"コスモス"は星晶獣であり、システムでもある。
星晶獣のコスモスは、星の世界に留まり続けている。約2000年前に造られた彼女は、星にとって客観的な調停を空へ齎す事を存在理由としていた。
かつては自身の分体を空の世界で動かし、直接的な調停を行っていた様なのだが、何らかの理由があって"代行者"に任せる事にしたらしい。
代行者とは、コスモスの使徒。つまり私──ジ・オーダー・グランデだ。ゾーイという個体名をここで語るのは相応しくないかな。
代行者の役割は名前の通り、コスモスの代わりに調停を行う事だ。勿論彼女の監視下だし、感覚も繋がっている。力は大源由来で、身勝手に振るう事を許されないのなら、私達はコスモスの力そのものと言えるだろう。
ただ、私達は直接生み出された訳じゃない。私達を造ったのはシステムの『コスモス』だ。
この『コスモス』というシステムは、星晶獣であるコスモス本体が作り出したもので、空の生物の願いや感情を反映して代行者を送り出すものだ。反映する理由は嘆きや哀しみによってどの生物が危機的状況に陥っているかを判断する為で、決して空に歩み寄る訳ではない。人間が絶滅するのなら、それを防ぐ為に魔物や星晶獣を無力化するし、その逆も然りだ。
だから、代行者に人間味を期待しない方が良いだろう。間接的に空を調停する為の機構に過ぎないのだから。
よって、私はコスモスの正式な分体では無く、コスモスの力が宿ったシステムによって生み出された戦士という事だ。存在の起源は彼女かもしれないが、存在の理由は世界に帰する者。
──だから、歪んだのだろうか。
「
自嘲する。システムに生命と名付けた自身に。
名付けた上で己の役割と矛盾した感情に今更苦しむ現状には侮蔑すら覚える。
最初は、こんな筈ではなかった。
私は空の人間達が救いを求めた事で生まれ、その空の世界の均衡を保つ為に行動している。そこで命じられたのは世界を乱す可能性を持つ幼子を監視する事だ。
白騎士であるブロンシュと同じく、私は幼子を視界に収めておくだけで良かったのだ。感覚がコスモスと繋がっている私は、その危険性を知らせるだけで、何一つ考える必要もなくシステムでいられたのだ。
なのに、"学び"のせいだろうか。
その幼子を見ていれば、自ずと空の何たるかを分かった気がした。
家族や友人を知った。
愛を知った。
食事を知った。
成長を知った。
霧を知った。
騎空艇を知った。
絶望を知った。
希望を知った。
──調停の為には知るべきではなかった。
本当に、こんな筈では無かったんだ。
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「帰りました」
「ただいま」
犬神宮からフロンティア号に戻ったコーリスとカリオストロは、居間の椅子に座っているノアに帰宅の挨拶をした。
特段疲れた様子もない2人を見て安心したのか、ノアは静かに微笑んだ。コーリスには彼の幼い顔が、平時よりも大人びて見えた。
それは一仕事終えた人間の顔だ。
「おかえり」
「ノアさんも何かして………うぉ!?」
ノアの背後にはゾーイが隅で三角座りをしていた。
ちょうど影になって隠れていた上に、帰宅の際に返事が無かったので気づかなかったのだ。アホ毛が萎びているので、ノアの身長でも十分に隠す事が可能だった。
カリオストロもゾーイが部屋から出たという事実に対してではなく、単純に驚いていた。
「引っ張り出しておいたよ」
「おかえり……2人とも」
「ゾーイ…大丈夫か?」
「部屋から出たのにまだそれか。おいゾーイ、あんまり落ち込んでんなら部屋に籠もったほうが心の整理になっていいんじゃねぇのか?」
珍しくノアがドヤ顔で自身の仕事っぷりを自慢した。
コーリスやカリオストロには叶わなかった、ゾーイ引っ張り作戦の成功。騎空団一の常識人の成せる技だ。
そして、未だにどんよりとした目線を向ける彼女は、カリオストロの言葉を聞いてゆっくりと首を横に振った。
「いや…自分の気持ちには向き合えた。だが、君とは向き合えていないんだ。コーリス」
「俺か」
「……私に対して、思うところがあるんじゃないのか」
「ない」
コーリスの淡白な返答に対し、ゾーイはその返答をが来ることを分かっていたと言わんばかりに『ふっ…』と口角を上げた。目を閉じたままなので、それは余裕の笑みでは無く、自責を含んだ笑みなのだが。
(君が気を遣う事なんて分かっているさ)
(……なんなんだ?)
