今際一門は、代々異能を受け継ぐ。
相対した刀使の写シを盗む、今際流試刀術影試しに掛けられた刀使は、写シを張ることが出来なくなることを木寅ミルヤも山城由衣も知っていた。
「写シが…」
「矢張り…」
これは、馘と直接対峙した赤羽刀調査隊以外にも、五個伝全刀使に周知されられていることだ。
(…まさか、盗まれたのか。馘に、写シを…!)
試合へと馳せ戻った十条姫和が見たのは衝撃の光芒だった。京都の、十条の家で己を射抜いた、あの光だ。
一指の太刀を放ったのは岩倉早苗ではなく、馘であった。
それがどういう事態が、理解するのに数瞬を要した。
幾ら姫和でも分かる。
早苗は、写シを張れなくなったのだ。
(なんで、そんなことに…)
そもそも、馘が何故ここに現れる。現れたなら、何故この場の全員で取り押さえない。何故試合が続行され、何故馘が勝者となっているのか。
(…紫さま)
経緯の全てを知る者が、石台の上に居る。
そうと知った時、自然と姫和は、速足になった。
「あ…十条さ…」
早苗の声が聞こえた気がするが後だ。今は聞きたいことがある。
「紫さま」
「十条か」
「お答えください、紫さま。御本家推薦枠の刀使とは、馘だったのですか」
「もし現れなければ、私が選手となるつもりだった」
そうなれば、折神紫対七之里呼吹という、御前試合史上初の二刀流対決が実現したわけだが、今それはいい。
「わざわざ馘を招き入れ、一回戦突破のトロフィーを土産に持たせてお見送りしたということですか?」
声は熱雷を帯びていた。いや姫和自身が雷気を帯びていた。
小烏丸を発刀せずして既に、である。
「岩倉さんは写シが張れなくなった。御前試合ベスト8の刀使が、御前試合開催期間中に。この結果は想定内なんですか」
「甘く見た」
あっさりと、紫は認めた。
「私の目的は、二刀流が馘に対しどこまで有効か、確認することだった。七之里呼吹の小太刀二刀は十分に私の課した役目を果たした」
その呼吹は、意識の戻らぬまま、係員の生徒たちによって担架で搬送されつつある。
写シの上からとはいえ、カウンターで一指の太刀を浴び、脊椎を粉砕されたのだ。無理からぬことであった。同じくカウンターでもらったことのある姫和には分かる。京都では、当たり所が良かったから意識を保てたものの、あの後朝まで、写シを張ることは出来なかった。
「想定外であったのは、今際流試刀術、影試しなる技の射程だ。相対した刀使の写シをコピーする、というのが我々の認識だったがそれを大きく上回る性能を、今際流は示した。きゃつが現れた瞬間にとっさに鯉口を切って写シを張り得た精鋭刀使の、さらにその中から岩倉早苗を選び、その写シを我が物とするとは」
実際、馘を認識した瞬間、この場の刀使全員が鯉口を切った。続いて写シを張った刀使も多く居た。ここに集う刀使はそれほどまでの精鋭だった。
しかしその彼女達全員が。今際流試刀術の射程であったのだ。
「今際流恐るべし。私が得たのはその戦訓だけだ。しかし御前試合第二日(だいにじつ)、馘の相手は十条姫和。お前だ」
「馘が現れる保証は」
「約定を交わした」
「奴が守るとは限りません」
「何の取り交わしもないのに、奴は今日現れた。伍箇伝最精兵が犇めく死地に」
「…」
「折神の血が奴を誘うのだ。折神への怨念が、奴を。私がここで写シを張り、待てば奴は明日も必ず現れると私は、確信に至っている」
「…紫さまがそこまで言われるなら、分かりました。もし本当に奴が現れれば、私が岩倉さんの写シを取り返します。ですがもし馘が現れなかったら、私は御前試合の選手権を辞退し、馘を追わせてもらいます」
「よかろう。では…」
「あー、そこなお二人。何ぞお忘れになってませんやろか」
妙にはんなりとした声音が、両者のやり取りを阻んだ。
「…いや、貴方のことは忘れていたよ。平城学長五条いろはの娘、五条丹穂(ごじょう・にほ)先輩」
「いけずやこと。岩倉はんと同じゅう、平城代表ですのに」
「平城の推薦枠は私の筈。どうやって代表の座を手にした?」
「どうって…普通にトーナメントで、勝ち進んで来ただけでおすえ?」
「それは良かった。つまり先輩は、平城代表に相応しい刀使ということだな」
冴えた鍔鳴りの音色とともに、小烏丸の抜き身が、姿を現す。
五条丹穂も応じて御刀を抜いたが――
(む…)
抜いたのは、携えた御刀の一振りであった。
つまり、五条丹穂は、複数の御刀を携えていたのである。諸手に一振り、両腰一振りづつ、背に四振りづつのつまり、七振り。
(弁慶の七つ道具か何かか、あれは)
五条大橋の決闘はあまりに有名であるが、まさかそれに因んだつもりなのか。
複数の御刀に適合しうる刀使は極々少数である。あらゆる御刀に適合し、それ故天下五剣並びに大包平を唯一使いこなせる折神紫は別格として、あとは七之里呼吹などが有名所だ。伍箇伝にそんな刀使が居れば、音に聞こえてくるはずである。
(丹穂先輩がそうであるという話は、聞いたことが無い)
多方、五条丹穂の佩刀、その銘を姫和は知らない。これは姫和が無関心だったということではなく、知る者は伍箇伝に居ない筈だ。
何故なら五条丹穂のプロフィールにその記載がないからである。
伍箇伝の全ての刀使は、携える御刀の銘が登記され、明らかだ。
五条丹穂はその唯一の例外とされる。つまり御刀の登記がなされていない唯一の刀使なのだ。
(いろは学長…職権乱用にも程があるだろう。しかし、逆に考えれば…)
携える七振りの内、手の一振りが今まで秘されていた丹穂の御刀であるということだ。そうでなければ、こうして写シを張って姫和の前に立つことは出来ない。
(取り上げて化けの皮を剥いでやる)
よく見れば、丹穂は母いろはの面差しが色濃い。大振りの簪で結い上げたひっつめ髪も、微笑むように細めた瞳もそっくりだ。泡食わせてやればさぞかし痛快だろう。
「始め!」
紫の号令と共に、姫和は早速目にモノ見せんと飛び退く。
後退したわけだが、もちろんこれは退却を意味しない。姫和と小烏丸にとって最適の二足刀、その以遠。言わずと知れた柊家伝の一つの太刀の間合いを取ったのだ。
これが放たれれば、並みの刀使は凌ぎきれない。獅童真希や衛藤可奈美などは例外中の例外だ。相楽瞑や岩倉早苗のような卓越した刀使が挑み、敗北を重ねている。故に姫和を知る刀使はこの間合いを嫌う。離れれば間合いを潰そうとしてくる。真希や可奈美ですらそうである。
それをしない丹穂は、敵の何者であるかを知らぬ刀使である。
そう姫和は断じた。この一太刀で決着であると。
(決めさせてもらうぞ)
飛び退いた時には、姫和の構えは変じていた。中段正眼から上段、陰の霞。柄を正面、切っ先を背面に向け太刀の長さを幻惑せしめる姫和の得意、鹿島の秘太刀に応じる、丹穂の構えは――
(…!?)
