幽々の空、灰暮れに   作:魔愛暴導富

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94.お前は望まれて生まれたのか?

 

 

 目の前の星晶獣と睨み合う。

 フェンリルの気配は狼とそっくりだ。数多の命を狩り、濃密な鉄の匂いを漂わせながらも、血が付着している部位は少なく──合理性、集団性を感じさせる鋭さ。獰猛さに裏付けられた生存力。

 

 だから、勝てると理解した上で油断出来ない。

 ロキはまだ見たがっている。俺が全てを出すまで、まだ戦闘を続けようとしている。つまり、俺を追い込む手段をまだ持っており、フェンリルにそれが可能という判断を下しているのだ。

 或いは本人が戦闘に参加するつもりなのか。初対面、それも星の人間の嘘を見破るなど俺には出来ない。横入りしないという発言がどこまで意味を持つのか。

 

 戦闘に備えていると、フェンリルは不快げに鼻を鳴らして呼びかける。三つ巴の時から分かっていたが、会話を嫌う程野生的では無いらしい。

 

 

「このうざったい霧……お前だな?」

 

「さっきから出してるしな。勿論バレるか」

 

「そういう意味じゃねぇよ。お前自身かって聞いてんだ」

 

「え」

 

「……へぇ。そうなの?」

 

 

 ロキの感心した声に俺も賛同したかった。

 フェンリルは霧が俺の身体の様なものだと気付いたのだ。それが野生の勘という都合の良い考察能力なのかは置いておいて、ノーヒントで気が付いたのは彼女が初めてだ。カリオストロですら魔力を使わないというヒントがあって理解したのに。ゾーイなんて霧の成り立ちから知ってるのに気が付かなかったんだぞ。

 

 敵からしてみれば霧の視覚阻害、俺にとっては感知器官。それを知られてしまっては戦闘の状態は大きく変わる。

 フェンリルとはますます正面から戦わなければならなくなるな。

 

 

「な、何故分かった」

 

「気配と……匂い、だな」

 

「……もしかして臭かったか?霧も?」

 

「潔白な匂いだ。オレにとっては目立つ」

 

 

 良い匂い……ってこと?香水はしてないが。

 

 

「どんな匂いなんだ?」

 

「掻き消した様な匂いだ。元々感じられる肌、汗、汚れの匂いを、キレイさっぱり無かった事にしたみたいに、真っ白で……不吉な、そういう気持ち悪い匂いだよ。腐臭とは大違いだな」

 

「……気持ち悪いのか」

 

「不快だ。なんせ──」

 

 

 フェンリルは瞬く間に接近し、身体を大きくしならせて爪を振るった。受け止めた剣は硬く音を鳴らし、力で歪むのは俺の足元。

 耳元で囁く様に紡がれた言葉に、身体が鈍ってしまった。

 

 

「──()()()()()()()()()()()()だからな」

 

「……!!!」

 

「ついでに、顔色も悪いぞ」

 

 

 幽霊になって肌が比較的白くなったのは事実だが……匂いまでそんなものだとは知らなかった。

 まずい。俺がセレストの影響で幽霊になったとバレてしまえば──少なくともロキが勘付いたのなら、この死なずの身体を正常に戻す手段を持ち合わせているのかもしれない。

 星の民が兵器を制御する権限を持っていることは不自然な事ではないのだから…!

 

 

「兜を脱ぐべきでは無かったな」

 

「つまんねえ顔だし、少しでも目立てる様兜はちゃんと墓に添えてやるよ!!」

 

「僕は愛嬌があっていいと思うけどね。耳なんてフェンリルにそっくりだ」

 

「やめろ気持ち悪い!わざわざ言わないでおいただろうが!!」

 

 

 ここまでの嫌悪を個人から向けられた事があっただろうか。少しだけ傷付いてきた。心はいつだって涙を堪えているんだ。

 この情けない顔を隠す為の兜が欲しい。

 

