【完結】地獄変・泥眼   作:白目p

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27.夜明けの心中立て

杏寿郎は崩れ落ちた蓮乃を抱きかかえ、

血を流す左腕を、自分の羽織を裂いて硬く縛った。

 

一度止血したのにまた無理やり傷を開いたせいで、縛った包帯は解けていて、

その意味をなしていなかったからだ。

 

蓮乃は苦しげに浅く息をしている。体が冷たい。

杏寿郎は必死に呼びかける。

 

「地獄谷君! 集中しろ、呼吸で血を止めるんだ!!」

 

「……まだ、猗窩座の、鬼の腕は、残って、いますか?」

 

だが、蓮乃は杏寿郎の声を遮るように、

喘ぐような息遣いのまま低く言った。

 

「竈門くんに、渡して、血を、取りなさいと、早く」

 

駆け寄ってきた炭治郎が涙をこぼしながら大きく首を横に振った。

 

「蓮乃さん……! そんなことより、止血を、」

「禰豆子さんのため」

 

蓮乃は嫌にきっぱりと告げる。

 

「鬼を、人に、戻すのでしょ」

 

炭治郎はぐっと言葉に詰まり、

顔をしかめながら、戦闘の跡を振り返った。

 

破壊し尽くされた木々、抉れた地面、

血溜まりや肉片の転がる惨憺たる現場。

まだ陽光の差していない木陰に鬼の腕を見つけて、

炭治郎は血をとって、懐に入れる。

 

日の光に照らされた戦いの跡に残されたのは

人間が血を流しながら戦った証ばかりだ。

杏寿郎も蓮乃も、ぼろぼろになりながら戦い抜いた。

 

 乗客は誰も死なせなかった。

 でも、煉獄さんも、蓮乃さんなんて特にひどい怪我だ……! それなのに……!

 

炭治郎はすぐに蓮乃に走り寄る。

 

満身創痍でありながら、

禰豆子を気にかけてくれた蓮乃を安心させたかった。

 

「取りました。蓮乃さん、取りましたから、

 止血、してください……!」

 

炭治郎の涙声を聞いて、

蓮乃の目が、柔らかく細められたように見える。

 

「うふふ」

 

いつものように、たおやかに笑った。

 

「私は、無駄死には、ごめん、ですから。

 大義ある後輩の、お役に立てたのなら、本望、ですよ」

 

死を覚悟した蓮乃の言葉に、胸を詰まらせた炭治郎、

じっと猪頭の中から蓮乃を見て立ちすくんでいた伊之助らと対照的に、

杏寿郎は歯噛みした後、ビリビリと空気を震わせるほど激昂した。

 

「いい加減にしろ!!! ふざけるな!!!」

 

腕の中で諾々(だくだく)と死を受け入れつつある己の副官を、

杏寿郎は厳しく叱りつける。

 

「誰の許可を取って死ぬなどと言っているんだ!!

 君は俺の副官だろうが!!」

 

蓮乃の伏せられていた睫毛( まつげ)が開いて震えた。

 

「俺の許可なく死ぬんじゃない!!!」

 

杏寿郎は腹の底からの苛立ちを露わにする。

 

「黙って全集中で止血しろ!!!

 それともなんだ!? できないのか!?

 柱の副官ともあろう者が!!

 俺はそんな半可な指導をした覚えはないぞ!!

 今すぐやれ!!!」

 

息を切らせ、肩を弾ませながら、杏寿郎は蓮乃の残った右手を取った。

 

「君ならできる! 地獄谷君なら、できるはずだ……!」

 

その懇願するような声に、ヒュ、と息を飲むような音がした。

蓮乃の口から深いため息がこぼれる。

 

最初は咳き込みながら、時折顔を歪めながらも、呼吸が落ち着きはじめた。

それに伴って流れていた血も徐々に止まり出す。

 

杏寿郎はひとまずはこれでいいと、

おそらく凄まじい苦痛に耐えながらも、杏寿郎に従った蓮乃を褒めた。

 

「良くやった! さすがだ!」

 

しかし。

 

「煉獄さん? この手、煉獄さんは……」

 

蓮乃は不安そうに眉をひそめる。

 

「ご無事、なのですよね?」

 

目がもう、見えていないのだ。

 

杏寿郎は瞬いて唇を引き結び、苦しげに目を眇めた。

蓮乃を励ますための言葉を絞り出すのに少しの時間を要した。

 

それでも努めて、朗らかに言う。

 

「……人の心配をする前に自分を治せ!

