刀使ノ巫女 if   作:臣 史郎

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令和御前試合第二日 その2

 私の前にはいつも、可奈美が居た。

 私と一緒に居る時も、舞衣の心の真ん中には何時も、可奈美が居て…

 もし私が強ければ。可奈美と同じところに在れば、先生がああなることも無かったかもしれない。

 強くなりたい。舞衣のなかの、可奈美のいるあそこに、私も行きたい。

 そうすれば、きっと舞衣も――

「おい。聞いてるのか、師よ」

「…刹那」

「ぼさっとしてるのはいつもだが、今日は一段とぼんやりしてるな」

 高津刹那。先生の娘。私の弟子。

「いいか、今度こそよく聞け、我が師よ。きゃつの星王剣とやらは、確かに凄い。一時的にでもきゃつを、衛藤可奈美以上の刀剣聖(とうけんひじり)と為す。しかしあれを使えば、きゃつの写シは間違いなく五分持たん。よって…」

「…言いたいことは分かる。やってみる」

「では柳瀬舞衣がやってきそうなことも分かるな」

「うん」

「ならば、師が勝つ。きゃつとやった私が保証する」

「うん」

 少々、時を遡る。

 妙法村正を腰間に、御前試合第二日、第三戦へと糸見沙耶香が立つ、その、十分ほど前のこと。

「何でしょう、刹那さん。私、舞衣さんに付いていたいんですが」

 屋内である。折神邸刀使寮のエントランスに人の気配はない。

「いやなに、お前に野暮用があってな。羽島七奈」

 高津刹那は、勢州猪切正真を抜き放った。

「…本気ですか」

 第二戦が執り行われている本庭から、声援のようなものも聞こえてくる中、七奈は水心子正秀を抜き合わせて応じる。

「ほう。躊躇わないな。ということは、そちらも渡りに船か」

「なんのことでしょう」

「では、こちらも遠慮はなしだな!」

「…!」

 刹那が閃光と化した。

 速さに於いては十条姫和に次ぎ、長さに於いては糸見沙耶香に次ぐとされる、良質な迅移。ここから一突きして裏に回り込み、そこからもう一突きの連続諸手突きこそが刹那の得意である。もちろん七奈も、それが来ると思っていた。

「!?」

 ところが、前から突きは来なかった。

 突きは、後ろから来たのである。

「顎…!」

 後ろから突き抜けて行ったと思った同時に、正面から来た。七奈が身を沈めなければ、後ろからの一突きで終わっていただろう。

「…やはり突けんか。星王剣恐るべし」

 猪切は七奈の喉の真ん中に御されていた。が、もし刹那がもう一歩を踏み込んでいたら、水心子正秀の切っ先で、自ら串刺しになっていただろう。

 身を沈めると同時に七奈は、相打ち覚悟で胴突きを、予測進路に置いておいたのである。

「知りたいことは分かった。弟子のところに戻るがいいさ」

 突っかけて来たのと同じく一方的に、刹那は刃を納めていた。詫びはもちろん挨拶も無く立ち去る刹那を、七奈は見送る。

「私の胴突きを見切って、あんな迅移を直前で急停止なんて…」

 恐るべき手練れという他は無い。何たる技。何たる狂暴さか。よくも無事に済んだと我知らず、七奈は身震いする。

 でもお陰で、知りたかったことが分かった。舞衣さんに、伝えなければ…!

「いいですか、舞衣さん。星王剣の使用時間には限度があります。しかし糸見沙耶香の無念無想はそうではありません。試合時間五分の間に限界が来ることはないんです。ですから…」

 舞衣の控室へと駆け戻った七奈は、年上の弟子へと、思う所を伝える。

「ありがとう。やってみるね」

 よく知る、何時もの舞衣の微笑み。

 何処となく影を感じるのは、衛藤可奈美のことを知っているからだ。

 この先勝ち進んでも、可奈美は居ない。それは舞衣だけでなく、舞衣と戦う沙耶香にも影を落としている筈だ。つまり何れの側も、まともな精神状態で試合に臨めていない。

 御刀を抜けば無心となるのが一流の刀使である。そして二人は伍箇伝において、一流の中の一流である。

 けれど二人とも、まだ中等部の少女だ。

(実力以外、作戦以外のところで勝負が決まるかもしれない)