 それに…しょうもない会話の中で、霧の性質は大体看破されたと把握した。意識阻害もあの血の気では通じない。

 光線は喰われ、魔力由来の盾も恐らく対象だとすると…フェンリルと戦うに最適な条件、それは──正面衝突。

 俺は意識を切り替えた。

 

 

「──正面からぶち抜くぞ」

 

「──鎧ごと千切ってやる」

 

 

──利害一致。

 殺し合いはここに成立した。

 

 剣と拳が重さを伴って空気を揺らす。

 フェンリルの拳は最早鉄槌の様な硬度を持ち、爪は短くも確実に敵の装甲を抉る攻撃力を得た。恐らく先程喰らったマーズの炎を腕の強化に回しているのだ。

 しかし仕組みから考えれば俺よりも有限なエネルギーだ。消化後のエネルギー効率は常軌を逸したものではないし、炎そのものを身体に宿せる訳でもない。警戒するべきはその行為の過程で敵の攻撃を無効化するという事に対してであり、結果を憂慮すべきでは無い。

 つまり、喰われない攻撃で攻め続ければ勝機はある。

 

 

「ガキが…!いい加減に…ッ」

 

「想像以上にタフだな…!」

 

 

 俺は剣を持っているというのに、まるで殴り合いの様な戦いだ。

 仮に盾を展開したとしても問題では無いだろう。彼女が盾を喰らった所でその隙に剣を叩き込めば決着が着く。逆に彼女が求めているのは俺が後手に回って最終的に盾で防御する事。それなら一瞬で無効化して喉元に食らいつける。

 

 ただ、この拮抗状態だと先に潰れるのは俺じゃない。

 この取っ組み合いから脱する事を求めているのか、足が後ろに動いたのが見えた。

 

 

「逃さん」

 

「なン…!?」

 

 

 後退する彼女の背後に巨大な防壁を作り出した。これで俺と正面から戦うしかないだろう。仮にそれを喰らって逃亡を図っても俺に背後から斬られて負ける。

 

 人の事は言えないが、空を舐めた報いだ。

 空を嘲る星晶獣、フェンリル。ロキの忠告をよく聞くべきだったな。星晶獣と戦える剣と鎧があるから七曜ではなく、正面から化物を撃滅出来るから剣と鎧を授かったんだ。

 

 反抗が宿る彼女の瞳に、僅かな怯えが見えた。

 何処か、かわいそうだが──

 

 

「一回眠れ」

 

 

 その胴目掛けて剣を振り、剣が消えた

 空振った俺の右手にフェンリルがかぶりつかない様に、異常へ対する動揺を捨てて後方へ退避した。

 

 もし、すっぽ抜けたのならどんなに単純か。

 とどめの為に強く握っていた剣が綺麗に無くなったのだ。どちらかというと物を無意識に落とした感覚に似ている。

 これをやった奴は明確だ。つくづく都合の良い飼い主に、俺は明確な怒りを以て視線を向けた。

 

 

「…………貴様」

 

「ロキ…テメェ何がしたいんだ…!!」

 

 

 そしてその怒りはフェンリルも。

 主に助けられたという恥か、一方的に戦わせておいて終わりを見せない事に対する苛つきか、単に行動が意味不明だからか。

 

 味方がいない事を嘆いたのか、ロキは哀愁を一瞬見せた後、からっとした笑みで俺に手を上げた。

 

 

「ごめん。無理だった」

 

「諦めた所で帰すつもりはもう無い。少なくともファータ・グランデにとってフェンリルの気性は危険で、享楽的なお前も危険だ」

 

「ああ、戦いを辞めるって意味じゃない」

 

「何だ」

 

「君を必死にさせたいけど、フェンリルだけじゃ無理なのが分かったって意味さ。本当に申し訳無いと思ってるよ……だから僕とフェンリルで君を嬲る事にした」

 

「…!!!」

 

 

