刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

25 / 43
令和御前試合 その7

 恰好の、最高の舞台だった。

(あの女の慕った折神紫の前で、あの女の弟子が慕う柳瀬舞衣を葬る、か)

 しかもあの女の娘である、この高津刹那が。

(どんな顔をするかなあ、あいつは)

 想像するだに愉快だった。笑みが止まらなかった。

 口角がつり上がっていく。まるで牙を剥いた獣だ。

「西。錬府女学院中等部1年、高津刹那」

 すざまじい、その表情のまま刹那は玉砂利を踏み締め、石舞台へと昇っていく。

「東。美濃関学園中等部3年、柳瀬舞衣」

 舞衣は、平静な…平静すぎる表情でこれに向き合う。

(魂が入っているのか?)

 一瞬刹那が疑うほどに、表情が無い。

(…いいや。逆だな)

 一足刀先の敵を遠望せよ、という教えが斯界にはある。「遠山の目付け」と言い表し、遠くの山を見るように、相手を眺めやるのが伝える目付の極意である。「目で聞き、耳で見よ」とも口伝される。

 言うほど簡単ではない。刃物を持って今にも斬りかかって来そうな相手をぼんやり眺めやるなど、普通出来ない。出来うる者は斬り合いの場数を踏んだ、相当な手練れと言えるだろう。

(まあ相手が何者だろうがどんな手練れだろうが、私のやることは変わらないがなぁ)

 ただ斬る。ただただ斬る。「命をひっ取る技」こそが母より刹那の学んだ小野派一刀流である。

「始め!」

 号令と共に、刹那に対し、舞衣も抜き合わせた。

 初見の相手に対し、舞衣は居合を選択せず、堅実に正眼に付ける。

(様子見? そんな暇は与えない!)

 裏腹に、刹那は大きく間合いを取る。

 下がったのだ。両者の距離は5メートル程も離れた。

 逃げた訳ではない。

 溜めたのだ。

「糸見沙耶香のお下がりだ。喰らえ…!」

 5メートル弱の間合いを二足刀、などと伍箇伝では呼び習わす。二回の踏み込みで到達、という意味ではなく、一足刀の倍の距離、という意味合いで、迅移による踏み込みに最も適した、一足刀と同じ刀使の剣機であった。

「…!」

 もちろん舞衣もこれは知っている。如何に迅移による踏み込みでも、正眼に備えた舞衣に真っ正直に突いていって突けるものではない。チリ、と剣の平が触れ合い、それだけで突きは舞衣への何処の到達軌道からも外れる。

(…反撃!)

 突きの仕掛けは素早いが、一点を穿つが故に外し易く、外せば立て直すのは容易ではない。いきなりこれを遣って突けるのは、一つの太刀の十条姫和か、一指しの太刀の岩倉早苗くらいなものだ。

 今度は舞衣の番だった。突きを戻すまでには小さいのを一つくらい入れられる。そうしたら返す刀で大きいのを入れる。これで勝負は着く。

(…!?)

 ところが、刹那は留まらなかった。

 突いて、その突いたところからさらに駆け抜けて行く。

「うあッ!?」

 ギリギリであった。

 突いて駆け抜けて行った後ろから、また突きが戻ってきた。

 いや戻ってきた、なんてもんじゃない。二人に腹背から同時に突かれたようなものだった。

 辛くも身を躱したが、刹那の村正は舞衣の制服と、その下の皮一枚を持って行った。写シは飛ばなかったものの、舞衣は大きく体制を崩す。

(いけない…追撃される!)

 そう思ったが来ない。流石に刹那も、体制を大きく崩していた。

(初見で躱されただと!?)

 刹那は思った。

(何をされたの!?)

