「聖王と話をつけてきた」
冬の季節。
朝起きたゾーイの開口一番がその言葉だった。
タイミング的にもう一度夢を利用したと考察するコーリスだが、彼女は驚きの言葉を続けた。
「7回目でようやく終わった」
「やっぱりか…」
案の定コミニュケーションが取れていないのか、7回も会話の機会を作ってしまった様だ。
夢に顕現する事は可能でも力を多く使う為、ゾーイは二度目以降は現実世界での会話を試みた筈だが、それでも伝えきれないから此度の夢を利用したのか。
その場合、彼女はとんでもなく会話が下手ということになる。
「夢に現れたから彼は私を非人間と扱ってくれたよ。そのお陰で君についての話題に移りやすかった」
「聖王の理解がなければもっと伸びていたのか…」
ゾーイを超越的存在と断定する一種の現実逃避が無ければ彼女の行動を理解する事は難しい。
コーリスの様に精神状態のリセットが容易に出来ない人間は、頭が痛くなる程の新しい情報の数々を飲み込み、正確に咀嚼する事でようやく事情を把握する。
コーリスは思わず聖王に畏敬の念を抱いた。
「それで、私の事は正確に伝えたが幽世の存在は全く触れていない。少なくともこの世界の平和の為に君が必要と話し、尚かつ君自身を道具の様に扱うつもりは無いとも話した」
「王は何と言った…?」
「君の意思を尊重すると言っていた。それは君の身を案じての事だが、同時に君自身の覚悟を測っている」
「…分かった。少し時間をくれ」
「了解した。ゆっくり考えてくれ」
覚悟とは、方向性が明確に定まっている物にこそ効果を発揮する。
世界の安寧を脅かす存在と戦う覚悟と、平和そのものを担う覚悟は別物である。敵を倒すのか、平和を継続させるのか。
そして、世界にとっての平和は何なのか。
未だ狭い世界で過ごしているコーリスには分からなかった。
「世界を見る必要がある。少なくともファータ・グランデは…」
コーリスはある人物の元へ行く為、騎空艇に乗り込んだ。
──────────────
ここは小島バンカレラ。
マフィアに利用されていた島であり、先週コーリスとスーオ・ファミリーが仮初ではあるものの平和を取り戻した場所である。
その証に、ギャングの住処だった場所には雪が積もっていた。
島の人間は現在ファミリーの頭首であるレイによって、マフィアや薬物への知識を与えられており、少なくとも被害者としての意識を持たされたのだ。
そして、スーオ・ファミリーの統治下に置く事で島そのものを守りつつ、虐げられてきた人間を保護する拠点にも活用されている。
その拠点の最奥、レイの元に一人の部下が走る。
「ママ。客人です」
「お客さん…?誰かしら」
「彼が来ました」
「分かったわ。思ったより早かったのね」
自身の元に訪れた人物の名前を聞く必要も無く、レイは客人を出迎えた。
「こんにちは、コーリス」
「こんにちは、レイ」
二人は対等の存在として互いを認識している。
力と年齢という要素を排斥して、単純に立場を求めた結果だ。
だが、少なくともコーリスは自身の疑問を解決する為にレイを頼ったのだ。
「私の子になるつもりではない様だけれど…どうしたの?」
「その…空の知識が足りません」
「それなら教えましょう。カルニ、お茶を持ってきてくれる?」
「分かりました」
レイは側近に命じて茶を用意させ、その後二人にするよう頼んだ。
机に向かい合う様に座った二人は穏やかな雰囲気を出しつつも片方は緊張して、もう片方はいつに無く笑顔であった。
「前はあんなに素っ気なく島から出ていったのに。随分早く私を頼るのね?」
「…母になってやると言われてすぐに頷ける人間はいません」
「血の繋がりじゃないって言ったでしょう。それに、子供を助けたいと思う大人は変かしら?」
「俺は19です…!」
「私にとっては子供よ」
「…何年も生きてる様な口振りを」
「あら、レディーの年齢に探りを入れるのは失礼よ」
反抗期の子供を躱す様に、茶化す口調で彼女は接していた。言葉では常に一歩先の視点で務めるレイの前では、文字通り全ての人間が母と子に見えてしまう。
レイとの会話は、そういうものなのだ。
