幽々の空、灰暮れに   作:魔愛暴導富

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86.フィラ

 

──フロンティア号、個室にて。

 

 

「おら、パンでも食えよ。心配すんな安物だ」

 

「多大な迷惑をおかけした上に食事なんて…」

 

「反省が褒められるのはミスを犯す前に熟慮が見られた場合だけだ。馬鹿やった後に良い子になったって意味が無いんだよ。こっちの機嫌が悪くなる前に食え」

 

「…有り難く、頂きます」

 

 

 空いている個室に無理矢理詰められたヴァジュラは、自身の所業に向かい合う為に正座で瞑想していたが、罪悪感が律しようとする心を崩してしまう。愚かさをしみじみと理解し、これから行うべき謝罪を考えていた所で、カリオストロがバゲットを携えてやってきたのだ。

 ヴァジュラからすれば最も自分という存在を矮小な物と見ていた人物で、端的に言えば見下されていると感じていた。齢15にも満たない幼い少女でありながら先程の騒動を冷静に俯瞰し、怪物が跋扈する騎空団で全く浮いていない稀有な存在。

 どんな人生を歩んだのか、彼女が発する言葉は誰よりも経験を感じさせる。

 

 

「……香ばしくて美味です」

 

「顎強えな。硬いぞそれ」

 

「噛みつきの鍛錬も少しはやってますので…」

 

「獰猛だな。十二神将とやらも名前ほど華々しくないのかね」

 

 

 カリオストロは溜息をついて、食事が終わるまで彼女を観察していた。

 最初に見たのは耳だ。特徴的な耳は一般的なエルーンとは異なるが、他の種族と混じり合うなんて事は当然なく、何らかの力を受けた影響か…そういう一族なのか。次は髪。少し暗い金髪。珍しくもないが、コーリス曰く十二神将は金髪が多めらしい。最後に目。特に変わった所は無いが、コーリスが忙しくなく彼女の目を見ていた事から何かしらの変化があったのだろうか。

 一瞬にして思考が巡った彼は、その後に手足を見た。

 

 

(手足に特徴無し。つまりこいつの特別な力は身体じゃなくて中に流れてるのか。年の割に強いが勝てる見込みしかねぇ。ただ…)

 

 

 未だに警戒すべきかを判断し、問題ないと考えた彼は、再び顔を見た。

 彼の判断基準は"カワイイ"かである。

 

 

(……顔は良いな。幼さが無いからカワイイとは言えねぇが、舞いも含めれば美しさに泊がつく。しかしオレ様の可愛さには敵わねぇし、何より参考にする点が──)

 

 

 その時、開祖に電撃走る。

 

 

(──カワイイ女の子が普段の爛漫さをひた隠しにして踊るというギャップ……静謐な淑女路線も"アリ"か?)

 

 

 カリオストロは"カワイイ"の発展を錬金術と同程度に求めている。外見、振る舞い、声──そして、技術。元は男の身で苦痛を共にした彼は、どうしても他者を参考にしなければキャラクター像を作り出せない。

 2000年の四苦八苦。完成に未だ遠く、しかしここに来て十二神将という特殊な象を持った人間が貸しを作って滞在している。

 

 

(待て、安直なギャップは却って反感を買う!相手に伝えたところで性格を把握出来ず気味悪がられるだけだ。特にオレ様のキャラだとキツい……いやでもこの機を逃す手は…くそ、この時に限ってあの霧ガキの判断速度が羨ましく思えてきた…!)

