刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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永らくご無沙汰しておりました。臣です。ようやく刀使巫女SSをお届けすることが出来ます。

ずっとTVシリーズの隙間を縫って話を作ってきましたが、この度限界を感じ関東大災厄(…と、タギツヒメ討伐に連なる事件を呼称します)以降、可奈美と姫和が無事幽世より生還を果たした時間軸で再開することにしました。IF展開ありありとなりますのでご注意下さいますよう。

また今回よりですが、調査隊の面々も物語に絡んでくる感じにしています。

同じく今回よりですが、刀使巫女IFシリーズとして連作の形態を取ろうと考えています。もしよろしければご贔屓下さりますよう。

では始まりです!



外の物 ―とのもの―

 日光杉は、北関東の山々の王である。

 どれ程の年月をかけて、何処まで伸びているのか見当もつかぬほどに高々と聳える彼らの足元に日の光は届かぬ。それ故、雑木林に見られがちな草々はここには見られない。太陽の恵みは全てこの杉の伸ばした長大な枝に吸い取られ、下にはただ、その影が落ちるのみの常闇となる。

 独尊となった杉の足元で生きるのを許されるのはせいぜいがそれにおもねる蔦か、そうでなければキノコやコケの類であった。

(青空が恋しいぜ…)

 暫くお天道様を見ていない。

 空を見上げて見ても、あるのは鬱蒼たる針葉樹の天蓋だ。

 一抱えでは到底利かぬ杉の幹の下で、土を緑に覆っているのは雑草ですらなく、コケであった。カビの偉い奴がコケだとするなら、ここは杉の他にはカビしか湧かない絶境とも言えるだろう。

 そのような絶境の、まだ新しい杉の切株に腰を掛け、益子薫(ましこ・かおる)は霧の紗幕に目を凝らす。

(近づいて来てるな、確実に)

(明眼持ち、透覚持ちが居るか…居るんだろうな)

 よもやの事態となりつつあった。

 荒魂狩りを生業としてきた益子の娘が、狩られる立場となろうとは。

「お前らのせいだかんな、全く」

「…ねね」

 しょげ返るねね。その傍らには――もう一体、『それ』が在った。

 荒魂である、と言うよりは、生きたノロ。

 サイズはねねと同等くらいの小金属球。

「どうしてくれようか、こいつめ」

 荒魂となるには穢れが足りぬ。人を襲わねば穢れは得られぬ。このまま立ち去れば、未だ何者でもないこの溶鉄はノロへと戻ってしまうだろう。ようはこの少々大きめのソフトボールは、ここに居る唯一のヒト、薫の穢れによって形を保っているのである。

「サクッと斬っちまえば話ははええんだが…」

「ねねねね!」

 何をしやがる気だこの野郎、とねねが立ち塞がってくる。

「ねね! ねね! ね!」

「何々? こいつはまだ何にも悪さをしてねえ、荒魂未満のただのノロボールだって? ノロボールってなんだよw」

「ねねねね!」

「斬られるようなことはしてねえし、ましてやあいつらに追っかけられるようなこともしちゃいない、と?」

「ねねねー!」

「これは俺様の勝手でしたことだから、薫はさっさと逃げやがれ、だと? バカ言ってんな。俺だってその、そいつを奴らに差し出すつもりはねえ」

「ねねっ」

「好きにしろ、ってか。こいつめ…ってか、こいつとかそいつとかどうも呼び名がないと不便だな…ふむ、よし。おい、お前は丸いからタマだ」

「ねねね!」

「おいネーミングセンスって? いいだろ可愛くねーか猫みてーで。って、そろそろだべっている場合じゃなくなって来やがったな」

 音も無く、姿も見えず。

 しかし確実に迫って来ている、それが薫には分かる。

 目で見えたわけでもなく、音に聞いたわけでもない。それでも来ていると五感ではない何かが、伝えてくるのだ。

「さて、少し脅かしてやるか。それで逃げてくれると、いいんだがな」

 見れば膝元には、うず高く小石が積まれている。

 ここまでの道中見繕って拾ってきた、薫の掌にすっぽり収まる程の石ころだ。

「益子流ケンカ技、見せてやるぜ」

 石ころの一つを、薫はその掌より中空へと弄ぶ。

 

***

 

 薫が上のような状況に陥ってしまったのには、相応の顛末があった。

 事は一昨日に遡る。

「ねえダメ? どうしてもダメなの? ねえお願い、して?」

「だめだ」

「してよぉ」

「しねえ」

「お願いだからぁ」

「だから、もうしねえ」

「ねえお願い、してえええ!」

 やべーな、と薫は思ったものだ。

 衛藤可奈美(えとう・かなみ)にああやって上目遣いでおねだりされると、知らないうちに身体が動いてしまうのみならず、「ありがとう、薫ちゃん」と言われるまでそのことに何の疑いも持たないし自覚も出来ないのだから恐ろしい。ある意味新陰流秘奥よりもヤバい代物だ。

「可奈美ちゃんを…可奈美ちゃんを拒むなんて…あんなに一生懸命おねだりしてるのに…」

「私も、可奈美におねだりされたい……」

 傍らでは柳瀬舞衣(やなせ・まい)と糸見沙耶香(いとみ・さやか)がビキビキ来ている。妙なオーラがはみ出しかけていてこっちはこっちでヤバかったのだが、

「きょーみねえっつってんだろしつけーな」

 一番ヤバいのは、それが通じぬ七之里呼吹(ひちのさと・こふき)であるのかも知れない。

「アタシには愛するもんがあるんだよ。んでそれはおめーじゃねーんだよ」

「そんなあ。呼吹ちゃん……」

「あばよ衛藤可奈美。もっと早く出会ってればよかったかもな」

「呼吹ちゃん! 呼吹ちゃーーん!」

 よよよ、と泣き崩れる可奈美には目もくれず、すたすたすたと道場を去っていく呼吹。

「おい録音(と)れたかー?」

「バッチリデース」

「あとで編集しろよー」

「Yeah♪」

「よっしこいつで紗南センセーをちょいちょいと強請(ゆす)って連休頂きだ」

 薫とセットで長船の凸凹コンビこと、古波蔵エレンは(こはぐら・―)には、相変わらず反省の色はない。

(…にしても信じられねーな。あの御刀怪獣トジゴン可奈美が、稽古とはいえ一本入れられるたあ)

 ちなみにここは、泣く子も黙る折神本家大道場。やっていたのは地稽古であって、断じていかがわしいことではないのである。

 大道場と言うだけあって敷地面積は並みの体育大の体育館以上あり、折神家に駐留する伍箇伝の刀使たちは、外回りでない限りここで訓練に明け暮れるのがお仕事だ。鎌倉特別危険物漏出問題よりこのかた、頻出するようになった荒魂に対応する為、伍箇伝各校より選りすぐりの刀使がここ折神本家に起居するようになり、さながら伍箇伝選抜選手の合同合宿と化している。

 衛藤可奈美はその選手筆頭最右翼であり、十条姫和や糸見沙耶香と共に特別祭祀機動隊の切り札である。往々にして切り札とは温存されるもので、現場の刀使たちで対応出来ている場合はこうして手持無沙汰になり、そういうときは訓練、というわけであった。大方、可奈美にとっては幸せな時間であろう。

 大張り切りであったそんな可奈美の相手となったのが、ひょっこり現れた七之里呼吹であった。

 そしてそれが、何の拍子だか可奈美から写シを剥いでしまったのである。

(可奈美が手を抜いた、って感じじゃあねーし、腹でも減ってたか?)

 呼吹は決して弱くない。荒魂討伐の月間スコアで必ずベスト5に顔をだす、スーパーエースが弱かろうはずがない。とはいえ、剣対剣においては今や強すぎて稽古相手にすら不自由する衛藤可奈美では相手が悪かろう、しめしめざまあみろ、ぜいぜい懲らしめられろ、くらいに思っていたのだが…

(ちっ。逆に懲らしめられるたあ思わなかったぜ)

 正直薫は呼吹とは相性が良くない。多分向こうもそう思っているだろう。

 大方呼吹にとって薫は、目の上の瘤のような存在であろうことは想像に難くない。薫が居なければ荒魂討伐数月間最上位、ということが多々あったから。

 そんな感じで呼吹と薫は、あまり言葉を交わしたことが無い。

 というか、呼吹にしてからが、他人との接触を持ちたがらないのだ。

 荒魂の方が好きなのだ、と言う者がいる。人よりも荒魂のほうが好きなのだ、と。

「何をバカな」

 と人は言う。

「荒魂と仲良くなれるのか。人がそう思っていても奴らは襲ってくる。最小限度、コミュニケーション出来るのか。言葉は交わせるのか」

「出来るとも」

 七之里呼吹は嘯(うそぶ)く。

「こいつでな」

 二振りの小太刀、北谷菜切(ちゃたんなきり)と二王清綱(におうきよつな)を右手と左手に血祭に挙げた荒魂は数知れず。「アイシテルゼ!」と哂いながら荒魂を切り刻む様子を、目にした者は多い。

 薫としては、呼吹を見かけるたびにねねの身を案じねばならず、面倒な相手であった。ねね、とは益子の家の守護獣であるが、その前身は中世備州に猛威を振るった伝説の荒魂である。何処で身に付けた技か、最近はかつての巨大荒魂に戻って戦うこともあるものだから、余計にである。

「何だかんだで、あいつとは了見があいそうもねーな。ま、稽古不熱心ってところは似てるわけだが」

「薫ちゃん? 何処行くの?」

「ここじゃあない何処かだよ。んじゃデータ出来たらこっちにも送ってくれ」

「何のデータ?」

「なんのデータってそりゃ…」

 振り向いた薫の後ろに、笑顔の可奈美。

「まだ練習始まったばっかだよね? 何処行くの? データって何の?」

「あ…あーそうだな。データどころじゃねー。練習しなきゃ、練習。久々に腕がなるぜー(棒)」

「ホント!? 丁度不完全燃焼だったから嬉しいよ!」

 ヤバい死ぬ、と薫は思った。データのことはすっかり頭から吹っ飛んでくれたようだが、代償が大きすぎる。

「薫ちゃんとの手合わせなんて何時ぶりだろう! んー燃えて来た!」

(うぉい! なんだこの流れは! 何で俺が大荒魂を活け造りにしちまう刀使怪獣オカタナザウルスと本気で稽古せにゃならん! 死んでまうだろうがあああ!)

 怪獣の相手なら怪獣がすればいいだろうがと周囲を見渡すと、沙耶香も舞衣も目を逸らす。

(あいつら覚えてろぉ!)

 ちなみにエレンに至っては、とっくの昔に何処にも姿がなかったりする。

「さあいっくよー!」

 ぶんぶん、と左腕をぶん回す可奈美。

「たっ助けてだれかああ!」

 薫の声にならない叫びを聞いてくれる者は、誰も居なかった。

 

***

 

「よう。衛藤可奈美とガチ稽古たあ、珍しく熱心だったじゃあないか」

「腰がいてえ。肩がいてえ。再起不能だ。俺の選手生命もこれまでだ。今のが引退仕合だ…」

「うむ。感心感心。薫の勤勉に免じ新たな任務を与えよう」

「人の話聞く気あんのかこのパワハラ上司! 痛え!」

 大道場でorz状態の薫のドタマに、真庭紗南(まにわ・さな)特別刀剣類管理局長代行の拳固がさく裂する。

「普段から真面目に道場に顔だしときゃこんな目にあうこともないだろうが」

「畜生。畜生。親父にもぶたれたことねーのに」

「私にゃあ毎日どつかれてるけどな。心配するな、今度の任務、多分働くのはお前じゃあないさ」

「何だと?」

「荒魂との戦闘訓練を実戦に近い形で行いたいがどうにかならんか、って弊社へオーダーがあってな」

「実戦に近い形式ってのはつまり…」

「用があるのは薫、お前じゃなくお前の相棒ってわけだな」

「ねねを戦わせる気なのかよ! 冗談じゃねーぞ!」

「あー、そうだよな。お前が怒るのも尤もだ。や、すまんすまん忘れてくれ。この話、別のところに持っていくとしよう」

「あーそうしてくれ。ねねは益子の守護獣だ。特別刀剣類管理局の職員でも何でもねー。お前らの自由にしていいもんじゃあ、ねーからな」

「分かってるさ。ダメもとで言ったんだ、気にせんでくれ。仕方ない他を当たるよ」

「…」

「…」

「…おい」

「…ん?」

「一応聞いといてやるが、他のアテってあるのか」

「あー、錬府の実験施設の一つに、荒魂を捕獲しているところがあってな」

「モノホンじゃねーか!」

「モノホンだな。死人が出るかもしれんが、まあ仕方ないさ。あいつらもプロ、覚悟の上だろ」

「んな覚悟あるわけねーだろ! くそ、客は誰なんだ」

「防衛省。防衛相と総理の連名」

「…げっ」

 到底断れるメンツではない。下手を打てば特殊刀剣類管理局が消えてなくなりかねない相手である。

「幸いにも出先は近所の駐屯地だ…が、お前には関わりない話だったな。ま、ゆっくり心と身体を癒してくれ…」

「待て待て待て!」

「んん?」

「やる。分かったやればいいんだろう! 俺が断ったから死人が出たなんてことになったら気色が悪いわ!」

「無理しなくてもいいんだぞ? んー?」

「ぐぬぬ…足元見やがってこの腹黒上司め。言っとくが、俺が引き受けたのはねねに話を通すところまでだからな! ねねがダメだって言えばそれまでだからな!」

「ああそうしてくれ。報酬はそうだな…ここで一晩水入らずってのはどうだ?」

「ねねー!」

「な!? ねね何時からそこに!」

 何時の間にやら、薫の傍らですっかり目をハートにしたねねが飛び跳ねている。ちなみに真庭学長のいう「ここ」とはおおかた、今人差し指でくつろげている胸元だろう。

「きたねーぞ卑怯だろ! 畜生大人はいつもそうだ!」

「はっはっは、早く寝とけよ明日は早いぞー」

 左うちわで去っていく真庭学長とねね。大道場には再びorz状態となった薫がオブジェクトアートのように残された――

 

***

 

 薫とねねが帯びた任務は、自衛隊新設の荒魂対応部隊の訓練を、アグレッサーとなってお手伝いしろ、というものだった。

 アグレッサーというのは、早い話が敵軍役のことで、大抵は教官が務める。薫とねねは教官役ということになる。

 依頼主の防衛相、つまり防衛大臣は自衛隊で二番目に偉い人である。最高司令官は防衛大臣ではなく内閣総理大臣ということに、一応なっている。防衛大臣と共に総理が連名していたのはそういうわけだ。