 その心配はあったが、七奈にだってどうすることも出来ない。張れなくなった可奈美の写シをまた取り戻す、それが出来る人は十条姫和ただ一人のように思えるし、現に姫和は、岩倉早苗の写シを取り戻してのけた。

 そんな真似、七奈には無理だ。

 だけど、出来ることはやる。

 やらなければ。出来ること全てを。

 

***

 

 柳瀬舞衣と糸見沙耶香。

 互いに強豪刀使でありながら、公式試合での対戦経験は意外にも無い。

 普段から一緒に居ることが多く、稽古も共にしているところをよく見られる二人である。対戦経験は無くとも、互いよく知った相手である。

((やっぱり…))

 主審・紫の号令で火蓋を切った御前試合第二日第三試合で、舞衣と沙耶香は互いに所感を同じくした。

 抜き合わせた瞬間飛び離れる沙耶香。

 迅移の間合いを取った沙耶香に対し、動かない舞衣。

 互いの思い描いた通りであった。

 会場がどよめく。

 舞衣が、一度抜いた孫六兼元を、鞘へと納めつつあるからだ。

 北辰一刀流居合――いや、辻漣や観世思惟ら、当代の名手から手ほどきを受け、柳瀬舞衣一流と言ってもいい程に昇華されたとされるそれを、実地で見た者は実は少ない。舞衣に居合を抜かせた相手は衛藤可奈美、燕結芽、そしてタギツヒメのみであり、糸見沙耶香は四名目なのだ。

 スルスルスルと、ゆっくりに見えてその実恐ろしく速く、関の孫六は舞衣の、その紫紺の笹葉鞘へと収まっていく。

 黒より暗い紺のその鞘を、持ち主が人一倍大切にしていたことを沙耶香は知っている。鞘割れの兆候が掴みやすい色なのだと、舞衣は言っていた。

 パチン、と鯉口の音と共に舞衣の写シが消えた。

 孫六兼元を完全に鞘に納めたのだ。

 再び、会場がどよめく。舞衣から写シが無くなっているというのに、紫が試合を止めないからだ。

「写シを張れなくなったわけでは無い、と判断したのか」

「でも、だからって…」

 万が一、が無いと言い切ることは誰も出来ない。そうなった時の責任を負えるのか?

(いや、それ以前に…)

 木寅ミルヤには疑問だった。山城由衣もそうだろう。

 舞衣と沙耶香の親しさは、誰もが知る。生身の舞衣に、沙耶香が白刃で斬り込むことが出来るのか?

(それが、斬り込めるのよ。我が師沙耶香ならば。我が師沙耶香と柳瀬舞衣の間柄ならばな)

 沙耶香は舞衣を。舞衣は沙耶香を信じている。

 舞衣の身にもし何かがあれば、沙耶香の心も傷を負う。我が手で斬ったとあれば深手となろう。そう信じているから舞衣は、沙耶香に我が身を傷付けさせるようなことはしない。

 よって舞衣は、決して沙耶香に斬られることは無いという自信を持っているということになる。

(よって、斬るのだ我が師よ。信じて柳瀬舞衣を斬れ…!)

