刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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伍箇伝の娘 その3

 水面にゆらめく月影のように、歩む女の姿には現実味というものが無かった。

 明るく月光に照らされつつも、闇そのもののように、女は見えた。

 靴らしいものを履いていない。

 ひた、ひたと、素足であった。

 身を覆うのは医療機関で使用される男女共用の夜着であったが、そんなものでは覆いきれないような色気が…いやもうそれを通り越して妖気のようなものが漂い出て来ていた。

 手荷物が一つある。

 水神切兼光――かつて皐月夜見(さつき・よみ)を主とした御刀であった。

「対象は日本刀らしきものを所持」

『御刀か』

「錬府女学院所蔵の水神切兼光と特徴が一致します」

『では対象は…』

「療養中と報告のあった錬府学長、高津雪那で間違いないと思われます。職質しますか」

『うかつに近づくな。先日、旧折神家親衛隊を擬態した荒魂が現れたばかりだしな。特祭隊に連絡する。彼女達の管轄だ』

「了」

 当直の警官のみならず、都内複数の防犯カメラが彷徨い歩く素足の女の姿を捉えた。目撃情報は刻々と寄せられ、高津雪那には密かに抜け出そうとか、人目に触れぬようにしようとか、そのようなつもりが全くないことが窺える。

「誰も付いていなかったのですか」

「それが、服務態度が非常に良かったもので、最初は見張りも付けていたんですが人員の無駄に思えて外してしまい…」

「そういうことではありません。御身内のどなたも、病室にいらっしゃらなかったのかと聞いているのです」

「す、すみません」

 折神本邸の作戦司令室で当直の刀使とこのような問答を交わしているのはここを取り仕切る真庭紗南本部長ではなく、特別刀剣類管理局局長、折神朱音であった。

「御身内の方に連絡をして下さい」

「し、しかし今は御前1時を回ったところで、あまりに失礼では…」

「しない方が失礼に当たります。ただちに行ってください。責任は私が取ります」

「り、了解しました!」

 ここまでの会話を行ったところで、真庭本部長が作戦司令室に転がり込んでくる。

「遅くなりました、局長」

「いえ、たまたま私が早かっただけです。しかし…」

「しかし?」

「雪菜先輩は、一体何処に――」

 何処に向かっているのか。マップを一望すれば、すぐに分かった。

「霞ヶ関魔城…」

 真庭本部長が呻く。

 このまま進み続ければ、行きつく先はそこであった。

「本部長、保護を」

「当直の刀使に出動を命じろ! 直ちに、だ!」

 

***

 

 本来糸見沙耶香はこの時、出動するべき立場にない。

 沙耶香は切り札であり、おいそれと切れるカードではない。沙耶香自身もそれを理解していた筈である。

「先に行く」

 その沙耶香がそれだけ言い捨てて、エントランスに集結した当直たちが止める暇も有らばこそ、迅移でぶっ飛んで行ってしまった。

 迅移は戦闘技術であって行軍技術ではない。移動手段としては息が短すぎるのだ。写シと併用などすれば戦闘可能な時間はごりごり削られていく。だから写シ同様、会敵までは温存しておくのが常道である。

 しかし、これが沙耶香には当てはまらない。トップスピードこそ十条姫和に譲るものの、他の追随を許さない持続時間の迅移を会得している。無念無想の名で呼ばれるそれは、移動距離だけを見るなら二段階迅移に達した強豪刀使の十数倍にも及ぶ。まさに異能の天才であった。

 このような特質により、沙耶香は接敵行軍に有効な迅移を行える唯一無二の刀使であり、対荒魂警備の火消し役として緊急出動、機動展開を行える虎の子であった。イクサ討伐作戦から首都警備に引き抜かれた理由がそれであり、であるからこそ現場に真っ先に向かうべき刀使ではない。先ず現場が対応し、しきれないなら切り札として投入されるのが沙耶香であるべきなのだ。

 沙耶香もそんなことは分かっている。

 けどじっとしていることなんて出来ない。

 沙耶香は、昼間に師の様子を伺い見ている。

 だからなおさらであった。

(もしあの時、私に勇気があったら…)