 目を細めたロキが指を鳴らす。

 音が耳に届く頃には黒騎士の鎧が俺の身体から消えていた。装備していた剣と鎧が一瞬にして何処かへ転移し、奪われた可能性を考慮すると。

 

 

「すべきでは無かったな…!!!」

 

 

──害として排除しなければならなくなる。

 

 

「フォルウン・ホロス──!!」

 

「おお、怖い怖い」

 

「ボサッとすんな!」

 

 

 黒騎士としての装備を強制的に剥奪された俺は、纏える最大限の魔力を使い、最速の身体能力でロキの元へ駆けた。

 周囲が速度によって大きく歪み、辛うじて人影だと判別できる奴の喉元へ、手刀を繰り出す。

 

 しかし、フェンリルがロキの手を掴んでそれを避けさせた。その忠誠心籠もった冷静さに俺の血管が熱を持つ。邪魔な奴だ。

 

 

「僕って星の民の中でも変わり者らしくてね、変な技を使えるんだ。さっきのは敵の武装を強制的に解除する術。勿論取れた剣と鎧は近くに纏めて置いてあるよ?」

 

「……オイ、こいつ殺す気だぞ」

 

「分かってるよ。七曜の鎧を取っちゃったんだもんね。なら、これはどうかな?」

 

 

 また指が鳴る。次は切り落とすか。

 

 そして今度は景色。

 俺の周囲はポート・ブリーズの平原。見晴らしの良い緑が特徴の、心地良い風が吹く自然そのものだった筈だ。

 

 それが雪景色に変貌を遂げた。

 寒さは感じず、周囲に雪山や氷山が忙しなく見える事から、空間転移ではなく幻術の類だと分かった。しかし、ただでさえ先程の景色とは面影が無いのに、吹雪で視界が塞がるので正しく動く事は出来ない。

 それに、ロキとフェンリルの姿すら見えない。

 

 

「違和感すごいでしょ?」

 

「…!」

 

「ちなみにフェンリルにはそう見えてないからね」

 

 

 漠然と感じた気配だけで背後に防壁を貼る。

 飼い主の命令通り鋭い一撃を叩き込んで来たが、俺の反応が予想外だったのか喰らう準備はしていなかったらしい。

 

 今の攻防で分かった事がある。

 これは脳に誤認させる幻では無く、目の見え方を(いじく)ったものだ。だから匂いや音、肌の感覚は以前と全く変わっていないし、フェンリルの気配にも容易に気が付いた。

 だが、その視界と他の差異が逆に混乱を招くし、解除にはロキに触れて直接ディスペルガを使って術を大破させるしかない。ただでさえ未知である星の力に俺の魔力を流して解決するのかも不明だ。

 目を閉じた所で既に無意味。見え方を固定された視覚は瞼の暗闇すら拒絶し、常に冬の世界を演出している。

 

 ならば、視覚を捨てるまで。

 

 

「胸糞悪いが──終わりだ黒騎士ィ!」

 

「……っ!待つんだフェンリル!」

 

 

 振り下ろした拳。俺の脳髄を砕く両腕。

 万事淀み無くそれを回避し、俺の右拳が吸い込まれる様に稼働、フェンリルの肩を砕いた。

 

 

「ぐ、あ…!!」

 

「何故見えて………いや、霧か!」

 

 

 ロキとフェンリルは俺の霧が敵を感知していると気付いた。だから広範囲を覆う霧は確実に払って来るし、数の理を持つ二人ならそれが容易く行える。

 

 だから俺は全身を霧を纏った。

 密着する様に、鎧の様にくまなく、常に循環させ続ける。すると敵の攻撃が迫った瞬間に回避する事が可能となるのだ。

 勿論普段なら回避など間に合う訳もないが、フォルウン・ホロスによって全身にありったけの魔力を回している以上、反射神経も身体能力も瞬間的な回避を行うのに十分な強化をされている。

 

──黒騎士コーリス。これより二人を、纏めて潰す。

 

 

「本気を出す。ついてこい」

 

 

