バジュラはコーリスを一瞥した後、早足で横を通り抜けようと試みたが、その手は彼に掴まれ足を止められた。
「何処へ行く、バジュラ」
「何処かは分からん。此処ではない」
「何をしに」
「何もしない為に」
「どんな理由で」
「……」
「ヤケになっているんじゃないのか」
「…うるさい」
麗しくも苛烈だった巫女が、今では野良犬の様な荒々しさしか残っていない。歯を食いしばり、コーリスを睨みつけるが…彼も同じ様な物だ。何方かというと狼に似ているその瞳と耳は、バジュラの心を見透かした。
「"自分を律せない愚かな姉は、妹に合わせる顔が無い"」
「…」
「"誰にでも迷惑をかけて暴走する様な人間は、一人で死んだ方がいい"」
「黙れ…!」
「お前ほど大変な立場じゃなかったが、こういった考えの人間は山程見てきた」
リュミエールの遊撃隊での任務は、彼に現実の厳しさを教えた。貧困、中毒、復讐…それ等に取り憑かれた人間は最終的に、自罰的な考えを持つ様になる。そして、勝手に一人で死んでいく。そういった国が、沢山あった。
「だが、自分の感情を抑え、他者を巻き込まない様努力していた奴がいた。幼年の頃から…小人の騎士だと馬鹿にされていた奴が、そいつ等を殺せるだけの恐ろしい力を持っていたのにだ」
語りは続く。
「人一倍怒りやすいのに、その怒りの本質は仲間に対する害である奴もいた。鎧がカッコいいという理由だけで騎士になったというのに、誰よりも騎士としての矜持を持ち合わせていた女だ。俺を守る為に死のうとした程の…」
それは、コーリスの側に何時も寄り添っていた友人達である。炎のハーヴィン、水のエルーン。懐かしく感じる程の遠い過去では無いが、彼にとってはかけがえの無い思い出。
だが、バジュラには関係の無い人間である。
「それがなんだ……!立派な人間を見習えという事か…!?」
「違う」
「回りくどい…簡潔に言え…!苛つく…!!」
「感情を抑えられない人間なんてのはいないという事だ」
大した慰めでもなく、説教でもない。強いて言うならば、経験からの情報…考えを伝えるだけの物。
「なら…ならぁ……!!」
バジュラの混乱が強まる。
「この…我がお前に思う感情は何なんだ……!?お前を見た瞬間、我の脳髄を桃色に染め上げる悦楽……実の妹にさえ一瞬"邪魔"と感じる我の愚かな思考を……抑えようものならしているというのに……!!」
「その感情に浸る感覚は」
「………心地、良かったっ」
「………………そうか」
コーリスは複雑に思う。バジュラが執着心を含んだ恋心を自身に向けている事は理解しているが、それは彼女の人生を思えば自然なものなのかもしれないからだ。寿命を予期され、満足に生きて死のうとしていた矢先に出会った愛。それを欲しようともあと数カ月で尽きる命。そんな状況で正気を保てる程の人間は少ない。恋に恋をするという問題とは全く異なる。
それでも言うべき事は言っておかなければならない。コーリスは口下手で、それはもう子供の時から幼馴染にガチビンタを食らうほどの阿呆ではあったが、口は良く動く人間だ。
「…今の俺を見て、どう思う」
「……なに…?」
「お前から見て、お前がした事も踏まえて今の俺はどう映る」
「……勝手に連れてきておいて、勝手に殺されそうになって、勝手に襲われて…勝手に巻き込まれて、その上で何故か我等に牙を向かない………愛おしい、異常者」
「異常か…」
リュミエールやトラモントでは余り馴染みの無い言葉であった。
「だが、それは違う。俺も我慢しているんだ」
「…?」
「正直、初日ヴァジュラと戦って粘られた時は苛ついたし、監視の目も大声を出して驚かせてやろうと思っていた。お前に至ってはぶん殴ってやりたい」
「…殴ればいいではないか、こんな女」
「でも、お前を含めてあの家から背を向けるのは目覚めが悪いというか…いやお節介かもしれん。俺は世界を救う為に旅をするとお前に前言ったが、聖人としての在り方とは程遠い」
「…」
「俺は、ただ迷う人に選択肢を提示できるだけの世界を作りたいんだ」
トラモントやリュミエールの人間はコーリスの本質を理解している為、どんな状況でも受け入れ人を救う異常者と捉えることは絶対にない。彼は、極端我慢強く…極端に目的が広いだけのエルーンなのだ。
ショゴスを絶対に許さないし、レイの様に正論を突き付けても跳ね除ける。だから、コーリスは壊れない。
「だから、お前はどうしたい」
「どうしたい…だと?」
「ああ」
「……くは」
それは、乾いた笑いだった。
「ははっ…残された2ヶ月で何がしたい、だと?なにもできないし…何も意味は無い。いっそ前倒しで死なせてもらった方がマシなのかもな」
「…おい」