「その名も特別害獣駆逐隊(とくべつがいじゅうくちくたい)、か。うちのパクリだな」

「パクリですネ」

 真庭本部長代行の言に、古波蔵エレンは肩を竦めて同意を示す。

「特殊作戦群から抽出された陸上総隊の司令部直轄部隊、ということらしいデス」

「…対特殊武器衛生隊や中央情報隊に相当する規模ということか」

「字ずらで察するところ、そんな感じデスネ」

「対荒魂対応部隊というが、今のところ荒魂に有効なのは珠鋼を精製した御刀のみ。その御刀を納める拵(こしらえ)の業者も、伍箇伝の制服を帯びぬ者に品物は卸さぬこととなっているはず。もし奴らが御刀で武装しているとなれば、未登録の御刀ということになり、少々物議の種だ。まあそこらへんを何とかする目途が立っているから我々に接触してきたんだろうが…そこらへん、少し探りを入れて見てくれ」

「分かりましタ。…ありがとうございまス」

「礼を言われるようなことはしていないが」

「いえ、何だかんだで、薫と一緒に行動できるよう配慮して頂いてますカラ。やっぱり先生は、優しいデス」

「仕事をサボらないいい子にはな。詳細は端末に直接送る。頼むぞ」

「了解デス。…ところでこれ、例のブツデース」

「おっと」

 ひょい、と小指の先程のロムディスクをエレンの掌から懐に掠め取る真庭紗南局長代行。

「うん。なんだか急に優しい気持ちになったぞ。君らの休暇重ねちゃおうかな」

「サンキューセンセーありガトー!」

 

***

 

 水泡と帰したそれが、七之里呼吹の足元の下水へと流れ落ちていく。

 赤々と明滅する泥濘は、呼吹によって念入りに解体されるまで、荒魂であったものであった。

 バスルームの下水のような施設は、ここ錬府女学園固有のものであり、摸擬戦で討伐された荒魂のノロを効率よく回収する為のものである。

 折神家より特別に分け与えられたノロはプールへと戻り、再度荒魂化するのをまってまた摸擬戦に供される。

 早い話が呼吹は、本物の荒魂と戦っていたのである。本物の荒魂と戦闘の出来る施設が、錬府には存在していた。そしてそれはタギツヒメ討伐の後も予算を与えられ存続しているのである。

「おい全然食い足りねえぞ。これだけってことはねーだろうな」

「これだけです」

 播つぐみ(ばん・―)は、にべもそっけもなかった。

「なんでだよシケてんな、普段の二分の一も出てきてねえじゃねーか」

「荒魂化が可能なノロは温存しておくよう、上から言われてるんですよ。だから出ません。出てきません」

「上ぇ?」

 錬府の中でもここは秘匿施設であり、一般生徒はおろか教職員すら出入りを制限された錬府学長、高津雪菜の直卒である。つまり命令できるのは高津学長のみであり、その学長が不在であればどこの制限も受けぬ筈である。

「誰だ? 学長なら療養中の筈…まさか」

「そのまさか。折神家直々の御上意ですよ」

「朱音ちゃんか、紗南ちゃんか」

 この場に居ないことをいいことに、折神家現当主と特別刀剣類管理局局長をちゃんづけで呼ぶ呼吹に、つぐみは首肯する。

「そんなところです。何でも、自衛隊新設の対荒魂対応部隊に供与することになった時の為の予備だとか」

「何でもと警察「予備」隊に俺らケーサツが荒魂の「予備」を貸さなきゃいけねーんだ。荒魂のことはこっちに任せとけってーの」

「任せきりにした挙句、関東大災厄じゃあ自衛隊さん、何も出来なかった無駄飯食らいって大分叩かれましたし、荒魂――まあ皐月夜見先輩のペットなんですが――に駐屯地を襲撃されたりしてますし、何より予算を特祭隊に取られてますからね」

「止めとけ止めとけ。下手すりゃ伍箇伝丸ごと自衛隊に移管されかねねーぞ」

「鎌倉特別危険物漏出問題以降、信用ゼロですからねうちは。兎に角、長船の益子薫さんが出張っていったそうですから、うちにお呼びはかからないんじゃないんでしょうか」

「益子薫が出張ったから? どういうことだ」

「ああ、それは益子の守護獣じゃあないですかね」

「益子の守護獣…ってあの噂の奴か。益子薫が飼ってる荒魂の」

「ねねちゃんです。何でも新部隊の訓練でアグレッサーを勤めるんだとか」

「訓練、ね」

 足元を見れば荒魂であったノロの水泡はとうに廃液管に流れ落ち、痕跡は全く残っていない。

「じゃあちょっと行ってくらあ」

「おや、どちらへ?」

「愛を探しに、さ」

 

***

 

 炸薬により弾頭を弾き出し、その運動エネルギーで対象を破壊する銃砲は、今や500年以上にわたり人類の主武器である。

 現代戦において未だに主要な兵器であり、自衛隊においても拳銃から野砲に至るまで様々な銃砲が採用されている。

「あんたらは鉄砲のプロな訳だが、荒魂ってのに鉄砲は頗る相性が悪いのが分かっただろう」

「協力を感謝する、益子巡査」

「巡査はやめろ。俺は女子高生。警察はバイトだ、一応な。益子でいいよ、ええと…」

「日向士郎(ひな・しろう)だ」

「よろしくな、日向司令」

 確か三等陸佐、と聞いている。

 三佐は戦前ならば少佐相当で、普通ならば壮年くらいまでを大過なく勤めて任官されるものだが、日向三佐は若い。真庭紗南学長よりも若いかもしれない。事前情報では一尉、即ち大尉であったから、究めて最近、それこそ極々数日の前に昇進したものと思われる。

 この少壮の男性士官こそが自衛隊気鋭の荒魂対応部隊、特別害獣駆逐隊の隊総司令であった。

「多くの犠牲を払った。都心に出張った高射砲大隊の損害は分けても甚大だった。自衛隊のみならず、都民の救助に当たった消防にも、殉職者が出た」

「ああ、聞いてるよ」

「我々はあれらが、タギツヒメと名乗る異次元人に率いられていたという事実を掴んでいる。またそのタギツヒメと共謀した者の存在の情報も得ている」

「テレビで記者会見までやったからな」

「我々は今やこれを、警察力で対応する犯罪とは見ていない。我が国の存立を脅かす、武力侵攻と捉えている。君たち特別祭祀機動隊の御陰をもって一度は敵の鋭鋒を挫いたものの、我々はさらなる侵略に備える必要が生じたわけだ」

「侵略、ね」

 肩を竦める薫の傍らでは、一働きしたねねが大の字になって高いびきをかいている。

 この小動物が先刻のモンスターであるとは到底誰も信じ得ないであろう。

 真庭紗南局長代行の甘言に釣られておおいに張り切ったねねは、先ずは小銃で武装した隊員たちに大暴れして見せた。

 正体現わしたねねの巨躯は、現在生存する如何なる地上生物よりも巨大である。インド象よりもまだでかいのだ。

 世の常の生物ならば筋肉が自重を支えきれずのろまになるはずのものを、生体金属を筋肉替わりにする祢々は猫よりも機敏に駆ける。もう人の手に負える代物ではない。

 一方の対荒魂兵は彼らの言う「プラン1」で立ち向かった。

 荒魂に対しては拳銃弾が役に立たないことはとうに知れているが、これは荒魂の外殻の硬度が弾頭を上回っているからである。そこで兵たちは、弾速が早く貫通力の高い自動小銃を用いた。何やら一度は現役を引退した7.72ミリ大口径の旧式小銃を、兵器庫から引っ張り出してきたらしい。

 実包のみはタングステンを弾頭に用いた最新式だと薫には説明があった。

(実弾使うのか)

 薫は眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。

 結果は知れているからである。

 荒魂の外殻は赤茶色になっているがこれはノロが低温になって硬化しているからだ。ノロの外殻の内側は、冷えていない高温の、マグマ状のノロである。

 溶岩に石を投じているようなもので、全く意味をなさない攻撃であった。

 人類の主武器たる銃器は荒魂には無力である。

 特祭隊の荒魂資料の正しさを再確認することとなった兵士たちは、次なる作戦、「プラン2」の準備に取り掛かっているという。

「一応聞いとこう。プラン2ってのはどんなのなんだ」

「放水車を使用する」

「放水車?」

「都内で被災した消防隊員から得た情報では、効果があったそうだ。手元の資料にも、荒天の荒魂出現率は多くなく、出現したとしても大型のものだ。早い話、奴らは水を好まぬらしい」

「…ほう」

 事実それはある。でかくなってくると少々の降水などものともしないが、それでも川に橋が架かっていれば好んで水に入らず橋を通る。人間同様、体温が奪われれば活動が鈍るのだ。

「で、活動が鈍ったねねをどうするんだ?」

「物質としてのノロの融点は高い。体温が低下した荒魂は体組織の凝固が進むだろう」

「多分な」

「水は砕けぬ。しかし氷なら砕ける。聞くなら寒冷地では、刀剣は脆く折れやすくなるそうだな」

「…ちなみに、プラン2の次がどんなもんか聞いてもいいか。2があるんだから3も4もあるんだろ」

「プラン3は10式戦車の平射砲を用いた直接攻撃。プラン4は重砲を用いた飽和攻撃となっている」

 全く仕事選べよ紗南センセー、と薫は心中ぼやく。

 割と今までろくでもない仕事にこき使われてきたと思っていたが、今回のは格別だ。

「お前ら戦争が仕事だろ」

「如何にも」

「戦争ってのは人間同士でやるもんだろ。つまり人間同士でも敵味方に分かれて争うことがあるってえことだ」

「異論はない」

「荒魂もそうなんだよ、司令さん。人の味方となる変わり者の荒魂だっているんだ。そしてその変わり者がこいつ、ねねなんだよ」

「ふむ。荒魂祢々は人類に味方する存在であるのか」

「ついでに言うとねねは益子の守護獣だ。荒魂じゃねえ。百歩譲って荒魂だとしても、俺たちに仇なす存在じゃねえ」

「何処に行く」

「御社との取引は停止だ、陸自さん。敵と敵でない者との区別がつかねえ味方は、正直敵よりもやっかいなんでな」

「それは困る」

「悪いが他を当たって…」

 薫のセリフは途中で切れた。

 眼前に切っ先が突き付けられたからだ。

(こいつ、いつの間に…)

 そいつは、薫と天幕の出入り口との間に立ち塞がっていた。

 薫は出口であるそっちに向かっていたわけであり、つまり真正面にいきなり現れたことになる。

(いや、いきなり降って湧いたわけじゃねーか)

 それは困る、の日向司令のセリフに言い返すために、司令の方を振り向かないまでも、一瞬注意がそっちに行った。それを見計らって、というなら不可能ではない。

 不可能ではないが、それこそ瞬きするほどの間を見計らい、合わせて迅移を行えるような者は限られている。薫が知る限りでなら、親衛隊の獅童真希(しどう・まき)や此花寿々花(このはな・すずか)などの巧者なら可能であろう。

(つまりは、親衛隊クラスの奴ってことか)

(それに…)

 突き付けられているのは御刀ではない。

 槍の穂先であった。

「兄さんが困るって言ってる」

「…誰が出てこいと言ったか」

「けど兄さん」

「状況待機と命じた筈。控えていろ」

「おいちょっと待てお前ら。こいつはなんだ」

「あたし、日向野々美(ひな・ののみ)! 槍は、日本号(にほんごう)!」

 槍の娘は、ちんまい身体から出る声とは思われぬ、でっかい声で名乗った。

 大剣もかくやの大身の穂先、芯鉄入りと云われる、手に余りそうな太さの柄、日本号と称する豪槍に不釣り合いな、小柄な娘であった。

(って俺が言うのもなんだがな)

 アンバランスさでは薫とどっこいであろう。

 年のころでは年下、に思えるが多分向こうもそう思っていよう。腹立たしいことに薫は、同年代からはたいてい年下に見られる。可奈美や姫和に至っては高等部の制服を着ていたにも関わらず年下だと思っていたそうだ。

(全く、コスプレだとでも思ってたのかあいつら)

 いや、今はそのようなことはどうでもいい。

「にほんごう、だとお?」

 日本号は言わずと知れた天下三名槍の一槍、その筆頭とも云うべき槍だ。それくらいは薫も知っている。重要文化財、国宝にも指定されようという戦国期の槍だが、それを用いて迅移を行うとは?

「ことここに至れば仕方あるまい。防衛省にも、珠鋼兵装の保有はある、ということだ」

「保有はある(キリッ)じゃねーだろ。そいつはうちの管理じゃねえ。つまり未登録特別刀剣だ」

「登録ならばおいおい行われる。現在は特祭隊の御刀にあやかり現在、御槍(みやり)と仮称している、隊で保管してい旧軍の遺物だ。そ奴は差し詰め、槍者(そうじゃ)と言ったところか」

「御槍に槍者だとお」

 刀使の持つ御刀に対して、御槍というわけか。

 単に御槍と云えば、大名行列の先頭にあったり、籠の両脇を守ったりしているあの槍のことを指す。御大将の槍即ち御槍である。

「その御槍とかいう刃物を、警察官に向けてるように見えるんだが。これ緊急逮捕でも仕方ねえ場面だよな」

「約定通り部隊錬成にご協力頂けるならば、すぐにでも穂先を下げさせよう」

「…分かった。分かったよ」

 柳瀬舞衣のような居合達者ならいざ知らず、穂先を突き付けられた状態からでは薫に分は悪い。

(薬丸自顕流にも抜き技はないでもねえが、ここは違うだろ)

 自衛隊が密かに特別刀剣に類別される刀剣を保有していたという事実を、真庭本部長代行の元へ持ち帰る必要が出来た。分の悪い賭けは慎むべきだ。ここで斬り合いとなった挙句に演習中事故死、なんて報告をされるわけにはいかない。

「見られてしまったからには仕方がない、とかいいだすんじゃねーだろうな、三佐さんよ」

「何れは特別刀剣類管理局に通さねばならぬと思っていた話、そのタイミングが早まったまでのこと。そ奴のそそっかしさに振り回されるのは今に始まったことではない。法整備はおいおい、為されるだろう」

「なんだと?」

「特別刀剣類管理局に、特別刀剣や特別危険物を一括管理する能力は既にない、と上は考えておいでだ」

「上ってのは」

「むろん我らが最高司令官であり、自由民主党総裁であり、国民の代表たるあの方だ」

 国法に認められずとも総理の黙認を得る兵装は複数ある。

 航空母艦がそうである。ヘリ搭載護衛艦は、航空機の運用も視野に設計されている。

 核兵器がそうである。原発を持つこの国は当然ながら核物質を保有している。純度を高めたものを弾頭に搭載していないだけであり、その気になれば一夜にして核兵器保有国となることが出来る。

 そうしたものの一つが、今薫に御されている。槍者とやらが左足を一蹴りすればそれが喉笛を突き破るだろう。

「降参だ降参。おいねね、この状況下で何時まで寝てる」

「ねね?」

「協力すりゃあいいんだろ。するよ。してやる。相手してやるから放水車でも10式戦車でも何でも持ってこい」

「お分かり頂き感謝する。午後の訓練も宜しくお願いする」

 ちびの槍者は既に御槍の穂先をどけていた。

 もちろん、これで危機が去ったわけではない。防衛省にとっても政権にとっても打撃となりかねない事実を知ってしまったのは事実である。すんなりと返してもらえるようには思えなかった。

(…さて、どうすっかな)

