また刀使ノ巫女IFストーリーをお届けします。時間軸はアニメ版に準じているので、夜見や結芽は亡くなっている前提になっていますのでご注意!
「我が国はかつて二度、剣の時代を経験しました」
伍箇伝合同新学期始業式。
演壇に立った折神家当主代行、折神朱音(おりがみ・あかね)の訓示劈頭第一声は、上のようなものであった。
「一度目は戦国末期より江戸初期に至る、剣豪と云われた者たちが数多輩出された時代。塚原卜伝、宮本武蔵、柳生一門などが生きた時が、我が国が最初に経験した剣の時代です。二度目は幕末維新。坂本龍馬や新選組などが闊歩した時代。人々は身を立てるため、志を成す為手に剣を取り、その技を磨きました。剣が国を回した時代は、確かに存在したのです」
現代の軍隊に、剣技の訓練はない。
現代戦が、剣やその技術によって戦われないからだ。
所謂特殊部隊においてはナイフや格闘のカリキュラムが存在するが、彼らが出向くのは紛争レベルの限定的な不正規戦であり、規模の大きな正規戦ではない。剣を携える者は個人レベルで居るかもしれないが、基本、剣を携行するキャパがあるならば小銃を携えるだろう。
本格的な正規戦は正規軍の要する銃砲、戦闘車両や艦船、航空機によって戦われる。もちろんこれらは、刀剣でどうこできるものではない。軍はこれらを保有し、兵にはこのような現用兵器への習熟が求められ、訓練される。
現代戦は高度に電子化された兵器で戦われ、剣が戦争に求められた時代は過去のものである――
この前提が完膚無きまでに覆ったのが、先の鎌倉特別危険物漏出問題に端を発する一連の事件であった。
関東大災厄――俗称するところの年の瀬の災厄。相模湾大災厄をも上回る、関東どころか人類規模の大破壊となる危険があったこの事件で自衛隊の出動は当然あったが、厚木の高射砲大隊による威力偵察のみに留まり、とどのつまり、何の役にも立たなかった。
核戦争レベルの危機に対応したのは防衛省ではなかった。相模湾大災厄の折と同じく警視庁の一部局、刀剣類管理局の擁する特別祭祀機動隊であった。
首謀者であるタギツヒメは自衛隊の所持する兵器では効果を得られない荒魂である上、自らも御刀を高い技量で使用し、特祭隊の刀使を寄せ付けなかった。撃退したのは、これも究めて高い技量で御刀を使用した特祭隊隊員によってであった。
核戦争レベルの事態が剣技によって決着し、地球は剣技によって守られたのである。
もしタギツヒメに等しい、御刀によって武装した大荒魂が再び現れた場合、自衛隊に対応能力はない。これば米軍であろうと同じであろう。
御刀を大荒魂に勝る技量で使用し得る、刀使のみが人類を救い得る。
一連の事件はこの事実を人類に突き付けたのである。
実は当の特殊刀剣類管理局においても、意識改革は同様に求められていた。
彼ら実働部隊たる特別祭祀機動隊の本業は御刀を用いて荒魂を退治することで、早い話が害獣駆除であった。爪や牙、或いはその巨体は危険であったではあるものの、武装していることはなかったし、迅移や金剛力を使ってくることもなかった。
それに対抗する刀使は剣を練ったが、それは御刀を正しく荒魂に用いる為であり、本来の目的である敵兵との斬り合いを制して勝つ為には行われていなかった。ようするに刀使は、本邦古来の対人剣術を応用して、荒魂を倒してきたのである。
このような害獣駆除であるところの荒魂退治を本領とした刀使は、御刀で武装したタギツヒメのような大荒魂に対して有効に戦えなかった。最終的にタギツヒメ討伐を成功に導いたのは、荒魂退治はそっちのけで剣対剣技に邁進して来た、特祭隊としては本流ではない刀使であったのである。
この戦いでエースと目された衛藤可奈美(えとう・かなみ)の荒魂討伐数は中の上と平凡なもので、同行した益子薫(ましこ・かおる)には及ばない。しかし一連の戦闘で柳瀬舞衣(やなせ・まい)は可奈美と、大荒魂鎮めの秘剣を有した十条姫和(じゅうじょう・ひより)を中核とした突入作戦を立案し、討伐エースのはずの益子薫は一から十まで支援に徹していた。