 見守る弟子、刹那の心の声に、師は応えた。

 三度、会場がどよめく。

「沙耶香ちゃんが仕掛ける…」

 この時、衛藤可奈美は内里歩の車椅子を押して、選手控室に入っていた。

 両者が両者共に、実地で糸見沙耶香と戦った経験を持つ。

「柳瀬さんは大丈夫なんですか? 可奈美さん」

「大丈夫、って言いたいところだけど、沙耶香ちゃんの無念無想は、持続時間が長いだけの迅移じゃない」

「鋭さもあります。それに何ていうか…迅移に慣れている、っていうか。ハイスピードで流れる展開が得意ですよね」

「いつも迅移なんだもん。迅移の練度が並みじゃないんだ。どんな速い展開でも、間違わない」

「やっぱり柳瀬さんは大丈夫じゃないんじゃあ…」

「大丈夫。だって舞衣ちゃんは、舞衣ちゃんだから…!」

 果たして、可奈美の言葉通りになった。

 御前試合第二日、第三試合の両選手の一合目は異様な形となる。刃鳴り一響、正面の沙耶香は舞衣の背後に在り、舞衣は背からの妙法村正を、顧みることなく背で受けていた。

 無念無想による迅移である。

 高津刹那の顎のような二段突きではない。正面から斬ると見せかけ背後まで駆け抜け、背から斬ったのだ。

 並みの刀使なら受け得るべくもないそれに舞衣は完全に対応した。

 立ち合いの技であれば正面の対手の技に応じ太刀を打つ練習を積む。立ち合いの相手は正面に居るからだ。しかし居合は違う。相手は背後に、左右に潜む。居合を修める舞衣にとり、背から斬り込まれるのは日々の事だし、それに対する練習を常日頃積んで来ているのだ。

「「…!」」

 舞衣が反撃した。

 振り向き様のへし斬りだ。峰に我が左手を添えて押し切るこの技は、転倒した敵に打刀で止めを刺す際などに用いられる。近場で強みの技だ。動かなければ顎を断ち割られていたろうが、当然沙耶香はそこに居なかった。二足刀の遥か以遠、舞衣の迅移の打ち込みの射程外にまで、悠々と飛び下がっている。

(舞衣…)

(沙耶香ちゃん…)

 二足刀以遠。

 迅移の打ち込みの射程の外。

 しかしそんな常識は通じない。沙耶香の妙法村正は、矢弓の射程を持つのだ。四角四面の御前試合の石台の隅から隅まで、何処にでも斬り込んでいけるのが糸見沙耶香だ。

 真っ向から斬り込んで来ると見えた沙耶香は、正眼に備えた舞衣の横を通過した。何と、二足刀の遥か以遠というそこから、さらに舞衣の背後まで回り込み、斬り込んで来たのである。

 迅移が長いにも程がある。しかしそれにも舞衣は対応した。

 今度は受けではない。背後からである筈の沙耶香の打ちに、振り向き様に切り落としを合わせて来た。

「「…!」」

 そもそもが、正面の対手にも合わせていくのが困難なのが、切り落としという技である。それで背後の相手に対抗するなど、誰も想定住まい。

(誰にも出来ない。だけど、星王剣なら…!)

 妙法村正と孫六兼元が触れ合う。村正を跳ね飛ばし、孫六兼元で村正の進むべき経路を乗っ取って斬り込むのが切り落としという技だ。

(…!?)

 それが、両方ともコースアウトした。

 何故か。

 糸見沙耶香は、我が村正に僅かなアングルを与えていたのだ。

 真っ直ぐ刃筋を立てなければ威力を発揮しない和刀を、やや斜めになるよう保持していたのである。沙耶香の打ちは入っても文字通り刃筋が滑って立たず、写シを飛ばすには至らないが、切り落としてきた場合は話は別だ。相手の刃は傾斜した方向に逸れる。

(あの切り落としを読んで来るの…!?)

 沙耶香にとっては、後ろの相手の技を切り落とすという、想定外の技も想定外では無かったのだ。

(よし。良いぞ、我が師よ)

 後ろからの打ちに対しては、柳瀬舞衣は星王剣を使わざるを得ない。しかし仮にも人である者が、二つの目玉を四つ、六つと増やしても、見えている者が何なのか判じ得ない。人の脳はそのようには出来ていないからだ。

 それをやるから、途轍もない負荷が舞衣の脳には掛かっているのだ。

 星王剣という技は確かに神妙の域に在るが、使い続ければ舞衣は自滅する。そうさせるには、背後だ。舞衣の背後を取って星王剣を乱用させ、消耗させてしまうのが、刹那の作戦であった。

 迅移にも優れた舞衣の背後を取ることなど、並みの刀使には出来ない。出来る刀使が居るとしたなら顎の高津刹那とその師、無念無想の糸見沙耶香。

(一念無想ならば柳瀬舞衣と云えども討ち取れようが、あれは一度きり、切ったら切り捨ての切り札。慎重に、確実に遣わねばな)

