36.ようこそ犬神宮へ
犬神宮。
空の世界に十二社存在する神宮の内の一つであり、神将の根城。
十二方位の西北西を司る守護神、ヴァジュラが煩悩や厄災を払い、浄化する者。
その神宮にコーリスとゾーイが訪れた瞬間、二人は奇妙な感覚に出会った。
「辺りが静まった……いや、鎮まったというべきか」
「神気、というものだろうか」
空気は過剰なまでに澄み、人々の音は止み、風の音だけが枯れた木々の幹に罅割れた音を鳴らさせている。
ただ進む。
「……誰もいないのか」
「いや、これは……」
年始で参詣者が並んでいた拝殿と、供え物が置かれているという弊殿を通り抜け、目の前に位置する大きな建物──本殿に進むにつれ、気配が強まる。
一般人にとって本殿は決して中を見る事が叶わない建物だが、二人はその場に誘われている気がして、目の前まで移動した。
「……!」
本殿の入口の前に、一人の少女が立っていた。
──十二神将が一、ヴァジュラである。
「──ようこそ、犬神宮へ。コーリス様、ゾーイ様」
「此方こそよろしく頼む」
挨拶は返すものの、ゾーイを含めてヴァジュラの存在を認知していた者はいない。
突然現れたのか、元より立っていたのに気づかなかったのか。
だが、直ぐにその様な分析は不要と判断した。
違う何かが起こりそうだ。
「コーリス様は巫女長バジュラの推薦の元、神将の剣術を学ぶ権利を得た事になっています」
「推薦……?」
「はい。犬神宮は十二神将の中でも戦闘に秀でております。故に、その剣術は保存され、流派の一つに至ったのです。私の姉は免許皆伝。つまり、人に教えられる立場にあるのですよ」
「なるほど……」
免許皆伝とは、その流派の奥義を伝授され、その修了を認める事。
17歳で免許皆伝。末恐ろしいといえばそれまでだが、生憎とコーリスは流派について詳しくは無い。
そもそも母数が少ない上に知名度も低い。刀の道を極める人間にしか道場の把握は難しいだろう。
「ですが」
「む?」
「最低限の実力は保証して頂きたいのですよ」
ヴァジュラが怪しく笑ったと同時に脇道から8人程の
腕試しという事だろう。
「彼等は剣術を納めた実力者。勝っていただきたい」
珍しくゾーイが叫んだ。
「此方は学ぶ立場だ。既に剣を学んだ8人を同時に相手取るなど理にかなっていない!!」
「……こちらとしては、最大限の評価でもあるのです。姉さんは弟子を取りませんから」
「何……?」
「私の姉さんは才能が人の形を取っていると形容しても良い程に強く、高く、聡い。言葉では言い表せない何かを秘めています。10歳で空を割った程に」
空を割るとは、文字通りなのかとコーリスは疑った。
「そんな姉が、一方的に貴方を強くすると言うのです。ならば、それ相応の評価を既に下すのも当然です」
「……」
「そして、この評価は同時に警戒として捉えてもらっても構いません」
……要するに、『途轍もない強さの姉が態々お前を指名したんだから、8人くらい倒してもらわないと納得できないんだよ。てかお前何なんだよ』という事である。
しかし急な話。
ゾーイが不機嫌気味なのも無理はない。彼女は不平等を嫌う。
「急な話である事は謝ります。準備が整っていないのなら時を改め───」
「心配は無用だヴァジュラ!」
謝罪の言葉を断ち切り、ゾーイが自慢げに腕を組んで話す。
この言葉によって周囲の人間が抜刀した。
コーリスも戦闘の準備に入る。
「コーリスはこういう事もあろうかと船でパンを沢山食べたんだ。満腹で準備も整っている。心配はない……食料は買い溜めしておいたからな!」
「8割はお前が食ったがな! 行くぞ巫覡達!!」
彼は剣を抜いて8人の戦士達に駆け出した。
─────────────
戦いは思ったよりすぐ終わった。
一人目は速攻腹パンで飛ばし。
二人目は後ろから斬りかかってきたので足払いで顎を地面にぶつけ。
三人目は強かったから、鍔迫り合いに持ち込んで剣の重さで有利を取った後に蹴り飛ばし。
四人目と五人目は前後から攻め、避ける事による同士討ちで勝手に刀をぶつけ合って仰け反っていた。仲良く腹パン。
