「何だってんだあのガキ……!」
男がいた。
その男は平凡だった。しかし今は違う。瞬発力は天性の物というが、それでも
男に失敗を報せる事象は訪れなかった。
自身を覆うローブを着、間抜けな面をしている商人から食料を奪い、路地裏を変則的に駆け抜け、後はローブを捨て住処に籠もる。
それだけで生活が出来てしまった。金に困れば金自身を盗み食料以外の問題も解決出来てしまう。
盗む方法は顔を見られぬ様分捕るだけ。レベルの低い盗難だが、幸運にもその男は足が早くなれるだけの素質があった。
今日も正義を謳う馬鹿な騎士団が頑張る中、裏で犯罪を冒す背徳性を味わおうとしていた。
珍しい事に今日は街に
絶好の機会。その筈だった。
「詰みだ」
「ッ……!!」
盗みを働き逃げた瞬間、謎の少年が男の前に姿を表したのだ。
所属をリュミエール聖騎士団、突き詰められた罪状は盗難。そして現行犯により拘束するとの宣言。
いいカモだった。走れば後ろに姿は見えず、追いかけて来るような気配も無い。
結局のところ、正義など口先だけの自己満足。憧れとして自己完結するのが正しく、現で語るなど夢見心地の現実逃避。
馬鹿なガキだ…と、内心で見下しながら路地裏の道を曲がると、さっきの少年がいた。
男は一瞬動揺するが即座にルートを変え、逃げ道模索の演習を脳内で行う。遭遇を全くの偶然と捉え、霧を利用し完全に相手の視覚から消える。
多少遠回りだが苦ではない。逆方向に逃げながら順々に帰宅への道に近付くと、少年がいた。
またもや道を変え、一旦商店街へ赴き人混みに紛れ気配を絶つ。
行き渡る人影で自らの姿を誤魔化しながら住処へ向かうと、少年がいた。
男は気味が悪かった。
何処に行っても追いかけてくるという事実よりも、但自分が向かう先に佇んでいる違和感が心地悪かった。
次なる方法は、走力による振り切り。顔を見られていないというメリットを最大限活かし、力の限り逃走する。
5分間の全力疾走を乗り切り、住処の前に移動すると、相も変わらず少年がおり、今に至る。
「恐ろしい脚力。なんの捻りも無い盗み方をしても捕まらない訳だ」
「……見てたのか」
「俺が側にいた訳では無い。お前が盗みを働いたという事実を知ってるだけだ」
「……」
(このガキ…やっぱり気持ち悪ぃ。先回りを考えるのは普通だが、なぜ常に俺の行く先にいる?路地裏の地形を理解するのは可能だが人の逃げ方を理解するのは普通無理なんだよ!加えて霧も出てる!エルーンの聴力に物を言わせても無理な物は無理な筈だ!!訳わかんねぇぞクソッタレがァ!)
思考を巡らせた分だけ苛つきが募る。
「で、大人しく捕まれ。盗み方は決まって同じ、ならば顔は知られずとも同一犯と疑われて当然だ。そしてお前の盗みによる被害額は五百万ルピ。娯楽を抜きにすれば稼ぎが必要なく天寿を全う出来る額だ。罪は重いぞ」
「……ヒヒ」
「…?何が可笑しい。俺はお前の顔を見ている。逃げても無駄だし、罪が重くなるだけだ。諦めろ」
「いやぁ…馬鹿だよ
「む」
不穏な空気を察してか少年が腰を低く構え身構える。
少年の得物は騎士剣。一般で呼ばれる騎士剣とは両手で構える長剣な為、鞘に収める必要がある。
つまり、既にナイフを抜いている男が有利だった。
男は駆け出す。
「いつも自分が負ける事を考えねぇよなぁ!?」
不意の全力疾走+刺突。
身構えていても反応しづらい動き、それは真っ直ぐな軌跡を描く攻撃。
この男は知っていた。人が油断するタイミング、それを実体験で。数十年盗みを働いたが、ボロを出さなかった訳では無い。顔を見られたら──。
「やはり──!」
「ハハ!聖騎士はガキを小間使いにして消費していく仕事かぁ?」
ナイフの連撃。
少年、避ける事は出来たが武器を取り出せず防戦一方。
「今まで来た聖騎士もガキばっかでなぁ!殺しても死体が見つかんねぇから島を出たって判断して馬鹿共は疑わねぇよ!!」
「何人殺した!」
「これから数えてみるよ!ハハハ!!」
「外道が」
少年が急に動きを止め、避ける体制を止めた。
そして、繰り出されるナイフに向かって
「いっ!」
ナイフが弾き飛ばされ、加えて腕に来た衝撃による痛みに男は怯み。
「終わりだ」
顎を殴られ気絶した。
──────────────────
「──あれ?」
此方コーリス・オーロリア15歳。聖騎士団に入って二年が経つ。