 一度使えば写シを失ってしまう一念無想。故に切り札を切ったら確実に仕留める。その為の布石であった。

(斬れずとも良い。星王剣を使い続ければきゃつは自滅。さあ、行け我が師よ)

 刹那の作戦を、沙耶香は完全に共有していた。沙耶香は再度迅移で飛び離れる。

「…!」

 その、沙耶香が飛び離れているタイミングであった。

 抜き身となっていた舞衣の孫六兼元が、スルスルと鞘に納まっていく。

(また居合に…)

 ゆっくりに見えて、その実恐ろしく速い納刀であった。

 沙耶香の足が地に着いた時には、再度舞衣から写シが消えていた。

(やはり、そう来るか)

 切れ長の刹那の瞳が、さらに細る。

(…そうです、舞衣さん。これならば星王剣の使用時間は最小限。写シも節約出来て消耗が回避出来ます)

 一方羽島七奈は我知らず、諸手の拳を口元に握り締めていた。

「ミルヤさん、これって…」

「やはりこの図式になりましたか」

 沙耶香の無念無想は確かに伍箇伝史上最長の迅移だ。その一方で速力は二段階迅移の域を離れるものではない。舞衣程の刀使ならば防御出来る可能性が高い。

 問題はその迅移の打ち込みが五分間、連続して行われるということだ。一度、二度は防げても最後にはスピード負けし、斬り立てられて負ける。そうならないのは二段階迅移の打ち込みにすら完全に後先で合わせて来る衛藤可奈美か、スピード負けしない十条姫和くらいなものだと、ミルヤは認識していた。

 昨日までは。

 今や柳瀬舞衣は、前出の二名と肩を並べている。

 並べてはいるが、それは時限式。時間制限がある。

 ならば使わなければいい、というのが七奈の結論である。もちろん全く使わず無念無想を凌ぎきることなど出来ないから、要所要所で使っていく。

 そんな都合のいい真似が出来るのかというと、普通は出来ない。しかし居合を修めて来た舞衣は発刀と同時に写シ、迅移までを発動出来る。居合抜きで迅移で踏み込めるのだ。

 ならば発刀即星王剣、ということも理論上可能で、実際に可能であることはたった今証明された。

「これなら星王剣の発動は数瞬。試合時間五分の間に限界を超えるリスクを大きく下げられる」

「数瞬…で、済みますか? 常時迅移の沙耶香ちゃんの無念無想を相手に」

「不明です。ですがこれではっきりしました」 

 無念無想の波状攻撃で、星王剣を使用させ舞衣を消耗させていく沙耶香。

 星王剣の仕様を抑え、無念無想を最小限度の消耗で凌ぎきっていく舞衣。

「明快な。明快過ぎる図式です」

 たん、と一度だけ、沙耶香が上下にステップする。それと同時にかき消える。拳銃弾の速度にも匹敵する、二段階迅移の打ち込み。

 対する舞衣が反撃した。発刀したのだ。基本中の基本、咄嗟の平抜き。

 対する沙耶香は――届かなかった。そもそも沙耶香が、間合いの外で急停止したのだ。

 フェイントである。

 そこで迅移が止まらない。右手へと駆け抜けていく。これも対居合の基本だった。居合は左腰の鞘から発する。左から右への横凪ぎが居合抜きなら、左翼は死角となるのだ。

 左手から打ち込もうとして、今度こそ沙耶香の迅移が止まった。

 舞衣が居なかったからだ。

 今度は舞衣が、沙耶香の間合いの以遠に飛んでいた。居合抜きからの迅移で、沙耶香の打ちを回避したのである。

(止まるな! 追え我が師よ!)

 舞衣の正眼構えが完成していた。星王剣を考慮すれば、迅移に行っても攻めきれない可能性が高い。それを押して、沙耶香は攻め込む。無念無想の無限迅移で圧殺するのが沙耶香の剣だ。得意の展開なのに自分で逃げ出してしまったら、この試合、やることが無くなる。勝利も無くなる。

 刹那の心の声に、沙耶香は応えた。

 真っ向から斬り込む。それが一番近くて速いからだ。

 それに対し舞衣は、僅かに…ほんのつま先分だけ、後ろに下がった。

 下がって置いて、真っ向から斬り下ろす。

 沙耶香と全く同じフォームの同じ技。しかしそのつま先分のタイミングは――

(切り落とし…!)

