彼女は『勇気』を備えた人間だ。
紫の騎士、クラーレ。
最強の七曜の騎士にして、忌むべき毒性を備えたハーヴィンである。
彼女の生まれは民族的な風習が色濃く残り、それ等が集まって国としてのコミュニティを作り出している、ワーヌーン・グランデ空域だ。
その空域の南端に位置するオリノコ島の、更に東に向かうと、ウラリと呼ばれる民族が住む森がある。僻地ではあるが排他的では無く、野性を残したまま統治されているという特殊な矛盾こそが、ワーヌーン・グランデの特徴であった。
ウラリ族は槍を用いた戦士が多く、魔物との抗争が島で発生すれば駆り出される事が大半である程に強力だった。
その理由は彼らが持つ毒の力にある。彼等は魔法の様に毒を放出し、槍に纏わせ、獲物を死に至らしめるのだ。その生物に対する危険性から、過去の歴史では疎まれていた事が容易に想像できるが、中々どうして頼もしい存在に昇華されている。
そして、この種族の毒の起源は彼らに非ず。
森に生える特殊な植物──通称、草リンゴが原因である。念の為に言っておくが、果実がリンゴに似ているだけで、種類は別のものだ。匂いなど褪せた草木そのもので、嗅ぐと不快な酸っぱさが感じられる。
この草リンゴは聖なる薬草と信じられており、魔物から受けた毒で苦しむ人間に与えれば、忽ち苦痛が消え、更には祝福と言わんばかりに、毒を生成する能力をも与えるのだ。
森には異常なまでに毒を持った動植物が多く、この性質と祝福に感謝し、彼等は自らの毒で破滅しない様慎重に立ち回る事で、確実に生き残っていった。
しかしある時、森に麒麟児が生まれる。
そのハーヴィンの子供──クラーレは捨てられていた。身には恐ろしい毒素が蓄えられており、どの様な形になっても種を害すると判断された為、拾われて尚、小部屋に鎖で繋がれ、厳重に管理された。この当時は酸を使う戦士は確認されていなかった為、物理的な脱出は不可能だと考えられていたのだ。
毒素が強すぎるから捨てられたのか、捨てられた結果、一人で森に潜み草リンゴを貪っていたのか。2歳という年齢ならばどちらの可能性もあり得ると、当時の彼等は推測していた。
彼等は心優しく、自分達の毒が他の国の人間を害する事が無いようにと心掛ける程に殊勝だったが、クラーレの全てに抗う瞳が彼等を脅かし、小人の幼女を監禁するという凶行を許した。
案の定、彼女は一ヶ月で逃げた。
その脱出に努力は無く、必要なのは決心だけだった。悠々と鎖を溶かし、慌てる監視人を寄り付かせず、最低限の教育を受けたらしい口から初めて発せられた言葉は──『じゃま』だったらしい。
その後彼女の姿を見た者はいなかったが、森で最も鋭いと称されていた槍が消失していた事から、誰もがその生存を理解した。
やがて彼女は外の世界で親と呼べるだろう人間と出会い、多くを学び、槍術を学び、魔法を学び、親が寿命で死ねば弔い、後腐れが無いと確認して戦地に赴いた。
野蛮で礼儀を知らずとも、全てを打破する毒槍は数々の武勲を獲得し、本人の知らぬ間にワーヌーン・グランデの最強にまで到達していた。
その後は当然の如く七曜となり、真なる王と出会う事で更なる世界を知った。
好奇心からか、自身の種族の是非を問うた事もあった。あの様に有用な筈の毒が他の空域で見られない理由と、自らを排した彼等の正当性を。
答えを聞いたとき、クラーレは初めて嘲りを見せた。
草リンゴは毒を癒やす薬草などでは無かった。他の国の人間は毒を使わないのでは無く、使えないという事。彼等の聖なる善心は生殖圏を広げる毒草への愚かな献身であった事。
そして、種族に囚われず、自らの道を切り開いた彼女の行動は勇気に満ち溢れていた事。
善心があろうと、無知である事は愚かさを引き出す。
漠然と、そして強力に存在していた草リンゴへの信仰が、汚毒を巡る現実に蓋をしていたのだ。
全てを知った彼女は不壊の紫槍を握り、当てつけの様に故郷の槍を返却し、その空域の統治に手を付けた。
最初に行った事は、草リンゴの殲滅。
理由は勿論、『邪魔だったから』だ。
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イスタバイオン王国で、今日もクラーレが道の真ん中を歩く。顎に手を添え、虚空を見上げてひた歩くその姿は、まるで来たる厄災に頭を悩ませる戦士であると、街の人々は口々に噂をする。
(何食べようかしら)
しかし、杞憂も杞憂。クラーレの脳内は美味なる食事にしか焦点が当てられていない。王から与えられた貴重な休暇を食事の豪遊として有意義に使う為、彼女は何時ものように鎧を脱いで、大股で店を吟味する。
鎧はなくとも、袋に覆われる形で背負っている槍が、彼女が七曜の一人であると認知される要因となっている。この国に顔を出す事も多いようで、国民から奇異の目で見られる事も少ない。
しかし、ハーヴィン故か子供には舐められやすく、絡んできた悪ガキを躾ける事も忽ちあった。
(結局宮殿が無難で美味しいのよね。お金いらないし)
まだ見ぬ美食を開拓するのも結構だが、アウライ・グランデの料理は他の空域に比べて高水準であり、基本的に何処に行っても満足出来る。
しかし、七曜の立場を使えば王族に振る舞われる料理を宮殿で食す事が可能である。コストも無しに、普段ならば食す事もない珍味を沢山味わえるのだ。
クラーレの足は既に行く先を決めていた。
(……?)
