不意打ちによって礼を交わすことなく始まった第4試合は、このような形で礼を交わすことなく終わっていた。
新田弘名の反則負けが宣される。
御前試合が伍箇伝の形となって以来の、反則による勝敗がここに記録された。しかし奇襲など無くとも、写シを飛ばされることなく一度飛ばした安桜美炎は判定優位にあったと言えるだろう。
御前試合初日も概ね滞りなく5試合を消化し、残すところ3試合となっていた。
通例に従い前年度決勝戦を戦った選手はシード枠として予選免除を得る。前年度伍箇伝主席刀使並びに次席刀使の一回戦は初日の一番最後とその一こ前、というのも通例だ。
「よかった可奈美。すっかりいつも通りだね」
熱戦を勝ち取った美炎は、衛藤可奈美の隣で満面の微笑みであった。
先ほどまで十条姫和が坐していた席である。その姫和は、「さて、この次だな」と席を立ってしまっていた。恐らく精神統一を図りたいのだろう。
「もう。だから私はいつも通りだって」
「うん! いつも通り!」
「あーもー、美炎ちゃんは」
まだシャワーの渇いてない湿った髪で、美炎はにこにこしている。
(そんなに落ち込んでいたように見えたのかな。全然、元気なのに)
それはそれとして、美炎の熱闘に、元気を分けてもらえたのは確かだった。
可奈美の学ぶ柳生新陰流は「活人剣」を極意と位置付ける。
斬って活かせと禅問答の如き活人剣は、一殺多生であったり、敵の技を活かし、活かしきった上でそれを利して我が技を活かして斬るという後先の剣であったりの、ロマンの欠片もない実態がある。けど美炎を見ていると、ただの看板文句でない「活人剣」は、本当にあるのかもしれないと思えてくる。
(相手にも、相手じゃあない誰かにも)
命を吹き込む、そんな剣があるとするなら。
(次に美炎ちゃんと手合わせしたら、分かるのかな)
姫和に第7試合があるように、可奈美にも第8試合がある。内里歩に勝利したその次に、美炎との手合わせがある。
(歩ちゃんか…)
侮ることは出来ない。綾小路の代表として御本家に来ているのだ。きっと力を着けている。
「偉そうなこと、言っちゃったけど…」
「なに?」
「んーん。こっちの話」
美炎以上の相手である、という印象は可奈美の中には無かった。きっと勝てる。負けるとしたら可奈美自身に問題があった時だと思う。
「…にしても、始まらないね」
「二試合続けての遅刻かあ」
「美炎ちゃんがそれ言う?」
石台の上には主審、紫が在るのみで、東西何れ側にも選手の姿はない。
「あはは。えと、誰と誰の試合だっけ」
「それが――」
トーナメント表の片方は空欄のままだ。
御本家推薦枠登場となる筈の本試合であったが、何時までたっても誰も現れない。誰が現れるのか、御本家以外誰も知らない。特祭隊司令真庭紗南や、副司令相楽結月すら聞いていなかった。
「本当に、誰なんですか、朱音さま」
「実は私も知らないんです。姉さまにお任せしてしまったもので…」
「じゃあ本当に誰も知らないのか!」
「紫のオマカセか…」
結月副司令が苦笑する。
「話しそびれた、などという訳が無い、な」
「姉さんには皆さんに話さない訳がある筈です。あるいは、話せない訳が」
学長推薦枠の選手は当日まで名を伏せて置いてもいい、という了暗黙の了解は確かにある。相応しい刀使がいない、或いは意図的に推薦しない、ということもまま有るからだ。
御本家枠は制度上存在していたが、推薦が為された例は伍箇伝草創期に二度しかない。十年来御本家は刀使を出場させていなかった。
今回もそうだということか。それとも――
「…来たか」
紫の呟きに応えるかのようであった。
(な…)
安桜美炎には見覚えがあった。いや忘れようが無かった。身に余すところなく襤褸を纏った、目鼻も窺えぬあの姿――
「馘…!」
馘御用、今際乱世。
令和に生きて居よう筈もない、維新の世より這い出て来た亡霊が、その姿を徐々に、現しつつある。
