信じていてよかった。
信じたひとが十条姫和でよかった。
こうして、ここに立てる。御前試合の折神正庭で、相楽瞑を対敵と迎えることが出来る。
姫和が戦ってくれたお陰だ。馘に勝ったお陰だ。だから瞑と試合える。そして、姫和と今一度戦うチャンスを貰える。
(不思議な感じ。こんなに幸せな気持ちで、試合に臨むなんて初めて)
早苗は既に、写シを張っている。
普通はこのようなことはしない。主審、紫の試合開始の合図があるまでは可能な限り写シを温存したいのが人情だ。無限に発動できるものではない。
でも、この時の早苗は、そうしていたかった。
写シが張れることが嬉しくて仕方が無かったのである。
(きっと、この気持ちが勇気をくれる。支えてくれる)
作戦は立てて来た。覚悟無くしては為せぬ作戦だ。それでも、為さねば今日の相手には勝てないから。
「両者中央」
主審、紫に招かれ、対敵、相楽瞑と対峙する。
甲冑にも機械にも見えるそのヘッドギアとバイザーで、表情は窺い知れない。
写シの抗靭性を10倍以上にも高めるS装備。しかしタギツヒメ近衛隊に供与された2世代型は諸事情により大きくデチューンされたものである。ノロ投与による強化を受けた冥加刀使装着在りきのこの装備は、ノロ投与に伴う欠点、即ち珠鋼兵装によるダメージへの弱さをカバー出来る程度の能力のみしか与えられなかった。
現在配備が進む3世代型と比較すれば性能は劣る。このようなことを全て差し引いても、非装備の刀使と比して、生残性は大きく向上している。そうでなくとも強豪刀使として御前試合に実績を残してきた相楽瞑がこれを装着した状態と考えれば、早苗の被る不利は尋常なものではない。自分が一度死ぬ間に、三度、四度は瞑を斬らねばならないのだ。
それにもし、首尾よく瞑を斬り尽くせたとする。
瞑が写シを張れなくなれば、今期の御前試合ルールで早苗は勝利出来る。
(でも、瞑さんは…)
相楽瞑は現世から消え失せる可能性が高いと、古波蔵エレンは言っていた。
「抜刀、写シ」
相楽家伝、二ツ銘則宗が早苗の前に、丁子子乱れの刃紋を現す。古備前、一文字則宗が研ぎ出し、足利将軍家が護持したという古い御刀は、稀に適合者を複数人出すことで知られる。
春の折神邸でこれと対峙するのは実にこれが三度目のこと。しかし前の二度とは、大きく意味合いが異なる。
瞑の訃報を聞き、三度目があるとは思っていなかった。三度目は鈴本葉菜が装着する相楽瞑という、前代未聞の形での対峙だった。それに…
(いい稽古をしよう)
瞑は言っていた。だけど、稽古のレベルじゃあないものを瞑も早苗も、今ここで賭けなければならない。
早苗が勝てば瞑は死ぬ。
では瞑に勝ちを譲れるのか。
出来ない。出来ないのだ。先に進みたい。この先には間違いなく、十条姫和が待っている。そう思うと、この先に行きたい。第三日(だいさんじつ)の折神邸に残っていたい。そうして、十条さんともう一度――
(なんて浅ましいの)
瞑は既に死んでいる。
でも、そうは思えない。エレンの話では瞑は生きていて、目の前に立ち塞がっている。進む為に人を、瞑を殺してもなんて思えるのはもう正気の沙汰ではない。もう稽古なんて言っている場合じゃあないのだ。私は本気で――
「いい稽古をしよう。岩倉早苗クン」
本当にその声が飛んできたのはまさにこの時だ。
「…!」
その声で、目の前の相楽瞑がバイザーの下でどのように微笑んでいるのかが、早苗には想像出来てしまった。
「始め!」
主審、紫が宣する。
この瞬間、両者は――
(瞑さん、同じだ、あの時と私と)
柳瀬舞衣は、控室のモニターの試合にもの思う。
京都平城で出会ったときの、あの時の岩倉早苗を思い出す。舞衣はこうして、正眼で早苗と対峙した。
(違うのは――)
早苗が上段脇構えを見せていない。車剣ではないのだ。
理由は分からない。早苗は得意の車剣でなく、中段正眼で、瞑の正眼と対峙している。
相正眼となっていた。
早朝の折神邸がどよめく。予測する展開と異なるからだ。
剣道などでありふれた、相正眼でこのようになる理由は、誰もが長距離砲の早苗の一指の太刀に対し、距離を詰めていく瞑、という展開を思い描いていたからだ。しかし早苗は距離を開けず、開始線中央で、真っ向から瞑と対峙している。
(作戦…?)
