負けた。
完敗であった。実感が押し寄せて来たのは、岩倉早苗も柳瀬舞衣もいつの間にか立ち去り、十条の家の前に独り取り残されたと知った時だった。
(なんだ)
何だというのだ。
写シを剥がされたことなんて何度もある。獅童真希にも折神紫にも、タギツヒメにもさんざんに斬られた。それらと比しても格別なこの敗北感は、あの時と似ている。衛藤可奈美に敗れたあの時と――
(何だと言うんだ――)
身を起こせば、誰も居ない。
早苗は兎も角、舞衣も黙って姿を消していた。姫和の復学、そして御前試合出場を求めて来た舞衣は、何の言質も求めず帰ったということになる。己の言いたいことは、全て早苗の千住院力王が語ったのだとでも言うかのように――
(舞衣のやつ、なんでこうも、大事なときに限って推しが弱いんだろうな)
思えば可奈美の身柄を争った時も、身を引いたのは舞衣の方だったな…
そんなことを思いつつ、のろのろと身を起こし、玄関を開けて我が家に転がり込んだ姫和は、明かりもつけずに先ほどの御刀勝負を反芻する。
(迅移の速さに劣ったんじゃない)
迅移は勝った。それは間違いない。後れを取ったのは――
「それにしても弱いものだなあ、今代の柊は」
「う、五月蠅い! しみじみと言うな!」
そういえばイチキシマヒメ。こいつが居たのだった。
「太刀行きに遅れを取ったが敗因であると知れ、柊の娘よ。如何に迅移に秀でたところでそれは間合いを詰めるのが素早いというだけのこと。刃圏に入ればモノを言うのは太刀行きの迅速さよ」
「そんなことは分かってる」
姫和や早苗のレベルになれば、同じフォームで同じ技を行えば、そこに大きな時間差は生じない。
同じ突きでも、技のフォームが違っていたのだ。
(素手で刃を押さえて、急激に運動させていた。まるで、飛び出しナイフか何かのように――)
そんなことが可能なのか。
そっと触るなら兎も角、力を込めた刃を押さえれば血が出る。ましてや刃に滑らせれば確実に指が飛ぶ。そうならなかったのは恐らくは、金剛身を遣ったからであろう。刃と指の間の光芒の正体はその際生じる鉄火花火であったのだ。
「金剛身と迅移の合わせ技、といったところであろうな、あれは」
「ああ」
小烏丸を、得意の上段脇構えに取ると、鍔元の我が右手を外して白刃に添える。
姫和なりに「一指しの太刀」を模した姿である。
(迅移なら私。それは確かだ。ならば――)
同じ一指しの太刀を姫和が成功させたなら、迅移の差によって、勝者は姫和となるはずであった。
「浅はかなるかな」
「やかましい」
金剛身ならば心得がある。
得手ではないし、故に実地で使ったこともあまりない。練習すれば使いこなせるようになろうが、今まで必要に迫られたことがなかった。
結構久方に、それを使った。これで小烏丸の白刃を滑らせても指が落ちることは無いだろう。
(これを…こうか!)
左手一本で柄に込めた力を、右手指を放して一気に開放すると、小烏丸は急激に運動し――
「あ…!」
左手から離れてあらぬ方に飛んだ。
「ああ! 母様の小烏丸が!」
「言わぬことではないわ」
算を乱して我が佩刀に駆け寄る姫和を、イチキシマヒメが哂う。
「八幡力も合わせて遣ってみるか?」
「うるさい! 慣れてなかっただけだ!」
これしきに八幡力の必要などあってたまるかと、憤然と立木に突き立った小烏丸に歩み寄る。引き抜いた物打ち所は樹液で光っている。念入りに拭っておかねば。
(それにしてもこれは、相当にリストに負担がかかるぞ)
片手打ちの遣い手と言ったら折神紫が真っ先に思い浮かぶが、柳瀬舞衣も忘れてはならない一人だ。居合の技の殆どは、腕一本で行うものなのである。
(そもそも前提条件としての筋力が足りないのか)
紫は、舞衣は、そして岩倉早苗は、これに耐えうる鍛錬を行ってきたのか。
「くそ」
練習量で負けてたまるか。手首の負担は分かった。心積りを改め、今度は小烏丸を手放さないよう、我が左手に力を籠める。
(金剛身…!)
(…続いて、迅移!)