 命を繋いだのは当座のことだ。自動小銃で武装した小隊規模の精兵に加え、珠鋼兵装まで持ち合わせた奴らのいわば腹中に、薫は呑まれているのである。生殺与奪の自在は彼らのものだった。しかし、もし日向三佐がそう思い込むようならばそれは油断だ。

 今は機を待つ。

 幸い薫は多忙の身である。長逗留は真庭本部長代行が許さぬだろう。拘束が長引くならば、何らかの形で連絡が来るはずだ。

 時間は薫の味方であった。

 時間を稼ぐ。その為にも今は、従順が得策の筈だった。

 その筈であったのだが…午後になり、状況はさらに、もう一転する。訓練再開と共に分け入った北関東の山中で、薫の所持するスペクトラム・ファインダーが反応を示したのだ。

「…本物の荒魂だと?」

 その呟きと、ねねが駆け出すのは同時であった。

「おいねね! どうしたねね!」

 薫はその後を追い…

「…ちっさ」

 荒魂を発見した。

 荒魂だけに、玉状の荒魂である。

 玉といっても色々だが、大きさはソフトボール大。

 色々な荒魂を見て来た薫にとってもわりと、記録的な小ささである。

「お前、こんなとこに居ると兵隊さんに見つかるぞ。そしたらお前、櫛団子にされちまうぞ」

 人を襲う様子はないものの、このままにしては置けない。穢れを得れば確実に害獣となるからだ。

 薫とねねが立ち去らないと見て、そいつはばっくりと割れた。

「うお!?」

 真っ二つになったわけではなく、アルマジロのように丸まっていたのだ。

 現れた無数の足をうぞうぞ動かして、そいつは逃げ出した。といっても、その小荒魂に追いつくのはそんなに難しいことではなかった。

「…おっそ」

 びっくりしたが、それだけだ。足の一本一本はそんなに太くない。数でカバーしているから移動は出来るようだがそんなに走るのが得意ではないようだ。

「ねね!」

「よし、ちょっと捕まえてろ」

 追いついたねねが前足でつつくと、逃げられぬと思ったのか完全に丸まってしまった。外殻は中々立派な、大型荒魂のそれである。こっちは歯が立たないが、向こうは手も足も出なくなってしまっている。

「ダンゴムシかなんかを擬態したのか」

 ノロが荒魂となって結実するとき、手近に居た生物の形態を真似ることが多いのは、よく知られている。とはいえ絶対そうなるとは言えず、例えば一度荒魂となって討伐されたノロは、もう一度荒魂となった時以前と同じ形態を取ることが多い。

 牙や角のある生き物となった時には殺傷能力が高く非常にやっかいだが、大体はノロとして地面に溶けていた時に親しむ昆虫や長虫になることが多い。目の前にあるのは一般的な荒魂の姿と言えるだろう。

「…ま、この大きさなら、人目に触れないところに逃がせば小さくなって、そのうちノロに戻るだろ」

 だが衆目に晒せば穢れを得て、大型化して人を襲うかもしれない。放って置くわけにもいかないのだ。

「全く、仕方ねえな」

 幸いにして、運搬し易い形をしている。

「よっこらせ」

 ずっしりと重いチビ荒魂――鉄塊なのだから当然だが――を抱え上げると、驚いたのかチビ荒魂はぱっくり虫にもどって生やした手足でジタジタと暴れる。

「あっこの野郎」

 地面に落とすとまた丸まる。

「これじゃあ千日手だな」

「ねねぇ」

 ねねが肩を竦める。

「仕方ねえ。折角丸まってるんだから蹴り転がすか」

「ね!?」

 マジか、とねねが目を剥く端から、薫は荒魂ボールをサッカーキックした。八幡力のオマケつきだから、まるでゴールキックのようにぶっ飛ぶ。

「ひえええええええ!」

 荒魂に口が在ったらこんな感じに悲鳴を上げていただろう。

 山頂の方に飛んで行った荒魂ボールは、斜面なものだからまた転がって戻ってくる。そこをまた薫がトラップ&蹴る。飛ぶ。また戻ってくる。蹴る。

 そんな感じで、小荒魂――後にタマと命名――と薫たちは、山頂方向に逃れ、現在に至るというわけである。

 

***

 

 巻き戻した時間を、ここで元に戻す。

 日向司令より状況再開の号令一下、先に山中に分け入った薫をねねを追尾するのは、特別害獣駆逐隊の兵のみではなかった。

 槍の穂先を煌めかせ、緊張の面持ちで、槍者たちがそれに続いていく。

 たち、というからには一名だけではない。

 十二本の槍を携えた十二名が、兵たちに随伴していた。

「ねねちゃんは荒魂だったけどもう荒魂じゃない、人間の味方だって薫ちゃん言ってましたよね?」

『発見したのは益子の守護獣ではない。別の個体だ、恐らく人類の味方ではないな』

 インカム越しに日向野々美は、隊本部の兄と交信する。

「別って、本当に荒魂が現れたってこと?」

『そうだ』

「なら、薫ちゃんにも協力を仰いで討伐を…」

『益子薫とその守護獣ねねは、人類を裏切った』

「え?」 

『ねねとは別個体の荒魂を発見した隊員がただちに攻撃しようとしたら、突如現れたねねに阻まれたと報告を受けている』

「荒魂を…ねねちゃんが庇った? どうして? 昔の仲間だから?」

『分からんが、ねねはその荒魂と共に山中に逃亡、益子薫も後に続いて山中に逃亡したそうだ』

「――」

 あまりの事に、野々美は絶句する。

「…話、聞いてみようよ、兄さん。きっと理由があるんだよ。だから…」

『事情は、有るだろう。しかし私は最悪の事態を想定せねばならん。お前たちを隊に同行させたのはそのためだ』

「みんな、本当の荒魂を見るのさえ、今日が初めてなんだよ…?」

『荒魂に有効な珠鋼兵装を扱えるのは、現下お前たち、特駆隊槍者班だけだ』

「…分かったよ。でも危なくなったらあたしがやる。皆には、逃げてもらうから」

『判断は現場のお前に任せる。第一分隊とよく連携しろ』

「分かった。交信終了」

『交信終了』

「…あの、演習本部はなんて…」

 不安げな傍らの同僚槍者に、

「大丈夫。話だと荒魂の形状は小型。ねねちゃんくらいだって」

 そう言って野々美は微笑んで見せる。

「ねねちゃんくらいなの?」

「うん。そのくらいのかわいい奴なら、ちょっと見てみたいよ」

 冗談めかした野々美の言葉に、気の毒なほどおっかなびっくりだった槍者たちに一度に安堵が流れる。穢れを得た荒魂が急速に巨大化することもあると知る野々美であるが、それは語らないことにした。

(油断は良くないけど、あまりに緊張していても判断が鈍るし、なにより可哀そうだし)

 実戦経験があるのはあたしだけ。皆の分もあたしが頑張らなければと密かに唇を噛んだ時であった。

「…居ました!」

 透覚を使える槍者の一人が声を上げる。

「荒魂?」

「いえ、あれは…薫さんです! 薫さんを目視で確認! 正面、距離百!」

「…! 分隊長!」

「こちらでも視認した」

 百メートルほどの以遠に、人影が見える。

 周囲の木々との対比から小柄と分かる。長船女学園の制服を着ているところからも益子薫に間違いないだろう。それが、切株か何かの上に立っている。

 逃げも隠れもしない、という風であった。

 薫かどうか確認をとろうと、折り畳み式の双眼鏡を取り出したところであった。

「うわ!」

「きゃあああ!」

 眼前の地面が爆ぜた。

「伏せー!」

 分隊長の声が聞こえて、陸美も慌てて手近な物陰に転がり込む。

「皆大丈夫!?」

「だ、大丈夫!」

 分隊長に指示されるまでもなく皆、頭を抱えてしゃがみ込んでいる。怪我人は居ないようだ。

「槍者班、写シ!」

 野々美は指示を飛ばす。

 今のは攻撃だ、と思った。けど、どんな?

 薫は百メートルの以遠だ。如何な弥々切丸の長大と云えど、御刀で何か出来る距離では全然ない。それをどうやって?

「へーい、自衛隊ビビってるー♪」

 切株の上から様子を眺めつつ、薫は人の悪い笑みを浮かべる。

「カウントはワンストライクノーボール。ピッチャーセットポジションから、第二球、振りかぶって――投げた!」

 空気を打ち破る、甲高い高周波とともに、一本の杉がまるでベニヤか何かのように破砕され、木片が周囲に降り注ぐ。

「うわ!」

「攻撃! 攻撃だ! 分隊は火器による攻撃を受けている!」

「誰か、益子薫が火器を携帯しているのを確認したか!」

 違う。火器じゃあない。

 野々美には分かった。

 飛んで来てるのは銃弾でも砲弾でもない。

「これぞ薬丸自顕流、必殺秘技、印字打ち…って言いたいところだが、実は思いつきでな。体育サボってたから悪いがコントロールにゃ自信がねえ。頼むから当たらないでくれ、よ!」

 印字打ちとは、狭義には投石、石礫(いしつぶて)のことを指す。

 何のことはない益子薫は、道すがら拾い集めて来た手頃な岩石を、投じていただけである。

 投じていただけであるが、薫は伍箇伝髄一の八幡力の使い手である。その腕力で投じれば、例え石くれでも飛行速度は低速拳銃弾に迫る。ライフル弾の数倍にも上る質量が、その速度で飛来する。

「ぐ…!」

「弾着に備えろ!」

 杉の根で黒く固まった地面が抉り飛ぶ。

 中世の大筒にも迫る、大威力であった。

「演習本部! 演習本部! 隊は火器による攻撃を受けている! 反撃の是非を問う!」

『反撃を可とする』

 分隊長と本部の兄との交信は、陸美のインカムにも届いてくる。

「…! 薫ちゃんを撃つの!? ダメだよ!」

『むろん、殺傷は避けよ。目標はあくまで荒魂。非殺傷となる攻撃のみを許可する』

「了」

 兄の言葉に、野々美はほっと胸を撫でおろす。

 先ほど槍を突き付けた相手ではある。しかし野々美には、薫が人類を裏切って荒魂の手先となるなど俄かには信じがたい。「荒魂にも人の味方をする者がいる」というようなことを言っていたが、だからといって荒魂に与する人間が稀に居て、それが薫だなんてことがあるだろうか。

 分からない。分からないなら、確かめないと。

「分隊長。あたし行きます」

「行けるか」

「薫ちゃんの投弾のスキに、迅移で接近しクロスコンバットに持ち込みます。皆、退避してて」

「ちょ、野々美」

「何言ってるの! 野々美ハンチョ―が行くなら私たちも行くよ!」

 さすがにこれには不平が上がった。

「ダメだよ。皆に怪我させられないし、薫ちゃんにだって怪我はさせられないんだ。多分、大勢だと薫ちゃんにも手加減は出来なくなる。そうなったらあたしも手加減出来ない」

「けど…」

「あたしたちの主任務は荒魂駆逐。目標は薫ちゃんじゃあないし、薫ちゃんは敵じゃあない。皆は主任務の荒魂に備えて」

 顔を見合わせていた槍者たちは、思い思いに頷く。

「…野々美が言うなら」

「気を付けて、ハンチョー」

「任せて!」

 野々美は、笑みを見せた。

「では任せる。演習分隊、距離二百まで後退して射線を確保! 槍者班は荒魂の奇襲に備え待機。日向二等陸士は、この地点を突撃発起点とし機を見て突撃」

「はい、分隊長」

「分隊、配置に付け」

 寄せ手の特駆隊の空気が変わったことは、守る薫にも感じられた。

(仕掛けて来るな…何か)

 ここらが潮時か、と薫は悟る。

「そいじゃあ、こいつが決め球だ。魔球、ブラック省庁1号、喰ら、えっ!」

 薫の投じた4投目とほぼ同じ速度で、対向方向からぶっ飛んできたものがある。

「…!」

「だあああ!」

 投じた石は何かにぶつかって跳ね上げられ、遥か上空へと機動を逸らした。

 野々美の槍だった。

 投じた石の軌道を真っ向遡って、御槍日本号と、その槍者日向野々美が薫に飛び込んで来る。

(迅移で真っ向からか。律儀な奴だな)

(んじゃスリーアウトチェンジ。こんどはこっちが打席に立つ番だぜ…!)

 ぽいと石ころを捨てた薫は、その手で佩刀弥々切丸の柄本を、がっきと掴んだ。

「薬丸示現流、『抜き』! いくぜ!」

 示現流には抜刀術が存在する。

 示現流の抜刀術であるからには、「相手の未発を封じ、鞘の内に勝つ」などという、相手の顔色を伺うような技では一切ない。

「き、えええ―――!」

 この小兵の何処から、というような声であった。

 猿叫(えんきょう)、と流に称する特異な発声と共に、問答無用に敵に走り寄り、地から天に向かって太刀抜き上げるのが薬丸派の抜き技である。

(…!)

 薫の身長にして、弥々切丸の刃渡りである。下から上に抜き上げれば相手より先に地面を斬るのは自明である。地面に斬り込んでしまえばそこで刃が止まるのが世の常だが、薫の抜きは世の常の技ではなかった。

 地面に斬り込み、そのまま地面を斬り進み、地面をぶち破って、10キロ以上の鉄塊が唸りを上げて野々美に迫る。それも地面を抉ったその過程で、巻き上げた泥濘をマッハの速度で野々美に飛ばしつつ、だ。

(不味い!)

 槍を水車と回して泥濘を避けることは出来るが、それでは本命の弥々切丸に哀れ真っ二つ。

 槍を下に囲って弥々切丸を受けても、あの運動エネルギーの泥濘を被ったらただでは済まない。ダメージで棒立ちになったところをやはり真っ二つだ。

(だからなんだ!)

(あたしは槍。槍はあたし。他にないんだ! 突き進む!)

 野々美は着地に使う筈だった左足で、さらに思い切り地を蹴った。

 蹴った地は爆ぜ、そこにクレーターのような弾痕が残された。

「ええええ―――、イ!」

「あああああああああ!」

 交錯した。

 両方の槍と刀が、双方に掠りもしなかった。

 刀は地面を斬り破った分、到達が遅れた。

 槍は余計に地を蹴った分、精度を失った。

「「…!」」

 交錯した両者が振り向いたそこにあったのは、薫の足元の小火山の火口のような跡と、陸美の足元に長々と掘られたレールのような二本の大地のブレーキ跡である。

(おいおい、こりゃあ…)

 薫の脳裏に、かつての大敵――燕結芽(つばくろ・ゆめ)や衛藤可奈美の面影が浮かび上がる。

(こんなの、初めて)

 思いがけず、野々美の瞳は輝いていた。

 今の今まで、野々美にはまともな稽古相手すら居なかった。

 日本号に出会って以来、荒魂相手の実戦だけが稽古だった。特別刀剣類管理局の管理の及んでいない玉鋼兵装を全国各地からかき集め、その使い手を陸自の子女より募ってより後野々美に仲間は出来たけれど、稽古相手には程遠かったのである。

(こいつは…)

(この人…)

 強い…!