策があるのか。ある、と考えるのが舞衣の性格である。そしてそれは多分、瞑もだ。空城の計、無策の策なのかも知れないが、出方を見極めなければ思い切れないのは多分、舞衣と同じ。
でありながら、恐らくは分析力は己を上回るのではないかと舞衣は見る。何故ならば、キャリアが違うからだ。生きていれば瞑は三年生、獅童真希や此花寿々花と同期である。
剣道は面数、の言葉通り、相正眼になってしまえばあとはキャリアだ。
キャリアに勝る瞑を、相正眼で迎え撃つという形は間違いなく、早苗に工夫有り、と誰もが考える。瞑もそう考えている筈だ。驚懼畏惑の剣の四悪を瞑に誘発させられれば、有利は早苗に転じる。
(…凄い)
さっきまで写シが張れない状態だったのだ、早苗は。なのにここまで考えているとは驚くより他にない。
恐らく、必ず試合することになるだろうと確信していたのだ。姫和は必ず、やってくれると信じていたのだ。
(そして姫和ちゃんはそれに応えた)
写シが張れなくなってしまっていた早苗を、姫和はその剣で馘から取り戻した。
(やっぱり、姫和ちゃんこそは…)
姫和と同じように、己が可奈美に対して出来たなら。可奈美の写シを取り戻せたなら。可奈美のことを救えたなら。
恐らく無理だ。姫和だからこそ可能なことなのだ。
姫和は、可奈美の特別だった。
ハナからそう分かっていたから京都の五条家を訪ねることまでした。
なのにもう間に合わない。
姫和が可奈美と試合う可能性があるのは御前試合最終日。二日後だ。今日ではない。可奈美の御前試合は今日、終わってしまう――
(可奈美ちゃん…)
そんな舞衣の胸中に関わりなく試合は進む。
(…そう来たか)
(先を取って来ましたね)
瞑の心の呟きに応えたのは、瞑の内に居る葉菜である。
(なんの駆け引きでしょう。どんな罠が?)
(罠がある、と見せかける策かもしれないし、皆目分からないね)
(皆目、ってダメじゃないですか。何爽やかに言ってんです)
(まあ、色々やって見るさ。早苗クンと試合うのはこれが初めてじゃあないしね)
相正眼、おまけに距離一足刀ともなれば互い、容易に踏み込めるものではない。
迅移での踏み込みにはちと短い。この間合いなら普通に踏み込むのと、到達速度に大差が無いからだ。ある程度の長距離を瞬時に踏み込むからこその迅移であり、中短距離のそれに意味合いは薄い。
互いが中段正眼に構えた以上、モノを言うのは文字通りの正しき眼だ。晴眼、清眼と記されることもあるこの構えの良し悪しは眼で決まる。
視力のことではない。剣の目付、正中点をより詳らかに悉る者が有利を得るのだ。あらゆる武道の大事である正中線、よく言われるところの肉体に縦横に走る体幹の、その真ん中こそは武道の眼目である。
武道に於いて心とは、表にあって精神状態であり、裏に在ってはこの「肉体の中心」を指す。これを極めていく事こそが斬突の最短を極めていくことなのだ。
二ツ銘則宗と千住院力王が、互いを探る。
恋人同士の指先のように求め合う。