第二の試技でも、再び小烏丸は手を離れて飛んだ。
金剛身の指に刃を滑らせることは出来る。刃の離れと共に迅移を発動しようとするとしかし、どうしても持ち手の刀の方がおろそかになる。三度目も、四度目もそうなった。
「…くそ!」
「熱くなるでないわ。余計と刀理より遠ざかるだけぞ」
「お前に言われなくても分かっている! いいから黙っていろ!」
いきなり早苗の真似は無理があった。ものには順序というものがある。
迅移と金剛身は全く異なるベクトルの技、同時には行えない。なら導かれる答えは一つ。金剛身で身を固めつつ、刃の離れの瞬間に迅移に切り替えた。そうとしか考えられない。
(そんなことが可能なのか)
再び姫和は、胸中に反芻する。
考えれば考える程驚くべき、岩倉早苗の「一指しの太刀」であった。
真似せよと言っても出来そうもない。いや元々、突出した何かを持たぬ代わりに器用に何でもこなせる刀使であった。
器用で何でもできる上に賢いものだから、何でも出来る刀技を、適宜に用いることが出来る。バカの一つ覚えのように迅移ばかりの己とはえらい違いだ。
(相手が悪かった)
(岩倉さんが上手過ぎたんだ)
だから私が弱かったわけじゃない。悪かったわけじゃない。仕方が無かったんだ。大体もう刀使は止めるんだ、平城学館の生徒じゃあないんだ、だから、だからだから…
「くそ!」
何で私は、こんなに弱いんだ。
可奈美の時だってそうだ。だって大荒魂の強大な力を得てすら、問題にもされずに一蹴されたんだぞ。どれだけ弱いんだ私は!
どうして母のような天分がない!? 本当に母、柊篝の娘なのか!? もしかしたら私は母の娘ではなくて私は…
「不思議の勝ちこそ有れど、不思議の負けは無い。お前たちヒトの言葉であろうが、柊の娘よ」
「黙れ」
「黙らぬ。敗北には理由がある。それを突き詰めねば仕合の意味があるまい。そうして検証を繰り返し正解に近づき、ついにはタギツヒメをも討ったではないか、お前たちヒトは」
「私が弱かったからだ。愚かだったからだ、それが理由だ、違うのか!」
「違わぬが違う。考えよ、ヒトよ。先ずは千鳥の刀使に敗れた時はどうであった」
「どうもこうもないだろう! 可奈美は天才で私は凡人だったんだ、母様から何も学ばなかった、何も受け継がなかった、本当に私は母様の娘なのか? 私は…」
「分からぬか、柊の娘よ。あの時お前は衛藤可奈美とこの私、二人を相手として戦っておったのだ」
「意味が分からん! お前は私と同化し、無尽蔵の力を得ていたんじゃないのか!」
「無尽蔵の通力。確かに大荒魂であった我にはそれが在ろう。しかしそれを引き出すは、人の子たるお前だ、柊の娘、姫和よ。思い出すが良い、お前は小烏丸を手にして、すぐさまに写シを張り、迅移を遣い得たか?」
「それは…」
人類は様々な道具を作り出し、利用している。
例えばスマートフォンは今や殆どの老若男女が手にしているが、その機能の全てを使いこなす者がどれ程居るだろう。その通信速度の限界を感じる者がどれ程居るだろう。
例えば乗用車は今やほぼ全ての世帯が一台は保有しているが、最低でも60馬力を下らないその動力性能を引き出せる者がどれ程居るだろうか。
「衛藤可奈美と戦う前にお前は、我の力を制御せねばならぬ。二十余年も連れ添った折神紫ならば慣れても居ようが、お前はどうだった。我が力に振り落とされぬよう、我が力に必死にしがみついて斬り合うていたではないか」
「――」
身に覚えがある。
鹿島の社での斬り合いを振り返れば確かに、普段使えば精魂尽き果てて数日間は身動き出来なくなる三段階の迅移を多用、というか全ての打ち込みをそれで行っていたような気がする。
その全てを可奈美は凌ぎ、凌ぎ切った後に一太刀を入れたが、考えてみれば単調に過ぎたのではないか。
可奈美と言えど当初は凌ぐのがやっとだった。並みの者なら付いて行けずそのまま斬られたであろうが、相手は当代一の後先の技の遣い手だ。高い学習能力と、十分な太刀行きの迅さ。あとはタイミングだ。スピードに慣れたら、たった一度だけ、チャンスを掴めばいい。
(何のことは無い)
(可奈美のいつもの勝ち方じゃないか)
慣れない戦い方で大荒魂の力に振り回され、練習通りの慣れたやり方で戦った可奈美に負けたのか。
思い起こせば、姫和は大荒魂を身に沈めた刀使と実地に斬り合ったことがある。
折神紫の行った斬合はどうだったか。
汲めども尽きぬ大荒魂の無限力にモノを言わせ、迅移を連発するようなことはしなかった。ただ竜眼の未来視を利用して、可奈美と姫和に先に掛からせ、丁寧に後先を取っていた。二十余年も大荒魂と付き合ってきた紫は、その用途を熟知していたと言えるのではないか。
免許取りたてのドライバーが、いきなりフォーミュラカーを乗りこなせるはずがない。法定速度でノロノロ走らせるのがやっとだろうし、もしアクセルを踏もうものなら即コースアウトがオチ。
そんな状態で当代一の御刀怪獣トジゴン可奈美と斬り合えば鱠斬りにされるに決まっている。
不思議の勝ちはあるが、不思議の負けはない、という剣句は刀使ならば誰しも親しむ。格上にまぐれで勝つことはあっても、負ける時には必ず、負けるに至った理由があるという、そのような言葉だ。
まさしく姫和は、負けるべくして負けたのだ。可奈美の時も、恐らくは早苗の時も。
(私は弱い。慢心すまい)
(先ずは金剛身より迅移。これのみを行ってみよう)
これならば確かに出来はしたが、返って余計に早苗の一指しの太刀の凄さを思い知らされる結果になった。金剛身を終えてそれから迅移することまでは出来ても、それは二つの技だった。早苗の金剛迅移、とでも言うべきスムーズさの再現は難しい。まぐれで上手く行っても、迅移で突っ込んだつもりの地点を通り過ぎたり、近すぎたり、これで突きを行っても命中させることが出来るとは到底思えない。
「…おい。言いたいことがあるなら言え」
「黙っていろと言うたはヌシであろうがw」
くそ。くそ、くそ!