まるで闇夜に瞬く古い灯火の如く明滅し、ついには御前試合の石舞台の上へ、両の足を踏み締めた。
「今際百年の怨念。純血の折神が写シを張り続けていれば、必ずや仇敵の許へ誘われるだろうと思っていたぞ、馘」
「公儀御試し役、今際一門が長子、雅号を乱世。御刀極所(おかたなきわめどころ)、折神御本家とお見受けする」
「折神の先代、紫。仔細あって妹朱音に譲った故、今は折神本家を名乗る身ではない」
「朱音殿には過日、御目文字(おめもじ)致した折、刀使としては身を引いたと伺い申した。姉紫は、今だ折神の刀使であるとも」
「朱音今代が現役刀使ではないのは事実だ」
「なれば紫先代。折神家唯一の刀使たる貴君を討てば、泉下の一門も溜飲下がろうというもの」
「見誤られるな、今際一門。今や折神の刀使は、折神家の者のみではないぞ」
五十名を超える、しかも伍箇伝選りすぐりの刀使たちが一斉に、佩刀の鯉口を切った。
切った時には既に、写シを張り終えている。
伍箇伝五校の首席と次席が、全員揃っているのだから、最精鋭にも程がある。如何な馘と言えど、死地以外の何物でもないであろう。
「土壇場(どたんば。刑場を指す)とは、御見逸れを申し上げた。かくなる上は斬り死に致し、折神家中を我が不浄の血で汚しめ、一門に手向けることと致す」
「無用に願う。畏くも令和元年度御前試合の斎場にあって、我らが求むるは折神の本義、刀剣極めのみ。今際御宗家に在られても、今ここに参じられたからには等しく、お役目の儀であろう」
「折神先代は、当一門との試し合いを望むと申されるか」
「その通りだ」
「当方も、戦に先立ち如何に折神を試さんと思案致したるところ。参集の各々がた、何れも折神の名に合相応しい大剛の刀使と認む。魁(さきがけ。先鋒のこと)と成られるは何れか」
「決まっている」
紫が言うか言わぬかのその時であった。
キン! という金属音と共に、天高く銀光が跳ねた。
本邦最古とされる馘の御刀、初代月山鬼王丸が飛来した何かを払ったのだ。渓流の若鮎の如き銀鱗を、中空で何者かが攫った。地に降り立った猛禽の正体は――
「何時までくっちゃべってるんだよ紫サマ。こっちの我慢にも限度があるぜ」
二王清綱と北谷菜切を翼の如く諸手に広げ、浮かべた笑みは化鳥の如く、耳元までも裂けるかと見えた。
「なああんた。死んでノロで生き返ったってのはホントか? ホントなら半分くらい荒魂ってことだよなあ」
折神の先兵。
刀使の魁たるに相応しいその刀使の名は、七之里呼吹。錬府女学院首席代表であった。
***
千住院力王を鞘へと納める。
同時に、写シが消えた。
馘の当面の相手は七之里呼吹と決まった。折神紫が試し合いを受けた以上これは、呼吹と馘の一対一の勝負である。
「ってことはつまり御本家の推薦枠の選手は、今際乱世だったってこと? 打合せとかどうしてたんでしょう」
「打合せとかは出来ないと思うな。きっと馘さん、スマホとか持ってないし」
岩倉早苗の横手では、山城由衣が同じく納刀している。
「紫さまに於かれては、申し合わせなど不要と考えられていたのでしょう。必ず来ると、期する何かがあったのではないでしょうか」
「っていうことはあれか。運命的な何かが二人の間に?」
「それはきっと、あると思うよ。運命っていうか、宿命っていうか」
折神朱音の後見人、実質折神家を総括する紫と、百年の以前に滅ぼされてなお、令和の現代に這い出て来た今際の亡霊。激突は必至であろう。
「先刻の礼を言っておきます、岩倉早苗」
「え?」
「あなたがああ言わなければ、斬り合いとなっていました」
「…本当はね。思わなくも無かった。鈴本さんと貴方たちに、私なんかが割り込んでいいのかって」
「…はい」
「だけどもし去年、相楽さんに勝てていたら、って思っちゃったの」
もし、一年前、相楽瞑に勝利し、十条姫和と戦うことが出来たなら、と。
姫和に勝利することが出来たかどうかは分からない。しかしもし勝ち得たならば姫和は衛藤可奈美と試合うことなく、その後の未来も大きく変わっていただろう。
