【完結】地獄変・泥眼   作:白目p

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22.上弦の参 襲来

地獄谷蓮乃は怪我人の救護に当たりながらも思案する。

鬼の肉が死に際に吹き出し、衝撃を殺したおかげでさほど重症の者はいないが、

いかんせん乗客の数が数だ。蓮乃一人でさばききれるものではない。

 

「眠り鬼さんの血鬼術、やはり相当強力ですね、死んでも効果が切れない上に、

 この惨状でも起きてるのは鬼の手下だったらしい人間が数名。

 あとはみんな眠ったままですか……」

 

打ち所が悪い者や流血している者も何人かいそうだ。

 

血鬼術のせいで眠っているのか、頭を打って昏睡しているのかの判断も難しい。

これは増援が欲しいと、蓮乃はキリの良いところで乗客を救助するのを止め、

指笛で鴉を呼んだ。

 

パタパタと羽をはためかせた鴉を腕にとめ、蓮乃は指示を出す。

 

「隠の方に複数の病院への事前連絡のお願いと、

 現場に医師、あるいは応急処置のできる方の派遣をお願いします。

 夜明けまではまだ時間がありますし、日が昇ったころの到着で構いませんので」

 

「カァアア!! カァアア!! 承知承知!! 合点承知ィイ!!」

 

鴉を見送って、蓮乃は「これでよし」と満足げに頷いた。

こうしておけば、後々円滑な治療に当たれるだろう。

 

この一件は鬼殺隊が手を回して、ただの交通事故として処理されるはずだ。

幸か不幸か、魘夢が乗客を眠らせたことで

乗客は混乱を起こすこともなかった。事後処理も楽だろう。

血鬼術のおかげで大体のことがうまく運んでいるのも皮肉な話である。

 

「あの眠り鬼さん、“策士策に溺れる”というのを全身で体現なさってましたね。

 私も気をつけないと……」

 

一人呟きながらまた救護に当たっているときだった。

ドォン、と轟くような音が響いた。

 

見れば伊之助が汽車に体当たりして運転手を助けている。

蓮乃は伊之助の元に駆け寄った。

 

「嘴平くん、大丈夫ですか?」

「お面女!」

 

伊之助は蓮乃に気づいて顔を向けた。

運転手は地面に這いつくばって、息を荒らげている。

 

「嘴平くんは見たところ軽傷ですね、よかったよかった。

 あらら、運転手さんは足が挟まっちゃったんですねぇ」

 

蓮乃がすぐさま処置に移ろうとするのを、伊之助が肩を掴んで制した。

 

「……そいつ、健太郎のこと刺したんだ」

「うん?……ああ、竈門くんのことですか?」

 

馴染みのない名前が出て来て一瞬怪訝な顔をした蓮乃だが、

すぐに腹を刺されていた炭治郎のことを思い出して問いかける。

 

伊之助はこくりと蓮乃に頷いた。

蓮乃はそれを聞いて、口元に手をあて、薄い笑みを酷薄なものに変えた。

 

「ふぅん? なるほどね。運転手は鬼の仲間だろうとは思ってましたけど、

 うふふ。あなた、なかなか悪い人ですねえ、

 竈門くんには何も罪はありませんでしょうに」

 

運転手は眉を顰め、蓮乃を睨む。

だが、蓮乃はそれでもしゃがみこみ、さっと応急手当に移った。

傷の具合を見て、蓮乃は目を軽く眇める。

 

「因果は応報するものですね。あなたは左足を失うかもしれません」

「なんだと……!?」

 

運転手は青ざめ、伊之助も息を飲む。

蓮乃は手際よく応急処置に当たりながら口を開いた。

 

「ふふ、……怖いですか?」

 

弓なりに細められた蓮乃の目に、妙な凄味を覚えて運転手と伊之助は黙り込んだ。

その顔を見て、蓮乃はにこやかな笑みを浮かべる。

 

「今、応援の医師を呼んでいます。私もこうして処置をしている。

 正直なところ足の方は五分五分と言ったところですが、あなたはまだ生きています。

 あなたの刺した少年と、あなたを助けたそこの彼が鬼を斬ったから」

 

「そうでなければ、あなたは鬼に食われて死んでましたよ」と、

蓮乃はなんでもないように言った。

運転手は信じられない、と首を横に振る。

 

「彼は、幸せな夢を見せてくれると、」

 

「そんなうまい話があると思います?

