【完結】地獄変・泥眼   作:白目p

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20.煉獄杏寿郎の見た夢

穏やかな陽気の煉獄邸で、煉獄杏寿郎は弟の千寿郎に稽古をつけていた。

 

「刀を握る位置はもう少し上の方がいいぞ!

 力が入りやすくなるんだ!」

 

「はい、兄上!」

 

千寿郎は額に汗を流しながらも、杏寿郎の言うことを素直に聞いて頷いてみせる。

 

杏寿郎は人をものを教えることが好きだ。

まして、杏寿郎が伝えられるのは

人食い鬼から人を守るための技術だから、なおのこと良い。

 

教えることで知識と技術が多くの人に伝わっていき、自身の腕も磨かれる。

どこでつまずくのかも分かるようになり、

そこにある技をより洗練させていくこともできる。

 

少しずつだが動きの良くなった千寿郎をみて、杏寿郎は笑みを浮かべた。

 

全く予期していなかった声がしたのは、そんな時だった。

 

「お二方、お茶が入りましたよ。

 こんを詰めるのもよろしくありません。

 そろそろご休憩になさったらどうです?」

 

まるで、全てを面白がっているかのような声だった。

 

杏寿郎が振り向けば縁側で、湯呑みの置かれた盆を携えた女が微笑んで立っている。

黒髪を飾り紐で結った、清楚な雰囲気の少女だった。

 

赤い帯に紺色のツバメ柄の着物は娘らしく華やかで涼しげだが、

杏寿郎にはどうしてか、拭いきれない違和感がある。

 

「地獄谷君……?」

 

訝しむように尋ねると、女は小首を傾げたあと、頷いた。

 

「はい、そうですよ。地獄谷蓮乃です。

 今日は医院の手伝いはありませんから立ち寄ると申しましたけど、

 もしかして忘れていらしたんですか?」

 

「相変わらずつれない方ですね、寂しいなぁ」と、

わざとらしく眉をハの字にしてみせる様は、杏寿郎の知っている蓮乃と相違ないのだが、

明確に違うところがあった。

 

蓮乃が訓練に参加したいと言い出さないのはおかしい。

それに“立ち寄る”と言うのも妙な口ぶりだ。

 

蓮乃はいつでも杏寿郎の訓練に食らいついてきた。

内容は組手、太刀筋矯正、呼吸の指南はもちろんのこと、 基礎体力向上、柔軟と多岐にわたる。

時に男でも泣き出すような訓練を課しても

蓮乃は泣き言ひとつ言わず、見事にそれに応えて見せた。

 

かつて、杏寿郎が熱心な蓮乃を褒めた時に、

蓮乃が手ぬぐいで汗を拭いながら爽やかに笑っていたことを思い出す。

 

「『これをこなせば強くなる』とあらかじめ分かっているのでしたら

 どんなに辛くともやらない道理はありません。

 強くなればなるほど、技と体の使いようも増えますもの。

 私、様々なことができるようになりたいのです。そう、様々なことをね……」

 

後半、その声色があまりに不穏だったので、

杏寿郎は呆れて蓮乃をたしなめたことを覚えている。

……口にする動機がそこそこ不純なのはさておき、技術の研鑽に蓮乃は余念がなかった。

暇を見つければ常に薙刀を振るっていた。

 

その蓮乃が、今は大変おとなしい。

 

それに、蓮乃は特に外出の用事がない限り、

煉獄邸でたすきをかけた袴姿で過ごしていた。

 

だから目の前にいる着飾った姿はどことなくちぐはぐな印象だ。

そうしていると本当に絵画の中から飛び出してきたような風情である。

いや、いまだ、額に押し込められているかのようだ。

 

「君は稽古には参加しないのか?」

 

思わず杏寿郎が問いかけると、女は面食らったように目を丸くした。

 

「まぁまぁ、本当にどうなさったんです?

