時ならぬ、公示の試合開始時刻より三時間以上前という、これまた前代未聞の開幕を迎えた御前試合第二日。
この日折神家に詰めているのは手練ればかりである。騒ぎを察知した、或いはハナから起床しトレーニングするつもりであった刀使たちが、続々と詰め掛け始めつつある。
馘の姿を認めているだろうが、今度は迂闊に鯉口を切る者は居ない。写シを盗まれかねないと分かっているからだ。
よって抜き身で写シを張っている者は馘と紫、そして姫和のみだ。
(岩倉さん…可奈美…来ているか)
見回す余裕はない。対敵である馘は十分、迅移の斬り込みの射程に在る。
(それにしても、ツキがあるな)
その実姫和は、野外で切れ切れにしか眠っていない。
仮眠と夜稽古を繰り返し、この時間を迎えていたのである。その為馘の襲来もいち早く気付いたのだ。
「我が求めし斬り合いに、思いの他易く辿り着き申した。これも御始祖様の御導き」
「斬り合いと言ったな、馘」
「申し上げた」
「斬り合い、で良いんだな。御用試しとやらじゃあなく」
「折神に仇為すは我が悲願。御用の筋には関わり無き事」
「そうか。組み合わせを見たかどうか知らんが、折神の次鋒はこの私だ」
十条姫和が次第に、得意の構えを現わす。
陰の車、その上段――
「始めようか。お前の言う斬り合いとやらを」
「折神一党が副将家、柊が家伝、一つの太刀と見申した。相手にとって不足無し。斬り合い申そう――存分に」
神に賜ったとされる初代月山、鬼王丸。
それが見知った構えへと変化していく。
(馘…!)
虫唾が走る。
どいつもこいつも。余人が真似をしてよいものではない。一指の太刀は岩倉さんが、刀使として過ごせる短い月日の何割もを賭して工夫した剣だ。願わくばきっと、私の為の剣だ。
早苗は、折角編み出した一指の太刀を恥じ、なかなか用いようとはしなかった。姫和に促されてやっと試合で使うようになったのだ。
大切なのだ。余人が触れてよいものでは無いのだ。
(お前から取り戻す…私と母様の一つの太刀――唯一の太刀で!)
間合いが離れていく。
下がっているのは、両者共にであった。
もちろん退却をしているのではない。むしろ攻撃的な動作であった。
一指の太刀の。
唯一つの太刀の。
互いの適正距離は中遠距離。迅移の踏み込む二足刀、さらにその外。そこを計っているのだ。
「しめた。馘は昨日の第七試合を知らないんだ」
赤羽刀調査隊の面々も、時ならぬ第二日初戦に詰め掛けていた。
「新式の一つの太刀――唯一の太刀は、一指の太刀を模した五条丹穂の技を悉く破っています。馘のそれはより本家本元に近いものとなるでしょうが、それでも打ち破る可能性は高い」
木寅ミルヤの見立て通り、もし馘が無策で一指の太刀を撃とうとしているのであれば、姫和にとっては願ったり叶ったりの展開であろう。
「なかなかどうして、十条姫和も策士ですね」
「いや多分、何も考えてないと思いますケド、だとしても姫和さん、マジ姫和さん! 勝利=最短距離! これぞ姫和さんなんですよ!」
そうだろうな、と六角清香は隣で聞く。山城由衣の言うように多分姫和は策を弄したわけでは無い。それでも最速最短で最適解に辿り着くのが十条姫和という刀使なのだ。
じりじりと間合いを開けていた両者が、申し合わせたように制止する。
「十条篝が一女、姫和」
「公儀御試し御用、今際の娘、乱世」
姫和に、馘が応じた。
「「参る…!」」
馘の右人差し指が光芒を放つ。
姫和の右足が弓弦を離れる。
「「おおッ!」」
「「きゃああ!」」
環視の刀使たちがどよめく。
真っ向からの激突であった。
「く…!」
「むう…!」
昨日の五条丹穂戦とは似て非なる光景が展開されていた。
姫和は、昨日同様場外に在った。
馘の写シは飛んではいない。
「西、十条姫和、場外」
紫が宣する。
紫は試合開始すら宣じておらず、これが主審としての第一声であった。
両者を中央に呼び戻すことはしない。一応試合の態を保っているが、馘が提し姫和が応じた以上これは斬り合いであった。
とはいえこうしてわざわざ場外反則を宣したということは、三度続けば姫和に敗北判定を下すつもりであろうことは明白だった。