 あの鬼、幸せな夢を見せた後に悪夢を見せて、苦しむ人間を食うのが好きだったそうですよ。

 私を同類扱いして、嬉々として教えてくれましたけど」

 

処置をしながらの淡々とした言葉に、運転手は絶句した。

その様子からして、どうやら思い当たる節のようなものはあったらしい。

 

「まあ、食われてしまえば、辛いとか怖いとか痛いとか、

 そういう思いはしなくて済んだかもしれません。

 助かった後のことは知りませんから、命の使いようはご自由に。

 ……でも、忘れないでくださいね?」

 

止血しながら、蓮乃は続ける。

 

「名も知らぬあなたのために、命をかけた人間がいたことを。

 あなたの命が助かれば、少なくとも私の上官は喜びます」

 

蓮乃の顔は、いつになく穏やかだった。

 

「あの方は鬼に誰も喰われず済んだことを、一人の犠牲も出なかったことを、

 何より嬉しく思うような人なんです」

 

処置を終えて、蓮乃は立ち上がり、運転手を見下ろした。

 

「だから私も、あなたが助かって嬉しいですよ。

 あなたの刺した少年も、ちゃーんと生きておりますから、

 あなたはまだ人殺しじゃない。よかったですね?」

 

にこやかに微笑んだ蓮乃に、運転手はなんとも言い難い表情を浮かべた。

強いていうなら後悔のようなものが強く滲んでいるように見える。

 

伊之助は蓮乃の顔をじっと見つめ、沈黙していた。

視線に気づいた蓮乃はいつも通りの笑みを浮かべ、口を開く。

 

「さてさて、嘴平くん、他の方々もちゃっちゃと助けてしまいましょう!

 任務が終わったら皆さんにみつまめを奢ってあげますから、」

 

明るく言う蓮乃の言葉を遮るように、鎹鴉が空を切ってやってくる。

杏寿郎の鎹鴉である。ひどく焦っている様子だ。

 

瞬いた蓮乃と伊之助の耳に、信じがたい言葉が飛び込んでくる。

 

「カアァアア! カアァアア!

 上弦ノ参襲来! 上弦ノ参襲来!!

 炎柱劣勢! 炎柱劣勢! 今スグ援護ニ向カエ!!!」

 

蓮乃は鴉が言葉を終えるより先に、駆け出していた。

 

 

鬼と人間の技量が同程度なら鬼が勝つ。

 

これは当然の成り行きだ。

人間が負傷したら傷は塞がらない。鬼に比べて疲弊しやすいのだから、

時間がかかればかかるだけ不利になる。

 

 鴉が劣勢と言っていたのなら煉獄さんは既に負傷している。

 ただでさえ眠り鬼との戦闘で、五両もの車両を守り通した後だ。

 一刻も早く援護しなければ……!

 

蓮乃が現場に着いて見たのは、恐ろしく威圧感のある鬼、猗窩座と、

左目を潰された杏寿郎の姿だった。

 

膝をついた炭治郎を後ろに庇っている。

 

蓮乃が息を飲む間もなく、猗窩座が、杏寿郎が動く。

 

蓮乃の体は気づけば走り出していた。

無我夢中だった。

技と技とのぶつかりあいの結果は瞬時に理解できている。

 

蓮乃は猗窩座と杏寿郎との間に体を滑り込ませた。

 

 宝蔵院流 表十五本式目 薙刀 炎改(えんかい )

 

炎の呼吸を乗せた技で杏寿郎の技を補強し、肩と薙刀で猗窩座の拳を防御する。

被っていた学帽が放たれた技の風圧で飛んだ。

 

「ぐっ……!?」

 

鈍い音がした。左肩を砕かれた。

鉄製の柄に小さくヒビが入る。

 

「地獄谷君!?」

 

杏寿郎の驚く声が聞こえたが蓮乃は無視した。

無理な体勢から、足を地面になんとかつけ、踏み込む。

 

 罰の呼吸 弐ノ型 穿地蔵(うがちじぞう )

 

技を打ち込んで猗窩座に距離を取らせた。

 

しかし、並みの鬼ならば体に穴が開く連続突き、“穿地蔵(うがちじぞう )”。

体勢の無理があって威力が落ちていたにしても、

猗窩座に与えられたのは絶望的なまでのかすり傷。

首に至っては数ミリほど肉を削いだに過ぎない。

 

蓮乃はその手応えに奥歯を噛んだ。

 

 どういう硬さだ、あの鬼!

 鉄製の柄にヒビ、金剛石でも砕いたかと思うほどの反動……! 手が痺れる……!

 

緊張と骨を砕かれた痛みに、蓮乃の額からドッと汗が吹き出る。

だらりと左手を垂らしながらも薙刀を構え、猗窩座を睨んだ。

 

「新手か」

 

猗窩座は蓮乃を見て小さく眉を上げる。

傷跡一つ残らず、瞬時に再生された鬼の体に、蓮乃は眉を顰めた。

 

猗窩座の瞳に刻まれた数字は鴉の告げた通りの“上弦の参”

鬼舞辻無惨直属の十二鬼月の中でも、3本の指に入る鬼だ。

 

「……ふふ。これが“上弦の参”ですか、なるほどね」

 

蓮乃の唇が弧を描く。

後ろにいた杏寿郎が蓮乃の横に並び立った。

 

「地獄谷君、下がれ、負傷した君では、」

「足手まといになるとでもおっしゃるんですか、なりませんよ。わかっているでしょう」

「上官命令だ、聞け」

 

