刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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フー・アーマー その6

 金剛身から迅移の高速コンビネーションだということ。もう一つは長大なリーチの左の投げ突きということ。

 一指の太刀、という刀法を、瞑はこう特徴づけていた。

 速くて長いだけではない。その威力を壮絶なものとしているのは、刃に触れて抑え、一気に解き放つ右指だ。拮抗した天秤の片方の重りを取り払うと急激に運動するように、人差し指を取り払われた千住院力王は急激な運動エネルギーを得る。

(確かに驚異の刀法だ。これをコントロールして命中させるキミも、驚異の刀使に違いない。だが…)

 欠点はある。

 突き。しかも片手一本での突きということだ。急激な運動エネルギーを保持するのは利き腕でない左手一本。

 斬突の威力は手の内で決まる。ようは握力である。首尾よく斬り付けることが出来ても、手の内がしっかりしていなければ日本刀は刃筋が真っ直ぐ通らず、その切れ味を発揮出来ない。ましてや突き、それも片手突きなのだ。

(素面小手ならいざ知らず、私を覆うのは強化セラミック製のS装備だ。プロテクター部分で受けることが出来ればその技は逸らせる)

 むろん、早苗にもそんなことは分かっているだろう。

 だからプロテクターの隙間を狙ってくるはずだ。そうと分かっているのだからこちらは、プロテクターの隙間がある部位の防御のみを意識すればいい。

(こんな風にね…!)

 金剛身を会得しているのは鈴本葉菜のみではない。相楽瞑は綾小路武芸学舎、高等部三年生の刀使なのだ。すべての刀使技を実地で使いこなすレベルに達している。当然、金剛身もだ。

 古波蔵エレンのように全身を硬化させる必要も、局部を超硬度化する必要もない。そういうのは、一部化け物刀使に任せて置けばよいのだ。必要最小限の部位を、必要なだけでいい。

 その筈だった。

 キィン、という、肉体と刃物が立てる音では絶対有り得ない音が響く。

「ぐ…!」

 側頭部だった。

 正中線を貫かれてはいない。身体の中心部への刺突は、中段正眼に取った我が御刀、二ツ銘則宗が盾となって防いでくれる。

(正中線を突かれれば、金剛身の甲冑があったとしても体制が乱れる。しかし身体の側面ならばそれが小さい。反撃に繋げられる…!)

 よろけながらも、狙うのは左手だ。

 片手突きで伸びきっている小手を斬り飛ばせれば、早苗は写シを失う。拾いに行くとしても、迅移が使える瞑が圧倒的に優位。

(悪いが三年連続、私がいただくよ、早苗クン!)

 跳ね上げた二ツ銘則宗が、早苗の下腕を、過たず捉えた。

「あぐッ!」

 皮一枚、切断には至らなかったものの、早苗の写シは飛んでいた。写シを飛ばすほどの小手切りなど、そうそうお目に掛かれるものではない。切断に至っていれば、勝負は付いていただろう。

(流石です、相楽瞑。S装備装着前提ならば、それが出来る)

 瞑の同窓であり、御前試合予選では永らくライバルであった木寅ミルヤは、瞑の作戦を概ね看破していた。

 この御前試合、奇しくも綾乃往時武芸学舎は二戦連続、早苗の前に立ち塞っている。第一日で、味方を盾として一指の太刀を封じようと試みたミルヤに対し、瞑はチート装備で対抗した態である。

「それが出来る。…そこまでは」

「ミルヤさん?」

 傍らの山城由衣が聞きとがめる。そこまでは、とはどういうことなのか。

 すぐに明らかになった。

「マテ!」

 主審、紫が割って入る。

「両者、写シを張れ」

「…?」

 瞑は怪訝に思った。

 小手を斬り飛ばしたのはこちらだ。それを両者、写シを張れとは?

(瞑さん! しっかり、瞑さん! 写シが…写シが飛んでる!)

(…な!?)

 写シが飛んでいる。金剛身で受けたにも関わらず。

(…私は…)

(脳震盪、いえそんなもんじゃない、脳挫傷です! 死んだんですよ瞑さん!)