 私は生まれてこのかた、刀なんて持ったことがありませんけれど」

 

「なんだって?」

 

いつもの冗談だろうか、と女の顔を見やるが、

女は真剣に杏寿郎を心配するそぶりを見せるばかりだ。

 

「お熱でもあるのかしら、そんな様子には見えませんが……」

「兄上? 大丈夫ですか?」

 

隣にいた千寿郎でさえ心配そうに杏寿郎を見やっている。

担がれていると言う訳でもなさそうだ。

二人とも、本気で杏寿郎を気遣っている。

 

 どう言うことだ?……何かがおかしい。

 

杏寿郎が眉をひそめた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 

嫌な予感がした。

殺気を向けられた訳でもないのに、身の毛がよだつような感覚を覚えていた。

痛み出した頭に、こめかみを抑える。

 

「もう! お弁当12箱も食べるからですよ!」

 

ぐわん、と反響した蓮乃の声に、杏寿郎はハッと顔をあげた。

いつの間にか千寿郎の姿が消えている。

 

縁側には女が、能面のような無表情で杏寿郎のことを見ているだけだった。

 

「だから言いましたのに。眠くなっても起こしませんよ、と」

 

冷ややかな声で呟いて、女は口元に手を当て、口角を上げた。

 

「難儀、難儀。あなたって本当に難儀な人ですねえ。水先案内に私を呼ぶなんて。

 どうせならご母堂様でもお呼びになれば、よろしかったんじゃありません?」

 

茶化すような物言いに、杏寿郎は顔をしかめた。

 

「何を言っている?」

 

「さぁてね。

 でも、多分私が“あなたに喝を入れる人間”に適してると、

 内心思っておられたんでしょう。

 呼ばれたからにはちゃーんとお仕事いたしますよ」

 

女はやれやれ、と肩をすくめたかと思うと人差し指を立ててみせる。

 

「煉獄さん、違和感を感じておられますでしょ、なんだと思います?」

 

杏寿郎は「何もかもおかしいだろう」と言ってやりたい気分だったが、

女の黒々とした冷たい眼差しにしばし黙って、考えを整理する。

 

「……君だ。君だけが圧倒的におかしい。

 訓練に参加しないのも、着飾っているのも、たまにはそう言うこともあるかと思えるが、

 地獄谷君が、刀をとらないわけがない(・・・・・・・・・・・)

 

杏寿郎は拳を固く握り締めた。

今、目の前にいる女が蓮乃でないことはとうに気がついていた。

なぜなら。

 

「刃を握ることがなかったなら、彼女があれほど苦しむこともなかっただろう!

 苦しむがゆえに刀を握らざるを得ないのが彼女だ!

 君は一体全体何者だ?!」

 

蓮乃に備わった格別の才覚こそが、悪癖を一番に助長し、

蓮乃の心を苦しめていることを、杏寿郎は誰より知っている。

 

いつも口では茶化したりはぐらかしているものの、

蓮乃が歯を食いしばって心身を鍛えようと必死なのは、

常に自分を律するためだと言うことにも気づいていた。

 

杏寿郎の苛立った声を、女は笑い飛ばした。

 

「うふふふふ! その通りです。

 でも、だからこそ私はこの姿なんですよ、煉獄さん」

 

胸に手を当てて、女は歌うように囁く。

 

「刀など持ったこともない、女学校につつがなく通って父の医院の手伝いをしている“私”。

 鬼殺隊に入らず鬼を殺すこともなく、

 『もしもうっかり人を殺してしまったら、そしてそれを楽しんでしまったなら』

 なんて想像で、気が狂いそうにならずに済んでいる“私”」

 

女は面白そうに笑った。

 

「あははっ! ちゃんちゃらおかしいわぁ!

 そんなん“地獄谷蓮乃”じゃありませんわね?」

 

「その通りだ」

 

警戒を怠らずに自身を睨む杏寿郎に、

女は皮肉めいた笑みを浮かべたまま、首を傾げて問いかける。

 

「でも、そっちの方が幸せだと思ってらしたんでしょう? ねぇ?」

 

杏寿郎は女の顔を見て、瞬いた。自分で口にした通りだ。

 

 もしも地獄谷蓮乃が、刃を握らず、鬼と出遭わなかったなら、

 天賦の才に溺れることなく、苦しまずに済んだと思っている。

 

「……そうかもしれん」

 

口にして認めて、杏寿郎は全てに合点がいったような気分だった。

手を叩いて、納得したそぶりを見せる。

 

「あぁ、なるほど! 俺が悪いな! これは!」

 

嘆息した杏寿郎に、女は微笑んで問いかけた。

 

「ふふっ、一応、どうしてそんな風に思ったのか、聞かせてくださいますか?」

 

杏寿郎はため息交じりに頷く。

口にしたのは継子である地獄谷蓮乃の性格だった。

 

「まず、地獄谷君と言うのは、薙刀に滅法強く、医術にも精通し、

 鬼殺隊隊員としては格別の才を持ちながらも、

 ……悪辣極まりない残忍な気性と悪趣味の持ち主で!」

 

治らない挑発的な言動と全てを嘲弄する蓮乃の顔を思い出し、

杏寿郎はこめかみに青筋を立てて、ムッと眉を顰める。

 

「人を食ったような物言いばかりするくせに、

 自分の言ったことを気に病んで自己嫌悪に陥り!