 

***

 

 同時刻、演習場の麓。

 演習場に至る唯一の舗装路である広域農道には車両通行止めの黒黄ツートンのバリケードが設置され、簡便なテントには数名の、「交通整理」の担当兵が待機している。

 他にも山中に向かう未舗装の林道や山道が存在しているが同様に封鎖がなされ、地元林業の業者やハイカーが入り込むことのないよう警備が配されて居る。

 もちろん麓の全周に歩哨を配することは不可能であるから、文明の利器である無人機、ドローンや監視の定点カメラを頼ることとなる。

「…ん?」

「どうした」

 テントでモニターを監視していた兵の一名が、異変に気付いた。

「女だ。それもこれ、伍箇伝の制服じゃないか」

「帯刀してる。間違いないな。本物の荒魂でも出たのか?」

「いいからすぐ演習本部に報告入れろ。場合によっちゃ状況中止を具申しなきゃならん――」

 言っている間に、もう定点カメラに人影は居ない。

 恐らくは移動したのだ。その歩みの先は、実弾での演習がなされている山中である。

「不味い、危険だ。最寄りの兵に追いかけて止めさせろ。流れ弾にでも当たられたら省庁間の大問題になるぞ」

「了」

 この時点で、警備担当は図らずも真実を言い当てている。

 本物の荒魂は確かに出現していたのだ。

「これ見よがしに監視カメラが設置されてやがる。古波蔵エレンの情報に間違いはないみたいだな…」

 独り呟く画像の人影は、七之里呼吹に紛れも無かった。

「さあて、待ってろよ愛しの荒魂ちゃん」

 

***

 

 その切っ先は遥か天を突き、その刃筋は、相手を向かず外を向く。

 蜻蛉――

 薩南の名流、薬丸示現流を代表する、基本にして最大の構えであった。

(圧が凄い…流石特祭隊を代表する刀使だけある)

 通常、剣と槍の勝負は、所謂三倍段とされる。

 段位を持たぬ者が剣と槍を取れば、どちらが勝つかは分からない。

 初段の槍に勝つには三段の剣の技前が必要となる。

 二段の槍には、六段の剣があれば互することが出来る。

 その三倍段の例えが、この場合全く通用しない。剣であるところの弥々切丸があまりにも長大であるからだ。

(リーチは互角…だけどあっちは斬撃、こっちは刺突)

 曲線と直線だ。速度が同等なら何れが先に相手に到達するかは自明。

(よし…行ってみる!)

 野々美は短く踏み込む。

 基本中の基本、中段突きである。

 深く抉って止めを刺そう、という技ではないが、だからといってなにもしなければ串刺しになる。

(おいでなすったか!)

 いきなり薫は反撃した。

 と言っても、野々美を狙っての反撃ではなかった。狙ったのは野々美の槍であり突きだった。蜻蛉から、突いて来た野々美の槍目掛けて、弥々切丸を撃ち込んだのである。

 これにより野々美が怪我を負うことは無いものの、弥々切丸の質量をまともに受けたら普通、槍は保持できない。最悪指を折られる可能性もある。

 野々美を狙ってはいないが、十分痛烈な反撃であった。最低でも、手指は痺れる。そこを斬ることは十分可能なはずだったが…

(!?)

 空を切った。

 突きが来るはずのところに来なかった、わけではない。

(なんだこりゃ…槍の戻りが…)

 戻りが速い。

 突いた槍が戻っていくのに、薫の打ち落としが間に合わなかったのだ。

 雲耀(うんよう)の速さと称される示現流の打ち込みより槍の戻りが素早かったのである。

(聞いてねえぞ畜生)

 槍の繰り引きの素早さは、単純に手数に繋がる。それ故槍士は例外なくそれを練る。

 が、それにしたって今のは異様だ。突いた速さと同等、いやもっと速かったのではないか。

(こいつ陸自だから銃剣術がベースだって思ってたが…)

 それでは説明が付かない槍技であった。

(よし!)

 野々美にはチャンスが訪れていた。

 薫は空振りをしたのだ。ここで二の槍を継げばさらにチャンスは広がるはずであったが…

(…!)

 空振りしたはずの薫の弥々切丸はもう元の蜻蛉へと戻っている。

(技の戻りが速い!)

 短いやり取りであったが、お互いの技前を察するには十分であった。

(薫ちゃん、練習嫌いだっていう話だったけど、絶対それはないよ)

 示現流は一撃必殺、という言葉が独り歩きしているが、全くそれは当たらない。大抵は一撃目で斬り伏せられるからそのように言われているだけであり、稽古を見る限り、息の続く限りの連撃がその持ち味である。素早く沢山の、それも強い攻撃を繰り出すことを得意とする流儀なのだ。

 それを可能とするのは、流に左肱切断(さこうせつだん)と称する、非常にコンパクトな強振である。左肱――左ひじを切断する、と書いて時の如く示現流の打ちは左の脇を締め、肘の位置を固定して行う。剣道の面などと違い両手で振りかぶらないのだ。

 技は小さくなるが、その分速く硬く強い。

 小さい技であるから戻りも速くなるわけだ。

(これが薬丸示現流…!)

 そして、このコンパクトな技というのが、示現流の場合リーチの問題にならない。

 示現流の踏み込みは非常に長く、速いからだ。

 さらに言うなら薫の得物は4尺を超える長尺の弥々切丸なのだから、輪をかけてとんでもない。

(…ごくり)

 野々美は生唾を呑み込む。

 途方もない相手であった。荒魂の相手をしている方がマシにすら思えた。

(ちっと重てえ食いもんだ)

 一方の薫も内心顎を出す。

 示現流の踏み込みは確かに深く素早いが、目の前には槍の切っ先がある。踏み込んだら最期自分から串刺しになってしまう。

 さらにいうなら蜻蛉に振りかぶっているものだから、鋭い穂先と己の間には何にもない。野々美がこのまま進んで来たとして、薫がなにもしなければ矢張り串刺しだ。

(相性悪りいんじゃねーか、これって)

 槍の柄は短いからリーチは同等なのが幸いである。

(どっちにせよ…)

(どちらにせよ…)

 お互いが悟った。

 お互いが超攻撃型であり、一たび攻撃が始まれば凌ぎきるのは非常に困難だということをである。

((先手必勝!))

 弥々切丸が唸りを上げた。

 日本号が閃いた。

 突きと斬撃が激突する。

(…!)

 狙いを外されたのは野々美。狙いにはまったのは薫であった。

 薫の狙いは突きであった。攻撃の邪魔になる目の前の槍を打ち払うことが目的だったのである。

(もらった!)

 今度は捉えた。弥々切丸でまともに払ったのだ。最悪は槍が破損。良くても手は痺れる。どっちにせよ邪魔な切っ先はもうないはずだった。

 あとはそこに潜り込んで一撃入れるだけ…の筈であった。

(うお!?)

 しかし払ったはずの日本号の穂先は再び何事も無く中段に戻って来ていた。

 穂先はやはり行く手を阻んだままだ。これでは踏み込めない。

(今だ!)

(ちいいい!)

 構わず薫は二の太刀を継いだ。

 やけくそだったが幸いした。突きと斬撃は再び激突し、結果的に野々美の突きは軌道を外れることとなった。

(納得いかねえ!)

 何故弥々切丸の大質量を受けて手が痺れない?

 奴の左手の指はどうなってやがる、と見ると、左手は目立って武骨な、穴あきグラブが覆っている。

(…まさか)

 武骨だが、よく見られるグラブだ。特祭隊にも愛用する者が居る。それだけでは説明が付かない。皮一枚増やしたところでどうにかなるものではないはずだからだ。

 しかし、そのようなグラブを嵌める理由を考えると、槍の繰り引きの素早さ、衝撃に対する強靭さにも納得が行く。

(こいつ、管槍使いか!)

 管槍とは槍の柄の短い管を填めた、本邦独特の槍のことだ。

 本来槍の柄を直接握る左の掌で、この管を握って保持する。前に出た左で管を握ったまま、後ろの右手をちょっと操作すると、管を滑って飛び出すように槍が伸びる。

 突きを戻す時も同じだ。ばね仕掛けか何かのように戻っていく。繰り引きの素早さは通常の素槍をはるかに凌ぐ。拳銃の弾丸を槍とするなら、管は弾丸を加速する銃身やそのライフリングの役割を果たすのである。

 そればかりか、衝撃にも強い。直接槍の柄を握っていないのだから、槍の柄を叩いても衝撃が伝わりにくい。

(槍を落とさねえのはその為か!)

 野々美の日本号は管槍ではないが、左手のグラブが管の代わりとなってるのだ。

(間違いねえ。こいつの遣うのは…尾張名古屋のケンカ槍、貫流(ぬきりゅう。かんりゅうとも)槍術だ)

(だとすると、こいつの武器は突きだけじゃねえ!)

 ひょい、と中段に御された野々美の槍の穂先が消えた。

 つっかえ棒を取り払われたように、薫は感じた。思わず前につんのめって攻撃したくなる。今なら斬り込める――そう感じたままに斬り込んでいたならば間違いなく斬り伏せられていただろう。

 槍の穂先は、薫の弥々切丸と同じく天を向いていた。天を沖する剛槍が、大地を斬り割るが如くに薫目掛けて振ってきた。

(…こっ)

 名門に産まれ高等部までの人生全てを刀使として過ごしてきた、薫の知識が薫を救った。

(こなくそ!)

 日本号と弥々切丸が激突した。

 薫は受け止めず、真っ向から応戦したのだ。

 突きと斬りが当たったのではない。まともにぶったたきあったのだ。

(ぐっ!)

(つあっ!)

 尾張名古屋の叩き槍。貫流の異名の一つである。衝撃に強いということは積極的に叩いていけるということだ。突くばかりでなく叩き槍を多用する貫流は、まさにケンカ槍の名に相応しい実戦槍術であった。

 槍は芯鉄入りの柄の日本号。鉄棍に等しい。

 お互いが吹き飛ばされた。

 だが二人とも、吹き飛ばされた相手から逃げようとはしなかった。

 磁石のように引き付け合う。

((こなくそっ!))

 ガチイイイン、という鉄と鉄がかち合う音。

(なんの!)

(まだまだ!)

 一合。二合。三合目。

「ちぃ…っ!」

「くっ!」

 薫は斬る。

 野々美は打つ。

 真っ向からそれをやるから、ぶつかり合う。

(ちっちゃいくせに、何てパワー!)

 双方がそう感じていた。薫同様、野々美の得意も八幡力であったのである。

 もちろん、薫にも野々美にも、他の引き出しはある。周囲の十条姫和や糸見沙耶香が桁外れで目立たないが、こう見えて薫はスピード豊かな刀使である。野々美の先刻の迅移にしても、十分御前試合規模の大会で通用するレベルのものだ。

 しかし、いやだからこそ、この力比べで譲るわけにはいかない。

 得意とする八幡力で遅れを取れば、この後出来ることがなにも無くなってしまうからだ。

(そうなれば、この勝負、持っていかれる!)

 故に八幡力に対し、八幡力で応じざるを得ない。応じなかったならば、それは相手の八幡力が上であると認めることに他ならないからだ。

 何度目かの火花が、昼なお暗い北関東の山中を照らす。

「荒魂の姿はあるか」

「確認出来ず。ねねの姿も確認出来ません」

 遠巻きとはいえ、複数の視点からライフルの高精度スコープで捜索する特駆隊だが、薫と弥々切丸の近くに居るねねの姿は見えない。何処かに潜んでいるか、或いはさらに山中深くに逃れたか。

「日向二等陸士を支援出来るか」

「現在距離二百。この距離なら外す隊員は居ません」

 分隊長の傍らの副長が、さらりと言う。

 これは事実である。そういう技量の精兵が選りすぐられてここに居るのだ。足を止めて斬り合ってくれているなら、この距離なら命中確実である。

「特に技量を高い者を選抜せよ。対象が写シを張っているか確認」

「確認出来ます、写シを張っています」

「よし、弾種は対荒魂用高速貫通弾を使用、弾を体内に残留させず貫通させる。念のため、致命的な部位を確実に避けられるタイミングを見計らえ。…では、各個の判断で射撃開始」

「了」

 何合目かの打ち込みが火花を散らし、間合いが開いたその時であった。

 三条の銃声は、一条に聞こえた。 

「がっ!」

 三方向から軸足を何かに射抜かれた。

 がくり、と体制を崩す薫の耳に、銃声が今届く。何が起こったか理解した。撃たれたのだ。

「…!」

 野々美にはもちろん、チャンスであった。

 殺傷が目的なら、ここで躊躇いなく突く。ブレーキを掛けたのは、ダメージで写シが飛ぶ可能性を恐れたからだが流石歴戦の薫。ダメージには慣れていた。

(すごい…足が千切れるくらいのダメージなのに持ちこたえるなんて)

 だがこれで終わりにする。

 日本号で弥々切丸を巻き落とし、取り上げてしまうつもりであった。そうなれば薫は刀使としての能力を失う。大きく体制を崩しているこの一瞬ならばそれが出来る――

「ねねー!」

「!?」

 その時、茂みから飛び出してきた何かが、横合いから野々美に体当たりする。

「ねねちゃん!?」

 やはり隠れ潜んでいたのだ。まともにぶつかりはしなかったが、咄嗟に身を躱した御陰で好機は去った。薫は体制を立て直していたが、狙撃担当の兵も既に次弾を装填していた。

「ねねねねねねー!」

「馬鹿! 止めろ戻れ!」

 子犬くらいであったねねの質量が、爆発的に増していく。

 中世備州を震撼させた巨獣、弥々がその正体を現しつつある。

(不味い)

 相手がライフルだけなら何の問題もないが、今や彼らには珠鋼兵装がある。あれにまともにやられれば如何な弥々とて致命傷だ。

 それだけではない。

 ねねと共に潜んでいたチビ荒魂のタマが、バレーボールどころの大きさでは無くなっている。それだけでなく、見る見る膨れ上がっていく。

 間違いない。薫や野々美、特駆隊の兵たちの害意に反応し、穢れを得ているのだ。

(やべえ、このままじゃあ)

 始まってしまう。

 荒魂退治の実戦が、である。そうなれば弥々は、どちらの味方をするのか。

 実弾で薫を撃った陸自側の味方をするとは、全くもって考えられなかった。

(くそ…早く戻りやがれ!)

 足を吹き飛ばされるダメージをS装備無しで受けたのだ。写シが吹き飛ばなかったのが奇跡だ。身体は鉛のように重い。

 

KaooooooooN!