切っ先が、音にならぬ程の音を立てて触れ合ったその瞬間、瞑が一転した。
「ヤ…ッ!」
短い呼気と共に踏み込む。技も同様に短い。小手を狙ったものだ。
中段となった対手の最前線たる右手を狙う、小手打ちは簡単なようで難しい。何故なら小手は面や胴と異なり目まぐるしく変化する部位だからだ。対手がこちらの小手に合わせて面なり胴なり試みれば、その時点でもう小手は目標位置にない。
瞑は高等部の刀使だ。そんなことは百も承知であろう。
つまりこの小手は、ボクシングのジャブのようなものだ。これを起点として何かを仕掛けてくるつもりなのである。つまりは早苗の側も大きな技で応じれば、術中に嵌る可能性が高いと言うことだ。
故に早苗は、コンパクトに対応した。
縦に地面を向いていた千住院力王の刃筋をヨコにする。剣を縦から横にしたのだ。大和千住院の御刀の例に漏れず、この力王も腰反り気味に添っている。上から見れば棒でも横にすれば楕円だ。そうするだけで、かなりの太刀筋を通せんぼ出来るのだ。
一方、構えは中段のままなのだから、突っかけてくれば勝手に千住院力王の切っ先に突き刺さってくれるオマケ付きである。
「…!」
瞑の小手は千住院力王の刃筋を滑り、外れていく。瞑はその切っ先に勝手に突き刺さり――は、しなかった。
ガッ、とセラミック製のブレストアーマーが削れる。早苗の力王の切っ先の仕業だ。しかしそれだけだ。瞑の写シは飛ばない。置いていただけの切っ先では、防弾防刃加工表面のS装備を貫き生身に斬り込めない。
幸運、では有り得ない。瞑はこれを織り込んで強引に斬り込んだのだ。
そしてこの時点で一足刀は既にゼロ、いやマイナス足刀となっている。両者の右足が互いの右足の内になる、鍔競り合いの超接近戦距離であった。
(わざとこの距離に引き込んだね、早苗クン。私には分かる)
体当たりやら膝蹴りやらが飛び出る距離である。しかしそれを好んで行うような刀使では、早苗は無かった筈だ。そしてそれは瞑もである。中間距離で間合いを取ったり測ったりの技術戦が持ち味だ。
(引き技…!)
瞑の選択はこれであった。
瞑の警視庁流、所謂ところの剣道では、引き面を初めとする引き技の練習を早くから学ぶ。鍔迫り合いから飛び離れざまに面小手胴を残して行く、これを稽古する流派は古流諸派ではあまり見られない。実戦的な竹刀稽古を行うようになってから編み出された技と言える。小手に行った二ツ銘則宗をまた振り被らなければならないが、そこの稽古はみっちりこなしてきている。
「シッ!」
下手な小細工はしない。シンプルに最短最速の引き面だ。
しかしそれは物心付いた時から練り上げて来た、刀使として最高峰の引き打ちだ。厳しき技だ。甘いものでは有り得ない。
それが、当たった。
だが面にではない。二の腕にだ。
異様な手ごたえであった。まるで、金属か何かでも叩いたような――
「金剛身…!?」
まさか。
「一指の、太刀…!」
一指の太刀は長距離砲だ。二足刀以遠で用いる技だ。
(ゼロ距離で一指の太刀だって…!?)