「でも、私の子になる時は貴方がどうする事も出来ず行き詰まった時。停滞は迷いであり、今の貴方にはその時は来ていない。今回は困った事ではあるけど、どうしようもない事情ではないのでしょう?」
「はい」
「よろしい。ところで…歴史は好きかしら?」
「嫌いです」
「ごめんなさいね。空の知識には歴史学が欠かせないわ」
好き嫌いで教え方を変えるほどレイは甘い女ではなかった。
「今の世界は覇空戦争による影響で作られているから、戦争後の歴史に沿って教えるわ」
「…分かりました。ありがとうございます」
「なんなら、今日は泊まり込みの方がいいかもしれないわね」
「えっ」
"そんな長いの…?"という弱音は吐けなかった。
────────────
数時間が過ぎた。
二人は身を寄せて地図を読み込んでいる。
「ポート・ブリーズには豊かな風があって、商業・交易が盛ん。何より目立つのは信仰」
「信仰…あの国には宗教は無かった筈ですが」
「神と讃えられる存在はありふれているでしょ?」
「…島と契約した星晶獣ですか」
「そう。詳細は知られていないけど、この空域は島と契約した獣達が多く存在している。自然へのアプローチは確かに島を豊かにしているわ」
「まさか…!人間と共存出来たのは…星晶獣そのものが島に身体を明け渡す事で命を委ねたからですか?」
「そう。それ等を大星晶獣と呼び、島の崩壊はその獣の死を意味する。つまり獣が害意で島に危険を及ぼす事は無いということ」
「ある種の人間愛…という様にも受け取れます」
「………反吐が出るわね」
「……え?」
「何でもないわ。続けましょう」
不穏な空気が流れる事が多々あったが、レイは確かに正確な知識を彼に与えている。
「獣達の存在理由は兵器。感情を与えられたからこその謀反は違った形で空の世界を変えた。結局のところ、星の民から離れた所でその力は変わらない。いえ、寧ろ感情のまま生きる事は制御が効かない危険な状態であるという事かもしれないわね」
「確かに…」
「そして、暴走というケースが多いのにも理由があるわ。彼等は自身に与えられた権能から逃れられない」
「役割に従い続けるという事ですか」
「貴方達を襲った獣も、無意識に自身の能力に飲まれたのでしょうね。彼等は未だにそれを理解しないのだけれど」
星晶獣を語るレイの口調は何処か冷たく、怒りが滲んでいた。
「加えて、星のシステムは空に一部を残した。七曜の騎士よ」
「ファータ・グランデは黒騎士…でしたか?」
「ええ。メフォラシュの王都から選ばれた騎士よ」
七曜の騎士。
空域を統治する騎士であり、恐ろしい力を持っている。空域を遮る障流域を単身で渡る事が出来る強者。
その力は人智を超えていると言われており、一人の戦力は大国に匹敵する。
「その他にも星の勢力に対抗する為の戦力として十二神将。今はその立場から解放され、別の役割に準じた」
十二神将。
空の世界の十二方向に存在する神社に配置された戦士。
無病息災を謳う人々の為に祈りを捧げ、煩悩を取り払うのが役割である。
かくいうコーリスも年始には何度か神社に赴いている。その中でも十二神将の姿として確認できたのは
会話を交わしたのは南の守護神、サンチラであった。
曰く、煩悩という物は概念では無く実際に形として集まるものであり、野放しにすると危うい存在であると。十二神将は皆戦士にしては幼い少女達であるが、星と戦ってきた集団としての名残がその強さに潜んでいた。
「空の世界の変遷はこれくらいしか情報が無いわね。他に聞きたい事はある?」
「…では」
コーリスは、一つの賭けに出た。
「空の下について、知っていますか?」
「………」
彼がゾーイから聞かされた話では、空の下の大地に住む幽世達は現実そのものを捻じ曲げる力を持っている。そして、何より認知されない、影から空を侵食している存在だという。
コーリスはレイが長年生きている事を知った上で問いかけた。
「…私でも、空の下は見たことが無いわね。落ちてしまうもの」
「分かりました。ありがとうございます」
知らないのなら致し方ないと、素直に話題を収める。
沈黙が続き、レイはポツリと呟いた。
「──私は、星の世界が憎い」
「…」
「同胞、子ども、父、母、兄弟、自然、文化、感情…そして平和を奪った星の世界を許容できない」