瞬く間に宮殿に到着した彼女の目の前には、長机に座る祈望の騎空団の面々と、七曜の騎士達が見えた。
(ブロンシュがいないわね)
仲間外れか、本人が断ったのかは兎も角、随分と仲が良くなっているじゃないかと思いながら、彼女は顔を出しに行った。
興味と、少しの感心と、ほんの少しの寂しさからだ。
食事は後回しにして、話に参加しようと声を挙げた。
「何の話?」
「ああ、クラーレですか。コーリスがブロンシュと戦う事になりましてね、皆で対策を練っている所です」
「俺達はオーロリアの手札を見ちまってるのに、クレイグ相手に初見というのは不平等って理由な」
クラーレの質問に律儀に答えてくれるのは何時もバミューダとタルヴァザだけだ。エヘカトルは謙遜を、リノアは敵意を、ブロンシュは黙秘を是としている。
『若者は冷たいのね』と、返答に感謝の念を覚えることも無く空いてる席に座り、槍を机に立て掛けた。
確かに、コーリスの能力を知っている七曜に対し、彼は七曜の能力を知らない状態にある。勿論過ごす時間の中で明かされた力もあるだろうが、ブロンシュは謎のまま。
そのまま戦うというのも難儀な話だ。
「ブロンシュの役割は彼と戦って能力を引き出す、というものだったかしら?」
「仕切るな。話が変わる」
「只の確認。答えてくれたら黙るわ」
「……そうだ」
「そう。コーリス・オーロリアの強化は順調ということね」
「あのさ、一個だけ聞いていいか?」
棘を隠さないリノアをいなしていると、カリオストロが目を細めながら七曜の5人に向かって問を投げた。
「お前らって暇なの?」
「一応これも重要な任務ですので…僕の場合、アマト・グランデの統治は副官に任せています」
「エヘカトルと同じですが、カルエス・グランデの国々は調和を保ちながら自立しています。見張りさえいれば問題はありません」
「私は真王の側に仕えている。元より問題は無い」
「この流れで言うのはアレだが、俺は忙しい。貴重な休暇をここで過ごしてんのさ。ナル・グランデは戦争が絶えねぇからな」
「暇よ。別にする事もないわ」
空域の統治という業務に負われているのは現在タルヴァザのみとなっている。
各々の空域に特色はあれど、ナル・グランデだけが平定に手間取っている現状がある。
コーリスが話を戻そうと声をかけた。
「話を戻す。白騎士の能力について聞かせて欲しい」
「光よ」
クラーレが間髪入れずに答えた。
「戦い方は速度を活かした一方的な先制。貴方がやる様に、光を部位に纏わせて身体能力を向上させている。遠距離には銃も使うし、光の魔力で作られた弾は実弾よりも桁違いに速い。速度が全ての男と思った方がいいわね」
「あの速さは錯覚では無く、物理的なものだったか…」
数日前、コーリスとブロンシュが邂逅した時、彼は一方的に敗れ、理解すらも遠かった。見たのは一瞬の光。
魔力によって強化された速度ならば、光属性の普遍的な用法と言える。
「白騎士は剣士として、光属性を極限まで極めた人間だということか」
「私の様に光を束ねて放つ必要も無いだろうね。速さは自然と攻撃力になる。素手でも充分だろう」
「調停者の言う通り、クレイグは派手な技を基本使わねぇ。出来ない訳じゃないがな」
「盾で受けてもカウンターを決めれる気がしないな。どう対応するべきだろうか。参考までに意見を聞きたい」
皆の視線が端に向けられた。先ずはゾーイからだ。
「私は彼の能力を知っている。それを踏まえると、光を纏わせない、若しくは魔力の行使を中断させる必要があるだろうね。規模さえ不問ならば彼が逃げられない距離を焼き尽くすだけだが、望ましくないだろう」
「魔力流しのディスペルガなら或いは…ありがとう。カリオストロは?」
「基本的に無理。引き付けて自爆か、相手が警戒して近寄ってこねぇなら地面崩して動きの制限だな」
「俺には出来そうにないな…ノアさんはどう思います?」
「無理だけど…同じ光属性から言わせてもらうと、火と違って光は凝縮させるか炸裂させる必要があるから、合間合間の動作を確実に阻害する事が重要じゃないかな」
「ゾーイと同じく、魔法を使わせない手段ですか」
コーリスの目が七曜の面々に向けられる。彼等はブロンシュの力量を認知し、その上戦闘能力では大半が下回っている。より建設的な意見を聞けそうだ。
