刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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伍箇伝の娘 その2

 ネッカチーフのように丁寧に包装された包みを解けば、そこにはまた包装の個別にされたクッキーが整列していた。

「一日いっこ…」

 一日にひとつづつ。無くなる頃には、舞衣が戻る。

 舞衣がイクサ討伐作戦前に、美濃関に召還が為されたのは作戦に不要、とかではもちろんない。作戦で手薄になった緊要地のフォローに、一枚引き抜くなら前衛後衛、教官役から学長の秘書役まで何でもこなせるスーパーウーマン、柳瀬舞衣(やなせ・まい)だと判断されたからである。

 時を移さず伍箇伝各校は現在御前試合の予選が始まる、今はその頃である。舞衣は美濃関代表の有力候補。順当なら決勝まで試合をしないと、御本家に戻っては来れない。

 そんなことは、糸見沙耶香(いとみ・さやか)には分かっていた。

 普段ならば毎日ひとつづつ、おやつの時間にこれの包みを破って齧るのが日々の楽しみとなっていただろう。クッキーの残りは心細くなっていくが、その代わりに、舞衣が帰って来る日が近づいてくる。舞衣が折神邸を去る日には、このような日持ちに工夫したカウントダウンクッキーを沙耶香の為に残していくのが、常であった。

 だから沙耶香にとっては名残惜しくもあり、指折り数える楽しみでもあったものだ。

 しかし、今週ばかりはすこし勝手が違っている。

(チャンス…!)

 ついに、訪れたのだ。

 こんな好機はもう来ないかもしれない。

 常に沙耶香を気遣い、ほんのささいな変化も見逃してくれない友人たちは今、イクサ討伐作戦の後始末だったり、予選で地元に戻っていたりする。こんなことはありそうで、今まで全然なかった。

(何を着て行けばいいんだろう)

 色々と迷ったがこれは結局、制服に落ち着いた。おめかししようにもどういうのがおめかしなのか沙耶香には分からない。行先が行先だし、これでいいだろうと納得した。

(何を持っていけば?)

 花だ。綺麗なのががいい。

 だけどどんなのが好きなのか、聞いたことはなかった。迷って、花に詳しい心当たりにそれとなく…出来得る限りそれとなく、心当たりに聞いてみたところ

「生花の持ち込みが可能かどうかは病院にもよるが…それならライラックやチューリップなど定番だね。あと菊や百合などの縁起の悪いのや、赤や白の色は避けた方がいいよ」

 このような答えを獅童真希(しどう・まき)から得た。

「大きな病院には売店があって、見舞い用の花を置いてるところもある。多分あそこにもあったんじゃあないかな」

 チューリップ。

 話に出たライラックという花がどんなものか沙耶香には分からなかった。けどチューリップなら分かる。多分、好きな花だと思う。

 その真希の話を参考に病院の売店で買い求めた黄色いチューリップを二輪持って、沙耶香は生涯二度目の大冒険をするべく、廊下を歩んでいる。ちなみに一度目は、先生の手を振り払い、舞衣と一緒に逃げ出した時だ。

(先生…)

 ここに来ることは舞衣たちには話していない。

 沙耶香を止めたり、着いて来て庇ったりするような人たちには誰にもだ。

 一人だけで会いたかった。

「次に会うときは敵同士です」

 そのように言われていたが、あの事件はもう一年前に決着した。敵も味方も無い筈だった。会いに来るのに不自然なことは無い筈だ。

(会ったら、私は…)

 皐月夜見(さつき・よみ)の話をするつもりであった。

「あの人を頼む」

 そう己に、己の最も大切な人の事を託した夜見のこと。その約束を裏切った己の不実も。

 結果、どうなるか沙耶香には想像もつかない。怒られるかもしれない。口もきいてくれないかもしれない。最悪、斬られるかもしれないとすら思う。それでも。

 避けては通れない。沙耶香が自分で乗り越えねばならないことだ。何時になるか分からないけどいつかは必ず、そう決めていたのだ。

(先生…)

 廊下を歩むにつれ、鼓動は高まる。手も足も震えている。

 幾多の大作戦に参加し、命を的に働いて来た沙耶香をして、ここまで緊張を感じたことはない。いやこれは緊張などというレベルでなくもう恐怖であるだろう。

 荒魂の大群にも豪強の荒神にも恐怖したことが無い沙耶香は怯えていた。

 怖い。怖いけど。

 それでもやはり沙耶香は進んだ。

 行くのだ。進むのだ。そう決めて来たのだ。だから私は――

『高津雪那(たかつ・ゆきな)』

 そう書かれた病棟の前に、ついに沙耶香は立つ。

(先生――)

 ここまで来て沙耶香は分かった。

 怖かった。逃げ出したかったけれど、それに勝る感情が沙耶香の内にはあった。

 先生に会いたい。もう一度、会いたい。

 思いもよらぬ感情であった。己の何処か片隅にでも残っているとは思いもしなかった気持ちであった。けれどそれは…

(気づかなかった…)

 今まで気づかなかったのは、大きすぎたからだと思う。

 大きすぎて見えなかった。分からなかった。思えば己は、この気持ちに包まれながら今まで戦ってきたのだ。包まれていたから分からなかった。見えなかった。だけど今なら分かる。

(先生)

(沙耶香が行く)

(今、そちらに――)

 病棟は個室ではなかった。四棟の内一棟、一番奥の窓際、そこに先生が居る。先生が。

 二輪のチューリップを武器のように握り締め、踏み入った病棟のその先に居たものは――

(……え?)

 先生が居るハズの一番奥の寝台の上に誰かが居た。

 外を見ている。

 いや、何を見ているのか。

(…せん、せい?)

 沙耶香の知る、どんな高津雪那でもない。

 高津雪那の魂は、何処かに抜け落ちてしまっていた。

 ぼんやりと、窓の外を見ながら何も見てはいない、高津雪那の姿をした何者かには、何処にも雪那を雪那たらしめていたものが見当たらなかった。

「…ひ」

 沙耶香は悲鳴を上げた。 

 上手く声にすらならない悲鳴だった。

(死、んで…)

 高津雪那の亡骸。

 もちろん本当に死んでいたわけではないが、そこに坐しているそれに、沙耶香が連想したのはそれであった。朽ち果てた雪那の残骸。

(手、に…)

 何かを懐いている。それが夜見の御刀、水神切兼光(すいしんきりかねみつ)であると知ったとき、沙耶香は武器と頼んだ二輪のチューリップを投げ出して、駆けだしていた。

 逃げ出したのだ。

 どんな荒魂の大群にも、己に倍する技量の荒神にも一歩も引くことの無かった沙耶香が逃げた。

(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――)

 そんなことを心の内に言いながら、何処をどう逃げたのか沙耶香は憶えていない。

 気づけば病院の外に居た。

「…う…」

 そこでやっと、涙が出た。

「ごめんなさい…」

 先生に。先生を託してくれた夜見に。

 他に言葉が無かった。

 取り返しのつかないことをしたのだと思った。

 沙耶香が裏切ったから、先生はあんな風に…沙耶香の知る先生では無くなってしまって、もうこの世の何処にも居なくなってしまった。

 もう無理だ。

 二度と逢えない。

「うっう…」

 地面にはいつくばって、沙耶香は泣いた。

 そうすることしか出来なかった。

 ただ泣くことしか出来ない、無力な少女に今だけは戻って、沙耶香は何時までも、そうしていた。

 高津雪那、失踪の報が伍箇伝を駆け巡ったのは、その夜のことである。

 

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