互いに猗窩座を見据えながも、交わされる言葉は淡々と響いた。

蓮乃は杏寿郎を一瞥もせず、断じた。

 

「嫌です。聞けません」

 

杏寿郎の副官となってから、

蓮乃が杏寿郎の直接の命令を聞かなかったのはこれが初めてだった。

 

「煉獄さん、諦めてください。私はここで我を通します」

「……死ぬつもりか、この期に及んで」

 

杏寿郎の苛立った声に、蓮乃は瞬いた。

不思議と的外れな言葉に聞こえた。

蓮乃は今、死ぬつもりなどさらさらない自分に気づいて、嘆息する。

 

ずいぶんな心境の変化であると自嘲したのだ。

それに、むしろ、

 

「それはこちらのセリフですわねぇ。あなた、その体たらくで何をおっしゃる。

 自分一人守れぬ人間に、他の誰が救えましょうか」

 

その上、煉獄杏寿郎はまた、一人でなんとかしようとしている。

全くあたかも当然のように。

 

蓮乃は前々から思っていたことを、遠慮なく口にする。

 

「……あなたって本当に傲慢で強情で、そのくせ薄情な方ですよね」

 

杏寿郎は痛罵されて眉を顰める。

蓮乃は猗窩座を見据えたまま、不敵な笑みを浮かべて見せた。

 

「もう少しご自分の副官を、信頼してもよろしいんじゃありません?」

 

そう言った蓮乃に杏寿郎は瞬いて、深く息を吐く。

相変わらずの不敵で人を食ったような言動。

だが、今回ばかりは。

 

「上官への物言いがなってないぞ。地獄谷君。

 いやしかし! 気合は入った! ありがとう!」

 

「どういたしまして」

 

構えた杏寿郎と蓮乃に、猗窩座が腕を組み、声をかける。

そこに伺えるのは確かな余裕だ。

 

「話は済んだか?」

 

蓮乃は微笑んで猗窩座に答える。

 

「わざわざ待っててくださるとは、律儀な鬼もいたものですねぇ。

 申し遅れました。地獄谷蓮乃と申します」

 

丁寧に名乗った蓮乃だったが、猗窩座は目を眇めた。

 

「俺は猗窩座。お前、女でそこまでの闘気とは珍しいな。

 しかし、いつ相対しても度し難い……。

 鬼狩りの連中は“弱者”にまで刃を取らせるのか」

 

蓮乃は猗窩座の言葉にキョトンと目を丸くした後、何に合点がいったのか小さく呟く。

 

「“弱者”?……ああ、私が女だから?」

 

そこまで言うと、蓮乃は肩を震わせる。

 

「ふ、ふふ、あっはっはっはっは!!!」

 

高らかに笑った蓮乃はやがて深く息を吐き、呼吸を落ち着けようとした。

 

「はー……失礼。はしたないところをお見せしましたね。

 でも、だって。ふふふっ! なんて紳士な鬼がいたものでしょう!

 女ばかりを狙って喰らう鬼の話も多く聞きますが。

 そうですか、あなたは弱い者虐めは好かないと?」

 

首をかしげた蓮乃に猗窩座は顔を顰めて述べる。

 

「俺が望むのは強者との語らいだ。弱者に用はない」

 

猗窩座は蓮乃を指差して苛立たしげに告げた。

 

「女は引っ込んでろ」

 

蓮乃に向けられた鬼気が空気を震わせる。

並みの人間ならば失神してもおかしくないほどの敵意。

だが、蓮乃は笑みを浮かべたまま猗窩座に視線を向けている。

 

「なるほど、なるほど。“武人の矜持”というやつかしら……?」

 

蓮乃は納得したように頷いていたが、やがてスゥ、と眦を細めた。

 

「たかだか鬼が」

 

冷えた声で、心底不思議そうに問う。

 

「引っ込んでろと言われましても引っ込む理由がこちらにはございませんし、

 見くびってくださる分にはこちらも仕事がやりやすいので全然構いませんけれど。

 どうしてあなたの矜持に私が付き合ってやらねばなりませんので?」

 

蓮乃の顔から一切の表情が抜け落ちた。

 

「どうせ首落ちる前にはみっともなく翻す、安い矜持にございましょう」

「お前、俺の頸を落とせる気でいるのか。その肩で?」

 

「当然」

 

猗窩座は気分を損ねたのか、小さく眉根を動かした。

蓮乃はそれに口角を吊り上げる。

 

「私一人ならいざ知らず、ここには炎柱も居りますゆえに」

 

そして蓮乃は、猗窩座を明確に嘲笑した。

 

「それにしてもあなた、ここまで挑発されて何もできぬような腑抜けではなさそうですが、

 それでもやり辛いのなら、私のことは女と思わず鬼とでも思ってくだされば結構ですよ」

 

蓮乃は片手で薙刀を手慰むようにくるくると回す。

問題なく得物を使えることを確認した後、地を蹴った。

 

「実際私、“鬼のような女”ですので、悪しからず」

 

 

 

 

 


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