 今気づいた。

 視界が歪む。これは、頭部を強打された時の状況だ。

(な…なんと…)

 一指の太刀。何という威力であるのか。

(代わりましょう、瞑さん。あれはヤバ過ぎる。でもボクの金剛身とS装備なら…) 

(何を言い出すんだい。今いい所じゃあないか。ここまで追い詰めたんだ。次は仕留めてやるさ)

 積み重ねた布石は全ては早苗に、一指の太刀を出させる為のものだ。

 S装備装着により圧倒的に強化された剥離耐性に対し、一度放てば隙の大きな一指の太刀は相性が良くない。一撃を加えても、則写シを張り直して反撃される可能性があるからだ。そうと思い至らぬ早苗ではないと瞑は踏んでいた。

 だから一指の太刀を積極的に遣っては来ない。

 使うなら今のように、コンビネーションを交えて攪乱して来る。

(ゼロ距離からの一指の太刀には驚かされたけど…)

 母、結月の見立て通り、ニューオプションは存在していた。

 それを封じるには、相棒、葉菜の力を借りなければならなかった。

 葉菜に写シを譲る必要はない。何故なら早苗は前日の瞑の試合を見ている。関節技で古波蔵エレンを仕留めたあの試合が、印象を残さなかったわけがない。よってそれらしい構えをとりさえすれば、早苗に超接近戦を意識させることは可能だろうと考えた。

 そしてそれらは概ね、効果を現わしていると見ることが出来る。

 何故ならば、早苗は再び、一指の太刀のあの独特の構えを現わしているからだ。

(切り札を切るのが早すぎたね、早苗クン)

 近接型の一指の太刀を出すのが尚早過ぎたのだ。それが敗因となる。

(今度は、相打ちで留まるつもりはないよ)

 確かに威力は想定以上のものであった。

(そうと知れた今、上方修正を行えばよいだけのこと…)

 瞑の構えが、変じていく。

 片手構えの中段が、諸手構えとなっていた。

 警視庁流の高い構えから、徐々に身を沈めていく。歩幅を広く取りつつあるのだ。

 最終的には、甲冑武術に見られるような、古式の中段となっていた。

「竹内流の中段構え! きっとそうだ…!」

 生粋の剣術オタ、衛藤可奈美は思わず声に出した。

「竹内流、って柔術って授業で習いましたけど」

「日本開山竹内流腰之廻(ひのもとかいざんたけのうちりゅうこしのまわり)、が正式名称で、室町末期に時の帝様から賜った名らしいんだけど、番傘や、鍋の蓋で戦う技もあったりする総合武術で、当然剣術もあって…」

「ひのも…え…?」

 急に早口になる可奈美に、傍らで聞く友里歩は付いて行けない。

「兎に角! ああいう風に構えられちゃったら、瞑さんなのか、葉菜さんなのか分からないってことだよ!」

 葉菜は竹内流や逮捕術を修めた、格技に通じる刀使として知られる。

 構えだけをみれば、今早苗と相対しているのは葉菜だ。

 しかしワンチャン、葉菜のフリをしている瞑かもしれない。

「…どっち、なんですか」

「分かんない。だけど、早苗さんは…」

 理由は、可奈美には分からない。けど恐らく、葉菜だと考えてはいない。相対しているのは瞑だ。早苗はそう考えている気が、可奈美にはしていた。

(もし、目の前の刀使が鈴本葉菜さんだったなら、さっきみたいな腑抜けた技じゃあ弾かれる)

 可奈美の見立ては、正しかった。

(でも、瞑さん。貴方は、稽古という言葉に嘘は付かない)

 葉菜の金剛身は、あの古波蔵エレンにも迫る程のもの。刀使通の早苗には、そのような噂も聞こえて来ている。もし対敵が葉菜ならば、してはならない選択だ。

(貴方はそういう人です。貴方はそういう刀使です)

 だからこの試合、葉菜は一度も出て来ていない。これからも出ては来ない。

 相手は瞑だ。

(私は、信じているから)

 だから放つ。

 この一指の太刀は、それが今の形になる過程で生まれた未完成の、出来ることなら使いたくない、使うことなど考えたくもない技だ。

 けれど、こうでもしないと、貴方には勝てない。

 だから、歯を食いしばれ…!

「…!」

 この時、瞑は違和感を覚えた。

(…なんだ?)

