刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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令和御前試合 その3

 御前試合には例年。東西のトーナメントにシード選手枠が設けられる他、特別枠出場選手枠が複数設けられる。シード選手となるのは前大会の優勝者と準優勝者であり、今年で言うなら、十条姫和と衛藤可奈美の二人である。

「ダメです。どうか、弁(わきまえ)えて下さい可奈美さん」

「そんなあ!」

「いけません。確かに御前試合は今年の刀使の錬成の集大成。有力な刀使が大勢参加します。ですけどそこには、実力はまだまだでも可能性を秘めた、去年の貴方達のようなコが居るかもしれません」

「だったら!」

「ええ、ええ、そういうコとも立合いたいという気持ちは分かります。一人でも多くのコと全力で立合いたい。だから本選で二戦しか出来ないシード選手は嫌だ。そうですよね。でも私達、決勝トーナメントで待つしか出来ない私は、貴方と地区予選で戦って敗れたコと出会う機会が無くなってしまいます」

「わ、私が勝つとは限りません!」

「負けるとは限らないでしょう? 貴方は伍箇伝最強の刀使。それは誰しもが認めることです。知っています。私がこの大会で出会いたいのは、第二、第三の貴方なの。だからどうかお願い、弁えて」

 折神朱音に直談判に及んだ可奈美だが、今代の折神御本家に懇願されては引き下がるより他になかった。

「…わかりました。失礼します」

「…あ…」

 トボトボと肩を落として去っていく可奈美の背中は、流石に気の毒だった。

 出場者全員の試合を見届けたい。出来るならまだ見たことの無いコの試合を見てみたい。それは紛れもない朱音の本音であるが、だからといって叱られた子犬のような有様の可奈美をこのまま返すのは朱音には難しいことであった。

「あのね、だけど可奈美さん。今年は特別出場枠を例年より多く設けようと思っているの。だからシード枠のコもちゃんと試合があるのよ」

「…」

「ええと…そうだわ。十条姫和さんもシード枠なの。予選がないから一足先に本邸に詰めることになると思うの。だからきっとお稽古も出来ると思うわ」

「…姫和ちゃんが? 本当に?」

「本当です」

「本当の本当に?」

「本当の本当にですよ」

 ぱあっ、と日が差したような可奈美の笑顔である。

「有難うございます、朱音さま!」

 ぴょこんと頭を下げて、可奈美は執務室を飛び出していく。

「どういたしまして。ああもう、扉くらい閉めて行って…」

 席を立って手ずから扉を閉める朱音は、上手に生徒の機嫌を取れて、ほっとしていた。

(今頃は稽古相手が居なくて、寂しそうにしていると聞いていましたが…少しは元気付けられたでしょうか)

 特別出場枠は降って湧いた話ではない。そもそも伍箇伝各校に代表二名が選出される以上、八強プラス二人になるのは例年のことだ。前年度優勝校の代表二人が東西トーナメントのシードになったり、東西の選手が4-6に別れてどちらかのトーナメントが一戦多かったり、様々だ。そんな中で、特別枠の話は何度も出ていた。本年度の御前試合においては、姉紫の意向により採用される運びとなりつつあった。十強であった代表選手は、本年では十六強になる公算が、既に高い。

 六名の招待選手の内訳であるが、先ずは伍箇伝各校に一名ずつの選出が委ねられる。選出の方法は完全に各校のフリーハンドで、真っ当に三位決定戦をやってもいいし、学長が独断と偏見で推薦してもいい。学外から有力なOGを連れてきても良し、果ては他校で代表から洩れた選手を引っ張っても良し。ともかく伍箇伝五校にそれぞれ五枠が与えられる訳だ。

 そして残る一枠を握るのは、折神本家。つまり、紫と朱音なのである。これについては朱音は、紫に一任するつもりでいる。

(私も楽しみにしているのですよ、可奈美さん)

 伍箇伝学長、皆一筋縄では行かぬ者ばかり。相当に趣向を凝らして来るだろう。普通に優勝を狙ってくるか、かき回しに来るか、それとも――

 

***

 

「聞いてませんよ!」

「そりゃあ、言ってへんもの」

 母の親友の一人であったという五条いろは(ごじょう・―)平城学館学長は何だか、根っこのところで衛藤可奈美の母、衛藤美奈都(えとう・みなと)に似ているところがあるような気がする。

 悪戯好きな所とか、その悪戯がよくよく考えてみたら、相手の為であったことが多い所とかがだ。

「姫和ちゃんはうちの切り札。予選でうっかりがあったらいけへんし」

「予選でうっかりするようならそもそも本選もダメだと思います、学長」

 姫和は前年度御前試合決勝の選手権者である。よって自動的に本選トーナメントに選出される。それは分かっている。分かっているが、姫和は一度退学届けを出した人間である。予選免除の優遇を受けるに値するとは思えない。