 全身から空間に満ちる量の霧を出す。

 フェンリルが俺を攻め、ロキが霧を晴らす役割に分担すれば容易な筈の霧晴らしは既に瓦解した。一度でも一帯に霧を撒けば、この幻の世界で正しくお前らを殴り潰せる。

 霧の感知を見抜いた、光線や盾を喰う事が出来る──それがどうした。俺本体を攻略出来なければ意味が無い。結局、ロキも未知を見下す一介の俗物でしか無い。

 

 

「…彼はもう()()()()ね」

 

「ロキ…オレはアイツの魔力の質が良いって言ったな」

 

「うん」

 

「間違った。質はそこそこ止まりだ。本当は」

 

「量の方、だね」

 

「…………異物(バケモノ)が」

 

 

 ロキを狙う。奴さえ倒せばこの茶番も終わる。奪われた剣と鎧の位置は俺達が出会った木の下にある事も把握した。

 問題ない。ただ一つの懸念はロキの能力、それだけ。

 

 正面から速度で後方への退路を潰し、逃げる為に翻した半身を遮る様に俺自身の身体をねじ込み、空いた腹部を拳で狙う。

 素直に当たれば内臓の破壊は可能。しかし相手は星の民。星晶獣を作る技術を持った上位存在達が、空の民の武力に劣るなどと思ってはいけない。

 

 

「速いね」

 

「ちょこまかと…」

 

 

 霧でロキの気配を常に把握している以上、幻覚による姿の偽装は無意味となっている。だから奴は俺の拳が当たる寸前に避けた。ごく短距離で空間そのものを移動させた感覚だ。既に正しい方向へ放たれた拳は曲げる事が出来ない。

 凄まじく器用だ。フェンリルどころかマーズよりも骨が折れる。

 

 点での高速攻撃でも十分やれるが、本気を出すと公言したのだ。多少の面攻撃に変化させ、派手に戦うとしよう。

 

──再び魔力解放。

 

 

「かなり眩しいだろうが、俺には変わらず雪景色だ。許せ」

 

 

 移動したロキを咎める様に回し蹴りを放つ。

 正直、足が当たらなくても構わない。奴の回避方法なら衣服の一部くらいは掠れるだろう。俺の纏う霧が奴に触れさえすれば。

 

 

「っ…華の無い派手さは嫌いなんだけどね…!」

 

 

 その場で光線が弾ける。

 纏った霧を魔力解放で蒼霧に変化させ、全身に織り込んだのは(オドス)。敵に触れる度に霧が反応し、自動で光線を放つ様に組んだ。反応と共に直撃すると考えれば、肢体が炸裂すると表現した方が適切だろう。

 そして、今の攻撃がロキの脇腹を軽く焼いたのもよく分かった。

 

 

「これさ…攻撃の度に来るの?」

 

「少なくとも俺が疲れるまでは」

 

「……どうやら魔力は半分も削れてないね。仕方ない。本気で遊ぼう」

 

 

 ロキは棒にしか見えない杖を構えた。これでやっと、全員が本気だ。

 

 充満させた霧が感じたのはフェンリルの復活。マーズの炎を総動員して砕けた肩を治し、ロキの元へ駆けつけようとしている。来る度に相手をしてロキに邪魔をされ続けるのは効率が悪い。変わらず飼い主から撃破する方針が良いだろう。

 

 

「……?」

 

 

 徒手にて構えを取れば、収まりというか…バランスが悪い。

 疲労でも手傷でも無い何かの干渉…なる程、俺の右半身に位置する空間を歪められたのか。軽く肌をつねられる様な感覚のせいで、正しく身体を操作出来ない。ただ、極めて微小な力だ。身体そのものが歪められる感覚は無い。

 つくづく奇術師。目立つ痛手よりも邪魔が得意な訳だ。

 

 そのままロキは弾く様に手首を跳ねさせた。

 ほんの少し捻れていた空間が急速に戻り、その衝撃で俺は上空へ弾き飛ばされる。同じく痛みは無いが、これは身体強化の影響で効いていないだけで、まともに食らえばどうかは不明だ。