 舞衣が切り落としで応じて来た。何もしなければ一方的に顔面を割られる。沙耶香は咄嗟に手の内を締めた。

 どのように力を込めたとて、タイミングがしっかりしていれば切り落としてしまえるのが一刀流系の切り落としだ。沙耶香の狙いは両手に力を入れて剣筋を逸らされにくく、ということではなく、脱力しないことによって剣速を落とすところにあった。速度が変われば、タイミングが変わる。

 

 ギン!

 

 高く尾を引く刃鳴りと共に、村正と孫六は共に外れた。伍箇伝髄一の切り落としの名手である沙耶香は、切り落としを阻む手段にも長じていた。しかし、阻まれた舞衣はそこで止まらなかった。

 切り落とし合戦で沙耶香に勝てる、などと舞衣は1ミリグラムも思っていなかった。そもそもが舞衣の学ぶ北辰一刀流は、小野派一刀流より出た門派である。切り落としの精髄は、小野派一刀流より学んだものだ。切り落としをより良く悉っているのは沙耶香の方の筈だった。

 沙耶香に切り落としをしたって決まらない。それは分かっていたからその先のことも舞衣は考えていた。竜尾となって、孫六兼元が跳ねあがる。舞衣の突き技だ。

「…!」

 掠りもしない。

 限りなくゼロ距離からの突きだ。並みの刀使なら阻めないが、舞衣の相手は糸見沙耶香であった。

 撤退は、舞衣の突きよりさらに速かった。

 無念無想――沙耶香はまだ、迅移の途中だ。

 並みの刀使は迅移で近づき、それから斬る。沙耶香はそうではない。迅移の途中で斬って、即迅移で進退出来る。

 沙耶香には刀使の常識すら通用しないのだ。

(無念無想は速いけど、雑になることが多かった)

 今は異なる。対応されると感じれば手の内を変えるような高等技術を迅移の最中にやって来ている。沙耶香は、怪物刀使となりつつあった。

(凄い。凄いよ、沙耶香ちゃん)

 沙耶香ちゃんなら、やれるかも。

 ふと思う。沙耶香が、己とは異なる次元に居る刀使ならば、十条姫和と同じところに居る刀使ならば、ひょっとしたら、と。

 己が衛藤可奈美にしてあげられることを。思いつくこと、何でもして来た。

 なら、ここで沙耶香に先を譲った方がいいのではないか。

 沙耶香なら、可奈美を救ってくれはしないか。

(もういいのかな。私)

 既に可奈美は、写シを張れない。

 剣術が好きで、刀使が好きで、刀使であることも大好きだった可奈美がもう、刀使では無くなってしまうかもしれない。

(いいのかな…もう…)

 突いた孫六兼元が、翻って鞘へと収まっていく。

 パチリ、と鯉口が鳴るのと、沙耶香が二足刀以遠に着地するのとは全く同時であった。

 舞衣は沙耶香が下がるのに合わせて納刀したのだ。

 敵前で納刀など、正気の沙汰ではない。納刀という動作がそもそも刃の働きを制限する隙そのものであり、一度発刀すれば納刀しなければ使えない居合抜きは、抜けば二度と使えぬが故に抜き口が全て、というところがある。

 しかしこの糸見沙耶香を相手としては、気力節約の為一試合中に何度も納刀する作戦を取らざるを得ず、しかし驚くべきことに舞衣は、もう三度もそれを行って無傷であった。無念無想の超速フットワークの隙を突いて、である。

 舞衣から写シが消え、試合は、振出しに戻った。

(なにやってるの、私)

 こんなことやっても無駄なのに、どうして?

 どうして、この気持ちが抑えられない?

