【完結】地獄変・泥眼   作:白目p

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23.呼吸を合わせて

炭治郎は目の前の戦いで何が起きているのか、ほとんどわからないでいる。

 

わかることと言えば、煉獄杏寿郎が

たゆまぬ鍛錬と数多の修羅場をくぐった人間だけが到達できる境地に居るということ。

地獄谷蓮乃が、それに食らいつけるだけの実力を備えていたということ。

 

そして猗窩座という鬼が、今まで見てきたどの鬼よりも圧倒的に強いということ。

 

炭治郎は異次元の攻防を、食い入るように見ることしかできない。

横にいる伊之助もそれは同じだった。圧倒的な実力の開きがそこにある。

 

目で追えぬほどの速度の刃と拳、

それぞれが防御するたび、その拳撃や斬撃の余波で地面がえぐれ、木々が砕ける。

 

猗窩座の首を杏寿郎の刃が掠めた。

猗窩座は構わずにそのまま拳を放ち、それを蓮乃が見事に受ける。

 

「……すごい」

 

思わず炭治郎は呟いていた。

 

蓮乃が猗窩座の技を受け流した動きが、

見稽古に披露したものと同じだと気づいたのだ。

 

稽古のときと寸分狂わぬ足さばき、体重移動。

それなのに速さが違う。冴えが違う。呼吸の深度がまるで違う。

 

攻撃を巧みに流した蓮乃の後ろ、地面が逃した衝撃にえぐれる。

ほとんど左手を使わずにこの強さ。

 

それに何より、蓮乃が来てからの杏寿郎の動きが一人の時と比べ物にならない。

 

はっきりとは分からなかったが、おそらく、

猗窩座の攻撃を蓮乃の薙刀が躱し、杏寿郎の技と動きを補強し、

その上で自らも攻勢に出ている。

杏寿郎もそれに合わせて技を出し続けているのだろう。

 

杏寿郎も蓮乃も互いに目を合わせることもなく、

合図をしているわけでもないのに、恐ろしく息のあった動きなのだ。

 

 まるで、二人で一つの生き物のような。

 どれだけの鍛錬を積めばここまで……!

 

猗窩座もそれはよく理解しているらしい。

高揚を隠しきれぬ様子で蓮乃を褒め称えた。

 

「ハハハハハッ! 確かにお前を弱者と言うには無理があるようだ!

 女だてらに勇ましいな、蓮乃! 荒々しく凶悪な技の数々!

 かと思えば杏寿郎の技を活かした正確無比な援護!

 薙刀使いの相手もまた愉快だ!!」

 

蓮乃は珍しくあからさまに眉を顰めた。

 

「手のひら返しも甚だしい……。

 気安く呼ばないでください。なんなのですかその距離の詰め方は?

 馴れ馴れしいにもほどがある。不愉快です。殺します」

 

薙刀が恐ろしい速度で振り抜かれる。

 

 罰の呼吸 壱ノ型 鋸閻魔(のこぎりえんま )

 

猗窩座の体に破けたような亀裂が走った。

だが、ビチ、と音を立てて傷が塞がってしまう。

 

心底愉快そうに、猗窩座の眦が細められる。

 

「この肉を断裂する技! 凄まじい痛みだ! 肩を砕いたのが惜しまれるな!

 両手が使えれば尚のこと技も冴えていただろうに!!」

 

痛いと言いつつ全く意に介するそぶりもない猗窩座に、蓮乃の目つきが鋭くなった。

 

「『痛い』のなら『痛い』という顔をしなさいな!!!

 可愛げのない!! 面白くもない!!」

 

「地獄谷君!!」

 

逸る蓮乃を咎めるように、杏寿郎が声を荒らげる。

 

 宝蔵院流 裏十一本式目 薙刀 蟲改(ちゅうかい )

 炎の呼吸 伍ノ型 炎虎

 

技の速度がまた上がる。蓮乃の技に気を取られた隙を狙い、

杏寿郎が首を狙うが、猗窩座はまるで攻撃が来ることを悟っていたように、

空を撃ち、蓮乃と杏寿郎の技の威力を殺す。

 

「複数の呼吸を扱うのだな! ますます興味深い!