「エヘカトルさん」
「僕は得物での打ち合いを避けます。ですが……恥ずかしい事に、戦況の打開までは考えられず」
「バミューダさん」
「私は敵の魔力を遅らせる事が出来ますが、その結界を作るよりもブロンシュの攻撃は速い。ゴングが鳴る形式の戦いでは先ず勝ち目はありません」
「リノアさん」
「…不本意だが、大地諸共に砕かれるだろうな」
「タルヴァザさん」
「相打ちまでは持ってけるぜ?」
「おお!」
「島を溶かしていいならな」
「……」
「オーロリア。打開策を考え続けるのは良いが、この際勝つ事は諦めろ」
七曜の序列。その格差は平等なものではない。
クラーレを筆頭に、ブロンシュが次点、タルヴァザが更にその次に位置するが、タルヴァザとリノアの間には大きな差がある。
無論、リノア達3人も恐ろしい強さを持っているが、上位の3人は常軌を逸しており、単身で数多の国を滅ぼす能力を秘めている。
故に、明確に最強であるクラーレに全員の視線が向けられる。
「クラーレ殿」
「『さん』でいいわよ」
「クラーレさん」
「何?」
「対策はあるのだろうか」
「あるけど、私しか出来ないから役に立たないわよ」
「一応聞きたい」
「そう」
隠す必要も無く、本当に無駄な情報らしい。
クラーレは淡々と語り始めた。
「ブロンシュが纏う光を剥がす。狙いは同じだけど、貴方は肝心の弱体魔法を当てる事が不可能」
「…攻撃を受けた瞬間を狙っても」
「乾坤一擲でも、見てから躱されるでしょうね」
「クラーレさんには、それが出来るのか?」
「私が魔力を解放すれば、光を削ぐどころかブロンシュを殺せる。逆に、貴方がブロンシュを相手取るより、私と戦った方がやりやすい。そこは相性よ」
「貴女にしか出来ない…と」
「そうね」
沈黙が流れた。
結局コーリスがどの程度足掻けるか、若しくは都合よく魔力解放が訪れ、打開するだけの力が備わるかに懸かっている。
現時点の結論では、どう足掻いても勝てない。
「私がいる必要も無いわね」
クラーレはチラリとコーリスを見て、首で廊下を示した。
「…?」
そのまま背を向けて何処かへ行く彼女を見送ったコーリスの肩を、カリオストロが叩いた。
「ほら、着いて来いって事だよ」
「そういう事か。しかし俺の為に集まってくれたのにここを離れるというのは…」
「いや、解散だ解散。現時点での対策法は、光を纏わせる前に手を打って、相手の攻撃はなるべく回避か盾に頼る。なるべく粘る。それだけだ。少なくとも、他の七曜もそれしか出来ないことが分かった」
ウンウンと頷く七曜達。
一応集まってはみたが、どう考えてもコーリスに勝てるビジョンが見えないと悟ったらしい。タルヴァザが真っ先に席を外して、エヘカトルとバミューダ、最後にリノアが一言断って去っていった。
彼に考える材料を与えればそれで良いと言う判断だった。
それを見て、彼は急いでクラーレを追った。
───────────────
「クラーレさん…?」
辿り着いた先は宮殿の庭の更にその端で、小川が緑に囲まれている様な場所だった。
静謐に満ちていて、水の音と葉の揺れる音以外存在しない、何処か懐かしい雰囲気もある。
クラーレはその川に向かってしゃがみ込んでいた。
「例えば」
「え?」
「大波が貴方を完全に飲み込んでしまって、もう成すすべもなく、息が絶えるまで流されるしかない状況に陥ったら、どうする?」
「足掻きます」
「それは、死ぬ気で足掻いてどうにかするの?それともどうせ死ぬから…他の人の為にとか、何かを残したいからとか、そういう理由で足掻くの?」
後者は、タルヴァザの理論だった。
戦士は避けられない死を理解した瞬間、冥土の土産に何かを成し遂げてやろうという気になるのだ。かつて無いほどのモチベーションが能力を開花させ、結果的に生き残ったのが彼なのだから。
だが、前者は違う。
生きる為に、理不尽を根本から覆そうとする力だ。
コーリスはかつて多くの理不尽を味わって来たが、この2種類の足掻きの両方を経験している。
後者はリュミエールの空戦にて、直に大破するであろう騎空艇の上で、かつての相棒と共に死ぬまで魔物を倒そうと決意した瞬間だ。それは、燃え盛る友人や光の騎士団長が戦いを終わらせてくれると信じていたからだ。