(相変わらず、紫様のお考えは測り知れんな)
御本家に味方しての斬り合いで、御本家から不利を被ろうとは。
馘も無傷とは行かなかったらしい。
切り飛ばされた左手指二本が、フィルムを巻き戻す如く元に戻りつつある。致命では無かったため、写シが飛ばなかったのだ。
「どうして? 丹穂先輩の時には手首ごと刀が飛んでたのに」
「恐らくは金剛身の有無でしょう。一指の太刀はその刀技上、用刀に金剛身を用います。即迅移に移行するとはいえ、肉体の硬化が迅移と同時に消失するわけではありませんから」
金剛身は一瞬で肉体を金属へと転化するが、その解除は徐々である。鉄が石となり、木となって肉へと戻るには数秒を要するのだ。つまりが一指の太刀にカウンターを合わせることが出来たとして、タイミングが良いほど弾かれてしまうということだ。
一指の太刀の驚くべき副産物を、それと対峙した木寅ミルヤは看破していた。
「まさに難攻不落の剣。岩倉早苗は驚異の刀使です」
「だけど、姫和さんはそれに手傷を負わせました」
清香は、我が胸で両の拳を握り締める。
「姫和さんも、負けてません…!」
「場外反則、一こもらってますけどね…」
「うぐ…」
本当にその通りだから、由依に言い返せない。
(昨日の練習で大分マシになったが、やはり無理なものは無理だな)
御前試合の石舞台は、唯一の太刀には狭すぎる。
場外で小烏丸を車に取りつつ、姫和は油断なく石台へとにじり寄る。敷き詰められた真っ白な玉砂利が、その度きしきしと軋む。
通常の御前試合ならここで主審から両者中央の声が掛かり、試合が中断するが、紫にその様子は無い。
(当然か。馘に折神家制定の本選手権規定に従う義理など無いからな)
そうなると眼前の石台の高み反尺15センチが、城壁に等しい。登るにはどうあっても前の左足を持ち上げねばならず、当然ながら足が石台に着くまで迅移は出来ない。やられたい放題、ということだ。
そしてこれは、唯一の太刀を使用する度に発生する問題となる。
(あと二度で反則は三。規定なら斬られたも同然になる)
紫が反則を取るかどうかは分からない。取らないかもしれないし、取るかもしれない。確かなのは取られたならば敗退で、この後岩倉早苗と戦うことは出来なくなってしまうということ。
いやそれ以前に姫和がこのまま場外に留まれば、反則負けを宣するかも知れない。姫和の勝利即ち紫の利であるとは限らないのだ。
(ふん。何も分からん。ならいっそ…)
ここは場外。
場外からなら上手く場内に収まるかも知れない。ルールならここから技を出したらもちろん反則だが、それを取るかどうかもまた紫次第なのだ。
(…行ってみるか!)
近づいて登らなければならない石台を飛び越そうと、じり、と助走距離をとる姫和にその意図を察したか、馘が構えを現わす。
「…!?」
どれ程の者が気付いたか。
姫和は、気付いているのか。
(あの構えは…!)
ミルヤも由依も清香も、異変に気付いた。
やや低い位置に居る姫和には見て取れないかも知れない。馘の足位が先と変じているのだ。御前試合初日、それをを目撃した刀使にとっては鮮烈すぎた刀勢は――
((唯一の太刀――!))
一条は場内の馘に。
一条は場外の姫和に。
稲妻は、二条走った。
(な…)
互いが互いを見失っていた。
それどころか、己が位置すら見失っていた。互いの目標が、互いに向かって極超音速で奔ったのだ。相対速度はマッハ10に達した可能性すらある。これは自衛隊のスタンダード地対空ミサイルですら迎撃不能の速度であった。
周囲を見回し、やっと気づく。
姫和は場内に居た。馘が居た辺りだったが突き貫いた筈の馘の姿は無い。
馘は場外に居た。もちろん姫和を貫くことは出来なかったにもかかわらず、襤褸の外からもそうと分かるくらいに、会心の笑みであった。
「これ程とは…柊の秘剣恐るべし。しかし得たぞ、打倒折神の切り札を」
「馘きさま…」
何と言うことか。
馘は盗んだのだ。柊の秘太刀を。唯一の太刀を。
(ハナから、それが狙いか…!)