これは特祭隊としても画期的な作戦であり、後に至るも評価が高い。荒魂討伐の実績よりも、剣対剣の技量を中核とした点が、である。そしてこれは、後の特祭隊の方針ともなっていくのである。
「火器の隆盛により剣の時代は二度終わりを経て――三度目の始まりを告げようとしています。それも、火器が通じず、御刀によってのみ倒すことが出来る荒魂の大襲来によって」
大荒魂、タギツヒメを幽世の彼方に退けて尚、人類の危機が去ったとは言い難い状況が続いていた。
「刀使の心は荒魂狩りに在り。今まではそうでした。剣対剣訓練は、クラブ活動のレベルでしか行われてはいませんでした。今までは、です」
幽世と現世のかつてない接近はノロの活性化を呼び、荒魂発生を続発させ、収束の気配は見えなかった。この上の事態悪化は防げたものの、史上最悪の月間荒魂事件発生件数を今なお更新し続けている。
「しかし、禍神(まがかみ)との戦を経験した我々は、過去の認識は改めなければなりません。御刀を手にし神性を取り戻した荒魂は、既知の荒魂に非ず、刀使の技を持って人に仇為す荒神にあられます。畏れ多くもこれを払うには、鹿島刀剣大明神の業前を身に付けねば務まりません。究めねば人々は守れないのです。究めねばこの国は、この世界は守れないのです」
折神朱音は、我が右掌と左掌を、胸へと合わせる。
「今やあなた方の、その腰間の一振りの重みがこそが、人類の重みなのです。己の命よりも重いかもしれぬものが、鞘の内に納められていると知らねばならぬときが来たのです――」
***
折神家当主訓示は専用回線によって伍箇伝各校の講堂のスクリーンに中継される。各校生徒はそれぞれの校舎でそれぞれの思いを持って、朱音の言葉を聞いたであろう。
演壇から降りた朱音を、舞台の袖に出迎える者があった。
「良い草稿だった」
「姉さん!? お怪我は!?」
「思いの他経過が良くてな。医師に頼んで出してもらった。お前が考えたのか?」
「皆で考えたに決まっていますよ、紫姉さん」
折神紫と、折神朱音。
折神家姉妹の顔立ちはよく似ている。
それだけに、何れが姉で何れが妹であるのか、見分けることは至難である。折神紫の肉体年齢は17歳で停止しているのだから、なおの事であった。
しかしこれは言えるであろう。
鋭の紫に対し、朱音は柔である。
二天一流の業前により、刀使たちの手綱を実力で握った紫の真似はそもそも、刀使としては引退して久しい朱音には不可能であったし朱音の好むところでもなかった。
御刀に代わる朱音の得物は、言葉であった。他に取り得る武器は、折神家に生まれただけのただの女と成り果てた朱音には、他に何もなかった。
その唯一の得物を、朱音は研いできた。
別条鍛錬を積んだであるとか、そのようなことではない。誰よりも特祭隊や刀使たちの取り巻く状況を考え、伍箇伝創立以来の長い間心を砕いて来たから、それが言葉となって出る。
今の朱音の得物は、いわば伍箇伝五校に散った仲間たちへの、引いてはその教え子たる刀使たちへの愛そのものである。
「私だってまだまだ三十を出たばかりの若造ですもの、分からないことだらけです。でも迷ったときは、伍箇伝の皆がいつも、道を示してくれる。だからなんとかやっていけてます」
このようなことを言う折神朱音の武器は愛であるとして、何の過言があろうか。
「苦労をかけた。その苦労に報いることも、まだ出来ん」
「あんな大けがからこうして立ち直っているのですもの、それが何よりの報いです」
「…いずれ借りは返す。何等かの形で」
「いいって言っているのに…ああ、そうだわ」
「ん? 何だ」
「思いつきました、たった今」
「言ってみろ。させてもらおう、この姉に出来ることならば」
「…タギツヒメ討伐作戦の折、真希さんと寿々花さんが、高津学長を保護して下さったでしょう」
「ああ。しかし皐月夜見の救出は叶わなかったが、雪菜だけでも連れ戻せたのは幸いだった」
「事件後、高津学長からの押収品の中に、それはもうたくさんありましたの」