 舞衣は思った。

 両者共に想定外事態だった。

 慌てて、中段に備える。

(何? こいつ)

(なに? この人)

 互いが同じ感想を懐いていた。

「いくら舞衣でも、いきなりあれを避けるなんて…」

 刹那の師、沙耶香は思わず、声に出す。

「いくら星王剣(せいおうけん)でも、完全にあれは凌げない…」

 同時に舞衣の「絵の先生」、羽島七奈も、隣で思わず漏らしていた。

「星王剣? 北辰一刀流の?」

「さすが沙耶香さん。御存じですか」

「知ってる。北辰一刀流始祖が辿り着いたという最奥の境地」

「私の母も、北辰一刀流を学びました」

「美濃関学園学長、羽島江麻。相模湾大災厄で中核だったって先生が言ってた」

「私はその血筋を受け継ぎました。明眼も透覚も。だけど舞衣さんは母に迫る明眼、透覚に加え、衛藤可奈美にも迫る剣の技を持っています。母以上に、星王剣の境地に迫るかもしれない」

「明眼、透覚。それと星王剣には、何か関係があるの?」

「ええと。しゃべり過ぎました。一応今は、敵同士ですよね私達」

「七奈は舞衣の先生。私は、刹那の師。それに私は、勝ったら次に舞衣と試合するかもしれない」」

 もし沙耶香が益子薫に勝利すれば、次に当たるのはこの試合の勝者だ。種明かしはその後にした方が良いだろう。

 それも、舞衣が高津刹那を退けることが出来たらの話である。

「思いついたぞ。顎(あぎと)。そう名付けよう」

 ボソリと呟き、再び突きを狙い定める。

 確かに、刹那の突きは、噛み砕く上顎と下顎の牙と牙だ。一の突きと二の突きに、タイムラグが感じられない。

(仕掛けは見当が付く。あれは速くて長い迅移だ)

 多くの刀使が習得する迅移には、それぞれ個人差が産まれる。御刀による差と刀使による差があるとされ、短い者、長い者、速い者と遅い者、連発できる者とそうでない者、様々だ。

 十条姫和や糸見沙耶香のような、異能の迅移も稀に存在する。

 高津刹那の迅移は、沙耶香と姫和のハイブリット、とでも言うべき非常に良質のものであった。速く、そして長い。一度疾走(はし)れば、石舞台を端から端まで亜音速で往復出来るくらいには。

(超音速の姫和さんには及ばないかも知れない。一試合ずっと迅移で飛び回れる沙耶香さんには及ばないかも知れない。でも…)

 その何れにも迫る危険な相手であった。

(落ち着いて、舞衣さん。対応策はあります。今の舞衣さんなら出来る筈)

 舞衣も、七奈と同じ対策に思い至ったらしい。腹背からの突きを凌ぐのは確かに至難、しかしそれはあくまで、正面からの突きが通過したあと、後ろからまた突いてくるという動作を極限まで素早くしたに過ぎないものだ。

 ならば最初の突きを捉えれば、次いで来る突きを考慮はしなくても良い。

 刹那の中段に、舞衣も再び中段に備える。

(一突き目を切り落とすつもりか。早くも我が顎を見切るとは、流石は伍箇伝指折りの名手)

 刹那も、舞衣の備えを見て取る。

 一の突きと返しの突きは同時ではない。同時に思えるのは返しの突きが異常に速いからだ。

 剣を穂先に突進し、そのまま背後に突き抜け、反転しまた突いてくる。一回の迅移で二度、それも腹背に突きを放つ。それを行う刹那は、迅移の途中で体を入れ替え、逆戻って来ていることになる。

 そのようなことが可能なのか?