姫和は目を疑った。
環視の刀使たちも同じだろう。とりわけ、木寅ミルヤや六角清香ら、岩倉早苗と立ち会った刀使は。
(一指の太刀だと…!?)
何と、御前試合トーナメント一回戦、三人目の一指の太刀の遣い手が現れたのか。
(…いやいや)
そのようなわけはない。誰しもが遣える業ではないことを、姫和は思い知っている。
恰好だけを真似たところで、どうにもなるものではない。いくら有効な太刀技であったとしてもそれは、迅移と金剛身をシームレスに使う絶妙技を身に付けた、早苗ならではの話だ。
「はったり。岩倉はんの猿真似。そう思うてはりますやろ」
図星だ。
そうとしか思えない。
「違うのか」
「そう思うなら…試してみやれ!」
「――!」
繰り返すが、一指の太刀は余人の遣えるものではない。早苗ならではの技だ。その筈だ。しかし――
(ちいいい!)
もしも丹穂がそれを行い得たなら、今の姫和では太刀打ち出来ない。京都十条邸の二の舞を演じるだけだ。
姫和はその最大の強みである最速の迅移を、回避に使った。
敵にではなく、敵から逃げる為に使ったのである。
「…ッ!」
亜音速で横跳びした姫和が見たものは…
「はれ?」
丹穂の御刀が消失していた。
「うわあああ!」
見れば客席、辛くも身を躱した木寅ミルヤと悲鳴を上げた山城由衣の丁度間に突き刺さっている。
「ほう。これは」
「今死にそうだったのになに感心してるんですかミルヤさん! でも如何にもミルヤさんっぽいすき!」
伍箇伝髄一の御刀通として知られるミルヤが、何にどう感心したのか、姫和が知る由もない。
(…一指しの太刀)
紛れもなくそうであった。御刀がすっぽ抜けたところを除けば。
(そこまでの真似なら私でも出来た。しかし――)
小烏丸が手から離れてしまえば写シは張れない。その時点で敗退が決まる。
しかし五条丹穂は、違った。
(写シを維持しているだと!?)
嗤ったようなその表情のまま、幽世の丹穂の分身は、丹穂の身を覆ったままであった。
(ということは、今飛んでいったのは…)
丹穂の御刀ではない。
残った六本のどれか。
その筈であった。
「なかなか、ほんにコツが要る技ですなあ」
慌てた風もなく、背に負った四本の内の一本が、白昼に姿を現す。
「もひとつ、チャレンジです」
再度、丹穂が一指の太刀に構えた時、姫和は事態を悟った。
残弾六発。
全てがすっぽ抜けて飛んだとしても、あと六回。
己が成す術も無く敗れたあの一指の太刀があと六回飛んでくるのだ。
姫和の流す汗が、冷たいものに変わりつつあった。
***
なに故に五条丹穂の写シが飛ばないのか。
例え丹穂が七本の御刀全てを使いこなす、折神直系並みの能力を持っていたとしても、我が手から御刀が離れてしまえば写シは失われる筈である。
御刀がすっぽ抜けて飛び、徒手空拳となった丹穂の写シは途切れなかったのは何故なのか。これに近づいている者が、御前試合に集った刀使たちの中に、幾名か居た。
「これは、正宗を模した居合刀ですね」
「御刀じゃないんですか!?」
「御覧の通りです」
木寅ミルヤは、山城由衣と岩倉早苗に、今しがた自分の胸元目掛けて飛んできた刃物に、指を滑らせて見せる。
傷一つ付かない。居合刀とは真剣を取り扱うには危うい初心の剣士が修練に用いる武具であり、焼きは入っているものの、刃は付いていない。ようするに刃引きされた日本刀のようなもので、傷が付くことが無いのは当然であった。
「早苗さんは、予選決勝であの丹穂さんと戦ってるはずですよね。その時も居合刀だったんですか」
「決勝は、不戦勝だった。五条さんとは戦ってない」
「「不戦勝!?」」
五条丹穂は謎に包まれた刀使であった。
母にも劣らぬと噂されながら、本年度まで御前試合に姿を見せなかった丹穂は、文字通りのダークホースとして平城予選を駆けあがってきていた。恐らく相まみえるであろうと踏んだ早苗は、当然ながら丹穂の試合の画像は目にしていた。
一回戦、二回戦とも、複数の御刀…なのか居合刀なのかは分からないが…携えている様子は無かった。普通に一振りでの御刀試合で相手を凌いできていた。
早苗が見て来た予選での丹穂は、或いは手の内を温存していたのかも知れない。学長の娘が複数の御刀を使用出来る、異能の刀使だなどとは聞いたことも無い。大体学校で見かけることが少ないし、話をしたことも数えるくらいだ。だから予選に出て来ると聞いた時には意外に思った。
噂なら耳にしたことがある。五条いろはの娘丹穂は、母の影であると。
母いろはの耳目となり、ときに手足となってその意思を遂行する平城学長の影。五条丹穂には油断をするな、と。
「どう思う、可奈美」
「うん。あれなら出来るかも」
「出来るんだ! 流石可奈美」
「千鳥に刃引きをすればだけどね。前の試合で馘さんがやったみたいに御刀でやるのは、ダメかも」
一方、衛藤可奈美は木寅ミルヤとは異なる視点で、からくりに気付いていた。先の馘の試合では、指からの夥しい光芒が印象的だった。翻って五条丹穂の一指の太刀には、馘の時のように火花が飛ばない。
あの火花は御刀の刃が、金剛身の指を削って出る火花であると、可奈美は看破していた。