にっこり、と朱音が微笑む。
「たくさん? 何がだ?」
「それは見てのお楽しみですわ」
いやにっこりではない。にんまり、だ。
ニッカリ、でも良いかもしれない。
妙に愉快そうな妹に、紫の柳眉が微痙攣する。そういえば、子供のころの朱音は悪戯をさせれば相楽結月(そうらく・ゆづき)も真っ青の腕白だった。鬼の結月、悪魔の朱音と密かに思っていた若かりし日を思い出す。どうして今まで忘れていたのか。ひょっとして私はまた、過ちを犯してしまったのではないのか…
***
思い出すだに、衛藤可奈美は胸ときめく。
古今の剣を見聞、実践することを喜びとし、青春のわりとかなりの部分をそれに割いて来た可奈美を驚かせる、それほどまでの奇剣であったのだ。
数刻前の話である。
自失でシャワーを浴びてさっぱりした後、実家から送ってもらったお気に入りのでっかいタオルケットで水気を拭いつつ、先刻の立合いを可奈美は振り返る。
対敵となった七之里呼吹の用いた立ち方からが先ず、尋常ではない。新陰流にも直立――すぐだち、と読む――のような画期的な構えはないこともないが、呼吹の構えと来たら、右足も左足も前に出てないし後ろにも出ていない。
これがどう奇なのかというと、剣道であれフェンシングであれボクシングであれ、大抵はどちらかの足が前に出ているものなのだ。
これは摺り足を用いるためにそうなっている。右左右左の歩み足は、武道の世界のみならず、ガンシューティングの世界になっても戦闘には用いられない。敵を眼前にした兵士は摺り足で移動するもので、大抵初心者が道場に行ったら、先ずこの摺り足を嫌というほど練習させられるのだ。
稽古大好きな可奈美に、嫌な稽古を上げろと言われればランキング上位にこれがくる。
(だって、御刀振れないんだもん)
それはさておき、呼吹のような立ち方が、武術の世界に無いわけではない。
空手においてはナイハンチ立ちや鉄騎立ちがそうである。中国武術においては馬歩立ちがそうである。
しかしその何れもが、鍛錬として用いられこそすれ、好んで戦闘に用いられることはない。両足を揃えて立ったら前からの衝撃で簡単によろけてしまい、そうなったら斬られる他ないからだ。
しかし呼吹は、そう構えたのである。
下半身はそんな感じで、上半身はこれまた、諸手にそれぞれ小太刀をだらりと携えた異形の構えであった。
折神紫(おりがみ・ゆかり)の修めた二天一流をはじめ、新免二刀流や心形刀流など、左右諸手に二刀を用いる流派は在るが、大抵は大小を用いるものであり、両手に小太刀ということはない。
(いったいこの構えから、どういう風に…)
どうやって攻めて来るのか、などと、正眼で待ち構えていたのが今思えば間違いだった。
これは可奈美的には仕方のないことで、そもそも可奈美は勝つために剣を握っているのではない。
剣を見てみたいのだ。技を見てみたいのだ。
でも己の剣が凡庸では、相手も本気になってくれないから技を磨いてきた。磨いていくと不思議に、一度戦ったことのある相手でも、見せてくれなかった技を見せてくれるようになる。そうすることが嬉しいから、もっともっととせがむように鍛錬を重ねた。
この気持ちは、恋に似ている。
相手の事をもっと知りたいとか、分かり合えて嬉しいとか、それって風の噂に聞く例のナニと同じものなのだから似ているのだ。男子とする方のそれは未経験だったがきっとこんな感じに違いない。
そんな可奈美だったから、一先ず呼吹の様子を見たのだ、どのように攻めかかってくるのかと――
それが誤りだった、というのは非常に躱しづらい攻めが来て、それが次から次へと繰り出されてきたからである。
呼吹が駒の如くに回転した。
といっても実際にその場でくるくる回ったわけではない。身体を中心を軸に右に半弧を描いたのだと思う。そうなると横の身体が縦になって肩の方が前に来る。肩の先には右腕があり、右手の先は、琉球王朝の至宝北谷菜切の切っ先だ。
それが呼吹の踏み込みであった。
(うわ!)