 第一宇宙速度、などと言われるくらいに姫和は速いがあくまで直線的だ。一度吹き過ぎれば戻って来ることはない。同じことが出来そうなのは沙耶香であるが、刹那の迅移の瞬間速度は沙耶香を凌いでいる。沙耶香が同じことをやったとしても一の突きと返しの突きは同時ではない。僅かなりとも時間差がある。それ故先年の御前試合で、衛藤可奈美は沙耶香の無念無想を凌ぎ得たのだ。

 刹那の速度は沙耶香を凌ぐ。移動距離は姫和を凌ぐ。

 高津刹那こそは、伍箇伝第二の迅移速度を持ち、伍箇伝第二の迅移持続を可能とする刀使であった。

(どうして、これ程の刀使が今まで無名だったの)

 高津雪那の娘が錬府に居ることは知っていた。しかしこれ程とは、早耳の岩倉早苗すら、想像を絶していた。

(ううん。これは、必然なのかも知れない)

 刹那の母雪那こそは、柊篝、即ち姫和の母の、折神紫を巡るライバルだった人物だ。篝に阻まれ、欲しいものの一つも得ることが出来なかった人物でもある。

 ならば当然欲するであろう。柊に迫る迅移を。力を。それが決して得ることの出来ぬものだとしても。

 その過程で雪那は探し当てた。糸見沙耶香という、柊の刀使にも匹敵する異能の才を。しかしそれまではあくまで我が身を、柊に近づけようと工夫を続けていたのではないか。己が出来ずとも、己の血を引く娘には己の轍は踏ませまい。辛い思いはさせまいと。

(そしてその工夫は高津刹那となって結実しつつあるんだ。高津雪那学長の高弟、糸見沙耶香の教えによって)

 例え沙耶香に成れずとも、迅移の移動距離を延長するコツのようなものを伝えることは出来るであろう。それに姫和に成れずとも、工夫と努力あればそれに迫ることも出来るのではないか。早苗自身が、そうしたように。

 結果がこれだ。

(凄い)

 これに対峙する舞衣もまた、伍箇伝の五始祖たる羽島江麻の技を、意思を、色濃く受け継ぎつつある。娘七奈が舞衣の傍らに居ることでも、それは明らかだ。

 そしてその羽島江麻こそは、かつて衛藤可奈美の母、藤原美奈都のライバルであった人物なのだ。

(凄すぎるよ)

 何という瞬間であるのか。

(親子二代に受け継がれる技が、想いが、今ここに、こうしてぶつかってるんだ)

 両者、完全に試合開始時と同じ位置に戻っていた。構えもまた、相中段である。

(一度で外すなら、二度三度と続けるまで)

(次こそは捉えてみせる)

 やることもまた同じだった。間合いは二足刀、刹那、中段よりの諸手突き。

 対する舞衣は――

(…! 前より伸びて来る…!)

 孫六兼元が、辛くも突きを祓う。

 軌道は逸れた。しかし――

(返しの突き!)

 振り向く暇など何処にもない。そこから逃げるのが精いっぱいだった。今まで舞衣の心臓があったところを、刹那の突きが駆け抜けて行く。

(無理! 何も出来ない!)

(また外した!?)

 両者三度、二足刀の間合いとなった。

(思い切って踏み込んだ…一度目とはタイミング違った筈なんだけど)

 それでも凌がれたとすれば、原因は何か。

(一突き目の軌道から、返しの軌道を読んでいる?)

 刹那が思い当たることは他にない。柳瀬舞衣程の者なら有り得ることだ。

(ならば!)

 一突き目に技を合わされれば一溜りもない。それは刹那も分かっている。今度はいささか抜いた一突き目であった。野球であるなら前はストレート、今度はチェンジアップだ。傍目には同じでも、相対する舞衣には蝶と燕ほども違う筈。

 それでも、舞衣は反応して払ってきた。

(織り込み済みだ!)

 駆け抜けた一の牙は、二の牙となって返って…行かなかった。

 刹那は後ろに駆け抜け、そこで一旦停止したのである。

(どうだ!)

 一度目で当たりを付けているなら、回避する。しかし避けたところで刹那は来ない。避けるのを待っている。そして避ける動作が尽きたところを突く。これが刹那の作戦であった。しかし――

(避けろ。はやく。何故避けない…!)