前者は
「死にません。理不尽を踏み砕きます」
だが、今のコーリスは理不尽に襲われ、言いようの無い不明瞭な恐怖に怯える人々の迷いを晴らす為に生きている。
世界の英雄ではなく、稀代の救世主でもない。ただ、行き場を無くした彼等に選択肢を与えられる様な──選択する意志を持たせられるような光になろうと、そう決めたのだ。
故に、死ぬ訳にはいかない。
死ねば、コスモスに与えられた役割に違和感を覚えつつも彼を信じているゾーイの献身も、知恵を授けてくれたカリオストロに報いる事も、共に戦うことを決めたノアの覚悟も、全て無駄になる。
この小さな人間関係が、騎士時代とは異なる重みを彼に与えていた。
彼の答えを聞いて、クラーレは振り返った。
「──おんなじね」
今思えば、初めて見る笑みだった。
貴重な笑みを直ぐに消し、彼女は粛々と告げた。
「皆は薄情よ。貴方を強くする為に一方的に拉致しておいて、何も無かったみたいに良い顔をする。その割にはブロンシュには勝てないから引き下がれって、少し我儘だとは思わない?全ては貴方が受入れてくれたからなのに」
「我儘…?」
「ここまで素直に従ってくれてたんだから、気に食わない男と戦うときくらい、気持ち良くやらせてあげればいいのに」
「だが、闇雲にやっても勝てないから他の人達は…」
「泥臭い足掻きこそが、貴方を生き残らせてきたんじゃないの?」
クラーレは思っていた。
ブロンシュと戦う事で、コーリスの新たな能力の開花を期待する。しかし、現時点ではどう考えても勝てないのだから、長丁場で戦い、少しでも覚醒する可能性と時間を広げるという七曜たちの提案。
ふん、何を間抜けなことを言っているのか。
かと言って自分が何でも出来ると勘違いできる程、戦士は夢見がちな人間では無い。
だから足掻くのだ。
文字通り、その場で出来る最善を試し尽くし、それでも負けるならば後は好きなだけ抗え。理不尽な世界に怒れ。自分の成長を認めない運命などクソだと。
隔絶さえも感じる圧倒的な自我にこそ、夢を成就させる力が宿る事を、クラーレは知っていた。
「ブロンシュは鼻につくものね。分かるわ」
「顔に出てたか…」
「ええ、剣を持っててもぶん殴りにいきそうな顔よ」
「……」
「あの自他共に身の丈を弁えさせる姿勢。浅はかだわ」
「…堅実さが嫌いなのか?」
「やる前に『自分にやれる事をやろう』って考えてる奴は総じて自分を小さく見てるのよ。人は日々変わるもの。その瞬間瞬間で出来る事は違う。だからこそ常に全力で戦わなければならない」
クラーレは平坦な声のまま、強い語気を用いて理論を説いた。
「日々の戦いを経て、抗って、足掻いて、1ミリ変わった自分を認める事──それを成長と言うんじゃないのかしら」
確かに、とコーリスは思った。
死を見越した空戦では全力で戦っていたが、得た物は耳と腕の傷だけだ。あれはナタク達の介入という奇跡が無ければどうしようもなかった。
一方、今思えばエニュオやマーズとの戦いは進化の連続だった。魔力を束ね、形を成すことによる不意打ちや、盾からの光線を習得し、戦略の幅を広げていった。
彼の精神性ではやはり、負けられない戦いの方が成長に繋がっている。
「今である必要は無くても、いつか勝つ為には毎日抗わなきゃ駄目なのよ。私にとって、障害は避けるんじゃなくてブチ壊すものだから」
「…背中を押された気分だ。感謝する」
コーリスは素直に礼を言った。
クラーレが全て正しいとは限らないが、少なくとも今の彼に一番必要である意識を与えたのだ。
だからこそ、彼は彼女の起源を知りたくなった。
「何故、貴女は何にも迷わず生きていける?」
「…私の過去が知りたいの?」
「失礼なら謝る。きっかけだけでも気になった」
「別に良いわよ」
クラーレは再び背を向けて語り始めた。
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『……あ、あ』
森の中で一人、虫の息だった。孤独と言われれば首を横に振るだろう。寂しくない様にという魔物の気遣いなのか、横には両親の変色した死骸が丁寧に置かれていた。
敵は既に自分を見放した。この場所に縋る必要は無いし、余力も僅かに残っている。しかし堂々と歩くには幼すぎた。