六人目は恐ろしく強かった。七人目が邪魔をしなければコーリスは普通にやられていたかもしれない。
八人目は大振りで彼の剣に当てたせいで刀が折れていた。
一人に対して刃物を持った八人が攻めると言っても、お互いが傷つけ合う可能性を考慮すると躊躇うものだ。リュミエールでも多対1の想定はされていたが、あくまで対魔物。
「全然剣学ぶ意味無い人来た…………」
ヴァジュラがワナワナと震える。
あくまで才能がある初心者と思われていたようだ。
彼女に初心者狩りの自覚はあったのだろうか。木剣も無しに。
「元騎士でな。バジュラから聞かされていないのか」
「……私は世俗に疎いので、外の世界をあまり知りません」
「おうおう、知ろうとしてないだけだろー」
「お」
「ね、姉さん!?」
そして、いつの間にかヴァジュラの横にバジュラがいた。
「剣の打ち合いどころか大半が肉体にのされている。修行が足りんなこ奴ら」
気絶した一人目を木の枝で突きながらバジュラは呟く。
一方、ヴァジュラは俯き拳を震わせる。
「こ、こうなったら……!」
彼女は刀を抜き、正面に構える。
右手で縦に構え、左手を広げたまま後ろに回す独特な構え。
先程の8人は剣を学んだだけであって、犬神宮の本懐を学ぶ事は出来ていないらしいとコーリスは考察する。明らかに構えが普通の剣術と異なるからだ。
「──1本、お願いします」
プライドか。
それとも闘争心か。
何方にせよ、逃げるのも癪。
「此方こそ、よろしく頼む」
コーリスも構えながら剣を構える。
「──ッ!」
「──!」
第2戦が始まった。
得物を打ち合って先に驚いたのはコーリス。
駆け出す速度は剛力を用いた物であるが、ソレを伴って振られた剣に対応するヴァジュラの瞬発力に驚いたのだ。
そして、次に驚いたのはヴァジュラ。
彼の肉体の強靭さは先程の腕試しにて確認したが、剣の重量は恐ろしく……名刀であるが故に折れなくとも、往なさなければ押し倒された峰が自らの肩に痛手を負わせていた可能性があると危惧した。
故に彼女が取った選択は──前に飛ぶ。
(消えた……?)
コーリスの剣の衝撃を殺し、往なすと同時に彼の懐へ潜り込む。無論コーリスがその行動を許す訳もなく、剣を逆手に持ち替えて振りかぶるが、そこには既にヴァジュラはいない。
その動きでコーリスは理解した。
(……成程)
そう、犬神宮の剣術とは。
──エルーンの
奇しくも、常に背後や死角を突き詰めるという点では霧を用いたコーリスの戦い方に似ている。ならばやるべき事は一つ。
来るべき場所が分かっているのなら、その場所に武器を置けばいい。
(背面受け……!!)
ヴァジュラの身体は今度こそ仰け反る。
「とどめ」
剣を首に、狙いを定める。
そのまま首に剣を添え、戦いを終了させようとしたが、ヴァジュラは回避を選ばなかった。
それは、バネであった。
(跳ね……!?)
両手で刀を持った状態で仰け反ってしまえば、三日月の如く身体が間抜けな隙を晒す事になる。
そこで彼女はその反りを利用し、背面から更に地面に向けて刀を突き刺し、その反動で空を舞う。
突き刺さった刀を掴みながら飛ぶのだ。
無論、抜くのに必要な力は大きい。だからこそ跳躍の勢いは消される筈だが、彼女は通り過ぎたコーリスの背中を利用した。
「ぐっ!」
感じた重み。
ヴァジュラはコーリスの背中を踏みしめる事によって刀を抜くと同時に更に上へ飛んだ。
対空への備えは踏まれた事により体勢を崩されたコーリスにとって鈍いなものとなる。
加えヴァジュラが選択した技。
「兜割り──!!」
兜割り。
それは、見世物を起源とする技であった。本来防具に身を固めた敵を両断するのは不可能である。故にその頭の防具のみを両断する催しが剣の達人の間で行なわれていた。
両腕を上段から万力の力で振り下ろす。
しかし、結局この技でも戦場で兜を割る事は不可能に近かった。
だが──齎される結果は、敵が防具を付けていない場合無残な物と変わる。
木刀だろうが何であろうが、棒状の物を頭めがけて振り下ろしたのなら、どうなるかは想像に難くない。
(俺を殺す気か……!?)