 俺は平気だから、自分のことを優先しろ!」

 

「あぁ、」

 

蓮乃の口から、安堵の息が溢れる。

 

「良かったぁ」

 

そして地獄谷蓮乃は、誇らしげに、花の綻ぶように、笑ったのだ。

 

 

厳しい人だ。

 

もう、どこもかしこも傷ついていて、痛くて痛くてたまらないのに、

息をするのも辛いのに、きっと死んでしまった方が楽なのに。

 

やっぱりね。思った通りだわ。

『苦しくても苦しくても、自分を律して生きろ』と、あなたは言うのよ。

 

だけど、人間って脆いですよね。

ちょっと血を、流しすぎたように思います。

 

それでも、辛くても苦しくても、期待をかけてくれたなら、

『君ならできる』と言われたのなら、私を信じてもらえたのなら、

必ず、応えなくてはいけない。

 

不出来で心配ばかりかける弟子だったから、

せめて最後に、良いところを見せなくては。

 

……私はなんて果報者なのだろう。

なんて幸せな死にざまなのだろう。

 

私は鬼を、曲がりなりにも人であった者たちを、心の底から楽しんで殺した。

 

地獄行きなのは間違いない。仕方ない。当たり前のこと。

それなのに、ろくな死に方をしないと思っていたのに、

こうしてあなたの腕の中で死ねる。言葉だって交わせた。

 

いいのだろうか、あなたには本当に、幸せにしてもらってばっかりで、

全然恩を返せてないのに。こんな風に看取ってもらえるなんて。

地獄に行くのだって、この思い出を抱えて行けるなら、

私はちっとも怖くない。

 

あなたは『俺は平気だ』と言った。

こういうことで、あなたは嘘をつかない人だ。

だからきっと、無事なのだろう。

 

お顔が見たいなぁ。

 

私をいつも見ていてくださった、強い眼差しが好きだった。

だけど目を細めて笑うと、あなた案外可愛らしくて。

それをあの鬼、潰してしまうんだもの。もっと痛めつけてやればよかった。

 

……もう自分の目が開いてるんだか閉じてるんだかもわからないから、

見れないんだろうなぁ。贅沢な、願いだったかな。

 

「……なぜ笑う? 何が良かった?

 ……何も良くないだろう」

 

遠くの方で、遣る方無いような声がする。

いま私、笑ってるんだろうか。そうか。当然だ。

 

「そんな風に、言いますけど、あなたが私でも、

 ……きっと、同じことをした、でしょう?」

 

誰が許してくれなくたって、誰に引き止められたって、

あなたは人の命を、自分の命に代えても守ったはず。

それを誇らしく思ったはず。

 

煉獄さん自身は、守られるのが嫌だったんだろうな。

守ることに、矜持を持ってらしたから。

 

でもね、私もあなたと同じくらい、嫌だったんですよ。

あなたに死なれたくなかったんです。

あなたが命を投げ出すのを許したくなかったんですよ。

 

私はあなたを守れて嬉しいんです。心の底から良かったと思うんです。

 

あなたは長じて幸福になるべき人で、私みたいな“鬼のような女”とは……、

ああ、これは違うな。

 

私は、あなたのおかげで。

 

これだけは、伝えないと。

 

「煉獄さん」

 

重ねられている手のひらを、できる限り強く握った。

 

「私を……人間にしてくださって、ありがとう、」

 

伝わりましたか。ちゃんと声に出せていましたか。

ごめんなさいね。もう耳もダメになってるから、わからないんですよ。

 

強く、手のひらを握り返された気がする。

……伝わったのかな。そうだといいな。

 

本当に、本当に、言葉にし尽くせぬほど。あなたには感謝しかありません。

あなたの仰る通りに、私は確かに人でした。

あなたが人にしてくれた。

ありがとうございます。ありがとう、ありがとう。

 

「煉獄、杏寿郎さま」

 

どうしようもない私を見捨てずに、

当たり前のように手を差し伸べて救ってくださった方。

寄り添ってくださった方。

 

一緒に悩んでくれた。心を砕いてくれた。

たくさん叱ってくれた、同じくらい褒めてくれた。守ってくれた。

最後に至らない私を、信じてくれた。

 

厳しくて優しい、強くて眩い、

いつでも私を導いてくれる、太陽のような人。

 

「お慕い申し上げておりました」

 

なんて、言えないけれど。

 

あなたの心持ちが神仏の境地に至っていることは、

人のために命を投げ出すことも厭わぬ方だとは、

よくよく存じ上げておりますが、

長く生きてください。後生ですから。

 

どうかどうか、ご無理をなさらず、

いつまでも壮健なこと、武運長久をお祈りいたします。

 

あなたを生かすことができて、

私は、地獄谷蓮乃は満足です。

 

……唯一、心残りがあるとすれば、

 

「ぁあ、……ごめん、なさい、お父さん。

 あなたの娘で、幸せでした……」

 

 

煉獄杏寿郎は呆然と、自身の腕の中に居る、

意識を失った地獄谷蓮乃の顔を見る。

 

少しばかり口角の上がった、満足げで安らかな顔。

涙を一筋流して父親に謝辞を述べ、

それっきり何も言わなくなった顔。

 

その才覚を惜しみなく振るい、

命と心を燃やし、人を守った強者。

 

“かくあるべし”と思っていたあり方を蓮乃は杏寿郎に示した。

まるで自身の写し身のように。

 

隠が、医者である蓮乃の父親が駆け寄ってきて蓮乃を取り上げ、

処置に移るまで、杏寿郎はずっと蓮乃を眺めていた。

 

か細い、うわ言のような告白は、

杏寿郎の耳に、確かに届いていたのである。

 

 

 

 

 

 


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