瞑は、そんな今一つの未来から早苗を阻んだ相手である。
「あれから一年経って、私も十条さんもが変わっていった。いいことも悪いこともあったけれど、もしも、って思うの。もしやり直すことが出来たならって」
「あれはあくまで、鈴本葉菜がエミュレートしている相楽瞑に過ぎません。相楽瞑と同じことは出来ても、先ず体格からして異なる。同じ技には成りません」
「うん。そうだね。頭では分かってるの」
心の中で、納得が出来ないだけだ。
こんな気持ちで姫和との試合に臨みたくはない。だからこそ決着を求めたいのだ。あの人造外殻に宿った、相楽瞑と。
「エミュレートって言えば、あいつもですよね」
ミルヤと早苗の会話を横で聞いていた由依が、ボソリと言った。
「…馘」
赤羽刀調査隊副長として、ミルヤの股肱であった瀬戸内智恵の写シを奪った事件は記憶に新しい。今際乱世は、対手の写シをコピーすることが出来るのだ。
コピーされた相手は、一度写シを解いたら、馘が気が済むまで張れなくなる。結果無事を得たものの、刀使生命を絶たれたと感じた智恵の絶望は深かった。
ああ見えて七之里呼吹は仲間思いである。馘には、含むところが大いにある筈であった。
「けどミルヤさん。これって…」
「気づきましたか」
馘は写シを張り、呼吹と相対している。
しかし瀬戸内智恵と相対した時とは大きく異なる。平凡な中段は、呼吹の構えとは、似ても似つかない。
そっくり智恵の直新陰流をトレースした、あの時とは異なる。
「…流石は、紫さま」
「だね」
「え? 何? どういうことです?」
由依の思い及ばぬところに、早苗もミルヤも気づいたようだった。
「御刀がね」
「え? あ…」
呼吹が諸手に握るのは二王清綱と北谷菜切、二振りの小太刀である。
一方、馘の手には月山鬼王丸の一振りのみ。
一振りの御刀では、どう足掻いても小太刀二刀の呼吹のエスクリマをコピーすることは不可能だ。
「成程! これなら…」
「今際流試刀術は、性能を発揮出来ない可能性があります」
「そして、もしそうなら、紫さまも七之里さんと同じ二刀流の刀使」
「紫さまはここで極めを付ける心算です。果たして折神家刀剣極の二天一流が、今際流試刀術と月山鬼王丸に通じるかどうかを」
折神の刀使の包囲のど真ん中で、相対した刀使の写シを盗むという、唯一無二の切り札を封じられ、馘は陥穽に落ちたと見える。
「…その筈、なんだけど」
「可奈美は、そうは思わないの?」
「うん。馘――乱世さんに恐懼畏惑の色が、あるように見えないんだ」
色、と衛藤可奈美は表現した。
恐懼畏惑、つまり慌てたり迷ったりの、剣にあって忌むべき感情が、見てとれないというのである。
考えてみれば、素人目にも死地のここにのこのこ現れたからには、馘には何か策があると思った方が自然だ。ましてや、公儀御試し御用などという訳の分からない役目の為以外には、この世に現れないという馘である。
「気を付けて…ふっきー」
美炎の声が届いたかどうかは分からない。
確かなことは、七之里呼吹は剣対剣の斬り合いに於いても、トップレベルの刀使だということであった。そのことは、相対したことのある美炎が、一番よく知っている。
「どうした。来ねえのか、馘」
二足刀――刀使の斬り合いに於いて、迅移の斬り込みに最も適するとされる間合いでの対峙となった。
呼吹の構えに定法は無い。二振りの御刀を諸手にぶらりと下げているのはまだいいとして、立位と来たら、突っ立っているようにしか見えない。どちらの足も前に出していないし後ろに下げても居ないのである。
ただそのような姿勢で、少しずつ低く、低くなっていっている。
まるでネズミを狙う猫であった。
一方の馘の方はと言うと、下段寄りの正眼に構え、深く間合いを取っている。初見の相手に、出方を伺っているようであった。
「来ねえなら、こっちから行く、ぜ!」
行く、と言った呼吹はその場から動かなかった。
攻撃しなかったのか?