「その時から…生きているのですか」
「…ええ。同胞達が私を生かした。私は彼等のためにこの眼で星と戦ったわ」
レイは、閉じた瞼から一筋の涙を流した。
「貴方は普通に生きていいのよ?」
「なりません」
コーリスは断固として否定した。
目を開けたレイが彼の右手を握る。
「侵された貴方の身体の残滓からは星の気配がする……これは、死なずの呪いね」
「なら、俺の考え方も分かるはず」
「後悔し続ける事になるのよ」
「後悔も行動も幾らでも出来るという事です」
レイは驚いた表情でコーリスを見る。
彼の発言は無限に生きる事を示唆しているのだから。
「それに…」
「…」
「俺は貴女も助けたい」
………。
「何故そこまで救世主になろうとするの?」
「救いたいのではありません。ただ、皆が自然に生きれる世界を作りたいんです。誰に支配される訳でもなく、ありのまま生きれる社会を」
「綺麗事は世を救わないと言った筈よ」
「成就するまで戦い続ける。無限に近い時を経て、何も変わらない程世界は無情でしょうか」
「無情よ」
レイは言い切った。
「貴方は道半ばにして確実に死ぬ。意思を引き継ぐ人間も作れず、世界を半端に変えて死ぬ。その呪いを受けた人間がどれ程いたと思っているの?不老になった程度で世界を変えられるのなら私が既にやっているわ」
厳しく、コーリスの耳に届いた。
それに対する返答は──
「…煩いですね。やるんです」
──逆ギレであった。
思わずレイの額に青筋が立つ。
「聞き分けのない…!」
「俺には家族の情報はありません」
「それは理由にはならないわ」
「昔から親しい人間は既に空の情報からは遮断されました。空戦の生存者として新聞に名前が並べられた程度で、俺に関する情報は極度に薄い。その理由が分かりますか?」
「……いえ」
「俺も貴女と同じく、裏で生きていた人間なんです」
「…まさか、初めて会った時から…!!」
「はい。マフィアに襲われたのは想定外でしたが、元々この島に来たのは外法の罪を問うため」
「聖騎士団…名ばかりの行動ね」
レイは決して裏事情に疎い訳ではない。
どの国にも表には出せない闇の側面がある。スパイ、暗殺、金に物を言わせた外交の出来レースすらも見た事があった。
しかし、ここまで普通に生きている人間がその様な側面を持っているとは思わなかったのだ。疑う理由が無かったと言うべきか───否。
レイは1つのことに気が付いた。
コーリスはそもそも自身の闇を隠していないのではないか、と。
仕事でも無く、暗躍でも無い。疑うことも無く自身の役割に身を委ねた…役目が思考に先立った異常者。
それが最も適切な表現だ。
それがコーリスなのだ。
忘却の性質を持つ霧は、それを助長していた。
「そして俺も一つ分かりました。レイ」
「…何かしら」
「貴女は人を殺した事が無い」
空間が、凍りついた。
「貴方は人間の純性を信じている」
コーリスだけが口を開く。
「正義を信じる者は悪を理解出来ず、悪に堕ちた者は正義を信じられなくなる。ならば、人間足り得る性質を信じる者は…」
無表情のままレイの手が震えた。
「純性を信じられるのは…純粋な人間だけでしょう」
「……なら、貴方は悪だと。そう認識すれば納得するのかしら…!」
「会って数日の男に何故敷居を跨がせるのです」
「…」
「子供は純粋さの欠片。貴女にとって俺が本当に子供なら、信じたという事ですか?」
「帰りなさい。…残念だけど。貴方とはこれで終わりよ」
「では最後に。万人を救おうとしている人間は世界を信じてなんかいません」
「…え?」
「それが出来るのは
答えを聞かず、これを機にコーリスは二度とこの島を訪れなかった。
───────────────
「いいのか?」
「レイは何らかの理由で俺を信用していたらしいが、だからこそだ」
「何故だ」
「俺に諦めを覚えようとしているからだ」
「…しかし、少なからず世話になったのだから礼はしておくべきだと思うのだが」
「…机にはルピと果物を置いておいた。それに、大人しく帰らなければ眼を使って意地でも殴っただろうな」
「逆鱗に触れたのか?」
「純粋さに対して疑いをかける様促した。当然苛つく」