『が、えっほ…!ばはっ…!』
醜い咳込みをしたのは空気が淀んでいたからではない。寧ろ森の中は澄んでいる。
毒だ。親と同じく、毒が打ち込まれていた。
そう、そのハーヴィンには微量ながらも多種の毒が打ち込まれていた。毒を操るウラリ族の住む森には、何故か夥しい数の毒性生物が潜んでいる。彼等が毒で人間を苦しめるからこそ、解毒の効果を持つ草リンゴが育てられているのだ。
弱酸を吐き出す虫食いの花。
睡眠毒を持つ空色の薔薇。
麻痺毒を持つ樹液。
筋肉を緩ませる毒を持つ毛虫。
出血毒を持つ土竜。
足りない身体能力を這いずり回る事で補いつつも、2歳児は痛みだけを感じながら更に侵されていった。
地獄の中で、運では説明できないナニカを備えて、彼女は生きていた。
目の前には緑色の大きな果実があった。
『……!!!』
噛み付いた。
純粋な衝動で動く子供は、食欲までもが獣の如き生存本能によって動かされるのだろうか。
1個、2個、3個、4個、5個と次々に貪り、果肉を自身の両親よりも無残な姿に貶めた。
物理的な傷は兎も角、毒による苦痛や感覚の鈍化が消えていった。
幼き彼女はこれを食すべきだと直感した。
やがて周囲の全てを食らいつくし、彼女の身体には既に毒はない──否、毒が彼女を苦しめる事は無くなった。
『…なんだ、これは』
誰かが来た。
男は背中に手を回した。
『アアアッ!!』
除けろ。少女は叫んだ。
男は手を抑えて叫びながら地べたで回転している。その光景を目に焼き付けながら、意識を閉ざしていった。
『……』
はてさて、さっきの男は敵ではなかったらしい。
そして自分は死を乗り越えたのだ。
髭だけは大層に伸ばした禿頭の老人がべちゃくちゃと自分をここから出す訳にはいかないと語っているが、事情に関しての言葉が分からない。あいつの右の手のひらが焼けたらしい。
さて困った事に、自分の片足は鎖で繋がれている。部屋の中を歩き続けるだけでは飽きる。外には出れない。
これは生きていると言えるのか?それとも自分はペットだったのかと、幼いながらに少女は一ヶ月悩んだ。
『………いらない』
鎖は溶かした。酸を吐く花のものだ。這いずり回っている時に指を突っ込んでしまったのだ。
次は外の見張りだ。自分と同じ人型に見えるが、勘違いするな。あれは私が生きるのを邪魔する敵だ。邪魔者だ。
そう、邪魔。邪魔なんだ。退かせるだけでいいんだ。
『じゃま』
そう口にした瞬間、彼女の掌から至極色の何かが鞭のように迸り、此方に気が付いていない見張りが持つ槍に襲いかかった。
『な!だ、脱走だ!!!』
辛うじて槍を向けようと意気込んだ男。
その槍は既にボロ屑になっている。
『……』
少女は確信した。
邪魔なものは除けるべきだ。こいつ等は自分が真っ当に生きるのが許せないんだ。
ふざけるな。お前らはそんなに偉いのか。
幼稚ながらも敵意だけは充分に育ってしまった彼女の前で、次々と武器を散らしていく戦士達。
『呪われた子だ!』
『化け物め!』
『何処へ行く!?』
『人を殺すのか!』
結構だバカ共め。
これは私が得た力だ。
私が使う武器だ。
私が掴んだ
生まれて初めて勝ち得たものが自身の生であるが故に、彼女の本能は自己を阻害する存在に対して機敏に働き、大量の草リンゴによって得た毒を無意識に行使し続けた結果、故郷である森を抜けた。
ついでに、使えそうな槍が自身の横に転がっていた。
後から気付いたのだが、森で一番の業物だった。
『大丈夫かい?』
バカ共とは違い、敵ではない老婆が声をかけてきた。
『ごはん、ない』
『…それは困ったねぇ』
幸運にも2歳である事が彼女に円滑な再教育の機会を与えた。 馬車で移動中の老夫婦が偶然少女を見つけ、拾い、育て、クラーレという名も与えた。
クラーレは何故か彼等を信用し、記憶の残す限りで全てを話した。
『クラーレにやられた人達は元気だったのかしら?』
『おこってた。すぐ立ってたよ』
少なくとも老夫婦が確かめたのは、彼女が邪魔という理由で人を殺めたのかという点だ。しかし、話によれば武器だけを壊して堂々と逃げたらしい。
底知れぬ敵意がありつつも、無意識化においても人を殺めない性質と、上位毅然とした自我を彼等は信じる事にし、倫理を説きながらクラーレを愛していった。