金剛身と迅移の相性は悪い。どちらかが得意だと、どちらかが不得手になる。両方とも高レベルで使いこなせるのはそれこそ、獅童真希や此花寿々花といった、刀使となって長い月日を経た天才だけだろう。可奈美も高等部二三年になるくらなら出来るかもしれないが、今日まで太刀技全振りだった衛藤可奈美、15歳中三は、迅移以外が少し怪しいのである。
それはさておき、馘と比較して、丹穂の一指の太刀には特質がある。
金剛身と迅移を同時使用していない。端的に言えば、金剛身を使う必要が無い。何故なら居合刀には刃がないからだ。刃を金剛身の指で押さえる必要が無いからだ。
そうなれば一気に難度が下がる。使用のハードルが下がる。
「一指の太刀、って技を使うだけならだけど…」
「抜いているのは御刀じゃなく、刃の付いてない模造刀なんだよね。ひょっとしたら、漣さんみたく…」
「あの六振りの内どれかが落とし差しじゃあないか、ってこと?」
辻漣は美濃関に身を寄せる新田宮流の手練れであり、御刀を抜かぬままに迅移を遣って伍箇伝を驚かせた。
その極意は落とし差しにある。端的に言えば抜いていないのではなく、御刀をパチリと鞘に嵌めず、常に鯉口を切っているのだ。
それを知っているから、鞘の内にあるように見えて、六振りのうちの一振りの鯉口を切っているのではないか、という疑義に到達し得た。
(いや。あと五振りだな)
姫和も、辻漣の新田宮流とやり合った経験者であった。御刀を抜かず迅移する手品のタネは知っている。
(抜いているあれは、御刀じゃない。その筈だ)
何故なら、また一指の太刀をやればすっぽぬけるからだ。それが自分の御刀だったらその瞬間に写シは張れなくなり敗退が決する。
(一指の太刀が岩倉さんのみの技なのは、相性の悪い金剛身と迅移を合わせた技だからだ。それをこんな方法で…)
確かに、刀に刃がついて居なければ金剛身の必要はない。刃引きの刀なら真似することは姫和にも出来る。
(目から鱗だ。驚いたよ。流石はあの学長の娘だ)
どっちにしろ、やることは決まっている。
ざわ…
会場がどよめく。
再び両者が構えたのだ。片や、一指の太刀。片や、一つの太刀。
(突きに対し突きを被せる。それもより長く速く、強い突きを)
そうして、岩倉早苗は一指の太刀を工夫してきた。
(だから勝てないの。十条さん。貴方の一つの太刀は)
どういう気持ちで居ればいいのか、早苗には分からない。
もし学長の娘に姫和が負ければ、勝ち上がって来るのは丹穂だ。
(だったら、もういいかな)
このまま写シが張れず、不戦負となってもいい。馘と丹穂のどっちが勝とうと構わない。姫和と戦えないのだったら、もう…
(けど、もし…)
姫和が勝ったとしたならば、それは一指の太刀が敗れたことを意味する――
「あ、早苗さん、何処行くんですか?」
「ちょっと…」
辛くもそれだけを由依に返し、早苗は席を立つ。
立った時には、駆けだしていた。由依の声が、聞こえた気がした。
「はあ…はあ…」
会場から逃げ出した早苗が足を止めたのは奇しくも、先程まで十条姫和が居た中庭である。
(もし、この試合、十条さんが勝っても)
その次の試合で、姫和が馘を倒してもだ。岩倉早苗の写シを得た馘を倒すにはどうあっても、一指の太刀を破るより他にはない。
準決勝で出会う姫和には、一指の太刀はもう、通用しなくなっている。
(だから、もう私には…)
ここに居る意味は無くなってしまった。
姫和の前に再び立てたとしても、出来ることは何もないから…
「…ひどい」
そんな言葉が唇を突いて出た。
「ひどい…ひどい、ひどい、ひどい…!」
たった一人の誰かのための。
姫和だけの為の技だった。
他の誰にも見せたくなかった。刀使としての短い命の、その貴重な一年を姫和の為に捧げたなんて、誰にも知られたくはなかったから。
それをあんなに簡単に。人に断りもなしに。
「ひとの気も知らないで…!」
「や。知りませんね」
「…!?」
驚き振り向くと、そこに居るのは次、明日に戦う筈の相楽瞑であった。
いや、瞑ではない。S装備を装着していない今、彼女は瞑ではなく、ただの鈴本葉菜であるはずであった。
「いいんですか。試合見ないで。ボクたちに勝ったら当たる相手でしょう」
「…貴方こそいいの? 鈴本さん。私に勝ったら当たる相手だよ?」
「ボクは当面、お呼びじゃあないみたいですし」
葉菜には用はない。用が在るのは瞑の方だと、そう言ったのは早苗だった。
「瞑さんにとっては、貴方との試合は「稽古」だ。他の試合も、多分。だけど岩倉早苗さん。貴方にとってはそうじゃなさそうだ。それはどうやら、あの十条の娘も、それと戦っている五条学長の娘も」
「学長のお嬢さんのことを…五条丹穂先輩のことを知っているの?」
「瞑さんは直接面識がある。ボクはボクで、ほら、蛇の道は蛇って言うでしょう」
鈴本葉菜には、舞草の間者として、綾小路で暗躍していた過去がある。
「平城学館学長、五条いろはの影法師。同期の瞑さんたちの間では、そう囁かれていたみたいだよ。五条いろはの意思を代行する、学長の耳目であり手だって。変な話だよね。五条学長の娘さんだったら、見聞きしたことをお母さんに話したり、お母さんの手伝いをするのは不自然なことじゃないのに、殊更にそんな風に言われるなんて」
「…」
