幽々の空、灰暮れに   作:魔愛暴導富

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43.春風駘蕩終わりを告げる

 

 

『ヴァジュラはあったかいねぇ………』

 

 母は幼い我を抱いていつもこう言っていた。母が我に温もりを感じていた様に、我も母の温もりを心地よく思っていた。

 

 我がヴァジュラであった時、即ち母が生きていた日々はとても長閑(のどか)で、充実してはいたが時の流れが遅く感じた。

 

 

『強くなるぞーヴァジュラは!』

 

 

 父は我に剣の道を教えた。神将としての剣技は母に教わっていたが、軸となる純粋な剣道は父の方が優れていたらしい。

 

 そんな父はいつも我の才覚を褒め称え、いつか訪れる()()に期待を込めていた。我も答えたいと願い努力し、比例する様に力が身に付いた。

 

 

『おねえちゃんがんばれ!』

 

 

 ルーナであった頃の妹は、我の修行を横から輝く瞳で見物し、応援の言葉を贈り続けてくれた。少し成長すれば水や昼食を運んできてくれるようにもなった。思えば、今は活発さはなりを潜めたが、周りを気遣える性質は昔から持っていたものなのかもしれない。

 

 すぐ()()()()()()()我を心配していた。

 

 

『われは十二神将になる!母上を早く楽にさせてあげたいのだ!』

 

『私はまだ若いから大丈夫よ?でも、ありがとう』

 

 

 母はいつも寝る前に我の頭を撫でてくれた。母の腹の中で丸くなり、妹と共にその温かさを味合うのが一日の終わりだった。この時訪れる()()()()()()()が眠気のサインだと我は思っていたから、決して風邪を引かない様に布団まで歩き……歩───

 

 

『ん?バジュラ………髪を見せてみて?』

 

『母上…我は眠いぞ』

 

『ごめんね。すぐ終わるから』

 

『………なんだ?母上』

 

 

 我の頭に違和感を覚えた母上は眉をひそめた。我の髪の毛が一本白くなっていた事に気付いたのだ。若白髪、というやつだろうと我は思っていたが、10代ならまだしも6歳の我にそれは無いと母は頑なに否定した。

 

 

『……年老いた人間の様です』

 

『われはまだ6歳だ!』

 

『怒らないの。すみません…どういう事ですか?』

 

『ヴァジュラちゃんの遠視は老眼と同じです。水晶体の調節機能が落ちている…耳は老人でも個人差があるのですが、これは病気による物では無い』

 

 

 母が参詣客の伝手で呼んだ医者は、我の身体の違和感を老化だと判断し、白髪は順当に老けによる生理現象だと強調した。

 

 母の手がワナワナと震えていたのを、我は漠然と感じ取っていた。

 

 

 

『お母さんがなんとかするからね…!』

 

 

 

 いつも通り元気で、変わらない表情のまま母は何処かに行った。

 

 

 母は帰ってこなかった。

 母は死んだ。

 

 

『ほら、寝るぞ。()()()()()

 

『嫌だ…お母さんと一緒に寝たい…』

 

『我が一緒に寝てやるから』

 

『……お姉ちゃん』

 

 

 ヴァジュラとなった妹は母の影を求めた。それは決して現実逃避では無く、死を理解したからこその絶望と渇望。我にしたって、妹がいなければ母の後を追っていた可能性があった。

 

 

『眠たくないのか、バジュラ』

 

『え、あ…うん』

 

 

 父の言葉でようやく我は自身の身体の変化に気が付いた。夜でも意識が明朗としており、呼吸も滞り無く行えている。

 そしてもう一つの事実──母が我の為に死んだ事を薄々と察した。

 

 だが。

 

 

『髪が…また白く』

 

 

 駆けた。自らに対する理不尽への怨嗟と、母を奪った運命への憤怒。終わらない慟哭。心の砕ける音が聞こえた。

 

 きっと我が気を取り戻せたのは、我以上に怒る父の姿が記憶に残ったからだろう。

 

 

『姉さん』

 

 

 年が進む。妹は我のことを"姉さん"と呼ぶようになり、丁寧な言葉遣いを選んだ。父は我に対し心配性になったが、それでも生来の優しさを捨てなかった。

 我は我で道場の奴等を鍛えるのも面白かったし、妹を立派な神将として導くのも悪くない人生だと思った。時間制限付きではあるものの、また長閑でぼんやりとした日々が始まった。

 

 でも、時々思ってしまう。

 

──我の人生に意味はあったのか、と。

 

 初代十二神将は侵略を進めた星の民から空を守る為に戦った。その様な時代に生まれていたならこの身体も役に立ったかもしれない。だが今は…少なくとも生きるだけならば平和な世界だ。無理をして戦う必要は全くない。妹が十二神将になれば犬神宮の役割も継続できる。

 では我は何の為に生まれ、何故不必要に短命なのか。日に二度はその考えに苛まれた。自身を呪わずにはいられなかった。

 

 

 ただ、その時だった。

 

 

 

『む?貴様等もこのバジュラと打ち合いたいと言うのか?よろしい。剣を構えるがいい』

 

『いや、俺は』

 

 