数年経ち、自身の力が周囲と隔絶していることに気付いた彼女は自分を守る為という名目で魔法や武術を扱う学校に進学した。
幸運にも老夫婦にはそこそこの資産があり、貧しい暮らしをする必要は無かったが、散財も無く。その無駄の無さをクラーレは好ましく思っていた。
だが、一つ隠し事があれば、クラーレは真っ当に生きる気が無かったという事だろう。
薄々感じていた事だが、自分は邪魔者が異常に嫌いだ。どの過程においても、生きている自分の行動を阻害する奴を見ると拳に力が入る。
そういった確信が彼女の社会性の無さを自覚させ、ならばこの毒身を最も適した場所で、健やかに生きる為に使ってやろうと思ったのだ。
そう、それは戦地だ。
だが両親が納得する筈もない。
これまで自分を尊重してくれた彼等だが、危険な人生だけは反対してくるだろう。そうなれば、彼等は邪魔者になってしまう。
クラーレは嘆いた。
老夫婦までもが自分を邪魔するのかという事よりも、自分の選択が彼等を悲しませてしまうという事に対してだ。
この感情は、彼女が愛された事を十分に示している。
だから──
『──農業をやるわ。狩人もいいわね。私には毒が効かないし、どっちも安全に出来るわよ』
『…それはクラーレの人生だけどね。私達としては…』
『やりたい事をやればいいんじゃないか?誰も彼もが自分の能力で職を決めている訳じゃないんだ。やりたくない事はやらないのが人間なんだよ』
しかしこの毒槍を振るって世のバカ共を一掃してみたいというのもあるのだ。戦地に行く理由は割と欲求にも近しい。
それに、やりたい事をやれと言うが、戦争に行くのを止めるのは目に見えている。
故に、クラーレは合理的に、残酷で優しさに満ちた選択をした。
『おやすみなさい…』
老夫婦の寿命を待ったのだ。
常識と愛、平穏を与えてくれた両親を丁寧に弔い、クラーレは後腐れ無く国軍に所属した。既にワーヌーンの空域は統治されている。稀に発生する反乱国の鎮圧以外に表立った戦争は無かったが、魔物や里の警備は常時存在していた。
出自が不明の毒素は、元より兼ね備えていた水属性の魔法を変化させる事で精密なコントロールを可能にし、身体能力も魔力の扱いを極める事でカバーした。
血みどろの努力は槍さばきだけだ。才能に恵まれた人生と言えよう。
そして自身の毒の更なる深層──あの全てを粉々に侵した力をも任意に扱える様になり、彼女は当時の紫の騎士を気まぐれに打倒した事で七曜の門が開いた。
『紫の騎士クラーレ・ピソラ。お前は空に何を望む?』
『抗いと、平和』
真王はどうやら、クラーレに対してだけは怯えている様だった。その毒はあまりにも危険で、最早生物が持つべきものでは無いのだと、正直に語った。
その答えを聞いた彼女は早速イスタバイオン国の研究者達に草リンゴの事を聞いた。
自身が厄災であるのならば、それを齎したであろう植物が生えていて良いのだろうかと、気になったからだ。
結果は彼女の想定していた物とは異なった。
『クラーレ様。草リンゴ──私達は"
『…そういう字なの。聞きたく無くなってきたわ』
『辞めますか?』
『いや、続けて』
少なくとも良いものでは無いのだろう。
『貴女の故郷でしか自生していないこの植物は、食した人間の毒を解し、その毒を扱える様になるとして、信じられていますね?』
『多分そうね。他の街の人間からそれとなく故郷の事を聞いたのだけど、あいつ等は責任感があって、随分とまぁ色々助けてる様だけど、何処か宗教的な価値観があるって』
『では、手短に言いましょう。これは彼らにとっては間違いなく無害です』
『ふーん』
クラーレは不満げに唸った。
期待していたのだ。あるべき物で無いのなら真王の威信を使って焼き払ってしまえばいい。自分を殺そうとした奴等にはいい薬になるし、自立の機会だろうと考えていた。
それに、植物に縋る姿は、貧しい土地で怪しい薬物を啜る人間達と重なってどうしても顔を歪めてしまう。
『ですが、他の人間達がこれを食しても何も起きないでしょう』
『どういう事』
『この植物の効力は、食した人間に"毒を受容させる"という物です』
『解毒じゃなくて?』