「五条丹穂のことは調べたことが有る。商売敵になりかねない得体の知れない奴だし、ボク自身興味があったし、せめて御刀だけでも分からないかってね。だけど伍箇伝に登記のある御刀は全て、刀使が決まっているか保管されているかだった。つまり丹穂の持つ珠鋼兵装は、登録刀剣じゃない」
驚くべき事実を、葉菜は明かしつつある。
五条丹穂は、平城学館学長、いろはの娘である。つまり平城学長の娘が、未登録刀剣を所持し、しかも御前試合で平城次席刀使として出場していることとなる。
「丹穂先輩は七本の刀を持っていた。けどそのどれもが、登録されている御刀じゃない。あるいはその全てが…そういうこと?」
「或いは、御刀ですらないか、だね」
「御刀ですら、ない…でも、丹穂先輩は写シを張っている」
「特別刀剣類管理局が台帳登録をしていない珠鋼兵装は存在する。自衛隊の御槍がそうだ。あとは、そうだね。例えば刃渡りが一尺にも満たない、短いものとか」
「短い御刀…」
「短いから、偽装するのも簡単だからね。GHQの目を逃れたものが残っていても、おかしくはない」
「短い御刀を、偽装――」
まさか。
早苗は五条丹穂の出で立ちを想起する。何もかもが平城学長、五条いろはを思わせる風貌。後ろに結い上げた髪型まで似ている。ただ簪だけが学長と比べ大振りで、異彩を放っている――
「十条さん…!」
丹穂と姫和の巻き起こす歓声は未だ、ここまで届いていた。
***
「岩倉丹穂――学長の娘か。面識は無い。いや、有るのかも知れない」
問われて語ったのは獅童真希である。
この時点で真希は、折神紫直轄の特務として活動していた。
「それはどっちですの」
問うたのは同じく特務の刀使である元親衛隊、此花寿々花である。伍箇伝の裏を知り尽くす、この両名ですら五条いろはの娘、丹穂は謎の存在であった。
「私が独りでタギツヒメを追っていた時、恐らくそれであろう奴に噛みつかれたことがあるんだ」
「真希さんにですの? 無謀ですこと」
「無謀、か。私はね。奴とやりあって、平城のOG達に語り継がれてる怪談を思い出したよ」
「怪談?」
「天狗だ。鞍馬山に棲むという怪人だ」
「鞍馬天狗…鎌倉期黎明に源氏に味方したという妖怪ですわね」
「悪しきを挫き、弱きを助く…かどうかは知らないけどね。それらしい奴と私は一度、斬り合っている。いや、斬り合いではないな。奴の刀は刃引きがしてあった。つまり御刀ではなかった」
「でも、真希さん。貴方とやり合えたということは、天狗は刀使だったのでしょう?」
「確かに刀使の技を遣っていたが、私は妖怪だと思ったよ。鞍馬の山から這い出て来た妖怪の類だと」
蔵馬の天狗の伝承ならば、源平の古のみではない。
幕末即ち近世にあっても、その存在は取り沙汰されていた。京に跳梁する正義の妖怪。その名を…
「あれは正しく、蔵馬の天狗だ」
***
息せき切って馳せ戻った早苗の前で、試合は続いていた。
「この…」
「逃さん!」
逃げているのは丹穂であった。追っているのは姫和だ。
「この間合いでは一指の太刀は使えないな!」
近距離での乱戦を挑んでいるのは、本来迅移で飛び込む中距離戦を得意とする姫和の方であった。それを嫌って距離を取ろうとしているのは、丹穂の方である。
立木打ちかなにかのように右から左から、息もつかずに斬り結ぶ乱撃戦は、初心の内にはよく起こることである。
稽古が進めば、御刀取っての試合でこのようなことは無くなる。緊張が解け、肝が据わり目付けも定まり、習い覚えた技を出せるようになるからだ。それまでの間、刀使の基本としてこの乱撃剣、剣道において称されるところの切り返し稽古を、伍箇伝の刀使はみっちり行う。
右から左から袈裟を兎に角打ち込むだけのこの稽古を最初に学ぶのは、この切り返し刀法を行えれば、兵として斬り合いに出すことが出来るからである。明治初頭、新時代の大和扶桑の刀使が学ぶに相応しい剣をと、門派を超えて集った有志が興したとされる全剣連流、所謂ところの剣道にもこれは取り入れられ、刀使を志す女子ならば必ず学ぶ技であった。
むろん姫和も、まだ御刀が持てないころ、竹刀でこれに打ち込んだ経験がある。
それは恐らく、五条丹穂もそうであろう。
二振りが真っ向鋭く、立て続けに噛み合う――が、片や付け焼刃の居合刀。片や純然たる球鋼の小烏丸である。数度で優劣が分かれた。
「なるほ、ど…!」
しつこく斬り結んできた姫和をようやく振り放した丹穂は、稲妻状に折れ曲がった我が刀を見やる。只の金属に過ぎない居合刀で、球鋼兵装と斬り結んだ結果だった。
「考えはりましたなあ、姫和はん。確かに、姫和はんの迅移で纏わりつかれたら、振り切れる刀使なんぞ居ませんわ」
一振りを放り出し、背の一振りを抜く。これであと五振り。
「諦めて残り全部を捨てたっていいんだぞ。んん?」
「怖や、怖や」
つい、と丹穂が、右の足を引く。霞構えの前兆である。ここより、独特の一指の太刀の勢へと派生する。そこへ――
「させん」
姫和が踏み込む。
丹穂が持ち込みたいのは一指の太刀の間合い、二足刀のロングレンジだ。丹穂は迅移で距離を置こうとする。
「させんと言ったろう?」
同じ迅移でも速度が異なる。
伍箇伝に一千の刀使有れど、三段階迅移に達する刀使は姫和のみである。並みの刀使が同じく迅移で振りほどくなど不可能だ。
「く…!」
全く同じ画像が、早苗と葉菜の目前で再生された。