姫和は蒼白となっていた。
今際流試刀術の脅威に恐れをなした…のではない。
血の気が引いて蒼ざめる程に、姫和は憤っていたのだ。
馘は昨日、怨敵折神紫と同じく二刀流の刀使、七之里呼吹と仕合い、岩倉早苗の写シを盗み一指の太刀で辛くも勝利を得た。
これを馘は布石としたのだ。
「次鋒を用意されよ」
馘は言っていたが、呼吹に勝利すれば次の相手は五条丹穂か姫和か何れかになる。紫がトーナメントを変更する可能性もあるものの、そうはしないだろうと馘は読んだのだ。
姫和と対峙すれば一つの太刀を盗めるばかりか、一度写シを剥がれれば使用出来なくなる。伍箇伝は荒魂払いの秘剣を失うこととなり、損害は少なく無い。
対する折神紫が何処まで考慮していたのかは分からない。どうせ一つの太刀を盗まれるのならば、直接に一つの太刀をぶつけてしまえば良いと考えたのか。
(ともかくも、馘はこの私を、打倒紫さまの足掛かりにした…)
打倒折神の標石としか見られていなかったことが腹立たしいのか。
或いは母のその母の、そのまた母の母、遥か千年の以前より受け継いできた柊の業を断りも無く盗まれたことへの怒りか。
何れでもない。
(では岩倉さんの一指の太刀は、そのまた踏み台だったというでもいうのか…!)
岩倉さんの大切に育んで来た刀使の魂とも言えるものを、まるで履き古した靴かなにかのように。
「…許さんぞ、馘」
食いしばった歯の内から、憤怒が漏れた。怒る姫和の心中にあった第一は、それだった。試合の前は一指の太刀を奪った馘に憤っていた姫和は、こんどはそれを…岩倉早苗の大切な一指の太刀を簡単に捨て去った馘に怒りを覚えていたのである。
衛藤可奈美へと羽ばたくには程遠い、母篝に遠く及ばぬ我が技、我が写シにどれ程の価値や有る。ついこの間までは、伍箇伝に返すつもりであったものだ。あの夜、岩倉早苗に敗れるまでは――
今ここに私がこうして在るのは岩倉さんの御陰なんだぞ。
分かっているのか、馘…!
(怒りに我を見失うな柊の娘! 見失えば剣もまた行く先定まらぬぞ!)
(分かっている!)
紫に聴き取れぬよう小声? で注意を促すイチキシマヒメにはそう返して置く。
分かっているのだ。私は冷静。冷静だ。
(怒りに流されやしない。しないとも)
両者の立っている場所は反対になっていた。先ほどまで姫和が居た場外で馘が見上げ、馘が居た石台の高みで姫和が見下ろしている。
(だが悔いさせてやるぞ。岩倉さんをそんな風に扱ったことを…!)
場外と場内が逆になった両者が、先と全く同じく、車に取った。
「おいおいやべーんじゃねえか」
御前試合の客席外縁にあって、益子薫は呟く。
唯一の太刀の相打ちという点では、先と同じ。しかし先と同じことの繰り返しということは精度は互いに上がっている。
先は互いに目標を失ったから無事だった。しかし次はどうか。
二人は極超音速の肉弾だ。正面からぶつかり合わずとも、接触したらどういう結果になるか、想像は出来る。
「何考えてんだ。どうして止めない、紫サマ」
「ねねね…」
弥々と一緒に考えあぐねている間に、対峙する両者は再び、音の壁を越えた。
「ぐ…!」
「むう…!」
速過ぎる。
相対速度はマッハ10にも達しよう。肉眼で照準できるレベルではない。新鋭イージス艦のシステムを以てしても補足迎撃は困難だ。それでも二人の姫和は、互いの黒髪の毛先一本を斬り飛ばし――
「「――…っ!」」
それだけで、互いの技の巻き起こした衝撃波で互いが転倒していた。
50キログラムに満たない、小柄と言っていい程の姫和だが、それでもそれほどの質量が音速を超えて移動すれば、急激に押しのけられた空気は回りの空気に圧縮され高温となり、プラズマを呼び破裂爆発する。
至近の爆弾のようなものだ。姫和の写シが飛ばなかったのはこの状況を予期して歯を食いしばっていたからであり、その姫和を写した馘の写シが飛ばなかったのも同じ理由だった。
全く同時に両者は立ち上がっていた。
ダメージは少ない。試合続行に支障なし。ならばやることは一つだ。
((唯一の太刀…!))