(あの時には、託せたのに)

 去年の、あの春。可奈美を十条姫和へと託した。

 あれから色々なことがあったけど、未だに舞衣の時間は、あそこで止まったままだ。去年、折神邸で突然居なくなった可奈美を、どこに居るのかと今も探し続けているような気がする。

 衛藤可奈美は幽世から戻り、今や何時でも連絡が取れるにも関わらずだ。

 きっと今も、選手控室で己の試合を見ているだろうとしてもだ。

(なのにこの気持ちはなんだろうっていう、違和感はずっとあった)

 今こそ、分かった気がする。

(酷いコだ。私)

 舞衣が戻って来て欲しいと思っているのは、あの春の前の可奈美だ。ずっと己にくっついて離れなかった、あの時の可奈美なのだ。

 時間を巻き戻すことは出来ない。そう思っていたから姫和に頼ったし、今は沙耶香に頼ろうとしている。そうでもしないと本当に、全ての可奈美が目の前から居なくなってしまいそうだったから。

 だけどもし、去年のあの春に戻れるとしたなら。

 今十条姫和が居るそこへと。糸見沙耶香が届くかもしれないそこへと。衛藤可奈美のとなりへと。

(戻れるとしたら――)

 居合腰に戻った舞衣の変化に気付く者は少数であろう。

「あ…」

「どうしたんですか、可奈美さん」

「柄本の手が…」

 常の沙耶香なら気取られたかもしれない。しかし今の沙耶香は無念無想に沈んでいた。我が迅移の維持に徹していたのだ。

 そこを舞衣が急襲した。

「!?」

 環視の刀使の殆どが、何が起こったか分からなかっただろう。何せ舞衣は納刀しており、写シすら不可能な状態だった筈。それが沙耶香の無念無想に迅移で追いついたのだから。

(なに!)

 高津刹那は面食らった。沙耶香も同様だった。

「舞衣ちゃんが、新田宮流を…!」 

 衛藤可奈美は、新田宮流と対峙した経験を持つ。沙耶香もそうであった筈だが、舞衣の僅かな右手の位置の変化に気付くのは不可能だろう。

「糸見沙耶香。場外だ」

 主審、紫が宣する。

 全力の迅移で、場外まで逃げた。そうでなければ真っ二つにされて、数日は写シが張れなくなっていただろう。

「錬府の刀使めが、面食らっておるわ。だが鯉口を隠すのみが、我が新田宮流ではないぞ」

 美濃関のエントランスの大モニターでほくそ笑むのは、舞衣の居合の師の一人、辻漣であった。

「気の先か」

「如何にも」

 傍らに在る観世思惟もまた居合の達者である。漣の言わんとすることを察していた。

「我が鯉口を既に切り、敵がそれを知らねば気において先を制し得る。これは当然の事だが、当流にはさらに口訣あり」

 石台にただ一人の刀使となった舞衣が、悠々と納刀していく。

 再度の、居合腰であった。

 対して沙耶香は、なかなか石台に上がっていかない。明らかに警戒している。鯉口は、どうなっているのか。鍔元を遮る右掌が邪魔であった。鯉口を切っているのか、いないのか。

 と、その時、邪魔で仕方が無かった舞衣の右掌が退いた。

(あ…)

 鯉口が見えた。

(鯉口は、切ってない…?)

 ように、見えたと思った。

 舞衣から写シが消えていたから、そんな風に思えたのだ。鍔元はもう掌で遮られていなかったが、代わって視界を遮っていたのは、孫六兼元の鍔そのものだった。

(違う。これは…)

 一抹の違和感を感じた時には居合が来た。

(え…!?)

 舞衣が斬り込んで来た。

 沙耶香が場外に居るにも関わらず。

「鍔元を掌で隠すは当流の表芸に過ぎぬ。掌(てのひら)は掌(たなごころ)とも読み下すこと在り」

「裏の技、心の技か」

「然り。一度見せれば既に術中。お前の師は、呑み込みが良いようだ。しかし、このような反則紛いを行おうとは」

 完全な奇襲となった。

 咄嗟に長い迅移で逃れた沙耶香は、動揺を隠せない。

(舞衣が、こんな…)

 こんな反則紛いを、それも、己に対して。

「写シだ! 師よ、写シを張れ!」

「…!?」

 弟子、刹那の声で気付いた。

 すぐ張り直すことが出来たがそれにしても。

(躱しきれていなかった…!?)