 

 

「一旦霧から離れてもらうよ。これで世界が寂しく感じる筈さ」

 

 

 勢いだけは凄まじい。充満させた霧から離れたせいで俺の身体以外は空気の圧しか感じない。奴等が何を企んでいるかも分からない。空いた時間で霧を除去するのか、空中へ投げ出された俺を嬲るのか。

 周囲の状況が感知出来ない中で集中を極める。

 

 

「そこ!」

 

「防ぐな気持ち悪い!!」

 

 

 研ぎ澄ました感覚を逃さず、うなじに感じた殺意を腕で防ぐ。

 奴等の行動は後者。フェンリルが無防備な俺へ追撃をしてきた。たった今地上の情報も遮断された事からロキは霧を晴らしたらしい。つまり、今の俺は感覚が鋭い盲目の人間と何ら変わらない。

 

 浮く事が出来るフェンリルに倣い、俺も盾を足場にして空中に立つ。上空の風では霧を広範囲に展開出来ないし、纏える様に継続して出すしかない。密着させれば多少の融通は効く。

 

 

「お前の様に頑張り屋な星晶獣は珍しい。正直、アレが主では勿体無いとさえ感じる」

 

「そうかよ。星の奴等はオレを失敗作だと放棄しやがったぜ。『生まれてはいけなかった』ってな。そんなゴミを拾ったアイツが変なんだ」

 

「なら捨てた奴等は節穴だな。タフで忠実な戦士は貴重な存在だ」

 

「忠実?このオレがか。笑わせんな」

 

「無自覚か。お前は思ってる以上にまともだぞ」

 

「じゃあお前は思ってる以上に狂ってるな。構成する要素が歪すぎる。自然に生まれたなら何かの間違いだ」

 

「生憎、色んな意味を含むが…望まれて生まれた」

 

「………なら踏みにじりがいがあるな」

 

 

 言葉の割にフェンリルから憎しみは感じない。滲み出るのは自分は作られるべきでは無かったという自嘲。振る舞い以上に自己肯定感が低いのかもしれない。

 しかし同情は不要、無意味。行動指針がロキである以上言葉による和解は無理だ。必要なのは殴り合いでの打破。やるべき事は三つ巴の時から何も変わっていない。

 

 俺は四方に盾を展開した。浮ける相手に対抗するには足場が沢山必要なんだ。それに、壁として用いれば立体的に動く事もできる。

 やりにくさを感じたならフェンリルを足場にして墜落するのも良いだろう。運が良ければロキ諸共に栄えある大地の肥やしにしてやる。

 

 

「シッ──!」

 

「ガァッ!!」

 

 

 空へ駆け出した。

 流石に予想していたフェンリルは俺を足場から吹き飛ばす様に腕を振り、その隙をカバーする様に蹴りを併用した。

 ダメージよりも衝撃を優先した大振りに当たってやる義理は無い。纏った霧の感知で最小最速の回避──上体反らしからカウンターで腹部へ拳を振り上げる。

 

 

「ぐぅ……あんまし効かねぇぞ!」

 

「後悔しろ」

 

 

 直撃するもそこまでの手応えはない。上手く身体を捻ったか。

 拳で上昇するフェンリルに追いつく為に、俺は盾で作った周囲の壁を利用して最速で駆け上がり、彼女よりも先に辿り着いた。見えるのはがら空きの背中。渾身の拳を叩き込めば少なくとも地面への衝突も相まって堪えるだろう。

 

 ただ、戦闘も佳境。俺の動きに慣れてきたのは戦い方から読み取れる。だからこうやって振り向き、防御の姿勢を取ってきた。

 なる程。分厚い両腕で炸裂する拳を防ぎつつ、緩んだ所でエネルギーとして喰らうつもりだな。上等だ。文字通りその弱気な後手をぶち破ってやろう。

 俺は腕に力を込め、彼女の装甲の如き巨腕に正拳を叩き付けた。

 