「優遇される理由がありません。そのようなお話でしたら、出場は考えさせてください」

「いけずなこと言わんで。姫和ちゃんに理由がなくても、うちにはあるん」

「それは、どのような…」

「やって、姫和ちゃんが退学届けを出したこと、うちしか知らへんのえ。シード辞退しますって言ったら絶対理由は聞かれる。そしたらうち、姫和ちゃんの届け物、握りつぶしてましたって白状せなならんようになるのんよ?」

「それは、学長が悪いのではないでしょうか」

「うん。悪い。ほんに悪かった。せやからここはうちを助ける思うて。な?」

 はーっ、と姫和は息を吐く。

「全く、貴方という方は。分かりました。任務として受領します。平城学館中等部三年、十条姫和、予選は辞退し、本戦に出場します」

 平城学館と同様本戦決勝を戦った衛藤可奈美の居る美濃関学院は、自由枠がこれで埋まる。残るは予選の優勝選手と準優勝選手が、春の御本家に行くことになるだろう。

(うちは岩倉さんと他の誰か、ということになるんだろうな)

 校舎のそこかしこから、稽古に励む平城刀使たちの鬨の声が心地よく聞こえてくる。教職員棟を辞し、妙に美味い外の空気を満喫しつつ、姫和は夕暮れ迫る空を見やる。

(岩倉さんが予選でうっかり、なんてことは有り得ない)

 ならば対決は先に延ばせる。早苗との再戦へ、猶予期間が取れるのは幸いだ。

 決着は奈良の御本家。それまでに、一指しの太刀への対策を取らなければ。

(美濃関からは、可奈美と舞衣が出て来るんだろうな。可奈美は決勝シードだから、もう一人は稲河暁か、安桜美炎か)

 この時には、想像だにしていなかった。

「…聞いていないぞ…」

 岩倉早苗との再戦に、立ち塞がる者があろうとは――

「えいっ」

 ぽんっ、というような感じだった。

 愛らしい声で伍箇伝髄一の豪強を誇る平城の腕自慢を子供のように地に這わせ、大丈夫かな、という風に覗き込んでいる六角清香(むすみ・きよか)は姫和も大変良く見知った後輩だ。主に刀使としての御勤めに関わりの無いところの、女の子の女の子として善く在る為の知識に、常々世話になっている。学友が居るかと問われれば、先ず最初に思い浮かぶのは清香の顔であるくらいには。

 しかし清香を「姫和君のガールフレンド」などと失礼なことを言う奴、あれはどういう意味なのか。私は女のコなのだから友達が女のコなのは普通だ。わざわざガールフレンドなんて特記することはないだろう。「男前」と言われるのは武門の娘なんだから見逃してきたが、こう見えても私は普通に立派に女のコだぞ――

(うむ。話が逸れたな)

 六角清香は、伍箇伝最精鋭たる赤羽刀調査隊にその名を連ねる。弱かろうはずがないし、姫和も幾度となく任務を共にし、実力の程は知っている。

 知っている、筈で知らなかった。

 六角清香があれ程の者であろうとは、全くもって御見逸れである。

「無二剣(むにけん)、か」

 自宅へと戻る途中の畦道、普段なら乗って走る愛車を今日は手で押しつつ、姫和はハンドルのスマホホルダーに付けたスペクトラムファインダーの画像に見入る。

 清香の修める卜伝流では確か印(いん)の構えと称される。中段構えの一種、と見ていいだろう。その代表である正眼構えは我が目の位置に切っ先を持ってくる。晴眼と書けばこれは相手の喉元。地刷り正眼ならば相手の腹当たりに持ってくる。これを下段とする流派も在る。

 無二剣の諸手の位置は臍下(せいか)、つまり臍の辺りに来る。これは中段と同じだが、切っ先と言えば天井の方を向いているのだ。騎士が決闘に臨んで切っ先を天に剣を捧げ持つ、あれに似ている。

「多用してるな」

 中段に構えることも在るが、試合時間の殆どが印の構えだ。

 姫和もこれに構えることも在るが意識しての事ではない。例えば鍔競り合いになったりで、試合の過程で恰好がこうなることがあっても、始めからこうと構えるようなことは無い。

 有利とは思われないからだ。何せ正眼と違って、相手と己の間に一刀身分の間合いを開けることが出来ない。上段や陰陽の構えのように強い斬撃に適しても居ない。メリットが無い。