そう思われても可笑しくない程の本気が、ヴァジュラにはあった。
寸止めが流儀とはいえ、自らの死を錯覚させられたコーリスは筋肉を隆起させる。
剣の腹を正面に──渾身のぶん回しである。
「うおおおおおおおおおお!!!!!」
「ッ──」
無防備の振り下ろしに剣の腹が激突──するかに思えた。
ヴァジュラが剣の勢いを削いだことは先程と同じだが、異なる点はコーリスの剣を空中で踏み、最速で地面に着地した事だ。
またもやコーリスは背後を……否、真下を取られた。
真下からの斬撃に背面受けは通用しない。
そこでコーリスは足で刀の側面を蹴り落とした。
飛んでいく刀を急いで回収しに行くヴァジュラだが、コーリスから離れた事によりアドバンテージは消えた。
「……恐ろしい身のこなし」
「そちらこそ……守りの方が得意の様ですね」
互いの利点を突く戦いでは無く、自身の弱点を守り合う戦いに近い。
千日手とは言えないが、恐ろしく長い戦いになると両者は予感した。
──10分後。
「ッ──!!!」
「はぁっ!!」
疲れ知らずの若者、互いの疲労を狙って削り合う。
──30分後。
「!!!」
「……!!」
声を出すのが辛くなり、二人は無言で背後を取り合う。
──1時間後。
「……はぁ、はぁ」
「──」
ヴァジュラが疲労により鈍くなる。
同時にコーリスが先に攻めるケースが多くなった。
──2時間後。
「あ、が……」
「はぁ……はぁ…………くっ」
攻めきれなくなったコーリスが疲れ、ヴァジュラが飛べなくなった。
──3時間後。
「ヒュー……ごほ」
「ぜ、は……」
お互いに虫の息で走る事すらまま成らなくなる。
負けず嫌いの境地ここにあり。
傍目から見ていたゾーイとバジュラが欠伸を漏らす。
「どうやら、互いの戦い方が決定力を削ぎ合っているようだな」
「流石犬神宮の剣技……コーリスの力をあそこまで避け続けるとは」
「だが、それだけでは無い」
「……?」
「エルーンの軽さを活かした剣術など他の島にもある。何故我々が
「……十二神将はそれぞれ動物の特徴を持っていると聞く。君達は犬に似たからではないか?」
「半分は当たりだ。だが、本懐は共闘」
「共闘……」
本来、戌の十二神将は将自身の剣技と───
────────────────
──4時間後。
「──ヒュー……ふー……ぅ!!」
「は、あ……ぁぁ、ふ」
互いの手を掴み合う牽制の様な形を取っているが、彼等はそれによって立てている事を理解しているのだろうか。
得物も振れない。
走れない。
喋れない。
でも負けたくない。
「「あっ」」
だが、遂にその均衡が崩れ……ヴァジュラが先に倒れる。
次にコーリスが倒れると思われたが、火事場の根性で膝を付き耐える。
それを見たヴァジュラがコーリスの足を掴む。
「が、は……お、おい、流石に生き汚いと思う、ぞ……!」
「姉さん以外に、は負け、られませ」
「頼む……俺は剣を習いに来ただけなんだ……! お前との決闘じゃない……!!」
「私を倒してから認めます……!!」
「この……!」
掴まれた足を引っ張られ、次はコーリスが倒れる。
受け身を取らなければ意識が飛んでいただろう。
ヴァジュラの上に被さらない様に必死に避けたが、それさえもダメージとして蓄積した。
そして。
「そこまで」
戦いは唐突に終わりを告げる。
心で呟かれた『おせーよ』は、コーリスとゾーイの総意である。
「姉さん……私は、まだ」
「……なぁヴァジュラよ。貴様はコーリスを引き倒すまでして勝利を求めたな?」
「はい……」
「……なぁヴァジュラよ。コーリスが貴様を気遣って横に倒れたのを見たな?」
「……はい」
「…………なぁヴァジュラよ」
「はい」
「人間性で負けちゃいかんだろ…………」
バジュラ、渾身の正論であった。
─────────────
「すまんな。我が妹の独断。しかしこの場で最も権威があるのは十二神将である妹なのだ」
「次からは手軽に頼む。コーリスは疲れているんだ」
「心得た。稽古は明後日からにする」
妹を俵担ぎで運ぶバジュラと、コーリスに肩を貸したゾーイが向かい合う。
結局のところ、バジュラを満足させる程度の力は見せる事が出来たようで、コーリスは無事に門をくぐることが出来た。
彼女はコーリスの額を突きながら謝る。
「服も食事も此方が出そう。要らぬ汗をかかせて済まんかったな」
「ありがとう……」
「外の島の者達は
「……?」
「想定していたより出来ている、という事だ」
本殿を背にバジュラが改めてその言葉を言う。
「ようこそ犬神宮へ。歓迎しよう──門下生コーリス」
十二神将の真髄を、コーリスはまだ知れていない。