 

 胸が…この薄い鼓動が高まるのを感じた。

 余り見たことが無い灰色の髪に、大剣と形容すべき得物…そして何処か疲れた瞳。

 

 コーリスは、我の愛そのものだった。

 

 

『迷う人を救いたい』

 

 

 何の為に生きているかを問えば奴はこう答えた。だが我がコーリスに感じたものは倦怠。少なくとも生き生きとした目標を持って動いている人間では無いと思った。 

 実際には、我と真逆で終わりのない命を課せられ、その未知数の人生に不安を抱いている事を──奴は語らなかったが、我は気づいた。

 

 つまらなそうに、生きていた。

 

 

『姉さんは、思いを引きずらないのですか』

 

 

 嗚呼、言わないでくれ妹。今更になって欲しいものが、我儘が我の脳を染めた事なんて。何故コーリスを島に招待したのか、何故断れないと分かって父に頼み込んだのか。コーリスが島に来たとき、その旅路に横槍を入れた罪悪感を覚えるべきだったのに──乙女の様に喜んでしまった事なんて。

 

 我はコーリスを欲した。今での我の時間が加速した。衝動的に、焦燥的に、妄動的に動いた結果──我はコーリスを殺しかけた。

 

 

『お前を救いたい』

 

 

 許すな、馬鹿。我は貴様の優しさを知っている。我を助ける方法が無いとしても、命尽き果てるまで共にいると言ってくれる事も分かっていた。だが…我が幸福の中で死んだとしても、貴様は違うだろう。死んだ者の想いを背負って()()()人間だろう。

 

 我は貴様と共にいたい。想ってほしい。だが、悲しんでほしくないのだ。ただ、我の事を一人の人間として覚えておいてほしいのだ。

 

 …重い女だ。死んだ人間を記憶し続ける要因こそ悲しみであるというのに、それを望んだ上で悲しんで欲しくないなど。

 

 

『最期まで頑張ってね』

 

 

 そしてコーリスの内側にいる超常、アウゲィアスは我にそう言った。その応援は素直に受け取るとして、何処かおかしい。何故我が主体になって、死ぬまでの道筋を幸福な物にしようと周囲が躍起になっているのか。

 

 違う筈だ。コーリスが強くなる為にここに来た筈だ。

 

 

『いいんですよ、姉さん』

 

 

 すまない妹よ。我は自身の幸福の為に生きるのを辞める。

 

 

『よかったなぁ…バジュラ』

 

 

 ごめんなさい父上。我は緩やかに死ぬつもりは無いのです。

 

 

 

──我の生きる意味を、コーリスに預ける。

 

 コーリスがこれから少しでも楽できるように、不条理を解決出来るように………ほんの少しでも、矮小で無意味な我の人生でも。

 

 

「コーリスにとって意味がある人生でありたい」

 

 

 我は母の墓前で呟いた。

 我の全霊を持って彼の力となろう。剣でも、精神でも…何らかの支えになる様に。

 

 

 我が憧れた母は、尽くす女だったのだから。

 

 

 

 

 

○○○○○○○○○○○○○○

 

 

 

 

 俺が初めてバジュラを見た時、妹を困らせるわんぱくな少女だと思ったのだが、同時にしっかり者にも見えた。言葉に表すのが難しいのだが、その姿は立派な"姉"だった。

 ヴァジュラと違って長さが目立つ髪も、彼女から幼さという要素を抜き去っていると思った。

 

 あの戦いの後、バジュラと俺はより一層武器を交えた。端的に言うのならば、合気剣を教わっている。しかし長い鍛錬を必要とするこの道で、ましてや言語によって容易く教えられるものではない技術をどう伝授するのか。

 …結局、投げられて覚えるという事になった。バジュラが投げるタイミングを測れるようになれば、それは俺に隙がある瞬間を理解できるという事。合気剣の伝授が出来なくても自身への理解が深まると、彼女は力説した。

 

 

──そう、投げられて…投げられて。

 

 

 

 

 

 三日経ち、一週間が経ち、一月が経つ。

 

 

 まだだ。まだ、大丈夫な筈だ。まだバジュラは生きる筈だ。

 朝起こしに行く度、戸に掛ける自分の手が震えている事に気づく。

 

 

 あと、一ヶ月。俺はバジュラに色々してもらっているが、彼女の心を救うといった手前、何も出来ていない現状を受け入れていいものか。しかしバジュラは『お前といるだけで良い』と言って聞かない。

 

 …何か彼女の中で心変わりがあったのだろうか。確固たる目的を持ち始めた気がする。

 

 

「…」

 

 

 鞘越しに剣を持つ。あの戦い以降心が冴え渡るのを感じる。戦いに環境を使うという感覚が芽生えたと理解した。

 だが、剛力の時と違って何度試してもあの力をもう一度引き出す事が出来ない。本当に守りたい者や、勝たなければならない戦いに遭遇した時、果たして都合よく覚醒する物なのか──それは有り得ない。だから、焦っている。

 

 

「……バジュラ?」

 

 

 そうして自身の内面へと意識を向けている最中、横に座るバジュラが何処か上の空の様で、空を見ながらぼんやりと脱力している事に気が付いた。

 