蚊帳の外の2人も思わず首を傾げた。
ただのディスコミュニケーションにしては何方にも迷いがない。一方は迷う事なく言葉を返し、もう一方は自身の問いとは逆の返答をされたのに想定通りという顔をしている。
カリオストロは数秒経って察した。
コミュニケーションの齟齬──ノアの暴走を引き起こしたヴァジュラとの問題──デジャヴ。否、ぶつかり合わずに別の方向を向いている時点で、今回の事例のほうが悪質かもしれない。
(ゾーイめ…大分きてやがるな)
何が彼女をそこまで追い詰めたのか。
彼は一先ず会話を聞くことにした。
「君は幸せになれたんだよ…きっとね」
「……なんだその、奇妙というか…縁起の悪い言い方は」
「私が奪ったんだよ。君の幸せを」
「勝手に奪うな」
「だから…消えようと思う」
「勝手に消え──え?消える?」
会話が成り立っていない。
コーリスの視点では、一方的に幸せになれないと言われ、それが彼女のせいであると突然発覚し、此方の感情が動く前に消えるという結論を出されたのだ。意味が分からないのも無理は無い。
一方、ゾーイ自身は彼の大切な物──フィラとの繋がりを奪ったと認識しているので、彼女の罪悪感は留まることを知らない。
面倒事を避けたいので、コーリスは過去の反省から自身の考えを詳細に述べる事にした。
「何故俺が不幸な目に?何一つ悔いの無い生涯だとは微塵も思えないが…今の生き方には納得しているし、手が届かなかった場所の人達を助ける事が出来るようになった。俺は満足している」
「リュミエールの人々は君に優しかったな」
「……何を」
「彼等と共に生きる道を消したのは私だ。スルトやロイスに寂しい思いをさせたのも私だ。ヘカテーやエニュオの様な危険な存在と戦わせる羽目になったのも……私が君を空に連れ出したせいだ。フィラを失わせたのも──私のせいなんだっ……」
「待て、フィラの事は──」
『聞いていたのか』と、彼はようやく察した。
それならば合点が行く。彼女が表情を曇らせたタイミングもフィラと別れてからだった。
コーリスとて、自分が黒騎士として活動するに至ったきっかけがゾーイとの出会いにある事は自覚している。人生の責任転嫁では無く、それは事実なのだ。
事実だとして、何を責めることがあるのか。彼はそこが分からなかった。自身を責めたくて仕方がないゾーイの事が分からなかった。
だが、ようやく分かった。彼女は彼の人生に横槍を入れ、それまで大切にしていた出会いを消し去り、空の世界に足を踏み出す事を口実に──体の良い調停の道具として扱っていると思いこんでいるのだ。
(俺はいつから道具になった……ッ!!)
疑問と共に、彼女への複雑な憤りが湧いてきたようだ。
そんな目で見ていたのか。そんな目で見なければいけないくらいの悩みを、誰にも打ち明けようとしなかったのか?
カリオストロは実験を名目にした癖に、至らぬ団長の世話を焼いている。ノアは旅の導き手である上に、重圧を共に背負う覚悟を決めた。
ゾーイは空に出たコーリスにとって最初のパートナーだ。自分が夢を追う事が出来たのも、世界の広さを教えた彼女のおかげなのだ。感謝以外の言葉がある筈も無い。
そんなゾーイにとって、コーリスは──団員は、調停の役目に仕方なく付き合わせているだけの存在なのか?
「俺がコスモスに従うと言った事があるか?カリオストロが物事のバランスを考えた事があったか?ノアさんが喧嘩を仲裁した時、それが自分の役目だからと言っていたか?」
「それは……」
「調停の役目が無ければゾーイは何の価値も無いのか?コスモスの命令が無ければ…食事を楽しみ、ディやリィと戯れる事も無いと……言い切れる筈がないだろう」
「だが…私はッ!君だけじゃない!君を大切に思う人間すらも歪めた!!あのフィラの顔を見たか………哀しみだけじゃない!運命に対する憎しみが確かにあった!」
ゾーイの言葉を聞いて、コーリスは意外にも不快感を覚えた。フィラの事を口に出されたからではない。自分の人生が全て他人に操作されていたのだと言われた様な気がしたからだ。
そして、よりによって発言者が彼女だった事もあるのだろうか。
これまでの人生、全ての喜びと悲しみは自分の選択で生み出されたものだ。騎士になった事も、騎士を辞めた事も、バジュラを看取った事も、エニュオを殺した事も、七曜の騎士になった事も、全て彼が選んだのだ。
騎士になろうとしなければ、幼馴染と共にトラモントで生きていけたかもしれない。騎士を辞めなければ、少なくともフィラと決別する事は無かったかもしれない。
その全ての後悔を、何故他人に押し付けなければならないのか。