 舞衣は避けなかった。避けずに、ゆっくりと振り返る。

 水も溜まらぬ、という言葉通りの居合刀使らしい、隙も淀みもない動作であった。振り向く、の動作の中に飛びのく、があり、払うがあり、逆に打ち込むがある。様々な含みをもった所作だ。もしここで突きかけていれば、確実に反撃されるであろう。

(…化け物め)

 刹那が二の突きを継がないことを予測したのか。それとも突いてこないのを背中で見て取ったのか。どちらにしろ柳瀬舞衣は、背中にも目が有ると考えた方がよさそうであった。

(…だからといってやることは変わらない。変わらないとも)

 絡め手などガラでは無かった。

(我が顎で噛み砕くのみだ!)

 刹那は再度、狙いを定める。

(前の私だったら、今ので突かれてた)

 一方の舞衣も再び中段に備える。

 羽島家伝の星王剣。星王とは北辰即ち北極星を指す。北辰一刀流、その名を冠した秘剣が今舞衣の身を守っている。とはいえ、このままでは反撃もままならなず一方的に突かれるのみ。何時かはやられる。

(だったら…やってみる)

 殆ど間を置かず、またもや刹那の顎が牙を剥く。

(今の優位を手放すつもりはない。押し切らせてもらう!)

 秘剣、顎をもってしても柳瀬舞衣の正眼は崩せない。有効ではないかもしれない。しかし舞衣とて人。二度三度と行う内に、ミスが出るかもしれない。出ないかもしれないが、攻めない理由にはならない。攻めなければ決して、勝機が訪れることはないのだ。

 一度目、二度目は喉を狙った。今度は避けずらい胴突きだった。それでも空しく、勢州猪切正真(せいしゅう・いのししきり・まさざね)は孫六兼元の棟待ちを滑って外れていく。

(だろうな!)

 前回、前々回と比べいなされた後の体勢は良かった。崩されてはいない。前よりも良い技になる筈。

(よしいけ!)

 と、思った瞬間、何故か刹那の身体は意思を裏切った。

 前と同じく、突かず止まってしまったのである。

(何故だ!?)

 自分でも一瞬分からなかったが、すぐ理由が明らかになった。孫六兼元の鞘であった。

 刹那の勝負勘が刹那自身を救った。

 舞衣は刹那の二の顎が襲ってくる当たりを読んで、我が腰の鞘尻を「置いておいた」のである。突けば自動的に鳩尾にこれを喰らっていただろう。

(なんて真似を…油断も隙も無い)

(ダメだった。なんて勘のいい刀使なの)

 舞衣が振り向く。刹那が再度、狙いを定める。両者は再び二足刀の間合いとなる。

(今度こそ!)

(次こそは!)

 またも振出しに戻った両者は、ものも言わず再びぶつかり合った。刹那の顎は舞衣の体勢を大きく崩すが、噛み砕くには至らない。舞衣も反撃には至らない。そのまま二度、三度…

「「いけない」」

 石舞台で試合う二人の師、七奈と沙耶香両名が同時に呟く。

「星王剣の負担は大きい。今の舞衣さんは一分が限度です」

「刹那の迅移も同じ。二回が限度」

 二人は、顔を見合わせる。

 刹那が顎を放ったのはこれで何度目か。試合時間は半場をとうに超えていた。三分以上を経過している。

 つまりは二人ともすでに、限界を超えているはずであった。何時写シが飛んでもおかしくない。もし斬り合っている瞬間にそれが起こったら…

((止めないと))

 沙耶香と七奈は蒼白となった。

 それぞれの指が、腰間の妙法村正と水心子正秀を探り当てる。乱入も辞さないつもりだった。

(今、何分経ったっけ…)