 俺にはそれが、予兆の様に感じた。

 

 

「バジュラ!」

 

「………わ。呼んだか?」

 

「どうした」

 

「……どうしたんだろうな。ボケていたのか」

 

 

 大きく声を出したが、ほんの少しの驚きと共に薄い返事が帰ってくる。最近こういう事が少なくない。夜には糸が切れたように眠りに入るし、ますます耳も遠くなってきた。

 

──時間は迫ってきている。

 

 

 

「…………、ぁ…!はぁ…」

 

「バジュラ!!」

 

「だ、大事ない……それよりも、だ」

 

「…舐めるな。無理をさせて何を得る」

 

「……では、少し休むとする、か」

 

 

 息が切れている。上の空が目立つ様になってから少しして、今度は継続的な運動が難しくなってきている。呼吸が上手くいっていない。病気というよりかは、喉が塞がっているのか。見た目の変化は無いが、明らかに弱ってきている。

 

 どうすればいい。

 

 

 

「……バジュラは?」

 

「姉さんは…ただの風邪でした」

 

「本当か」

 

「本当に、です。急に熱を出したからビックリしましたけど、多分3日くらいで治りますかね」

 

「……よかった」

 

「…全く人騒がせな姉ですね〜。見る度に肩に力入っちゃいますよ」

 

「そうだな……はは」

 

「あはは……………………」

 

 

 どうすればいい。

 

 

 

「我ふっかーつ!!早速やるぞコーリス!」

 

「…今日は止めにしよう。大事を取って、な?」

 

「…………一度だけならどうだ?」

 

「……やるか」

 

 

 どうすればいい。

 

 

「…はは、すまんな。まさかちょっと動いただけでこんなにも辛くなるとは」

 

「病み上がりだからだ。問題ない。普通だ」

 

「普通ではないだろうに……そういえば」

 

「うん?」

 

「こうしておぶってもらうと思い出す。幼き頃…最後にしてもらったのは父だったか、それとも……母だったか」

 

「…」

 

 

 どうすればいい。

 

 

 

「コーリス」

 

「なんだ?」

 

「命とは、脆いものだな」

 

 

 

 

 

 

 

 どうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすればどうすれば

 

 

 

─────────────

 

 

 

 

 あと何週間だ。あと何日だ。俺がちゃんと強くなってバジュラを安心させなければならないのに。でもこいつは人の成長に目ざといから俺が余り進歩していない事も知ってるはず。どうすればいいんだ。

 なんで、なんでバジュラがこんな目に合わなければならないんだ。おかしい。

 

 

…そんな風に意味の無い焦りを持ち続けていたら、遂にヴァジュラの心が折れた。

 

 

「コーリス様…わ、わた、たし…もう、こんな姉さ、みたく、な……ああ…!」

 

 

 

 寝顔だけ安らかなバジュラが、今では恐ろしい物に見える。本当に寝ているのか、或いは───その可能性が朝にチラ付く度に、俺達の心が壊死していく。

 

 日に日に目と耳が悪く、体力が落ち、呼吸が下手になっていくバジュラを見た。

 

 

「ほんとうに、今寝ていると言えるのですか!?」

 

「呼吸はしていた………落ち着いてくれ」

 

 

 ヴァジュラの隈は不眠の証拠だ。時が過ぎ去る事を許せなくて、起床による朝を拒否しているのだろう。

 従者達は死に物狂いで食事を用意し、少しでもバジュラが強く在る事を祈っている。

 

 そして彼女達の父は不条理への怒りからか恨み言を吐き続ける。懺悔にも近い声色は彼の優しさ故か、他人に聞こえない声量だったが、それでも俺には聞こえた。

 

 

──朝が来る。

 

 

 

「……ふぁ」

 

「やけに早いな」

 

「むお…?コーリスかぁ……なんか最近早く起きる様になって…いい事だなぁ……」

 

「ああ、いい事だ。早朝というのもいいだろ?」

 

「かもなぁ……」

 

 

 ぼやける視力では妹の隈を見る事はできない。バジュラだけがこの非日常を安らかに過ごせている。それは多分、とてもいい事なんだろう。

 

 

「刀は見た目より重い。我もよく腕を痛めたものだ」

 

「へぇー!姉さんでもそんな時期があったんですねっ!」

 

「お前の努力には負けるがな……さてヴァジュラよ」

 

「はい!」

 

「無理、してないか」

 

「──────」

 

「身体は大事にするんだぞ?」

 

「───はい……勿論」

 

 

 ヴァジュラの涙は見えない。その事実は姉と妹のどちらを救ったのだろうか。

 

 

 

「おお…春が来たなー」

 

「ええ、そうですね」

 

「コーリスよ。春は好きか」

 

「嫌いだ」

 

「そうか?我は春が一番好きだ」

 

「それはどうしてだ?」

 

「姉さんは寒さが苦手ですからね〜」

 

「まぁ、それもあるが。やはり──」

 

 

 春は、嫌いだ。

 

 

 

「──命の芽吹きと言うだろう?」

 

 

 

 

 

 

 お前を奪う、春が嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






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