平城の制服同士が火のように斬り結ぶ。息の続く限り斬り続ける、技術も何もない無酸素運動。しかしそうであればこそ、優劣が在るところははっきりと表れる。
「成程」
ぽい、と丹穂が、グニャグニャになった得物を放り投げた。これであと四振りである。
「一指の太刀対策、一応考えはられたようですなあ。せやけど、これほんまに、対策になりますやろか」
姫和は無言であった。
主審、紫もである。試合中私語禁止は如何なる武道であってもそうで、伍箇伝の試合も例外ではないが、見咎めるつもりはないようであった。
「馘も、その後の岩倉はんも、刀はこんなまがい物やおへんの。正真正銘の御刀なんよ」
四振り目を抜く間も、写シが途切れることは無かった。当然ながら、先の曲がった刀は御刀では無いだろうし、抜いたこれも恐らく御刀ではないだろう。
「曲がることも折れることもおへんのえ? それで踏み込んで斬り結んで、姫和はんは勝てますやろうかなあ。あの巧者、岩倉早苗に。その写シを盗んだ、馘に」
「黙れ」
姫和は踏み込む。丹穂は逃れる。しかし出来ない。迅移の速力が違い過ぎる。
「そんなことはお前に勝てたらの話だ!」
鋼と珠鋼が噛み合う。
しかし現世の金属で、珠鋼兵装の刃を受け切ることは不可能であった。ギザギザになっていくのは一方的に、丹穂の得物の方だけだ。
「そやから、うちに勝てても意味はないて、言うとりますのに…!」
「…!?」
刀を残して、丹穂が眼前から消えた。
(何だと…!?)
迅移で逃れたのだ。
もちろん、ただ迅移で横に飛ぶだけでは、姫和に追尾されて終わりだろう。だから我が刀を、丹穂は残して行ったのだ。
まるでカニの手、トカゲの尻尾だ。
刀の破損を狙っていた姫和は、まんまと囮に引っかかったのである。
(そこか…!)
目くらましである。一瞬半ほども効果がない。四角四面の石台に、逃げ場など何処にもありはしない。
(もう一振りいただくぞ!)
目の前の刀の落下も待たず、姫和は獲物に食らいつく。その気になれば石台の端から端まで秒もかからず飛べる姫和である。迅移で間合いを開けるなど不可能であった。
丹穂の手放した刀が地に落ちるか落ちないかの時には、姫和は丹穂の刃圏に飛び込んでいた。
その規格外の疾さ故に気付かなかった。
(何だこの…)
この違和感は何だ。何故――
「が…!」
目から火花が出た。
痛みはない。だが地面が――敷石がぐんぐん近づいてくる。どうなっているのかわからない。地面が我が身に落ちてきているかのようだ。どうして、こんなことが――
「姫和ちゃん!」
衛藤可奈美の声が聞こえた気がする。
***
喧嘩巧者で知られる、稲河暁すら思わず呻る。
「上手えな。あの五条丹穂って奴」
「ですね」
暁に答えたのはその妹分、鳥喰優稀(とりばね・ゆうき)である。
「十条姫和は、気づいてなかった。あいつが二刀流になってたことに」
「手放した刀を囮にして、左手を隠した。そんな感じっすか」
巧妙な、五条丹穂の手練手管であった。
姫和が丹穂の武器の破壊、それを目標としていると見抜いた上で、先ずは一振りを捨てて囮にした。
ここまでならば稲河暁程のケンカ上手が舌を巻くこともなかっただろう。
五条丹穂はその上さらに、右手で抜いた一刀を中段正眼、姫和の眉間に付けてさらなる囮としたのだ。
姫和は眼前の一刀に食らいつく。その隙を狙って、左でもう一刀を大外からぶん回す。
普段ならばもらう筈もない大振りが、姫和には見えない。高速で移動すれば視野は狭まる。これは人間の仕様で、刀使も例外ではない。刃は無いとはいえ視覚外からの斬撃だ。まともに入る可能性は非常に高い。写シが飛ぶことも在り得る。
「大分、分かってきたじゃあねーか、優稀」
「へへ…あ、来ましたよ」
「おお。もういいのか」
「…」
暁に返事を…しなかったのは、つい先ほど安桜美炎と死闘を演じた新田弘名である――が、到底同一人物とは思えない。丸めた肩から、長船女学園制服独特のジャンパースカートの肩が、丸めた肩からずり落ちてしまっている。右も、左もだ。しまいにお尻からもずり落ちはしまいかと心配になってくる程だ。
「あー、愚問だったな。まあ、よく来てくれた」
「…美炎さんは、底知れません」
「うわしゃべったあ!」
「…ゾンビか何かですか、私は」
「い、いや済まねえ。続けてくれよ、出来る範囲で」
「…その潜在能力まで引き出せたとは、思えません。しかしトーナメントが順当に進めば、次の相手はあの、伍箇伝最強の衛藤可奈美です。きっと私以上にあさくらみほ…ふぅ…」
「おいしっかりしろ! 弘名! 息を引き取るんじゃねえ!」
「姉御! 弘名さんは、弘名さんはもうエコモードっす!」
「運ぶぞ! そっち持て!」
「うっす!」
暁と優稀をえっちらおっちら運搬していく様を見守るのは、弥々であった。
姿を消してはいない。暁や優稀程の刀使なら、姿を消していては返って気配を気取られる。よって姿を現したまま、弥々はその会話にそれとなく聞き耳を立てていたのみであった。
(如何に思うぞ、弥々よ。あれら会津の刀使共、安桜の秘密を暴こうと企んでおる様子)
(ねね)
(何? 約定通り益子の者に注進すると? バカな。考えなおせ。安桜の秘密が刀使共に暴かれれば荒魂の世は遠ざかるばかりぞ)
(ねね!)