いや攻撃は行われていた。
「「!?」」
美炎も可奈美も、一瞬呼吹の正気を疑った。
左手の琉球の至宝、北谷菜切を投じたのである。
「飛龍剣!?」
太刀を投じる技を、飛龍剣と称する。
投げ太刀の技の伝承は少ない。分けても刀使にあっては、御刀を投じることによって失うものが多すぎる。写シも迅移も出来なくなるのだ。
しかし、呼吹は違う。
中段深くに身を隠した馘は、飛来する北谷菜切を払った。
これが苦無であったなら、こうも事も無げに払いのけることは難しかったろうが、北谷菜切は小太刀、的は大きい。ただ的が大きい分質量はそれなりにある。馘の姿勢は少なからず乱れた。
反撃、には行けない。
行かなかった。
「なんと」
とはいえ、二刀の内の一刀を投じれば、当然ながら一刀しか呼吹の許には残らない。南洋の武技エスクリマは全身を武器に応用転化するが、火力の低下は否めない所と成るだろう。
一手優位を労さず手にしたことで、馘は反撃の要無しとしたのだろう。
「ああっ」
場外の至る所から声が上がった。美炎や可奈美も例外ではなかった。
馘が跳ね上げた北谷菜切の落下点には既に、呼吹の姿があったのである。
「…へっ」
中空から舞い落ちて来た北谷菜切を、呼吹の左手が、悠々と掴む。
「なにあれ…」
「確かに、論理的には可能です。呼吹の手にはまだ、二王国綱が残っている」
「けど一刀を投げて、その落下点に迅移で移動して掴むなんて…」
「七之里呼吹の迅移なら可能かもしれませんが、あくまでも理論上です。払いのけるか、避けられるか分からない投げ太刀の行方に迅移で先んじるなど、可能なのでしょうか」
「やー、無理ですねえ。けど、ふっきーだったら」
「そうですね。彼女ならば」
ふっきー、というのは呼吹のあだ名である。
こう呼ぶ者は赤羽刀調査隊の、ごく親しい一部隊員に限られている。考案は六角清香というのが通説だったが、妙なあだ名を付けることで有名な古波蔵エレンの入れ知恵という説もある。
兎も角も、呼吹をよく知る者の意見は「呼吹なら出来かねない」で一致していた。
「驚き入り申した。かかる離れ業、始めて目に致す」
「ちょっとした隠し芸だ。気に入ってもらえて嬉しいぜ」
投じた琉球の至宝を、呼吹の左手が宙に弄ぶ。
コマのように猛速で回転しながら、呼吹の掌に収まるのは何時も刃の方でなく、柄の方であった。御刀にどのような回転を加えれば、どう運動すると理解していなければ、出来る芸当ではない。
「それならもちっと、見てってくれよ。冥途の土産にな!」
中空に投げ上げたと見えた二王国綱が、呼吹の掌に戻らなかった。
投げ上げたのと幾らも違わないモーションでそれは、呼吹と馘の間を、時速200キロに勝る猛速で飛翔していた。金剛力も加えた投擲は、22口径拳銃の弾速にも迫る、それも銃弾の500倍にも達する小太刀を受ければ到底、怪我くらいでは済まない。
「む…!」
馘は払った。
深い中段で、正中線をしっかりと守る。我が身から遥か離れた我が切っ先で僅かに敵刃に触れれば、小さな変化は我が身に達するまでには大きな変化となり、命中軌道を外れていく。
瞬間的に呼吹は小太刀一刀と成る。馘にとっては兵期の筈が、またも振出しに戻った。
あてどなく宙を彷徨う二王国綱は、事も無げにその落着先に先回りした呼吹の掌に収まっていた。
(さっきほど体制が乱れねえ。金剛力を使って払ったんじゃねえな)
呼吹は瞬間に戦況を読み取る。
銃弾を武器に受ければ普通、武器は手から飛ぶ。その500倍質量の小太刀を受けてそうならないのは、尋常ならざる握力の為せる技だ。
もし金剛力を使ったと見えたら迅移で追撃してやるつもりだったが、アテが外れた形である。
(なんつー手の内だ。流石今際流試刀術ってことか)
兵の道に於いて手の内とは狭義に握剣、即ち剣を保持する力を指す。如何なる腕力で剣を振っても、手の内が未熟では骨を断つことは出来ない。剣が固定出来ず、掌から逃げてしまうのみである。
一般的に相手の術力を見定めるという意味で用いられる、手の内を見る、という言葉があるが、剣にあってのそれは、実地に斬って来た剣を受けてその威力を見定めるという意味に他ならない。
馘のそれは未熟の対極にあった。
瞬間0.2トンに達しているのではないかと呼吹は見積もった。試斬を好む刀使は総じて手の内に優れているが、それにしても破格だ。
ここまでの短いやり取りで、呼吹は馘の手の内を見定めたのである。
(人型の荒魂ってのがここまでヤベーたあ、思わなかった、ぜ!)