立ち上がると同時に、小烏丸と初代月山が車構えへと切っ先をなびかせる。
「「「わああ!」」」
環視の刀使達の中には、御刀を抜いて写シを張る者も出る程だった。二条の唯一の太刀が、再び激突したのである。その結果は――
「「が…!」」
両者の右頬、全く同じ位置に裂傷が現れた。
写シの上であるから、出血は無い。赤い裂傷は直ちに消え失せた。しかし両者は再度、石台に叩き伏せられていた。
今度はすぐに起き上がってこない。
さっきより脳の近くを掠られたからだ。
精度が上がっていた。
両者は同じく十条姫和である。故に先の一太刀を全く同じく理解し、全く同じく照準補正を行った故の結果であった。
(おい分かってんのか紫サマよ…)
さっきと同じであって同じでない。両者の精度が上がっているだけでなく、両者ともに、場外に居ない。半反四方の石台乗に収まっている。両者の運動エネルギーが拮抗し合えば、それに伴い位置エネルギーも相殺される。衝突事故において車の横面同志ならば派手に飛ばされても被害は少ないが、正面衝突なら何れの車もそこで止まる。往々にして車はクラッシュ、原型を留めない。
百キロ二百キロの事故ではない。これが超音速で行われたとすれば結果は推して知るべしだ。
(分かってんのか、姫和…!)
薫に言われるまでも無く、危険を冒している自覚は、姫和にはあった。
憤りがそれを通り越しているだけであった。
「馘い!」
怒号と共に立ち上がった姫和の小烏丸の、小鴉造りとも称される諸刃のその切っ先が再度、その背へとたなびく。
ノータイムでそうしていた。
「うぬ…!」
馘は応じた形になった。つまりが遅れたのだ。
相車――
三度に渡って、両者は同じ構えで対峙する。上段脇構えとも陰の霞構えとも称される、それに同じように構えても、先を取ったのは姫和であった。
気の先である。気の先即ち機の先である。
「「唯一の太刀…!」」
鹿島の秘太刀は三度激突し、両者は三度跳ね飛ばされた。
先と同じく、石台を出てはいない。写シも、飛んではいない。先と異なるのは、両者の部位の欠損であった。互いの右腕が半塲吹き飛び、すぐに元に戻った。写シの上からであるから即死とはならなかったが、それが無ければ十分に命とりの負傷であった。
「「ぐ…!」」
写シが飛んでもおかしくない手傷だった。飛ばなかったのは、ただただ幸運だったからに他ならない。
(…未熟なり。迷い申した)
対敵、小烏丸の娘に迷いはないのか。
無い、と乱世は思い知る。
一度写シが飛べば、姫和はもう写シを張れない。敗北が確定する。何故ならば乱世が、写シを盗んでいるからだ。折神の一党は先のイクサ討伐の折にこのデータを得ている筈である。
よってすぐに写シを張り直せそうな小傷でも、一度飛んでしまえば姫和は敗北するのだ。
しかし、そのようなことが、対敵十条姫和の念頭には無いようである。
相打ちとなればどうか。
対峙した刀使と同じ写シを纏う今際の影試しだが、もしその御刀を受けてしまえば、今際流試刀術により模した相手の刀使の写シは、我が身のそれと諸共に失われる。もちろん再度対峙し影試しを試みることも出来るが、写シのみで世迷う身の哀しさ、御前試合の舞台からは消え失せて戻れぬ。一度斬られれば、再び俗世に現れ得るには数日を要するのだ。
この事実を正確に折神が把握して居ると、乱世は見ていない。事実そこまでの検証を、特祭隊は出来てはいなかった。
ところが十条姫和という刀使は、またも最短最適を貫いていた。
もし技が浅ければ姫和は写シを張り直せる。乱世が写シを手放してしまっているからだ。
姫和にとって相打ちとは勝利なのである。
馘は不利を悟った。
(先の七之里呼吹をも凌ぐかも知れぬ。折神勢の副将家、柊が今代、これ程とは)
三尖相照、と中国武術に云う。
手の尖、つま先の尖、それに目の尖を同じ方位に指向せよという伝えである。
この時つま先と目の尖と共に、手の尖となっているのは切っ先でなく、我が肘である。
その肘を銃で言うところの照星として対敵、姫和を狙いつつ、馘は覚悟を我が身に定めた。
(斯かる達者に対しては、刺し違えるより他になし)
唯一の太刀が再度激突すれば過たずそうなるだろう。一太刀付けるならば何も要らない姫和に対し、馘の不覚は心残り、即ち姫和を討った後、返す刀で折神紫を討たんとする今際一門の負った悲願そのものである。
つまり馘は、刺し違えたら負けなのだ。
対して姫和は勝ち負けなどもう頭の何処にも無かった。馘に思い知らせれれば、己がどうなろうとよかったのである。
(ますますもって、虎口に墜ちたは我が方か…)
唯一の太刀に対しては、唯一の太刀で応じるより他にない。
姫和の最大にして唯一の業はそれであり、それを写した馘も同様であった。
業が同じなら結果も同じとなるか。
(いかん…!)