正面の相手に、横から突かれた。
初見の相手だから驚かされることもあるだろうと心構えはしていたが、それにしたって驚いた。
おかげで可奈美がしたことと言ったら、後ろに下がって間合いを開けるという、平々凡々な回避であった。
当然呼吹は追った。今度は左に半弧を描いた。前と違うのは、前が身体の中心線を軸とした半弧だったのに対し、踏み込んだ右足を軸としたことだ。
今度は左の二王清綱が前に来た。しかも前と比べ踏み込みが、身体の半径に対し直径となっている。倍以上に深い。これにもさらに、可奈美は面食らった。
可奈美は再度下がったが、当然ながら間合いはさらに詰まって、完全に小太刀の間合いになっていた。後は推して知るべし――
可奈美の観の目(かんのめ)は、この年代の刀使として比類ないものだ。
観の目とはここではおおざっぱに言うと相手の動作となる前の予備動作を察知する目付のことで、よく「何故動かん」などと時代劇の剣豪対決で耳にするのは両者がこれを駆使しているからだ。瞬きも呼吸も傍には見えないが攻防の予兆であり、可奈美はこれを得意とするが故に、先に攻撃されてもどんどん先回りして躱していくことが出来る。
そして相手の技が尽きたところを打って倒すのが、傍目には危なっかしい可奈美の勝ち方である。
だけど相手だって熟練の刀使だ。読みが外れることもある。そんな時の脆さは多分母親譲りなのだと可奈美は思う。史上最強と知る人ぞ知る可奈美の母も、時折脆くも負けることがあったというから。
(まだまだだなあ)
(その後の薫ちゃんも、ヤバかったし…)
あんな長物を小枝のように振り回されたらもう剣技も観の目も何もない。
絶対刀を振りかぶって斬り下ろす為でない、それこそ指先を動かすくらいの予備動作で、10キロを超える鉄塊がぶっとんでくる。
予測が出来ないから反射神経だけで躱す。ほとんど弾幕シューティングの世界だ。迅移で懐に飛び込もうと思ったら薫も迅移で逃げるから追いつけない。ずっと一方的な攻撃を浴びながらやっと掻い潜って一太刀を入れた時にはこっちも疲労して写シが剥がれてしまう始末だった。
(いつもはドッカンドッカンぶん回す操刀だったのに、あんな緻密なやり方もあるなんて。流石は先輩刀使だなあ)
(一体何段階の八幡力なんだろう、あれ…)
世界は広い。
思い知らされた。可奈美の知ってる剣なんてまだまだほんのちょっぴりなのだ。けどそれは、この先まだまだ、知りたいこと、知って嬉しいことがたくさんあるということでもある。
「よーし、頑張ろう。もっかい道場行こう」
お風呂にゃもっかい入ればいいや。
大道場には誰か居るだろうか。
稽古の虫の舞衣や沙耶香が追い稽古してるかも知れないし、昼間警備だったコたちが夜稽古してるかも知れない。
どうだろう、明かりは点いているだろうかと様子見に普段開けない方のスモークのサッシをがらり、と開いた、可奈美の目の前に紫様が居た。
「…へ?」
「衛藤可奈美。ここは君の部屋か」
もう一度記すると、窓を開けたら目の前に紫様が居た。
どの紫様でもありはしない、刀剣類管理局局長で折神家当主、刀使の棟梁の折神紫(おりがみ・ゆかり)様である。
常通りの厳しいお顔に常通りの重々しいお声で、紫様はこう仰った。
「丁度いい。君に頼みが…」
声はそこまでで途切れた。
何故なら可奈美ががらぴしゃと、サッシを閉じてしまったからだ。
「何で!? 何で紫様が…」
私の部屋のベランダに? ここって確か三階だよね!