 

「グ、ゥゥゥ……!!!!」

 

 

 耐えるも苦い声が聞こえる。鈍器に光熱。人を模した星晶獣が耐えるには中々の苦痛だろう。ゾーイと正反対のショボい光線にしては良い反応だ。このまま殴り続けて戦意すら削ぎ取る。

 

 俺は背中と肩に籠もった熱をそのままに、腕力の許す限り拳を叩き込み続けた。体重は浮こうとするフェンリルに全てを委ね、ただ腕を破壊する為に人体を用いる。

 彼女は困惑している筈だ。俺が正面から腕を破壊する気なのか、腕に意識を向けて他ががら空きになるのを待っているのか判別が出来ない。俺を個として劣る空の民だと量る──常識的な視野を持とうとする星晶獣の癖が抜けきっていないのだ。

 

 

「本気を出すと言った」

 

 

 暴力と共に霧が情報を正確に告げる。

 爪を避け手の甲を割り、衝撃で右手首ごと破壊。顔面への突きを膝で弾き、左肘を逆から手刀で叩き折る。呻きと同時に繰り出される顎への蹴りを正面から受ける。魔力で強化されたこの身体は甘い攻撃を決して通さない。そのまま足首を掴み、逆方向に生成した盾に叩き付け、その体制を支えとして更にラッシュを浴びせる。

 両腕──少なくとも肘を壊した左腕は動かせないだろう。彼女の身体の防御は緩い。意識を刈り取るのに最適なのは顔面だが、口という厄介な武器が付属している。反応しきれていない今なら可能性もあるが、避けておく。

 最適は痛みの温床──腹部。渾身の一撃が今度こそ反撃の意志を取り払った。

 

 

「良く耐えた」

 

「ク、ソが………はっ……」

 

 

 タフさにも限界がある。ただ気がかりなのは最後まで口を使わなかった事だ。破れかぶれでも俺の拳を喰らえば、大量の魔力を取り込めたろうに。派手でも無い光線程度のエネルギーなら問題ない筈だ。

 冷静さを失ってしまったであろうフェンリル──しかしその表情は苦痛と無念に歪みながらも、ニヒルな笑みを携えていた。

 

 すぐに疑問の答えを見つけた。

 彼女は最後の一撃で身体がくの字に折れた瞬間、俺の腹部の魔力に喰らい付き、剥がしていたのだ。本来ならエネルギーとして消化し、回復にでも使えた筈だが、その挙動すら許せない程に傷が蓄積していたのだろう。最早能力を完遂する余力は無かったと。

 つまり捨て身の一撃。一瞬だけ俺に無防備な部位を作った。

 

 

「見事」

 

「はっ………くたばれや」

 

 

 賛辞に対する返答は歪んだ右手で立てた中指だった。

 抜けきった力で上空に留まる事は難しく、フェンリルは身を投げ出すように離脱した。

 

 そして同時に歪む空間。

 恐らくは防御を解除された腹部を狙っての攻撃だろう。この瞬間の為に彼女は俺に戦いを挑み、ロキはじっと待ち続けていたのだ。

 魔力による防御越しでも吹き飛ぶ空間歪曲の術。それを生身で食らえば……想像出来るのは『()()()』だろうか。星の技は全く原理がわからない。新たな魔力の補填も間に合わないし、盾では空間攻撃を防げない。

 

 

「駄目元だな」

 

 

 諦めて最後の手段に頼り、彼等の見事な連携への賛辞と自身の無事を祈る心持ちを両立させながら衝撃に備える。

 

 

「ッフ……ゥ………!」

 

 

 威力に対して劈く様な音は聞こえなかった。

──ただ、凄く痛い。意図せずに指を大きく切った時の様な突発性と、肌を強く抓られた時の様な持続性が混沌として襲い、肉の風船が膨張を続けて破裂した感覚が奔った。

 そう、弾ける様な閃光の痛み。ならば──。

 