主審、紫は気付いていた。先ほどまでの唯一の太刀の撃ち合いには、場外と場内、即ち石台反尺15センチの高低差があった。
今はそれが無くなっている。双方とも石台の上に在る。
それだけではない。唯一の太刀の打ち合いの結果、双方の間に産まれていた20メートル以上の距離が、今回は10メートルも無い。
これ自体は恐らく双方の精度が上がっていった結果運動エネルギーの無駄が無くなり、全て威力となって相手に注ぎ込まれたからだと思われる。片方が消し飛ばなかったのは双方の威力が拮抗していたからだ。同じ写シで同じ技を使用したのだから当然であろう。
そのような両者が完全に等しい技量で等しい技を、今までになく等しい位置関係で至近で放てば如何なることが起きるか。
(対消滅…)
紫の脳裏に不吉な言葉が過ぎる。環視の刀使たちの誰もが、最悪の事態を思い浮かべずには居られなかった。
「思い知れ、馘…!」
「うぬううう!」
刀使史上、人類史上最速となった両者の制止は、紫にすら不可能であった。
目視出来る者など居ない。
衛藤可奈美ですら、目で追うことは出来なかった。
「姫和ちゃん…!」
声は、果たして届いたのか。
(姫和ちゃん…)
しかし、それでも可奈美には、決着が着いたと分かった。
「うぬ…」
むくり、と起き上がったのは姫和だった。
急所を断たれたことは幾度も在ったが、ここまでの衝撃は流石の姫和にも経験が無い。
(やられたか…!)
四肢は痺れ、付いているかいないかすら怪しい状態であった。己は立っているのか。倒れているのか。敵は…馘はどうか。
(馘…!)
馘は半身を起こしていた。
いや。座っているように見えた。
「影試しにて技を写された刀使は少なからず虚を突かれるもの。そこに付け入れば、同じ写シ、同じ技を用いても勝機は我に有りと企てたが、意に介さずとは恐れ入る。小烏丸が今代に於かれては、無私無心の極意を得て居られる」
何かを言っているが、頭に入ってこない。
(同じ技、同じ写シ。だけど乱世さんの唯一の太刀は、技の起こりが一瞬遅れた)
可奈美以外に気付いている者は、環視の刀使達の中にも数える程しか居まい。
躊躇いがあった。迷ったのだ。
(でも姫和ちゃんにはそれが無かった)
同じ写シなのだから身体能力は完全に同じ。それでいて同じ技を遣うとした時、差として現れるのは心だ。
馘は躊躇った。迷いがあった。
それによる遅れ、乱れはほんの些細、並みの刀使の斬り合いにおいては何の問題にもならない差である。脳波のやり取りは脳の電気信号である以上、光速で行われるのだ。差として現れよう筈がない。
しかし、馘と姫和の斬り合いは、その光速にも迫る世界のやり取りであった。
迷い、躊躇い、などというゼロ秒にも満たない脳内信号の阻害が、時間停止にも等しい隙を生み出してしまう。
馘には寸毫の躊躇があった。
それが姫和には全くなかった。
マインドセットの差だ。心構えが勝負を分けた。
(姫和ちゃんの勝ちだ! 勝ちだ…!)