「…はぁ。良き理解者だと思ったのだが」
「一番合わない。ゾーイから見ればどうだ」
「……そうだね。私から見れば彼女が生きた約400年。身を穢さなかった事には敬意を表するが、歴史に生きるには短すぎる」
「しかしどうやって…」
「覇空戦争の最中、何かしらの理由で命を伸ばしたのだろう。不死身ではない」
「外法、か」
「彼女の生き方は多くの人間を救っている訳ではない。だが、目の前にある命を確実に救っているという点では、尊いものだ。だからこそ、理想論には人一倍厳しいのだ」
「…少し、理解できた」
「もう遅いかもしれないけどね。それよりコーリス。ルクスが呼んでいた」
「団長が…?」
「リュミエールの門で待っていると」
「分かった」
─────────
コーリスが帰国すると、門の横には金髪の男が立っていた。
リュミエール聖騎士団団長、ルクスである。
鎧を着ず、プライベートな装いでコーリスを呼び出したのだ。
「突然呼び出してすまないな」
「いえ」
「世間話でもしないか?」
「分かりました」
本題の前に口で遊ぶのはよくある話だ。
二人は近くの地面に座り込んで会話を始めた。
「遊撃隊の再編成が決まった」
「…どのように?」
「ちゃんとした遊撃だ。そして、法を破った者への正義審問。暫くの間はこう言った隊にする」
「安心しました」
「無論、お前が隊に組み込まれる事は無い」
「…!」
「王から聞いたよ。リュミエールを去るんだって?」
「…はい」
「ははっ。思い切りのいい奴だ」
カラカラと笑った後、空を見上げた。
「こんな事言ってもアレだが、俺は嬉しいんだ。お前が絶望の中元遊撃隊長を殺して、更に空戦で仲間を失った。耐えられずに自害するんじゃないかってずっと思っていたんだ」
「しませんよ」
「だから嬉しいんだ。星晶獣や街の人々のお陰で徐々に本来のお前を取り戻した事がな」
「…」
「だが本来のお前に戻ったという事は、逆に迷いが無い直進男が生まれたという事。お前は自分が信じた事に只管突き進むからな」
苦笑混じりにコーリスへ笑いかける。
「世界規模の願いなら当然……国を出るしかないからな」
「…すいません」
「構わない。戦力を失った痛手は新人育成で補う。それに、この国との関係を断つ訳じゃ無いんだろ?」
「はい」
「もしこの国と絡む犯罪者が国外に出たら、頼む事があるかもな」
「誠心誠意ご協力させて頂きます」
「良し。言質は取った」
ルクスは立ち上がって、コーリスの肩に手を置く。
凛とした表情を崩さぬまま、真っ直ぐ彼の目を見て言い聞かせた。
「だが、リュミエール聖騎士団団長としてはお前の決断に正当性を見いださなければならない」
「…はい」
「──力を示せ。2ヶ月後王の前で決闘を行う」
「了解」
「最後の団長命令だ。勝ってみせろ」
コーリス・オーロリアにとっての最後の試練が、ここに始まった。
キャラ紹介
コーリス
年齢:19歳
身長:173cm
種族:エルーン
趣味:帽子集め、貯金
好き:食事、睡眠(特に昼寝)、霧
苦手:不定形、霧
リュミエール聖騎士団に所属している青年。
年相応な感情の起伏を見せるが、任務には人一倍冷静に当たる。
秀でた魔力量と特殊な能力を持っており、相手の集中を乱し、尚かつ感知の役割も果たす霧を放出する事ができる。
また形状操作も得意であり、魔力そのものを練り固めて盾を形成する事が出来る。
国民の信頼は高く、正義の心を持った人間として親しまれている───
───が、同時に危険な人物でもある。
彼は自身の役目を認識した時、どんな事があってもそれを実行しようとする。つまり、人を助ける事がその目的の成就に繋がるなら真面目に助けるし、
だが、周囲の人間が彼に何かしらの影響を与えれば簡単に行動を変える。
何故なら、彼は自己肯定力が限りなく低く、今の役割も高位の存在であるゾーイによって与えられたものだからだ。
そして優れた膂力を持っており、戦場での機動力は高い。
これはカルム一族の成人儀式の一貫で、入神湯という液体を飲まされた事に起因する。詳しい事実は分かっていないが、本来成人の肉体でなければ耐えきれないソレを3歳の時に飲まされている。
魔力性質:吸収
何故か3歳までの記憶がほぼ消えている。