 手習を受けたのは薙刀術の方が先か!?」

 

猗窩座の分析に、蓮乃は短く舌打ちする。

 

「そのくせ本当にペラペラと、憎らしいことばかりよく喋る……!

 あぁもう、その口を一針一針、縫い付けて黙らせてさしあげたい……!」

 

薙刀を苛立たしげに振ると、さらに仕掛けた。

 

 宝蔵院流 表十五本式目 薙刀 炎改(えんかい)

 

「糸は何色にしましょうか?! 髪色と揃えてつつじ色とか!?

 痣と同じく紺色でもよろしいですわねぇ?!」

 

ずば、と振り抜いた刃が猗窩座の口を裂いた。血が滴り落ちる。

蓮乃は頰を紅潮させ、不敵に笑った。

 

「ふふっ……! 蘇芳(すおう)色もお似合いですよ! 鬼の血も赤い赤い!

 いいですねえ! ときめいて参りますねえ!!!」

 

杏寿郎は蓮乃を見て眉を顰めた。

 

今の蓮乃の挑発的な言動は、悪癖由来のものというより、

鬼を怒らせることで判断力を落とそうとしているからだろう。

 

だが、猗窩座にそれが通用するとは思えない。

 

蓮乃が加勢しても杏寿郎は手負い。

蓮乃も肩を砕かれている。

 

息を合わせてなんとか猗窩座に対抗しているが、

まだまだ猗窩座には余裕が見える。

 

蓮乃も表面上は平静を装っているが、

額に滲む汗から、肩がひどく痛んでいるのは明白だ。

 

今のところ、蓮乃が呼吸を切り替え、緩急をつけているおかげで

攻撃が読みにくいものになっているからか、

猗窩座も斬り込んだ攻め方はしてこない。しかし、それも時間の問題だ。

 

 早めに決着をつけないとまずい。

 

杏寿郎のこめかみに汗がつたう。

 

猗窩座は治っていく口元を撫ぜた。

その仕草には確かな愉悦が見える。

 

「なるほど、お前も戦いを楽しむ者なのだな、蓮乃。

 であれば話は早い。鬼になれ。本物の鬼になり、存分に力を愉しめ」

 

蓮乃を指差し、猗窩座は謳うように言った。

 

「人にはたどり着けぬ極地にも、鬼ならばたどり着ける。

 百年、二百年を越える研鑽の果てならば、お前も杏寿郎も至高の領域に踏み入れるだろう。

 そこで3人、永遠に戦い続けよう」

 

そして、猗窩座はどこか苦しげに眉を顰めた。

まるで哀願するようにも見える。

 

「醜く衰え果てる前に鬼となれ。

 若く強く美しい姿を、鬼となって永遠に留め置こう。

 お前たちには資質があるのだから」

 

猗窩座の口ぶりには強靭な鬼という生き物への賛美と、

脆弱な人間に対する失望があった。

 

「……全く」

 

蓮乃は静かに口を開いた。

 

「今日はなんという日なんでしょうか。

 まさか一晩に二回も、鬼に勧誘されてしまうとは……」

 

杏寿郎は蓮乃の横顔を見やった。

蓮乃の顔は表情の抜け落ちた、能面のような無表情だ。

 

「ええ、わかっておりますよ。私が鬼向きの気質であることくらい」

 

薙刀ごと、かき抱くように胸に手を当て、蓮乃は諦めたように言う。

 

「おそらく鬼になった方が“らしく”生きられることも存じております。

 私も戦うのが好きですし、人の苦痛を楽しむ悪癖がありますゆえ。

 ……とかくに人の世は住みにくい」

 

蓮乃の言葉は本音だった。

実際、かなりの節制を蓮乃は強いられている。

 