所属は一般兵。リュミエール聖騎士団にはそれぞれ役目を持つ部隊があるのだが、年齢の若い者・新人は所属を持たない一般兵に割り当てられる。
部隊は他の島へ遠征したりと、活動範囲が広いが一般兵は自国の領土のみ。
よって見回りなどの任務が非常に多い。特に俺の霧は目立つため許可が必要だが有効な為、事件が起きた日の近くは俺に任務を割り当てられる事が多い。
今は現行犯兼多数の盗難事件の容疑者と対面し、実は大量に聖騎士を殺していた事実を前にし、かなり焦ったのだが。
顎に一発入れたら倒れた。
生命を多数屠ってきた人間の得物捌きとは思えない。顔しか狙ってこないし。
取り敢えず硬い縄で捕縛し、オフだが見回りをしてくれる副団長の所へ向かい報告をしなければ。
「──て事がありまして」
「ああ、なるほど。まぁ団員が殺されたという話は嘘だな。そいつ、弱かったろ?」
「ええ」
黒髪赤眼、そして眉目秀麗。
気前の良い性格も合わさってモテモテな副団長ことエクシンダ・オクトさん。
年齢21歳にしながら副団長に実力で伸し上がり、偶に異常な程の身体能力を見せる事で有名だ。
特に跳躍時の滞空時間が可笑しい。浮いてるんじゃないかなと思うほどだ。
男をガッチリと縛り付け、丁度お縄に付けてきたとこである。今は男が本当に聖騎士団を殺していたか聞いている所だ。
「お前はまだまだ子供だからなぁ…新人と見たか。ありもしない事実をさも当然に見せかけ、ナイフをチラつかせ振り回せば以外にビビるもんだ。お前を動揺させるのが狙いだったのかもな。だが、顔を狙ったって事は少なくとも殺意はあったって事だ。なぁコー坊よ」
「理解しました。でも怖かったです」
「悪かった悪かった。でもいい感じに舐めてくれるだろ?子供に強く出れるのが大人ってやつだ」
「だからといって態々兜を取らなくても…」
「そうカッカするなって」
──悪い奴に会ったら兜取って少し偉そうな口を聞け。そうすれば大抵の奴は油断する。ガキな自分を利用すんだよ。
副団長のアドバイスに従い追跡を実行したが、正直あの男が本当に強かったらどうなってたんだろう。
この人頭は良いんだけど偶に人で遊ぶから困る。いや、危険なら俺の所に逃げてこいって言ってたから大丈夫なんだろうけど。
「でだ、自慢の
「変なあだ名で茶化さないで下さい…。エル・グロリアス以来ゴリラって言われてるんですから」
「そりゃ剣を素手で折るなんて普通の人間には出来ないぜ?」
「窮地に陥った時にしか出ないんですよこれ。剣を折った時は力任せじゃなくて何らかの技術も合わさってたので尚更良くわかんないです」
「寧ろ虚を突くには良いかもな。任意に越したことは無いが」
スルトとの決闘。剣を折り、炎撃を逸らすなどの活躍をした力。
それは今の所は自らが危険な状況と感じた場合のみ湧き上がる。怒りも興奮も必要無く、焦燥に駆られながらも窮地を打開するという必死な意志がトリガーになっているのかもしれない。
この力がそういう物なのか、使いこなせれば任意で引き出せる物なのかは良く分かっていない。
しかし先程の様に力任せに振るうだけならまだしも、スルトの時の様に剣の芯を捉え、完璧な位置把握から繰り出される指圧で破壊する技術が存在する事が分かっている為、火事場の馬鹿力という訳でもないだろう。
早いところ感覚を掴まなければ…
ん、何やら副団長が紙にペンを走らせてる。
「こんな感じでお前ら噂されてんだぜ?豊作ってな。
「……ああ、霧情は無情、炎身は炎神、麗彗は冷水と掛けてるというわけですか」
「シャレてるとは思う。だが個人的に面白みが足りない。俺も若い頃はもっとヤンチャをしててなぁ、嘲りを通り越して怒りを覚えさせる程口調が
「……ひろう?何を披露するのです?」
「ああこっちの話。お前も近い内にワカル」
「????」
副団長は良く難しい言葉を使う。
言葉を理解出来る大人達は皆口を揃えて変態と罵るけど、俺にとっては仕事は出来るし面倒見も良いしで兄貴分にしか感じない。
脳内の次元が違いそうなスルトとロイスも副団長にはお世話になってるしな。
「でコー坊。この後どうすんだ?」
「引き続き見回りに当たろうかと。街を歩くので兜が必要です」
「ああ、ほらよ」
「ありがとうございます。ふぅ…落ち着く」
「落ち着くのか。俺は蒸れて嫌だったが」