 ところが、清香はこれを多用していく。

 先ほどの試合もそうであった。

 両者立合いとなって直ぐは中段に構えた清香だが、相手が進むとびっくりしたように切っ先を引っ込める。相手が止まると中段になったが、進むとまた腕を畳んでしまう。

 怯えている――ように見える。事実怯えているのかもしれない。六角清香の人柄は姫和も知る。謙虚で遠慮深く、人との争いを好まず、先に行くものが在れば道を譲りがちの、普段の清香はそんな娘だ。自分でいうのも何だが、男前が過ぎる己とはかけ離れている。

 だけど、こうと思えば頑固一徹、万難を排して突き進む、誰もは知らない芯の強さも姫和は知っている。

(清香が怯んだと見たか)

 相手の刀使は推し進もうとした。

 正眼の構えならば、前進にも限りがある。真っすぐ進めば相手の切っ先が己に突き刺さるからだ。だが清香の切っ先は天を向いている。阻むものはない――そう見えたのだろう。

 今度は清香は下がらなかった。

 距離が縮まる。

 そうなってから、相手は気付いたのだろう。一見メリットが無い無二剣の強みは、小回りが利くことだ。技は小さく、写シを飛ばせない可能性はあるが技の仕掛けは速い。足回りにしても、正眼では邪魔な刃渡り二尺が身体に添って折りたたまれているので素早く足を捌ける。

 並みの太刀行きでは先んじられる。しかし唯一、正眼の方が仕掛けの迅い技がある。

(突きだ…!)

 姫和の思った通り、相手の刀使は発射台に乗った突きを繰り出すが、それは清香の蓮華不動輝広の峰を滑ったのみであった。まるで鏡から鏡へと飛び移るように、清香は突きに晒された右半身を、安全な輝弘の左側とへクルリと入れ替えていた。

「えいっ」

 気合、というには可愛らしすぎるこの一声はここでである。

 強い斬撃など出来ぬ筈の印の構えがら、とん、という感じで繰り出した斬撃で相手の左手が吹っ飛んでいた。

 写シは飛び、これで勝負が付いた。

 立ち上がることが出来ない相手を、只々申し訳なさそうに、清香が見下ろしていた。

(…聞いてないぞ…)

 あんな小さな打ちで小手を斬り飛ばせるのは、カウンターになっているからだ。我が力が弱くても、相手の力を利すれば大威力となる。しかしそれを試合開始の一太刀目で、あれほど簡単に…

(ここまでの者か、六角清香)

 岩倉早苗と当たるのは準決勝だ。

 負ければ早苗は予選落ちとなる。姫和とは戦えなくなってしまう――

(いいや、岩倉さんには一指しの太刀がある)

 簡単には行かない筈。そう思って岩倉早苗の試合の入った動画を見てみる。

(…? 何をやっている?)

 常々姫和の多用するのと同じ、車(くるま。しゃ、と読む人も)の太刀に構えていても、右手を刃に添えてはいかない。あの形にならなければ一指しの太刀には行けない。

(おい! 相手はあの朝比奈北斗(あさひな・ほくと)だぞ!)

 簡単に勝てるような相手ではない。猛稽古に裏打ちされた確かな技に、獅童真希の正当後継と噂する生徒も居る程なのだ。同期の早苗なら良く分かっている筈だ。

(そんなに真っ向から打ち合ってどうする! あの人に真正面から行って力負けしないのはそれこそ獅童真希くらいだぞ!)

 間合いを取れ。頑丈な朝比奈さんにまとわりつかれたら消耗する一方だ。

(一指しの太刀の間合いに持っていくんだ…!)

 試合は推移し、何度かその形にはなっているのに、何故使わない…?

 試合は延長、再延長となり、両者とも写シが危うくなっていた。ついには判定となり、早苗の勝利はぎりぎりであった。

(私の判定では、岩倉さんの負けだった…)

 いつの間にか姫和は、畦道の真ん中で立ち止まっていた。

 手数を評価する審判が多かったから良かったようなものの、一つ間違えばどうなっていたか分からない。

(どうしてなんだ。何故一指しの太刀を使わない)

 決勝に備えて温存か? いや朝比奈北斗は出し惜しみして勝てるような相手ではない。それはライバルだった早苗が一番知っている筈だ。

 次に当たる六角清香は更なる強敵である。正直勝ち目は薄い。早苗が弱いと言っているのではなくて、あれは天才だ。燕結芽、糸見沙耶香にも迫る次代の剣だ。

 もし次の試合も温存策を、と考えているようならば間違いなく負ける。

 勝つ気があるなら全力で行くべきだ。勝つ気があるならば――

(もしも、次も使わないでいるのならひょっとして) 

(ひょっとして岩倉さんは、勝ち進みたくないのか?)