『はい。同時にこの植物にも毒はありません。だから、毒の能力を与えているのでは無く、受けた毒の耐性を与え、対象を毒性生物に作り変える物なのです』
『道理で、私だけ沢山使えるわけね。小さい時結構ボロボロにされたのよ』
草リンゴの正体は、対象を毒性生物に作り変えるものだった。確かに、毒を扱える能力を得るという結果は変わっていないが、一つだけ不気味な予測が浮かんでくる。
あの森には恐ろしい程の毒性生物が潜んでおり、魔物も草リンゴを食していたからだと考えられてきた。しかし、毒自体は事前に食らっていた物が自身の物に変わっているだけなのだから、それを食べただけでは毒は扱えない。
『これは出来レースなんです。毒を持った植物と胚侵草との共生関係に巻き込まれたのが動物と、貴方達という訳になります』
『………?』
『毒性植物は毒と分かれば根絶やしにされます。そこで、毒性植物の影響を受けた生物に胚侵草という友人を食べてもらう事で無害化し、自身の有害性を薄めた』
『いや、それならあいつ等が胚侵草に毒があると勘違いしたままで、そこ等の毒草に価値は無いじゃない』
『ええ、人間は胚侵草を尊び増やします。ですが、魔物や動物はどうでしょう。彼等は直感でこれ等の仕組みを理解し、外敵を排除する為に毒草と胚侵草を順番に食します。食い散らかされたそれ等は種子を飛ばし、自生地を拡大していく』
『…そんな体のいい進化、あり得るのかしら』
『食虫植物は知っているでしょう。植物は合理的に他者を利用する進化をも経験しています。あり得ない話ではありませんよ』
あの森の人間と動物が持つ毒は、全て毒性植物と草リンゴの増殖サイクルの一環として始まったものだった。
毒の魔物を倒す為に自ら毒を扱い、人々を守り続ける彼等の生き様は、全てチキンレースと化していた。
『まだあります』
『あるの?』
『はい。クラーレ様の一族以外に胚侵草を食べても、思い通りにはならないでしょう』
『どうして?』
『毒を受容させる効き目は、とてつもなく薄いんです。一介の植物を食した所で、人の身体を簡単に変えられるわけが無いんですから。つまり、薬草と信じて食しても、毒は対象を苦しめ続けるでしょう。胚侵草はその時点で見限られ、終わりです』
『…あいつ等は?』
『遠い昔に食物として根ざしていたのなら、宗教的な信仰があってもおかしくありません。日常的に食される事で毒の受容体としての身体が出来上がり、その肉体構造は子孫にまで影響を及ぼし、やがて毒を持ち得る身体に進化していったのです』
『相応の種族になったってわけね』
『はい。毒を扱えるようになってからの世代が生む子孫は、受容体どころか毒性を持って生まれて来るでしょう。放出は出来ずとも、胚侵草を食べるだけで自在に扱える様になり、信仰はますます深まります』
草リンゴを食し続け、一族を繁栄させた結果、生まれてくる子孫達の肉体は段々と毒性生物の物になるのだ。
クラーレはそれに加え、幼少期に夥しい数の毒を受け、草リンゴを食い荒らした。今の様な力を得るのも納得の境遇である。
『…で、そこまで分かって放置する理由は?』
『え?』
『さっきの話を聞くと、この先の未来、私よりも強い毒を持った子供がわんさか出てくる様に思えるのだけど。危険じゃないの?』
『……彼等は協力的で、毒のコントロールが不可能になったという事例はありませんので。それに、毒の力は貴重な戦力であり』
『つまり明確な被害が生まれてから行動するということね。後手後手じゃない』
『…』
『決めたわ。私の最初の仕事』
『クラーレ様?』
利用価値がある。デメリットは無い。むしろ強力な戦士が手に入り続ける。それは結構だ。
しかし、この構造は不快極まる。
『燃やすわ』
人間は優しくも臆病で、他者を慮りつつも怯えるから、時として幼い迷い子にも害を与えてしまう。それが皮肉にも同族に敵意を向ける原因だと、今は亡き両親から教えられていた。
だからこそ、せめて自分の為にだけは勇気を振り絞り、孤独になっても生き続けられるよう自身を鼓舞する必要があるのだと、彼女は考えていた。
だが、これでは道具扱いだ。
寧ろ此方が草リンゴを利用してやるつもりならばそれも悪くないが、森の一族の信仰は消えず、真王はそれを都合よく放任して、戦力と成している。