すれ違いで許せた筈の会話に、熱が宿った。
「俺はずっとお前のお陰で旅が出来たと思っていた!感謝していた!もっと強くなって…その調停の手助けが出来ればいいとさえ思う。だが、選択を続けたのは俺だ。どんな人生になっても、自分が選んだ道だという覚悟を決めた!断じてお前のせいだと思った事は無い!」
「……その選択すら私が押し付けたと言えば君はどうなる!?」
「くどい!お前は機会を与えただけだろうが!強制的なものじゃなかった!最初から騎士のまま生きていく事さえ出来たんだぞ!それとも……洗脳していたと言い訳してみるか!?」
「それも…間違ってはいない!!!」
熱くなったお陰で、会話は鎮まらない。
両者が言い分を聞く癖に、根本の考え方がズレているせいで納得出来ない。それを理解しているコーリスの方がまだ上等だと、カリオストロはゾーイの幼さを実感した。
(そうだ。今思えばゾーイは空に触れた時間が短い。代行者として生まれた年月は20年に届かないくらいだ。その上文化的に育った訳じゃあるまいし…そりゃ、どこか精神が未熟に感じられる訳だ)
間に入る隙も無いと、自室に戻ろうとするカリオストロの手を優しく掴んだのはノアだった。
珍しい干渉だと目を瞬かせながら、彼は小声で断った。
「…オレ様には無理だぞ。あいつ等の過ごした年月を覆せる材料が無いんだからな。正論なら既にコーリスが言ってる」
「ゾーイは団のことを、申し訳なく利用する組織として認識していたんだね」
「ま、最初から薄々分かってた事だ。本来なら自由に力を出せないって本人が言ってたし、コーリスを間近で監視するっていう条件付きで自由に動けるなら、その土台の団も利用しなきゃな」
「監視対象のコーリスを殺さないって事は………コスモスが目指す世界の為に彼を導く目的もあるのかな?」
「そうだろうな。或いは殺す事にリスクがあるのか……何方にしろ、コーリスを誘導している自覚があるからあいつはああやって喚いてるんだよ。なら、自分と向き合う時間を与える事が最善と思うがな」
「どうかな。ゾーイからの捉え方を見直す良い機会だと思う。だから、団員のカリオストロにはここにいて欲しいんだ」
「………」
「…ちょっと付き合ってくれる?カリオストロ」
「オレ様は今日十分に働いただろ…」
その悪戯げな顔に溜息をついて、カリオストロは椅子に大きな音を立てて座った。
それを見たノアはニコリと笑みを浮かべ、白熱する会話の中に踏み出していった。
「ゾーイは、罰せられたいのかい?」
「…ノア?」
「自分のやってきた事が、正しいと思えない……いや、正しい筈だけど、許容出来ない犠牲があると言ってるんだよね?」
「そうだ!コーリスにとって何一つ不自由が無いとしても…可能性を狭めた事実があるのなら私が奪った事に間違いは無い!」
「納得の行かないコーリスに償いを求めさせて、君は満足するのかな?」
「しない…しないが……」
「ゾーイ。他者に影響を与えた事を自覚して、更にそれを後悔しているなら──尚更自分を押し付けちゃ駄目なんだよ」
「──」
調停者の顔が分かりやすく凍った。
ノアの言葉は絹の様に優しく、確実に耳の中に沈んでいった。一言でゾーイの齟齬を指摘し、拗らせていた感情に納得感を与えたのだ。
「コーリスに影響を与えたのは君だけじゃない。人はね、色んな人に出会う事で、一つの道に進む様に鋭く研ぎ澄まされていくんだ。彼を決めたのは君だけじゃないし、どの様に変わるかは全部自分で決めるんだよ」
「…信じられないんだ。コーリスが、本当に私に何も思っていないだと……?トラモントの、唯一の……それこそ家族と言っていい人間と決別したんだぞ!?原因は私にある!絶対にだ!!」
「黒騎士になってからの立ち回りは全部俺が決めた事。立ち回りの後悔は無限大にあるが、俺もフィラも絶望を正面から飲み込んだ。ゾーイのせいじゃない…2人で決めた事だ」
「なんで……なんでだ…?」
ここまで混乱したゾーイを見た事があっただろうか。
彼女なりに、獲得した道徳を現実に当てはめているのかもしれない。拙い経験だからこそ全てを結果論で判断し、それを自罰的に解釈してしまった。
彼女もコーリスが気遣いで意見を述べている訳ではない事に気づいている。それでも、後悔が消えない。
──ゾーイは、迷った事が無かったのだ。
だから、上手く過去を精算できない。
「きっと、君は僕やカリオストロにも同じ事を思っている。調停の為にコーリスを動かして、その過程で作られた団だって。この団は君の手の平で動いてる?」
「そんなことは……ない」