最も等しい条件のはずでの唯一の太刀の撃ち合いは、今までで最も一方的な結果となっていた。
姫和は写シすら飛んでいない。一方の馘は既に、足元から霧散しつつあった。
馘は迷いを圧して覚悟を決めた。一方の姫和は心の何処にも迷いなどというものが無かった。差と言えるものはこれしかない。これしかないが、迅移の極み、亜光速の世界にあってはこれが差となって出たのだ。
「此度はこの乱世が私闘。御用の筋ではないが、機会あらば御公儀に奉じよう。今代令和の小烏丸は、衆に優れし刀使であると」
「ま、まて…!」
坐したまま消え失せると見える馘が、主に献上するかのように、諸手でその初代月山を捧した。
鹿島に伝わる、礼式であった。
「馘ぃ!」
怒号と共に姫和が立ち上がった時には馘は消え失せ、石台に立つのは姫和のみ。
御前試合第二日。最初のベスト4となった姫和の顔は、それとは程遠いものとなっていた。
肩を落とし石台を降りる姫和の前に立った者が居る。
御前試合第二日、第二試合の選手権者、岩倉早苗であった。
「岩倉さん…済まない…」
「どうして謝るの?」
「どうしてって…私は馘を取り逃がして…」
「でも、勝ったんでしょ? だから私は――」
キン、と冴えた音と共に千住院力王がその鯉口より離れる。その瞬間、幽世の早苗の魂が、肉体を覆った。
「私は、こうして試合が出来るんだよ」
「岩倉さん…写シが、戻って…」
「信じてた。十条さん。私の写シを取り戻してくれて、刀使としての私を取り戻してくれてありがとう」
「…あ」
後々、各方面から散々にからかわれる程には、姫和は間抜けツラだった。
***
十条姫和の勝利ということは、対戦相手の岩倉早苗は、写シが張れる状態になったということになる。幸か不幸か、どうやら二日第二戦は執行となったようだ。
(どっちにしろボクの出番はなしか)
「悪いけど、そういうことで頼むよ」
折神正庭中央石台に向かう花道に人影は一つ。話し相手の姿は無い。これはストームアーマー二型0番装備を鈴本葉菜が身に付けた時にのみ起こる、二人の会話である。
(あーあ。一度でいいから、御前試合に出たかったなあ。西、鈴本葉菜とか呼ばれたかった)
「バーチャル御前試合で勘弁してよ。なかなかなプレミアム席だと思うよ、そこ」
(今年はまあ、我慢しましょう。けど来年は譲ってくださいよ)
「来年?」
(来年です。また来年の春、ここに来ませんか。瞑さん)
瞑は、即答しかねる。
何の約束も出来る身の上ではない。今こうしていても、消滅する我が身であるかもしれないのだ。
(あー、瞑さん。そこは「必ず来よう」とか答えるとこですよ)
(ええと、葉菜クン? 死亡フラグって知ってる?」
(死んでるくせにフラグも何もないでしょう)
「だから…」
そこまで言って、瞑は言葉を切った。
「鈴本葉菜」
呼び止める者が居たからだ。
綾小路学長、相楽結月だった。
「…はい」
葉菜、と呼ばれて葉菜の声で答えたのは、普段S装備の内に居て、今葉菜の中に居る結月の娘、瞑である。
「伝えてくれ。一指の太刀にはオプションが存在する可能性が出て来た。詳細は不明だがS装備装着と言えども、直撃は回避してくれ」
「オプション?」
「オプションだ。私が知るあの子なら、私と同じ作戦を立案しているだろう。しかし耐久性能に難の在る2型のストームアーマーでは想定外事態に陥る可能性がある。繰り返すが、一指の太刀は回避出来ないまでも、直撃されるな」
「直撃を、回避」
「そうだ」
「私達の知っている、あの一指の太刀より、更なる威力があるって言うんだね」
「…そうだ」
「分かったよ、か…」
危うく母さん、と言いかけるところだった。
「学長」
そう言い直した。今答えているのは鈴本葉菜ということに、母にとってはなっているはずなのだ。
「いいか。装着状態で写シを展張出来なくなれば、現状が再現出来くなる可能性は高い。そのような事態には決してなるな。敗北となっても必ず0号装備の現コンディションを維持して試合を終えろ」
「でも負けたら、装備の維持に予算が付かなくなって…」
「この試合が終わったら、話がしたい。だから鈴本葉菜。あの子を頼む」
「――…」
振り向いて抱きしめなかったのは、我が身が鈴本葉菜を借りる身だからだ。
葉菜はそんなことしない。しない葉菜だと、母は思っている。
母を裏切るような真似は、したくない。
そんなことを思うから瞑は、振り向くことも抱きしめることも出来なかった。
「そういうの、死亡フラグって言うらしいよ。葉菜クンが言ってた」
代わりに、そう言ってやった。
「――」
「行ってきます」
振り向くことはしなかったから、母がどんな顔をしていたか、瞑にも葉菜にも分からない。それに、どんな顔をしたらいいかが瞑には分からなかった。
だからそれだけを告げた。
ただ振り向かずに歩む。対敵、岩倉早苗の待つ御前試合第二日へ――