(え? なに? 夢? 私今寝てるの?)
ちなみに衛藤可奈美、先般のタギツヒメとの決戦より以前は夢の中で、とうに亡くなった生母の衛藤美奈都(えとう・みなと)とチャンバラしていたわけで、あながち有り得ない訳ではないのである。
「いてて。うん寝てないよね。なーんだ。だったら…」
つねったほっぺたは痛かったから夢じゃない。
だったら多分何かの間違いだ。うん誰にでも間違いはあるよ。人間なんだから間違うことだってある、私だって間違う、テストなんてかなりしょっちゅう間違う、だって私人間だもん。刀使怪獣オカタナザウルスじゃないもん――
己の人間としての誇りと尊厳をかけて、可奈美はもう一度、窓を開く。自分ちの部屋の窓を開けるのに何でそんなもの賭けるハメになっているのか分からないが――
「衛藤可奈美。繰り返すが君を見込んで頼みが――」
「うぎゃあああ!」
オカタナザウルスは鳴き声を上げた。
やっぱり間違いなく居たからだ。
「ホンモノホンモノホンモノ!」
「待て落ち着け。驚くのは分かるが冷静になれ。訳なら話す。これにはあまり深くはないながら一応の訳がある――」
可奈美は窓を閉めようとする、そうはさせじと紫様ががっきと窓枠を掴む。
力対力、筋力対筋力、パワーVSパワー…
「はあ、はあ、ぜえ、ぜえ」
「少々の間ここに匿ってくれ、故あって私は今、追われる身なのだ」
数分後、紫様は無事可奈美の部屋の中央に鎮座為された。
(全然息、乱れてねえ。汗一つかいてねえ)
私よりよっぽど怪獣だと可奈美は思う。
「ひい、はあ…追われるって…ふうふう…まさか、まさか!」
「荒魂に憑かれてはいないから千鳥から手を放せ。それと、衛藤可奈美」
「何ですか」
「私室でどのような恰好をしようと自由だし、思わぬ来客であったことは認めるが、その、何だ。服を着ることを勧める」
「へ?」
「服だ」
びゅんばたん、と三段階迅移もかくやのスピードで可奈美はさっき使ったユニットバスに舞い戻る。何故ユニットバスかというと、自室に他に部屋がないからだ。短期逗留の刀使たちは相部屋だったりするから、延々と折神家に長逗留するはめになっている可奈美にとっては不幸中の幸いであった。
ちなみに流石御刀怪獣、千鳥はちゃんと、手放さなかった。
「…うう。見られた。紫様に。全部見られた…」
「衛藤可奈美」
「何ですか…」
「風呂の中に着替えはあるのか」
「うっ…」
あるにはある。脱ぐのが困難なくらい汗だくになったのが。
触ると濡れて冷たい。流石にこれをもっかい着るのは嫌だ。すごく嫌だ…
「うっ…うっ…」
なんだろう。目から玉鋼が…
「分かった。とってやる。着るものは何処だ」
「…」
「黙っていては分からん。そのままでは風邪をひくぞ」
「…分かりません」
「ここは君の部屋ではないのか」
「…ひっく…分かんない…だって何処に脱いだか覚えてないもん…」
「下着は」
「…」
「…分かった」
可奈美は片づけるのが苦手だ。
もっとはっきり言うなら片づけない。
可奈美は衛藤家の紅一点であるので、そのプライベートに兄や父は立ち入り禁止である。なので文句を言われることもなかった。