 

 

 カリオストロの判断は常人よりも速いが、それは彼の知能が高いからである。普段から物事の行く先を多く想定し、結果を見て当てはめるだけの行為であった。

 しかし、異常事態ではコーリスの思考に分がある。カリオストロの方が危機を乗り越える手段を持ち合わせているが、危機を踏み倒す能力を持っているのはコーリスだ。

 

 故に、彼は賭けに出た。

 バゲットを平らげた麗人に問う。

 

 

「おい」

 

「は、はい」

 

「ケジメ、必要だよな」

 

「仰る通り私は貴方達の渡航を遮った挙げ句、危機に落とし入──」

 

「そういうのはいい。ただ、お前の利用価値が増えた」

 

「り、利用価値?」

 

「ああ。過去に見ない崇高な実験だ」

 

 

 実験という言葉にヴァジュラが震えた。

 魔法使いであろう少女。ノアとの戦闘の最中、恐るべき速度で物質を合成し、即興で属性爆弾に仕立て上げた技術を見ている。もしそれが自分に向いたら……どんな物体にされるのだろうか

 

 

「ひ、ひ」

 

「……なぁ、犬巫女」

 

「なんで、しょ…」

 

 

 開祖はにじり寄った。

 

 

「舞、教えろ。野郎でも楽しく覚えられるくらい丁寧にな」

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

──ガロンゾ、騎空艇整備協同組合本部前。

 

  

 件の黒騎士を一目見ようと集まっていた野次馬達は、国家間の問題を引き起こさぬ様早々にして退散させられたのだが、ただ一人の少女が使用率の低いベンチを陣取り、下から睨め上げる様にして彼等を目視した。

 

──フィラ。

 父譲りの癖毛を短く整えた少女。出自に特別なものは何もない村娘だが、初見では高貴な生まれと空目する程に要素が"整っている"。

 朗らかな表情に反して静かな憂いを感じさせる特徴があり、知り合った大人はいずれも彼女の過去に何かがあったのだと察したらしい。

 

 

「ひ、久しぶり」

 

「うん。久しぶりだね…本当、会えてなかったもんね」

 

「……」

 

「凄い鎧だね」

 

「外した方がいいか……?」

 

「外しちゃっていいの?」

 

「駄目なんだが…その」

 

「外さないんだ」

 

「ひっ」

 

 

 圧に負けて情けない声を出したコーリスを見て、フィラは悲しげな目と相反する様に口元だけを緩めてから下を向いた。

 そして指を指したのは自身が座るベンチの横。七曜の騎士に対し横に座れと指図する少女など、彼女以外にはカリオストロしかいないだろう。

 

 気付けばゾーイはいなくなっている。まさに超速。いたたまれない空気を察してから気配を消すまで2秒も必要無かったらしい。調停者にとっては彼等の関係値の調和が崩れているのも苦痛なのだろうか。

 

 

「…ごめんね。団員さんに気を遣わせるつもりは無かったし、コーリスさんを困らせたい訳じゃないの」

 

「じゃあ何で…」

 

「…会いに来るのって不思議かな?毎回やってるけど」

 

「出待ちは…」

 

「今回ばかりは待ってないとすぐ帰っちゃいそうな気がして」

 

「……………」

 

 

 正直、帰る気ではあった。ゾーイの激が無ければ、黒騎士という立場を盾に帰宅していた。

 正当な理由はある。フィラが黒騎士と密接な関係を持つ少女として認識されれば、人質として狙われる可能性はゼロではない。七曜の騎士への理解が浅いファータ・グランデでは、真王を敵に回す恐怖を知らない盗賊が幅を利かせる事もあり得るのだから、懸念としては当然のもの。

 

 勿論、そんな言い訳は彼女に通用しない。

 姉と共に彼を見てきた時間は嘘を付かない。兜で隠れた表情を雰囲気のみで察するのは序の口で、最早思考回路すら無意識に把握し、彼が帰る事を予知していた。

 本音を言えば彼に一切の戦闘を避けて欲しいと思う彼女が、黒騎士という立場を背負っている現実に対し、疑問を覚えない理由はあるのだろうか?