 何時からなのか、この違和感は。

 何かが無い。いったい、何が。

「ひ、とさしの…太刀…!」

「…!?」

 分かった。一指の太刀に特有のあの輝き。金剛身で金属と化した手指を千住院力王の刃筋が擦過した結果発する石火の火花を見ていない。

 あの火花に代わるのは鮮血と、斬り飛ばされて宙に舞う、早苗の指だった。

(…瞑さん!)

(分かってる!)

 新たなオプションは、ゼロ距離型だけではなかったのだ。

 いや、新たな、という言い方は適切では無いのかもしれない。今知られている一指の太刀に行きつく過程の試行錯誤の中で生じた、一つのあだ花。金剛身を用いず、迅移と八幡力という、最もよく見られる刀使技のコンビネーションで放つ――

(威力特化型の一指の太刀か!)

 火花を放たないのはその為だ。千住院力王を硬化していない生身の指で止め、それを八幡力で自ら斬り飛ばす。

 梃子の原理で、千住院力王は急激に運動する。それも、八幡力で強化された腕力で。運動エネルギーで。

 さっきは金剛身で硬化した筈の頭部を、掠めただけで写シを持っていかれた。

 想定以上の威力に、一応の対策はした。低く小さく構えたのは、葉菜の逮捕術に欺瞞するだけではなく、我が防御正面を狭め、防御をし易くするためだ。突きの通り道を狭めておいて、二ツ銘則宗で、軌道を逸らす。歩幅を大きくとったのは、警視庁流の直立ちよりも回避運動に向いているからだ。前を軸足に、後ろの足を小さく左右に蹴っただけで、より回避運動を大きな半径で行えるからだ。

 考え得ることは全てした。

 しかし。それでも。

「ぐ…!」

「あう!」

 結果は同じだった。瞑の写シは飛んだ。

 二ツ銘則宗の刃は、早苗の左肘を捉えたものの、斬り飛ばすには至らず、写シも飛ばなかった。

 瞑の跳ね斬りが不十分であったのだ。

 不十分になってしまうだけの、ダメージがあったのである。

「写シを張れ、相楽瞑」

 瞑は応じることが出来ない。

 脳震盪から復帰出来ていないのだ。

(お願い、このまま…)

 早苗は、我が右指を、左手で覆っている。瞑に斬り飛ばされかけたのは左肘だったにもかかわらずだ。

 膝が、自分でも滑稽な程に震えていた。

(ここまでは…ここまでは上手く行った…だから…)

 小手を斬られたことくらいある。けど、写シの上からとはいえ、自分で自分の身体を切り落とす痛みと恐怖は、二度とは経験したくないものだった。

 相楽瞑、しかもS装備装着の彼女に勝利するには、こうするより他、手が思いつかなかった。最大威力の一指の太刀を叩き込み、S装備の並みの刀使の五倍近い高耐久力を全て持っていく以外にない。

 そのS装備の高耐久を作戦に組み込んで来ることは早苗には分かっていた。主力型の一指の太刀では、それを凌ぎきれないことも。

 だから布石が必要だった。

 距離を詰めて来る相手への切り札と考えていた、ゼロ距離型を見せ札にしてしまう決断をした。これで接近を躊躇わせた上で、さらに一指の太刀を一度打って置く必要があった。

 ゼロ距離型で追い払い、主力型で勝負する戦法であると、瞑に誤認してもらうためだ。

 一指の太刀をS装備と金剛身で被ダメージ前提で凌ぎ、隙を払い斬りで突いて来るであろう、瞑の戦法が有効であると思わせる為にである。

 そこまでは、上手く行っていた。

 だけどこれは、もし瞑が引っ込んで葉菜が出てきたらひっくり返る作戦でもある。金剛身に長ける組技の葉菜に対しては、そもそもゼロ距離型が脅威にならない。威力重視型であっても、写シを飛ばせはするかもしれないが、S装備の稼働限界をぶち抜けるかどうかは分からない。

 瞑への対策のみに絞った作戦だった。

 瞑は最後まで、瞑だけの力で戦う。そう信じての作戦だった。

(…あ…)

 だからここからは想定外だった。

 明らかに瞑とは別人の刀使が目の前に居る。

「済みません。先発が目を回してるんで、ちょっとDHで登板です」

 写シを張って立ち上がってきたのは、鈴本葉菜だった。

(ああ…)