早苗は、ゼロ距離から一指の太刀を使ってきたのだ。面打ちが早苗の左上腕を叩いたのは、金剛身で面をブロックしただけでは無かった。左でブロックする一方で、右手の指は千住院力王の刃筋に触れていた。
その右指が光芒を放つ。紛れも無き、一指の太刀が放つあの輝きである。
(まさか、まさかだ)
瞑は下がる。
迅移による離脱であった。しかしその迅移の速力よりも、千住院力王の働きは素早い。弓弦を離れた矢のように追ってくるそれは明らかに、瞑の知る一指の太刀を凌ぐものだ。
(我々の知る一指の太刀は迅移と金剛身の連携。だがこの一指の太刀は…)
迅移を用いていない。その代わりにハンドスピードをブーストしている。つまり迅移に代わり八幡力を用いているのだ。
一指の太刀は居合抜きなどと同じく梃子を利用した技だ。突かんとする千住院力王を我が手指によって指し押さえ、解き放つことにより爆発的に運動させようという技だ。その突かんとする右腕と、抑える指に筋力を乗倍化する八幡力を用いたら如何なることになるか。
(想定外にも程があるだろう。けど…)
母の言葉が蘇る。一指の太刀にオプションがある可能性を示唆した。あの言葉である。
(その想定外も織り込み済み。君の握剣は少し硬くなってた。策があるのは見え見えだったよ)
正眼の切っ先と切っ先が触れ合った時、剣士は剣士としての互いを知ると云う。先ず切っ先に触れて見よ、斬り合うべきか逃げるべきかはそれで分かると説いたのは幕末の剣客、千葉周作だ。
下がる瞑の鼻先で、千住院力王の切っ先が恨めし気に停止していた。
離脱が間に合ったのである。
(左足を残していたな)
十条姫和は、前年瞑と御前試合の準決勝で戦っている。姫和の迅移を以てしても、瞑を捉えるのは容易ではなかった。兎に角巧いのだ。気が付けば見当違いの技を打たされている。よく勝てたものだと、今更ながらに思う。
今も瞑は、足を残していた。
普通剣道では、小手であろうと面であろうと打突の後は左足を右足に引き付ける。ボクシングで云うステップイン、中国拳法でいう所の跟歩(こんぽ)で、これにより再びの前進斬突を行う体制となる。連続技の布石となるのだ。
しかし瞑は敢えてこれを行わず、左足を後ろに残していた。右足は先に行っても、左足はずっと後ろに残ったままだ。そして今は後ろの左に軸足を移しつつ迅移で後退したのである。
昨日、フェンシングの新田弘名が見せたそれと同じだ。弘名も足を裁かずに体移動のみで、安桜美炎の技を空転させていた。
稼げる距離としては身一つ分、といったところであろうか。それが功を奏し、一指の太刀の切っ先はついに、瞑のS装備に触れることが無かった。早い話が瞑は、早苗の奇襲を読んで、見事回避したのである。
(キャリアの差か。それにしたって…)
初見であれを。ゼロ距離からの、ハンドスピード特化型の一指の太刀というとんでもない技を、それもスウェーバックで振り切って回避するとは。
「流石は恐るべし、相楽学長の娘…」
「早苗さんにとって、状況は悪くない筈です」
「清香か」
「準決勝進出、おめでとうございます、姫和さん」
姫和の横に立ったのは、平城の一つ下の後輩で、ちょっとしたわけ有って仲良しの、六角清香である。
「悪くない、とは?」
「これで、瞑さんは簡単には近づけなくなりました」
後輩の祝辞への礼もそこそこに問うた姫和に、清香は答える。
「ふむ」
確かにその通りだ。
かく言う姫和も、昨日の五条丹穂戦で、一指の太刀の対策として、迅移で距離を潰していた。それも、一指の太刀が長距離砲というアタマがあったからだ。
ゼロ距離の一指の太刀があるとしたら、その前提が覆る。
そして近づけない、ということは、常に一指の太刀の射程に身を置かなければならないということだ。
「私、一指の太刀を受けてみて思ったんです。元々はハンドスピードを高める為の技だったんじゃないかって。金剛身から八幡力の連携は、高等部高学年ならやる人居ますよね。古波蔵エレンさんとか」
「元々迅移の技じゃない、と?」
「それをどうして迅移の技にしたのか。それにそもそも、どう考えても刺突より斬撃向きの刀法なのになんであんなに突きで完成されてるのかとか、色々思うところはあったんですけど」
「それはまあ…」
心当たりがあり過ぎる、姫和である。