あの森は一生ちっぽけな植物の疎ましき奴隷だ。
クラーレにはそれが我慢ならなかった。
彼女は直感していた。
自身が災厄である事に。怯えつつも真王が自分を迎え入れたのは、"毒の戦士として利用できる最上限の規模"であるからだ。
これ以上毒が繁栄して、強力な子孫が生まれれば空の均衡は乱れてしまう。だから自分を呼び出したのだ。
なら焼き払って、子供達の身体に宿る毒の沈静化を待とう。
草リンゴを食べなければ自ずと毒は弱まる。毒草諸共であれば能力の獲得も出来ない。
『あの人を見透かした様な王様なら、許してくれるでしょう?』
そうしてクラーレは、その所業によって故郷にだけは未来永劫恨まれる事となるが、知った事かと幼少期に盗んだ槍を置土産に、ワーヌーンの統治に取り掛かった。
壊れない紫槍が手に入った今、使い潰したガラクタは不要だからだ。
清々とした気分で彼女は罵詈雑言を受け、獰猛な笑みを浮かべたまま、森の毒素を抜き取っていったのだった。
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「どうだった?」
「……極端すぎない?」
「残念ね。私は元から気に入らない物は焼き尽くす
「……」
「冗談よ」
何故か楽しげな表情を浮かべるクラーレを尻目に、コーリスは彼女の過去に半分引いていた。
正直に言えば、危険な能力者に悲惨な過去というのはありふれた話なのだ。歪んだ人生や価値観にこそ凶悪な能力が宿るものだ。しかし、彼女の場合は打ちひしがれる事は無いのに、自分の意志が突出し過ぎているからこうなったのだ。恐ろしいエゴの持ち主である。
「でも、人間の性質は意固地なものよ。何があってもエヘカトルは全てに感謝するし、バミューダはバランスを保とうとするし、リノアはこの国を優先するし、タルヴァザは知識に変えるし、ブロンシュは自分を滅するでしょう」
「…ふむ」
「貴方も、あっちこっちに行って誰かを導こうと走り続ける………まるで霧みたいね」
「霧…」
「その意志で何をしたいのか、それが見えればブロンシュに勝てるわ」
クラーレは今度こそ立ち上がって、宮殿に戻ろうと足を動かした。
「空腹を忘れていた。戻るわ」
「助言ありがとう。貴女達の助力に報いる用、頑張ってみる」
コーリスの言葉に彼女は少し驚いたようで、数秒目を軽く見開きながら直ぐに真顔に戻った。
「頑張って」
その一言はどうやら、発した側の方が快い感情を味わったらしく、純粋に士気を挙げるコーリスよりも、クラーレが尊い物を見る様にはにかんだ。
(…本当に何でも受け入れるのね。私とは正反対)
自分とは似ても似つかぬ、それでいて相性は何処か良いのだろう。
(それでいて、ブロンシュとは似ているのに……)
だが、同族嫌悪もそこには。
("希望"に相応しいのは白か黒、何方なのかしらね)
"勇気"を象徴する彼女は、真王の心を測っていた。
七曜の騎士
・タルヴァザ以外基本暇。
・上位3名はバケモノ。
クラーレ
・邪魔する奴絶対殺すウーマン。
・2歳にて死を拒絶した経験から、自身を害する事象に非常に機敏であり、老夫婦の教育で善寄りの性格にならなければ真王に排除されていた。
ブロンシュ
・嫌われてはいないが好かれてもいない謎の男。
・クラーレはコーリスと似ていると評し、彼も自覚している。
・速い。
ウラリ族
・毒を扱う戦士で構成された部族。
・近隣では対魔物の傭兵の様な活動をしており、自分達の毒の能力を外に持ち込まない様にするなど、彼等は基本的に善。
・しかしクラーレの毒性に心底恐怖し、痛めつけずにただ監禁していた。
・紫の騎士になったクラーレが森に来たことで、彼女の生存と現状を理解し、自分達の行いを悔いたが、即座に草リンゴが除去された事で態度は一変。部族を消滅させる呪いの子として生涯呪い続ける事を決意。本人は全く気にしていない。
草リンゴ
・グラブル世界に一定数存在するクソ植物。
・毒食べてー、はい私食べてー、はい毒使えるね☺のコンボで人間をジワジワ猛毒生物に作り変えるクソ。
・クラーレが根絶させずに数百年経てば、ウラリ族の毒は果てしない事になっていた可能性があるので、その時は真王が苦心の末に部族ごと絶滅させる。