 葉菜相手には、高威力型を打ち込むしかない。

 もしそれさえも凌がれたなら――

(それでも…やるしかない。やるしか…)

 もう一度、自分で自分の指を切る。

 そう胸の内で言葉にするだけでも身の毛がよだった。我が皮膚に刃が触れたあの瞬間の、全身の細胞の拒絶が、本能レベルの拒否が蘇る。身体が心を追い出そうとしているのが分かる。

 まだ震えが去らない指を、それでも千住院力王の刃に添えた。

「…あ…」

 今しがた、その刃が斬って落とした指だ。今凄く痛かったところだ。

「…あ…、あ、ああああああ!」

 吠えた。

 心が身体を取り戻す為だった。

 取り戻したその心で、我が身を、我が指を斬り飛ばす!

「ひとさしの、太刀!」

「いくら何でも…」

 テレホンパンチ過ぎる。どんなに一指の太刀が凄くとも、来ると分かっていればどうとでも避けられる。避け切れなくても、逸らすことくらいは出来る筈。葉菜の金剛身は、伍箇伝最高峰の遣い手、古波蔵エレンにも肉薄するものだ。瞑の二の舞にはならぬ筈――

(…!?)

 そう思っていたが、甘かった。

 下から潜って胴突きを食らわしてやろうと思った葉菜の、膝が砕けた。

 千住院力王が、葉菜のバイザーをぶっ飛ばしていた。

(来るのが分かってたのに…!?)

 速すぎる。

 二段階迅移に加え、八幡力でハンドスピードをブーストした一指の太刀は、葉菜の想像を絶していた。

 視界が回っていた。完全に瞑の二の舞となってしまっていた。

(う…あ…)

 倒れる。倒れるのが分かる。倒れたら立ち上がれるのかなんて分からない。

(瞑さん…)

 相棒の顔が…浮かばなかった。浮かんだのは相棒の背中だった。葉菜に背を向け、歩み去っていく。追いかけたくても追えない。己は、もう倒れる――

「…ッ!」

 掴み止めたくて、一度は付いた膝のまま、葉菜の手は空を掻いた。

 とにかく何かを掴んだ。

 早苗の身体の、何処だと気付いた。

「う、おおおおお!」 

 葉菜は柔に熟達している。相手の何処かを掴んでしまえば、相手がどういう体制で居るのかが瞬時に理解できる。

「ああ…!」

 早苗の声は、明らかに絶望の悲鳴だった。

 テイクダウンを奪った葉菜は、まるで魚師が跳ねる魚を捌くように、早苗の身体に覆いかぶさっていく。

 これが早苗のものか、という程の悲鳴が御前試合の折神邸に響く。

 鷹羽締め――

 御刀を落とさないのは流石。しかし、時間の問題だ。

 完全に入っていた。このまま肩を外せば、流石に千住院力王を取り落とすだろう。それで写シは飛ぶ。

(ボクたちの勝ちだ…!)

(いや、私達の負けだよ、葉菜クン)

(…!? 瞑さん!?)

 瞑の声が、何処かから聞こえた。

 それ自体は何時もの事。だけどこの時は、それがいやに遠く聞こえた。

「写シを張れ、相楽瞑」

 主審、紫であった。

「…写シ?」

 葉菜の写シが消滅していた。二ツ銘則宗は我が左手に有るにも関わらず。

 ならば張り直せばいい。御刀が手の内にあるんだから簡単なことの筈。

 それが出来なかった。

(バカな!)

 さっきの一指の太刀か。

(S装備があるんだぞ! 金剛身だって張ってた!)

 なのにこんなことがあってたまるか。一指の太刀、その威力特化型と云えど、S装備と金剛身を纏めてぶち抜くような、そんな威力が、幾らなんでも――

「…瞑さん」

 主審に写シを張れと言われて張り直すことが出来なければ、敗北が確定する。しかしそれよりももっと大事なことが、葉菜にはあった。

「瞑さん…瞑さん!」

 絡み取っていた腕が緩んだ。

 もぎ放して自由になった早苗が、必死に葉菜の下から這い出す。写シは、剥がれていない。このまま葉菜が写シを張れなければ勝者は早苗だ。しかし、ただただうずくまって荒い息を吐き続ける様は、到底勝者の姿には見えなかった。

(もういや…)

 胸に抱えるのは、へし折られる寸前だった左手ではなく、右手の指先である。

(お願い、このまま…お願い…)

 早苗の心境はこれに尽きる。

 葉菜が再度写シを張ってきたらもうダメだ。戦いたくない。いっそ逃げ出してしまおうと本気で思っていた。

「瞑さん! 返事して! 瞑さん!」

 声が聞こえてくる。鈴本葉菜の声だ。瞑のことを呼んでいる。

(…!?)