 そしてまさしく、沙耶香たちの危惧した通りの状況に、舞衣はあったのである。

「明眼も透覚も、ずっと出し続けられるものではありません」

「でも、大分時間が伸びて来たよ。今じゃもう1分近く行ける。七奈ちゃんの御陰よ」

 実際今、舞衣の目の前に在るのは対敵、刹那では無かった。

 七奈と出会ってからの日々の断片であった。

「それは舞衣さんが明眼を上手になっているからです」

 明眼に上手下手などという話をしだしたのは、七奈と出会って以来であった。

 今までは明眼、透覚を持っていればそれだけで重宝された。敵と相対しながら明眼を遣うなど、考えたことも無かった。

 今は違う。「見える」までが明らかに短くなった。「見続ける」ことも出来るようになっていた。

「母は、私が刀使になることを望んでいませんでした。私もそうで、母から受け継いだ刀使としての才は、だいたい、絵画の方に使ってしまっていて。母も父もみんなそれを喜んでくれて」

「上手よね。将来はイラストレーター? それとも漫画家?」

「そんな感じかなって思っていましたけど、去年母も母の学校も大変なことになって…閉校になるかもしれないって。志願者とか全然来なくなって。それで私、決めました。美濃関でやっていくって。美濃関でやっていくってことは、刀使になるってことですよね」

「お母さんの為、なんだ」

 そうと聞いて舞衣は、何だか嬉しかった。舞衣も父や母や妹たちの為に一杯頑張って来たし、いくらでも頑張れたから。

 今、七奈は、舞衣と同じことを頑張っている。そのことが舞衣には嬉しかった。

「いいですか、舞衣さん。眼は所詮、熱量を検知する器官です。明眼も透覚もその延長です。それを実体化するのは脳なんです。見えていても、脳が理解しなければ意味ある画像として結実しません」

「だから、絵を描くのね」

「はい。そうすることによって確実に、明眼も透覚も、素早くなります。上手くなるんです」

「ねえ、七奈ちゃん」

 私の、絵の先生。

 私上手くなっているかな。可奈美ちゃんと戦うことが…一緒に居ることが出来るようになっているかな――

 ぐらり、と舞衣の身が傾いだ。

 攻撃を受けても居ないのにだ。

(…何だ!?)

 これは、隙であるのか。刹那は逡巡した。試合開始より体験してきたあの柳瀬舞衣が、こんな突いてくれといわんばかりの隙を晒すとは考えられない。

 では罠か。誘いか。それにしても。

(悔しいが柳瀬舞衣は強い。罠だろうが誘いだろうが、これを逃せば…)

 次好機が訪れる保証は何処にもない。ならば…

(イクより他にないなあ!)

 身体が行きたがっていた。魂が、本能が行きたがっていた。矢も楯も溜まらず貫きたくて仕方がなかった。

(何時かあの女を。あの女の愛弟子を噛み砕く私の顎が、柳瀬舞衣、今こそお前を噛み砕く!)

 中段に番えた突きは、ただ進むだけで突きとなる。ただ進むだけで勝利が手に入る筈であった。

 その突きが、阻まれた。

「!?」

 舞衣によってではない。他の誰かだ。

(バカな!)

 先の集団戦ではあるまいし、ここは御前試合の石舞台だ。他の誰もいるはずがない。居るとするならば――

「写シを張れ。高津刹那」

「邪魔するか! 折神紫…!」

 突きを阻んだのは主審、折神紫の左腕の御刀、童子切安綱であった。

 右の御刀、大包平の切っ先がピタリと御した一方の舞衣は、そのことに気付いてもいないようであった。うたた寝でもしているように頭が座っていない有様であったが、しかし写シは張っている。

「邪魔をするな! 邪魔するならばお前も…」

「直ちに写シを張れ高津刹那。さもなくば敗者だ」

「何を…」

 何を言っているのか。刹那は気付いた。

 張っていたと思っていた写シが無い。写シが途切れてしまっている。

(何だとおお!)