 ヴァジュラの様に解釈の問題ではない。親しい人間──彼女からしてみれば家族と呼べるレベルの関係を持つコーリスが、更なる戦禍に身を投じようとしているのだ。

 誰だって意思を問うだろう。止めもするだろう。涙も流して、しがみついてでも安寧を願うだろう。既に生き別れとなった家族の事を考えながら、それでも身近に存在するもう一人の家族を平穏のよすがに見立てて生きてきたというのに、これはどういう事か?

 これが今フィラが感じている感情の全てである。

 

 

「七曜の騎士って、空で最も…少なくとも公的な組織に所属している中で最も強い人がなるものだって教えてもらったよ。コーリスさん、そんなに強くなってたんだね」

 

「これは旅の中で色々あって…」

 

「それとも、あたしが知らないだけで…元々強かったのかな?」

 

 

 フィラの言葉は何方も正解だ。

 彼女はコーリスの強さを知らない。アウライ・グランデに行く前から常人を凌駕していた彼の力を正確にイメージ出来ていないし、白騎士ブロンシュとの戦いで更に強くなった事も間違っていない。

 だが、本題はそれではない。

 コーリスが黒騎士になった動機。フィラの望む彼の姿。この2つの要素が噛み合わなければこの島から去ることは許されないだろう。

 

 

「お姉ちゃんと違ってさ、私…全然知らなかったんだね」

 

 

 端的に言えば、フィラは過去より恵まれていた。

 病弱に生まれ、何度起きたか数えるにも億劫な程の発作を乗り越え、一人で島を出るという精神的な衰弱も予期される決断をし、それでも病気を治して生き残れた理由。それは家族の愛だと即答できる。常日頃優しい言葉と共に看病を続けてくれた両親と、親の献身を一身に受ける妹に嫌な顔を見せず、共に寄り添った姉がいたから挫けずに生きてこられたのだ。

 

 そんな彼女が唯一寂寥感を覚えたのは、コーリスと姉が共有する"鍛錬"の風景についてだ。

 コーリスについては言うまでもない。ある日を父が助けた少年が、自身の暮らす館に遊びに来てから関わった。父を除いて最初に母が打ち解け、次に姉が絆され、最後に彼女──実は最初に彼と仲良く話したのは彼女なのだが、知られていないので周囲から見れば最後となる──といった形で交流が始まる。

 『男の子が読む本が気になるなぁ』という我儘を聞き入れたコーリスが、長い時間を用して音読を始めた日から、フィラの家族は一人増えたのだった。

 家から出れない彼女に付きっきりの両親。寂しい思いをしていた姉に遊び相手が見つかったと喜んだのも束の間、成長した彼は木剣を振りに森に向かった。それを見に行った姉が、初めてつまらなそうな顔をして帰ってきたのだ、勿論つまらないのだろう。何がつまらないのかは置いておくとして、そんな反応をされては彼女も気になった。

  

 姉しか知らない彼の剣、暴力、努力、夢。

 病を克服した自分が、これから知っていけばいいのだと前向きな気持ちでいた。島が封鎖されるまでは。

 

 

「あたし、聖騎士になりたかったコーリスさんしか知らない」

 

 

 『今も騎士だけどね』と、誤魔化すように軽く呟いてフィラは笑った。

 島が封鎖されて家族と会えない。病が去った身体は驚く程に自由で、家族のいない世界は驚く程に不自由だ。それは彼も同じだったが、傷の舐め合いは痛覚を鈍化させるだけで、失った物を埋める手段ではない。自然と口に出すのも憚った。

 

 次は、腕。

 誰の腕だろう。目の前の黒い鎧には片腕が無い様に見えないが。

 少なくとも聖騎士のコーリスは左腕を失ったのだ。伝聞ではなく、突如発生した空戦が即座に終わりを迎え、渡航制限が解消されてから真っ先にリュミエールに乗り込んだフィラが病院で見たものはそれだ。