 そのせいで鬱憤をためて、また残酷趣味に走って悪循環になるという!

 一言で言えば、ものすごい面倒な人物だ!!!」

 

ハキハキと弟子の至らなさを断言した杏寿郎に、女は腹を抱えて笑い出した。

 

「あっはっはっは! 随分な言われようですこと!」

 

しかし、杏寿郎は一息ついてから、また言葉を続ける。

 

「だが、それでも地獄谷君は自身の悪癖と向き合うことをやめない。

 目をそらすこともなければ、逃げもしない。死ぬまで格闘し続ける。

 だからこそ彼女は鬼殺隊に入った」

 

自分の弟子がどう言う人物であるかくらいは、杏寿郎も分かっている。

当人の知らぬ美点も知っている。

 

「彼女は強い人間だ。すぐに自分のことを『鬼のような女』などと自虐するが、

 彼女は絶対に鬼にはなるまい。鬼になるくらいなら死を選ぶだろう。

 実のところ、彼女は誰よりも鬼から遠い人なのだ。

 自分ではわかっていないのだろうけども」

 

蓮乃の姿形をした女の目を見て言うと、女はいささか呆れた様子で小首を傾げた。

 

「……難儀、難儀。私に言ったところで、どうにもなりませんのにねぇ」

 

「はははっ! 面と向かって言うにはいささか気恥ずかしいのだ! 許せ!」

 

朗らかに笑ったのち、杏寿郎は静かに目を伏せる。

 

「……それを分かっていながら俺は、心の奥深くで

 『彼女が刀なんて持たずとも済めば、万事丸く収まっていたのに』

 などと思っていたのだな」

 

腕を組んで、杏寿郎は心に浮かぶ反省の言葉をそのまま口にする。

 

「全く情けない! 彼女が自身の問題から目を逸らさないでいると言うのに、

 俺がそんな風に思うのは筋が違う! 何より地獄谷君に失礼だ!

 俺が彼女にできることといえば、自分を律する術を与えてやることだろうにな!

 師範として情けない心持ちだった! 反省だ反省!!!」

 

張り切って自省しだした杏寿郎を横目に、女は空を見つめて腕を組んだ。

 

「その辺はお好きになさればよろしいんじゃないですかね。

 ていうか、そういう違和感があったからこそ私は役目を果たせたわけですし。

 まぁ、“結果良ければ全て良し”と言うには、ちょっとばかし遅かったようですが……」

 

女は半ば独り言のように呟くと、足袋のまま杏寿郎の方へ歩み寄り、

蓮乃と寸分狂わぬ笑い方で顔を覗き込む。

 

黒々とした瞳が心底愉快そうに細められた。

 

「さてさて、もうおわかりですね?」

「ああ! これは、夢なのだな?」

 

まるで正解だと言わんばかりに女は笑みを深くする。

 

瞬き一つもしないうちに、学帽にマントを着込んだ女が、薙刀を手にそこにいる。

女は薙刀をつい、と動かし指し示した。

 

ちりちりと、杏寿郎の視界の端が燃えている。

 

「はい。ご覧の通りこの夢は崩れかけ。もう覚めますよ。

 ふふふ、本当は介錯して差し上げるつもりでしたが、

 その必要もなくなりまして」

 

炎はあっという間に、燃え広がった。

女はそんな中でも微笑んで、手を振ってみせる。

 

「ではでは、煉獄さん、ご武運を」

 

 

「煉獄さん! 大丈夫ですか!?」

 

目覚めると、炭治郎に顔を覗き込まれていた。

杏寿郎は何度かの瞬きのあとに、すっくと立ち上がる。

 

「……竈門少年か! すまない、寝入っていたようだ!」

 

見れば善逸と伊之助もすでに起き上がっており、隠していた刀を腰に携えていた。

 

「普通の眠りじゃなかったんです。鬼の攻撃でした。

 禰豆子が燃える血で切符を燃やして、血鬼術を解いたんですよ」

 

炭治郎が言う横で、禰豆子がどこか誇らしげに腰に手を当てて立っている。

まるで褒めろと言わんばかりだ。

 