 

 今や完全に正体現わした荒魂弥々の、咆哮(ウォークライ)が轟く。

 威嚇だ。

 縄張りを冒された獣のように、弥々が人類を威嚇している。

「弥々です! 弥々が現れました分隊長!」

「見れば分かる! こちら前線指揮! 弥々が巨大化、攻撃態勢! 先制攻撃の是非を問う!」

『こちら演習本部。状況が変わった。演習区域に何者かが侵入。実弾使用の許可は出来ない』

「なんですって…!」

『撤退せよ。荒魂撃破も討伐も無用、兵の安全を最優先とする』

 荒魂と市民を間違えて撃つような兵はここには一人も居ない。しかし、リスクは常に存在する。跳弾や流れ弾が民間人に当たらぬとも限らないのだ。

「止む無しか…了解! おい日向、撤退だ! 聞こえてるのか、撤退だぞ! 応答しろ!」

「…」

 薫は確かに言ったのだ。「ねね、止めろ」と。

 この状況は、益子薫の本意ではない。

「ねえ、何故!?」

 野々美は声を限りに叫んだ。

「何故荒魂の味方をするの!? どうして!? 薫ちゃん!」

「お前ら、山を降りろ」

 問われた薫の応答は、対照的に静かであった。

「ここから先は、俺たち益子の者の仕事だ」

 

***

 

 弥々の咆哮は、麓の演習本部にあっても聞こえて来た。

「まさか演習中に、本物の荒魂に遭遇するとは…」

 幕僚の一人が、声に出して呻く。

 日向士郎三佐にあっても、想定外の事態であった。槍者班の娘たちを連れて来たのも、演習に伴った妹の野々美に、「経験を積ませて上げたいから」と懇願されたからであり、見学はさせても、特祭隊のゲストの参加する演習に御槍を持たせて参加させるつもりは無かった。「写シは張れる」と報告は受けているが、特別祭祀機動隊の中等部一年生に勝てるかどうかも疑わしい。

 因みに伍箇伝各校において荒魂と直接戦闘するのは、専ら高等部まで進んだ娘であり、文字通り「三年早い」状態であった。本物の荒魂と戦わせるなどとんでもないし、討伐など夢の夢である。

 日向の妹、野々美のみが唯一の例外であり、ここに至るまでの野々美には、相応の実戦経験がある。荒魂災害のさなか偶然にも手にした天下の名槍で、陸自唯一の対荒魂秘密兵器としてここまで濃密な経験を経てきている。

 荒魂出現が報じられ、それが非常に小型であると知れた時点で、野々美に処置させるつもりであった。

 しかし荒魂に弥々が味方し、さらにそれに益子薫まで味方する事態に至っては、隊の現在の対応能力を超えている。

「やはり、伍箇伝は人類の敵、というわけか」

 誰知らず、日向司令は呟く。

 本部テントの内の全員にこれは聞こえたが咎める者は誰も居ない。

 防衛庁の主流の認識で、それはあったからだ。

 関東大災厄の際、防衛庁と協力関係にあったのは伍箇伝にあって非主流反乱勢力であった舞草(もくさ)を前身に、再建された特別祭祀機動隊であった。舞草に中央を追われた伍箇伝旧主流はタギツヒメと手を組み、生徒を冥加刀使に仕立てて人類を襲った。陸自は駆り出されたタキリヒメ警護から大災厄に至るまで、相応の犠牲を払っている。自衛官の殉職者の過半は、伍箇伝によってもたらされたものなのだ。

 現在伍箇伝を取り仕切っているのは、関東大災厄の首班たる折神紫の妹朱音である。紫の実の肉親から、「姉はタギツヒメに取りつかれて人類に仇為した」と説明されても鵜呑みに出来るものではない。

 防衛省が、紛い成りにも協力関係にある伍箇伝に内密に玉鋼兵装の運用を始めたのにも、このような認識が根強くあるからであった。

「日向司令」

「どうした」

「演習予定区域の封鎖に当たっていた第二分隊より、状況中止の具申です。山中に向かう市民をカメラが発見したそうなのですが…」

「ですが、なんだ」

「これをご覧ください」

 差し出された携帯端末に表示されたのは、精度がいいとは言い難い画像である。

「…伍箇伝の刀使である可能性が高いと報告されています。現在追尾中もまだ接触出来ていないとのことです」

「一人、か」

「制服は、色調からして長船のものではなく、綾小路か錬府のものですが…益子薫は救援を呼んだのでしょうか」

「可能性はある、通信を遮断してはいないからな。が、一人とは数が少なすぎる。無人偵察機はどうなっているか」

「すでに山中に向け飛行中です」

「警戒を密にせよ。他にも居るはずだ」

「それには及びまセン」

 本部テントの入口に、一斉に視線が集中する。

 本部に留まる特駆隊の全員に、聞き覚えの無い声であった。

 女の声であった。

「特祭隊の命令を受けた正式な救援は、ワタシだけデス。その画像に居るコはイレギュラーね」

 今や敵の本丸と化した特駆隊の演習テントに正面堂々、単騎乗り込んだのは薫の相棒、古波蔵エレンであった。

 

***

 

「繰り返す。発砲はするな。ただちに退去せよ」

 そう命じ通信機を置いた日向三佐は、改めて闖入者に向き直る。

「さて、何処から入った。歩哨が居た筈だが」

「安心してくだサイ、峰打ちデス」

「つまり押し入ってきたのか、特祭隊」

「ノー、乱暴されそうだったから仕方なく、デス。エスコートはもっと優しくネ」

 パチリ、とエレンはウインクして見せる。

(司令。隊の玉鋼兵装は全て前線です。刀使への対応能力は…)

(分かっている。帰還を急がせる)

 傍らの幕僚とのこのやり取りは、ハンドサインで行われた。

 特駆隊固有のものであり、傍受の危険は少ない。しかし、何らかのやり取りが為されたことは察知されて居よう。

 刀使への対応能力は、対荒魂と同様、高いとは言えない。そもそも荒魂も刀使も神通力の塊のようなものであり、士官携帯の拳銃で戦うことは難しい。演習中の「事故」として益子薫が殉職することも有り得るように、今ここで特駆隊司令部に「事故」が起こらないとも限らない状況であった。

(上手くいきましタ)

 一方エレンは、特駆隊を薫から遠ざけるという第一の目的を達したと言える。

 正直、ここまで状況が悪化するとは、エレンの念頭にはなかった。薫は「荒魂を庇って」交戦したというのが陸自の認識であり、陸自は薫に対し発砲までしているようだ。

 そうでなくとも特祭隊、ひいては特別刀剣類管理局の信頼は失墜している。「特祭隊の刀使の一人がまたも人類を裏切った」と主張すれば世論は自衛隊側に傾こう。その目算があるからこそ実弾の使用を許可したとすれば目の前の三佐は相当な切れ者だ。

 しかし、警官に準ずる特祭隊員に発砲したのみならず、不法に玉鋼兵装を隠し持っていた自衛隊の立場も決して付け入る隙がないものではない。

「ところで薫は何処に居ますカ? ワタシたちは真庭学長に言われて、応援に来たのデスが」

「ワタシたち、とは君以外に誰かがいるのか、古波蔵エレン君」

「今こっちに向かってマス。あー、そのイレギュラーちゃんは、荒魂が出たって聞いて飛び出していっちゃいました。演習中の山中を探すには、こっちに断りが必要ですヨネ?」

「現在、隊の者がそのイレギュラーとやらを追っている」

「捜索を行いたいのはそのイレギュラーちゃんだけではありまセン。通報のあった、荒魂に関してデス」

「君は、益子薫の応援に来たのではないのか」

「それが、その薫から荒魂出現の連絡があったみたいで、これにも対応するよう、ついさっきオーダーが追加されちゃいましタ」

 三佐の後ろで、本部要員たちが顔を見合わせる。

 それが事実ならば、益子薫は特祭隊本部に連絡を入れていることになる。さらには薫の行動に容認を示しているとも受け取れる。

「益子薫は恐らく、荒魂と共に行動していると思われる。荒魂を庇って隊を攻撃したと前線より報ぜられ、演習本部は今それの対処について指揮していたところだ。これについては我々からも確認を取りたいのだが、我が隊を火器によって攻撃したのは特祭隊本部の指示か」

「カキ? 秋にはまだ早いデスヨ」

 エレンはとぼけたが、内心は冷や汗ものである。

 火器を使用したなど初耳だ。奪った銃で発砲でもしたのか? 兎も角、警官に準じる薫が自衛隊に銃を向けたら大問題である。

(薫ってばもう…勘弁してくださイ)

 だが愚痴ることは出来ない。ここはすでに敵の本丸と化している。それを承知で乗り込んできたのだ。

(うう…あとで、憶えててくださいネ)

 文句を言いたければ、薫を無事、死地から連れ戻すしかないのだ。

 

***

 

「まさか姫和ちゃんが来てくれるなんて思わなかったよ」

「当たり前だ。死なれてたまるか。あいつを斬るのはこの私だ」

 まさか現実にこのセリフを聞くとは思わなかったと衛藤可奈美は、傍らの安桜美炎(あさくら・みほの)と顔を見合わせる。ちなみに二人は、可奈美の兄の定期購読していた少年ジャンプをこっそりすくねて回し読みしていた仲である。

「いやただ斬るだけでは面白くないな。先ずは皆の目の前で、捕らえた奴の胸囲を測ってくれる。そしてそれをみて鼻先で笑ってやる。くくく、すぐには斬らん、じわじわと、じわじわとな…」

 まさか現実にこのセリフを聞くとは思わなかった。これがフラグという奴かと六角清香(むすみ・きよか)が感心する。ちなみにこのフラグを立てたら、大抵後で逃げられる。

「…しかし、集まりも集まったな。皆薫の為に集まったのか」

「信じがたいですがそのようです。古波蔵エレンがラインに投稿した後、真庭学長のレスが付いたあたりから続々と集まり始めました」

 そうして集まった有志を車両に満載したら、今のような有様となったという訳だ。

「認めたくはないが、ああ見えて信望があるんだな、薫の奴め」

「人徳、と言った方が適切でしょう」

 女性のやりとりとは思われぬ口調のこの会話、姫和に対し木寅ミルヤ(きとら・-)が応えている。ミルヤが隊長を勤める特祭隊最精鋭たる「調査隊」は当初、「赤羽刀」の調査収集を目的にした任務部隊であったが、過日人類として記録上初めて幽世に侵入し荒魂を討伐し生還を果たすという大偉業をやってのけていた。

 その調査隊隊長、木寅ミルヤの直接の部下が七之里呼吹である。

「それにしても全く、七之里呼吹にも困ったものです」

 ミルヤは嘆息する。

「早く合流しなければ、何をしでかすか…討伐での働きは確かなのですが、益子薫が一緒なのが気になります。彼女が居るなら益子の守護獣ねねも居るハズ、勢い余って、ということが無いとも限りません」

「きっと大丈夫。ああ見えて常識のある、素直なコよ」

「恐らくそれは瀬戸内智恵(せとうち・ちえ)、貴方に対してだけです」

「そんなことないわ、ミルヤさん。あのコ意外と、気遣い上手なところもあるんだから。きっとミルヤさんが困るようなこと、しないと思うわ」

 瀬戸内智恵(せとうち・ちえ)は調査隊の副長の任にある。

 連携に長けた長船女学園の高等部高学年として培った十分な指揮能力に加えミルヤに手の届かない、仲間への細かい気配りが出来る人物であり、傍目に可奈美や姫和は改めて、結隊当時の折神紫本部長の人選の妙に感じ入る。

「おい、お喋りはそのくらいにしろ、舌噛むぞ」

 運転席から怒鳴ったのは智恵と同じく長船女学園高等部、舞草出身の米村孝子(よねむら・たかこ)である。運転しているのはSTT隊員私物の軽トラであった。なおちゃんと免許は持っている。警察官に準じる特祭隊員には何かと便宜が図られるのだ。

 すぐ後続の車両は孝子の同僚、小川聡美(おがわ・さとみ)が運転している。

 そのさらに後ろ、さらにその後ろ、さらにさらに後ろ――全てのクルマの荷台といい座席といい所せましと刀使が満載されている。

「何人来てるんだろう。数えきれないわ」

「薫…凄い…」

 隣合わせに座った柳瀬舞衣と糸見沙耶香が声に出して呟く。

「有能な怠け者は、有能な働き者に将才で勝る、と云いますが、どうも本当の事のようですね」

「それはない」

 ミルヤの考察を、姫和はサクっと切りすててしまう。

「…あ、そういえば由衣は?」

 由衣、とは例の、山城由衣(やましろ・ゆい)のことであろう。

「特に召集を掛けているわけではありません。居ないということも…」

 言う端から、後続の車両で、先頭車のここまで聞こえる黄色い悲鳴が上がる。

「…居るみたいだね」

「…そのようですね」

 木寅ミルヤ、どうやら本日の頭痛の種が、また一つ増えたようである。

 

***

 

 北進してくる特祭隊の車列の情報は、程なく演習本部にもたらされる。

「司令、市ヶ谷から状況の問い合わせが来ていますが…」

「こちらも問い合わせ中だと応えろ」

 にべも無く、日向司令は命じる。

「いいんですカ。大事な電話じゃないんですカ」

 ニンマリ、と古波蔵エレンは人の悪い笑みを浮かべる。

 真庭本部長代行を巻き込んで騒ぎを大きくした甲斐があったというものだ、少し大きくなりすぎている気もするが。三十にも達しようかという精兵刀使に対応する能力は、恐らく、世界中のどの軍隊にも無いであろう。

(この上もない圧力デス。皆ありがトウ)

 自衛隊とケンカをする必要などない。薫の安全を確保する後押しになればそれでいいのである。

「我が隊は兵数二個分隊100名、玉鋼兵装は12本余りです、司令。対応能力は…」

「全隊、弾倉にソフトポイント装填。対刀使戦闘に備えよ」

 日向司令は眉一つ変えず命じ、エレンからは笑みが消える。

「本気ですカ」

「専守防衛。これは国是であり隊是でもある」

 日向司令の答えはこうであった。

「我々には常に最小限度の装備しか与えられず、その上で敵の攻撃の有るまでは決して引き金を引くことは許されない。軍隊が敵に勝利することを目的とするなら我々は軍隊ではない。乏しい戦力の我々は戦いとなれば敗北は必至。だが相手も無傷では決して済まさぬ。それが我々の戦だし、他にどのようにしようもない。現在の状況、まさに我々が常に置かれてきた状況だ」

「ワタシたちと、実弾で戦うのですカ?」

「特祭隊は珠鋼兵装の威力を、我が隊に使用するがいい。攻撃してくるとなれば我々は自衛権を行使する」

「――」

「荒魂の中には、弥々のように人間に味方する者も居ると益子薫は言っていた。ならば人類にも荒魂に味方するものがいてもおかしくはない。…お前たちはどうなのだ、特別祭祀機動隊」

 

***

 

 ノロを体内に受け入れた人間は破壊に飢え渇くと、衛藤可奈美や十条姫和に、聞いたことが有る。実際にノロを摂取した人間に聞いたのだと二人は言っていた。

 ノロが実体を得た荒魂は、故にただ壊す。

 食べたり、眠ったり、子供を作ったりといった命の営みを一切行わず、命が命であるが故にもたらす欲望の類は全て、壊すことで満たす。

 それがどんな気持ちであるのか、人間である薫には想像だに出来ない。

(苦しいか? タマ)

 今や人間大に大きくなったタマが、本当に苦しんでいるかどうかは分からない。

 ただ、飢えていては苦しかろう、渇いていては苦しかろうと思った。

(今俺が楽にしてやるからな…)

 タマであったものは、どういう訳か山頂方向を目指して登っている。

 ノロが一たび荒魂となったなら、第一に人間を目指す。御刀を持った人間はさらに優先される。

(しかし…何故登る?)