 試合中写シが途切れればその時点で敗北となる。本年度御前試合のルールにおいてはそうではないが、直ちに写シを張り直さねばならない。何れかが写シを張れなくなること、それが勝敗を分ける唯一である。

「写シ!」

 刹那は初めて御刀を手にした中等部初年生のように叫んだ。

 しかし幽世の刹那は、応えない。

「写シ! 写シ! 写シ写シ写シ!」

 如何に叫んでも、刹那の現身と幽体が、重なる事はなかった。

「勝者、東。柳瀬舞衣」

 そうと見て厳かに、紫が告げる。

 御前試合第二試合の勝者は、柳瀬舞衣と決した。

 

***

 

 近くに居た沙耶香と七奈が、舞衣を助け起こす。

 主審、折神紫が自ら支えねば、自陣まで戻って来れぬ有様に、舞衣は陥っていた。

「大丈夫! 疲れて眠ってるだけ!」

 倒れて動かぬ舞衣を気遣い歩み寄ってくる皆に、心配いらないと岩倉早苗が大きく手を振って告げる。

(…私と戦った時も、ここまでの状態にはならなかった)

 一体どれ程のレベルの攻防であったのか。何れにせよ、早苗は認めなければならなかった。今や柳瀬舞衣に昔日の面影はない。衛藤可奈美や十条姫和の背を捉えうる存在となりつつある。

 美濃関の生徒たちに付き添われ、担架で搬送されて行く舞衣を見送り、ふと早苗は違和感を覚えた。

「ねえ六角さん。十条さんを見かけた?」

「え?」

 何故ここで十条姫和の名が出るのかと、訝しむ傍らの清香だったが、そういえば姫和の姿は見ていない。

「衛藤可奈美さんは?」

「ううん。見てません、言われてみれば二人とも」

「…そっか」

「ちょっと探してみます。また二人で何処かに行っちゃうかもだし」

「付き合うよ」

 妙であった。伍箇伝屈指の強豪の集う御前試合の観客席に、あの三度の飯より剣術の可奈美が姿を見せないとは。

 もしかして、姫和と一緒なのだろうか。

(二人で特訓しているのかな)

(二人で、一緒に…)

 羨ましい? 妬ましい?

(違うでしょ、早苗)

 選んだ道はそちらではない。沢山一緒に居るよりも、姫和の中で少しでも大きくなることを選んだ。黙ったまま、何も言われず、知らない誰かと居なくなるなんてことが二度と無いように。もしそんなことがまたあったとしても、ずっと姫和の心の中に居られるように。

(あなたはどうなのかな。柳瀬舞衣さん)

 衛藤可奈美を独りぼっちにさせないために、姫和を頼ったという舞衣。

 しかし舞衣は、新たな、大きな力を手にして戻ってきた。衛藤可奈美に届くかもしれない力を手にした舞衣は何を思うのだろう。

 早苗と同じことを?

 それとも――

 

***

 

 もちろん、飛んで行きたかった。目覚めるまでずっと手を握っていたかった。

 でも、今の糸見沙耶香が目指す糸見沙耶香は、そうじゃない。舞衣も、師、高津雪那も知らない、強い糸見沙耶香で居なければ。

 だから居場所は舞衣の傍では無かった。

「…負けた」

 敗れて戻った弟子、高津刹那がぼそりと結果だけを告げる。

「課題ははっきりしている。身体をしっかり作って行こう。あと一度写シが張れていたら、勝ったのは刹那」

「あと一度、か」

 写シの展張回数は才能による部分が大きいものの、体力を付ければ良い結果をもたらすことは証明済の事実である。

 それで写シを張れていたとして、もう一度迅移が行えたかどうか。恐らく無理であったであろうと刹那は悟っていた。一方舞衣の写シが飛ばなかったのは、恐らくは場数だ。幾度も死地に臨んだ舞衣は、無意識に写シの分の体力だけはセーブしていた。ようは地力で劣った。だから負けた。