「それとも貴様を寄越せ、と言っても頷かんだろう?我の想い、欲するものは人間であるコーリスなのだから……何とも不様な欲望だ」
「それは」
「いっそ我が消えてしまえば、ヴァジュラの苦労も減るだろうさ」
「!!!!!!!」
パチン。コーリスがバジュラの頬を右手で張った音である。あまりの突然さと速度に思わず彼女の身体はよろけた。
"痛い"と言う前にコーリスが口を開いた。
「これはトラモントで"愛の鞭"と言われている」
「…は?」
「歯を食いしばれバジュラ。そうすれば2発目への恐怖は消えるだろう」
「え」
「自分の失言が分かるまで何度でも、例えお前の顔が腫れ上がって
"だから、やるんだ"という意思を感じ取ったバジュラは、真顔のまま近づくコーリスに恐怖を覚えた。
「悪いが途中でやめる事はない。分かるまで張らないと態々お前に暴力を振るった意味が無いからな」
「あ、や…」
「お前の父親はお前の事を想っていた。ナガルシャや妹はお前の側に付かず、俺の味方をしてくれたが…それでも正しさの範疇でお前の為に常に思い悩んでいた。巫覡達はお前の為に俺に怪しまれようと毎日監視を続けた。そしてお前は一人去ろうとしていた」
「われ、は…」
「失いそうな愛情を相手に叩き付ける…故に
意味の分からない言葉を羅列するコーリス。余談だが、命名者はフィラである。彼女の姉がコーリスをビンタする光景を見て着想を得たのだ。少しトラモントで流行った。
「感情のはけ口を誤るな」
そして、何事も無かったかのようにコーリスは追及する。
「怒りも悲しみも…考え無しに解放すると良い事が無い」
「…」
「先ずは全てを俺に教えろ。決してヤケになるな」
バジュラは、黙って頷いた。
───────────────
「…元より、我はヴァジュラという名前だった。2歳下の妹はルーナという名前でな」
石段に二人が並んで座っている。両者とも空を見て、一方は独り言の様に語っている。
「何事にも…いや、戦闘に於いて天賦の才を持って生まれた我は、神将として育てられた」
バジュラは髪を弄くり、次に目に指をかけた。
「程なくして髪のほんの一部が変色し、目も少し悪くなった。身体は充分に動いたのだから、我は気にせず鍛錬と祈りに励んだ。だが…」
彼女は一泊置いて、自身の耳を摘んだ後、コーリスの無くした片耳を撫でた。
「耳が聞こえづらくなってからは流石に違和感を感じた。貴様程では無いだろうが…今でも聞き取るのに神経を使う」
「上部が失われただけだ。集音に問題があるだけで、聞く能力はある」
「む、そうなのか」
「ああ。続けてくれ」
「分かった」
次は心臓を指した。
「6歳の頃、呼吸が浅くなるのを時折感じて…意識もぼんやりする事が増えた。この時点で、医者に見せた時には余命は2年。内臓の機能が弱くなっていたのだ」
「2年……どういう事だ」
「
「名前…?」
「神将の世界では名は大きな意味がある。その神格を表した名を変える事で、我が身を終わらせんとする呪いの様な物を収めようとした」
「だから、バジュラに…?」
「正確には、否定の意を込めた──」
彼女は自身の指で掌をなぞった。
「──
「そんな事が可能なのか…?」
「祈りの世界は摩訶不思議なものだ。案外因果で繋がっている。だが、代償もあった」
暗い目で、彼女は地面を見た。
「名を変える儀式は先代の十二神将…我の母が行った。霊廟に刻んだ名を消す作業だったが、神将としての力を使いすぎてしまったらしい……その場で息絶えたのだ」
「……そうか」
「問題だったのは、既に神将となった者の運命を捻じ曲げるという行動。我が一般人であったのなら、母は死なず、そして我の命も延ばせなかった」
名は運命としてその人物と定着する。例え同名であっても、運命は個人としての人間と共にあるのだとバジュラは語る。今のバジュラにとって、ヴァジュラという名は死の運命として定着してしまったという事だ。
コーリスには理解できない世界だった。
「妹にはヴァジュラの名が与えられた。あくまでも我が死であり、その死はヴァジュラであるという繋がりがあっただけよ。ルーナがヴァジュラになる事は、新たな神将として迎え入れられただけに収まった」
「なるほど…」
「難しいだろう。我も感覚的にしか分からんが、今の扱いでは我が先代で、我の母が先々代の様な物なのかもしれん」
「何故、神将の扱いがここまで人間と異なるんだ?」
「十二神将は初代から紡がれてきた役割というだけで無く、命であり…循環でもある。この世界の現象としての存在にまでなってしまったのだ。人々の悪性を祓う現象。それを捻じ曲げるのは、物理法則を変える様な物だ」
「では、お前の寿命は…」
「……勘が良すぎるぞ、コーリス」