 姫和と再び、戦いたくはないのか。いやまさか、どうしてそんな…

 そこまで考えた時、スペクトラムファインダーの画面にコールサインが現れる。電話の主は――

(御本家!? 朱音様が私に直接!?)

 

***

 

 稲河暁を辛くも降した柳瀬舞衣を、決勝で待ち受けていたのはやはり、思った通りの刀使だった。

(嬉しい…)

 勝ち進んできてくれて嬉しい。これは対決を望んでいたとかではなく、単純に友達の頑張りが、こうして形となって報われたたのが喜ばしい。

 安桜美炎(あさくら・みほの)もきっと、舞衣と同じに違いない。というか、みれば分かった。

 さあ、さあ、さあ!

 いくぞいくぞいくぞ!

 そう言わんがばかりに忙しなく、美炎の両足が前後前後にステップを刻む。

(ふふ、美炎ちゃん、それじゃあボクシングみたいよ…)

 試合中というのに思わず笑みを誘われる程、美炎は大張り切りであった。

 そうと見てか、美炎の唇にも笑みが浮かぶ。

(去年ここでは、可奈美ちゃんと戦った)

(今年は美炎ちゃん、貴方なのね)

 以前の美炎にはムラッ気というか、集中力不足というか、飽きっぽさがあった。

たった5分の制限時間中に、どんどん雑になってしまう。これでは試合中尻尾上がりにテンションの上がる衛藤可奈美に敵う筈もなく、準決勝で敗北している。

 これは剣に限ったことでなく、学業でもそうであったから美炎の性格と言えるのかも知れない。とはいえ、美炎も最高学年となって、そういった欠点はだんだんと鳴りを潜めつつある。そうなるともう、ただただ強敵であった。

 ここに来るまでに長江ふたばや加守明等の名手を下して来ている。美炎の試合は何れも熱戦となった。きっと美濃関学園末代までの語り草となるだろう。

 それはきっと、この試合も。

 いくよ舞衣! 準備はいい!?

 そう言っているように、美炎のステップのテンポが上がっていく。

(美炎ちゃんったら、本当に…)

 美炎の唇の笑みに、可奈美の事を思い出す。

 剣を楽しむ、試合を楽しむ。こういうところは似ている。剣だけでなく色んなことを楽しむところは、可奈美にも見習ってほしい。

 楽しいことには一直線、好きなことには一直線。そこは同じだ。美炎ちゃんには、もうすこし一つのことを落ち着いてやって欲しいと思うけど。

 熱い気持ちの二人ははよく似ていて、少しづつ違う。

 ずっと一緒に居て、分かるようになった。可奈美は狭く深く、美炎は広く浅く。だけどどっちも一生懸命だ。可奈美は剣を通して色んなことを考える。美炎は色んなことを通して剣を高める。

 そうして二人とも、先へ先へと進んでいっている。

(可奈美ちゃんは可哀そう)

 あんな高みに、たった一人で。だから誰かに救ってほしい。傍に行ってやって欲しい。心当たりは十条姫和しか居なかった。だから京都を訪ねた。

 けど、それは姫和でなく、目の前の安桜美炎であっても構わないのではないか。

 美炎なら、この人ならばひょっとして可能なのかもしれない。今は無理かもしれないが、何時かきっと可奈美の居る高みに辿り着くのではないかと思える、そんな輝きを放つ美炎の剣であった。

 だん、と地を蹴って美炎が斬り込む。助走を付けて殴りつけるように、フルスイングだ。迫力はあるが、仮にも美濃関代表選抜にに名乗りを上げる刀使で喰らう奴は居ないだろう。むしろこんな大振りは絶好のカウンターチャンスとなってしまうものだ。

(美炎ちゃん、張り切りすぎ!)

 舞衣は体を入れ替え、これを躱す。

 単純に躱しただけだ。

「…行けそうだったが」

「行かぬな」

 これは舞衣の試合を見守る、観世思惟と辻漣である。

 この試合、舞衣はハナから中段に構えて行った。居合は選択しなかったわけで、居合の師である思惟や漣の技が役に立つ試合とはならなかった。

 元々舞衣の居合は可奈美に対抗する為の技だから、というだけの理由でそうしたわけではあるまい。美炎の技には何処か、真っ向からがっきと受けて立ちたくなる何かがあるようだ。

 躱された美炎はぐるりと振り向き、再度中段となる。

 仕掛けを簡単に回避されたわけだが、特に思う所は無いようであった。いやむしろ嬉しそうなようにも見えた。

(流石舞衣だ、やっぱり強い)