「カリオストロは新しい知識が全てだよ。僕もコーリスを支えたいけど、同じ夢を共有できていない。それでも同じ方向を向いているのは、漠然とした感情……流れと言ってもいいものがあるから」
「それは、仲間だから……?」
「仲間だから一緒に動く……行動理念も一致していない癖に、なんで仲間なのかって聞かれると誰も説明出来ないけどね」
「私は…」
役割と仲間意識を重ねて見てしまったのだ。
別のものだと割り切れる程成熟していないし、性格を考えれば難しい事だ。
この中で、今を生きている理由が役割であるのはゾーイのみ。全てが何らかの役割を前提に作られた星晶獣であるノアでさえも、既にそれを終え、余生を空に捧げている。
彼女の未発達な価値観がそうさせたと言うには、咎を背負わせ過ぎというものだ。これは星晶獣という存在に付き纏う問題なのかもしれないと、コーリスは心を落ち着かせてゾーイに視線を合わせた。
「ゾーイには絶対に消えてほしくない。どうしても俺といるのが辛くて、消えたくなるのを我慢できなくなったら……その時はまた、想いをぶつけて欲しい。今は気持ちの整理が必要だ」
「……本当にすまない。私は君をずっと見てきたはずなのに、君より、成長というものをしていなかった様だ。仲間と思いたい君達を、私自身が…解っていない」
「大丈夫だ。ゾーイは間違い無く、感情豊かになっている。感情を持つ生き物なら、必ず見える世界がある筈だ」
ゾーイは返事をする余裕が無いのか、コクリと小さく頷いて、差し出されたコーリスの手を取って立ち上がった。
何かに怯えている幼子の様だ。その手が本当に救いの類なのか疑っている──そんな目。
このまま調停者としての機能不全を起こし、コスモスの命令でコーリスを殺さなければならない日が来るのではないかと思っているのだ。
それは突如として過ぎった不安であり、妥当性は全く無い。
しかし、ゾーイの人格をコスモスに認められた故の現在ならば、ジ・オーダー・グランデの精神性に傾いた時、何が起こるのか。
(君を殺す私は、最早私ではないのか)
えも言われぬ悪寒が彼女の全身を弄った。
ここに来て、信じられなくなるのが自分の生き方であるとは思っていなかった。危険な力を秘めるコーリスを、幽世という未知の危険性への対抗手段として導く──その為には力を与え、空を知らせ、コスモスと同じ方向性に思考を向ける必要があった。
(私が空を見せた事で、彼自身自覚していなかった本当の夢に辿り着かせてしまったのだろうか。そうだとすれば軌道修正は……待て、何を修正すると言うんだ……?彼はそもそも自分の目的を強く持っていて、その上で私の誘いに乗ったんだ……だとすれば聖騎士時代から変わっていない)
ゾーイは自身の掌を見つめた。
(最初から……私の狙いは成功していない?)
そう、思考の誘導は成功していない。
コーリスに接近したその時から、彼女は『コスモスの目的に協力してくれるなら、その過程でやりたい事をしでも構わない』というスタンスを維持してきた。それが彼を刺激しない方法だと思っていたからだ。
だが、コスモスの目的はコーリスの力を制御する為に、調停の思考に染め上げる事が最終的な目標だった筈。そこに優しさや気遣いは不要だった。
つまり、現在におけるゾーイの苦しみは、未発達な情動故の混乱ではなく──情動が育ちすぎた故の、存在に対する自己崩壊なのだ。
(なら……なら、コスモス……あなたは何故私を野放しにしている?目的の為なら…私は不要だろう)
空の先の星を見ても返事は帰って来ない。
ゾーイの精神は、孤立していた。
結局、コスモスが何を考えているのかが問題というお話です。
ゾーイが情緒を発達させたのはコーリスを監視している最中に分かっていた事なので、コスモスにとっては今更どうこうする話ではありません。
不都合なら、とっくにゾーイを消してます。
コスモス
・『調停』を司る星晶獣であり、ゾーイを生み出した存在。今は星の世界で空を観測しており、その瞳はゾーイの様な代行者を介している。
・コーリスの危険性を知り、殺すか利用するかを考えた結果、殺す事にリスクを感じたので利用する方針に決めた。その過程でゾーイに監視を命じたが、彼女の自己が育ったのは予想外だった。
・その代行者のゾーイという人格を認めた上で、コーリスと接触させる事で、調停の理解を得ようと画策している。しかし、彼は彼自身の道を征くので、調停の理解ではなくゾーイの為に動く方向性にシフトしている。その時点でゾーイの仕事は失敗に終わった筈なのだが、何故か彼女を野放しにしている。一体何を考えているのだろう。
ゾーイ
・自らの綻びに気が付いた結果、コスモスの行動に不可解な点がある事を理解する。