ため息を吐いて、バジュラは語った。
「先祖返りか…初代の力だけが我の身体に宿り、身体能力等が元々我の持っていた物に加わって二重となった。幼子には重すぎる力よ。だから、前借りするかの様に我は力を増していき、同時に命を持っていかれた」
「神将という現象の…不具合の様な物だとでも言うのか」
「…まぁ、戌の我々が元より他者に身体を明け渡す力を持っていたからな。
「だからあの時…」
家主に怒ったヴァジュラの口調が変わったのは、代々の神将の人格が一時的に表面化した物であったのだと、コーリスは理解した。
「母のおかげで、今に至るまでを命は延ばせた。白く染まる髪が止まらなかった時は、この世の全てを憎んだものだが」
その笑い声は、泣き声にしか聞こえなかった。
「…コーリス。我は死にたくない…」
「…」
「怖くとも、受け入れる事は出来ていた……それなのに、今はこんなにも死が悍ましい」
流れる涙を隠そうともせず、両手でコーリスの右手を掴んで懇願した。
「せめて…死ぬまでは…一緒にいてくれぇ…」
「分かった」
「え……」
思考の合間も無く、反射的な返答に見えた。
「お前が家族と向き合い、自分がしたい事をするのなら…俺は絶対に止めないし、お前の助けになる」
「な、なんで…そこまで」
「お前を助けたいと思ったからだ」
コーリスは笑った。その顔は、ゾーイですら見た事もない安らかな物で、子供の様でもあった。
そして、爆弾を投下した。
「俺は一応…幽霊でな」
「!?」
「立場的には死人で」
「!?」
「でも完全な霊体でもなくて」
「!?」
「だから人間の様にいつまでも生きられるらしくて」
「!?」
「でも魂は次第に腐るらしくて、不死身ではなくて」
「!?」
「故郷は歴史から消えそうになってて」
「!?」
「共に旅をするゾーイは人間じゃなくて」
「!!!!????」
「…バジュラ?」
「じょ、情報が……がが」
意味不明な背景に頭を唸らせるバジュラ。コーリスにまともな会話を期待するのが間違いである。結局のところ、彼は空気の読めない奴なのだから。
「…元の調子になったな。なら立てっ!」
「わっ!おとと…」
コーリスが強引にバジュラを立ち上がらせ、神社を向かせる。
「元気というわけでは…混乱しているだけで」
「じゃあ、一人で死にたいか?」
「……いやだ」
「ヴァジュラに」
「謝る」
「父に」
「気持ちを伝える」
「よし」
コーリスはニコリと笑ってバジュラの手を掴む。
自己満足ではあるが、彼にここまで人助けの自覚を与えたのはバジュラが初めてである。ある意味で、釈然としない彼の今を照らしたのかもしれない。
それ程までに、コーリスは子供の様だった。掴んだ手を離さないように、二人は神社へ戻っていった。
「…しかし夜中だ。二人で入れば…バレるか?」
「…一緒に寝ても」
「え?」
「今日だけ…一緒に寝てくれんか…?」
「……………」
コーリスの表情が、消えた。
───────────────
──幕間:その夜の会話。
「なぁ」
「うん?」
「なんで我を救いたいと思ったんだ?」
「まぁ…その、故郷に幼馴染がいたんだ」
「………ァ?」
「人付き合いはお前と違って苦手だったけど…自分で悩んで、何とか一人で問題を解決しようとして、失敗して…思い詰める奴だった。人に頼る事が苦手で、行動しようとする意思が良くも悪くも強かった。そして、自身を想ってくれる妹がいた」
「……」
「だからかな…似ているという訳ではないが、支えたくなる点はお前と同じだった。多分、この神社の人間も俺と変わらないんじゃないか」
「……そうか。ちなみになんだが」
「ん?」
「その幼馴染……女か?」
「うん」
「エルーンか?」
「うん」
(……………宿敵ィ…!!)
コーリス
・イカれ女にはイカれ男をぶつけるという荒治療で何とかバジュラの自殺を防いだ。だが、根本的な死の回避は不可能であり、彼女が前を向いたとしてもまた絶望する可能性は否めないと思っている。
バジュラ
・コーリスへの恋は一目惚れ。漠然と、無意識に欲したからこそ狂った。
・以前までは自身の寿命について、母が遺してくれた宝物であり、幸せに生き抜くという強い心持ちで対面していた。
・コーリスの純粋な笑顔を見た最初で最後の人間。
・17歳。ヴァジュラは15歳。
バジュラの母
・命を賭して娘の死を先延ばしにした元十二神将。
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・幼年の頃、鍛錬で無茶をして疲れ果てるコーリスに約束していた花見をすっぽかされて遂にビンタをした。『約束を破るな』という怒号を何故か妹に『私との