 心形刀流を学んだ、とされるがそれが安桜美炎という刀使を語る上で話題にされることは少ない。そもそも当人が心形刀一致、などと語ることがないし、多分、考えていない。思いっきり体を動かし、刀を振り回しているだけで、そういう意味では可奈美と正反対だし、舞衣とも反対だ。頭より先に手が動くタイプなのである。そもそも考えるのが苦手なのだから仕方がないとも言える。

(舞衣は強いし賢い。それに比べて私ときたら…)

 運動神経と身体能力で勝てるのは小学生レベルまでだ。中等部からはそんなわけにはいかないというから、考えるようにはして来た。試合開始後1分ほどなら大丈夫になってきた…

 大体無我夢中で御刀を振り回し、気づいたら勝っていたというのが、そんな美炎の勝ち試合だ。現在はまだ明らかになっていないが安桜美炎の肉体には大きな秘密が隠されており、その影響で身体能力が強化されることもあった為、この戦い方は相性が良かったと思われる。

「だああ!」

 また真っ向から斬りかかるが、これも簡単に躱されてしまった。

(ああもう。これじゃあ舞衣もがっかりしちゃうよ)

 日高見派が動き出すのままだ先の事で、この時期美炎にはまだ色々と自覚が無い。秘めた己の底力なんて、知りもしないものは当然アテに出来ない。

(このままじゃあ通じない。どうする? フェイント混ぜてく?)

(いやダメダメ、私が変に考えたって舞衣にはお見通しに決まってるよ)

 舞衣の試合はスペクトラムファインダーが熱で持てなくなるくらい見た。勝つ方法も考えて来た。けどダメだ。考えれば考える程勝てる気がしなくなるだけ。

(考えたって分からないよ。私に出来るのは――)

 当たって砕ける。これしかない。

「為せば! 成るッ!」

「…!」

 ダンっ、と再び地を蹴り、美炎は挑む。

 相手はあの衛藤可奈美をして簡単には崩せないと言わしめた、舞衣の中段正眼である。かつてあの燕結芽は舞衣の攻略に数分を要しているが、これはコンディションが悪ければ結芽の写シが使用不可能に成りかねない時間である。それほどまでに舞衣の守りというのは堅いのだ。

 キイン、と冴えた金属音が響いた。

 光芒が観戦する刀使達の瞳を焼く。

「…む」

「何と」

 思惟と漣が息を呑む。

(触った!)

 そう思った美炎の表情を、加州清光と孫六兼元の激突が照らし出していた。

 歓喜の表情であった。

(やった! やった!)

(さあいくぞ! いくぞ!!)

 牙を剥いている。敵となった相手には、美炎の微笑みはそう見えるであろう。

 前後左右、左右前後と美炎がステップを刻む。

「どう見る」

「環視の我らには、三度安桜美炎が同じように打ち込み、三度とも同じように舞衣様が凌いだ、そうとしか見えぬ。しかし…」

「うむ。柳瀬舞衣は、三度とも違う刀使の斬り込みを受けたように感じているだろうな」

「尋常ではない。あれはヒトを模してはいるが、ヒトの骨格で為せる打ちではない。安桜美炎とは抑(そも)、何者であるのか」

 舞衣の表情が緊張感を増した。

(おかしい。何、この違和感は)

 打ち込んでくる速さも距離も、舞衣の予想と異なる。傍目には微妙、しかし相対する舞衣にとっては致命的に異なる。だから返して打とうにもタイミングが合わない。

(美炎ちゃんの試合なら何度も見た。ペースに呑まれないないようにしよう、それは思った。負ける人は、そうして負けて来たから)

 美炎と先に戦った加守明や長江ふたばは、簡単にペースを譲らなかった。そもそもが我が道というものをしっかり持っている刀使たちである。我が剣で正面から斬り合い、紙一重で敗れて来ていた。

 舞衣の剣は相手の拍子の裏を取って勝つ剣だ。それは北辰一刀流のみならず、本邦の剣術発祥以来の理法である。真面目にそれに打ち込んできた舞衣は当然ながら相手の拍子を読もうと試みる。

(こういうときこそ基本。基本を思い出すんだ)

 中段に構えた舞衣の孫六兼元の切っ先が、小刻みに動き始める。

(…出た、セキレイの尾だ)