 荒魂に成りたてのタマが狙うなら下だ。麓の方に向かえばそこには獲物の陸自が沢山いるはずだ。その中には珠鋼を持った人も居るというのに、それに背を向けて登るとは?

 最近では、ノロ同士で引き合う性質も確認されているとはいえ、荒魂の目標となるようなものが山頂付近にあっただろうか。

(心当たりねえな…いや、待てよ)

 薫は懐からタブレット型のスペクトラムファインダーを取り出し確認すると、

『薫へ。七之里呼吹が演習場の封鎖を突破して山頂方向に向かったみたいデス! 狙いは多分荒魂だと思いますケド、くれぐれもねねと鉢合わせさせないよう注意ネ!』

 などと、古波蔵エレンより書き込みがなされている。

 エレンと薫の私室ではない、刀使なら皆見る部屋への書き込みだ。

(七之里呼吹が来てるのか? いやいや、待て待てこりゃあ…)

 エレンからの書き込みには同じ舞草出身の瀬戸内智恵にレスがなされ、その上に真庭紗南本部長代行より「呼吹の奴め…」などと一言のみだが書き込みがされている。そうこうしていると当の呼吹より、「愛を探して旅の途中だ」などと適当なコメントがある。

「大丈夫か、薫! 大丈夫かねね!」

「ねね大丈夫? 呼吹ちゃんに斬られてない?」

「薫はいいけどねねが心配」

 こんな感じのやりとりが続いていて、薫は苦笑するより他にない。

 しかしその後、「戦闘が始まりやがった。銃声が聞こえる。荒魂らしいもんが吠えてる」という呼吹の書き込みがあり、続いて「薫が撃たれたみたいデス。これから陸自演習司令部に事情を確認しに行ってきマス」というエレンの書き込みがあったあたりから多方面から問い合わせが集まり始め、今に至るもどんどん増えている。

「あー、こちら俺。自衛隊との演習中にモノホンの荒魂と遭遇。荒魂は大型化し山頂方向に逃亡、追尾中。応援は無用。以上生存報告」

 手入力している暇はない。山中を駆けながら音声で生存報告を入力する。

「全く大騒ぎし過ぎだ――って大騒ぎにもなるか」

 仮にも警官である薫が自衛隊と戦闘になったのだ。その自衛隊は未登録の玉鋼刀剣を保持していたのだ。公になったら大騒動である。

(特駆隊が後退してくれて助かったぜ)

 その大騒動が、現在進行形で生起しつつある。そしてどうもそう仕向けているのは薫の相棒、エレンの仕業のように思われる。

 薫の身に演習中の不慮の事故を発生させぬ為、エレンが奮闘してくれていることは間違いない。特駆隊の後退は、おそらくはエレンの援護射撃によってもたらされたものなのだ。

(持つべきものは頼れる相棒だな。あとは…)

 タマに追いついた。

 タマが急停止したからだ。

「見つけたぜぇ、愛しの荒魂ちゃん」

 目深に被ったフードのせいで、視線は明らかではない。

 しかしその口角は、耳元まで裂けているかのように、薫には見えた。その牙で荒魂の生命を喰らう、異形の人獣。

 間違いない。タマの狙いは呼吹だったのだ。

 特駆隊の恐怖よりも、呼吹の狂気に引き寄せられたのだ。

「馬に蹴られるのを承知で言うが、すっこんでろ呼吹。こいつは、俺がやる。いいや俺がやらなきゃならねえ」

「あ? 誰がやったって同じだろ。悪さをする荒魂が消えてくれりゃあ世間様は皆満足。真庭本部長代行もニッコリだ。それとも何か? 今月の討伐ランカーでも狙ってるのか」

「討伐スコアならお前にくれてやる。そんなもん欲しいと思ったこともねえ。だけどこいつは譲れねえ」

「こっちも譲れねえって言ったら?」

「――」

 これ以上の言葉は無用だろう。話の通じるような相手ではないし、刀使である者の誰かに話して理解してもらえるようなことでもない。

 弥々切丸が、天を指して聳(そび)える。

 蜻蛉(とんぼ)――幕末日本を切り開いたと言われる薬丸示現流を代表する構えである。

「マジか。こっちは荒魂以外にゃ興味ねえんだがな。邪魔するとあっちゃあ…」

 何時の間に抜いたのか。

 猫が爪を伸ばすかのように、呼吹の両手に、二本の小太刀が出現する。

「仕方ねえ!」

 普通両手にモノを持っていたら走行には支障をきたす。それも持っているのは一キログラム弱ほどもある小太刀である。しかし七之里呼吹の場合、諸手の小太刀がまるで、飛鳥の使う翼のようであった。水魚の使うヒレのようであった。

 真っ向から、疾走してくる。

「…仕方ねえ、な!」

 薬丸示現流+八幡力。

 まともに喰らえば主力戦車もひしゃげるであろう斬撃を、呼吹はもちろんまともに受け止めにはいかなかった。それどころか相手にもしなかった。

 大地を一蹴りし、遥か高空を舞う。

(…ちぃ! しまった!)

 はなから狙いは薫ではなかった。

 薫の遥か頭上を飛び越し、狙うはただ荒魂、一直線――

「アイシテルぜ! 荒魂ちゃん!」

 タマはかなり大型化していた。今や大型の牛馬程はある。

 だがそれしきの荒魂であれば、幾体も退けて来た呼吹である。恐れも躊躇いも無かった。諸手の二本の牙を、上下の顎の如く振りかぶる――

「!?」

 その時呼吹は異変に気付いた。

 地面に落ちる己の影が、異様に大きい。

(いや、違う!)

 己の影ではない。

 咄嗟に体を入れ替え、諸手の牙を、盾へと変える。

 空手で言う所の十字受け、クロスアームブロックは正面よりの打撃に対して最も堅牢と言われるガードであったが、この場合意味があったかどうか。

「ぐあ!」

 ラケットか何かでピンポン玉をはたくかののようだった。呼吹を、上空から地面目掛けて叩きつけたのは、今や正体現わした、巨獣弥々であった。

 ドン、と山が揺れた。

 先ほどの薫の投石とは比べ物にならない衝撃であった。当然だ。石くれと人体とでは質量が桁違いだ。

 

カオオオオオオ!

 

 金属が発したとも、生物が発したともつかない咆哮を、弥々が発する。

 勝利の雄叫びであった。

「ばか弥々! 無茶するな!」

 もちろん、呼吹を殺すつもりは薫には無い。争うつもりすらなかった。ただ、タマのことを任せてもらえればそれでよかったのだ。しかし――

「…もう一体居たのかよ」

「!?」

 普通死ぬ。五体が残っていればまだましだ。写シがあったとしても刀使生命が断たれてもおかしくないほどのダメージが、アストラルの方に入ったはずだ。

「それも超大物じゃあねーか。遊び甲斐がありそうだぜ…!」

「…金剛身か!」

 むくり、と起き上がってきた。

 エレンほどの達人ではないにせよ、呼吹は金剛身の技を得ていたのだ。

 一対一の試合であれば写シがあれば護身に事足りる。しかし現場では不測の事態は起こるものだ。それを想定して金剛身を学んだとすれば、エレンと同じく、究めて実戦型の刀使であった。

「さあお返しだ! 行くぜデカブツ!」

 目の色が変わっていた。伍箇伝史上においても屈指の生涯討伐数を誇る呼吹のキャリアにおいてすら、めったにお目にかかれない超大物。

 当然ながら大型化したねねの姿を見たことは呼吹には無い。正体がねねであるなど思いもよらぬし、そもそもねねの存在が頭から蒸発していた。

 もちろん、弥々の方も大人しくしてはいない。咆哮をほうき星の尾のように引きつつ、一直線に向かっていく。

(不味い…)

 二王清綱、北谷菜切、何れもが弥々に致命傷を与えうる。七之里呼吹は、荒魂に対しての殺傷能力は並みの刀使の倍火力を持つ刀使なのだ。

 弥々の方もタダでやられはしない。人間の胴回りほどもある腕の一撫でを受ければ、並みの刀使の写シなど簡単に吹っ飛ぶ。

 ようするにどちらかが死ぬ。下手をすれば両方死ぬ。

(ちいい…!)

 間に割り込む。迅移なら間に合うかもしれない。

 両方にやられるかもしれないが仕方ない。何とかするしかない、何とかなるとは限らないが――

(ダメージに備えろ! 歯を食いしばれ…!)

 悲壮な覚悟で薫が地を蹴った、その時だった。

「うお!?」

 呼吹の眼前に突如何者かが出現した。

 呼吹が急停止しなければ、そいつが構えた槍に自分からぶつかって串刺しになっていただろう。驚くべき反射神経であった。

「何しやがる! 何もんだてめえは!」

「あたし、日向野々美! 槍は、日本号!」

 構えた槍の主は、野々美であった。

 

***

 

 この国にはひと時、刀使を失った時期があるのだと兄は言っていた。

 敗戦後、GHQの行った御刀狩りによってである。徴収された御刀は東京都赤羽に集積され、後米国へと輸送される途上、海難事故でその全てが喪失したのだと。

 この後、占領軍は刀使たちに代わり荒魂と対峙し、少なからぬ犠牲を――兄の話では一方的に――払ったのだと。

 程なく刀剣の所持や本邦固有の武技の練習が認められ、ついには自衛隊の前身、警察予備隊が発足。GHQが日本を引き払うに至った時人々は囁き合った。怒れる荒魂、奢れる鬼畜――連合軍をさす――を追う、と。

 占領軍が払った犠牲は、一説には沖縄戦を上回るとも言われる。

「ここにある刀は真剣ではありますが、儀仗隊が用いるもので珠鋼は使用しておらず、貴方がた警察の言われるようなものではありません」

「それは何度も聞いた、それを確認する為の立ち入り査察だ」

「ですから高裁の令状だけじゃ自衛隊の兵装を査察することなんでできませんから! 立ち入りの許可は――」

 妹は、兄の押し問答を固唾を飲んで見守っていた。

 立ち入ろうとしているのは特別刀剣類管理局の人たちで、門前払いにしようとしているのは旧陸軍中野学校跡地を利用した資料管理施設の当直責任者である兄だった。その妹である己は、兄の手伝いで受付をしていたのだが、いつもの手に負えない連中が来たから兄を呼んだのである。

「…全く、何度来ても同じだ。どうしても中を見たければ防衛相か総理でも連れてきてくれ」

 戦後の御刀には、三種類ある。

 一つは、地方の集積所に一時残置されていたなどの理由で水没を免れ、後珠鋼兵装を恐れて手放したGHQより返却されたもの。

 一つは、水没した後海底などより回収された、所謂赤羽刀を研ぎなおしたもの。

 もう一つは、GHQの御刀狩り自体を逃れたもの。

 一つ目と二つ目には基本的に登記があり、この全てを特別刀剣類管理局によって管理されていることになっている。

 三つ目においては、現在に至るも登記が無い者が存在する。それら全てを登録特別刀剣とするのが特別刀剣類管理局の仕事であり、それ故に幾度となく押しかけてくるのだと兄は言う。

 だが今回も、その前と同じに追い返した。

 次に来てもまた同じように追い返せばいいと、思っていた。

 この時は知らなかったのだ。特別刀剣類管理局がその実、指導者が禍神に乗っ取られ、荒魂の手先となっていたことを。

「うわ!」

「ぎゃああああ!」

 この時、産まれて初めて人の断末魔を聞いたのだと思う。

(…? なに?)

 なんだろう、今の声。

 感想はこのくらいなものだった。

 今の今まで、そんな場面に出会ったことが無かったから。まさか出会うことなんてないだろうと思っていたから。

「荒魂だああ!」

 え? 荒魂?

 そう思った時自動扉が開いたが、多分開かなくても結果は変わらなかったろう。扉に入りきらないほどの赤錆びた巨体が、扉自体を打ち破って入ってきたからだ。

(…!?)

 錆びた鉄の巨獣には口があって、なにかを咥えていた。

 さっきまで誰かのものだったであろう、人間の四肢だった。

 口の右から足が、左から腕が出ていた。

 けど、その足と腕との間にあるべき胴体がすっぽりと収まるには、獣の口は小さかった。じゃあ胴体はどうなったのか――考えたくも無かった。

 獣がこっちを向いた。

 目と思しき部位は確認出来なかったが、そう思った。

「…ひ!」

「こっちだ!」

 手を引っ張られた。

 兄だった。

 走った。階段を下っていく。

「ここなら…」

 兄があたしを引っ張り込んだのは、一度も入ったこともない地下室の鉄扉の奥だった。

 頑丈そうな鉄扉だった。これなら、あの化け物もそう簡単には入ってこれないはずだ。けど、ここは?

「ここ、何?」

「外の物(とのもの)」

「とのもの?」

 常夜灯のみの照明となった、うす暗い部屋の中に安置されている多数の長柄。穂先には、鞘が被せてある。

「御刀は神の骨、という説がある。御刀は、珠鋼を加工して刀にしたものではなく、始めから刀としてのみ存在していたのだと。しかし、その柄や鞘は後の世に人が拵えたものだ」

「うん、授業で習ったことある、けど」

「神の骨である御刀は人間がどうこう出来るものじゃない。だけど、御刀の柄の代わりに長柄を着けて長巻にしたり、長刀にしたりしたものもある。敗戦後GHQが御刀を狩り集めたのは知ってるだろ」

「うん」

「その時、GHQの目を逃れるために柄を付けて、槍や長刀の恰好をさせることがあった。奴らは珠鋼武装が全て刀であると思っていたみたいだからな。ここには旧軍が、再起を期してそうして秘匿した珠鋼武装が安置されている。言わば世を忍ぶ仮の姿。…特別刀剣類管理局の剣術使いは、槍や長刀などの長柄を兵法の常道より外れた、外の物と呼ぶそうだがな」

 野戦に置いては刀は基本、サブウェポンである。戦においては槍、弓が主武器であった。

 だがそれは平和の世に在って用いられるものではない。

 平時においては侍は、刀のみを頼りとする。

 槍を取ることがあるとするならそれは平和が乱されるときである。平和が侵されるときである。

 よって自ら槍を取る行いは、好もしいものではない。自ら平和を冒す行いとなるからである。

 このような理由で、剣士は長柄の武器を「外の物」と呼んで遠ざけるのである。

 侍が槍を取るとき。それは主上(しゅじょう)の戦に召されたときである。主の戦に参じるときである。

 しかるに、彼ら自衛隊の主であるところの国が、自ら進んで戦を命じることは今や無い。

 法の禁じるところである。あってはならぬことである。

 よってここにあるのはまさしく、国内にあってはならぬ外の物なのである。

「珠鋼の武器がこれだけあるんなら、あいつを倒せるんじゃないかな」

「一本だ」

「一本?」

「珠鋼の槍はこのなかに一本しかない。後はみんなダミーの鉄の槍だ。特別刀剣類管理局がここに来初めて、他所に移したからな。それがどれかは、校長にしか分からん。それにもし珠鋼の槍を手にしたとしても、槍が認めなければ威力を発揮できない」

「それでも…」

 言いかけた言葉は頭の中から吹き飛んだ。

 言ったとしても聞こえなかったろう。鉄で鉄を思い切り叩いた時のような、身も竦む音とともに鉄扉が隆起する。

 向こうで何かが扉を、硬いもので叩いているのだ。それも、一撃で丈夫な扉のカタチが変わる程の力で。

「くそ。逃がすつもりは無いか。隠れてろ」

 いつの間にか兄は、その手に銃を握っていた。士官の兄の携帯するのは機関拳銃と言われる小型マシンガンであるが、それが荒魂に有効ではないことは、知っている。

 再度、扉が鳴った。

 前の音とは違った。前は金属同士がぶつかる音だったが今度のは金属がねじ切れ、割れる音だ。

「こっちだ、デカブツ!」

 乾いた銃声が連鎖する。

 うす暗い室内を、マズルファイアが目まぐるしい陰影で彩る。

 それで荒魂が、兄に気付いた。

 それだけだった。何等かの痛手を受けているようにはまるで見えない。

(ダメだ。本当に、銃は効かない)

(なら…)

 荒魂が入ってきた。

 無茶苦茶に潰れ、力尽きた鉄扉が、ガランガランと床に落ちる。 

(ここにあるっていう珠鋼の武器なら――)

 だが、二桁では利かない数の槍の中のどれがそうなのか? 