だからといって攻め手を緩める呼吹ではない。第三投目は前投のようなクイックではない。手裏剣術に言う所の基本にして最強の投法、直打に振り被っての一投であった。
「ふ…ッ!」
馘はこれも手首のみで払った。やはり体制が乱れたようには見えない。力投であっても、モーションは見えていた。いくら何でも正面から貰うものではない。
いや、それだけではなかった。
馘が消えた。迅移である。
目標は、呼吹と同じ。北谷菜切の落下点だった。
「落下点を読んだ!」
「うん。多分落ちるとこ、狙って払った」
投じるのは呼吹だが、最後に御刀に触れるのは馘の方だ。理論上、不可能ではないだろう。しかし先も述べたように、投じた北谷菜切は500グラム以上の金属である。払いのけるだけでも容易ではないのに、その落下点を操るとは驚くべき手の内と言わねばなるまい。
目標が同じなら、当然呼吹と馘は近接する。
「しまった!」
呼吹の手には丈の短い二王国綱のみ。しかもこれから北谷菜切をキャッチせねばならない。一方、馘は初代月山を振りかぶっている。
「…とでも言うと思ったか?」
呼吹は国綱をキャッチしなかった。
馘が飛び退く。
「剣呑、剣呑」
自らが作り出した絶好機から、馘自ら遠ざかってしまったように、誰の目にも見えたろう。
だが、乱世は舌を巻いていたのだ。
(投げ太刀は囮と見立て申した)
一方的に小太刀を投げつけられるのを嫌って、踏み込んだところを得意の間合いで斬り伏せる。これが本命であろう。
(あの身のこなし――得意は組み打ち)
馘の見立ては完全に正しい。
エスクリマは生い立ちこそ武器術だが、現代ではむしろ、格技として知られている。それを抜きにしても、如何なる巨大な荒魂も、肉薄して切り刻んで来た呼吹の間合いは超近距離。
「どうした。来ねえのか?」
呼吹のこのセリフは、本試合二度目である。
このセリフを言い終えた時、ようやく地面に、北谷菜切が突き立った。
これを悠々と、引き抜く。
ニンマリと、呼吹が哂っていた。
「むう…」
接近は不利。しかし遠間においては一方的に飛龍剣を浴びるのみ。何時かは踏み込んでいかなければ勝機はない。
ならば行くか。踏み込むか。
(危うし、危うし)
踏み込んで来させることが目的なのだ。呼吹はそれを待っている。それが分かったところでどうしようもない。何時かは斬り込んでいかねば一方的に、小太刀を投げつけられるのみ。
「やるね、ふっきーちゃん」
「でしょう?」
可奈美は少し前、呼吹に一本取られたことがある。稽古場でのこととはいえ、並みの刀使に出来ることではない。美炎もまたコヒメ事変の際には呼吹のエスクリマに苦しめられている。武器術より派生した格技であり、当然超近接戦を得意とする武技だ。アウトレンジで相対するのが原則と言えるが、ここまでは逆に、呼吹が馘をアウトレンジしていた。
一方的に、呼吹の試合であると言ってもいいだろう。
「ひょっとしたら、このまま最後まで…」
「いっちゃえ、ふっきー!」
***
一方、第七試合を控えた十条姫和は、正庭の喧騒から離れ独り、我が佩刀、小烏丸と対峙していた。
流石に写シは張っていないものの、抜き身である。
(盛り上がってるようだな)
歓声がここまで届いて来る。
第六試合の勝者は準々決勝の相手となる。
(何れが相手となろうと、私は唯、一つの太刀を振るうのみ)
姫和の関心はそこにはない。
小烏丸を、上段霞に取る。
この構えより繰り出す一突きは、幾多の難敵を葬ってきた。同世代で通じなかった相手は唯二人。一人は衛藤可奈美。いま一人は岩倉早苗。
勝ち進めば、次の次には早苗に当たる。
明後日のことだ。
