【完結】地獄変・泥眼   作:白目p

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30.歩を進める

煉獄槇寿郎は、杏寿郎から話があると告げられ、淡々とそれに頷いた。

 

息子たちが早朝に出かけていることは知っている。

 

出かけて帰ってくる彼らの素足が毎回やたらに汚れているので、

おそらくお百度を踏んでいたのだろうことも察しがついている。

 

何のために願をかけているのかも、おおよそ分かっていた。

槇寿郎は文机の横に置いた、将棋盤に目を移した。

 

 

「失礼しま〜す! 大師範〜、将棋しませんか~?

 非番なので暇なんですよ~」

 

スパーン、と襖を開いて蓮乃がのたまう。

 

近頃はまともな時間に寝起きしていながらも、

未だ文机を前に手記を見やる槇寿郎は、

将棋盤を抱えた蓮乃の、やたらとにこやかな顔を見てため息を吐いた。

 

「仮にも師範の父親を暇つぶしに使うとはいい度胸だな、小娘」

 

「うふふ。大師範が一番暇を持て余してそうだったんですもの。

 師範は任務で遠出、千寿郎くんも外出ですからね。

 暇人同士、潰しましょう、暇を」

 

暇だ暇だと言う蓮乃だが、

いつもは時間を見つけたら自主的に鍛錬を重ねていることも槇寿郎は承知していた。

人を食ったような言動と残忍な気質を除けば、

これほど熱心な弟子もそうはいない。

 

その蓮乃が鍛錬を差し置いて槇寿郎に声をかけたと言うことは、何か思惑でもあるのだろう。

槇寿郎は逡巡したのち、頷いた。

 

「……構わん。付き合ってやる」

「わぁ、ありがとうございます」

 

蓮乃は両手を合わせて喜んでいる。

 

盤を挟んで向かい合い、駒を並べながら蓮乃は文机の上をみやり、朗らかに口を開いた。

 

「いつも読んでいらっしゃいますけど、

 『歴代炎柱の手記』って、そんなに面白いものなんですか?」

 

「そうでもない」

 

パチン、と駒を動かしながら槇寿郎は答える。

 

「先祖代々、脈々と受け継がれてきたものが、良いことだけとは限らんだろう。

 あれを読むと、それをまざまざと見せつけられるような気分になる」

 

「ふむ、例えば、“悪いしきたり”のような?」

「どちらかといえば気質だ」

 

蓮乃は淀みなく駒を進めながらも、考えるそぶりを見せる。

槇寿郎は目を眇めて、盤を睨んだ。

 

「どうやら物事につまずいた時にうずくまるのは、先祖譲りらしい」

 

蓮乃は瞬いたかと思うと、腑に落ちなかったのか首を捻った。

 

「息子さん達はそんな感じじゃないですけどね」

「二人とも性格は母似だ。顔はともかく」

 

槇寿郎の言葉に、蓮乃は声をあげて笑う。

 

「あははっ! 実は初めて皆さまにお会いした時はびっくりしました。

 お二人とも大師範に生き写しですものね!」

 

代々、煉獄家の男児の顔立ちはよく似ている。

 

槇寿郎の父も、祖父も瓜二つだった。

性格や加齢で多少の違いは出るものの、よく知らぬ人間には見分けがつかないらしい。

昔は槇寿郎もよく父親に間違えられた。

 

おそらくは遠い祖先も似たような顔をしていたのだろう。

手記に出てくる祖先の容姿も緋色の混じった金の髪で、

どこに行っても目立ったと言う記述もあった。

 

「俺に似たのが顔だけで良かった。

 いや、実のところ妻に似てくれた方が良かったな」

 

槇寿郎は瑠火の顔を思い出して、腕を組む。

 

「お写真を拝見したことがありますから、奥様のお顔は存じ上げておりますけれど、

 確かにきりりとした印象の、美しい人でしたねぇ」

 

蓮乃が盤上に目を落としながら言うので、槇寿郎は頷いた。

 

「そうだな、凛とした心映えがそのまま表れていたと思う」

 

蓮乃が顔を上げた。

 

「――ふふっ!」

「何がおかしい?」

 

思わず、と言った風情で笑った蓮乃に槇寿郎が眉根を寄せると。

蓮乃は口元を手のひらで抑えながら、どこか揶揄うような声で言う。

 

「仲の良いご夫婦だったのですね。語り口からわかります」

「……」

 

決まり悪そうな顔をして黙り込んだ槇寿郎を

クスクス笑いながら、蓮乃はまた駒を進める。

 

「ところで、大師範が息子さんに手記を見せないようにしているのは、

 ご自分と同じようにうずくまってしまうのが怖いからですか?」

 

「察したことを全部口にせずにはいられないのか、お前は?」

 

呆れ混じりに咎めるが、蓮乃に全く懲りた様子はなく、

常の通り、ニコニコと笑うばかりだ。

 

槇寿郎に答える義務などなかったが、

どう言うわけか、その時ばかりは素直に答える気になって、口を開く。

 