「知性ある生き物の苦痛に呻く様も、恐怖に怯える様も大好きですし、

 鬼と出遭ってから、恥ずかしながらそういう衝動を

 完璧に堪えきれたことなどありません」

 

深く息を吐いて、蓮乃は呟く。

 

「そういう我慢や節制をしなくてもよくて、

 思うがまま振る舞えるなら、どんなに楽しいでしょうか」

 

猗窩座は蓮乃の言い分に喜色を浮かべて頷く。

 

「ならば、」

 

「でもね、だからこそです。だからこそなんですよ。猗窩座とやら」

 

蓮乃は遮って微笑んだ。

揺るぎない、本心の伺えない常の笑みだ。

抱えた薙刀の刃先を、地面へ払うようにして向ける。

 

「私は自分の衝動に打ち勝ったことのない未熟者。

 抱えた悪癖が理由で“鬼のような女”と人でありながら恐れられた女。

 それが本当に鬼になってしまえば、私は負けっぱなしで終わります」

 

蓮乃は猗窩座に向かい小首を傾げた。

 

「そんなのは、負けっぱなしで人生を終えるのは、

 あまりにも……惨めではありませんか?」

 

これぞ地獄谷蓮乃であると言うような答えだった。

 

杏寿郎は誰にも気取られぬよう、静かに口角をあげる。

 

 地獄谷蓮乃という人は、絶対に鬼になどならない。

 破れかぶれ、自棄になったとしても、自分の悪癖から逃げることはない。

 だからこそ、鬼殺隊としてここに立っている。

 

「人としてこの世に生まれたからには、一度くらい自分に打ち勝たねば。

 私をこの世に産み落とした父母に、顔向けのできる自分にならねば!」

 

蓮乃は地を蹴った。

マントを翻し、猗窩座の視界を遮るように動く。

 

 罰の呼吸 参ノ型 咎弁天(とがめべんてん )

 

猗窩座の関節と首を狙っての攻撃が決まった。

骨を砕く音が響き、首には半分、えぐれたような跡がつく。

 

 惜しい……!

 

蓮乃が眉を顰めた瞬間、猗窩座はすでに技を放っていた。

 

「下がれ!」

 

 破壊殺・乱式

 炎の呼吸 ()ノ型 盛炎のうねり

 

杏寿郎が猗窩座の技の勢いをなんとか削ぐが、

それでも衝撃の全ては殺せなかった。

 

蓮乃は受け身を取るも、纏っていたマントが破れ、治療道具が地面に散らばった。

 

 包帯や、メスや、注射や、薬が、投げ打たれ割れて、壊れていく。

 人を救うための道具が戦いの最中に踏みにじられる。

 

蓮乃は膝立てて薙刀を構えると、猗窩座を下から嘲弄する。

こめかみには怒りから、青筋が浮かんでいた。

 

「……まぁ、それはともかくとして、

 私は今、あなたが死ぬほど痛がって悶絶してる顔とかが見たいので?

 自制とかはしない方向でいきますから? 存分に苦しんでいってくださいね?」

 

 

 鬼だ……。

 

炭治郎は蓮乃の毒舌に青ざめていた。

この調子だとどちらが鬼だか分かったものではない。

 

杏寿郎も、もはや蓮乃の挑発的な言動には触れず、

猗窩座の出方のみに注視している。

 

猗窩座は蓮乃の言い草に何を思ったのか、

それまでの愉しげな調子を拭い、黙り込んでいた。

 

炭治郎はもしかして、と思った。

 

蓮乃の顔には脂汗が浮かんでいるものの、その唇には笑みが湛えられたままだ。

蓮乃が来てから、猗窩座の技はいなされ続け、決定打を与えられずにいる。

 

杏寿郎と蓮乃も手負いで、首を両断するにはあと一歩というところだが、

――夜明けが近い。

 

炭治郎は思ったのだ。

 

もしかして、もしかしたら……勝てるのではないか、と。

 

 

 

 

 


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