 自分の脚が無くなった様に尻餅を付いた。彼は堪えていないようだが、彼女にとっては──好機だった。元より戦いを好まない彼女が彼に戦いを望む訳もなく、これを機に引退し、ガロンゾに来て共にトラモントが晴れる事を祈って暮せばいいという、絶望からなる暗い希望が感情を支配した。

 

 しかし結局、彼は戦うつもりのようで。

 聖騎士は辞めて、騎空士。

 

 フィラはこの時に始めて理解し、呟いた。

 『遠い』と。

 

 

「リュミエールとか、近くの島を守るだけじゃ駄目?」

 

「駄目だ」

 

 

 数秒待って、コーリスは自身が反射的に答えた事に気付いた。その口を抑えた様子を見て、フィラは彼が嘘で誤魔化そうとしていた事を察し、膝の上の両手を震えさせた。

 

 

「……迷ってる人が沢山いる。俺の霧はそういう人を見つけられる。盾でそういう人を守る事が出来る。黒騎士になれば、色んな事に関わる事が出来るんだ……だから」

 

「うん。コーリスさんは皆を助けたいんだよね」

 

 

 "助ける"とは違う。崇められる救世主では無く、道を用意する先導者の方がまだ近い。しかし、そういった差異を理解出来る材料を彼女は持ち合わせていなかった。

 コーリスの心や気質は痛い程理解している。その上で目指すものは分からない。どの様に生きてるのかも分からない。その半端な関係が彼女の諦念を加速させる。

 彼の表情から、自身の言葉が間違っていると気付いた。

 

 

「…お姉ちゃんなら上手く止めてくれたかな」

 

「あいつは俺を止めない」

 

「止めるよ。お姉ちゃん、コーリスさんのこと大好きだから」

 

「…」

 

「言い出せなくても、あたしを連れて二人で止めに行く。私より一緒にいたから何となく想像できるでしょ?」

 

 

 フィラは投げやりだ。

 

 

「逆に、お姉ちゃんなら止まってくれた?」

 

 

 その言葉はコーリスの口を閉ざすに最適だった。

 はっきり言えば止まらないだろう。しかし、それは彼女にとっての絶望を深めるし、止まると言えば彼女を軽い存在だと見做す事になる。

 そして、幼馴染に対して互いに機嫌を読み合う様な会話をする状況自体に、頭を締め付ける様な不快感を覚えた。

 

 

「止まら、ない」

 

 

 辛うじて発生した音声を聞いたフィラは、項垂れた。

 

 

「あたしね、ガロンゾに来れてよかったと思ってる。病院の先生は優しいし、帰れなくなってからもパン屋の人達が看板娘の仕事を紹介してくれて、部屋も貸してもらった。お金が余ったからって入院してる私に果物をくれた優しいしお金持ちの人にも会えて、そんな人にプロポーズまでされて、幸せだった」

 

 

 晴れた空の下で、水の音がした。

 

 

「でも…やっぱり家族に会いたいよ。この身体でお姉ちゃんと遊びたい。お父さんの本を読みたい。お母さんのちゃんとした料理が食べたい。幸せなのに、楽しいのに、ずっと心でそれを思うから、ガロンゾに居るのも申し訳なくなってきちゃう。水を指してる気がして」

 

  

 フィラは泣いていた。

 

 

「でもね?コーリスさんが会いに来てくれる度、凄く楽になるの。故郷を感じさせてくれるのに、故郷を思い出さなくて良くなるから……甘え過ぎだよね。これじゃお姉ちゃんと一緒だあたし」

 

 

 言いたい事が自然とこみ上げてくる様で、方向性は定まらずとも伝えるべき事柄は全て丁寧に吐き出されている。

 

 

「行かないで欲しかったの」

 

「…リュミエールに?」

 

「何処にも」

 

 

 コーリスは初めて、遺恨を含んだ言葉をフィラから聞いた。

 

 

「怪我をしないで欲しいのは誰だってそう。あたしはコーリスさんに離れないで欲しかったの。前に結婚の事を話して、暴れてくれた時は凄く嬉しかった。これでガロンゾに頻繁に会いに来るなって、これからの日々が楽しみだった……ごめんね」