(何? 益子薫はダチだから隠し事など出来んと? 愚かな、一時の感情に流されるでない、大望の為なら汚名など襲るるべからず。大儀の為なら泥も啜らずしてなんとする)
(ねねね!)
(義を欠いて大望など語れんと? ううむ強情な奴…やむを得ぬ。このタキリヒメも今や居候の身、ここは主家を立てるに他無し)
弘名を運搬していく暁と優稀とは逆方向に、弥々は駆け出す。
***
写シが飛んだのは、姫和にとってむしろ幸運だった。
もし飛んでいなければ、地に伏した姫和に止めを刺し、丹穂は勝利を収めていただろう。
「写シを張れ、十条姫和」
「…」
起き上がり、写シを張る。
一瞬意識が無かった。実戦ならば止めを刺されていただろう。
(いや。助かったとは言い難いな)
丹穂は大きく間合いを放していた。言うまでも無く、一指の太刀の間合いであった。
あの独特の一指の太刀の構えにはなっていない。二刀を携えているからだ。
(うかつに踏み込めなくなったな)
五条丹穂が二刀流を良くするかどうか、姫和は知らない。知る者は居ないだろう。何せ、名のみは知れても実は全く謎の刀使なのだ。少なくとも言えるのは、付け焼刃の二刀流で姫和を打ち据えることなど出来ないということだ。
(しかし、これで奴も一指の太刀を使えない)
右にも一刀を持っていたのでは、一指を刃に添えることは出来ぬ筈。
そこまで思考した時、丹穂が動いた。
(…!)
仕掛けて来たのだ。それも――
(投げた!?)
一刀を投じた。
先の七之里呼吹の飛龍剣のようなものではない。むしろふわりと、姫和にパスするような感じだった。当たったところで大した怪我は無いだろう。しかし、丹穂との間にゆっくりと滞空している分邪魔だった。視界が遮られる。払いのけなければ、踏み込めない。
「ちいい!」
姫和は踏み込まなかった。逆に、さらに大きく間合いを開けた。
投じた刀が石の床に落ち、跳ねて滑っていく。開いた視界から現れた丹穂は既にあの独特の、一指の太刀の構えとなっていた。
「咄嗟に間合いを開けよるとは、中等部の刀使とはとても思えぬ戦勘。流石は次代の英雄の一角ですなあ、十条はん」
「一応、タギツヒメを討った刀使ということになっているらしいからな。で、いいのか。残りの刀はあと三本になったようだが」
「んー、些か、心細うおすなあ。そやけど、安心しました。どうにかこれで、ケリが付きそうですよって」
じり、と丹穂が進む。その進んだ分だけを、姫和が下がる。
(どうする)
一指の太刀を撃たれたらひとたまりもない。あれを見てから躱せる刀使など居るのか。衛藤可奈美ですら無理では無いのか。
(どうする…どうする…!)
「もう後がおへんえ?」
「…!」
あと一歩下がれば石台から落ちる。場外反則で減点、で済めばよい。落ちる瞬間の隙を見逃す五条丹穂では有り得ない。間違いなく串刺しだ。あの御刀ですらないであろう鉄の板には、切っ先だけは備わっているのだ。
「さあて。如何にされるかや? 柊の跡取りはん?」
「ぐ…」
これ以上は下がれない。迎え撃つより他にない。だが、どうやって?
敵は待ってはくれない。
五条丹穂はさらに半歩を詰める。そこはあの、弓矢の如き一指の太刀の間合いの内だ――
「あ…」
思わず下がってしまった。足を踏み外す。
(しまっ…)
落ちる。
五条丹穂には絶対の好機だ。見逃すはずがない。一指の太刀にやられたらもう写シは張れない。ここで敗退する。そうなれば――
(そうなれば、なんだ)
負ければなんだというのだ。どうせ平城を退学するつもりではなかったのか。母の小烏丸を国に返すつもりではなかったのか。
どうせそのつもりなら、ここで貫かれてしまってもよかろう。
あとのことなど放って置け。
あとのことなどどうでもいいではないか。
(けれど…)
岩倉さんはどうなる。
(それはきっと、誰かがやってくれる。こいつ、五条丹穂か、それとも他の誰かが…)
岩倉早苗の写シを取り戻してくれる。そうして、その岩倉さんと準決勝で――
(岩倉さんと…)
どうしてだか分からない。
だけどその時姫和の脳裏に浮かんだ岩倉早苗は、何故だかとても、悲しそうな顔をしていた。
(岩倉さん…)
岩倉さんには、何時もそんな顔をさせてばかりだ。
こんな私にどうして愛想をつかさないのか。こんな私の事などもう、放って置けばいいじゃないか。私のことしか考えていない、こんな私の、何処がそんなに気になる。分からない。岩倉さんにとっての私は一体、何?
(く…!)
分からない。分からないが、確かなコトはある。
ここで敗れてはならないということだ。
ここで五条丹穂を破り、我が手で馘から岩倉早苗を取り返し、岩倉早苗ともう一度対峙しなければならないということだ。でなければ分からないままだ。大切なことが分からないまま、ここを去るのは嫌だ。知りたいことが知れないまま、求めている答えを得られないまま、去るのは嫌だ。嫌だ――
「くそ!」
「…!」
姫和は迅移を使った。
丹穂の居る正面に対してではない、場外、つまり後ろにだ。
(逃げおった?)