 兄の話では本物は一本だけ。後はダミーなのだ。では、どれが?

(考えたって分かんないよ!)

(やるしかない!)

 兄は弾倉を捨てた。

 空になったのだ。

 次の弾倉を素早くセットする。

 荒魂は――兄へと歩いた。ゆっくりと、だ。どうもこの獲物には逃げる様子がないから、急がなくてもいいとでも思ったのだろう。

「逃げろ! 野々美逃げろ!」

「やああああああああ!」

 兄が喚いた。

 あたしは――

「はあっ…はあっ…は…」

 気づけば巨獣は居なくなって、足元の赤く光る泥濘は、床の隙間へと沁み消えていく。

「野々美…お前どうやって…」

「分からない。たまたま…」

 どうやって見分けたかなんて分からない。

 たまたまだ。運よく手に取ったのが数十分の一本の珠鋼の武器だった。それがたまたまあたしに力を貸してもいいって気まぐれに思ってくれた。だからたまたま荒魂を倒せた――

「…いいや違うな。10パーセントにも満たない偶然が続くものか。お前は槍に呼ばれたんだ」

「槍に、呼ばれた…」

「そうだ。選ばれし者を呼んだんだ。この天下三名槍の筆頭、日本号が」

 この旧軍学校跡地に秘匿されていたのは槍一本のみであり、珠鋼兵装として市ヶ谷に移送になったものもダミーであったと後になって聞いた。ここはたった一本の日本号を管理する為に維持されてきた施設だったのだとも、日本号が日の本第一槍と称された、折神家所有の天下五剣にも相当する名宝であることも。

 そして、襲ってきたあの荒魂が、特別刀剣類管理局が使役し差し向けたものであるであろうことも。

「これで明白となった。特別刀剣類管理局、いや警察庁は今や荒魂の手中。野々美、お前の持つ日本号だけが、人類に残された珠鋼の武器だ。今や、たった一条の――」

 野々美と共に唯一の事件の生き残りとなった兄はそれ以来自衛隊が独自に荒魂に対応可能となるべきだと提唱し、時の陸幕長、統幕長、防衛大臣、果ては総理に至るまで会って言葉を尽くした。荒魂も珠鋼も、決して警察庁に一任してはならない、と。

 関知せぬ、が黙認に変わったのは先の鎌倉特別危険物漏出問題が切っ掛けだった。

 この時特別刀剣類管理局には内紛が起き、荒魂に与した者たちを、人類側の刀使が駆逐したと云う。しかしそれ以後も、内紛は続いた。

 当時三尉に過ぎなかった兄は二尉になり、一尉になった。関東大災厄の折辞令が出て、新設の特別害獣駆逐隊司令に任じられ、待遇は佐官並みとなった。

 野々美は兄と一緒に走った。

 気づいたらここまで来ていた。この先何処まで行くのか――それはまだ分からないけど決めていることならある。

 この先も兄と共に走っていくこと。

 その為にも――

(山を降りろ、ここから先は、俺たち益子の者の仕事だ、って…)

(それじゃ分かんないよ。あたしバカだから全然分かんないよ)

(薫ちゃんは荒魂どうするつもりなの。薫ちゃんたちは今まで、荒魂をどうしてきたの?)

 ねえ。薫ちゃんは教官なんでしょ。

 だったら教えて。あたしに見せて。あたしたちはこれから荒魂と、どうやっていったらいいのか――

 

***

 

 降って湧いたわけではもちろんない。迅移で飛び込んできたのである。

(ついて来ていたのか!)

 特駆隊は全て退去したと思っていたのは誤りだった。

 野々美だけは、薫を追いかけてきていたのだ。

「邪魔すんのかよ!」

「そっちこそ邪魔しないで! あたしたちは薫ちゃんに、聞きたいことがあるの! …薫ちゃん!」

 何故、薫の味方をするのか。聞きたいこととは?

 分からない。

(日向野々美…あいつ…)

 しかし、これで余裕が出来た。

 ついにチャンスは訪れた。葬るべき時が来たのだ。

(タマ…)

 離れて布陣する相手に走り寄りて斬る。薬丸示現流においてはこの動作を習得するカリキュラムが正規に存在する。「打ち廻り」と称されるそれで、林立する敵兵に斬り込んでは、次々と斬り伏せて行く動作を繰り返し学ぶ。

 稽古嫌いの薫ですら、すらすらと繰り出せるようになるくらいに、先輩刀使に叩き込まれた技である。

(タマ…!)

 地を蹴った。

 迅移は使わなかった。

 出来れば逃げてくれ、そう思ったからだ。

 だがタマは逃げなかった。

 その場で球状に丸まる。確かに丈夫な外殻は、下手な鉄砲玉くらいなら凌ぐだろう。

(ダメなんだ、それじゃあ…)

 それでも弥々切丸は防げない。薫の斬撃は単純計算でも、小型の艦砲に匹敵する破壊力を持つ。しかも珠鋼の刀なのだ。とてもじゃないがそれでは防げない。確実に、タマはもとのノロへと還る。

(お前は丸いからタマだ)

 そう名付けたのは薫だった。

(ただのノロボールだって? ノロボールってなんだよw)

 放って置けばそのうち穢れを得られなくなり、もとのノロに戻るだろうと思っていた。

(人畜無害なちび荒魂を殺す必要なんてねえ)

(放って置けばいいんだ。互いのテリトリーを守ってれば俺たちは上手くやっていけるんだ)

 だからこいつを刺激しないでくれ、山頂に近づかないでくれ、そう思って薫は、特駆隊の精兵と対峙することまでしたのだ。薫たちが守るべき、同じ国に住む、同じ人々と。

「畜生…」

 食いしばった歯の奥から、そのセリフが漏れた。

 何度か、こんな気持ちになったことはある。

 それは多分、生まれた時からねねと共に在ったからだ。荒魂と共に在ったからだ。

 薫が荒魂を斬るたびに、ねねは悲しい目で薫を見た。

 そんな目で見られるのがいやだから、斬らずに済む荒魂は斬らないでおくようになった。しかし薫は斬らなくても、他の刀使が斬る。そうするとやはりねねが悲しそうにするから、なるべく薫が自分で斬るようになった。

 そんなことをしているうちに薫は稀代の討伐エースになった。

 誰も薫以上に荒魂のことを知らないから、荒魂が現れるたびに出張になる。特別刀剣類管理局一の働き者となってしまったのには相応の理由があった。

 ねねが嫌がるからだ。仲間であったものがノロに還っていくのを悲しむからだ。

 今までも必ずそうであったように、今もねねの視線を感じる。

「ちくしょう…」

「…おい!」

「薫ちゃん…!」

 呼吹と野々美のものであろう声が聞こえた。

 それで気づいた。

 斬っていない。蜻蛉に振りかぶった袈裟斬りは、まだ振りかぶられたままだ。

 意識に身体が付いて行ってなかった、のではない。従ったのだ。心の奥の本当の気持ちに身体が従ったのだ。

 ねねに悲しい顔をさせたくなかった。後で気まずくなりたくなかった。でもそうしてきた。

 今度もそうするのか。

 御免だった。

 もう沢山だったのだ。

「しっかりしろ薫! やられるぞ!」

 硬く丸まっていたタマが、結んだ拳を解くように、丸まっているのを緩めた。来るべき最期が何時まで経っても来ないから、不審に思いでもしたのだろうか。

 いや、違う。

 タマが模したと思われるダンゴムシの触角や無数の足。それらが全て、鋭利な刃物となって薫を狙いを定めていた。

 撓めたばね仕掛けが跳ねあがるように、それが一斉に放たれる――

(不味った)

 さっきも一度、足を吹っ飛ばされてる。もう一回やられたらもう写シは持たない。串刺しにされたまま写シが飛んだら後は推して知るべしだ。

 薫は瞑目した。他の誰でもない、躊躇った己が悪いのだ。この大きさになるまで穢れをため込んだらもう、後は死ぬまで人を殺し続ける、人血に飢えた鬼でしかない。そのくらいなことは分かっていたはずなのに…

「…?」

 しかし、来るべき最期が何時までも来ない。

 今度は薫が、硬く結んだ瞼を開く。

 そうすると、事態が把握できた。

 弥々の諸手が己を庇っている。その外殻がタマの無数の槍衾を阻んでいたのである。

(…ああ、そうか)

 ねね。お前にとっては同じだったな。

 荒魂の仲間を失うことも、俺という仲間を失うことも。

 同じ悲しいことなんだな…

「薫ちゃん!」

「ちいいいい!」

 そのタマの背部を、野々美と呼吹、二人の手に在る三つの珠鋼の刃が突き刺さる。

 

コオオオオオオオ、ン

 

 再びタマは吠えた。けどそれは、何か悲し気だった。

 多分、もう助からない。

 だが野々美と呼吹が突いたのは頑丈な外殻だ。深くはない。

 すぐに楽にさせてやれるのは、腹の側に居る薫であった。

「おおおおおお!」

 薫は雄叫びを上げた。

 それで何もかもを振り切った。

 弥々切丸の切っ先が、腹の側から背の外殻を突き破る。

 

キ、キ、キ…

 

 金物と金物がこすれ合う、かすかな音が暫く聞こえていた。

 だがすぐそれも聞こえなくなった。

 どっと崩れる。 

 大気中の水分が蒸気となって、白く気化した。高温のノロの仕業である。

 だがそれもじきに冷える。雲上へと昇っていくそれを、タマであったものの魂であるかのように、薫はただ天を仰ぎ、見送る。

 

***

 

「…ちっ」

 呼吹は舌打ちした。

 巨獣の姿であった弥々は、すっかり元の姿のちび毛玉に戻ってしまっている。

 結局これで、荒魂は一匹も居なくなってしまったのだから、険しい山を登ってきたのは全くの骨折り損となってしまった。

「…おい日向野々美とか言ったな。そいつはなんだ。槍のカタチの珠鋼刀剣なんざ聞いたこともねえぞ」

 不機嫌もここに極まった呼吹は、うろんな目を野々美とその槍に向ける。

「日本号は、陸自が管理してた御槍の一本なの。色々事情があって…特別刀剣に登録されてないみたい」

「うえっ。未登録刀剣なのかよ、めんどくせえ。どっかにしまっとけ、見なかったことにするぜ俺は」

「見逃して…くれるの?」

「関わり合いになりたくないだけだ、勘違いすんな」

「ありがとう! 二刀流の刀使ちゃん!」

「ぐっ…」

 まぶしすぎる満面の笑顔から逃れた呼吹は、地に突き立った二振りの小太刀を引き抜き鞘に納めると、薫に歩み寄る。

「…」

 薫は、呼吹が近づくのにも気づかぬようだった。

 いや気づかぬのではなく、関心を持たぬようであった。

 呼吹がその気なら、何時でも腰の二刀をどてっ腹に差せたであろう。

 そうなっても構わない、そんな風にも思えた。

「…荒魂を殺り続けてりゃ、何時かは歯が立たねえほど強い荒魂に出会う。きっとそいつがアタシらを、あいつらが待ってるあっち側に送ってくれる」

 呼吹の声は、ことさらに低い。

 その右手が、薫の左肩を、強く掴む。

 その手に噛みついてやろうかと毛を逆立てるねねを、薫は手で制する。

「それでいいのか、お前は」

 どこか上の空のように、薫はそう問う。

「いいに決まってるだろ。アタシは荒魂を殺す。荒魂はアタシを殺す。それでいい。それがいいんだ」

 不思議な問答であった。

 呼吹と薫の会話のようでありながら、己の中の誰かに言い聞かせているような、会話であった。薫を励ましているようで、呼吹が自身を励ましているようにも思われた。

「アタシはな。荒魂に命を預けてる。けどどういうわけか好きにしていい預けた命をあいつらは後生大事にまた返してくれるんだ。アタシがまだ生きているのは、そんだけの理由なんだ」

「イカれてやがる」

 一方薫も、答えはしたものの呼吹を見ようとすらしておらず、心は未だここに在らずのように見える。

「今にお前にだって来るべき時が来る。そしたら、今あっちに逝った、あいつにも会える。またあいつに会いたきゃあ、狩り続ければいい。そうすりゃ何時かあいつの仲間が、あいつの仇のアタシらをあの世に送ってくれる。あいつの元にアタシらを送ってくれる」

「ついてけねえな、お前には」

「愛のカタチは人それぞれってことさ。荒魂に名前を付けて、そいつが死んだら涙を流すなんてイカれてる。けど、アタシがアリならお前のようなのもまあ、アリなんだろ、きっとな」

