう少し人の所為にする事を覚えたらどうなんだ? 少なくとも昔はそこまで求道的な人間では無かっただろう?」
「へっ? 俺は割と昔からこんな風だった気がするけど?」
「いや、少なくとも小学四年生の時のお前は今の性格とは違っていたぞ? どちらかと言えば俗っぽい感じだった。転校初日から積極的に話しかけて来たしな」
「あーっと……それは、まぁ、ね?」
一目惚れして接点を作りに行った訳だから積極的なのは当たり前なんだけど……言えないよなぁ。
「というか、よく覚えてるね? 俺も篠ノ之さんと過ごした二年間は覚えてるけどさ。てっきり忘れてると思ってたよ」
「忘れる訳が無いだろう。私にとってお前と過ごした二年間は一夏と過ごした時間と同じ様に、大切な思い出だからな」
––––その言葉は、俺にとっては予想外の言葉でしかなく、思わず返事に詰まってしまう。
お世辞では無いのは、懐かしさを帯びた優しい表情から容易に分かる、思わず夢なのでは無いかと思った俺は、ギプスの中で握り拳を作ってみたが、筋肉の動きによって折れた腕に痛みが走った事からどうにも現実らしい。
「……お前には話していなかったな。私の事を」
「篠ノ之さんの事?」
「十年前に篠ノ之束–––私の姉が作ったインフィニット・ストラトス、それが始まりだった」
そう言って語られたのは彼女の半生だった。
姉である篠ノ之博士がISを発表し、その後に起きた白騎士事件によってISが普及したおかげでそれまでの生活が激変した事。博士が467個目のコアを作った後に失踪し、以降は保護プログラムによって一家離散した上で各地を転々としていた事。
俺が詳しく触れる事の無かった過去を語り終わった彼女は、溜めていた物を吐き出したかの様な表情でこちらを向いた。
「辛いことや悲しい事は多かった。家族と離れる事や、お前の様に親しくなった人に何も告げられず遠くへ行かなくてはならない事も、私にとっては苦痛だった」
「……そっか、だから急に転校したんだね」
「ああ、そうだ。最初の内は今回で終わりだろうと我ながら都合の良い方に考えていたが––––現実はそう甘いものじゃない。何度も何度も別れを繰り返した私は、結局その憂さを晴らす為に剣を振るようになった。以前話した様にな」
去年の全国大会の時、あの頃の彼女は疲れ切った表情をしていたが、俺には想像も付かない苦労をし続けていたのか……。
強さと弱さの矛盾した二つが同時に彼女の中にある理由もそれだろう、思い出と自分の力だけが拠り所となっていた。
「さて、私の話はこれぐらいで切り上げるとして……まだ時間はあるからな、折角だから佐久間の話でも聞かせてくれ。私と別れた後の話をな」
「う、うーん。別に篠ノ之さんに話すほどの事じゃあ……」
「––––箒だ」
「えっ?」
「箒でいい。お互い、そこまで知らない仲でもないだろう? というより、私はあまり上の名で呼ばれるのが好きじゃない」
「……分かったよ、箒さん。なら俺も名前で呼んで欲しい」
「それもそうだな、これからも宜しく頼むぞ? ––––樹」
そう言って、箒さんは少しだけ満足した顔をして俺の今までの話を静かに聞いてくれた。
時間の許す限り二人きりの時間、それに加えて名前で呼ぶ事を許してくれている。
––––断言出来る。俺は今、この瞬間、人生で最も幸せだった。
少しだけ距離が縮まりましたが、佐久間君の抱える闇もチラ見えし始めた模様(白目