杏寿郎は「鬼に助けられる日が来るとは、なんとも奇妙だな」と

不思議な心持ちになりながらも、素直に助けられたことを感謝した。

 

「ほう! ありがとう竈門妹! 助かった!!!」

 

満足げな禰豆子と、柱合会議とは打って変わって禰豆子を認めるそぶりの杏寿郎に

炭治郎は胸を撫で下ろし、口を開く。

 

「蓮乃さんが今、鬼の様子を見に……?! なんだ!?」

 

炭治郎が状況を説明しようとした時だ。

汽車の壁が歪み、裂け、ぶくぶくと肉が泡のように吹き出した。

 

「……嘴平少年! 他の車両はどうなっている!?」

 

杏寿郎は客車のドアのほど近くにいた伊之助に尋ねる。

伊之助はドアを開け、隣の客車を見やって息を飲んだ。

 

「……! おんなじように肉みてぇのがうごうごしてやがる!」

 

杏寿郎は柱を勤め、多くの鬼を屠った経験からおおよそのことを察した。

置かれたのが切迫した状況だと誰より早く気づいたのだ。

 

「うむ! まずいなこれは! どうやら汽車全体が鬼になっているらしい!

 肉塊の動きはまだ鈍いが、これは術を起動しきってないからだろう!」

 

「ええっ!?」

「なんだと!?」

 

動揺する後輩たちに杏寿郎は声を張り上げる。

 

「全員直ちに注目しろ!!! 手短に指示を出す!!!」

 

まだ動きの鈍い脈打つ肉塊に気を配りながらも、杏寿郎は淀みなく指示を口にした。

 

「この汽車は八両編成だ、俺は後方五両を守る!

 残りの三両は我妻少年と竈門妹が守れ!」

 

鬼が乗客を眠らせたおかげで、乗客が混乱せずに済んでいるのが救いだ。

これで乗客が起きていたなら全員を守りきれるかは怪しかった。

 

「竈門少年と嘴平少年は三両の状態に注意しつつ鬼の頸を探して斬れ!

 鬼であるからには急所が必ずあるものだ!

 君らは皆勘が利くと地獄谷君から聞いている! 気合を入れろ!」

 

「蓮乃さんは……!?」

 

今この場にいない蓮乃を気遣った炭治郎に、杏寿郎は口角を上げる。

 

「彼女は俺の副官だ! そうそう鬼にはやられまい……!

 もし出くわしたら『乗客の安全確保と全体の援護に専念しろ』と伝えてくれ!

 一言言えば十分だ!」

 

「わかりました!」

 

頷いた炭治郎に、

杏寿郎は目を閉じたまま動いている善逸に気づいて首を傾げた。

 

「ところで我妻少年はまだ寝ているように見えるんだが! 良いのか!?」

 

「わかんないですけど指示は通ってるみたいですし、

 なんとなく起きてる時より動きが冴えてます!」

 

「なんと! わかった! それなら構わん!」

 

炭治郎の言う通り、確かに任務遂行に問題のなさそうな佇まいだ。

追求する時間もないと、杏寿郎は気を取り直して声を上げる。

 

「以上!! 動け!!」

「はい!!」

「おう!!」

 

杏寿郎の命令に各々返事をして、4人は素早く行動に移った。

確かに蓮乃の言っていた通り、隊士は3人とも見込みがありそうだし、

鬼の禰豆子も人を喰うそぶりは全くなく、その身を呈して乗客を守ろうとしている。

 

それにひきかえ、と杏寿郎は鬼の肉塊に細かく斬撃を入れながら自省する。

 

「全く、よもやよもやだ!

 こたびの俺は師範としても柱としても不甲斐なし!!

 うたた寝などするものではないな!」

 

そして、不安にさせるかもと炭治郎には伝えなかったが、懸念すべきことが一つある。

蓮乃が鬼に殺されるとか怪我をさせられていると言うのは考え難いが、

逆に、“鬼を惨殺する危険”があるのだ。

 

特に、心を暴くような血鬼術を使う鬼が相手とくれば、

蓮乃は多かれ少なかれ苛立っているに違いない。

悪癖の箍が外れるには十分な状況だった。

 

「……君の無事は心配してないが、本当に頼むぞ! 冷静で居てくれ、地獄谷君!」

 

杏寿郎の懸念と裏腹に、無限列車はまっすぐに、敷かれたレールをひた走る。

まだ、夜明けは遠い。

 

 

 

 

 


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