 鶺鴒の尾、とは北辰一刀流の中段構えの特質を指す。小鳥の尾の如く微細に切っ先を運動させる、これを美炎はもちろん、何度も立ち会って知っている。

 これを習った北辰一刀流剣士の卵たちは闇雲に切っ先をぴょこぴょこさせるものだが、舞衣クラスになると違ってくる。動く時と動かないと気がある。美炎が行こう、と思った時に上がって目元を狙って付けて来たり、下がろうと思うと胸元まで下がって追いかけてきたりする。こっちのやろうと思っている事を先回りして動いてくるのだ。

 オーケストラの指揮者のタクトを、美炎は連想する。お見通しどころではない、思い通りに動かされている、そんな錯覚を覚える。

(ダメだダメだ、そんな風に考えちゃ余計にハマる気がする)

(自分の剣で戦わなきゃ)

 タンっ、タンっ、と美炎のステップが一度大きくなり、それから間隔がたん、たた、と狭まっていく。

 舞衣は全く足を使わず、代わりにその切っ先の運動が、美炎の足と全く同じテンポで狭まってきている。

 どよめいていた客席の刀使達が、知らぬ間に静まり返っていた。

 ここに居る誰もが日々美濃関で厳しい修行を積む刀使であるが、これほどまでの超高度の駆け引きは、そうそう目に出来るものではない。

 いつ来るか。今行くか。

 今来るか。何時いくか。

 確かなことが有る。仕掛けるのは美炎だ。受けて立つのは舞衣だ。

 この均衡が崩れるのは――

「行くよ、舞衣!」

 体育館は静寂に包まれていたから、この声は良く通った。何と美炎は、自らの打ち込みに行くのを予告したのだ。

(まさか)

 正直に行くなんてことはないだろう。これは駆け引きでフェイントの筈。環視の刀使達の半分以上はそう考えた。

(…来る!)

 舞衣はそう考えなかった。美炎はフェイントなんて真似はしない。真っ向から来る。ならば私は――

「たあああ!」

「…ッ!」

 ガキイ、と刃と刃が、珠鋼と珠鋼が噛み合った。

「…うっ」

 ぎり、ぎりと孫六兼元と加州清光がせめぎ合う。

 鍔迫り合いとなっていた。

(来るって、分かってた)

(なのに、どうして…)

 互角に見えて、押しているのは美炎であった。触っただけの先の一撃よりも、明らかに上手く行っている。そうと分かって美炎の表情は、輝きを増して見えた。

 押されているのは舞衣であった。予期していた真直斬りだ。技に乗る事は簡単だった筈。なのにどうして。

 分からないのに闇雲に動くのは危険だと舞衣は考えた。

 どうせ分からないから行ってしまえと美炎は考えた。

「ぐッ!」

 引き面を一打見舞って下がった美炎は再び打ち込んできた。これも舞衣はしっかり受けた。

「まだまだッ!」

 美炎が打ち込む。舞衣が受ける。また打ち込む。また受ける。

 何度繰り返したか舞衣は憶えていない。必死に防いでいたら試合時間は過ぎ去っていた。

「両者有効打突なし。延長となったか」

「その延長も予選では一度。これは危うし」

 蓋を開けてみれば、試合展開は一方的だ。舞衣はここまで一度も攻めていない。どんな素人が見ても美炎の判定勝ちであろう。思惟も漣も敗勢であると見ていた。逆転するには、たった三分の延長戦で美炎の写シを剥がすしかない。

「これはいけるかも…」

「流石私に勝っただけの事あるじゃない」

 加守姉妹や長江ふたばは、ここでは美炎の味方である。舞衣のことも友達であるが、ここは自らに勝利した美炎を応援したい人情である。

(ぜんぜん…分からなかった)

 一分のインターバルの後試合再開となる。舞衣にとっては短い一分であった。

 同じ相手が同じ技で何度も斬り込んできているのに一度もタイミングが合わないなんてことは初めての経験であった。原因は何処に在るのか。自分の調子が悪い?それとも他の何かの原因?

(分からない…分からないよ…)

 いっその事、守りを捨てて攻める?

 機を捉えて攻める、というやり方は出来ない。だってじっと待っていてもそれが分からないのだ。闇雲に御刀を振り回して当たってくれるのを待つ、そんな攻めになってしまう。それで今の美炎に勝てるのか?

(…どうしよう)

 舞衣は途方に暮れていた。勝ち目を見失っていた。

(もう一分だ。行かなきゃ)

 結局何の目算も無く試合再開を迎えようとするその時、舞衣の膝元に舞い落ちて来たものがある。

(なに?)