 先生は病院を抜け出すことなどしただろうか。

 分からない。分からないが先生の様子を察して、病院に注意してもらうよう頼むことくらいは出来たかもしれない。

 だけどあの時沙耶香は逃げた。

 他に何も、考えることも出来なくて、他にどうすることが出来たかなんて――

(…違う)

(出来ることはきっとある。今、これから)

 先生の進む先は霞ヶ関魔城。

 あそこには、多分あの人の亡骸がある。水神切兼光のかつての持ち主、皐月夜見の。

(会いたいんだ、きっと。けど…)

 それは阻まなければならない。御刀を持った一般人を荒魂が見逃すはずがない。先生はこのままでは、夜見の後を追ってしまう。いや、それが先生の目的なのかもしれないのだ。

(急がなきゃ)

 迅移に次ぐ迅移を繰り返し、ついにスペクトラムファインダーが示す目標位置へと到達したときには、ほぼフルマラソンを走り切った状態に、沙耶香はなっていた。写シなど張れない。だけど、やらないと。

「…え?」

 ついに沙耶香は雪那の姿を目視で捕らえるを得た。それと同時に目に入ってきたものは――

「裏切り者。殺してやる」

 刀使、であろうと思う。己と同じ錬府の制服を着ている。

 顔見知りではない。

 いや、顔見知りであるとしてもいいであろう。

 夜目に浮かび上がった刀使の顔立ちは、沙耶香の良く知る者にそっくりであったからである。

「……!」

 沙耶香は走った。

 迅移も無念無想も発動するかどうか分からない。だからそれに頼らず沙耶香は走った。

 師、雪那の許で鍛えた伍箇伝中等部髄一と噂も高い身体能力が、師の危急を救った。沙耶香が突き飛ばした師の居たところを、間一髪、凶刃が走り抜ける。

 殺気に満ちた刃であった。

「邪魔するな!」

「そうはいかないッ!」

 妙法村正を中段に付けると、相手は応じて写シを張る。沙耶香は――

「…写シを張れ」

「…」

 張りたくても張れない。そんな生命力はここに来るまでに全部、使い果たした。

「舐めてるのか」

「…」

「待てよ、お前…妙法村正の刀使、糸見沙耶香」

「うん。そう」

 今や沙耶香は誰しもが知るエースだ。知られていてもおかしいことではない。

「糸見沙耶香。そうか、糸見沙耶香、お前がここに現れたのか」

 ニンマリ、と刀使は牙を剥いた。

 嗤ったのだ。

「丁度いい。その女の前でお前を斬ってやる」

「!」

 沙耶香は目を見張る。刀使の見せた脇構えはまさしく小野派一刀流、初伝にして奥義、切り落としの構え。

(同門…)

 沙耶香の胸の内の疑義が次第に、確信に変わっていく。

「先生に、よく似てる」

「なにッ」

「そうして構えたら本当にそっくり。もしかして、貴方は…」

「それ以上言うな!」

 刀使は吠えた。

「その女と私たちはもう何のかかわりも無い! それにそっくりなのは糸見沙耶香、お前の方だろう!」

「…? 私と先生が?」

「そうだ! その、斜(はす)に取る中段はその女のそれにそっくりだ!」

「先生にそう教えらえた。半身になれば敵からは小さくなれるって」

「お前…っ!」

「君。君はもしかして…」

「言うなぁ!」

 キれた。

 目くら滅法の力任せに振り下ろして来る。

(切り落とせる)

 頭でそう思った沙耶香であったが、身体はそう動かなかった。

(え!?)

 身体の方は、真っすぐに下がっていた。

 稽古通りやれば切り落とせると頭では思っていた。だが稽古を積み上げて来た身体は知っていた。稽古通りのタイミングでは切り落とせない、ということを。

(…思ったより、鋭い)

 それも相当に、だ。

 切り落としを仕掛け、正中線を争って競り合えば、弾き出されたのは己の村正であったかも知れない。

 思いかけぬ手練れであった。

 大幅に想定を改める必要があった。太刀行きの速さには色々あるが、この相手は剣が近道を通ってくるタイプだ。フォームが良く練られているのに加え何か、何処までも獲物を追う毒蛇の如く相手の生命を狙ってくる執拗さを感じる。