目を逸らされていた、とも言える。
時折やってきた舞衣あたりに突っ込まれた時には「散らかって見えても自分じゃ何処に何があるか分かってる」などと、片づけない人間のお定まりのセリフで躱してきた。舞衣も可奈美には甘いものだから、「仕方ないわね、また様子見に来るわ」などといそいそと部屋を片付けて帰ったりする。
人生を舐めていた。全く甘く見ていた。
まさかご当主様御自らが、御立ち入りになる日が来ようとは思いもよらなかった。
「ほう。ふむ」
などと言いながらクローゼットやら引き出しやらを開けたり絞めたりする気配をバスルームの中で聞きながら、なにやら素っ裸にひん剥かれるような――いやもうこれ以上ないほど素っ裸ではあったが――そんな気持ちになった。
「ここに置くぞ。向こうを向いているから、着替えるといい」
すごく優しい声で、家探しされた挙句に引っ張り出されたのであろうあれこれ一式が、バスの前に、まるでケーキか何かのようにきちんと畳まれてそっと置かれ、また目から特別危険廃棄物が漏出した気がする…
「隊員に与えた私室の管理に付いて、私がことさらとやかく言うつもりはない」
紫様が選んだスペシャルコーデ――といってもなんのことはない、美濃関のジャージ一式であったが――に袖を通して無事ことなきを得た可奈美に、ことさらに、ご当主様は仰られた。
どうせことさらに言うことある部屋です。そのくらい自覚あります。ええありますとも。
「部屋を去る時に元通りにしてくれればそれでいい。それまでの間、ここは君の部屋だ、だから泣くな」
「…泣いてません」
「泣いていないのか」
「泣いてません!」
「そうか。分かった。衛藤可奈美。君は泣いていない。ともあれここは君の私室であり、私はそこに闖入した立場であるという事実は認める。これについては私にも、相応の理由があって…早い話、私は今追われる身なのだ」
「それさっきも言ってましたよね?」
「追手が諦めるまで少々の間、匿ってほしい。頼む」
「ええ?」
折神紫に取りついたタギツヒメは幽世へと追い払われ、今や紫様は清廉潔白、公正明大の身の上の筈である。
というか、折神家ご当主様を追い回す存在なんて、可奈美には想像出来ない。
可奈美が舞衣や十条姫和(じゅうじょう・ひより)であっても想像できなかったろう。
「一体誰が…いえ紫様、紫様は一体何を…」
「いや私が何かをしたという訳ではないが…む、追っ手が来たか」
「…!」
咄嗟に左手が傍らの千鳥を手繰る。
(一体どんなのが…)
流石に衰えたりとはいえ、実年齢三十余歳を超えても最強刀使の一角として君臨する折神紫を追い立てる者を、可奈美は想像出来ない。
戦巧者の紫は大荒魂タギツヒメと単騎対峙しても善戦している。それを一方的に退却せしめるとなればタギツヒメ以上の追手を想定せねばならない。
よく見ると紫様は徒手でいらっしゃる。大包平(おおかねひら)も童子切安綱(どうじきりやすつな)も帯びてはいらっしゃらない。追手とやらに対処出来るのは可奈美だけだ。
(私が頑張らないと…!)