一指の太刀を破らぬ限り、早苗に勝利することは出来ない。
方法を考えはしたがどれもが、一朝一夕とは行かぬものばかりであった。
もし我が身が衛藤可奈美であったなら。
そんなことを考えもした。可奈美であれば、あの一指の太刀ですら一目で盗み、我が技としただろうか。
(ええい。今更、埒も無い)
無意味な想像だった。ここに在るのは母、十条篝の不出来な娘、姫和の身体。全く不満足であったが、それでも何とかするより他にない。だけど、どうやって。何を、どうすれば。
「呵々々。可笑しや、可笑しや」
「…そういえばお前が居たな。イチキシマヒメ」
「あいや待て! 待て待て待て! ちょっと話しかけただけで池に投げようとするでない! 仮にも母の形見であろうが!」
「いや、鯉が腹を空かせていそうだったからな。みろ。私を見てあんなに集まって口をパクパクさせているぞ。ほうら」
「や、止めよ柊の娘! この身を折神から託されたのを忘れたか! それが折神本邸の池の中から見つかって見よ、何を言われるやら分からんぞ!」
「見つからないさ。お前は今から、細くて長い鯉のフンになってしまうんだからな」
「恐ろしや! 柊の今代は鬼じゃ! 誰か、誰か助けてくりゃれ!」
「これに懲りたら静かにしてろ。てか空気読め。試合の前だぞ」
「その試合の前故にこそ、なけなしの穢れをもってして、お前に話しかけておるのだ! 分からぬのか!」
「いや、全然そんな、殊勝な感じの話しかけ方じゃあなかったろ」
振りかぶった手を降ろされ、イチキシマヒメは一息付いた様子である。
「当代小烏丸は未熟なるかな」
古い刀使や荒神は時に、刀使のことをその御刀の名で呼ぶ。
「試合のことを考えて居ったのであろうが。されば先々の試合より当面の敵手」
「当面の…」
そう言われてみれば、あまり気にしていなかった。
一回戦の姫和の対戦選手はいったい誰なのだろうか。
「まさか、ここに至るまで考えてもいなかったのではあるまいな」
「は、はは、まさか。いくら私でも」
最大限恰好良く言えば、全く眼中になかった。有体に言えば忘れていた。その先の山々が巨大に過ぎるとはいえ、高みを見上げて足元の石に毛躓いては元も子もない。慌ててポケットの電子端末を手繰ると、一回戦の組み合わせを見る。
なんとこの時点で、姫和はトーナメント表を真面目に見ていなかったのだ。小石に過ぎぬ一回戦の相手よりも、聳える泰山、早苗や可奈美の方がずっと大事だった。御本家から可奈美を頼まれたこともあり、だから折神邸に到着してすぐ、可奈美の許へと向かったのだ。
何時もと違う様子なのは直ぐに分かった。
どう違うのか、説明が難しい。とにかく、可奈美の傍を離れてはまずいと姫和は思ったのだ。だから本邸に着いてから可能な限り可奈美の傍に居た。もちろん迫った試合は気にはなっていたが、試合になってみれば分かると頭の隅に追いやった…
「嘆かわしや。柊の当代のお頭(つむ)はファミコン並みか」
「荒神がファミコンとかよく知ってるな。母様はヒトを堕落させる昭和の遺物とか言ってたが」
妙に感心しつつ、トーナメント表を確認した姫和は――
(…何と)
相手となったその人物の名を凝視する。
***
カリ、ともアーニスとも称される、南洋の格技、エスクリマ。
これに飛龍剣を加えた呼吹は、まさしくオールレンジ刀使であった。
安全な距離が無い。遠ざかれば飛龍剣、距離を潰せば呼吹の思う壺。
試合を支配しているのは一方的に呼吹だった。何せ馘は、只の一度も、月山鬼王丸を攻撃に遣っていない。飛来する二振りの御刀を弾いたり払ったりしたのみだ。