もう燃料切れだ。写シも張れるかどうか分からない。
しかし出来ることはあるはずだ。
小烏丸の柄尻を握った姫和は、それで縦横に素振りを始めた。
このバランスに左手を馴染ませる。最初はそれであった筈だ。紫も、舞衣も、そして早苗にも最初はあったはず。同じものを積み上げていけば良い筈だ――
期せずして、と言うべきか期してというべきか。
この時の姫和は、早苗の思い通りになっていた。一指しの太刀の早苗、彼女のこと以外、何も考えられなくなっていたのである。
***
翌朝、姫和の左手首は腫れた。
腫れ方にも色々あるが、良くない腫れ方だとすぐに分かった。明らかに剥離骨折、つまり捻挫の一歩手前に陥っている。筋が骨から剥がれかかっているのだ。
そうと姫和が知った時、我が両目から涙が零れた。
情けなかった。
「どうすればいい…どうすれば勝てる…」
岩倉早苗にも、衛藤可奈美にも及ばない悔しさが、結んだ口から言葉となって出た。独り言のつもりであったが、今はこれに答える者が居る。
「何故に勝とうと思うか」
イチキシマヒメである。
「勝つ必要が何処にある」
「勝たないでどうするんだ!」
「勝つばかりがその道に非ず。我は憶えているぞ。昨年の春のお主の太刀筋を。我は死するが敵も死する、必死必殺の技」
「まさかお前、一つの太刀のことを言っているのか」
「如何にも」
「馬鹿なことを言うな! あれは柊に伝わる大荒魂封じだ! 人に向けるものでは――」
「向けたならどうだ」
「――」
何を言っているのだ、この大荒魂の成れの果ては。
可奈美相手に、早苗相手に必死必殺だと?
それを行えば勝者などいない。二人の存在がこの世から消える。それだけだ。
それでは全く無意味ではないか――
「確かに、勝者は誰もおらぬ。しかし敗者もおらぬ。これで目的は達せまいか」
「む…」
「勝てはせぬ。しかしそれは衛藤可奈美も岩倉早苗も同じこと。お前の「一つの太刀」を向けられたが最後、理論上今世に存在出来ぬ。大荒魂タギツヒメであっても例外ではない」
確かに一理はあるかもしれない、イチキシマヒメの言であった。
勝つことは出来ずとも、相打ちには出来る。即ち負けぬ。決死剣たる「一つの太刀」を用いたならば可能だ。何のことは無い、無敵ではないか。我弱しと思ったのは気の迷いか?
(いいや、違う)
危うく口車に乗るところであった。
「母様から受け継ぐ鹿島の秘太刀が心強いことは分かった。だかそれでは、可奈美か岩倉さんか、どちかかと戦ったならそれで終わりで、両方とは戦えん」
「如何にも、そのようになるな」
「それはダメだ」
「何故に駄目か」
「私は平城の予選で岩倉さんと戦い、それに勝って可奈美にも勝ちたいからだ。来年も、再来年も、卒業するまで」
「はて。話が違うぞ。お前は学校を止め、大会には出ず、千鳥の刀使との戦いは勝てぬと諦め、あの千住院力王の遣い手との仕合も気に留めるには能わぬ、そのように考えていたのではなかったか」
「ああ。そうだな」
「違うぞ。話が違う。何故だ、柊の娘」
「岩倉さんに負けて分かった。悔しいんだ。すごく悔しいんだ。母様がら受け継いだ鹿島の太刀が負けるなんて、そんなことが有るか。有る筈がないんだ。それじゃ母様が負けたみたいじゃないか。そんなバカなことってあるか」
「うむ」
「私が母様の娘だって証明したい。母様から正しく技を受け継いだって証明したい。母様の技で勝ちたい。だって母様は…」
「うむ」
「母様は…私の…たったひとりの…」
「…うむ」
姫和は泣いた。
敗れて泣いた。さめざめと泣いた。
敗残の剣者の姿であった。惨めな姿でありながら、その啼泣は何処か、気高かった。敗れて誇りを失わぬ者の、今一度立ち上がらんとする者の、それを何処か、感じさせた。
久々の投稿となってしまいました。これから暫くの間、間欠的に投稿していこうと思っています。果たして決勝まで行けるのか、神のみぞ知る?