 躱したと思った舞衣の発刀は、沙耶香の首筋を割いていた。切っていた鯉口の分、素早い抜きとなっていたのだ。

 それだけではない。舞衣の掌が鍔元を隠していなかったから、鯉口は切っていないように思えた。実際に鯉口を目視出来たわけでは無いのに、写シまで張って無かったからそう思えたのだ。真正面の相手に不意を突かれることとなったのはそのためだ。

「両者中央」

 流石にここで、主審、紫が試合を止めた。

「糸見沙耶香、場外一。柳瀬舞衣、場外一、それに反則一だ。次は失格だぞ」

 舞衣には反則注意が与えられる。また行えば問答無用で敗北が決する。

 沙耶香は一度写シを失い、判定は五分五分といったところであろう。しかし両者の置かれている立場は違った。

(いい。いいですよ舞衣さん。このまま行ければ…!)

(いかん。作戦の前提が崩された)

 羽島七奈と高津刹那の胸中は裏腹だった。

 舞衣は作戦上の優勢となり、沙耶香は敗勢に置かれたのだ。

(星王剣の維持時間の短さを突く作戦だった。だが我が方が写シを失ったとあれば話は異なるものになる)

 星王剣の燃費の悪さを狙った作戦だった。対する無念無想は圧倒的低燃費の技であり、これでスタミナを削り切るのが要綱であった。しかし写シを一度失った事によって燃費差が怪しくなった。作戦遂行能力が削がれたのである。

(想定が甘かったわ。柳瀬舞衣の居合がこれ程のモノとは)

 思えば予選を含めこの御前試合で舞衣は、居合を見せたことが無かった。一指の太刀やら唯一の太刀やらの規格外が飛び出した今節、その驚異は忘れられていた。抜く前の未発を制する、それは正しく居合の在り方であった。舞衣が居合腰となった時、趨勢は決していたのだ。

(恐るべし、柳瀬舞衣) 

 事ここに至り、沙耶香の選択枝は幾つかある。

 一つは迅移による遊撃を止め、中距離戦に活路を見出す道。真っ向からの剣技勝負となる。舞衣、沙耶香共に切り落としを主眼とする一刀流系であり彼我の差は互角。ただ舞衣が星王剣を使って来れば、技術勝負では危うくなる。

 一つは現作戦を維持し、遊撃を続ける道。どちらが先に電池切れになるかはもう分からない。先に無念無想が維持できなくなれば、敗北するだろう。

 現状を維持しながら逃げ回る道もある。前出の通り判定は五分。理屈では五分の確率で勝利出来る。しかし、消極策は判定に不利を齎す可能性もある。

 何れも、分の良いものではない。

(舞衣…)

 どうせよいようにならないならば、異なる道がある。

 意地かバチか、一念無想に賭ける道だ。

 写シを他所に飛ばす離れ業。一度行えばもう写シは張れない。唐竹割りにされたのと同等の被ダメージと引き換えの技だ。刀使生命にどれ程の影響が出るかもしれぬ、可能ならば使いたくない技だ。

(いくのか。我が師よ)

 しかし許より、そのようなリスクを負ってもこの試合、何処かで使うつもりの技だった。

 分身となった写シの沙耶香は、対敵を狙う。この場合は舞衣だ。しかしどう狙うかまでは、細かくコントロールは出来ない。

 写シを分離するのだから、沙耶香本人は当然ながら写シを失う。斬り込まれれば怪我では済まないだろう。それでも沙耶香は行かねばならない。多対一となって初めて意味のある技だからだ。我が身と我が分け身で同時に掛からねば舞衣の星王剣を破れないからだ。

(ことここに至っては、英断、やも知れん。止めはせん)

 逆に言えば、ここまでしなければ今の舞衣には届かない。

(いけ! 師よ!)

 声が届いたのか。

「来ます! 舞衣さん!」

 七奈の警告通り、沙耶香は地を蹴る。

 無念無想――沙耶香得意の長い迅移。正面からは行かない。後ろに駆け抜けてからの――

「…!」

 いや。正面に沙耶香は居る。

 にも拘らず、背後に沙耶香が居る。

(一念無想…!)

 環視の刀使勢がどよめく。

 




祝、終末ツーリングアニメ化!
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