 危険なこの相手に対し己は、写シが張れない。体力も相応に消耗している。

(不利…だけど)

 視界の隅にうずくまっているのは、己が突き飛ばして守った恩師の姿。

「やるしかない」

「…!」

 沙耶香の纏う空気が一変していた。

 中段に取った切っ先がゆらり、と下がっていく。剣先は地面を指し示し、それで止まらず地を掃くように、相手と反対側へ。

 脇構え――

 小野派一刀流の基本にして奥義。切り落としを学ぶに最も適しているとされ、実地で行うにもよく用いられるこの構えを、沙耶香が用いる相手は限られる。柳瀬舞衣、さらには衛藤可奈美あたりが相手になった時くらいなものだ。

「…」

 そうと見て相手も仕切り直した。

 激高、していたと思われる先ほどとは打って変わっていた。

 斬り下ろした切っ先が、もとあったところに戻っていく。沙耶香と同じく、脇構えに――

 ビリリ、と夜気が電光石火を帯びる。

 先に仕掛ければ切り落とされる。だがそれを損なえば斬られるのは己である。

 互いがその条件であった。

 じりり、と互いの左足が、相手のより近間を求める。じりじり、じりじりと、しかしどちらも止まる気配はない。一足刀の刃圏に今将に近づかんとしていた時であった。

「対象を発見! 直ちに保護!」

「了解!」

 沙耶香の後を追ってきたと思われる当直の刀使達のものと思われる声であった。

ことさらに大きな声は、沙耶香の相手となっている刀使に、己たちの来援を知らしめているものと思われた。

「…命冥加な女だ。だが憶えていろ。誰が許しても私は許さない。裏切り者は必ず斬る」

 それだけの言葉を置いて、相手の刀使は身を翻す。

 適確な判断であった。

「沙耶香さん!」

「大丈夫だった!?」

 追いついて来た夜警の精兵刀使たちは既に写シを展張し、戦闘態勢であった。

「相手は誰? またタイプHの荒魂?」

「違う。荒魂じゃない」

「荒魂じゃあない? じゃ相手は伍箇伝の刀使だったの!?」

「…」

 沙耶香は嘘が付けない。だから黙っているしかなかった。

「刀使なら何処の刀使? 制服を着てたの?」

「…」

「沙耶香さん! 応えてよ!」

「…ごめん。上手く話せない。話していいかも分からない。だから、一度本部長に相談してみる」

 沙耶香は嘘がつけない。

「ごめんなさい」

 ようやくこれだけを言って、重ねて謝るものだから、問うた刀使もそれ以上の追求は止めた。命じられたのは高津雪那の保護だ。任務は果たしていた。

「…先生」

 意図せぬ形ではあったが、本当に久方の再開であった。

 雪那にとってもそうであった筈である。しかし師の無事を確かめようと歩み寄った沙耶香のことが、まるで視界に入っていないようであった。

「…呼んでいる」

 本当に久方に聞いた、師の言葉がこれであった。

「え」

「呼んでいるの。あのコが」

 あのコ、とは。沙耶香のことではない。雪那を斬ろうとした、あの刀使のことでもなさそうであった。

 では、誰のことなのか。

「普通じゃない。病院に運ぼう」

「了解」

 仲間の刀使たちが師を連れ去りつつあったが、沙耶香は只々、立ち尽くしていた。あの厳しくも凛々しかった師は何処に行ってしまったのか。あのコとは誰の事なのか。沙耶香のことは、もう忘れてしまったのか――

 




 同人作家が手を出してはならない所に踏み込みつつある自覚はあります。
 藤原美奈都にも柊篝にも娘が居た。なら伍箇伝学長たちにも子供が居ておかしいということはないだろう。というのはずっと思っていました。ただ次代の英雄たちはそれぞれが後継者ポジを占めていて、必ずしも必要ないのかも、とも思っていました。
 どちらにしろ伍箇伝の娘なんてものを設定できるのは公式のみで、同人作家の分は超えているのではないかと考えています。
 ただ、その公式が今は無くなってしまいました。どう指針を定めれば良いのか、僕には分かりません。

 兎も角申し上げておきたいのは、高津雪那に娘が居るという事実はありません。私のシリーズのみの設定です。
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