「集中力が上がる気がするからです」
「そりゃ本当に気分的な物だな。兜の機能関係ないだろ」
何か言われてるが、フルフェイスの兜は良いものだ。
頭は重いし、視界は狭まる。しかしそれを超える安全性と心の安心感が生まれる。
リュミエール聖騎士団は銀色の鎧にデザインされた紋章、支給される蒼色の武器等の特徴を捻じ曲げなければ多少の改造は許される。元が優秀なので無闇に変える事は無いが。
「コー坊。見回りは他に任せて俺に付き合え」
「生憎俺は休暇貰ってません。職務放棄は出来ませんよ」
「違う違う。一応仕事だよ」
「団長の命令なのですか?」
「んーまぁ広く言えばな。魔物退治ってやつだ」
魔物退治。
街の外に蔓延る危険な生物を倒す事で平穏を得るという意味がある。
人々からの依頼を優先するが、依頼が無くても自主的に退治する事が多い。最近は同僚の
いや、適材適所という言葉があるがスルトを使うと効率が良すぎる。魔力による火じゃないので実質無限。燃やし放題という訳だ。
なので俺には盗賊などの捕縛を任される。
身体強化が得意なルブロは万能かつ迅速な為何でも出来る。ロイスは知らん。頑張ってるはず。
「何事も経験だぜ?大事になった時に腰が抜けちゃ意味が無い」
「猛獣くらいなら故郷で狩ってました」
「化物にあった時はどうする?
「斬れますが精神を病みそうです」
「あ、別に殺せって訳では無いんだぜ?あくまで退治。人を率先して狙い、甚大な被害を出した奴は問答無用で消すが」
「ならいけます。ドラゴンは見た事すらありませんけど」
「集団で掛からないと倒せない。そう思っときゃ十分だ」
「了解です」
「で、行くか?」
「霧をもう一度使います。怪しげな動きをする者がいないのならお付き合いする事になるかと」
「オーケイ」
街を覆う霧を出し、人々の動向を探る。
脳は霧の魔力に適応してきたみたいで、情報に耐えきれるようになった。
感知するのは屋外の人々。
屋内は霧が入らない為、効果は無い。
霧が街の隅々まで行き渡ったら、行動を読み取る。
公園で遊ぶ子供。客を捕まえようと必死な商人。馬車を走らせ帰宅を命じる貴族層。イチャつくカップル。野道で用を足す犬。
不可解な行動をしている人間は一人もいない。今の世の中、野盗に襲われる事は珍しくない為、護身用に小剣を持ち歩く者は多い。だが人をすぐ刺せるような場所に得物を仕舞う人間はいない。それを見極める事で悪人かそうでないかの区別をつける事が出来る。
結果的に、今すぐ人を殺せる者はいないという事が分かった。
なので自分の経験を優先する。
「索敵、終わりました。魔物退治を優先します」
「分かった。だが経験値足り得る魔物がいるか分からないぜ?」
「経験になるに越したことは無いですが、それだけの為に魔物を倒す訳では無いでしょう。あくまで民を守る為、我々は存在しているのですから」
「曲がらないねぇ…15ならもうちょっと荒れてても良い気がするんだが」
「清く正しく高潔に、ですよ」
「モットーさえ守ればここは甘いからなぁ…入団する時に真面目になるだけで俺みたいのが副団長なれちまう」
「清いのかも正しいのかも高潔なのかも分かりませんが、人の為に何かをするというのは誇って良い物なのでは無いですか?」
「自分の誇りは他人から見れば
「そんな捻くれた考えが多いのですか?」
「捻くれてなんか無いだろ。価値観は人の数と同数。例えば石像を美しいと思った時、共感してくれる奴がいるとするが深く見れば違う感性だ。自分は石像の顔が綺麗と思ったのにソイツは石像の手を綺麗と言った。それだけでエンパシーにヒビが入り、関係に綻びが生じる」
「むぅ…」
「自分の行動に誇りを持つのは結構、他人の気持ちを一々考える必要は無い。ただ一つ、自分の感情は有数だと分かっていれば良いんだよ」
「難しい話です」
「ま、お前は
「自分は屈辱と捉えます」
「俺は単なるアドバイスのつもりだ」
「早くも共感性が崩れましたね」
「実例を持って理解出来たじゃないか」
はぁ…何だかこの人は良くわからない。
頭も回るし人付き合いは良いしで関わりやすいんだが、ずっとこの人の口先で踊らされている感じがしてならない。
年は近いのに、何か妙に達観した心情を持っていて…なのに彼の振る舞いには若々しさしか感じない。
変なヒトだ。