「あれには、別に見る必要などないことばかりが書いている」

 

受け継がれた手記には日の呼吸へのどうしようもない劣等感に苦しんだ、

かつての炎柱の苦悩が綴られている。

 

「俺もあれを最初に見たのは柱になったばかりの頃だ。

 その時は気弱な先祖を情けなく思った。

 炎の呼吸を極め鬼を退治し、人を守ることこそ、

 煉獄家に生まれ、剣術に心得を持つ者の定め。

 他の呼吸がいかに優れていようとも、それは変わるまいと」

 

実際、代々の炎柱となった者が読むことになっているこの手記を見て、

先祖たちの多くは奮起したのだ。

これを綴った炎柱の苦悩を、ある者は反面教師にして、

ある者は同情しながらも確かに乗り越えて、炎の呼吸を繋いでいくようにと。

 

パチン、パチン、と駒を置く音が響く。

蓮乃は槇寿郎の言葉を聞いているのかいないのか曖昧なほど静かに、

盤上を眺めている。

 

その様を見て、槇寿郎は目を眇めた。

 

地獄谷蓮乃は槇寿郎にとっては息子の弟子だ。

その技の質は殺人刀(せつにんとう)であり、鬼殺においては尋常ならざる才覚がある。

残忍な気性の持ち主で、一切を冷笑する、人を食ったような言動をする少女でもある。

 

だが、どうやら蓮乃がそれだけの人間ではないとも、薄々わかっていた。

何より蓮乃は、優れた医術の心得を持つ隊士だった。

 

それを知った時の、槇寿郎が覚えた奇妙な感覚は、

おそらく誰にもわからなかっただろう。

 

「……瑠火が、妻が死んで、俺は何もかもどうでもよくなったのだ」

 

蓮乃がまた、顔を上げた。

表情をどこかに落としたような、能面の如き顔が槇寿郎を見つめている。

金色の火が、蓮乃の目の奥でチラチラと揺れる。

 

その顔を、槇寿郎は見返した。

 

「人を守るために鬼を退治してきた。柱になった。

 だが、俺には鬼を斬れても病は斬れん」

 

蓮乃の目が、わずかに見開かれた気がした。

 

「それまでこの手に剣さえ握っていれば、守りきれると思っていた。

 炎の呼吸を極めたならば、家族も、人の命も、皆守れると思っていた。

 ――全く、俺には考えが足りなかった」

 

槇寿郎は、蓮乃から目を外し、盤上の駒を動かす。

 

「『大切な者の命を取りこぼす剣術に、炎の呼吸に何の意味がある?

 それも、上位互換の呼吸が存在するというのに』

 一度そう思ってしまったなら、柱の役目は果たせまい、育手としても働けまいよ。

 身につけた武芸の意味を失ったまま、誰に教えることができる?」

 

蓮乃は何も返さなかった。

 

槇寿郎は文机の上に置かれた手記に目を移し、

「あれを俺が繰り返し読むのは」と前置く。

 

「昔、祖先も俺と同じように、自分の無力に苦しんだのだと思うと、

 少しばかり心が慰められた。それだけのことだ」

 

槇寿郎の答えを聞いて、蓮乃は深くため息を零した。

 

「……それ、息子さんには言いました?」

「言えるわけがないだろう」

 

何を当たり前のことを聞くのだ、と言わんばかりに返した槇寿郎を、

蓮乃は半眼で見やる。

 

「さんざ酒浸りで情けない姿を晒しておいて、

 何でそこだけ格好つけたがるんですかぁ?

 そんな矜持、無意味ではありません?」

 

蓮乃の言葉が確かな殺傷力を伴って槇寿郎の胸に突き刺さる。

槇寿郎は引きつった口角からなんとか言葉を絞り出した。

 

「お前……! お前は少し、歯に衣を着せるべきだぞ……!」

「おっと失礼。思わず本音が口からぽろっと」

 

常の通り口元に手を当ててニマニマと笑った蓮乃は、

言葉と同じような鋭い手を打った。

盤上を睨んだ槇寿郎が難しい顔で腕を組む。

 

「むっ……!? しばし待て」

「“待った無し”ですよぉ、大師範」

 

軽口を叩く蓮乃をじとりと見やって、槇寿郎は活路を開こうと思索するのだった。

 

 

かつて、軽薄な調子で槇寿郎と将棋を指した蓮乃は今、

昏睡状態に陥っている。

左腕を失くし、右耳も欠け、全身傷だらけの様相で、

いつ目覚めるのかもわからぬのだと言う。

 

杏寿郎も左目を潰され、同じように重傷を負って帰ってきた。

自身の無力に打ちのめされていた。

いつかの槇寿郎と同じように。

 

しかし、今、槇寿郎の前に居る杏寿郎は並々ならぬ気迫に満ちている。

正座し、槇寿郎を見つめる眼差しはいつも以上に爛々としているように見えた。

 

「父上、俺は柱を降ります」

 