一度は、場外に向けてこれを払った。しかし呼吹は、場外に出る前に中空の二王国綱に迅移で追いつき、場外反則を受けなかった。
一度は、飛来する北谷菜切を払わず、あえて大きく身を躱した。切り払うより動作は大きくなるものの、投げっぱなしの北谷菜切はそのまま場外のどこかまで飛んで刺さる筈である。しかしこれにも呼吹は迅移で追いつき、場外になる前に中空で掴み取った。
次は、飛来する二王国綱を呼吹に打ち返した。
意図的に、投じた呼吹に向かって弾いたのだ。しかしこのピッチャー返しも、難なく呼吹はキャッチした。迅移で踏み込む気配を見せた馘だが、隙を見い出せず断念せざるを得なかった。
(流石は折神の先駆けよ)
馘は舌を巻いていた。
恐らくは、呼吹の投擲は全力ではない。予測も付かないようなところに飛ばないよう、迅移で追いついて行けるよう、セーブした投擲なのだ。
それでも、写シを飛ばす威力の投擲となっているのが実際、脅威であった。
「へへ。どうだい馘」
投じた御刀がどうなるか。相手が受けるか、払うか、或いは躱されるかを予測出来、そうなったらどういう挙動を示し何処に飛ぶのか、落下するのか、それらを瞬時に判断し、迅移で先回りする。
ハイレベルな八幡力に裏打ちされた投擲はハイレベルであり、迅移はそれを上回るハイレベルである。何よりハイレベルなのは、呼吹の技量だ。こう払われればどう弾かれる、躱されたならどこの地点でどこまで飛ぶ、それらは当然、相手の動きを見てからでは間に合わない。つまり、対象がどう出るかを洞察して迅移しているのだ。
誰もが出来ることではない。いや、誰一人出来ないであろう。
この妙技が実は必殺ではなく、必殺に至る為の牽制に過ぎぬとは。
スーパーエース、七之里呼吹。
紛れもなく、伍箇伝最精鋭の一角であった。
「この乱世、重ねがさね、驚き入り申した。如何にも、世は広う御座る」
この言葉は嘘偽りなく、馘の本音であったろう。何故なら環視の誰もが、そう感じていたからだ。
(涼しい顔して言いやがるぜ)
実は七之里呼吹、これでもまだ切り札を出していない。
飛龍剣で怯ませ、そこを小太刀の間合いまで飛び込むのが、戦法の主眼であった。それが出来ないのは、馘に怯んだ様子が無いからだ。大質量の投擲武器が、ほんの手首のスナップで叩き出されてしまう。
これ以上強く投げつければ、呼吹の迅移を持っても追いつけない。モーションも大きくなり、容易に見切られるだろう。
(突っ込めねえ。けど向こうも来れねえんだ)
焦る必要はない。
焦れば簡単に優位はひっくり返る。それをしてくる相手であると分かっている。
瀬戸内智恵に好き勝手をしてくれた礼をしたかった。人でありながらノロを取り込んだ、半荒魂のような馘という存在にも心を惹かれていた。呼吹流に云うならアイを感じていた。
しかしそれが簡単でないことも呼吹は理解していた。
(いや。行ってみるか)
馘を這いつくばらせるにはどうすればよいか。呼吹の頭脳はフル回転していた。
仲間の刀使に荒魂を狩る猛獣、などとすら囁かれる呼吹だが実際は畜生とは程遠いインテリジェンスビースト、智恵ある獣であった。
(賭けになる。私が投げ、それから突っ込む。そこで馘が下がるかどうかだ)
詰めた二足刀分を下がれば当然、場外に近づく。
(北谷菜切を拾って、もっかい投げて突っ込む。そうりゃ逃げ場は横だけだ)
場外に近いということは、避けられたら北谷菜切は場外に飛ぶ。取りには行けない。一刀を捨て、逃げ場を制限する。
この時点で馘は呼吹の写シをコピーするかも知れない。
しかし馘の御刀は二尺五寸の月山鬼王丸。一尺八寸の二王国綱の組み打ち技をコピーしたところで強みを活かせない。
(その、筈だ!)