 

 

 その謝罪は、彼を理解してなかった事に対するものだ。

 

 

「すぐに分かった。コーリスさんはあれで安心したんだって。もうあたしがガロンゾで過不足なく生きていけるから、過保護にならなくても大丈夫だなって」

 

 

 コーリスはフィラが迷っているのだとようやく気付いた。

 迷い人を助けるのは彼の夢。しかし、こんなに身近にいた存在を助けるための言葉が出てこない。黒騎士の座を捨てれば今すぐにでも──否、騎空士すらも辞めなければ彼女の不安は消えない。

 

 彼女は壊れそうな顔で言った。

 

 

「あたし、強く見えてた?」

 

「フィラ………」

 

「コーリスさんが死んじゃったりしたら、今度こそあたし…おかしくなっちゃう」

 

 

 彼女は泣きじゃくる。かつて泣き虫だった姉のように。

 救いを求めていたのだ。彼に求める理想像を捨て、現実として受け止める為に──幼少時代からの思い出を拠り所とする為に。

 

 

「せめて今日、諦めさせてくれないかな」

 

 

 黒騎士の情報が入るまでは、フィラは恐ろしく上機嫌だった。

 自身の結婚式に、彼を呼べると思っていたから。

 

 最早叶わないだろう。黒騎士が個人と深い関わりを持てば、ファータ・グランデは揺れる。コーリスの周囲が王族なら良かったものの、一般市民なら狙う輩は多い。

 自由な空域だからこそ、そうなる。

 

 

「俺がフィラの為に距離を取ると判断したら……受け入れるのか」

 

「受け入れられないよ。でも諦める」

 

「なんで」

 

「コーリスさんが楽しそうだから」

 

「身を隠して会いに来たら」

 

「コーリスさんが黒騎士の立場を考えてモヤモヤする。トラモントの事考えてたあたしみたいに」

 

「トラモントに……俺だって帰りたいよ」

 

「なら居てよ!!」

 

 

 幼児の様な会話だった。

 

 

「ここにずっと居てよ!二人でトラモント行けるようになるまで待とうよ!もう少し待てばお姉ちゃん達に会えるかもしれないんだよ!!なんで危ない場所に行っちゃうの!?コーリスさんがそこまで頑張る必要あるの!?」

 

「俺が頑張れば、これから笑える人がいる」

 

「ッ…その腕見たらお姉ちゃん泣くよ!わんわん泣くよ!そんな顔をさせたいの!?あたしがどんなに……あぁ…あたしじゃなくてお姉ちゃんが………」

 

 

 感情の濁流に混乱するフィラの両手を握って、コーリスは名前を呼んだ。

 全て話してくれたお陰で、彼は彼女を理解したのだ。もう間違えない。

 

 

「フィラ」

 

「なにっ………もう、やだ」

 

「ごめん。俺はガロンゾを守る事しか出来ない。これだけは信じて」

 

「信じないよ…コーリスさんの事分かってなかったんだもんっ……」

 

 

 まだ見ぬ迷い人を救う英雄になれる彼が、最も身近にいる家族の心を守ることが出来ない。ガロンゾを守る事が彼女の喜びに繋がる事はない。

 

 コーリスは明確に捨てたのだ。

──捨てさせられたとも言える。しかし、選択したのは彼自身なのだから、そう言えるほど図太くは無かった。

 

 

「俺は誰よりも生き続ける。絶対に死なない。何があっても空域を、ガロンゾを、フィラを守る為に戦うし、生きて帰ってくる」

 

「うそ」

 

「それに、幽霊だから。無敵だ」

 

 

 コーリスは笑った。外に出れず、頬を膨らませたフィラを姉と共に宥めた時の同じ声色。

 彼女も彼の身体の事は知っている。常人よりも冷え、透ける性質。そして老いない。あと2年もすれば彼の肉体年齢に追い付く。

 