 一瞬呑み込めなかったが、すぐに古波蔵エレンの話を思い出した。

 鈴本葉菜は、S装備を装着することにより、相楽瞑の写シを纏うことが出来る。写シを纏っている間は、相楽瞑は現世に存在できる。

(でも、もし…)

 写シが張れなくなってしまったら。

 飛んでしまったらどうなってしまうのか。

「アナタには聞いて欲しかった。明日アナタが、その技で貫くモノの事」

 そうエレンは言っていた。

 一指の太刀の、貫くものとは――

(瞑さん…)

 殺してしまったのか。

 相楽瞑を殺してしまったのか。

「よい稽古をしよう」

 そう言っていた、あの瞑を――

(いや…)

 もう自分の指を切り落とすのは嫌だ。

 だけど、もっと嫌なことがある。

「瞑さん…!」

 立ち上がった。そしてその名を叫んだ。

「「瞑さん…!」」

 鈴本葉菜と共に、瞑の名を呼んだ。

「「瞑さん…!!」」

 神に届いたか。

「敗北は死の予行である…って、誰の言葉だったかな」

 この時、鈴本葉菜の纏うS装備を、蒼朧と、幽世の光が照らした。

「危うく予行でなく本番になるところだったよ。さあ、稽古を続けようじゃないか」

 数秒前までは、もうこのまま写シが張れなくなってしまえばいい、と思っていたのだ。

 今は、全然逆の気持ちだった。

(…よかった。瞑さんだ…)

 S装備のバイザーは破損し、既に頭部を覆い得ていない。

 そこに現れているのは、鈴本葉菜の顔ではなく、見知った相楽瞑の顔であった。

 今までは他校の先輩で、何度も己の前に立ち塞がったひとだった。不思議と今は、もっと瞑のことを知りたいと思える。

 綾小路じゃ、どんな感じなの? ハマってることとか、あるのかな。美味しいものとか、好き?

 友達はいますか? 

 もっと近づきたいって思ってるひとは?

「瞑さん…」

 お話してみたいことも沢山あったけど、今はこれが一番だと思ったから、千住院力王の切っ先に指を添える。車構えの変じた、一指の太刀のあの独特の構え。

(無理だ)

 誰もが思った。瞑はもう、写シを張っているだけだ。張れるだけでも奇跡だ。威力型の一指の太刀などという技を何度も貰っているのだ。次に一指の太刀が放たれればもう写シは張れない。即ち、瞑の死である。

 それは、早苗もであった。

 今度こそ、瞑は消えるかもしれない。

 瞑を殺してしまうかもしれない。

 けれど、瞑は稽古を続けようと言ったのだ。

 瞑の前で、稽古という言葉に嘘を付きたくは無かった。

「フ…」

 そうと見て瞑は、微笑んだようであった。

「来い。早苗クン」

「行きます。瞑さん」

 剣機は満ちた。

 両者が地を蹴る――その一刹那。

「それまで!」

 主審、紫が身を挺して両者の間に割り込む。

((!? 何故!?))

 時計はまだある。写シも張っている。試合を止める理由は無い筈――

 いや、あった。

 スローモーションのように宙を舞っていた。

(タオル!?)

 誰もが、その意味を知っている。

 だがタオルを投じたところでここはリングではない。三分の二反、四角四面の折神正庭の石台だ。タオル投入に意味があるのはボクシング競技で、選手のセコンドがそれを投じれば、投じた側の投降として試合は終了する。しかし御前試合にそんなルールは無いし、そもそもセコンドすらいない。

 選手以外に試合を止められるのは審判のみだ。

 そして主審・紫は、躊躇を一切感じさせず宣した。

「勝者、東、岩倉早苗…!」

 タオルを投じたのは、綾小路学長、相楽結月だった。

 

***

 