場内の何処に逃れようと丹穂の射程内となるのだから、残当の選択と言えた。しかしそれは最も、丹穂を失望させる選択だった。
(もう少し、何かあると思うてたんやけどなあ)
母、いろはの見込んだほどの刀使だとは思えない。とうとう、納得することが出来なかった。
「篝はんのところの娘さんを、どうかしたってくれん?」
いろはの頼むところを己なりに膾炙しての、七本の模造刀での五条大橋弁慶戦法だった。だが結局十条姫和に、岩倉早苗に対抗する手段を得る見込みは無い。
母に答えることはどうやら出来ない。わざわざ奈良くんだりまで来て、試合をする意味もどうやら無かったようだ。
(この上は時間の無駄。早く終わらせまひょ)
場外判定であれば、今一度両者中央の指示が、主審紫から発せられるだろう。
そこで改めて、終わらせればよいと思ったその時であった。
「くそおおお!」
「!?」
十条姫和は、一指の太刀の射程の以遠に居た。
二足刀のそのまた先である。場外にいるのだから当然であった。しかし、そこから姫和は切り札を撃とうとしている。
(一つの太刀か…!)
それには遠すぎる。何せ、間合いで勝る一指の太刀のさらに外、場外に姫和は居るのだ。
ならやることは決まっている。
技の尽きたところを討つのだ。剣の定石、基本中の基本である。
姫和の迅移はここまで届かない。だからこのまま迅移させて、迅移が尽きたところをこっちが突けば良い。姫和は何も出来ない。一方的に突ける筈。
(ヤキが回りましたなあ、姫和はん)
一番の得意技の間合いを測り損ねるなど、ここに来て有り得ないミスだ。
それだけ追い詰められていたということか。
(救えませんでしたなあ、早苗はんを。そやけど安心をし。うちがその役、引き継ぎます…!)
姫和が踏み込む。
溜めのでかい、何時もの一つの太刀だ。分かりやすい、分かっていながら決して防げない、亜音速の一撃。
だが今度という今度は、どう考えても届かない間合いだ。
糸見沙耶香は為せるだろう。その弟子高津刹那は為すかもしれない。だが姫和はその二人の何れでもない。よって待てばよい、それで勝利は転がり込む。その筈だった――
(…!?)
次の瞬間、姫和は石台中央に居た。
「な…!」
待ち構えていた丹穂の正面を通り過ぎ、後ろに居たのである。
それも、目視出来ぬほどの速度で。
「外れたか」
「…!」
丹穂の左手首が、持った刀ごと消えていた。
その左手首が刀ごとに、小烏丸にぶらぶらとぶら下がっており――写シの消滅とともに石床に落ちた。
「あと二本。しかし…我ながら今の迅移、何をどうしたんだ?」
「――…ツ!」
とっさに背に負った一本を抜く。これで抜いていないのは左腰の一振りのみである。このどちらかが丹穂の御刀、ということになるだろう。
「両者中央」
刃に指を番え、一指の太刀を構えた丹穂と姫和の間に、ここで主審、紫が引き分ける。
「十条姫和、場外」
姫和に場外一が宣せられる。二つ累積で反則、三つ目で反則負けとなる上、時間切れの場合判定にも影響する不利を、姫和は被ることとなる。
一方丹穂は、即座に写シが張れた。あまりにも一瞬であったため、肉体が左手首の喪失に気付かなかったのか。ともかくもこれで一度写シを失い、五分に押し戻された。
判定と関係の無い不利も被った。両者中央が宣せられれば、構えを解かねばならないのだ。折角番えた一指の太刀を、放つことは出来なかったのである。
「始め!」
丹穂は飛び離れる。
今一度構え直すとなると、当然ながら姫和は、さっきのように迅移で纏わりついて邪魔してくるに違いない。厄介だが他に方法は無かった。
一方姫和は――行かなかった。
逆に飛び離れたのである。
「む…」
さっきとは状況が違う。
数秒前までそこは一方的に丹穂の間合いだった。今は違う。
(さっきのあれをやるおつもりか!?)
一つの太刀であって異なる。それは、一体何が?
「…確か、迅移に行こうとして…それにはあまりに遠かったから…」
姫和が口の中で何か言っている。
(んん?)
よく見れば、姫和はこちらに注意を払ってすらいない。試合中だというのに何かの考えに没入しているように見える。ようするに隙だらけだ。
「なんやようわからんけど…突いてもええってことでよろしゅうおすな!」
一指の太刀独特の光芒は発しない。しかし全く同じの刀方、同じ威力。
「一指の太刀!」
「こうか…!?」
姫和は応じた。おそらくは一つの太刀で。しかし――
「…!?」
石台の上に姫和の姿は無かった。
「場外!」
主審、紫が宣する。
姫和は、場外に居たのである。
それも先ほど、本庭に駆け戻ってきた岩倉早苗の正面に。
「十条さん…」
「…待っててくれ岩倉さん。必ず取り戻すから」
思いついたそれのみを告げて、姫和は石台中央へと戻っていく。
その言葉に、電に打たれたように立ち竦む早苗の足元に、カラリと音を立てて、一振りの居合刀が落ちた。
今の攻防で、姫和が貫いた丹穂の左手が持っていたものだった。
「なに、今の…」
「分かんないよ…」
安桜美炎に可奈美が答える。
「今までの一つの太刀じゃない…ううん、今までの一つの太刀なんだけど…」
「どっち!?」
「だから分かんないよ! 速すぎて分かんない!」
「可奈美でも分かんないの!?」
それ以上美炎には応えず、何も見逃すまいと、可奈美は身を乗り出す。
「う…ぐ…」
丹穂が再度写シを張る。
流石に顔面蒼白であった。急所を外れた四肢だとしても、次に一撃されれば危うそうだった。
「場外反則だ、十条姫和」
一方姫和には、二度目の場外で反則が告げられる。つまり次の場外で反則負けである。
「五条選手の刀は最後の一振り。あれが御刀ですかね。どちらも後が無い。五分五分、といったところですか」
「ううん。不利だよ」
早苗は葉菜を否定する。
「十条さんはまだ気付いてない。五条丹穂の秘密に…」
たった今が、それを告げる千載一遇だったのに、ただ立ち竦んでしまった。
天佑神助を、早苗は見送ってしまったのである。
「始め!」
再び両者は飛び離れた。
(あと何回いけますやろか?)