「遠いあと一度ね」

「刹那…」

「心配する相手が違うし、私を心配してる場合じゃない」

 刹那は先ほどまで己が戦っていた石台の上を、顎でしゃくる。

「お前の相手が待ちかねているぞ。師匠」

「…」

 確かに舞衣を心配している場合でも、刹那を気遣っている場合でもない。

 三回戦目は沙耶香の出番であった。沙耶香の相手となる刀使は、既に対面の陣に在る。

「あーどうぞ。ゆっくりでいいぞ」

 益子薫の声は、何処か眠そうであった。

 それもそのはず、繰り返すが本年度御前試合での目的は勝利ではない。

 敵中の敵とも、獅子身中の虫とも言える荒魂殲滅最右派、日高見派の内偵であり、相楽瞑なる故人を選手登録してきたり、先のヨモツイクサ殲滅戦の頃よりまだ隠し事があるのではないかと疑われて居たり、今一つ動向の怪しい綾小路学長、相楽結月の内偵である。

 それに御本家選抜枠の選手が未だに不明なままなのも気にはなっていた。

(御本家の覆面選手の相手をするのはあの荒魂ラバーズ七之里、じゃねーか)

 姓名は愚か存在すら不明の御本家選抜枠の選手の相手は薫に並ぶ討伐エース、七之里呼吹。気の毒なことこの上ないが、不戦勝の可能性もあることも考えると少しだけ羨ましくもない。当人にとっても荒魂相手以外の運動など時間の無駄であろう。

(まあこれから俺も、時間と労力を無駄にするわけだがな…ん?)

 妙法村正を携えた、糸見沙耶香と対陣した瞬間薫は悟る。

 雰囲気が違う。

 具体的にはまだ分からない。どことは分からない何かが違う。

「薫」

「お、おう」

「私と戦って」

「…」

 真剣な沙耶香を何時も見て来た。何時も真剣に過ぎる沙耶香に肩の力の抜き方を教えてやることも度々だった。しかし今日ここに在る沙耶香はどうも、そんな薫の知る沙耶香とは違うようであった。

「…本気だせってことか? 何時もは本気出してねえような言い方だな。何時だって俺は真面目で真剣だぞ」

「薫は強い。強い薫と戦って勝ちたい」

「なんでだ? 楽して勝ち進んだ方が楽じゃあねーのか?」

 両者開始線。試合開始は今や主審、紫の号令を待つのみ。

 通常ならば審判は私語に注意を与える場面であるが、その気配は紫にはない。二人が言いたいことを言い終えるのを待つ様子であった。

「勝つだけなら、弱い相手と戦えばいい。だけどそれじゃあ強くなれない。強くなくちゃ届かないから」

 届くとは、何に? いや、誰に、か。

 誰にだろう。前の試合で強さを見せた舞衣? それとも、衛藤可奈美?

(俺が仮想敵に? 無理だぜそりゃあ)

 可奈美には勝てない。今日の舞衣にも恐らくは勝てない。あのヒステリー学長高津雪那の娘を相手にしても怪しいし、一指しの太刀なんて御免被りたいものだ。

「私が弱いままなら負ける。強くなっていたなら勝てる。それだけ」

「相変わらずだな沙耶香は。ちったあ肩の力抜けって言ってきたつもりなんだがな。けどな」

 しかしまあ、仕方ない。沙耶香が薫をどう買い被っているかは知らないが、薫にとって沙耶香は目の離せない、放って置けない可愛い後輩だった。そんな沙耶香にこんな顔をされては、先輩として応えないわけにはいかないだろう。

「肩の力を抜くっていうのと、手を抜くっていうのは違うんだ。それを今から教えてやるよ」

「…ありがとう、薫。大好き」

 驚くべきことに、二人は微笑みを交わし合った。

 全力で戦えと求めた者と、全力で戦うと応じた者同士であった。

「…正面に礼」

 兵気満ちたと見た紫が、やっと試合開始を告げる。

「互いに、礼」

 微笑みのままに礼を交わした薫と沙耶香は、「始め!」の紫の号令と共に飛び離れる。

 御前試合第三試合の開幕であった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。