 

「痛いだけだ」

 

「……黒騎士君さ、空気を読もうよ」

 

「効きはした。だが生憎とビンタは幼少期に克服している」

 

「平手打ちと一緒にされるのは嫌だなぁ」

 

 

 勿論気合で耐えたとか、威力が弱かったとかではない。

 駄目元の魔力流し(ディスペルガ)でどうにか技を不完全に抑えることが出来たのだ。星の力は空の魔力と原理が違うのか、魔力を流しても波長が合わず、術の大破まで持っていけない。だからそれ由来の力を持つ星晶獣にも使えない筈だったが、魔力を全体ではなく一部に凝縮して流せば、術の挙動を無理矢理抑える事が可能になる事が分かった。

 カリオストロは相手の魔力を半端に止めれば、却って魔法の術式暴走を招き危険だと言っていたが、あくまでこれは無害な筈の空間を捻る術なので、火や風の暴走と違って安全性は十分だった。

 

 涙が出る程痛いが、これは全力で腹をはたかれた様なもの。耳を抉られた時の様な熱と喪失感は感じなかった。仮に腹部表面がちぎれていたなら、その傷に触れる空気や風による自然の拷問で身動きも取れなかった筈だ。

 

 耐えて降下した際に見たロキは、もううんざりと言いたげだった。完全に戦意を喪失した様だ。

 幻術は解除され、痛い緑が視界に蘇る。

 

 

「……うん、帰るよ。君に底を出させる方法も思いつかないし、フェンリルが必要以上にボロボロだ」

 

「冷めるのが早いな。つまらない戦いだったか?」

 

「やり応えはあったよ。黒騎士になる前の君が評価されていたのは身体能力と防御力で、それが大いに進化している事も、新たな力を身に着けたのも何となく分かったし。でも、僕が期待していたのは…進化した君から読み取れる精神だった。一介の強者から頂点へ登り詰めた時、人はどんな精神構造をしているのか。価値観が違う星の民からしてみれば興味があったんだけど…」

 

「淡々としすぎていたか」

 

「そうだね……あ、鎧も剣も返すよ」

 

 

 強制的に脱がすなら、強制的に装着させる事も可能らしい。身体に突然の重みを感じ、指には剣が絡まっていた。

 ひねくれ者だ。戦いを通さなくても読み取れる物は沢山あるだろうに。享楽主義の癖に半端に冷めやすいな。

 ただ、素直に目的を話してくれたので少し話そう。

 

 

「一言で表すなら…『覚悟』だな」

 

「覚悟?」

 

「小さな時から俺は何も変わっていなかったからな。黒騎士になる為には、無意識に刻まれた自分を深く理解し、それを否定せず、迷いを捨てる事が必要だった」

 

「じゃあ、君はどういう人間なの?」

 

「迷う人間を見捨てたくない人間、と言えば伝わるか?」

 

「……ふぅん」

 

 

 確か、ロキは自分探しを仄めかしていたな。

 この行動、この言動…もしかしてこいつ、迷走しているのか?遊びたがりにしては芯があるし、芯があるにしては傍迷惑に過ぎない。分からないまま動き回ってる星の民となると、空の世界では生きにくいだろう。自覚しているだろうが、変な奴なのだ。

 

 

「所で、お前等についての被害は聞いた事が無いし、捕獲だの討伐だのといった命令も来ていないが……どうしたい?」

 

「お言葉に甘えてそそくさ退散させてもらうよ。これからもちょっかいをかけたい気持ちはあるけ──ごめんごめん。剣構えないで。あの面倒な獣で間に合ってるよね?」

 

「マーズか……厄介だな」

 

 

 正直、俺はロキとフェンリルに嫌悪感を抱いていない。絡んできた時は迷惑を引き連れてくる阿呆共だと……いや今もぶっちゃけそう思っているが、ここまで真摯に戦われた上に、獰猛な星晶獣の献身さえも見てしまうと、あの暑苦しい戦闘狂とは違った捉え方が生まれてしまう。