迅移はあと一度くらいか。丁度残った刀と同じだ。
向こうも似たようなものだろう。
(うちの母さまは、あんたの母さまを、上手いこと助けられんかった。柊篝の娘、姫和はん。あんたはんは、母さまの痛恨そのものや)
環視の刀使達の中には、固唾を呑んで見守る岩倉早苗の姿も認められる。
(岩倉はん。あんたはんならきっと…)
母が見込んだ刀使だ。
その技、一指の太刀だ。
きっとこれが柊の――十条母子の未来を切り開くと信じる。
どよ…と場内がどよめく。五条丹穂が、一指の太刀の構えを現わしたのだ。
(来てくれるか。有難い)
姫和が応じた。
(行くぞ…一つの太刀。私にはこれしかない。母様の遺した、最大にして唯一つの――)
丹穂は一指の太刀を。姫和は一つの太刀。
姫和は上段霞。丹穂は変形の、上段霞。
何れもが左前となる。一分前の再現であった。
シン、と場内外が静まり返る。
一分前が完全に再現されるなら、また丹穂の左手が、刀ごと飛ぶ。そうなればもう丹穂は写シを張れず、決着は付く。
岩倉早苗が固唾を呑む。衛藤可奈美が身を乗り出す。誰もが見ているものは唯一つ。十条姫和の一つの太刀だ。
試合前までは全く歯が立たなかった鹿島の秘太刀に、いったい何が起こったのか。その変化とは。
(…高い)
可奈美は見て取った。
姫和の構えが高い。剣道のような直立ちになっている。
(陰の構えで、あんなに高く――)
左前になる陰の構えは、往々にして低く構えることが多い。低いということは、左右への捌きが大きくなる一方、前後の出入りは小さくなる。
旧来の一つの太刀は、そこから右前の諸手突きに変化していた。低空の歩み足は、歩幅が自然と大きくなるから加速も距離も増す。対して新型は高く構えているから歩幅は小さい。そこから右に踏み込んだとしても少ししか距離を稼げない。
ならば、どうするのか。
「髪止めを!」
静まり返った場内外で、その声はよく通った。
「髪止めを狙って!」
「…!」
さっきまで姫和は、五条丹穂の小手を突き飛ばしていた。七つもの刀を携えて現れたことからか、その刀を奪うことで大きな戦果を得られるものと勘違いしていた。それが残り一振りとなっていたから余計にだ。
しかしそれで写シが奪えなかったとしたならどうか。
七本の刀の全てが御刀でなかったとしたら。
「迷うたな!」
「いや、迷わん」
声を切っ掛けに丹穂は動いた。
丹穂に応じ、直ちに姫和も打って出た。
(これが母様が残した、最大にして――)
これを見て取れる刀使は、限られるであろう。
衛藤可奈美は見た。
直立ちに近い左前から、姫和は何時ものように右に歩んで踏み込まなかった。右で迅移で蹴って、左から踏み込んだ。
そこから、さらに踏み込んだ左で蹴った。左前から右前の諸手突きへ――
「最大にして、唯一つの太刀だ…!」
姫和が場内からかき消えていた。
小烏丸の切っ先は場外の、身を乗り出して目を凝らしていた可奈美の目の前にあった。
「二連の、迅移…」
思わず、可奈美が呟く。
「唯一つの太刀…!」
その呟きがはっきりと届くほどの距離であった。
「その名、気に入った」
姫和が微笑む。
「両者中央!」
再度、主審紫が宣した。
姫和は三度の場外で、ルール上反則負けとなる。
一方、場内の丹穂の手に刀はあったが、写シは飛んでいた。
手に刀があっても、御刀を失ったからであった。
「藤四郎吉光が作刀――乱藤四郎(みだれとうしろう)と見ました」
一口の短刀を拾い上げ、鑑定士、木寅ミルヤは呟く。
「短刀の御刀――」
「自衛隊の御槍と同じく、御刀と見做されなかった珠鋼兵装です。珠鋼の量が小さすぎ、適合する者が現れなかったため死蔵されるのが常でしたが、まさか適合者が現れていたとは」
携えた七振りのどれもが、丹穂の御刀では無かったのだ。
妙に目立った髪留めこそが、丹穂の御刀だったのである。
「十条姫和は危ういところでしたね。もし五条丹穂の手の刀を狙っていたなら、反則負けとなっていたでしょう。しかし――」
丹穂は髪留めとして偽装していた御刀を失い、写シを張れなくなっていた。
主審、折神紫の判定は――
「勝者、西。十条姫和」
例え反則となる技であっても、受けて写シを失えば敗北。
スポーツであれば決して容認されない判定であろう。しかしここは御前試合の本戦。対大荒魂想定の実戦訓練の場である。不意打ちであろうが場外であろうが、斬られて写シが張れなくなれば実戦では死あるのみ。
もし姫和の迅移が場外からのものであったなら逆の判定もあったかも知れないが、場内の迅移発動から結果場外となった技である。如何なる武道であっても有効判定となるだろう。
異論の余地無き判定に、丹穂も姫和も、笑みを浮かべた。
丹穂は寂しく。姫和は会心の。
正反対の笑みであった。