衛藤可奈美の美点は数多いが、その一つは、自分が強いと露にも思っていない所である。奇しくも前年度御前試合の選手権者、獅童真希(しどう・まき)にも通じるもので、この為に可奈美には油断というものがない。
左の親指が柄元を圧する。
あとほんの少し力を加えれば鯉口が切れる、その寸前の力である。
鯉口を切ったら写シが張れる。戦支度は整った。あとは斬り合うのみ。いざ来い曲者、相手してやるぞと思った時だ。
「姉さま~」
聞き覚えのある声が聞こえて来た。
(朱音さまの声?)
サッシの窓は閉めてあるから、相当大きな声を出しているはずだ。
「ねえさま~」
朱音さまが姉と呼ぶ相手といったらこの世にただ一人である。
「紫さま、朱音さまが…」
「しっ。静かに」
え?
「あの紫さま? ひょっとして紫さまが追われている相手って…」
「察しの通りだが、説明はあとだ」
ええと。
どういう状況?
「おかしいわね。確かこの辺りに…何も窓から飛び降りて逃げ出さなくてもいいのに…」
聞こえてくる朱音さまのこんな声が、だんだんと遠ざかっていく。
「…あまり深くはないが、一応の訳が在るのだ」
「…聞いてもいいですか?」
素っ裸でいたところを無理くり部屋に侵入されたんだから、そのくらいの権利はあるはずである。
「先般の関東大災厄の折、朱音は捜索隊を組織し、行方不明となった君と十条姫和の行方を捜していた。その際、思わぬ品が出て来たのだ」
「…その、品って…」
「錬府学長、高津雪菜(たかつ・ゆきな)の悪しき遺産、というべきか…」
何処からともなく小型端末を取り出した紫様は、ちょいちょいと操作して、可奈美に画像を示して見せる。
「なにこれ…これ全部お洋服…?」
「そうだ。雪菜の私室から出て来た」
フルーツバスケットもかくやの有様で、ふりふりのひらひらが敷き詰められている。
どれくらいふりふりひらひらかというと、可奈美が警邏に出ていたとして、この服を着ている人を見かけたら確実に職質するくらいにはふりふりでひらひらであった。
それが部屋一面に敷き詰められた写真の画像がそこにはあった。
「はあ、高津学長、こんな趣味があったんですねぇ」
「若いころにはな。ああ見えて、学芸会などがあったときには白雪姫とかシンデレラとかをよくまかされていたものだ」
これを着たプリンセス高津雪菜学長を想像してみたが、日本中何処に出しても恥ずかしくないくらいの女王様にシームレス進化し、口に手を当てて高笑いした。お姫様…には無理がある、失礼ながら。
次に、これを着た紫さまを想像しようとしたら、今度は何度装着しようとしても、可奈美の頭の中の紫様は、衣装を差し出された端からぽいっと後ろに放り投げておしまいになる。
「…ええと、あの何と言いますか。朱音さまだってきっとお姉さんに甘えたかったんだろうと思うから、一回くらい着てあげても、バチは当たらあないっていうか、死にはしないっていうか」
「一回で済むと思うか」
「済まないんですか!?」
「一着、一回だろう、少なくとも」
「一着…一回…?」
この時点で可奈美は軽く、目が回った。
「しかも一着ごとに右から左から、立ったり座ったりで写真撮影だろうな」
「…あのう、一体何着…」
「30点程」
「ヒェッ」
何処の婦人服売り場だ。
「対策が無い故に今は逃れた。対策を得ることがなければ、出て行けん」
それは困る。
きっと特祭隊が困るし、何より可奈美のプライバシーとか人間関係とかがピンチになる。
「うーん…あ、じゃあこんなのはどうでしょうか」
「なにか策があるのか」
「策っていうほどのものじゃ、ないですけど」
部屋の中には可奈美と紫様以外には誰もいないけど、何となく可奈美は紫様に耳打ちする。
「天才か。衛藤可奈美」