本当にどうして、と思わなくもない。岩倉さんのような、刀使として人として女の子として、全てを備えたひとに、そんなにも想われる資格が、己の何処に在るのか。
「ふうん…」
「何だ」
「そんな顔もするんですね、姫和さん」
「私はいつもこんな顔だが」
「あー、いいです。姫和さんに言っても仕方がありませんでした。大体この試合、私は裏切り者ですから」
「裏切り者? 清香が誰を裏切るんだ?」
「私、平城の生徒ですけど同時に調査隊の一員です。あそこで戦ってるのは瞑さんですけど同時に、私達の仲間、葉菜さんですから」
「聞いている。それは誰も裏切ってないだろう。仲間を応援してやればいい」
「むぅ…」
なんだその、お前はあっちに付いても早苗には私が付いているとでも言いたげな横顔は。ちょっと美人過ぎやしないか。
何だか、葉菜の味方をしても全然後ろめたくない気が、清香はして来た。
(こうなったら、頑張って、葉菜さん。あ、でも今戦ってるのは葉菜さんじゃないのか)
ふと思う。早苗が戦っているのは、二つの写シを使い分ける脅威の刀使だ。
それも、どちらも得意分野が違う。ハイレベルな迅移を軸に中距離のテクニカルな剣を得意とする正統派の瞑に対して、葉菜は逮捕術や柔術を身に付けた組み打ちに長けた、金剛身や八幡力を軸にする刀使なのだ。
(つまり、瞑さんから葉菜さんになってたら…)
接近戦のさらに内、超接近戦で勝負出来るということではないのか。
岩倉早苗はその事実に気付いているのか。もし気付いているとすれば――
「あ…」
試合は振出に戻った。早苗は再び中段となっている。
瞑の構えが一変していた。右に御刀は保持しているが、左手は柄尻を握っておらず、フリーにしている。それに姿勢は、剣術としては明らかに低い。あれではまるでアマレスだ――
「ハッタリだな。だが効果的だ。瞑は昨日エレンとやった時に、組み打ちをやっている。岩倉さんがそれを知らない訳が無い」
この試合では瞑が戦う。その約束を瞑は早苗と交わしている。
しかし、この試合は試し合いでも稽古でもあり得ない。瞑の死生が掛かった斬り合いだ。手段を選んでいる場合ではない。そのことは既に早苗も承知の筈だ。
だから約束を破って葉菜に試合を任せたとしても、責められることではない。
(もし、葉菜さんが出てきたら…)
さっき近接型の一指の太刀が機能したのは瞑が引き技で離れようとしたからだ。
葉菜には伍箇伝刀使一千振りにも稀な、さらなる超接近戦がある。さらに踏み込んで来られたら近接型の一指の太刀と言えど機能しない。そしてそれを理解していない早苗ではない筈だ。
(その一指の太刀は私には使えないよ)
そう瞑は、早苗にアピールしているのだ。
早苗には伝わっている筈であった。
「けど、岩倉さんのことだからな。何か考えがあるに違いない」
「考えって?」
「岩倉さんの考える作戦が私に分かる訳無いだろ。学科の順位が私とはが平均一桁違うんだぞ」
それは自分もそうだと清香は思う。清香にも早苗の考えは分からない。
早苗の作戦能力に拮抗し得る刀使は、木寅ミルヤや柳瀬舞衣くらいなものだろう。作戦科も顔負けのインテリ刀使なのだ。
とは言え相手は、あの鬼の結月の娘だ。
今までの立ち回りをみても、母譲りの戦闘知能の持ち主であることは明白。
(つまり、これって…)
伍箇伝新旧の、頭脳派対決、ということでもあるのか。
(瞑さん…)
じり、と早苗が下がる。
距離を開けたがっているのだ。その開けた分を、じりり、と瞑が詰めていく。
ハッタリとは、早苗は捉えてはいないようであった。如何な近接型とはいワンインチパンチではない。ある程度のスペースが必要な技だ。さっきも瞑が引き面を打ったから、そのスペースが開いたのだ。そこからさらに詰めて来られたらもう早苗には出す技が無い。
「でも、まだ中段の間合いだ。一指の太刀を出す二足刀にはまだ近すぎる」
「だったら、早苗さんの次の一手は…」
迅移以外にない。迅移でスペースを作る。追ってくる瞑にカウンターで一指の太刀を喰らわせる。
早苗はそれを実行した。迅移だ。
それを瞑は…追っていかない。
「「ええ!?」」
瞑が迅移で追っていくと思っていた二人は意表を突かれた。平城の二人以外にも意表を突かれた者が殆どだった。みすみす、必殺の一指の太刀の間合いを、早苗に与えるとは。
(なぜだ、相楽瞑!)