 前代未聞尽くしの令和元年度御前試合に、またも前代未聞が付け加わる。

 御前試合の折神正庭にタオルを投じた者は居ないし、それにより試合が終了、しかも勝敗が決まったことも無い。全くもって前代未聞であった。

「何故試合を止めない。鈴本葉菜のS装備の状況は報告していた筈だ」

「貴方が止めてくれると信じていたからだ、結月先輩」

「審判でもないのに、そんな権限あるわけないだろう。試合中の事故を防ぐのは主審である紫、お前の務めでは無いのか」

「言い方を変えよう」

 紫は、一歩を退く。

 道を譲ったのだ。

「貴方が止めないと意味が無いからだ」

「母さん…」

 紫が譲った先に居たのは、瞑だった。

「痩せたね、母さん」

 ぽそり、と娘が言う。

「相変わらず朝はコーヒーだけ?」

「…何か口に入れるようにはしている。お前に五月蠅く言われたからな」

 それにぽそり、と母が答える。

「ひとには食べろって言うくせに、自分は食べないから」

「食べることにしたよ。お前が――」

 お前が、あんな風に逝ってしまってから。

「…どうして、あんな無茶をしたんだ。瞑」

「母さんの罰になりたかった」

「罰?」

「そう。罪から自由になる為の、罰」

「罰。罰か」

 あの時、一筋の涙すら流せなかった己は、心底鬼になってしまった。思いがけず娘を死神に差し出すこととなって、それすら動じることの無くなった我が心は、とうに死んでいるのだと思った。

「我が国の行刑に、死罪より上は無い。だからもう償えることはないんじゃないか。そう思っていたけど、違った」

「母さん…」

「貴方が居なくなっても涙なんて出なかったのに。貴方が返ってきたら涙が出て来るなんて、あべこべじゃない」

 言葉の最後の方は、聞き取ることが困難な程になっていた。

「…あの時、母さんは助けてくれなかった」

「…ごめんね」

「でも、今度は助けてくれた。助けてくれてありがとう。母さん」

「…ごめんね。瞑、ごめんね…」

 試合の前は、瞑だと分かっていても、葉菜の名で呼んでいたのだ。

 だからこれは、久しぶりの――死別以来の母子の会話で、抱擁であった。

(良かったですね。瞑さん)

 瞑と共に学長に抱かれながら、葉菜は無沙汰をしている母を思った。

 紫は、黙したまま瞑目していた。

 木寅ミルヤも紫に倣い、その横で由依は真似っ子をしていた。

 姫和は、嗚咽する清香の背を撫でていた。

 上覧席の真庭紗南司令は、折神朱音と抱き合って号泣していた。

 古波蔵エレンは頷いていた。

 衛藤可奈美は、幽世で先だった母と対面を果たした、あの年の瀬のことを思い出していた。

(よかった…)

 誰の命も失うことなく、御前試合第二日の第二試合は終了したのだ。

 人知れず岩倉早苗は主審・紫と相楽の母子にそれぞれ一礼をし、石台を降りる。

「ようもまあ、突きに行けましたなあ。昨日の話を覚えとらんかったん?」

「丹穂先輩」

 はんなりとした五条丹穂の京ことばにもとげが隠せない。

「はい。危険なのは、分かってはいたんですけど…」

 かつて、瞑に受けた叱責を、早苗は忘れることが出来ない。

「君は試合なら本気を出して、稽古では手を抜くのか」

 そう言っていた、一年前の生前の瞑に応えたかった。瞑にとっては至らぬ他校の後輩に掛けた何気ない一言なのかもしれないが、早苗は、それに応えなければ瞑を軽んじていることのように感じていたのだ。それに…

「…何か、この試合には悪いことは起こらないような気がしてたんです」

 あんなに幸せな心地で試合に臨んだのは、刀使人生で初めてだったのだ。

 だからきっと、悪いようにはならない。

 根拠も何もないけれど、そう信じた。そして幸運は本当にもたらされた。

 結局は、石台に登った気持ちのままに、石台を降りることが出来たのである。

「ありがとう」

 早苗は感謝を述べた。丹穂に対してのみではない。神が居るなら神へ。支えてくれた沢山の友へ。師へ。両親へ。

 十条姫和へ。

「全く、早苗はんといい、姫和はんといい…」

 あんたらには敵わん。

 早苗の背に、丹穂は一人ごちた。

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