 紙飛行機だった。何か絵が描いてある。

 広げてみると、試合会場の鳥観図であった。つまり、真上から見た絵だ。

(上にカメラ、あったかしら)

 見上げてみるがそんなものはない。ドローンが飛んでいる様子も無かった。

(何を見て書いたんだろう)

(だけどこれは明らかに…)

 今の試合の局面局面を絵にしているのが舞衣には分かる。鉛筆の白黒で、向き合っている両者の老若男女を示す描写はない。四肢や姿勢が見て取れるのみだ。手の位置足の位置、何処からどのくらいの距離を美炎は踏み込んできて、舞衣が最初どう受けて、その次をどう受けたか――

(体育館の屋根に登って描いた?)

 見つかったら大目玉だ。そんなことが出来るわけがない。けど…

(似たようなことなら、出来るかも)

 誰にでもは出来ない。しかし、舞衣になら出来る。

(明眼(みょうがん)…!)

 透視や遠視を可能とする明眼は、刀使が稀に備える通力の一つである。舞衣は伍箇伝でも名高いこれの名手で、その作戦能力と相まって戦闘指揮を任されることが多かった。

 これを行うと、視覚は肉体を離れて飛ぶ。何処に飛ぶかは修練次第で、舞衣はこれに長けていた。

(…なるほどこれなら)

 試合会場を鳥観出来る。

 普段ならもちろん、このようなことに意味が無い。目の前に居る相手を透視したり遠視したりする必要が無いからだ。

(これなら、行けるかもしれない)

 しかし、今は違う。ヒントが掴めるかもしれない。安桜美炎を破る為の、何か、手がかりが。

「両者中央」

 インターバルが終わりを告げた。

 進んできた舞衣に、美炎は一瞬で気付いた。

(今までの舞衣じゃない)

 全然違う。上手く言葉にできないけど、何だろう、この大勢の舞衣に取り囲まれているような感じは。

 もちろんそんなはずはない。目前の舞衣は舞衣一人だ。だけどそんな気がするのだ。

 本気を出してきた? じゃ今までは本気じゃなかったってこと?

 そうかも知れない。元より自分よりずっと先を進んでいる刀使なんだと、舞衣の事を思っていた。敵う相手じゃあないって。

 だけど、とても敵うような相手でなくても、何とかしてきた美炎である。

(為せば成るっ!)

 その精神で行くしかない。

「始めッ!」

 行司役の上級生が告げ…両者は動かなかった。

 舞衣は居合スタイルではない。今度も正眼に付けていた。その切っ先が再び、微細な拍子を刻み始める。

 美炎も正眼であった。ただ相変わらず切っ先の位置は相手の壇中、つまり胸元あたりである。

 美炎も拍子を刻み始めた。

 ここまでは、先程見られた光景である。ただ先ほどと違っているのは、美炎が前後のみでなく、左右にも足を散らせ始めたことだ。そうして舞衣の切っ先の右左横を伺うが、どう動いても切っ先が離れない。美炎のステップと全く同じ拍子、同じ方向で上下している。美炎が行こうとすると、ピタリと止まるのだ。

(やっぱりさっきと違う)

 舞衣がギヤを上げてきた。本気を出してきたんだ。

 でもだからといって、美炎に秘密兵器があるわけではない。一回戦から今まで強敵ばかりで気を抜くことなんて出来なかった。いままでずっと本気だったし、これ以上の本気なんてない。

(ごめんね舞衣、変わり映えなくて。でも私、精一杯やるから)

 ダン、と体育館全館内を揺るがすような踏み込みであった。やはり先に行ったのは美炎であったのだ。対する舞衣は――何もしなかった。

 美炎が何もしなかったからだ。

 美炎は踏み込んだまま、舞衣の横を通過しただけだ。斬りには行かなかったのだ。だから舞衣は応じ太刀をしなかったのである。

(ダメだった。舞衣には見えてた)

 もし清光を振るっていたら、カウンターを綺麗に貰っていたに違いない。一方舞衣が飛び込んできた美炎に反応して斬りに行っていたら、逆にカウンターを貰っていただろう。

 凄い判断であった。

 どちらも凄い――環視の美濃関の手練れ達も固唾を呑む。

 東西が入れ替わった。さっきまで舞衣が居た位置に美炎が、さっきまで美炎が居た位置に舞衣が居る。再び、舞衣の切っ先が浮沈し始める。美炎のつま先が、リズムを刻み始める。

(もっと! もっと全力…!)