 だから、この激しい戦いの後でも悠々と話してしまうのだろう。元々話すのが特別好きな性質ではないが、珍しい手合いが相手となると少しだけ楽しい。

 最も、フェンリルが意識を取り戻すまでの話だが。

 

 

「…餞別だ。今の内に使っておけ」

 

「へ?何この玉」

 

「魔力の1割を凝縮したものだ。フェンリルの胃袋にでもブチ込んでおけば、意識を取り戻した後にでも消化して両腕の回復に使えるだろ。後はお前の星の力で補え。起きた後では俺の施しなんて受けないだろうし、やるなら今だぞ」

 

「へぇ…ありがとう。何でそんな事を?はっきり言ってフェンリルだけは君を殺そうとしてたよ?」

 

「ただの罪悪感だ。殺さない癖に死ぬ程痛めつけるのは少々申し訳無いと思ったのでな」

 

「ちょっと発想が怖いけど、案外優しいんだね」

 

 

 迷走中の星の民に、少しだけ空の利他を教える。

 と言っても本人からしたら訳の分からない行為だろう。俺からしても良くわからんし、公務でも義務感でも無い。何となく、そうしたかったからしたまでだ。本当は申し訳なさなんて感じてない。必死なフェンリルに少しだけ情が移っただけのこと。

 これで奴等がファータ・グランデに害をもたらす存在に成り果ててしまったのなら、責任を持って討伐しなけれ──あれ、この流れヘカテーでやった気がするな。という事はやっぱり今から牢屋にでもブチ込んだ方がいいんじゃ……あ。

  

 

「逃げ足早いな……」

 

 

 消える様に──いや多分本当に消えたのだろうな。

 

 結局、絡まれたのも黒騎士という特異な立場故だ。星に下った空への服従の証がかつての七曜の座。それが今では分かれた世界を監視する真王の眼である。当時を知る星の民からすれば気になるのも仕方が無いのだろう。

 ただ、俺も彼等を知る事が出来る。感情の起伏が疎いと伝えられている星の民にも異分子は存在し、それは空から見れば受け入れ難い訳でもない人格だということ。戦争を経た上で彼に従う獣がいたということ。これはきっちり覚えておこう。

 

 ファータ・グランデの七曜は雑用の極地と思っていたが、世界を知る機会を得られるのなら、至極光栄、貴重なものだ。

 帰ったら皆に──特にカリオストロとノアさんに話しておこうと、俺は年甲斐も無く心を弾ませて帰路についた。

 

 

 

 

 

──8章、完。






 章を作る上で意識しているのは、その完結と共に話を進める事と、ゲームでいうボスの役割を持つキャラを配置する事です。序章のスルトとか、6章のエニュオ、7章のブロンシュとかは分かりやすいでしょうか。
 でも、苦戦させる事を意識しちゃうとインフレさせるか主人公達をずっと弱めに書かなきゃならないので、立ち塞がる強敵みたいなイメージではないです。章を締め括るにふさわしい敵って感じです。
 ちなみに閑章は基本的に穏やかに終わります。


コーリス
・団内でゾーイの口癖が移ってきたと揶揄されているが、ゾーイ本人は自分よりも野蛮だと薄々思っている。
・迷えるロキと、報われなさそうなフェンリルにほんの少しだけ感情移入をしてしまった。容赦はしない。

ロキ
・空の民をまだ理解できてないので無意識に舐めている。種族ではなく強さでコーリスを見た瞬間に油断は捨てたが、フェンリルを酷使させすぎて萎えた。マーズは邪魔なのでポイ。
・自分探し中&迷走中。

フェンリル
・かわいい。
・そこまで強くない筈の自分が生まれるべきでないと捨てられ、自然に生まれたにしては異常なコーリスが受け入れられてるのを見て、嫉妬ではなく、世界への疑問とほんの少しの興味を持った。
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