 そう言って掴んだ右手を離し、それからその手で薫の左肩を二度、ぽんぽんと叩いた。

「…ねねはさ」

「ん?」

 誰にともなく、薫は語り始める。

「ねねは、荒魂なのに穢れが無いんだ」

「ああ」

 呼吹を見もしていない、独りごとのような薫の言葉に、呼吹は相槌を打つ。

「ヒトが大好きでとりわけビックバストが好きすぎる困った奴だが、ヒトとは上手くやっている。とりわけ、俺とはもう長い付き合いさ」

「ああ」

「ねねみたいな奴が居るからさ。ひょっとしたら、他にも居るかもって…こいつこそは、今度こそはそうかもしれねえって…」

「…ああ」

 タマであったものは、荒魂の常として、その残滓を地のノロとして残すのみであった。

 タマであったものの魂は遥か高空へと溶け失せ、今や人知の及ぶ処ではない。

 さっきまで確かにタマが存在していたそこに立ち尽くし、七之里呼吹は地に残るその成れの果てに目を落としていた。

 益子薫は、それとは逆の天空に、未だその姿を探すようであった。

「なあ、益子」

「ん?」

「お前ホント、荒魂が好きなんだな」

「…かもしれねえな」

「俺と同じだ」

「――いや、違うだろ」

「んだよ。同じだって言う流れだろ?」

「違うね」

「畜生、やっぱいけすけねーなてめーは」

「そうか。けど俺はお前を見直すことにしたよ」

「ああ?」

「元気づけてくれてんだろ。意外と優しいところあんだなお前」

「んなんじゃねーって」

「お前たあ了見は合わねーが、認めてやるよ。お前と俺は変わり者、似たもの同士だ、ってところはな」

「似たモノ同志か」

「ああ。似た者同士だ」

「…ふ。まあ、確かに変わり種ってところは互いに、認めざるを得ねえとこだろうなな」

 特駆隊保有の外の物、御槍と同じく、彼らもまた特祭隊中の異物であった。彼らもまた御槍と同じく外の物、と言うことも出来るのかもしれなかった。

「…ふ」

「…ふふん」

 なお名残を惜しみ、益子薫は天空を仰ぐ。

 空は果てなく青かった。

 杉林を歩んでいたときには、恋しいとすら思った青空であった。

(仕方ねえな)

(お前の分も、このアタシが言ってやるよ。あの荒魂ちゃんに聞こえるように)

 そうと見た七之里呼吹は、その隣で、薫の仰ぐ天空に向かって薫に代わって諸手を広げて呼ばわる。

「アイシテルぜ!」

 どんな愛も言葉にしなければ伝わらないと誰かが言った。

 天に上った荒魂の魂には、聞こえたであろうか。

「アイシテルぜ! アイシテルぜ荒魂ちゃん!」

 北関東の山々の残響のみが、それに応えた。

 

***

 

 薫と呼吹と陸美とねねの4名が連れ立って下山した時――いや正確には途中で、呼吹を追いかけていた第二分隊の人たちと一緒になった為6名になっていたが――麓はえらいことになっていた。

「薫ちゃん!」

「七之里呼吹!」

「…何で皆居るんだよ」

 衛藤可奈美ら「次代の英雄」たちに、木寅ミルヤ以下、調査隊の面々。旧舞草の先輩後輩たち。あちこちの遠征任務で面倒を見た奴らも居る。ざっと見ても三十を超える人数が、小銃を携えた――流石に構えてはいないが――完全武装の自衛官、凡そ百名以上と睨み合いの真っ最中であったのだ。

「何でって…薫ちゃんが撃たれたって…」

「やれやれ大げさだな。御覧の通り俺は無事だ。演習なんだからそりゃあ撃たれもするさ」

「撃たれる、ってどういう演習だったの!? 荒魂との戦いの演習じゃないの!?」

「俺らはアグレッサー、教官さまだぜ。レクチャーの内容は俺らが決めるんだ。なあ、七之里」

「呼吹でいいぜ」

「そっか。なら俺のことも薫で頼むわ、呼吹教官」

「おう」

 何時の間に呼吹が教官となったのか。ということに引っかかったのはミルヤあたりくらいのものであった。他の大体は、「どうしてこの二人が仲いい感じなんだ」というところに目を見張る。

「ご歓談の途中悪いが、質疑にお答え願いたい」

 薫も、薫に駆け寄った可奈美ら刀使たちも、この一声に凍り付く。

(出たな、ラスボス)

 日向士郎司令の傍らには、一歩下がって、古波蔵エレンの姿が認められた。

(薫…)

(エレン…)

 二人は目と目を見交わす。

 エレンの尽力がなければ、とっくの昔に「訓練中の事故」が起きていたかもしれない。その骨折りを無駄にするわけにはいかない。もちろんこの場で特祭隊VS特駆隊の大乱闘など誰もが望むところでないのは明白で、それは回避したいところであった。

「…あー、聞きたいことは大体分かる。訓練についちゃあ、やり過ぎた。すまねえと思ってる。あんたの妹には山を降りろって言ったんだがな。だが結果的に助けられた。お陰で無事に荒魂を討伐出来た。礼を言わせてくれ」

「我が隊への攻撃は訓練であったと」

「そうだ、と言ったら信じるか」

「益子教官が荒魂と共に山中に逃亡した、という複数の証言がある」

「だよなあ。俺の本音としてはまあ、誤解を恐れずに言えばあんたたちから荒魂を守っていた、んだ」

 日向司令の目が細り、逆にその横の古波蔵エレンが目を剥く。

 特駆隊の兵士たちが殺気立つ。

 何言ってんだこいつ、と周囲の刀使の仲間たちの視線が、薫に集中する。

 織り込み済みの反応だった。

(こいつにトンチの類は通じねえ。本音で語るしか方法はねえ)

 薫は、賭けに出ていた。

「あんたたちを荒魂から遠ざけて置きたかったのさ。もしあんたら特駆隊が戦ったなら万が一、怪我人が出かねねえ。俺が単独で処理したかったんだ」

「…日向二等陸士」

「はひっ!」

 日向司令は矛先を変えた。同僚の槍者たちに取り囲まれていた日向野々美は、その声にはたかれでもしたのかというほどに、びしりと背筋を伸ばす。

「お前は益子教官に同行していたようだが、事実か」

 後ろから「頑張れ班長」「おちつけ班長」「しっかり班長」などと同僚たちが小声で声援を送るのが、刀使たちの方まで聞こえた。多分日向司令にも聞こえているだろう。

 野々美は兄である司令を見、次に刀使たちとその真ん中の薫と呼吹を見、それから司令へと向き直った。

「私は、益子教官に同道してたのではありません!」

「同道していたのではない?」

「はいっ! 私はただ同行していたのではなく、継続して、益子教官から訓練を受けていました!」

「訓練」

「はい!」

 陸美の言は、先刻の「訓練をしていた」という薫の言を裏付けるものである。

(あいつ…)

 薫にとっては思わぬ助け船である。

 これで特祭隊側と特駆隊側の証言が一致したわけだが、「それならいい」とは日向司令は言わなかった。

「撤退命令に従わなかった理由は」

「へっ」

「演習本部は訓練区域より退去を命じたハズだ。何故それに従わなかった」

「そっそれは…」

 日向野々美は明らかにキョドった。それを聞かれるとは思わなかった、といったところだろう。

「訓練中は、演習本部の指示に従うのが原則だ。無視したのは何故だ」

 実際には、日向司令は接近してくる刀使の集団を警戒して戦力を呼び戻したのであるが、刀使たちの前でそれを語るつもりはなかった。

「…それは…どうしても、聞きたいことがあって」

「聞きたいこととは、どのようなことか」

「…それは、自分でも、何をどう聞きたかったのかもよく分かっていなくて…でも荒魂に止めを刺したのは薫ちゃんです! 本当です!」

 日向司令は嘆息し、薫へと向き直る。

 どうやら妹からはもう有効な情報は聞き出せないと判断したようである。

「荒魂は著しく小型であったと聞く。教官の技量なら見つけ次第即座に対応が可能だったのではないか」

「あー、それなんだが、俺流の荒魂の対応には段階があってな。まだ穢れを喰らってねえチビ助は、わざわざ斬らねえのさ」

「何故だ。小型であってもいずれは穢れを貯め込み、大型化して人を襲うだろう」 

「そのまま誰も接触しなければ、貯まった穢れを食い尽くしてノロに戻っちまう可能性がある」

「その可能性は100%ではない。一片の危険があれば駆除を行うのが安全と考える。事実荒魂は大型化していた」

「それなら熊も猪も野犬も、人に噛みつくのは何でも根絶やしにしなきゃダメだろうが」

「野生動物と荒魂は同列ではあるまい」

「同列じゃあねえかも知れねえ。だが荒魂ってえ代物は俺のお袋のそのまたお袋の…そのまたまたお袋のお袋の、それこそずっとずっとご先祖様の世代まで俺たちと一緒にこの国に在ったもんだ。もうこれはこの国の一部じゃあねえのか。あんたら国を守るのが仕事なら、ちょっとは考えてくれよ」

「我らが第一とするのは国家ではない。国民の安寧だ」

「それでいいよ。けどねねみたいな変わり種の荒魂が、中には居るかもしれねえ。昨日の敵は今日の友って可能性はゼロにはならねえんだ、ここに俺とねねが居る限り」

「――」

「だから考えてくれ。決して自分からは引き金を引かねえ、殺すためでなく守る為にある、それがあんたたち、自衛隊なんだろ」

「…」

「…」

 薫は言葉を切って、無言で日向司令を見ていた。

 日向司令もまた、薫を見ていた。

「…荒魂が敵であるのか、味方であるのか、それを決するのは我らの役割ではない」

 そうと発するまで、日向司令は暫くを要した。

「特祭隊が荒魂の味方であるのか、人類の敵であるのか、それが国民――と言って語弊があるなら国民の代表たる政治家たちの目に分明でない故に、我が隊が生み出され、ここに在る」

「…」

「心することだ。今やこの国は、貴君ら特別祭祀機動隊を、必ずしも味方とは思っていない」

「特祭隊が人類の敵だったことは一度もねえ。刀使が人類の敵だったことは一度もねえ」

「では、この場でそのねねを私が撃つとしたなら?」

「なにい?」

「この場でお前の友の荒魂を、私が撃つとしたならどうする」

 日向司令のすぐ横にはエレンが居た。

 帯刀しているのは御刀だ。それをやればタダでは済まない。

 だが日向司令は、抜いた。

 ゆっくりと、ゆっくりと銃口が上がり、薫の肩のねねへと狙いを定める。

 エレンの顔が強張る。

 だがそれだけだ。何も出来なかった。

 あとは引き金を引くだけだ。

「ねね!」

「ねねちゃん!」

 刀使たちが一斉に動いた。

 衛藤可奈美が、十条姫和が、柳瀬舞衣も糸見沙耶香も。

 安桜美炎ら調査隊の刀使たちも。

 特祭隊を代表する刀使たちが日向司令の前に立ち塞がる。

 誰一人も、御刀を抜いた者は居なかった。

 写シは当然張れない。日向司令の拳銃が火を噴けば、確実に一人は斃れる。それが己かも知れないのだが、意に介する者は誰も居ない。

 わが命よりも優先するモノが、存在するのだ。

 そのようなモノを懐いている者たちがこの場に在る者たちであった。

「…」

 そうと見た日向司令が、拳銃の撃鉄を起こす。

 ダブルアクションオートの新鋭拳銃だ。そのようなことをする必要はない。引き金を引けば弾は出る。わざわざそうしたのは威嚇だ。今撃つぞ、すぐ撃つぞという威嚇だ。

 刀使たちが御刀に手を掛ける。今にも鯉口を切ろうとする時であった。

「止めとけ」

 薫のぼそりと言ったセリフは、その場の全員に聞こえた。

「そいつは自衛隊だ。絶対にてめーから引き金は引かねえ」

「――」 

 薫の言葉を何と聞いたか。

 日向司令は、静かに起こした撃鉄を降ろす。

「…状況終了。撤収する」

「…は」

「聞こえなかったのか。撤収だ」

「は! 了解! 全隊撤収! 撤収だ!」

 控えていた部下たちが慌ただしく踵を返し、それにより刀使たちもあわや乱闘の窮地が去ったことを知る。

 安堵が流れた。

 関東大災厄を共に戦った自衛隊と戦うなど、望む者は誰一人居ない。薫が無事に戻るなら、それでよかったのだ。

「益子薫。それに…古波蔵エレンと言ったな」

「…」

「我らの任は二つある。一つは荒魂の駆逐。今一つは来たるべき、再度の特祭隊造反に備えることだ。今の我らには力が足りん。だが何れは足りぬものを得よう。憶えて置くがいい」

「もう一度言う。特祭隊が人間に造反したことは今まで一度も無え」

「今までもこれからも、荒魂を鎮め人々を守っていくデス」

「その言葉、努々忘るな(ゆめわするな)。…さらばだ」

 部下たちに続き、日向司令もその踵を返す。一度背を向けたなら、二度と振り向くことは無かった。

「エレン」

「薫、無事で良かっタ」

 日向司令の背を見送る薫の元に、まるで恋人のようにエレンが走り寄る。

「世話になった」

「怪我は…どこか、痛いトコロは…」

「心配すんな、大丈夫だ」

 特別害獣駆逐隊。現在の主要な装備は陸自普通科にほぼ準じるものに過ぎず、荒魂に有効な兵装はたった十二本ほどの、御槍と称する玉鋼兵装を持つのみである。現下、荒魂への対応能力においても、もし直接に戦うこととなったとしても、伍箇伝は圧倒的に優位にある。

 とはいえ、自分たちの事を潜在的な脅威とみなし、それに備える組織が、国民の支持を受けて発足したことはやはり衝撃を産もう。この後、伍箇伝が信頼を再び失うようなことがあれば、彼我の勢力は逆転するだろう。

「…帰りまショウ。きっと皆、心配してマス」

「ああ」

 既に日向司令の背中は見えぬ。

 二人も、刀使たちの元へと戻ろうと振り向いた時だった。

「益子教官!」

 薫を呼び止めた者が居る。

(あれは…)

 既に長い一日は過ぎ去り、茜に染まりつつある山の麓で、深々と頭を下げているのは日向野々美だった。

「ありがとう、ございました…!」

 自衛隊式の挙手礼ではない。

 武門の礼であった。

 刀使たちにも、通じる礼である。

(でっけえ声だな、やっぱ)

 薫は苦笑した。

 何か声をかけてやろうと思ったが、ここからでは結構な大声を出さねばならずおっくうだ。

 代わりに薫は、手を振ってやった。

 照れくさいから、背中越しにだ。

「何をしている。行くぞ」

「うん、兄さん」

 そうと見て野々美は満足だった。

 ちゃんとお礼は伝わったみたいだったから。

 一匹の荒魂が天に召されたあの時、少し離れたところで野々美は、薫と呼吹の背中を見ていた。

 この二人の背中を、あの山頂の光景を、多分一生忘れないんだろう。

 野々美は、そう思った。

 漁師が海を愛するるように。木こりが山を愛するように。あるいは兵士が、戦場を愛するように。

(荒魂なんて、ただ怖いだけだった)

(一匹残らずこの世から居なくなればいいのにって思ってた)

 けど益子薫も、七之里呼吹も違った。荒魂を愛している、に語弊があるなら、荒魂の存在するこの世界を愛している、と言おう。

(七之里さんみたいに、荒魂にだったら殺されてもいいなんてとてもじゃないけど思えない)

(ましてや、あたしにはねねちゃんみたいな荒魂の友達は居ないから、薫ちゃんみたいな気持ちにもなれない)

 だから、もし次に荒魂と戦う時には、薫ちゃん達のことを思い出すよ。

 荒魂に命を差し出すあなたの事。荒魂の死に涙するあなたの事を。

(今度荒魂と戦う時には――)

 きっと今日の事を思い出す。

 あの二人のあの背中を思い出す。

(次の時も、その次の時にも)

 忘れない。

 絶対に。




一旦休題。次回に続きます。
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