呼吹が左の北谷菜切を振りかぶった。
モーションを隠す必要は無かった。あくまでも牽制であるからだ。この後の迅移で、馘が下がれば勝ち。その勝負であった。
しかしこの時点で馘は飛び下がった。
迅移での後退である。
(なに!?)
距離は大きく開いた。馘の後ろはもう場外である。投じた北谷菜切は確実に場外に出るだろう。
(いや、丁度いいな。今からそこに押し込もうとしてたとこだ。手間が省けたぜ)
やることは変わらない。
投げて飛び込む。それだけだ。
この試合、呼吹はただの一度も、踏み込みに迅移を用いていない。奇襲となる筈であった。そうでなくとも鋭さには定評のある呼吹の迅移である。致命とならずとも体制は崩れる。確実に、次の技には繋いで行ける。
(…?)
その筈であった。
確信に疑念が影差したのは、目標となる馘だった。
構えが変わっている。
中段正眼ではない。これは…何と称するべきか。
(見覚えあんぞ。その構えは…)
刀使同士の試合に関心はなかった。モニター越しで眺めた試合に、こうと構えた刀使が居た筈だ。平城学館の予選で清香が、団体戦となった第一試合で山城由衣がやられた、確かあれは――
「一指の太刀」
襤褸の内に見えぬ唇が呟く。柊の、引いては伍箇伝最大の秘剣、一つの太刀すら凌ぐ、今や伍箇伝最強のその技の名を――
(何いいいい!)
距離は二足刀以遠。溜めのでかい一指の太刀の、完全な適正距離だ。よりにもよって呼吹は、丈の短い二王国綱一振りで、長大なリーチのそれに突っ込むハメになってしまっていた。
右人差し指からの夥しい光芒を見た時には、月山鬼王丸の切っ先は既に鼻先だった。
(糞ったれがあああ!)
噛んだ。
初代月山を噛み止めようとした。
それが幸いした。そうでもしなければ頭蓋と身体の間の脊椎を完膚なきまでに粉砕され、写シで死を免れたとしても、再起が危うい傷となっていただろう。
初代月山の切っ先は、後ろ頭に抜けていなかった。
全壊をぎりぎりで免れたものの、脊椎破損は致命傷に間違い無い。
「ぬ…?」
月山鬼王丸を引き抜こうとして、馘は出来なかった。
呼吹が噛み止めていたからだ。
「そう、来たか…」
写シごと飛びつつある意識での、この呟きはだから正確に言葉になってはいない。
「だが悪いな。その一指の太刀ってのは、返してもらうぜ」
「ぐ!」
襤褸の下からの声の正体が、馘の肩口に突き刺さっていた。
馘の弾いた、北谷菜切である。
弾かれなければ場外に出る筈の北谷菜切がここに落下したのは、咄嗟に呼吹が投法を変じたからに他ならなかった。
あの瞬間に落下点を見定め、そこに馘を固定したのだ。
「…恐るべし、伍箇伝の魁(さきがけ)、七之里呼吹」
ニッ、と笑んだその顔のまま、呼吹は月山鬼王丸を滑り落ち、地に伏した。
「相打ち!?」
「…ううん」
一方、馘の写シは飛んではいない。
「そんな…」
これが打刀であったなら深手であっただろう。しかし北谷菜切は小太刀だ。自重は軽い。僅かに浅かったのか。
「返す刀で折神御本家の首級をと思ったが、果たせぬ仕儀となるようだ。相打ちであったと、七之里呼吹様にはお伝え願いたい」
馘の姿が明滅を始めていた。
それでも、これ以上現世に写シを留め置くことは困難なようであった。馘の言葉通り、呼吹は馘と刺し違えたのだ。
七之里呼吹――凄い刀使であった。
「御前試合第二試合は明朝より執り行われる。明日も私はここで待つ故、安んじられよ」
「痛み入り申す。ついては、明日も次鋒となる刀使を選抜されよ。これを討ちたる後、尊公に太刀付けることと致す」
「承知した」
襤褸の姿は揺らめき、霧と消えた。
北谷菜切のみが、先程まで在った馘が幻ではなかった証のように、石畳に屹立していた。