 だから、彼の励ましの言葉に隠れた哀しみをフィラは感じ取ってしまった。

 知人の死を見届ける幽霊。哀れだ。

 

 震えた両手が黒い兜に触れる。 

 

 

「悲しいなら辞めようよ。ゆっくり休んでよ……あたし、邪魔したい訳じゃ無かったの、ただ…ただ無理するくらいなら一緒にいようって………」

 

 

 彼女は兜を外した。

 黒騎士は動かなかった。

 

 

「しあわせに、なれるの?」

 

 

 その言葉の真意は、発した本人にすら掴めていないだろう。目の前の家族を見て、自然と出た言葉。

 だから、彼女は先程の彼の様に口を抑え、言葉を受けた側である幽霊は絶句した。

 

 彼は満たされぬ己の心を自覚した。

 返す言葉も無い。幼馴染の心すらも救えず、周囲の人間が全ていなくなる未来を考えて、今度は彼が諦める番だった。

 

 

「いつかは、なれるかな」

 

 

 会話は終わった。

 その黒い鎧を強く抱きしめて、フィラは帰った。

 

 街の誰も黒騎士には近づかなかった。迂闊な交流を避けるべきと、島に訪れる前から方針を立てていたらしい。この状況が許されているのは、黒騎士がコーリスである事と、フィラの事情を住民が理解しているからだ。

 

 だが、その光景を見る影は存在している。

 調停者ゾーイ。フィラを見るやいなや姿を消した彼女は、影から全ての会話を聞いていた。

 普段ならば盗み聞きなど一切しないのだが、コーリスを見る小動物的な瞳がどうしても頭から離れなかった。

 

 結果──真王の言葉が蘇る。

 

 

『私達がコーリス・オーロリアの人生を操作し、その過程でブロンシュの様な人間が与える影響を懸念しているのだろう?だが、彼の人生を変えたのはお前で、幸福な未来の可能性を端から消したのもお前だ。自覚はあるだろうな』

 

 

 言われた時は、脳髄が煮えたぎるようだった。

 あの疲弊した老獪を、口以外でも黙らせてやりたい衝動に駆られた。

 でも、正しかった。

 

 ゾーイは静止していた。捨てられた玩具の様な無情さを以て、全身を脱力させながら独りごちる。

 

 

「私の、せいか」

 

 

 人が変わる事は決して悪い事ではない。

 ただ、留意すべきは──過去に関わってきた全ての人間も同じく変化するという事であり、加えて彼等はそれを強いられるのだ。

 

 実直に夢を目指すだけで周囲を苦しませる事もあると、彼等は知らなくてはならなかった。

 

 

 

 

 






 例えば、国を守りたいからと軍に所属したとして、家族はどういった反応をするでしょうか。
 一般的な家庭なら立派な事だと褒めてくれると思います。『大変だよ』とか、『ついていけるの?』とかは言われると思いますが、臨む姿勢と覚悟を見せれば必ず応援してくれるでしょう。
 でも、『そんな危険な事をしなくても、普通に生きてくれた方が安心する』という気持ちが無い訳ではありません。それを踏まえて尚、背中を押してくれているのですが、死にかけたり、身体の何処かを失なったりでもすれば心中穏やか筈はなく、平穏に暮らす事を懇願するでしょう。

 8章は、コーリスが黒騎士になった事で発生する問題についての責任を負う話で構成されます。
 過去に出会った友人、フィラの様な家族の心を蔑ろにしていたツケを払い、それでも未来に進む責任です。

 フィラを悲しませない為にと進むコーリスは、何が何でも生き続ける覚悟をしました。
 その覚悟がある事で、ますます彼は強くなっていきます。
 
 そして、そんな彼が変わる事となったきっかけがゾーイです。
 彼女は彼と共に強く生きていけるのでしょうか。

 
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