杏寿郎はみなぎる気迫と裏腹に、自分は柱を辞めるべきだと言う。

 

「こたびの上弦の参との戦いで、己の未熟を痛感しました。

 地獄谷君が居なければ俺は死んでいた。

 鬼が来たのが夜明け前でなければ、乗客も後輩も守りきれていたか、分かりません。

 状況に救われ、俺は命を拾っている」

 

杏寿郎の膝に置かれた手が強く握られ、白くなった。

 

「これでは柱として、あまりにも不甲斐ない……!」

 

引き絞られるような声である。

だが、杏寿郎の言葉はまだ続いた。

 

「すでに鴉に通達済みですが、今夜家を出て明朝、

 階級を(みずのと)に降格して頂けるよう、直々にお館様に打診します。

 (みずのと)に戻ったあとはもう一度柱に戻れるよう、全力を尽くすつもりです」

 

つまり、一からやり直すと杏寿郎は言っているのだ。

 

槇寿郎は瞬いてから、目を眇める。

 

左目を失った上にまだ傷も完治していない状態では、

任務復帰までそれなりに時間もかかるだろう。

にもかかわらずこの調子だと、杏寿郎は明日にでも鬼殺に励みそうな勢いだ。

 

「普通の隊士が柱になるのはおおよそ5年。

 万全のお前なら1年足らずで済むだろうが、

 目をやられている上に、まだ傷も癒えていないのだろう、」

 

杏寿郎は槇寿郎の言葉を遮った。

 

「治る怪我はあと数日で治します。

 それに、俺はそこまで時間をかける気はありません」

 

どういうことか、と訝しむ槇寿郎に、杏寿郎は淡々と答える。

 

「現在の柱に、時透無一郎という少年がいます。

 彼は刀を握って2ヶ月で柱になった」

 

霞柱、時透無一郎は現在の柱の中で最年少ながら、

歴代の柱の中でも最速で柱となった人物だ。

 

柱就任までの速さは尋常でない努力と天賦の才、

何より自身を省みぬ強い衝動の賜物だ。

普通ならば、真似しようと思ってできるものではない。

 

そもそも柱とて、自身の体調を万全に整えたり、

雑事をこなしたりするためにも、そんな調子で鬼を斬ることはあまりない。

 

しかし。

 

「俺が本当に柱に戻るべき人間なら、

 彼と同じことが、やれない道理はありません」

 

杏寿郎の強い意志の滲む答えに槇寿郎は無謀だ、と呟く。

 

「まともじゃない」

「まともなやり方では上弦を倒せない」

 

未だにあの夜どうすれば良かったのかを、杏寿郎は考える。

皆を守りきり、上弦の参を倒せる方法を、何度も繰り返し演算した。

 

 あの時あの技を出せていたら。

 蓮乃の肩を砕かせず、左腕を失わず済むよう動けたら。

 猗窩座の挑発に冷静さを失わなければ。

 

しかしどう考えても、今のままでは勝てない。

より地力を上げるしかないという答えに行き着くのだ。

 

「俺は変わらねばならない。より強く。

 もう2度と、守られなくてもいいように。

 今度こそ、守りきれるように」

 

槇寿郎と杏寿郎は睨み合うように目を合わせる。

先に視線を外したのは槇寿郎の方だった。

 

「……『無茶をするな』『他の責任の取り方は無いのか』

 そう思うところが、無いわけではないが、

 お前の決めた進退に、俺がどうこう言う資格はとうの昔に失われている」

 

淡々と、どこか諦め混じりに言う槇寿郎に、杏寿郎は無言で応えた。

槇寿郎はさらに言葉を続ける。

 

「なにより、俺も自分の都合で柱を降りた身だ。

 お前のことをとやかくは言えん……。

 俺はあまりに無様な醜態を晒している。

 指図など、とてもできる立場ではない」

 

槇寿郎は「だが、」と、杏寿郎を見直した。

十全にみなぎる覇気と決意の表れる顔に、槇寿郎は腕を組む。

 

「そもそもお前、俺が何か言ったところで、

 自分の考えを曲げる気は無いのだろう?」

 

図星を突かれて、杏寿郎は少しばかり苦く笑った。

 

「はい」

 

苦笑しながらも確かに肯定した杏寿郎に、

槇寿郎は呆れを隠さずにため息をこぼす。

 

「……そんなことだろうと思っていた。

 しかし、こうして報告してくれたことは、嬉しく思う」

 

目を伏せ小さく笑った槇寿郎を見て、杏寿郎は息を飲む。

槇寿郎は顔を上げて、瞬く杏寿郎と目を合わせた。

 

 随分久しぶりに、まともに息子の顔を見たような気がした。

 

「杏寿郎、励めよ」

 

杏寿郎はぐっ、と唇と拳とを引き結んだかと思うと、

すぐに笑みを浮かべ、力強く父に応える。

 

「はい!」

 

その顔は、どこか晴れやかだった。

 

 

 

 


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