「えへへ。ありがとうございます」
***
一方姉を求める妹朱音は、突如中断を余儀なくされた。
立ち塞がる者が在ったからである。
「卒爾ながら、今代折神家御当主とお見受けする」
「伍箇伝の生徒ではありませんね。ここは折神家本邸、伍箇伝生徒と関係者以外の立ち入りは禁じられています」
襤褸(らんる)、と言ってもいい出で立ちは伍箇伝生徒のものではないし、教職員や出入りの業者ならば見覚えが無い。
にも拘らず、腰間に長々と差した太刀を隠そうともせぬ。ここが刀使の本丸で、特別祭祀機動隊即ち警察の敷地の中であることを知らぬのか、知って気にせぬのか。
「折神家御当主の装いで在られながら、御刀を帯びぬとは如何なることか」
穏やかに質した朱音の言葉を、侵入者は質問で返した。
「私は折神朱音、故あって当主であり姉の紫を代行している者です。かつては刀使でしたが、高齢故御刀は後進に譲りました」
「御当主殿の妹君で在られるか」
「はい」
段平を帯びた侵入者に対しても、朱音の物腰は変わらず、平素の柔らかさのままであった。
侵入者が腰のものを抜いて襲い掛かって来れば、命は無いであろう。今のこの様子は定点警備カメラが捉えているだろうが、それを常時確認している者が居るわけではない。画像が改められるのは、朱音が屍となって後のこととなる。
そうと知らぬ朱音ではない筈だが、怯む様子が全くない。自若と侵入者に向き合うのみである。
一方、侵入者の方もそのような朱音の様子を不自然に思わなければ、訝しいとおも思わぬようであった。
折神家の血統とはそのような者たちである、ということを知っているかのようであった。
「では姉の御当主、折神紫殿に伝えられたい。馘が来た、と」
「馘(くびきり)?」
「本日只今をもって、馘今代の御試し御用事始めとなる故そのつもりで在られよ。では、さらば」
賊は唐突に踵を返した。
朱音はそれをただ見送る。
朱音とて警官の端くれである。未登録刀剣かも知れぬ太刀を帯びた者をただ返すべき立場ではない。備えの者を呼ばなかったのは、危険を感じたからであった。備えの刀使たちの身の危険に、である。賊との斬り合いとなった場合の危険に、である。
根拠を問われれば困る。しかし確信である。
並みの刀使では斬られる。
では斬られぬ程の刀使は今折神本邸に詰めているか。
衛藤可奈美や柳瀬舞衣、糸見沙耶香などの名が思い浮かんだが、彼女たちにもしものことが有ったら、対荒魂警備に重大な支障を来たすのではないかと、そう思ったのだ。つまり伍箇伝最強の刀使達ですら危うい相手と、朱音は見積もったのである。
「馘…」
くびきり。
その名の不吉さに、暫くの間、折神朱音は立ち竦む。
さてここに至るまで、とじともの方で臣にはショッキングな展開がいくつかありました。その一つは先の御前試合での可奈美の敗退です。しかもこれを下したのは、荒魂と融合してすら相手にならなかった姫和ということですから、これはいったいどうやって勝ったのか。何かの間違いなのかとも思うのですが、一体どんな状況だったのか。
もう一つ、臣がアニメ版で一番好きなシーンで、皐月夜見の最期というのがあったのですが、これが何と、結芽が帰還を果たした結果夜見も助かってしまいました。
夜見の最期に見せた赤誠が無かったことになるのは臣にとってはキツイことです。しかし夜見が助からなかったとすると救出の原動力となった結芽も戻らなかったということになり、さらにキツイこととなってしまいます。
そこで、臣はアニメ版ととじとも版の時間軸を一つにするべく、色々と考えていきたいと思っています。大目標はアニメ時系列での結芽、夜見の救出、ということになってくると思います。どこまでやれるかわかりませんが皆さまにお付き合いいただければ幸いです。