木寅ミルヤもその一人であったが、すぐに思い至った。
(そうか。今もし鈴本葉菜が試合を担当しているのなら)
決して迅移が得意な刀使ではなかった。だから通年通りの御前試合のルールで良い成績は残せなかった刀使なのだ。
葉菜が迅移を使っても早苗に追いつけない。中途半端な距離でまともに技を貰うのがオチだ。
「不味い…葉菜…!」
ミルヤの隣席の山城由衣も同じ考えのようであった。恐らく二人同様、ここに居る手練れ達の全員が、瞑の不利を見てとっただろう。
だというのに、早苗は…中段のままだった。
一指の太刀の、あの独特の構えではなく中段正眼のままなのである。
「一指の太刀に行かない?」
「むう…」
それに対し、瞑が間合いを詰めていく。
じりじりと。じりじりとだ。
「金剛身が得意な誰かさんっぽいムーブだな、おい」
「そうですネ。鈴本葉菜は金剛身を使う刀使だそうですカラ」
「一体何を誰に吹き込んだんだ? ああ?」
「それはまあ、色々と」
「吹き込んだのは否定しねーんだな」
絡んで来る益子薫を、古波蔵エレンが躱す。
「どっちにしろ、スゲー駆け引きですヨ、これ。流石は鬼の結月の娘」
果たして、今はどちらであるのか。
鈴本葉菜なのか、相楽瞑なのか。どちらが主格かで状況はガラリと変わる。そしてそれを知る術は岩倉早苗と言えども無い。
早苗は瞑との決闘を指定し、瞑もどうやらそれに乗ったであろうことをエレンは知っている。だから早苗と戦うのは瞑である約束だ。しかしそんな約束が吹き飛ぶような、我が死生を掛けた事情が瞑にはある。
だから本当にこれはどちらが主格か分からない。
早苗がもし判断を誤れば、即座に準決勝の選手権を失うことになるだろう。しかしこれを正しく判断出来る者が居るのか。
瞑か。葉菜か。これはどちらなのか。
もし葉菜であれば、一指の太刀と言えど弾かれて終わりだ。今の早苗にはそこからの近距離型の一指の太刀があるが、葉菜にはそこから更に踏み込んでの組み打ちがある。エレンもそれで敗れたのだ。
つまり近距離型は役に立たない。相手が葉菜なら近距離に引き込んで、という戦法は破綻する。
(だけど、もし瞑さんだったなら)
相楽瞑は、約束を違えない。
そんな確信が早苗にはある。
瞑と多くを語らってきた仲ではないし、瞑が最悪の事情の中にあり、だから良心を曲げても責められないことも今は知っている。それでも。
(瞑さんの、稽古って言葉は、決して軽くない)
早苗が空けた距離は、まだそのままだ。じりじりと進んで来る瞑に、同じだけ早苗が下がっているからだ。
ここは御前試合の石台だ。三分の二反、26メートル四方四面は広く思えて斬り合えば狭い。ましてや手練れの刀使は、迅移で瞬間6,7メートルは移動する。下がるにも限度がある。
だから、何時かは思い切らねばならない。
何時かは思い切らねばならないならば――
「たあッ!」
御前試合第二日の折神正庭が息を呑む。
早苗が仕掛けた。しかし…
(普通に面打ち!?)
多くの刀使が驚いた。
もちろん剣道の面打ちは見てから躱せるものではない程素早い技だし、早苗もまたこの技を軸に前年度、前々年度の御前試合を勝ち抜いて来た刀使だ。レベルは高い。それでも基本の面打ちは刀使ならば身に付ける技だ。だから誰もが分かっている。ぶっ放して当たる技ではない。合わせ技で斬られるのがオチだ――
キン、と冴えた音が響いた。
千住院力王を、二ツ銘則宗が受け止めたのだ。
しかしそこからの、瞑の反撃は無い。
打ってすぐ、再度の迅移で早苗が飛び離れたからだ。
(…ついにか)
面打ちはハナから本命ではなかった。飛び離れる方が本命だったのだ。
離れた時には早苗の構えは一変していた。本年度御前試合を席巻する必殺の突き、その本家本元の――
「出たな。一指の太刀…!」
バイザーの下の瞑の表情が、凄まじい笑みとなっていた。