 セミロングに纏めた美炎の髪が、炎の如く揺らめく。常に忙しなく拍子を刻む美炎の剣であるが、そうして少しずつでもエネルギーを逃がさなければ、漲る気迫が臨海突破しかねないからだ。大爆発しかねないからだ。

 集中力が無いのではない。瞬間的に高まり過ぎるのだ。安桜の血の封印の件があるにせよ、これは美炎の生粋としても良いだろう。いつ切れるか分からないにせよ、持続すれば実力に倍する力を発揮する。そして学年を一つ重ねた今、維持できる時間は確実に増してきている。

「…恐るべし、安桜美炎」

「お前の師は旗色悪いぞ、思惟」

 美炎に衰えの兆しが無い以上、この延長戦、全くの五分と五分である。故に当然、判定は美炎優勢のままであろう。このままでは優勢勝ちを美炎に譲ることとになる。攻めていかねば敗北は必至。舞衣はそれを分かっているのかいないのか。やはり正眼で不動のまま、運動するのは切っ先のみ。

 拍子木が、残り時間1分を告げる。

 それでも舞衣は動かない。攻めて行かない。

 攻めていかねば負けが確定する舞衣に、幸運が二つあった。

 一つは、客席。何をしている攻めろ負けるぞ、などと囃す者は一人も居なかった。ここに居る誰もが手練れの刀使であり、舞衣と美炎が稀に見るレベルの攻防を行っていることを見て取っていた。悪戯に舞衣を急かしたり、美炎に自重させたりするようなことがなかった。

 一つは、美炎。このまま守って優勢勝ちを収めれば美濃関刀使総代が決まるというのに、全くそれが念頭に無かった。逆にあと一分しかないのが残念だと美炎は感じていた。いやむしろ焦った。早く仕掛けなきゃ、試合が終わっちゃう。

 打ち込んでいける隙なんて今の舞衣には無い。上手く行く気は全然しない。だけど行かなきゃ。舞衣に見てもらわなきゃ。

(…行くよ。私と清光の、全力!)

 美炎の忙しないステップ、そのリズムが徐々に小さくなり、ついには傍目に止まる。それに従い忙しなく運動していた舞衣の孫六兼元、その切っ先も定まる。

 静止ではない。その逆だ。爆発に備えた収縮であった。

((…今!))

 美炎がいった。それは前と同じだ。舞衣が違った。

 美炎の斬り込みに、真っ向から斬り込んでいったのだ。

 この試合、最初に繰り出した舞衣の技は、美炎と同じく真っ向斬り下ろしだった。

(…むうッ)

 思惟は心中唸った。漣も、加守姉妹や長江ふたばもそうであったに違いない。

 同時に見えて、仕掛けは美炎だ。舞衣は応じ太刀だ。

(切り落としにいったか…!)

 舞衣は機先を押さえたかったに違いないが、それは出来なかった。故に次善の、後先を狙った。しかし実際はそれも追いつかなかった。加州清光と孫六兼元は空中で衝突。弾かれ合って落下点を変じ――

「…ッ」

 舞衣の写シが飛んだ。

 勝者美炎か、と思われた時、中空から体育館の羽目板に深々と突き立ったのは、切っ先の欠けた加州清光であった。

 美炎の写シも、また飛んでいた。

 孫六兼元は、舞衣の手に握られている。再び写シが張れる。一方、美炎の手に我が御刀は無い。

 墓標の如く屹立する加州清光に、美炎は写シを失ったことを悟った。

 …ダメだったか。頑張ったんだけどなあ。

「勝負あり! 勝者、柳瀬舞衣!」

 行司役の刀使が勝者を告げた時、美炎の瞳からどっと、熱いものが溢れ出した。舞衣は只々、息を大きく弾ませるのみであった。

 試合はどうなったのか。もう終わりでいいのかと、そんな顔をしていた。

 しかし、かくして、本年度美濃関学院総代は決したのである。

 

***

 

 あの娘には私と同じ思いはさせたくない。

 そう思うようになったのは何時だったか。

 あの相模湾に置き去りにして来た己の夢が、果すことの出来なかった約束が、今あそこに居る。

(私には出来なかった)

(だけどあなたにはなって欲しいの。衛藤可奈美さんの、友達に)

 羽島江麻学長にとり、柳瀬舞衣は宿題であった。

 出題者は、己自身である。

(星王剣(せいおうけん)の位に達しなければ、本戦には勝ち残れない。可奈美さんを救うことも、貴方自身を救うことも出来ない)

 私には出来なかった。だけど柳瀬舞衣さん、貴方なら私の為し得なかったことがきっと出来る。

(美奈都さん。貴方の娘は、貴方と同じにはならない)

 きっとあのコが、救ってくれる。そうすることによって、多分私も救われる――

「言われた通りにしたよ。あれでよかったの」

「ええ。ありがとう七奈。じゃ、行きましょうか」

 観戦席を立つ学長羽島江麻に、一名の女生徒が付き従った。

 中等部であろうその刀使は、御刀と共にスケッチブックと絵筆を携えていた。

 

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